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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪メドレー「春の海」
天高し海の拝殿大鳥居  北舟
パノラマ写真(2000x870)314KB

The high sky,

2001年7月16日制作

The big torii gate to the hall of worship on the sea.

満潮の海上回廊と大鳥居

 

満潮の海上回廊と大鳥居/厳島神社(広島県廿日市市)

 

   
 
  
 



 
 

  
 

 
 
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2009年3月15日(日)

 平成21年(2009)2月26日(木)27日(金)の両日、家内と二人でクラブツーリズムのバスツアーに参加し、早春の山形蔵王を旅した。
  蔵王連峰は、東北地方の中央部を青森県から栃木県にかけて南北に延びる奥羽山脈の一部を構成する連峰で、山形県と宮城県の両県南部の県境に位置し、主峰は山形県側の熊野岳(1,841m)。『日本百名山』においては蔵王山(ざおうさん)と紹介されている。

蔵王山霧氷の華の極まれり

Zao Mountains, rime flowers in full bloom.

ざおうさん むひょうのはなの きわまれり

 山頂の鳥兜駅に着くと、15人乗りのキャタピラー型雪上車3台が迎えに来ており、ツアー一行は分乗して雪のスロープを下り、中央ゲレンデにある国際蔵王高原ホテルに向かった。鳥兜山の北方一帯は、なだらかなスロープが続く高原になっており、蔵王高原と呼ばれる理由が良く分かった。
 俳句では、霧氷や樹氷は冬の季語になっている。霧氷には、霧の花、霧氷林、樹霜、粗氷、霧氷の華などの用例があり、樹氷には樹氷林、木華(きばな)、木花などがある。白い花のように見えるため花や華が付く例が多い。

入り日差す三郎岳の霧が花

The setting sun is shining
on the frost flowers of Saburo Peak.

いりひさす さぶろうだけの きりがばな

 霧氷は、氷点下の環境で雲や霧などに発生する過冷却水滴や水蒸気が樹木その他の地物に衝突し、白色〜無色透明の氷層となって付着する自然現象で、樹氷・粗氷・樹霜の3つに分類される。
 樹氷は霧氷の一種で、冬山などで雲や霧の過冷却水滴が樹木などに衝突し、凍結・付着した氷層をいう。一般に針状の枝に沿って発達した樹氷を霧氷と呼び、樹木全体が達磨状に発達したものを樹氷と呼んでいる。
 

暮れなずむ蔵王高原霧の花

 

Zao highlands,
the lingering glow on the frost flowers.

くれなずむ ざおうこうげん きりのはな

 日本では蔵王の樹氷原や樹氷林が有名で、スキー場と共に冬の大きな観光資源になっている。樹木が完全に樹氷や雪によって覆われたものは「スノーモンスター」と呼ばれ、蔵王の地蔵山(じぞうやま)(1,736m)が有名である。
 午後5時近くになると太陽は西の山の端(は)に近づき、最後の輝きを増す頃、スキーヤーやスノーボーダーたちの姿が見えなくなった。蔵王高原に静寂が訪れ、無風の樹氷林は、長くうっすらとした影を雪面に落としていた。
 

白峰を見下ろす蔵王や春浅し

 

Early spring of Zao,
looking down at the white peaks.

しらみねを みおろすざおうや はるあさし

 例年、3月中は確実に雪だるま状の立派なスノーモンスターが見られるということだったが、今年は暖冬で既に雨が降って樹氷が解けてしまっていたのが残念だった。

「早春の山形蔵王」 2009.3.13 撮影・制作:和田義男

美しい蔵王の

霧氷むひょう

美しい蔵王の霧氷

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霧氷林が広がる三郎岳(1,412m)

霧氷林が広がる三郎岳(1,412m)

拡大写真(1600X1630)432KB

暮れなずむ蔵王高原

暮れなずむ蔵王高原

拡大写真(1600X1200)472KB

山形蔵王の雄大な眺望/地蔵山

山形蔵王の雄大な眺望/地蔵山

パノラマ写真(2300X1000)462KB

 

    
 
  
 









 
 
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2009年3月6日(金)

 平成21年(2009)2月7日(土)、愛知県稲沢市(いなざわし)に鎮座する國府宮で厄除けを祈願する「国府宮はだか祭」が行われた。今回、主催者側のご厚意により、国府宮の半纏をお借りし、裸祭りの主役である神男(しんおとこ)と神男のOBで組織する鉄鉾会(てっしょうかい)を密着取材することができた。

國府宮五十俵の儺追餅

Kouno-miya shrine, a cake of exorcism
 made of fifty straw bags of rice.

こうのみや ごじったわらの なおいもち

 「国府宮はだか祭」の前日には、儺追神事(なおいしんじ)の特別のお供(そな)えとして拝殿中央に50俵どりの大鏡餅が奉納される。今年は、愛知県清須市の清須奉賛会が実施することになり、2月6日(金)午後から武者行列や日本舞踊などが参道に繰り出し、華やかな「大鏡餅奉納パレード」が行われた。

儺追笹担ぐ氏子ら白褌 

Blievers of white fundoshi loincloths,
carrying a bamboo of exorcism
on their shoulders.

