ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール

★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  
2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

「ペレアスとメリザンド」より「シチリアーノ」:フォーレ Sicilienne

2001年7月16日制作

神戸港・メリケンパークの夜景

100

2002年5月19日(日)

見渡せば桜に埋る蔵王堂

Looking around from the observatory,
main hall Zao-do entirely surrounded
by the cherry blossoms.

 金峰山寺(きんぷせんじ)本堂の国宝・蔵王堂(ざおうどう)は、桜とともに吉野山のシンボルとして、堂々たる容姿を誇っている。

 南面重層入母屋造り桧皮葺き(ひわだぶき)の豪壮な建物は、正面5間、側面6間、高さ約34mあり、我が国木造建築史上、東大寺大仏殿に次ぐ大規模な建造物である。

 天正の大伽藍と呼ばれる現在の蔵王堂は1591年(天正19年)に再建されたもので、室町末期の様式を伝える。内部は内陣と礼堂からなり、松や杉などの自然木のままの柱68本が林立するさまは豪壮である。

 吉野山の展望台から見た蔵王堂は、文字通り桜に埋もれていた。吉野山は、日本一の桜の名所であった。

099

2002年5月8日(水)

吉野山峰に連なる桜かな

Cherry blossoms
ranging the ridge
of Mount Yoshino.

雲越えて花咲きのぼる吉野山

 

Yoshino mountain, Cherry blossoms
blooming up to the top beyond the clouds.
 吉野山の桜は、今からおよそ1300年前、修験者的な呪術者として知られる役小角(えんのおづぬ)が桜の木に蔵王権現の像を刻んだことから御神木として参詣の人々により献木が行なわれ、日本一の桜の名所となったという。

 現在吉野山には3万本の白山桜(しろやまざくら)が植えられている。この品種は、花と葉の赤芽が同時に出てくるのが特徴で、そのことを知らないと、満開でも散ってしまったと錯覚してしまうことになる。

 吉野山の桜は、山の下から上に向かって、ケーブル付近の下千本(しもせんぼん)、如意輪寺(にょいりんじ)付近の中千本(なかせんぼん)、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)付近の上千本(かみせんぼん)、西行庵(さいぎょうあん)付近の奥千本(おくせんぼん)と順に開花していくので、見頃が長い。

098

2002年5月5日(日)

鶯や時を忘れし苔清水

A bush warbler,
springwater Koke-shimizu
forgotten all about the time.

 吉野山の奥千本(おくせんぼん)と呼ばれる山奥に、粗末な方丈の西行庵がひっそりと建っている。ほとんどの桜がまだ一分咲き程度だった。

 

 西行が詠った苔清水(こけしみず)は、今でも西行庵から100mほど離れた山あいにある。鶯の鳴き声が聞こえるなか、西行が見た光景と変わることなく、綺麗な清水が流れている。

097

2002年4月28日(日)

桜咲く西行庵の山険し

Cherry blossoms
on the steep mountain
of Saigyo hermitage.

 2002年(平成14年)4月6日(土)、素晴らしい晴天に恵まれたので、奈良県吉野町の修験道(しゅげんどう)の地・吉野山(よしのやま)の桜を撮影してきた。
 吉野山の奥千本と呼ばれる山奥に、粗末な方丈の西行庵がひっそりと建っていた。庵の中には、西行の木像が置かれている。名のあるようなものではなく、誰かが奉納したものだろう。
 西行は、佐藤憲清(のりきよ)という北面の武士(皇居を守る武士)だったが、23歳の若さで出家し、月と花とをこよなく愛する放浪の歌人となった。吉野山でも多くの歌を詠んでおり、73歳で生涯を閉じるまで、2,000首を越える歌を残した。
願はくば花のもとにて春死なんその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ

吉野山梢(こずゑ)の花を見し日より心は身にもそはずなりにき

096

2002年4月21日(日)

灯台を見上げる小道空の花

Cherry blossoms under the sky
covers a paths,
A lighthouse stands
over the blossoms.

 岬の灯台へは曲がりくねった小道を歩いて行かなければならない。
 春になると、桜がこの道を多い、灯台が見え隠れする。いつも開花が遅い桜だが、今年ははやかった。

095

2002年4月14日(日)

ただ一つ聳ゆる天守花盛

Only a castle tower
rises high
over the cherry blossoms
in full broom.

 桜咲く大阪城と姫路城に足を運んだ。城と桜は、見慣れた風景だが、日本人の心情に見合っており、私の好きな風景のひとつだ。
 この光景ほど、日本を感じさせ、日本人を自覚させるものはないように思う。
 大阪城の桜は、姫路城ほど賑やかではない。天守閣がだたひとつ聳える下にわずかに桜が咲いている。むしろ、空堀や内堀、外堀の桜が咲き乱れていて、遠くから天守閣を守っているようだ。

094

2002年4月7日(日)

宴会のグラスで受ける花吹雪

Each of them
catches a shower of petals
with a glass
under cherry blossoms.

