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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  
2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪海に帰る・栄華の墓所・巡礼・水の宮・鎮守の森・島の祭り

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

拡大写真(2200x1200)426KB 五月晴白一色の単縦陣   北舟

2001年7月16日制作

「しきしま」率いる受閲船隊の勇姿

 

「しきしま」率いる受閲船隊の勇姿(海上保安庁観閲式/羽田沖)






 


 
 
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2006年12月13日(水)

 2006年11月16日(木)から3泊4日の日程で家内と共にクラブツーリズムのツアーに参加し、山水画で有名な中国の桂林 けいりん Guilinに旅した。成田から広東省の省都・広州まで空路5時間(復路は4時間)、広州から桂林まで空路1時間。3日間連泊し、じっくりと霧の桂林を堪能することができた。

広州の瑠璃の館の秋寂びぬ  

The lapis lazuli house
 at Kosyu,
becoming desolate
in autumn.

こうしゅうの  るりのやかたの  あきさびぬ

 広州(こうしゅうは中華人民共和国の南部に位置する広東省(かんとんしょう)の省会(しょうかい)(省都)であり、華南(かなん)地区全体の行政的中心である。副省級市として省と同様の経済的な権限を与えられている。
 広州の富豪たちが建てた陳氏書院は、1894年広東省の陳姓の人々の寄付によって建てられた広東最大の建築物で、国の全国重要文化財に指定されている。
 

竹舟に糊口を漱ぐ秋の河 

 

Autumn river,
They are  earning
their daily bread
on a bamboo raft.

たけぶねに  ここうをすすぐ  あきのかわ

 12月17日(金)は、終日、桂林ツアーの目玉である漓江下りを楽しんだ。桂林のこの時期は乾期で、2ヵ月ほど雨が降らなかったのに、前日から恵みの雨が降ったり止んだりという空模様。お陰で水墨画の世界に飛び込んだような霧の漓江を満喫できた。
 竹江を出発して1時間余り経った10時15分頃、船は冠岩に着いた。漓江から見える洞窟は、冠岩幽洞(かんがんゆうどう)と呼ばれ、岩壁に穴があいていて中は鍾乳洞になっている。
 

残る秋鍾乳洞の舟遊

 

Late autumn,
Boating
at a limestone cave.

のこるあき  しょうにゅうどうの  ふなあそび

   昼食を済ますと、船はいよいよ漓江最大の景勝地に入った。幸い雨は降らず、霧がたちこめた幽玄の世界が広がっている。ツアー客たちは屋上の展望デッキに上がり、大自然のパノラマを心ゆくまで楽しんだ。
 漓江は、ゆるやかなときを刻みながら悠久の流れを絶やすことがない。桂林の地に豊かな恵みをもたらし、少数民族の日々の暮らしを支え、独自の文化を育んできた。山水を包み込む煙霧や朦朧とした霧雨は、清らかな水となってこの地に潤いをもたらし、世俗を超越した旅情や感性をかき立ててくれる。
 

墨客の描きし奇峰霧の中

 

The mist lay over
the strange hills
painted by experts in ink drawing.

ぼっかくの えがきしきほう きりのなか

 華南第一を誇る原始林は、広大な高山湿地や縦横に走る清流を育み、やがて無数の渓谷を穿った。大自然の創造した桂林の山水は、遙かな昔より、多くの文人墨客(ぶんじん・ぼっかく)の芸術的な霊感をかき立ててきた。ここに立てば、誰しもが詩人になる。

「霧の桂林紀行」 2006.11.16-18

広東民間工芸博物館となった陳氏の豪邸

広東民間工芸博物館となった陳氏の豪邸

拡大写真(1600x1100)388KB

棹と櫂で操る竹排(ツーパイ)(竹筏)

棹と櫂で操る竹排(ツーパイ)(竹筏)

拡大写真(1450x1000)389KB 

洞窟の舟下り

洞窟の舟下り

拡大写真(1600x1200)291KB

奇山や針峰の林立

奇山や針峰の林立

パノラマ写真(2000x1000)166KB

第11集に続く。(桂林8句)







 
 
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2006年11月23日(木)

 2006年11月3日(金)朝5時起きして、羽田空港から空路大分空港に行き、出迎えて頂いた川組後援会の清原浩さんと合流し、豊後高田市の伝統行事として知られる若宮八幡神社の裸祭りを取材した。

秋の川紅白襷の浄めかな  

Autumn river,
Purification of the men
with a red-and-white sash.

あきのかわ こうはくだすきの きよめかな

 3日(金)午後1時頃裸祭りの主役を務める川組の40歳以下の男性約80名の輿丁(よちょう)たちが公民館に集合し、赤組と白組の二手に分けられた後、狩衣(かりぎぬ)と呼ばれる袖(そで)のない短い上衣をまとい、褌を締めて祭り衣装を整えた。
 その後、恒例により、褌姿の男たちが適宜市内の飲屋街に繰り出し、日頃お世話になっているママさんたちの心づくしの祝酒や、おにぎり、おでんなどをいただき、お礼の三本締めをして廻った。
 

秋祭ママに手締の褌衆 

 

Autumn festival,
Hand-clapping for the Mum
by guys wearing fundoshi loincloth.