なおいざさ かつぐうじこら しろふどし

 「国府宮はだか祭」は正しくは儺追神事といい、毎年旧正月の13日に斎行される。褌一丁の裸形で儺追笹(なおいざさ)を奉納した裸男(はだかおとこ)たちが厄を落とすべく全裸の神男(しんおとこ)に触れようと揉み合う勇壮な祭りで、天下の奇祭と呼ばれ、江戸時代の末頃から始まったという。
 

儺追祭丼飯の神男

 

A ritual of exorcism,
a bowl of rice of the god man.

なおいさい どんぶりめしの しんおとこ

 国府宮の拝殿右(東)に儺追殿(なおいでん)があり、御神籤 (おみくじ)で選ばれた儺追神男(なおい・しんおとこ)が三日前から斎戒沐浴して三夜参籠する。儺追神男は、儺負人(なおいにん)ともいうが、短く神男(しんおとこ) と呼ぶことが多い。
 神男の食事は、白袴姿の二人の給仕役により行われるが、ご飯・沢庵漬・白湯のみの質素なものである。国府宮の神紋の入った丼鉢には注連縄(しめなわ)が張られている。食事の時も結構な見学者がいる。
 今年の儺負人(神男)は、稲沢市小沢の石材業加藤博康さん(29歳)。一番くじを引き当てたコメントとして、「毎年のように祭りを見たり参加したりしてきたので、神男はあこがれでした。大役を無事に全うしたい。」との抱負。父の増三さん(58歳)に次いで親子二代の神男という。
 

笏を持つ神の身代わり儺負人

 

An exorcist substituting for God,
holds a mace in his hand.

しゃくをもつ かみのみがわり なおいにん

 祭当日、神男は、200m先の参道から全裸で一般裸男(はだか男)たちの渦の中に入って激しく揉み合い、触れ合ったはだか男たちの厄を一身に背負って儺追殿に収容される。
   この神事が「国府宮はだか祭」のフィナーレを飾るメイン・イベントとなるが、神男にとっては、はだか男たちの渦に翻弄され、ときには意識を失うほどの過酷なものであり、その保護と収容が大変な難事であることから、神男のOBで組織される経験豊富な鉄鉾会(てっしょうかい)がその大役を請け負っている。
   鉄鉾会は、神守(かみまもり)と呼ばれ、はだか男たちの渦に入った神男の周囲で身体を張って守る直衛隊や親衛隊であり、儺追殿への収容時は、褌に命綱を結んだ救出隊となる。そのためには、晒木綿の褌より丈夫で防御に優れた相撲まわしの方が良いという。
 

褌に綱つけ守る儺追祭

 

Exorcism ritual, a guard
 connecting a rope to his loincloth.

ふんどしに つなつけまもる なおいさい

 午後4時半頃、神男をはだか男たちの渦から儺追殿に引き上げる救出隊の準備が行われた。屈強の男たちは相撲まわしの後ろ立褌(うしろたてみつ)に晒木綿を編んだ命綱(ライフライン)を取り付け、その上に国府宮の白半纏を羽織った。
   午後4時40分頃相撲まわしと地下足袋姿の直衛隊が儺追殿を出発。既に神男の姿は見えないが、神守たちと合流して、200m先の参道のはだか男たちの中に全裸で出現することになる。
 

神守の助けで還る儺負人

 

The exorcist has returned
by the help of god guards.

かみもりの たすけでかえる なおいにん

 午後5時44分、力水を被ってずぶ濡れになった神男が儺追殿に姿を現した。三回のトライでやっと収容することができたという。神男と彼を抱きかかえて救出した神守の緊迫した表情から、如何に困難な作業であったかが想像される。
 神男は、長老の肩を借りて救出口に行き、心配して様子を伺っていたはだか男たちに元気な姿を見せ、挨拶した後、寝室に向かい、疲れた身体を横たえた。

「国府宮はだか祭'09」 2009.3.5

奉納される巨大な「国府宮大鏡餅」

奉納される巨大な「国府宮大鏡餅」

拡大写真(1400x930)305KB

マグロを奉納する裸たち

マグロを奉納する裸たち

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神男の食事

神男の食事

拡大写真(1800x1200)335KB

出番が迫ってきた

神男しんおとこ

出番が迫ってきた神男

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ふんどし に命綱をつける

神守かみまもり

たち

褌に命綱をつける神守たち

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挨拶を終えて寝室に向かう

神男しんおとこ

挨拶を終えて寝室に向かう神男

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2009年3月1日(日)

 平成21年(2009年)2月1日(日)大分県豊後高田市大字長岩屋に建つ天台宗の長岩屋山天念寺で、国東半島の六郷満山に伝わる修正鬼会が開かれた。
 修正鬼会は、毎年旧正月7日に天念寺講堂の本尊・薬師如来の前で行われる祭礼である。かつては前日から7日の初薬師の日にかけて徹夜で行われていたが、近年は信者や観客らの便宜を考えて行事を7日の昼間から始め、7日の夜に完結させている。

篝火に浮かぶ白褌初薬師

First Yakushi ritual this year, white
fundoshi loincloths standing out
by bonfires.

 かがりびに うかぶびゃっこん はつやくし

  後7時ころ、天念寺の前を流れる長岩屋川(ながいわやがわ)の岸辺に褌一丁の裸形になった男たち8人が姿を現した。左の越中褌の二人は災祓鬼(さいばらいおに)(赤鬼)と荒鬼(あらおに)(黒鬼)を務める僧侶。他の6人はテイレシ(松明入衆)と呼ばれる若者たちで、松明(たいまつ)を扱う介添役である。

大松明の火花舞ひ散る初薬師

First Yakushi ritual this year,
sparks of the big bonfire dancing around.