 桜の季節、例年になく桜前線の北上が速かった。大阪・毛馬桜ノ宮(けまさくらのみや)公園でも、川沿いの染井吉野の下で、会社のグループが昼間から大いに盛り上がっていた。
 折からの風で、満開の桜の木から桜吹雪が舞い散り、酔客はビールや酒のグラスに飛び込んでくる花びらに満足そうだった。

093

2002年3月31日(日)

山の端の白灯台や春の雲 

Spring clouds,
A white lighthouse
on the edge of mountain.

 うすく空一面に広がった春の雲、白くぽっかりと浮かぶ春の雲。穏やかで柔らかな雲である。
 山の端にぽつんと佇む白い灯台。冬の厳しい風雪に耐えて、今、ホッとしているかのようだ。

092

2002年3月28日(木)

春風や光りの躍る波頭 

Spring breeze,
Dancing sunlight
on the wave crests

 厳しい冬の北西風が嘘のように、春の海は穏やかだ。浜辺に佇み、寄せては返す波を眺めていると、春風に光が躍っているように見える。
 見ているだけで心が弾んできて、いきとしいけるものが一斉に躍動をはじめる素晴らしい季節が巡ってきたことを実感する。

091

2002年3月23日(土)

春寒し崩れてこぬか磨崖仏 

Cold spring,
The Buddha
carved on a cliff
likely tumble down. 

 一進一退を繰り返しながらも春は確実に近づいている。
 この日は早春の寒さがぶり返してしまった。
 長年の風雪に晒された磨崖仏(まがいぶつ)が今にも崩れてきそうな寒さだった。

090

2002年3月17日(日)

いかなごの網曳く船の多きかな 

Too many boats,
Two of each
towing a seine
for young sand lances.

 いかなごは、春先に、卵からふ化した稚魚が回遊しはじめる。神戸では、明石海峡を中心に、2月の下旬から本格的ないかなごの二艘曳きが始まった。連日、いかなごの稚魚を求めて沢山の漁船が播磨灘〜明石海峡〜大阪湾を曳網し、そのそばを商船が通過してゆく。
 海上は、船舶通行と漁業活動とは両立するというコンセプトで成り立っている。お互いに譲り合いながら、安全操業を続けてほしい。
 神戸ではお袋の味・くぎ煮(いかなごの佃煮)が食卓を飾るようになると、春が訪れたことを実感する。いかなごの操業は、5月頃まで続く。

089

2002年3月10日(日)

風の音の岬灯台春迎ふ

Loud sounds of wind,
A lighthouse on a cape
welcomes spring.

 北西の季節風が吹き抜ける岬の灯台。岬の先端は特に風が強く、風の音が凄い。特に、海峡に望む岬の灯台は、海上よりも激しい風にさらされる。上空の風は地表よりも速い。海上の風も駆け上がっていく。
 待ちに待った春がそこまでやってきて、風の音も弱まってきたように思えるのは、気のせいではなさそうだ。

088

2002年3月5日(火)

舷灯のひとつふたつや冬茜

Dark red sky of winter,
Sidelight of a ship
appears one by one.

 大阪湾や瀬戸内海では冬でも夕焼けがある。
 穏やかな冬晴れの後、あかね色に染まりはじめた海を眺めていると、やがてひとつふたつと舷灯がともり始め、幻想的な世界があらわれる。
 海がかくも変幻自在に姿を変えていくことに驚かされる。

087

2002年3月2日(土)

  自転車をこげば寒風なんのその

Pedaling a bicycle,
I don't care
about a cold wind.

 春がそこまでやってきている。奈良シリーズ第二弾「奈良西ノ京」が完成した。昨年12月1日に訪問したにもかかわらず、境内の紅葉が見事だった。真冬の紅葉という意外な景色にビックリ。それほど西ノ京の冬は暖かいのだろうか。
 寒い冬でも自転車をこげば、身体が暖かくなる。坂の多い神戸では汗ばむほどで、寒風が肌に心地よい。

086

2002年2月28日(木)

冬晴れや大仏殿の鴟尾光る

Winter sunshine,
the roof ends glistening
on the Hall of Great Buddha.

 東大寺の金堂である大仏殿は、奈良時代に創建されてから治承と永禄の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に公慶上人によって再建された。 
 天平と鎌倉の大仏殿は桁行十一間であったが、財政困難の理由で七間に規模が縮小された。それでも高さや奥行きは創建時のままで、世界最大の木造建造物である。
 冬晴れの一日、巨大な屋根の両端に飾られた黄金の鴟尾(しび)が輝き、金堂の偉容を誇っている。

085

2002年2月24日(日)

寒日和手にあたたかきエンタシス 

A column of entasis
a little warm to my hands
in sunny winter.

 ここ一週間、寒さが続いていたが、週末はゆるんできた。神戸だけでなく、東京も暖かいという。もう春はすぐそこまで来ている。三寒四温、暖かくなったり寒くなったりしながら、春が訪れる。
 今、奈良シリーズを手がけている。天平時代のふっくらとしたふくらみを持つ不思議なエンタシスの柱。寒くなっても太陽熱をを吸収していつまでの暖かい。その手のぬくもりを思い出す。「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うが如く今盛りなり」と詠われた時代に思いを馳せることになる。

084

2002年2月16日(土)

冬の霧橋下の汽笛過ぎ去りぬ 
冬の霧汽笛過ぎ去る橋の下 

Whistles passed away
under the bridge
enveloped in a winter fog.