あきまつり ままにてじめの ふどししゅう

 豊後高田市は、大分県北部の国東半島(くにさきはんとう)北西部に位置し、周防灘(すおうなだ)に面する。市内中心部を二級河川の桂川(かつらがわ)が流れる。
 

若宮を輿に迎ふる暮の秋

 

Late autumn,
God Wakamiya
got into the portable shrine.

わかみやを こしにむかうる くれのあき

 午後3時半ころ、神輿の宮出しをつとめる若宮八幡神社陸組(おかぐみ)保存会(陸組)の氏子たちが白装束に身を固めて神輿庫前に集合。神輿を本殿の前に移動した後、午後3時40分ころから古式に則って御霊入れの儀が行われた。
 若宮八幡神社は、仁寿(にんじゅ)2年(852)12月の創建と伝えられ、来縄郷(くなわごう)(六郷満山の一つの郷)における宇佐神宮の別宮で産土神(うぶすながみ)とされている。毎年旧暦10月14、15、16日に川渡し神事があり、裸祭りとして知られる。6月には1万本の紫陽花(アジサイ)が咲き乱れる。
 

柏手の音高らかに秋祭

 

Autumn festival,
The hand clappings
sound loudly.

かしわでの おとたからかに あきまつり

 午後4時過ぎ、宮神輿の行列が若宮八幡神社(本宮)を出発した。殿(しんがり)をつとめる陸組の輿丁たちが約1トンの宮神輿を担ぎ、桂川の会場に隣接する豊後高田市役所前まで練り歩いた。
 午後4時20分、陸組の神輿は川組の輿丁たちが待ちかまえている豊後高田市の庁舎前の中継点に到着した。陸組が三本で〆たあと、川組が神輿を引き継ぎ、輿丁たちが次々と担ぎ棒にのぼって三本締めを披露した。

桂川火矢で始まる神輿渡御

Katsura river,
Crossing of the portable shrine
begins with a firing arrow.

かつらがわ ひやではじまる みこしとぎょ

 午後5時すぎ、裸神輿が桂川の会場に到着すると、御玉橋(おだまばし)の上から市弓道連盟のメンバーが大たいまつの稲藁(いなわら)めがけて火矢を射った。一矢(いっし)外れる毎にドーンと大太鼓が打ち鳴らされ、ドッと笑いが上がる。
 夕焼け空を背景に空中を飛ぶ火矢はとても幻想的。最初の3本はわざと外すという。今年は風もあり、なかなか当たらず、やきもきしたが、午後5時15分ころ、やっと十本目くらいで命中し、大たいまつが点火した。その瞬間、会場から大きな拍手と歓声がわき、待望の「川渡し神事」が始まった。

燃あがる祭太鼓の重低音

A heavy low tone
of the festival drum
burning.

もえあがる まつりだいこの じゅうていおん

 大たいまつが紅蓮(ぐれん)の炎をあげはじめたころ、地元豊後高田市の西叡太鼓の演奏が披露された。西叡太鼓は、六郷満山の修験僧の供養のため、盂蘭盆(うらぼん)に太鼓をたたいたとの故事により、郷土の愛好者たちが結成した勇壮な和太鼓演奏集団である。
 大たいまつの点火や大太鼓の演奏に気を取られていると、清原さんからお借りしたボデートーキーで神輿が入川したと連絡を受けたので、太鼓の撮影を切り上げ、下流に向かった。
 筆者が大勢の観客の間を縫って神輿が近くに見える位置に到着した頃には、既に神輿は川中まで進んでおり、午後5時27分、望遠レンズで初めて川に入った神輿を大きく捉えることができた。

篝火を縫ひて神輿の川渡る

The portable shrine
crosses the river
threading the way
through the bonfires.

かがりびを ぬいてみこしの かわわたる

 桂川は潮の満ち引きにより水面が上下する。輿丁たちの褌が半分ほど浸かる潮時(しおどき)に入川するのが最良で、今回はピッタリのタイミングであった。早すぎると水溜まりを歩くようで迫力がない。また、あと30分遅れると水位は胸まであがる。そうなると裸神輿とはいえなくなるので、進行役のきわどい判断に喝采を送りたい。

輿丁らの揃ひの白褌川神輿

The portable shrine at the river,
White fundoshi loincloth
  the uniform of the carriers.

よちょうらの そろいのびゃっこん かわみこし

 川中の進行にあわせて、撮影位置を変えながら神輿を追い、最後は道路から土手の斜面を滑り降り、アルプス席の最前列に陣取って、神輿のフィナーレを撮影することができた。
 これも若草色の川組後援会のジャンパーを羽織っていたからこそ「ちょっとすみません・・・」といって撮影場所を確保できたわけで、一般観客の立場では、とても割り込めるものではない。

川に座す水掛神輿濡褌

The portable shrine
 showered on the riverbed,
Their loincloths drenched.