 おおだいの ひばなまいちる はつやくし

 午後8時、大松明(オーダイ)に点火し、松明を高々と打ち立て、悪を祓うタイアゲと呼ばれる炎の行事が始まった。
 その後、壇徒たちは、オーダイを一挺ずつ倒し、講堂と権現社前の石段まで運び、三々九度の法による「献灯の儀」を行った。「三々九度の法」とは、大松明の火を左に3回、右に3回まわしたあと、上下に3度上げ下ろしを行うものである。
 「献灯の儀」が終わると、オーダイ同志を突き合わせる「火合わせ」が行われた。
 

赤と黒鬼の押し合ふ初薬師

 

First Yakushi ritual this year,
ogres of red and black pushing together.

あかとくろ おにのおしあう はつやくし

 鬼たちの大暴れが治まると、赤鬼と黒鬼が講堂の中央に位置し、松明を頭上で交差してグルグル回る鬼の舞を始めた。このシーンがポスターに掲載されている最もポピュラーな場面で、観衆は鬼の法舞をじっと見守るだけである。
 鬼の法舞の最中に、突然、世話役が鬼の目餅と呼ばれる鏡餅をばらまいたので、信者たちは鬼の法舞にかまうことなく餅に突進し、争奪戦が始まった。「鬼の目」を拾った者は、良縁がもたらされるという。
 餅が拾われると、鬼たちは、餅を拾った人を追いかけ回す。鬼も自分の「目」を取られまいと必死なので、「目」をとった人をコダイ(小松明)で激しく叩くのである。
 

初薬師鬼に打たるる餅拾ひ

 

First Yakushi ritual this year, a scramble
for rice cakes being beaten by ogres.

はつやくし おににうたるる もちひろい

 頭を叩かないようにテイレシたちも牽制するが、鬼はコダイ(小松明)で肩や背中をバシバシ叩くので、かなり強烈な打撃を受ける。鬼の目を拾った人は、独り占めにせず、餅を割り、拾い主を増やして攻撃を分散させることがコツだという。

「天念寺鬼会'09」 2009.2.28 撮影・原作:清原 浩

裸で合掌する僧侶とテイレシ(

介錯かいしゃく

)たち

裸で合掌する僧侶とテイレシ(介錯)たち

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飛び散る炎による浄化

飛び散る炎による浄化

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赤鬼・黒鬼の法舞 2009.2.24 22:15

赤鬼・黒鬼の法舞

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荒鬼に打たれる人 22:20

荒鬼に打たれる人

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2009年2月23日(月)

 平成21年(2009年)1月31日(土)から2月1日(日)にかけて大分県国東市国東町(くにさきし・くにさきまち)に建つ天台宗岩戸寺(いわとじ)で、国東半島の六郷満山(ろくごうまんざん)に伝わる修正鬼会(しゅじょう・おにえ)が開かれた。

 六郷満山に伝わる「修正鬼会」は、僧と村人たちが一体となり、夜を徹して無病息災、五穀豊穣を祈る伝統の行事で、養老年間(717〜724)に仁聞(にんもん)菩薩が国家安穏・五穀豊穣・万民快楽の諸願成就のため、六郷28ヵ寺の僧侶を集めて「鬼会式六巻」を授けて創始したといわれ、1300年ほど昔の仏教文化を今に伝える奇祭である。

七日夜の川の阿迦汲褌の白

Taking a bucketful of river water
at seventh night of the New Year,
White is the loincloth.

なぬかよの かわのあかくみ こんのしろ

 この鬼会は、かつては六郷満山の天台宗の各寺で行われていたが、今では豊後高田市の天念寺(てんねんじ)と、国東市の岩戸寺・成沸寺(じょうぶつじ)の三ヵ寺だけとなった。西満山の天念寺では毎年開催されるが、東満山の岩戸寺と成沸寺では隔年(西暦奇数年が岩戸寺)で開催される。

七日夜や川に飛び込む褌衆

Seventh night of the New Year, men of
fundoshi loincloths jumping into the river.

なぬかよや かわにとびこむ ふどししゅう

  岩戸寺のコーリトリは、水深の深い滝壺で行われるため、滝のそばの崖の上から飛び込む勇ましい姿で知られる。多くのカメラマンが垢離取場の周辺に集まり、名作を切り取ろうとカメラの放列ができる。
 岩戸寺本堂で行われる「盃の儀」は、これから行われる行事が恙(つつが)なく催行できるように固めの盃を酌み交わし、仏の化身である鬼として松明(たいまつ)を取り仕切るタイレシたちのお祓いを行う行事である。
 

七日夜の阿迦の甘露に光りをり

 

Seventh night of the New Year,
honeydew of holy water glistening.

なぬかよの あかのかんろに ひかりおり

  夜の勤行(ごんぎょう)は、 初夜(しょや)、佛名(ぶつみょう)、法咒師(ほずし)、神分(しんぶん)、三十二相(さんじゅうにそう)、唄匿(ばいのく) 、散華(さんげ)、梵音(ぼんのん)、縁起(えんぎ)、錫杖(しゃくじょう)などがあり、講堂で読経する。 次に立って行う立役となり、ここから芸能的要素が濃くなる。米華(まいか)、開白(かいびゃく)、香水(こうずい)、四方固(しほうがため)、鈴鬼(すずおに)と進み、最後に鬼招きをして荒々しい鬼たちを講堂に招き入れる。
 

鈴鬼の御幣の法舞春や来ぬ

 

The holy dance of bell ogres
with a Gohei stick, Spring has come.