 明石海峡も冬場に霧がかかることがある。海峡を航行する船舶は、速力を落とし、霧中信号を鳴らしながら、慎重に通過していく。
 明石海峡大橋の下から聞こえる汽笛が橋の下を通過し、西から東へと去っていった。これから大阪湾を通過し、紀伊水道から太平洋に出る船なのだろうか。長い船旅のご安航を祈りたい!

083

2002年2月9日(土)

 灯台の凛と立ちたる冬岬

A gallant lighthouse
standing
on a promontory
of winter.

 相変わらず寒い冬が続いている。今週は寒波がゆるんでいたが、週末は寒さがぶり返すという予報だ。
 海原も寒々とした冬景色が続いている。冬の岬は、枯岬(かれみさき)ともいい、生物は春の訪れを待ちながら、なりをひそめている。
 その中で岬の先端に立つ白い灯台は、凛々しく、日夜海の道標(みちしるべ)として休むことがない。夜は力強い光芒が闇の中をひたすら走り続ける。

082

2002年1月30日(水)

海原の無事を願ひて初暦

Set a New Year's calendar,
praying  the safety
of seaway.

 神戸で迎えた今年の元旦。生田神社にお詣りした。神戸では一番多くの初詣客で賑わっていた。
 海を生業(なりわい)としている私としては、第一の願いが海上の安全である。今年の平穏無事を心からお願いした。また、先日は東京から来てくれた家内と共に大阪の住吉大社にもお詣りし、神仏のご加護を願った。

081

2002年1月19日(土)

どやどやの護符奪ひ合う褌衆

Doyadoya Ritual,
Guys of fundoshi loincloth
competing for charms.

どやどやの ごふうばいあう ふどししゅう

大阪・四天王寺どやどや

どやどやの掛け声走る褌衆

Men wearing a loincloth each, 
noisily run about
early in the New Year.

どやどやの かけごえはしる ふどししゅう

 2002年1月14日(月)、大阪市天王寺区にある四天王寺(してんのうじ)で恒例の「どやどや」が行われた。「どやどや」は、岡山県・西大寺会陽(さいだいじえよう)と岩手県・黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)とともに日本三大奇祭に数えられているという。今年は成人の日に重なり、日中に行われるというので見学に出かけた。
 修正会(しゅしょうえ)は、毎年正月、天下泰平・五穀豊穣を祈願する行事で、正月に修せられることから修正会と呼ばれる。827年(天長4年)正月に京都のお寺で始まり、以後諸大寺に広まっていったという。 四天王寺では、元旦から14日間、六時堂で修正会が修せられ、14日の結願(けちがん)の日に「どやどや」が行われる。
 大阪といえども寒い真冬にふんどし一丁で御札を奪い合う裸祭り・・・どやどや。 古来から脈々と受け継がれてきた日本独自の習俗であり、世界に例を見ない。大都会の難波(なにわ)の地に、昔の人々と全く同じ衣装で伝統文化を受け継ぐ現代人がいた。これからもこの伝統のスタイルを崩すことなく、子々孫々に受け継いでいってもらいたい。日本の裸文化を頑なに守っている四天王寺の取り組みに、心から声援を送りたい。
 裸の若者が発散するエネルギーに刺激され、どやどやを鮮明な映像に残したい衝動に駆られ、途中から撮影に集中。その結果、後半の部で、六時堂での御札争奪戦をズームでとらえることに成功した。(写真左)
 撮影を終えた今、私にはどやどやが日本三大奇祭の一つだとは思われなかった。ふんどし一丁で禊ぎをしたり神輿などを担いで練り歩く祭礼は全国に多くの例があり、どやどやもそのジャンルに入る裸祭りだと思う。参加者も我々と変わらないごく普通の市民だった。その中で高校三年生は、センター試験を目前に控えた参加であり、その労を多としたい。

080

079

2002年1月13日(日)

白銀の日輪見えし年の朝

The silver sun appears
in the morning
of the New Year's Day.

 神戸で迎えた今年の元旦は、曇りがちで、午後から雨が降った。
 寒い中、今年初のご来光をいち早く見ようと山頂に登る人もいるが、なかなかそこまでできない。朝寝坊して、いつも町中から朝日を望むことになるが、今年は雲に覆われた白銀(しろがね)のご来光だった。
 万物の生命を育む太陽。何時どのような景色であれ、その神秘な輝きにいつも神々しさを感じる。

078

2002年1月3日(木)

新年の汽笛一斉扇港に

Whistles are blowing at once
in Kobe Port
at the beginning of  New Year.

 新年が明けると、神戸港では一斉に汽笛が鳴り響く。恒例の行事だ。
 2002年を告げる汽笛は、今年も高らかに轟いた。21世紀の最初の年が暗い年であっただけに、どうか今年は明るく平和な年であって欲しい。
 神戸港は、7年前の大震災以降、港の賑わいは以前の8割ほどに落ち込んでいる。私には、この汽笛が、今年こそ神戸港に以前のような繁栄をもたらして欲しいというという悲愴な祈りに聞こえた。
 扇港(せんこう)は、神戸港の愛称で、かって神戸の港は、扇のような形であったところから、そのように呼ばれるようになったという。

077

2001年12月31日(月)

  流れゆく渦の如くに年越ゆる

Seeing the old year out
as if whirlpools froating
down the straits.