かわにざす みずかけみこし ぬれふどし

 ご覧の素晴らしい画像を説明することは何もない。変化するスポットライトの光と影に浮かび上がった勇壮な裸神輿を前に、私は心臓の高鳴りを抑えながら、夢中でシャッターを切り続けるだけであった。
 気がつくと、川組会長の挨拶が終わり、濡れ鼠になった川組の輿丁たちがずぶ濡れの神輿を担ぎ上げ、川向こうのスロープに向かって移動しはじめた。対岸のスポットライトの左上に、ひときわ大きく輝く宵の明星「金星」がこの祭りを祝福しているように思えた。

秋祭一番星の川渡る

Autumn festival,
Crossing the river
of the first evening star.

あきまつり いちばんぼしの かわわたる

 防衛庁の幹部候補生学校(幹候)は、自衛隊の幹部自衛官を養成する組織であり、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊それぞれに設置されている。海上自衛隊の幹部候補生学校は、江田島にあり、海軍兵学校のエリートたちが起居した煉瓦造りの立派な生徒館を庁舎としている。

松明の夜空を焦す川渡祭

River crossing festival,
The torch
burning the night sky.

たいまつの よぞらをこがす かわとさい

 防衛庁の幹部候補生学校(幹候)は、自衛隊の幹部自衛官を養成する組織であり、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊それぞれに設置されている。海上自衛隊の幹部候補生学校は、江田島にあり、海軍兵学校のエリートたちが起居した煉瓦造りの立派な生徒館を庁舎としている。

火の燃ゆる川面に浮ぶ神輿かな

The portable shrine floating
on the burning surface
of the river.

ひのもゆる かわもにうかぶ みこしかな

 再び、観客の間を縫って、対岸の上陸地点に急いだ。息を切らせながら御玉橋を渡っていると、感動的なパノラマビューが私の目に飛び込んできた。カメラの画面には入りきれない景観を得意のパノラマ写真で切り取った。

川渡の滴るふどし秋夕べ

Autumn evening,
Their loincloth dripping
by the river crossing.

かわたりの したたるふどし あきゆうべ

 御玉橋から夢中で走って、昼間に下見していた撮影ポイントに到着。清原さんが先行して据えてくれていた脚立に立つと、間もなく、神輿が上陸してきた。ずぶ濡れの男たちの躍動する光景を至近の位置から見事に切り取ることができた!
 脚立に立ち、高い視点から奥行きのあるショットをゲット! 画面奥に神輿を引き継ぐ陸組が待機しているのが見える。警官が雑踏警備する混雑した状況の中で、ここまで肉薄して撮影できたのは清原さんのお陰である。また、他のカメラマンの姿が写り込んでいないのも大変難しいことである。

夜祭りや黒子に徹す草鞋切

The night festival,
Contented with kuroko
in cutting straw sandals.

よまつりや くろこにてっす わらじきり

 神輿を陸組に引き継いだ川組の輿丁たちは、御玉橋(おだまばし)を渡って市役所に向かった。水中よりも水から上がった時の方が寒いという。
 川組の裸たちは、市役所の玄関で、川組後援会のメンバーからハサミで草鞋の紐を切ってもらっていた。草鞋はぼろぼろになり、紐が絡んでなかなか解けないので、ハサミで紐を切り取って外すことにしており、この作業を草鞋切りと呼んでいる。

桂川裸で渡る星月夜

A starlit night,
Crossing Katsura river
naked.

かつらがわ はだかでわたる ほしづきよ

 一日置いた11月5日(日)夕刻、若宮八幡神社の下宮(しもみや)に集まった陸組たちは、神事の後、お上り神輿を担いで、桂川左岸(西岸)の繁華街を練り歩いた。
 最終日はお上り神輿なので、お下りとは逆に白組が神輿の前部を担ぎ、若い輿丁たちが気合いを入れていた。
 とっぷりと日が暮れて、あたりが闇に包まれた午後6時すぎ、大たいまつに火が入った。桂川左岸のスロープのそばで川組にバトンタッチされたお上り神輿は、午後6時半ころ、新しい褌をキリリと締め込んだ輿丁たちに担がれて、入川(いりかわ)した。

満潮に乗たる神輿川渡

The portable shrine
crossing the river
at high tide.

みちしおに のりたるみこし かわわたり

 お下りと比べて入川が1時間ほど遅くなったためか、満ち潮の桂川は、周防灘(すおうなだ)の海水が遡上(そじょう)して水位が上がっており、画像を見て分かるように、かなり濁っていた。
 桂川右岸(東岸)に取り付くと、スロープの下で、川組の裸たちが最後のパフォーマンスを繰り広げあと、全身ズブ濡れになった川組の輿丁たちが白組を先頭に右岸の道路を練り歩いた。
市役所前の中継地点で、お上り神輿に上がった桑原猛・川組会長の三本で最後の〆が行われ、川組のフィナーレを飾った。

秋祭川渡褌茶に染る

Autumn festival,
The river crossed loincloth
stained with brown.

あきまつり かわとふんどし ちゃにそまる

 この後陸組に担がれた神輿は、無事本宮(もとみや)に還御(かんぎょ)し、熱い男の裸祭りが終わった。

「若宮八幡裸祭り」 2006.11.3-5.