すずおにの ごへいのほうぶ はるやきぬ

 鈴鬼によって鬼が招かれると、カイシャクに背負われた災払鬼(さいばらおに)と鎮鬼(すずおに)が講堂に入り、鬼が暴れ回って参拝者に加持祈祷する「鬼走り」と呼ばれるクライマックスに突入した。
   かつては岩戸寺は三鬼そろっていたが、ある年に鬼止石を越えて走り出た荒鬼役の僧が暴れ狂ったあげく死んでしまい、荒鬼の面は飛んで伊美の権現崎に喰らいついたため、爾来、荒鬼が欠け、現在は災払鬼と鎮鬼の二鬼となっている。
   草で頭を飾りつけ、須弥壇(しゅみだん)に置かれていた鬼面をかぶり、僧侶から酒を吹きかけられると、鬼となった。
 
 

初春の鬼の松明災払

 

An exorcism by ogre's torches
in early spring.

はつはるの おにのたいまつ さいばらい

 やがて、参拝者がタイレシと鬼の輪の中に入ると、鬼が松明の柄の部分で参拝者の背中を軽く叩いて加持祈祷を始めた。天念寺では松明を激しく打ちつけ、参拝者の着衣が火の粉で穴が空くほど激しく加持祈祷するため、参拝者が悲鳴を上げて逃げ惑うのに比べると、岩戸寺の二鬼はとても優しく、安心して見ていられる。
   最後は境内に出て加持祈祷が続けられたが、これをもって「鬼走り」が終了するため、参拝客や見物人はこゝで鬼会終了と見て解散するが、鬼とタイレシは、これから徹夜で部落を廻る「祈祷廻り」に入る。
 
 

七日夜や災払鬼の仏前に

 

Seventh night of the New Year,
an exorcising ogre before the family altar.

なのかよや さいばらおにの ぶつぜんに

 岩戸寺では、災払鬼と鎮鬼の二手に別れて、翌朝8時頃まで、徹夜で祈祷廻りを行った。家主の了解を得れば土足で仏間に上がり、仏壇で祈祷をしたあと、家族一人一人に珠数で加持祈祷をおこなうが、了解を得られなければ、庭で加持祈祷を行って終わる。
   祈祷廻りは、僧侶と檀家の人たちの触れ合いの場であり、檀家衆はご馳走を用意して酒食の接待をする。殺生を禁ずる仏教の祭礼ではあるが、料理は精進料理ではなく、刺身もある。神仏習合の歴史的産物なのだろう。
 
 

鬼鎮口にねじ込む鏡餅

 

Putting a round rice cake
into the mouth to quiet the fretful ogre.

おんしずめ くちにねじこむ かがみもち

 最後の〆は、鬼後咒(きごじゅ)といわれる儀式である。村から戻った鬼を引き倒 し、院主がオクワエ(鬼鎮(おんしずめ)の餅)をくわえさせ、おとなしくさせる。最後に松明結儀頌(たいまつけつぎしょう)を唱え、鬼鎮めをして終了する。

「岩戸寺修正鬼会」 2009.2.7 撮影・原作:清原 浩

垢離取場から阿迦を持ち帰る

垢離取場から阿迦を持ち帰る

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滝壺の垢離取場へ豪快なジャンプ!

滝壺の垢離取場へ豪快なジャンプ!

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タイレシに阿迦をふりかけるトシノカンジョウ

タイレシに阿迦をふりかけるトシノカンジョウ

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白粉をぬった女の鬼の舞

白粉をぬった女の鬼の舞

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輪になって廻る 災払鬼さいばらおに

輪になって廻る災払鬼

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仏壇と神棚のある家 07:50

仏壇と神棚のある家

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組み伏せられた 鎮鬼しずめおに

組み伏せられた鎮鬼

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2009年2月18日(水)

 平成21年(2009)2月4日(水)立春の日の夜、北海道の登別温泉で登別市と登別観光協会が主催する「登別温泉湯まつり」のフィナーレを飾る奇祭「源泉湯かけ合戦」が行われた。
 2月3日の節分から4日の立春にかけて開催される「登別温泉湯まつり」は今年で38回を数えるが登別温泉の豊富な湯量と高温多湿の湯が枯れることのないように祈願すると共に温泉の効能に感謝し開運と無病息災を祈る奇祭である。

珍宝の股間に揺るる春踊り

Spring dance, a valuable thing
swinging on the front waist.

ちんぽうの こかんにゆるる はるおどり

 「子宝餅つき舞い」は、名湯「子宝湯」にちなんで、子宝安産・夫婦円満・家内安全を祈願して昭和57年(1982)に誕生した郷土芸能である。おかめひょっとこが愛嬌を振りまきながら登場し、子宝に恵まれたことを告げ、踊りながら祝いの餅つきが始まり、つき上がった餅は「湯の華のもち」として見物客に振る舞われる。

湯煙に霞む褌や春祭

A spring festival, Fundoshi loincloths
getting dim with steam.