 今日は大晦日。NHKの紅白を見ながらパソコンに向かっている。今年は21世紀最初の年だったが、不況やテロなど暗いニュースが多く、希望の年にしては今いちだった。あと1時間足らずで来年に入る。2002年こそいい年であって欲しい。
 流れゆく鳴門の渦のように、早く、めまぐるしく、年は過ぎ去ってゆく。来年はどんな年になるのだろうか。希望を持ちながら人は旧年を見送り、新しい年を迎える。

076

2001年12月28日(金)

 心まで暖められし柚湯かな

A hot bath
scented with yuzu
warms up even our hearts.

 12月12日から始まった神戸の冬の風物詩・ルミナリエが25日で終了した。期間中過去最高の519万人が見学に訪れた。
 冬は温泉が一番。柚湯は身体の芯から温めてくれる。不景気で沈滞気味の気分を癒してくれる嬉しいプレゼントだ。

075

2001年12月15日(土)

鐘楼に溜りし枯葉風に舞ふ

Withered leaves
dancing about in the wind
collected in a belfry.

 神戸も師走半ばになり、めっきりと寒くなってきた。最高気温も一桁という日が多い。
 12月12日から冬の風物詩・ルミナリエが始まった。素晴らしい光の芸術は、多くの見物客を魅了して止まない。
 神戸は舶来品が多いが、鐘楼の枯葉も日本人の琴線を刺激する冬の風物詩だ。

074

2001年12月2日(日)

瀬戸内の穏やかに晴る十二月

December
of calm and sunny
at Seto Inland Sea.

 はやいもので、21世紀最初の年もはや師走に入った。光陰矢の如し。50歳台に入ってからは、時の流れがこんなにも速いものかと感じる。
 海を見ると心が和む。冬の季節だが、瀬戸内海は穏やかだ。これからも平穏無事であることを祈りたい。

073

2001年11月25日(日)

 古寺の枯山水や秋気満つ

Fresh autumn breeze 
over the rock garden
of the old temple.

 大雲山龍安寺(りょうあんじ)は、臨済宗妙心寺派に属する禅苑の名刹である。1450年(宝徳2年)、もともと貴族の徳大寺家の別荘を管領(かんれい)細川勝元が譲り受け、寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建した。
 応仁の乱で焼失したため、1488年(長享2年)勝元の子・政元によって再興されて諸堂が整備された。その後、1797年(寛政9年)に焼失したため、1606年(慶長11年)に造営された西源院(せいげんいん)方丈を移築したのが現在の方丈(庫裡(くり)<住職や家族の居間>)である。
 方丈の南側に広がる方丈庭園は、15世紀中期には造られていたものと考えられている。自然を狭い空間に圧縮し、抽象化して表現する枯山水庭園・石庭の極限的な姿は、世界的に名高い。
 石庭は、東・南・西面を築地塀(油土塀)で囲まれた東西30m、南北10m余の矩形の庭で、白砂敷の中に5・2・3・2・3の5群15個の石組が配されており、虎の子渡しの名がある。
 石庭は、見る角度で様々に美意識が変わり、 参拝者に驚きと感動を与えてくれる。この庭が世界に紹介されて以来、日本はもとより、世界各国の著名な建築家が訪れ、龍安寺石庭の簡素な構成美を現代の建築物に取り入れる試みがなされているという。

072

2001年11月18日(日)

東山巡りて惜しむ古都の秋

Enjoy autumn
of the ancient capital,
wandering Higashiyama.

 今年の秋は、急激に深まり、駆け足で走り去ろうとしている。毎週、週末はデジカメを携え、撮影旅行に忙しい。

 今、京都の紅葉が素晴らしい。清水寺や銀閣寺など、東山界隈は、写真の宝庫だ。今週は大原に出かけた。寂光院や三千院など、山奥の紅葉は今が盛りだ。

071

2001年11月13日(火)

楠公を祀る社の菊白し

All of chrysanthemums
blooming white
at the shrine
dedicating to Load Nanko.
 

 秋の神社は、七五三など、お宮参りの家族連れで賑わう。楠公(なんこう)さんの愛称で神戸市民から慕われている楠木正成を祀る湊川神社も例外ではない。

 楠公は、後醍醐天皇に忠誠を尽くし、湊川の戦いで足利尊氏軍と戦い、壮絶な戦死を遂げる。以後、尊氏は京に入り、室町幕府を樹立する。

 
境内には楠公の墓があり、白菊が供えられていた。澄み渡る青空の下、菊の白さが心清らかな楠公の魂を映しているように思えた。

070

2001年11月7日(水)

銀閣寺苔むす庭の秋日影

A moss-covered garden
of Ginkaku temple
lies in the autumn shade.