川中の三本締め

川中の三本締め

パノラマ写真(1400x376)124KB

撮影:清原浩

くしっ子のママさんに三本締め

くしっ子のママさんに三本締め

拡大写真(1400x1000)244KB

御魂入れの儀

御魂入れの儀

拡大写真(1400x1050)430KB

陸組の三本締め

陸組の三本締め

拡大写真(1400x1050)325KB

火矢を射る弓道連盟の達人たち

火矢を射る弓道連盟の達人たち

拡大写真(1600x1065)223KB

地元・西叡太鼓の迫力の演奏!

地元・西叡太鼓の迫力の演奏!

拡大写真(1400x1160)156KB

撮影:岡部憲明

篝火の道を進む神輿

篝火の道を進む神輿

拡大写真(1800x1300)304KB

観客の前に着いた神輿

観客の前に着いた神輿

拡大写真(2200x1650)439KB

一斉に水を掛ける輿丁たち

一斉に水を掛ける輿丁たち

拡大写真(1600x1040)271KB

対岸に向け出発する神輿

対岸に向け出発する神輿

拡大写真(2200x1480)358KB

御玉橋から見た景観!

御玉橋から見た景観!

パノラマ写真(1800x835)171KB

対岸にたどり着いた神輿

対岸にたどり着いた神輿

拡大写真(1600x1200)215KB

対岸に上陸した濡れ神輿

対岸に上陸した濡れ神輿

拡大写真(1600x1200)350KB

市役所玄関で草鞋切り

市役所玄関で草鞋切り

拡大写真(1400x1220)287KB

川に入った神輿

スロープを下る神輿

拡大写真(800x600)127KB

撮影:清原浩

胸まで浸かる川越え

胸まで浸かる川越え

拡大写真(800x600)161KB

撮影:清原浩

白鉢巻の凛々しい川組会長の三本締め!

白鉢巻の凛々しい川組会長の三本締め!

拡大写真(1050x1400)231KB

撮影:清原浩











 
 
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2006年11月15日(水)

 平成18年(2006)10月7日(土)8日(日)の両日、家内の母の88歳の米寿祝いに戦艦「大和」が建造された広島県呉市に旅した。
 天然の良港である呉港は、古くは村上水軍の一派が根城にしていたが、明治以降、呉鎮守府(くれ・ちんじゅふ)が置かれ、戦後はその跡地に呉地方総監部が設置されて、海上自衛隊の艦艇や潜水艦の基地として知られる。

鎮魂の時鐘の響天高し  

Requiem
of the time-bell sound,
high in the sky.

ちんこんの じしょうのひびき てんたかし

 呉市は第二次世界大戦中は、帝国海軍の重要拠点として40万人を越える人口を擁し、日本十大都市のひとつに数えられる繁栄を誇った。その頃、呉海軍工廠(くれ・かいぐんこうしょう)(海軍直轄の工場)で秘密裏に建造された世界一の大艦巨砲を誇る戦艦が「大和」であった。  
呉市のホームページ
 参考:旧呉海軍工廠
 

行く秋や菊のご紋の艦首かな 

 

Late autumn,
The Imperial crest
of a chrysanthemum
on the bow.

いくあきの きくのごもんの かんしゅかな

 呉市が経営する大和ミュージアムは、正式名を「呉市海事歴史科学館」といい、明治以降軍港として栄えた呉の歴史や基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争の日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦60年目に当たる平成17年(2005)4月23日に開館した。
 大和ミュージアムの最大の目玉は、呉で建造された戦艦「大和」の十分の一模型である。開館から385日目の2006年7月1日に来館200万人目を迎える盛況で、8月30日現在で224万人、平成18年度来館者数もすでに50万人を突破し、63万人となっている。
 大和ミュージアムのホームページ
 入場料500円を払って艦内に入ると、目の前に全長26.3mの戦艦大和の十分の一の精巧な模型が現れる。4段のフロアーがあり、あらゆる角度から大和の外観を鑑賞することができる。
 

回天に涙す世代秋彼岸

 

Autumnal equinoctial week,
The generation shed tears
to see a suicide torpedo.

かいてんに なみだすせだい あきひがん

   「回天」は、人間が魚雷を操縦しながら目標とする艦艇に体当たりする特攻兵器で、「人間魚雷」とも呼ばれる。一型・二型・四型・十型などのタイプがあるが、実践投入されたのは九三型酸素魚雷を用いた一型のみで、約420基が製造された。
 呉港には海上自衛隊呉地方隊が置かれ、呉地方総監部の下に第22護衛隊や阪神基地隊、小松島航空隊、呉教育隊、呉警備隊などが置かれている。Fバースと呼ばれる艦艇基地では、護衛艦や潜水艦などの専用バースがあり、常時多くの艦艇を見ることができ、かつての軍港の面目躍如といったところである。
 

秋の潮潜水艦の巨体かな

 

Autumnal tide,
A huge body
of the submarine.

あきのしお せんすいかんの きょたいかな

 自衛艦桟橋の南側には潜水艦桟橋があり、黒い鯨と呼ばれる巨体を休ませていた。ガイドの説明によると、潜水艦の至近まで接近して見学できるのは呉港だけで、余所の港では近づけないという。そばに近づくと当直士が手を振ってくれた。

菊日和白き端艇銀の波

A fine autumnal day,
The white cutter
makes silver waves.