ゆけむりに かすむふどしや はるまつり

 午後9時から始まったフィナーレの「源泉湯かけ合戦」は、今年初めて間欠泉のある泉源公園で行われた。立春とはいえ、気温はマイナス4度と厳しいが、「本日はあたたかい中〜」のアナウンス。道産子にとってみれば、大した寒さではないようだ。参加者は約80名で、前垂れ式六尺褌・腹巻・地下足袋は全て白で統一している。
 源平合戦よろしく、白鉢巻の白組と赤鉢巻の赤組に別れて湯を掛け合い、騎馬戦で勝負する。赤組が勝つと湯温が上がり、白組なら湯量が増えるという。
 ドラの合図が鳴り響くと、年男を乗せた赤白の騎馬戦「源泉湯かけ合戦」が始まり、底冷えする寒さで湯煙が立ち上る中、温泉の湯が勢いよく飛び交い、熱気は最高潮に達した。
 

立春の湯かけ合戦白褌

 

A hot water fighting
in the beginning of spring,
 white loincloth of the guys.

りっしゅんの ゆかけかっせん しろふどし

 白組の奮闘むなしく、赤組が勝ち、今年は湯温が上がるという結果になった。負けた白組は巨大な男根をかたどった「道祖神(どうそじん)みこし」を担いで場内を練り歩き、観客の笑いを誘った。
 道祖神は路傍の神。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、古い時代のものは男女一対を象徴するものが多い。男女の性交を象徴する餅つきなどにもその痕跡が残る。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。松尾芭蕉の「奥の細道」に「道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」と書かれたことで広く知られるようになった。
 

立春の湯かけ祭や魔羅神輿

 

Sprinkling hot water festival
in the beginning of spring,
the portable shrine of a big penis.

りっしゅんの ゆかけまつりや まらみこし

「登別湯かけ合戦」 2009.2.4

善男善女の子宝舞い

善男善女の子宝舞い

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湯煙に霞む裸たち

湯煙に霞む裸たち

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白組の鉢巻をゲット!

白組の鉢巻をゲット!

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雄叫び!

雄叫び!

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2009年2月15日(日)

 平成21年(2009)2月10日(火)午後1時半から東京都目黒区の日蓮宗・立源寺(りゅうげんじ)で水行式と大祈祷会(だいきとうえ)が開かれた。

 水行式に先立ち、「東京立源寺」「目黒同心会」と書かれた半纏を羽織った壇信徒たちが団扇太鼓(うちわだいこ)を手に境内に仮設された水行場に参集。団扇太鼓の演奏や江戸っ子の文化である纏舞(まといまい)を披露した。

梅が香や江戸っ子信徒の纏舞

A scent of plum,
believers of traditional Tokyoite
dancing with Matoi.

うめがかや えどっこしんとの まといまい

 荒行僧たちは、千葉県中山の法華経寺で昨年の11月1日から100日間、俗界から総ての縁を断ち、1日に7回冷水をかぶり、3時間の睡眠と朝夕2回の粥と精進料理だけの「百日行(ひゃくにちぎょう)」という厳しい修業を積んできた。

白褌の僧成満の寒の垢離

Buddhist priests of white loincloth, Cold
water purification for the achievement.

びゃっこんの そうじょうまんの かんのこり

 立源寺の水行式に姿を現した僧侶は、太田順道伝師(おおたじゅんどう・でんし)と10名の行僧たちの計11名。
 この日、白衣の下に水行褌(越中褌)を締めて立源寺の水行式に現れた荒行僧は、初行(しょぎょう)2人、再行(さいぎょう)5人、三行(さんぎょう)1人、四行(よんぎょう)2人。
 荒行僧たちは、白衣を脱いで褌一丁の裸形になり、大荒行堂で100日間実施してきたものと全く同じ作法の水行を披露し、本堂で開催される大祈祷会に参列の後、晴れて出身の寺院に帰ることができる。遠く長崎の寺からやって来た住職がいたが、早く帰りたい気持ちを抑えての奉仕である。
 

早春の僧水行の褌の白

 

Ascetic Buddhists dashing water
in early spring, white are the loincloths.

そうしゅんの そうすいぎょうの こんのしろ

 10人の荒行僧たちは、太田伝師の作法に合わせ、水行肝文(すいぎょうかんもん)を唱えながら注連縄(しめなわ)と薦(こも)を巡らした水盤(水槽)から水行桶(手桶)で水を汲み、反動をつけて頭上から背後の首筋に一気に水を浴びせた。
 水行式が終わった後、立源寺本堂で大祈祷会が開かれた。
 荒行僧の右手に握られている厚味のある木札が魔障を切る木釼(ぼっけん)である。初心者は当然真っさらである。年期が入れば入るほど手垢で汚れるが、御利益(ごりやく)も大きくなるのだろう。  
 

寒行の僧のぬくもり加持祈祷

 

Warmth of Buddhist priests of midwinter
austerities, perform of incantations.

かんぎょうの そうのぬくもり かじきとう

 左手に長い総(ふさ)の数珠(じゅず)、首に下げている円筒状の錦の袋の中には、修行中実践した自筆の写経(御祈祷経と呼ばれる日蓮が選んだ法華経の肝文(かんもん)「撰法華経(せんほけきょう)」を書き写したもの)が納められている。これらは、命がけの荒行を経て手に入れた彼らの宝物で、修法師の命であり象徴である。

「立源寺水行」 2009.2.14 撮影・制作:和田義男

江戸っ子の得意技「纏舞」

江戸っ子の得意技「纏舞」

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浄水を汲む

浄水を汲む

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スプラッシュ!