 まだ紅葉には早い10月の京都。神戸のJR三宮駅から新快速で50分で京都駅に着く。片道1,050円。日帰りで十分に往復できるのが有り難い。

 東山の山裾にひっそりと立つ銀閣寺。見学者が耐えないが、池を中心とした庭園を一回りするには、山を登って行かねばならず、予想外に歩き回る。苔寺に行かなくても、銀閣寺の庭園は、至る所苔で覆われている。緑の絨毯のようだ。日も傾き、木々の間から柔らかい秋の光が優しく青苔を照らしていた。

069

2001年11月3日(土)

腕守り腰に自慢の秋祭

A man proudly wearing
an arm charm
on his waist
for the autumn festival.

 「男たちの写真展」が完成し、播州秋祭シリーズ三部作が完結した。これで一区切りだ。次は淡路島紀行や京都探訪など、撮り溜めた沢山の写真が出番を待っている。今日はテニスで汗を流す予定だったが、雨のため中止になってしまった。雨が降るとパソコンの作業が捗るのだが、毎日夜遅くまで秋祭りの編集を続けてきたので、少々疲れ気味だ。「作品を仕上げたときの作家の気分」といえば大げさだが、今、播州秋祭という作品を世に送り出した満足感と虚脱感を味わっている。今日は一日ノンビリと過ごしたい。

068

2001年10月30日(火)

秋日照る喧嘩祭に燃え尽きぬ

Autumn sun shining
on the Kenka festival,
A man has breathed
his last.

 10月15日、雲ひとつない秋晴れに恵まれ、姫路市・松原八幡神社で行われた灘のけんか祭りの本宮に出かけた。3台の神輿がぶつかり合い、壊し合う。灘祭りは、播州の秋祭りの頂点に位置する祭りといっても良い。

 残念ながら、男性一人が、重さ約350キロある神輿の下敷きになり、死亡するという痛ましい事故が発生した。死亡事故は10年ぶりだという。前日の宵宮とあわせて22人のけが人が出ている。大いに盛り上がるのは良いが、事故だけは避けたいものだ。

 神輿合わせのあと、
旧灘七村から6台大屋台が入場し、つぎつぎに屋台練りを披露。上気した赤い肌に祭りまわしをキリリと締め込んだ練り子たちは、屋台を高々と秋空高く差しあげ、力強さを競った。

 「死ぬまでに一度は見て欲しい。」と地元の人は言う。イタリア旅行で知った「ナポリを見て死ね」という諺が脳裏を横切る。地元民の灘のけんか祭りへの思いはそれほどまでに強く、そしてそれほどに素晴らしい。

 灘のけんか祭りを頂点とした播州の秋祭りは、昔からの伝統をかたくなに守り、世紀を超えても変わらない。地域の和。支える人々の心意気。ふる里への強い思い入れ...。播州から発せられるこの祭りの強烈なメッセージは、これからも人々の熱い思いを蘇らせてくれることだろう。

067

2001年10月20日(土)

秋高く翳す屋台や灘祭

Nada festival,
people holding a wagon
to the high sky of autumn.

066

2001年10月14日(日)

布引の滝の音高し薄紅葉

Light colored leaves,
Loud sounds
of Nunobiki falls.

藤原有家朝臣

滝を大空にさらす白布、即ち天女の夏衣と見立てた趣向のおもしろさがある。
 布引の滝(ぬのびきのたき)は、紀州・那智の滝と日光・華厳の滝と並び、三大神滝と呼ばれている。上流から雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓滝(つづみだき)、雌滝(めんたき)の四つの滝をあわせて布引の滝と呼ぶ。10月上旬に訪れたときには、水量の関係か、雄滝と雌滝しか確認できなかった。

 滝の落ちる姿が白い布のように長く引いて流れるところから名づけられた布引の滝は、新神戸駅の裏山を10分ほど登れば最下流の雌滝に到着する。古くから神秘的な伝説があり、物語や詩歌に多く引用され、名瀑として知られている。大都市の中でこれほど美しい深山幽谷の景色を楽しむことができるところは他にはない。

 布引の滝は、平安の昔から景勝の地として知られ、多くの人が訪れた。京都に住む貴族も旧山陽道を通って滝見物に来ていたようで、伊勢物語にもその様子が描かれている。

 明治の初めになって、花園社という市民団体が布引の滝を詠んだ多くの和歌の中から36首を選び歌碑を建てた。その後散逸してしまったものが多いが、後にいくつかが復元され、現在も布引渓流に沿って点在しており、私も10点ほど確認した。
065

2001年10月8日(月)

播州の男はふどし秋祭

Men of Bansyu
each wearing
a loincloth
 for autumn festivals.  

秋祭揺らぐ屋台に稚児二人

Two children on a wagon swaying
up and down in an autumn festival.

男らの褌姿里祭

Fundoshi the loincloth of men
 at village festivals.  

 今、秋祭り本番だ。兵庫県西部のいわゆる播州・播磨と呼ばれる地域では、1年をこの日のために暮らしていると思われるほど、人々は秋祭りに熱中する。「祭一色播州の秋」というポスターが阪神の駅に貼ってある。姫路市内だけでも約30の神社で秋祭りが執り行われ、10月は祭りで明け暮れる。

 播州の秋祭りでは、男性はふんどしをキリリと締め込み、地下足袋を履き、練子として祭りに臨む。地元の女性は、そうした男性の姿がたまらなく魅力的なのだそうだ。肩車した親子のふんどし姿は実に微笑ましい。

ふんどしを締めて燃え立つ秋祭

A loincloth brings you energy for the autumn festival.