きくびより しろきたんてい ぎんのなみ

 呉港の北西側に突き出たエリアは、呉海軍工廠の火薬工場があったところで、昭和27年(1952)4月、東京都江東区深川越中島の仮校舎から移転してきた海上保安大学校のキャンパスである。「保安大」「保大」と略称され、海上保安庁の幹部職員を養成している。
 「海上保安大学校」(フリー百科事典)
 保大生は、毎年4月に入学すると、4年間、全寮制のもとで教育訓練を受ける。
 本科卒業時に、学士(海上保安)の学位が授与されるとともに、三等海上保安正(三尉相当)に任命され、晴れて海上保安官となる。その後専攻科(6ヵ月)に進み、実務教育の中で世界を一周する遠洋航海実習が行われる。

洋館の講堂残る島の秋

A Western-style auditorium
still remains
in the island of autumn.

ようかんの こうどうのこる しまのあき

 明治21年(1888)8月に海軍兵学校が東京築地から移転以来、江田島は旧日本海軍の一大海軍士官養成の地となり、戦前・戦中に江田島といえば、海軍兵学校を意味した。現在も海上自衛隊幹部候補生学校(幹候)や第一術科学校などを抱える揺籃の地である。
  江田島市(フリー百科事典)

江田島に木霊す喇叭秋の天

The sounds of a bugle
echoing
high in the autumnal sky
at Etajima island.

えたじまに こだますらっぱ あきのてん

 防衛庁の幹部候補生学校(幹候)は、自衛隊の幹部自衛官を養成する組織であり、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊それぞれに設置されている。海上自衛隊の幹部候補生学校は、江田島にあり、海軍兵学校のエリートたちが起居した煉瓦造りの立派な生徒館を庁舎としている。

靖國のけふ咲く桜散る桜

Today's cherry blossoms
sure to fall
at Yasukuni shrine.

しんめんの しんがんでまう さとかぐら

 靖國神社本殿に祀られている祭神は、日本政府のために命を捧げた戦没者である英霊で、246万6532柱(2004年10月17日現在)が祀られているという。国籍は日本国民と死亡時に日本国民であった人(戦前の台湾・朝鮮半島などの出身者)に限られる。
 戊辰戦争の官軍側戦没者を祀ったことが靖國神社の起源。幕末の吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作なども合祀されている。明治期の軍人、乃木希典や東郷平八郎も戦死ではないため、祀られていない。

「戦艦大和の故郷」 2006.10.7-8.

呉海軍工廠で建造中の戦艦大和

呉海軍工廠で建造中の戦艦大和

拡大写真(800x595)170KB

船首に菊の御紋をつけたスリムな大和

船首に菊の御紋をつけたスリムな大和

拡大写真(1300x1600)233KB

人間魚雷「回天」

人間魚雷「回天」
拡大写真(1600x1100)215KB

巨大な黒い鯨

巨大な黒い鯨

拡大写真(2000x1200)380KB

海保大カッター(端艇)部のクルーたち

海保大カッター(端艇)部のクルーたち

拡大写真(1600x1125)452KB

白亜の大講堂

白亜の大講堂

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信号喇叭

信号喇叭

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大きな菊の御紋のある靖國神社

大きな菊の御紋のある靖國神社
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2006年10月9日(月)

 この三連休を利用して、家内の母の米寿を祝うため、家内の実家のある広島県呉市に旅し、10月7日(土)、子や孫が大崎上島(おおさきかみじま)の木江(きのえ)にあるきのえ温泉「ホテル清風館」に一泊して長寿を祝った。

浦祭母が米壽の祝島  

A fishing village festival,
celebrating mother's eighty-eighth birthday
at Celebration Island.

うらまつり ははがべいじゅの いわいしま

 普段の親不孝の穴埋めに、手作りのパネル写真を母にプレゼントした。ちばあきおさんの坂越の船祭りの写真をお借りし、お祝いの気持ちを詠んだ俳句と共にA4に印刷してパネルに入れたものである。母は大変喜んでくれ、居間のテレビの横に飾ってくれた。

母にプレゼントしたパネル写真

母にプレゼントしたパネル写真

拡大写真(1400x930)397KB

撮影:ちばあきお

 「浦祭」は秋の季語で漁村の祭り。丁度十月のこの日、兵庫県(播州)赤穂市で坂越(さこし)の船祭り(国指定無形民俗文化財)が催されるので、その祭りを撮影した写真を背景に使用した。 赤い衣装がめでたさをあらわしている。江戸時代から続く伝統の祭りで、男性が化粧して女性の姿で漕ぎ手を鼓舞する華やかで楽しい祭りである。





 

 
 
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2006年9月29日(金)

 宮崎県は「神楽(かぐら)なしでは夜の明けぬ国」であり、現在でも県内の200ヵ所以上で様々な形の神楽が行われている。高千穂の夜神楽はその代表格であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

神降りし峰を仰ぎつ神楽歌  

The song of kagura,
looking up the mountain peak
the God descended to.