スプラッシュ!

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スキンシップによる加持

スキンシップによる加持

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2009年2月11日(水)

  1200年の歴史を誇る「裸の男と炎のまつり」として知られる岩手県奥州市水沢区の黒石寺蘇民祭が平成21年(2009)2月1日(日)夜から2日(月)早朝にかけて開催された。

寒垢離の薬師三巡白褌

Three rounds to Yakushi temple,
wearing white fundoshi loincloths
after midwinter purification.

かんごりの やくしさんじゅん しろふどし

 祭りは2月1日(日)午後10時、「ジャッソー、ジョヤサ」の掛け声とともに瑠璃壺川(るりつぼがわ)で垢離(こり)を取って薬師堂を三巡する裸参りで開幕。松の木を組み上げ、火の粉を浴びて心身を清める柴燈木登(ひたきのぼり)などの行事が続いた。
 クライマックスの蘇民袋争奪戦は、今年は97人が参加し、氷点下に冷え込む雪道や雪野原の中で、褌一丁の裸形で泥まみれになりながら小間木(こまぎ)と呼ばれる厄よけの護符が入った麻袋を奪い合い、五穀豊穣(ごこく・ほうじょう)と無病息災を祈った。

白褌の渦明け方の雪野原

A whirl of white fundoshi loincloths
 reached to a snowy field at down.

びゃっこんの うずあけがたの ゆきのはら

 2月2日(月)午前5時すぎ、親方が薬師堂で蘇民袋を切開したのを合図に争奪戦が始まった。熱気溢れる裸たちの渦は薬師堂から参道を下り、門前道路を右折して車道から雪野原に移動。激しもみ合いの結果、花巻市の大工・菊池長吾さん(49歳)が2年連続で蘇民袋を獲得した。

「黒石寺蘇民祭'09」 2009.2.1

薬師堂を三巡する裸参り

薬師堂を三巡する裸参り

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雪野原に達した裸の渦

雪野原に達した裸の渦

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2009年2月7日(土)

 平成21年(2009)1月14日(水)午後2時半から大阪市天王寺区・四天王寺で恒例の裸祭り「どやどや」が開催されたので7年ぶりに取材した。

 四天王寺では、元旦から14日間、六時禮讃堂(通称六時堂)で修正会(しゅしょうえ)が修せられ、14日の結願(けちがん)の日に「どやどや」が行われる。修正会は、毎年正月に天下泰平・五穀豊穣を祈願する行事で、天長4年(827)正月に京都のお寺で始まり、以後諸大寺に広まっていったという。

どやどやの御堂を目指す褌衆

Doyadoya ritual, men of fundoshi
loincloths going to the temple.

どやどやの みどうをめざす ふどししゅう

 「どやどや」はこの結願日に当たって行われるもので、法要中に祈祷された魔除けの護符である牛王宝印(ごおうほういん)を近在の村人たちが寒中素裸になって奪い合うのが古来の習俗となっていた。いつから始まったものかは分からないが、江戸時代には行われていたという。

どやどやの濡れ褌や札奪ひ

Doyadoya ritual, wet fundoshi loincloths
 for winning charms.

どやどやの ぬれふんどしや ふだうばい

  かつては酉の刻(午後6時)から法要がはじまって、牛王宝印を投ずるのは夜8時から9時頃であったという。現在は混乱を避けるため、午後2時半より始まり、参加者も四天王寺に関連する中高生(男子)に限られている。
 昔は、牛王宝印を押した護符のついた柳の枝が何百本と群衆の中に投ぜられると、それを取ろうとして東西よりやってきた裸の群れがひしめきあったという。そして、持ち帰った柳の枝を稲田の水口に立てておくと、害虫がつかず、その年の稲が豊かに実るといわれており、「どやどや」は五穀豊穣の祈願に由来した祭礼である。
 

どやどやの熱気溢るゝ褌衆

 

Guys of fundoshi loincloths gushing out
 the enthusiasm of Doyadoya ritual.

どやどやの ねっきあふるる ふどししゅう

 牛王宝印を受けんとして、どやどや・・・と六時堂に群集することから「どやどや」の名が起こったといわれている。
 

どやどやの熱気渦巻く褌かな

 

Doyadoya ritual, Fundoshi loincloths
in a whirl of enthusiasm.

どやどやの ねっきうずまく ふどしかな

 今年は前半の部と後半の部を合わせ、褌を締めてどやどやに参加した生徒と教職員は、総勢800名にのぼった。
 
 

どやどやの護符舞い落ちる六時堂

 

Doyadoya ritual, Charms fluttering down
at Six Times Temple.

どやどやの ごふまいおちる ろくじどう

 園児が退出した後、前半と後半の2回に分けて御札と呼ばれる牛王宝印(護符)の争奪戦が行われた。
 
   厳寒の季節に褌一丁の裸形になり、力水を頭から被りながら護符を奪い合う「どやどや」は、浪花の新春を告げる風物詩で、観客も多く、見ているだけで元気が出てくる。 
 
 

どやどやの紅白褌六時堂

 

Six Times Temple, Red and white
 loincloths at Doyadoya ritual.