 播州では、未だに日本古来の裸の文化が息づいていている。若者は、盆暮れは帰ってこなくても、秋祭りには必ず帰ってくる。祭が平日にかかると、地元の市役所は閑散となる。職員が休みを取り、祭りに参加するからだ。

 
9月8日(月)の休日に姫路市にある浜の宮天満宮の宵宮があったので、撮影に出かけた。阪神三宮駅から姫路行き特急に乗車し、50分ほどで山陽電鉄の飾磨駅に到着。徒歩20分ほどで浜の宮天満宮へ。須加、宮、天神、西細江の各屋台は1100頃宮入をし、2時間ほど境内で屋台練りを披露し、拝殿前で屋台を高々と空にかかげた。

褌をしめて始まるまつりかな 句集/山の村(吉田栄)

褌も秋の扇も白かりき 夏井いつき

褌に団(うちは)さしたる亭主かな 落日菴句集/蕪村

064

2001年10月8日(月)

秋祭揺らぐ屋台に稚児二人

Two children
on a wagon
swaying up and down
in an autumn festival.

 播州の秋祭りは、乗り子2人又は4人を乗せた屋台を練り子が担ぐ。若者が発散する圧倒されそうな熱気に、夢中でシャッターを切った。愛機オリンパスCAMEDIA C-3040ZOOM の連写機能を使えば、一度に5枚の連写が可能だ。気がつけば300万画素で400枚撮っていた。128MBのスマートメディアを3枚使った。

 沢山撮ればそのうち何枚かは良いのがある。「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」という諺は、デジカメにこそふさわしい。会心作を集め、準備でき次第、「旅紀行ジャパン」にアップロードしたい。
063

2001年9月30日(日)

夕暮れの磯に砕けし秋の波
 
Autumn waves
breaking
on the beach
at dusk.

 今日で9月も終わる。先週のはじめ、夏布団とタオルケットで寝ていたら、夜中に寒さで目覚め、押入から冬布団を引っ張り出した。今年の神戸は例年になく暑かったが、急速に秋めいてきた。
062

2001年9月24日(月)
  
秋の風受けて舫ひし船揺るる
  
A moored boat
rolling
by the autumn wind.

 今日は秋分の日の振替休日だ。先週末、冷たい高気圧が北から張り出してきて秋風が吹き、すっかり涼しくなって、宿舎のエアコンもお役御免となった。
061

2001年9月16日(日)

独り身の夕餉を飾る秋刀魚かな
  
A grilled saury
consoles
lonely supper.

 台風15号は、大阪湾を直撃するかと思われたが、途中で北上し、東海・関東地方に向かったので、神戸港も一部にフェリーの運休があったが、11号の時のように全船避難するということもなく、事なきを得た。以来、ぐんと秋めいてきた今日この頃である。

 秋の味覚といえば、秋刀魚(さんま)。今が旬だ。三宮のダイエー地下二階の食料品売場では、ときどきセールで一匹100円の秋刀魚が置いてある。非常に鮮度が良い。そのそばにハーフカットの大根が置いてあり、独身には重宝する。細長い魚体を半分にカットし、ガスレンジで焼く。脂がのっていて本当に美味い。単身赴任の身としては手軽に秋の味覚が味わえるので有り難い。 
060

2001年9月1日(土)

潮の香をほのかに孕む秋日傘
  
Autumn parasol
slightly filling
with a scent
of sea breeze.

 猛暑の洗礼を受けた神戸だが、9月に入り、今日は防災の日。3日前からクーラーなしで寝ることができるようになり、かすかな秋の気配を感じるようになった。

 しかし、日中は相変わらず日差しが強く、メリケンパークなどのウォーターフロントを訪れる人々は、まだまだ夏服で、日傘をかざす女性が散見される。ときおり心地よい風が頬をかすめる。ほのかな潮の香りをのせた秋風を孕む日傘が心に残った。 
059

2001年8月25日(土)

湯上がりのタオルのままの冷奴
  
Chilled tofu
after my bath
wearing a loincloth
with a towel.

 のろのろ台風11号が去った後、少し凌ぎやすくなったような気がするが、まだまだ暑い。風呂に入った後、バスタオル一枚の格好で冷奴をつつきながら飲むビールは、暑い夏ならではの醍醐味だ。昔はふんどし一丁だったのだろう。宿舎でもまだエアコンを入れずに頑張っている。

 
昨日の夜遅く帰宅すると、1階の宿舎のベランダの前からコオロギの鳴き声が聞こえてきた。季節は着実に秋に向かっていることに気がつく。暑い日々ももう少しで終わる。今日は午後から3時間ほどテニスで汗を流す予定で、夜のビールが楽しみだ。
058

2001年8月18日(土)

風見鶏見上げる人の夏夕べ
  
People looking up
a weathercock
in the summer evening.