かみふりし みねをあおぎつ かぐらうた

 高千穂の夜神楽は、毎年晩秋から翌年の早春にかけて開催され、平成17年(2005年)度は、11月19日(土)から翌年2月10日(土)まで、高千穂町内19地区で開催された。
 このうち12月3日(土)に下川登地区で行われた「下川登神楽」に一夜限りの氏子として参加し、夜神楽三十三番の全容を激写した。

★☆★彡

 天岩戸神社西本宮前に天力男命(たぢからおのみこと)の像がある。天岩屋戸(あめのいわやど)の戸を抱え上げ、放り投げようとしている。千穂の夜神楽は、ご当地に相応しい演目である天孫降臨(てんそんこうりん)と天岩屋戸をテーマにしたものである。
 この度訪れた下川登神楽の神楽宿は、下川登公民館である。神庭(こうにわ)は、神楽宿の中央の部屋に設けられる広さ二間四方(13.2u)の神楽を奉納する場所である。四隅には竹と榊を立て、注連縄と彫り物(えりもの)が飾られ、天井の中央には高天原(たかまがはら)を象徴する雲が吊られる。
 

神楽宿神の降り立つみどり糸 

 

A kagura lodge,
Midori strings
the Gods descend to.

かぐらやど かみのおりたつ みどりいと

 神は天に近い外注連(そとしめ)に降臨し、みどりの糸を伝わって神庭に舞降りるという古来の神事形態で神楽が奉納される。
 外注連(そとしめ)と内注連(うちしめ)(神庭)を結ぶ4本の細引き綱を「みどりの糸」といい、「道の注連(しめ)」とも呼ばれる。神の降臨や昇天の際の通路とされ、半開きの日の丸扇や日(赤い円盤)月(緑の円盤)の飾(え)り物が下げられている。
 

夜神楽や年に一度の神懸かり 

 

All-night kagura,
Religious frenzy happens
once a year.

よかぐらや ねんにいちどの かみがかり

   外注連(そとしめ)は、榊(さかき)で囲まれた一間四方のヤマ(杜)であり、祭場の中央地を示す。外注連の西側の柴垣(しばがき)に立てられた注連柱(しめばしら)と呼ばれる三本の青竹が神が降りてくる依代(よりしろ)で、下部に円形の飾り(浮輪)と多数の御幣(ごへい)が飾られている。神庭(こうにわ)(内注連)から4筋の「みどりの糸(道の注連(しめ))」が外注連の正面(東側)に導かれている。
 

女帯襷にかけて里神楽

 

A village kagura,
Kimono sleeves
tied back with lady's obi.

おんなおび たすきにかけて さとかぐら

 六番「地固」は国作りや田作りのために土地を堅固にする舞で、大国主の国造りの舞ともいわれる。相撲するときに四股を踏む作法は、地固めの神事から生まれたものである。
 舞手(まいて)は、舞の途中から太刀を抜くため、女性の帯を襷として用いている。これは、村の女性たちが一夜の祭りに奉納し、神格を得ている奉仕者の襷にかけて舞ってもらい、子宝や安産を願うものであるという。
 女帯を襷掛けにして舞うのは、主に荒舞風の番付けに用いられ、祓(はらい)の性格を帯びる舞が多く、神々に身につけもらうことによって厄が除かれると信じられている。

逆立の曲芸太鼓神遊び

Gods enjoying
an acrobatic handstand
on a bass drum.

さかだちの きょくげいだいこ かみあそび

 九番「八鉢」は、少彦名命(すくなひこなのみこと)が唐国より珍しい宝物や薬草を入手して帰国の途中、嬉しさのあまり船べりを叩いた喜びの舞。曲芸的な舞が随所で見られる。少彦名命は、大国主命の分身でもあり、二神一体となって我が国草創期の国造りをした。
 少彦名命は、紙房が片方にしかついていない片杖を持っている。八鉢では、太鼓の上で逆立ちをするなど曲芸的な舞をする。修験道などの影響が残っているというが、眠気を覚ますには良いタイミングである。

里神楽刀潜の技の冴

A village kagura,
Passing under swords
of mature skill.

さとかぐら かたなもぐりの わざのさえ

 十二番「岩潜(いわくぐり)」は岩間を走る激流の意で、太刀をくぐる舞の手があることからその名が生じたとされる。ここでも赤い鉢巻に白紙の宝冠をさしている。四人各々隣の舞手(まいて)の剣先をにぎり、体をくねらして太刀を潜る。躍動感にあふれた舞であり、相当な体力・技術が要求される熟練者の舞いである。
 4人潜りから始まり3人潜り、2人潜りと舞っていく。迫力ある太刀さばきや身のこなしが素晴らしく、太刀を見事に潜るたびに、観客から大きな拍手があがった。
 最後は1人づつ、太刀を2本持って舞い、回転するなどの荒技を披露する。この岩潜は、夜中の12時を過ぎてから開始されたが、眠気も寒さも一遍に吹き飛ぶほど、見る者を魅了するものであった。

夜神楽や眠気を覚ます男女神

All-night kagura,
Conjugal Gods
put out sleepiness.