どやどやの こうはくふんどし ろくじどう

 この時期、中学・高校の3年生にとっては受験準備の最後の追い込み期間であり、大事な時機ではあるが、毎年多くの学生が参加していることは、誠に喜ばしい。

「四天王寺どやどや'09」 2009.2.7 撮影・制作:和田義男

東から白梵天を持つ白組が登場

東から白梵天を持つ白組が登場

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護符争奪戦

護符争奪戦

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白組の護符争奪戦

白組の護符争奪戦

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熱気を帯びる護符争奪戦

熱気を帯びる護符争奪戦

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清風学園総員の入堂

清風学園総員の入堂

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2009年2月2日(月)

 平成20年(2008)5月28日から6月5日まで、夫婦揃ってクラブツーリズムの「東ドイツと北ドイツ世界遺産ぐるり周遊9日間」に参加した。

 ドイツ・ザクセン=アンハルト州の都市クヴェトリンブルクは、ハルツ山地の北方にあり、山から流れ出たボーデ川の畔に、美しい木組みの家々が立ち並ぶ1000年の古都で、1994年にユネスコ世界遺産に登録された。

石畳日除の喫茶木組家

Stone pavements of timberwork houses,
tea drinking under the sunshades.

いしだたみ ひよけのきっさ きぐみいえ

 ハルツ地方の古い歴史を留める小さな町ゴスラーは、922年、皇帝ハインリヒ I 世により開かれ、968年から始まったハルツ山麓の銀鉱の採掘に伴って発展してきた。

緑陰に木組みの家の白きあり

A timberwork house being white
in the shade of trees.

りょくいんに きぐみのいえの しろきあり

 ドイツ中部に位置するヒルデスハイムは、約10万の人口を有するニーダーザクセン州南部の都市。聖マリア大聖堂は、初期ロマネスク様式で1010年から1020年にかけて建設された。
 2つの後陣を伴う対称形となっており、これは古ザクセン時代のオットー朝ロマネスク様式の特徴だという。11世紀から14世紀にかけて拡張されたが、1945年の空襲で完全に破壊された。戦後、1950年から1960年の間に再建されたが、優美な内装は失われたままである。
 1985年、ヒルデスハイムは、この聖ミカエル教会と聖マリア大聖堂、樹齢1000年の薔薇の木と共にユネスコ世界遺産に登録された。
 

千年の薔薇の涼しき大聖堂

 

A great church,
roses of one thousand years
look like cool.

せんねんの ばらのすずしき だいせいどう

 ブレーメンは、ドイツ北部のヴェーザー川の河畔にある都市で、この川を北に65km下った北海沿岸の河口にあるブレーマーハーフェン市とともにブレーメン州を構成する。人口は約55万人で、バンブルクに次ぐ大きな港町だが、実際には海から50km以上も入った内陸にあるため、街並みも清潔で落ち着いた印象を受ける。
 ブレーメン旧市街の市庁舎の左横には、1953年にゲルハルト・マルクスにより製作された高さ約2mの音楽隊のブロンズ像(ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ)が立てられている。有名なグリム童話の「ブレーメンの音楽隊」は、実際にはブレーメンに来ていないが、ブレーメンでは自分たちの街に因む物語として広く受け入れられている。
 

夏日蔭驢馬の背負ひし音楽隊

 

A shade in summer,
A musical band carried by the donkey.

なつひかげ ろばのせおいし おんがくたい

 この銅像のロバの前足を撫でながら願い事をすると、願いがかなうと信じられているようで、銅像のその部分は多くの人が触れるために光り輝いている。この銅像は、同じ広場に立っているローラントの像と並んで、ブレーメンの町のシンボルとなっている。
 
 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に属するリューベックは、人口21万人を擁し、バルト海に面する北ドイツの代表都市で、13〜14世紀のハンザ同盟が栄えた頃、その盟主として殷賑を極めた。1987年に「リューベックのハンザ同盟都市」としてユネスコの世界遺産に登録された。
 

夏の川三角屋根の船着場

 

A summer river,
piers by the side of triangular roofs.

なつのかわ さんかくやねの ふなつきば

 2008年の初夏、偶然にも我々夫婦が南ドイツを旅しているとき、小池ご夫妻も東北ドイツを旅されるという幸運が重なった。そのお陰で、ドイツ編は主な観光地を殆ど網羅し、「南ドイツの旅/上・中・下」と「東北ドイツの旅/上・下」をあわせると27頁・画像424枚という空前の大作となった。

「東北ドイツの旅・下」 2009.2.1 撮影・原作:小池淳二

昔のままの美しいマルクト広場/クヴェトリンブルク

昔のままの美しいマルクト広場/クヴェトリンブルク

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緑の中の白い家/ゴスラー

緑の中の白い家/ゴスラー

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聖マリア大聖堂に咲く樹齢千年の薔薇

聖マリア大聖堂に咲く樹齢千年の薔薇(野バラ)

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市庁舎前のブレーメンの音楽隊像

市庁舎前のブレーメンの音楽隊像

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美しいトラヴェ川の船着場/リューベック

美しいトラヴェ川の船着場/リューベック

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2009年1月31日(土)

 平成20年(2008)5月28日から6月5日まで、夫婦揃ってクラブツーリズムの「東ドイツと北ドイツ世界遺産ぐるり周遊9日間」に参加した。

 米英仏の占領地域であった西ベルリンは周囲を全て東ドイツに囲まれ、東ドイツ住民による西ベルリンへの逃亡が相次いだ。
東ドイツ政府は、逃亡を防止するために壁を構築し、ベルリンの壁と呼ばれるようになった。

緑陰の壁に残りし弾の跡

Bullet holes remained on a wall
in the shade of trees.

りょくいんの かべにのこりし たまのあと

 ベルリンで必見の博物館といえば博物館島にあるペルガモン博物館で、古代ギリシャのペルガモン(現トルコ・ベルガマ Bergama )で発掘された高さ9.66mのゼウスの大祭壇(紀元前180〜159年)をはじめ、ギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品などが展示されている。

彫像の肌も露わに夏衣

Statues of summer dress, exposing skins.

ちょうぞうの はだもあらわに なつごろも

 ポツダムに建つサンスーシ宮殿は、プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて、フリードリヒII世の命によって建てられたもので、ヴォルテールが一時期滞在したことでも知られる。「サンスーシ Sans Souci 」とは、フランス語で「憂いなし」を意味し、日本や中国では漢訳して無憂宮とも表記する。
 フリードリヒII世の「夏の離宮」として建てられたが、結果的にはここが居城となった。フリードリヒII世自ら設計の一部を行ない、王の趣味を反映して、こぢんまりとした瀟洒な建物である。
 

噴水の楽園ありき無憂宮

 

Sans Souci, once a paradise of fountain.

ふんすいの らくえんありき さんすーしー

 マイセンは、ドイツ・ザクセン州ドレスデン地方マイセン郡 Landkreis Meißen の郡庁所在地であり、人口約2万8千の工業都市である。マイセン白磁器とワインで知られる。
 エルベ川を望む小高い丘に建つアルブレヒト城は、15世紀にザクセン王国を支配したヴェッティン家が居城として建設したものだが、完成直前に宮廷をドレスデンに移してしまったので、住むことはなかった。
 1710〜1864年に、この城の中に磁器工場が置かれ、機密保持のため、マイセン白磁の発明者ヨハン・フリードリヒ・ベドガーをここに幽閉状態にして作業にあたらせていた。この工場は1865年に町の外れに移転し、現在でもマイセン磁器工場としてマイセン磁器が作られている。
 

夏の川マイセン白磁を生みし城

 

Summer river, the castle
produced Meissen white porcelain.

なつのかわ まいせんはくじを うみししろ

 ザクセン州ライプツィヒは約50万人を擁し、ザクセン州では州都ドレスデンをやや上回る最大の都市である。旧東ドイツ地域ではベルリンに次いで大きく、ライプチヒとも表記される。
 ライプツィヒに所在する聖トーマス教会は、ルーテル派の教会で、 ヨハン・ゼバスティアン・バッハがトーマスカントルを務め、また、彼の墓があることでも知られる。
 

噴水のバッハの町に遊ぶ子ら

 

Children playing
at the fountain of Bach town.

ふんすいの ばっはのまちに あそぶこら

 トーマスカントル(トーマスカントールとも)は、ライプツィヒ聖トーマス教会のカントル(音楽監督)のことで、教会の音楽を取り仕切り、その付属小学校の教職にも当たり、さらにはライプツィヒ市全体の音楽監督も兼ねた。

「東北ドイツの旅・上」 2009.1.30 撮影・原作:小池淳二

州議会議事堂のそばに残るベルリンの壁

州議会議事堂のそばに残るベルリンの壁

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有名なゼウスの大祭壇/ペルガモン博物館

有名なゼウスの大祭壇/ペルガモン博物館

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大噴水とサンスーシ宮殿

大噴水とサンスーシ宮殿

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エルベ河畔のアルブレヒト城

エルベ河畔のアルブレヒト城

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噴水で遊ぶ子供たち

噴水で遊ぶ子供たち

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2009年1月24日(土)

 平成21年(2009)の元旦の早朝、大分県国東市国東町見地(くにさきし・くにさきまち・けんじ)に鎮座する小松神社で、年迎え行事として800年の昔から続く裸参りが行われた。

御神火の火の粉の爆ぜて年迎ふ

New Year has come,
while sparks of divine fire sparking.

ごしんかの ひのこのはぜて としむかう 

 午前1時ころ、拝殿右にある社務所から真新しい越中褌を締めた男たちが現れ、裸参りの神事が始まった。
 バスタオルと懐中電灯を持った裸たちは、参拝客の見守るなか一団となって石段を下り、垢離取り場に向かった。
 田深川の垢離取り場で禊をした人は13人で、昨年より2人増加した。一行は白装束の宮司に先導され、氷点下1℃の寒中を拝殿に向かった。

垢離取りて褌のままの初詣

First visit of the year, just wearing
fundoshi loincloth after purification.

こりとりて ふどしのままの はつもうで

 田深川での寒中禊ぎは、全裸で行われるので、禊ぎを終えた後も褌は濡れていない。中には褌を締めたままで水浴した人も散見され、その人たちは濡れた褌を手に持ち、バスタオルで腰を包んで引き返してきた。
 裸の氏子たちは、そのまま拝殿に上がって板の間に正座し、神前で神主のお祓いを受けて新年の初詣を行った。
 神主のお祓いを受けて心身ともに清らかとなった氏子たちは、御神酒と破魔矢を手に笑顔で拝殿を退出した。

「小松神社裸参り」 2009.1.1 撮影・原作:清原 浩

火の粉の爆ぜる御神火

火の粉の爆ぜる御神火

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雪蛍の中の裸の行進

雪蛍の中の裸の行進

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

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