夜の風見鶏の館 Weathercock House at night

 連日猛暑が続く神戸だが、先日の夜、家内と二人で異人館の夜景を見に行った。宿舎からぶらぶら歩いて15分ほどで風見鶏の館 Weather Cock House に着く。夏休み期間中なので若いカップルの姿が多い。旅行客も目につく。

 日中の熱気が和らぎ、風見鶏の館は、デートと夕涼みのスポットとして人気が高い。夏場だけライトアップされていて、とんがり帽子の屋根の上の風見鶏が、黒い空をバックにクッキリと浮かび上がっている光景がみものだ。館の前はちょっとした広場になっていて、屋外コンサートができるようになっている。ベンチに寄り添う人の姿が微笑ましい。館の中には入れなかったが、異国情緒たっぷりで、夏の一時を過ごすには最適の場所だ。

 私と同じように、カメラを三脚に据え付けてファインダーを覗くアマチュア・カメラマンの姿も多い。みんなが三脚をたてている場所に行けば、そこが最高のアングルだということが直ぐに分かる。(写真)

 デジカメは、その場で出来映えを確かめられるので、最適の露出に設定でき、リモコンでシャッターを切れば、ブレのないシャープな写真が撮れる。通行人や館の前で佇む人が多いので、一瞬のシャッターチャンスが勝負だ。今回は満足できる写真が撮れた。

057

2001年8月11日(土)

  夕立のあと輝ける夜景かな
  
The night view
adding its brightness
after shower.


六甲山の1,000万ドルの夜景

 昨夜、神戸市内定期観光バスに乗って、夏季限定の六甲山納涼コースに参加。931mの六甲山山頂にある六甲山ホテルでジンギスカン・バーベキューを食べながら夜景を鑑賞。六甲山頂は、夕立のあとで、気温が地上より4〜5度低い感じで、真夏の夜のバーベキューも全く汗が出ず、快適だった。

 前日は霧がかかっていて何も見えなかったそうで、夕立が降ったあとの夜景は、宝石のように輝き、大阪湾全体が見渡せた。ホテルの人に非常にラッキーだといわれた。写真の左奥が大阪になる。対岸は岸和田で、右奥は関西国際空港に至る。100万ドルの夜景と呼ばれていた六甲から見た神戸の夜景も、今は物価が上昇したせいなのか、1,000万ドルの夜景と呼ばれるようになった。世界三大夜景のひとつとされる函館山の夜景も素晴らしかったが、六甲の夜景も大阪湾の輪郭が望める雄大なもので、ポートアイランドや六甲アイランドといった人工島が海に突き出ていて夜景の幅が広がっており、もっと宣伝すれば良いのにと思った。

 食事のあと、持参したデジカメを三脚に据え付け、夜景を撮影。結果を直ぐに確認できるので、何度も露出を調整しながら最適の露光で撮影できた。ただ、三脚がどっしりした業務用のものではなく、持ち運びに便利な軽いものだったので、結果的には少しぶれていることがパソコンに画像を取り込んでから判明。シャッターを手で切っていたので、僅かな揺れが生じたものと思われる。次回からは、リモコンでシャッターを切ることにする。

056

2001年8月4日(土)

浦風に魚の跳ねて夏暮るる
  
Sea breeze
jumping fishes
at summer dusk. 

新西宮ヨットハーバーの夕焼け

 今年は例年になく、猛暑が続いている。8月に入ったばかりだというのに、もう1ヵ月も真夏が続いている。これからが夏本番だと思うと、少々うんざりだ。お年寄りなど体力のない人には厳しい試練だ。神戸は午前中は風が弱く、午後から海風 sea breeze が吹いてくる。夕方、日が落ちて爽やかな風にあたると、やっと生きた心地がする。浜辺から夕陽を見ていると、心が洗われる。辞書を当たると、浦風とは「浦を吹く風。海辺を吹く風。はまかぜ。」とあった。

 先週、西宮沖で一週間にわたってクルーザー型ヨットJ24による世界選手権大会が開かれた。今年で23回目となる伝統のレースで、世界8ヵ国から38艇300名のヨットマンが参加した。白熱したレースは、最後までアルゼンチン・チームと日本の地元チームとが競り合い、最終レースで地元日本チームが競り勝ち、見事優勝カップを手にした。アルゼンチン・チームには、オリンピック・メダリストが2人も乗っていた。日本チームも優勝艇にはアメリカズ・カップのクルー経験者が2人いた。日本のセーリング技術は今や世界のトップレベルにあり、頼もしい限りだ。

 ヨットハーバーから見た明石海峡方面に沈む夕陽と夕焼けが美しく、心に残った。浦風が心地よかった。あたりが夕闇に包まれた頃、ヨットハーバーの沖合防波堤から歓迎の花火が上がった。心づくしのアトラクションに、外国チームの選手たちは日本のウェルカム・イブニングを大いにエンジョイしていた。本レースは、来年はカナダで開催される。 

055

2001年7月29日(日)

汽笛鳴る明石海峡夏霞
  
Whistle blowing
at Akashi Straits
in the misty summer.