よかぐらや ねむけをさます めおとがみ

 十四番「御神体」はイザナギ、イザナミの二神による国産みの舞といわれる。本来は新穀感謝祭(新嘗祭(にいなめさい))を祝うため男女神が新穀で酒を造り、神前に捧げる神楽で、「酒こしの舞」ともいわれる。
 男神(おとこがみ)が浮気心を出し、見物の若い女性のところへ飛び込んでいき、女神(おんながみ)が連れ戻す場面に歓声が沸きあがり、観客も一体となって盛り上がる。二神が酒を作ってお互いに仲良く飲んで抱擁し合う。この神楽は普通観客が眠気を催す頃に舞われ、子作りや豊穣の喜びが表現されている。

神面の心眼で舞ふ里神楽

A village kagura
wearing God mask
with dancer's mind's eye.

しんめんの しんがんでまう さとかぐら

 二十九番「舞開」は天岩戸が開いた喜びの舞。神主は、舞の中頃に、おごそかに天照大神が納められた筥宮(はこみや)の扉を開き、手力男命に御神体の日月の鏡を渡す。
 手力男命は、日月の鏡を持って舞い、奉仕者(ほしゃどん)全員が御幣を手に賀歌(ほぎうた)を歌う。

神楽宿雲を降して大団円

A kagura lodge,
Happy ending
by putting down the clouds.

かぐらやど くもをおろして だいだんえん

 三十三番「雲降」は紙吹雪が撒かれるなか、高天原を象徴する「雲」が静かに降ろされていく。見事な三十三番のフィナーレである。

「千穂の夜神楽」 2005.12.3

撮影・原作:上平明 監修:和田義男

手力男命たぢからおのみこと

手力男命の像

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撮影:上平明

みどりの糸(道の注連)

みどりの糸(道の注連)

拡大写真(1600x1067)297KB

撮影:上平明

舞入問答

舞入問答

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撮影:上平明

六番 地固 /  神楽三十三番

六番 地固 /  神楽三十三番

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撮影:上平明

太鼓の上の逆立ち

太鼓の上の逆立ち

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撮影:上平明

十二番 岩潜 /  神楽三十三番

十二番 岩潜 /

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撮影:上平明

夫婦和合の舞

夫婦和合の舞

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撮影:上平明

二十九番 舞開 /  神楽三十三番

二十九番 舞開 /  神楽三十三番

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撮影:上平明

紙吹雪の中を舞い踊るフィナーレ!

紙吹雪の中を舞い踊るフィナーレ!

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撮影:上平明



 
 
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2006年9月19日(火)

カアコオと烏鳴きたる宮相撲

Sumo matches
of a Shinto ritual,
The cawing of crows
kaa-koo.

かあこおと からすなきたる みやずもう

 2006年9月9日(土)、京都・上賀茂神社の烏相撲(からすずもう)を激写してきた。
 9月9日を重陽(ちょうよう)というのは、九は陽の数で、月と日が重なるためで、午前10時から上賀茂神社本殿で斎王代(さいおうだい)や相撲童子(すもうどうじ)32名ら関係者が出席の上、菊花を献じて無病息災を祈願する重陽神事が斉行された。
 その後、午前11時頃から細殿(ほそどの)南庭で、相撲童子による烏相撲が奉納され、斎王代が上覧した。
 相撲の始まる前に、刀祢(とね)が現れ、烏(からす)のピョンピョン跳ねる動作を真似て、横飛び3回で「弓矢」「太刀」「扇・円座」を3回に分けて立砂(たてずな)に運び、立砂に弓矢と太刀を立てかけ、その前にあぐらをかくと、扇を持って「カア・カア・カア」(西方)、「コウ・コウ・コウ」(東方)と三々九度の烏鳴き(からすなき)をした。

立砂や相撲童子の白褌

A pair of sand cones,
White fundoshi sash
of sumo children wrestling.

たてずなや すもうどうじの しろふどし

 土俵の手入れの後、2年生から6年生まで、低学年から順に16組の取組が行われた。行司は祢宜方(ねぎかた)と祝方(ほうりかた)が交互に勤めた。既に練習をしているので、とまどう子はおらず、画面下中央の神職の司会により、手際よく行われた。
 この日はとても暑い真夏日となり、燦々(さんさん)と輝く太陽の下で、日焼けした子供たちの熱戦が展開され、勝負のつくたびに笑い声や歓声がわきあがり、同伴の父兄や観光客などが熱心にカメラを向けていた。

少年のふぐり見えもす宮相撲

Sumo matches of a Shinto ritual,
A boy's pouch of skin
appears by chance.

しょうねんの ふぐりみえもす みやずもう

 16番取り終わったあとは、勝抜戦が行われた。応援にも熱が入り、大いに座が盛り上がり、数名が勝抜を達成した。

菊酒のかほり仄かに賀茂神社

Kamo shrine,
Faint scent
of chrysanthemum sake
in the air.

きくざけの かおりほのかに かもじんじゃ

 境内では重陽の節句にちなんで、無料の菊酒が振る舞われていた。葵の文様が刻み込まれた酒器には、黄菊(きぎく)が漬け込まれた御神酒(おみき)が入っており、一人づつ両手に持った盃に若くてハンサムな神官が清酒を注いでくれた。口に含むと仄かな菊の香りがあり、秋の気配を感じた。
 

「重陽の烏相撲」 2006.9.9

円座にあぐらをかいた東西の刀祢

円座にあぐらをかいた東西の刀祢

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齋王代の前で烏相撲の開始

齋王代の前で烏相撲の開始

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勝負あった!

勝負あった!

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撮影:K. T.

菊酒の振る舞い

菊酒の振る舞い

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2006年9月12日(火)

夏始白一色の音楽隊  

The beginning of Summer,
Marching band
all in white.

なつはじめ しろいっしょくの おんがくたい

 平成18年(2006)5月27日(土)28日(日)の両日、東京湾羽田沖で巡視船艇71隻、航空機20機のほか、警察、税関、消防、海上自衛隊、米国沿岸警備隊(USCG)の艦船が参加して、海上保安庁恒例の「観閲式及び総合訓練」が実施された。
 伊藤英明・加藤あい主演の海猿(うみざる)効果で、海上保安庁や海上保安官の名が社会の隅々まで知れ渡ったためか、見学希望者が多く、幸運にも観閲船隊4隻の乗船券を手に入れることができた観客は、二日間で八千人(招待六千人・公募二千人)を数えた。
 このたび、天候が回復した日曜日に実施された観閲式を取材した。

夏の海富士山頂によう候 

The sea of Summer,
Steady
for the peak of  Mt. Fuji.

なつのうみ ふじさんちょうに ようそうろう

 出港後、訓練海域に到着するまでの間、招待客に船橋の見学が許されていたので、「やしま」船橋に昇ると、中央で操船する船長と航海長の姿があった。
 午後2時半すぎ、羽田沖で観閲式がはじまり、微速で東航する観閲船隊の右舷200mの至近を指揮船「しきしま」を先頭に受閲船隊が12ノットの速力で西航し、観閲台に立つ松村副大臣と石川長官の二人の観閲官に向かって登舷礼(とうげんれい)が行われた。

五月晴白一色の単縦陣

Fine weather in May,
White boats marching
in file.

さつきばれ しろいっしょくの たんじゅうじん

 「しきしま」は横浜海上保安部に所属するヘリコプター2機搭載型巡視船で総トン数 7,200ton と、「やしま」よりも一回り大きい。イギリス・フランスで再処理されたプルトニウムを日本まで輸送するための護衛船として平成4年(1992)に就役した世界最大級の巡視船である。

夏の海白き船体銀の波

The sea of Summer,
White boats
making
silver waves.

なつのうみ しろきせんたい ぎんのなみ

 「でわ」は、秋田海上保安部に所属する「あそ型巡視船」である。このシリーズは、海上保安庁の高速高機能大型巡視船の一種で、船形は1,000トン型。全長77m、総トン数770ton。

夏衣デッキに並ぶ挙手の礼

Summer uniforms,
Salute on the deck.

なつごろも でっきにならぶ きょしゅのれい

 海上自衛隊護衛艦「さわゆき」が現れた。横須賀地方隊に所属する「さわゆき」は、「はつゆき型護衛艦」11隻の4番船。全長130m、基準排水量2,950ton。ガスタービン4基2軸、45,000PS、速 力30k't以上。

夏の海警告弾の炸裂す

Summer sea,
The warning ball
exploded.

なつのうみ けいこくだんの さくれつす

 ドクロマークを付けた巡視艇を密輸容疑船に見立てた捕捉訓練が始まった。
 追跡する巡視船艇には鉄兜(てつかぶと)姿の武装保安官の姿が見える。黄色と黒のチェック模様の旗が停戦命令のL旗。そのそばのUY旗は訓練中であることをあらわし、これらは全て国際信号である。

夏の風異国の海守帽振れり

A Summer breeze,
Foreign coast guardians
waving their caps.

なつのかぜ いこくのうみもり ぼうふれり

 訓練終了後、恒例のフェアウェル・セレモニー(見送り)に入り、参加全船艇・航空機が次々に趣向を凝らした装いで現れ、4隻の観閲船に分乗した4,200名の観客にお別れの挨拶をした。
 はるばるハワイから参加した「ラッシュ」は、船首に特大のレイをつけて現れ、大勢のコーストガーディアンたちがデッキに立ち、帽子を振って別れの挨拶をした。観客たちも帽子や手を振り、大きな拍手喝采でこれに応えた。

「海上保安庁観閲式」 2006.5.28

松村副大臣を演奏で迎えた海上保安庁音楽隊

松村副大臣を演奏で迎えた海上保安庁音楽隊

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船橋で操船する「やしま」船長(左)と航海長(右)

船橋で操船する「やしま」船長(左)と航海長(右)

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受閲船隊を見守る鈴なりの観客

受閲船隊を見守る鈴なりの観客

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工作船に対応した高速巡視船「でわ」(秋田)

工作船に対応した高速巡視船「でわ」(秋田)

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スマートな護衛艦「さわゆき」の登舷礼(海上自衛隊)

スマートな護衛艦「さわゆき」の登舷礼(海上自衛隊・横須賀地方隊)

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炸裂する警告投てき弾

炸裂する警告投てき弾

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帽子を振るコーストガーディアンたち

帽子を振るコーストガーディアンたち

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2005年8月15日  二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。

東京 2003年8月16日
 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

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