 明石海峡は、兵庫県明石市と淡路島の間にあり、大阪湾と播磨をつなぐ海峡だ。六甲山地とその延長である津名丘陵の間が陥没してできた海峡で、もっとも狭い神戸市舞子と淡路町の松帆ノ浦の間は約4kmで、潮流最強時は時速9kmに達する。現在、海峡を通過する船舶は1日約1200隻で日本一の通行量を誇る。このため全長200m以上の船には航行管制が行われている。明石市と淡路町岩屋の間には連絡船が発着している。1998年4月世界最長の吊橋、明石海峡大橋(橋長3910m、中央支間長1990m)が完成、既に開通している鳴門大橋と合わせて本州四国連絡橋神戸・鳴門ルートが貫通した。

 明石海峡は、長さ約3浬、幅1,500mの海上交通安全法による明石海峡航路が設定されていて、右側通行により安全通行が確保されている。霞や霧、靄などで視界が悪くなると、通行船舶は速力を落とし、汽笛を吹鳴しながら航行する。「行けば一声、止まれば二声、船を押すなら長短短」といったルールで、聞こえてくる汽笛の音で、見えない他船の動静を知る。昔からのシーマンの知恵が現在に受け継がれている。

054

2001年7月22日(日)

海見ゆる異人の館蝉時雨
  
 Continuous chorus
of cicadas,
 Ocean view
from a foreigner's house.

うろこの館

 神戸の夏は本当に蝉時雨が凄い。朝五時頃から鳴き始める。

 異人館通りも朝から蝉時雨の洗礼を受けている。うろこの家から見る神戸港の夏景色は素晴らしいの一言だ。テラスから見える海は眩しく輝いていて、夏本番を感じる。

 異人館の中でも神戸港が見えるスポットは少なく、お薦めはうろこの館だ。

 ひときわ目をひく天然石の外壁。魚のうろこにも見えるところから名の由来がある。1905年(明治38年)、外国人の高級借家として居留地に建てられたもので、明治後期に北野の地に移築された。

 アンティークの家具調度品や、古マイセンなど西洋の名だたる磁器のコレクションを公開している。隣接するうろこ美術館ではトロワイヨン、ルオー、キスリンなどの西洋名画が展示されている。 

053

2001年7月14日(土)

夏の夜の舳先の波に海蛍  
  
Luminous bodies
in the bow waves
at summer night.

 4月に神戸に赴任してきて、海に出ると、赤潮が出ていた。4月にしては早い。神戸市の水産局の人に聞いてみたら、表層だけであり、漁業に被害を与えるようなものではないから心配ないという。それより、赤潮は夜になると光り、きれいですよという。夜光虫が赤潮の実体であることを始めて知った。世界大百科事典で調べると、
ヤコウチュウ(夜光虫) Noctiluca scintillans (Macartney) Ehrenberg  暖海の沿岸にもっともふつうに見られるプランクトン。浮遊生活をする直径1〜2mmの球形の海産単細胞生物で,波の動きなどの刺激により発光する性質がある。生体は淡い桃色を呈し,春〜初夏に大繁殖して赤潮を起こし,養殖中の魚貝類を大量に殺すことがある。

とあった。
赤潮は、大量発生したプランクトンの死骸だと思っていたが、そうではない赤潮もあるのだ。プランクトンを小魚が食べ、それを大きな魚が食べる。生態系のバランスの上に、海の恵みがある。人間の営みによる海の富栄養化がプランクトンの大量発生をもたらし、エコサイクルを崩す原因となる。夜光虫は、別名海蛍というが、夏の夜のロマンと公害のサインとは、紙一重の存在なのだった。 
052

2001年7月7日(土)

浜掃除終はりて須磨の海開き
  
Swimming season
after beach cleaning
at Suma.

 須磨海水浴場は、兵庫県下屈指の海水浴場である。例年、海開きの際、大阪湾クリン作戦の一環として、数千人のボランティアにより海浜清掃が行われる。砂浜の掃除だけでなく、遊泳者が足を怪我しないよう、ダイビング愛好者による海底清掃まで行われる。こうして多くの善意に支えられ、今年も須磨海水浴場はオープンし、多くの市民が海水浴を楽しむことができるようになった。今年は例年になく猛暑で、海水浴場はどこも盛況だ。水難事故のないことを祈念している。
051 2001年7月1日(日)

灯台を目指して進む卯波かな   

Summer waves
rushing
to the lighthouse.

伊良湖岬灯台(愛知県・渥美町)

 卯波とは、「うなみ」と読み、陰暦4月(陽暦5月)頃の波で、夏の季語である。卯月波ともいうらしい。波をじっと眺めていると、船と同じように灯台を目指して進んでいるような気がした。

 新西宮ヨットハーバー沖で、練習中の大学のヨット3隻が転覆、学生6人が流されるという事故が起こった。近くにいた警戒艇も波が大きくて救助できず、118番で海上保安庁に助けを求めたという。全員無事救助され事なきを得たが、夏山だけでなく、夏の海でも急に突風が吹いたり気象が急変することがある。波と上手に付き合わないと、とんでもないことになる。

 渥美半島の南端、伊良湖岬(いらごみさき)の先端に立つ伊良湖岬灯台は、鳥羽との間の伊良湖水道を通過する船の大切な目標になっている。海面からニョキッと立っている感じで、海が時化てくれば、波に洗われることだろう。灯台といえば丘や岬といった高台に立っているのが普通だが、このような灯台は珍しい。

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

神戸 2002年8月11日 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。
 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール