ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール

★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2013年1月12日改訂

ログイン時刻

 

 

 

今 日

昨 日

♪HOME, SWEET HOME by Henry Bishop

旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

冬日射すタウンタマン湖や手漕舟   北舟

拡大写真(2400x1350)604KB

Winter sunshine, rowing boats of Toungthaman Lake.

2001年7月16日制作

客を待つ手漕ぎ舟/タウンタマン湖 11:06

客を待つ手漕ぎ舟/タウンタマン湖(ミャンマー)

俳句「海の風景」第35集


 

















1750
































1749





 





 



















1748



























1747


2013年1月7日(火)

 平成17年(2005)9月19日(月)の祭日、横浜市戸塚区舞岡公園でカワセミを撮影して以来7年目となる平成24年(2012)も野鳥を求める旅を続けました。これで5作目となりますが、常連の他に新しい仲間も加わりましたので、ごゆるりとお楽しみ下さい。野鳥は動きが敏捷で、警戒心が強く、木々に隠れてなかなか姿を見せてくれません。今年も根気と忍耐の撮影行でした。
▼ 白鳥がやって来る田圃に、今年は、世界中でも約3000羽と云われ、シベリアで繁殖し、インドや中国南部で越冬するといわれている絶滅危惧種A-1ソデグロヅルがやってきた。我が国への飛来自体が極めて珍しいことです。

初春の鶴は千年羽ばたけり

Early spring,
the flapping crane lives for 1000 years.

はつはるの つるはせんねん はばたけり

▼ 子育て二年目のカップルですが、この日は雌が抱卵中で、動きがありませんでした。このカップルは昨年三羽を育て上げましたが、今年は巣穴が風雨に見舞われたのか、残念ながら孵化しなかったそうです。
【解説】 タカ目 ハヤブサ科 全長(翼開長) 雄38-45cm 雌46-51cm(84-120cm)。雄は翼の幅が太めで、先端は尖っている。頭から背、翼の上面は青黒色で、下面は白っぽく細かい横じまがある。喉の縦斑は見えにくく、腹の中央部の斑は丸い。頬に髭状の俗に言うハヤブサ斑がある。雌は雄とあまり違いは無いが、体が大きい。喉の縦斑も明瞭に見られる。体下面の横斑も雄より太く明瞭に出る。雄では腹の中央部の斑が丸く見えるが、しっかりとした横斑状に見える。 若鳥は上面が暗褐色で、下面には縦斑がある。

隼や羽音残して飛び立てり

A falcon, took off
for the sky leaving flapping sounds.

はやぶさや はおとのこして とびたれり

▼ 神社の庭にあるタブの木で、毎年繁殖しており、今年は4羽の雛が育ちました。昨年樹の上部を枝打ちしたのだそうで、今年は枝が込み合った下枝で昼の休息となり、撮影には好条件となりました。時々背伸びしてくれるのですが、このポーズが可愛いですね。新鋭機 Canon EOS7D 300mm の会心作です。
【解説】 フクロウ目 フクロウ科 全長(翼開長) 27-30cm(66-70.5cm)。雄は 尾羽が長く、体全体が黒褐色で尾には黒の帯がある。目が金色でお腹には白地に茶色の縦斑がある。 雌は 一般的には雄より淡色である。体下面の縦斑も淡くて細い傾向がある。

緑陰に天使の羽や青葉梟

brown hawk-owls, spreading
angel wings in the shade of trees.

りょくいんに てんしのはねや あおばずく

▼ 今まで何回も撮影しておりますが、納得した写真が撮影できませんでした。決して動きが早いわけではないし、それほど人を恐れる風情でもないのですが、撮影に関しては、なかなか難しい鳥です。偶然というか、運が向いたと言うしかありませんが、目の前5mに飛んで来てくれました。結局は根気よく居る場所に通えば撮影出来るということです。
【解説】 ミヤマホオジロ(深山頬白、Emberiza elegans)は、動物界脊索動物門鳥綱スズメ目ホオジロ科ホオジロ属に分類される鳥類。大韓民国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、日本、ロシア南東部に分布する。

頬白の出会ひ嬉しき冬野かな

Winter field,
how happy to meet a bunting.

ほおじろの であいうれしき ふゆのかな

「日本の野鳥を撮る旅'12」
 
 
2013 撮影・原作 : 横山 稔  監修:和田義男

********

ミヤマホオジロ / 横浜市旭区 2012.12.29 13:05

ソデグロヅル / 千葉県印旛郡栄町 2012.01.18 08:39

ソデグロヅル / 千葉県印旛郡栄町 2012.01.18 08:39

拡大写真(2000x1400)520KB

ハヤブサ雄 / 神奈川県藤沢市江の島 2012.05.05 11:38

ハヤブサ雄 / 神奈川県藤沢市江の島 2012.05.05 11:38

拡大写真(2200x1550)470KB

アオバズク エンジェルポーズ / 神奈川県平塚市

アオバズクエンジェルポーズ / 神奈川県平塚市 2012.07.29 08:22

拡大写真(3000x2000)746KB

ミヤマホオジロ / 横浜市旭区 2012.12.29 13:05

ミヤマホオジロ / 横浜市旭区 2012.12.29 13:05

拡大写真(2400x1600)325KB

 

 






















1746




























1745


2013年1月1日(火)

門松  

謹賀新年

  門松

明けましておめでとうございます。

▼ 快晴の清々しい年が明けました。我が家のベランダに出てみますと、多摩川のせせらぎや鳥の鳴き声が聞こえ、初春を喜んでいるようです。
 去年の春から悠々自適の余生を過ごすことになった私は、諸行無常のこの世にあって昨日と変わらぬ日常茶飯事が無性に愛しく、有り難く思える歳となりました。 65歳 元旦。

年明くる多摩のせせらぎ鳥の声

Old year turns to new, the murmuring

of Tama river and the song of birds.

としあくる たまのせせらぎ とりのこえ

初春や鳥鳴く多摩のせせらぎも

The beginning of spring, 
the song of birds

and the murmuring of Tama river also.

はつはるや とりなくたまの せせらぎも

 平成25年(2013)癸巳(みずのとみ/きし)の年がスタートしました。Wa☆Daフォトギャラリーは、昨年の7月16日に満12歳の誕生日を迎え、この正月で満12歳半となりました。多くの愛読者と感動写真集41名の同士の方々のお陰で、昨年11月16日にアクセス2100万人を超えました。今年も旅と祭の写真をテーマに交流の輪を広げ、天命を全うするまでたった一度の人生を謳歌したいと思っています。

階の注連縄褌初詣 

The first visit to the temple,
loincloth with a sacred straw rope
moving up the stairs.

きざはしの しめなわふんどし はつもうで

▲ 平成25年(2013)の年賀状は、昨年正月28日(土)・29日(日)の両日、岩手県花巻市石鳥谷町(いしどりやちょう)の貴峰山(きほうざん)光勝寺(こうしょうじ)(佐藤宥弘さとうゆうこう住職)で開かれた五大尊蘇民祭の写真で、六尺褌・腹巻の上に注連縄(しめなわ)を締めた氏子たちが松明(たいまつ)を持って、五大尊を祀る五大堂を目指して石段を登るシーンを後方から捉えたものです。

「徒然日記の年賀状」
 
 
2013.01.01 撮影・監修:和田義男

********

徒然日記の年賀状
多摩川のせせらぎと枯れ芒
多摩川のせせらぎと枯れ芒
拡大写真(800X580)192KB
石段を登る褌五人衆/貴峰山光勝寺(岩手県石巻市)
石段を登る褌五人衆/貴峰山光勝寺(岩手県石巻市)

五大尊蘇民祭

拡大写真(2400X1625)813KB
 

 
























1744





















1743





 






















1742


























1741






























1740



























1739

2012年12月25日(日)晴

  平成24年(2012)8月4日(土)から6日(月)にかけて東京都中央区佃一丁目に鎮座する住吉神社(平岡好朋宮司)で佃祭(つくだまつり 住吉神社例大祭)が開催された。
  佃煮のルーツで知られる佃島は、東京都中央区を流れる隅田川の河口に位置し、未だに江戸情緒を残すレトロな町として知られる。揃衣(そろい)の若衆(わかいし)が獅子頭の鼻先めがけ殺到する獅子頭宮出(ししがしら・みやだし)や八角神輿と呼ばれる宮神輿が隅田川を渡御する船渡御、そして、高さ20m余の六基の大幟の下で江戸三大囃子のひとつである佃囃子にのって宮神輿や町神輿が渡御する風情は、江戸時代の粋を残した東京下町の祭礼として民族文化的にも極めて価値が高い。
▼ 佃祭が開かれるときには遠くから分かるように3組6本の大幟(高さ約21m)が建てられる。

宵祭佃小橋に大幟

The eve of a festival,
big flags at Tsukuda Small Bridge.

よいまつり つくだこばしに おおのぼり

大祭初日の8月4日(土)は午前10時から宮元(佃一丁目)による「獅子頭の宮出」(中央区無形民族文化財)が行われた。宮元は、一部(上町)、二部(下町)、三部(東町)の三区に分かれており、それぞれが獅子頭を持っている。 獅子頭の宮出は部ごとに行われるので、計3回(子供のも併せると4回)の宮出が見られる。今年は、三部、一部、二部、子供の順に実施された。

江戸っ子の佃囃子や獅子頭

Tsukuda festival music of
traditional Tokyoites, for the lion masks.

えどっこの つくだばやしや ししがしら

この日の朝、清澄通り勝どき三丁目のお仮屋前から連合睦と各睦会の高張提灯を先頭に二号地大神輿と中・小神輿が出発。順路中、晴海、四乃部、三乃部、二乃部、一乃部、新佃の町内神輿が順次合流し、佃小橋を渡って旧渡船場通りに勢揃いした。
 午前10時50分から平岡宮司による町内神輿の清祓が行われた後、午前11時半、宮元の獅子頭を露払い役にして御旅所までの連合渡御が始まった。連合渡御は西仲通りで最高潮に達し、御旅所で手締式が行われた後、お開きとなる。

佃島ビルの谷間の濡れ神輿

Tsukuda Island, the splashed
mikoshi between the tall buildings.

つくだじま びるのたにまの ぬれみこし

▼ 宮神輿の船渡御は、以前は、神輿が隅田川に入る海中渡御が行われていたが、防潮堤ができたことと、川の汚染が進んだため、昭和37年(1962)を最後に海中渡御は中止となった。
しかし、石川島播磨重工業(現・IHI)跡地の再開発事業により大川端リバーシティ21が建設され、区立佃公園から隅田川テラスに下りることができるようになったため、平成2年(1990)に船渡御が復活した。船渡御の御召船は、反時計回りに佃・月島・勝どき・豊海・晴海の祭礼区域を一周する。

台船で渡る神輿や隅田川

Sumida River,
the mikoshi cruising on a barge.

だいせんで わたるみこしや すみだがわ

▼ 船渡御が終わって上陸した宮神輿は、午前中、佃一丁目の町内を渡御した。佃一丁目は三部に分かれており、各部がおよそ1時間ずつ担いだ。年によって順番が変わり、今年は一部→二部→三部の順だった。住吉講による宮神輿渡御は、写真のように、新調された揃衣(そろい)を着た氏子男性でないと担げず、部外者は入れない。
 家康の江戸下降の際、摂津国佃村(現大阪市)から佃島に移住してきた漁師たちが考案した保存食といえば江戸前の代表格でもある"佃煮"である。この東京名物・佃煮の老舗店は3あり、天安本店が最古の佃煮元祖である。

天安を渡る神輿や佃島

Tukuda Island,
the mikoshi going by Ten-yasu.

てんやすを わたるみこしや つくだじま

▼ 提灯の明かりが輝きを増してきたころ、新佃から住吉講にバトンタッチされた宮神輿は、午後7時半前に黒木鳥居を通過し、宮入すべく神社に向かった。
 そして、午後8時前、八角宮神輿は大勢の氏子たちの出迎えを受けながら無事に住吉神社に宮入し、最後の揉み上げが行われ、有終の美を飾った。
 かくして宵宮から四日間にわたってロマンと感動を与えてくれた佃祭は、惜しまれつつ閉幕。この後、遷霊帰社祭が行われ、大団円を迎えた。次回の例大祭は、平成27年(2015)に行われる。

宮に入る名残の神輿隅田川

Sumida River, the farewell
mikoshi  arriving in the shrine.

みやにいる なごりのみこし すみだがわ

 このあと、鐵砲洲の我が家に向かった。
 
帰途、隅田川の心地よい夜風に吹かれつゝ 江戸情緒と近代化された摩天楼が混在する佃島の不思議な夜景を楽しみながら佃大橋を渡った。

「江戸の粋!佃祭」
 
 
2012.12.3-6 撮影:星宏幸 協力:佃住吉講  監修:和田義男

********

八角神輿宮出【六】 〜極限まで差し上げる〜
住吉神社の大幟 2012.08.03 18:00

住吉神社の大幟 2012.08.03 18:00

拡大写真(3000X1950)921KB
獅子頭宮出【拾参】 〜佃囃子と獅子頭〜 10:43

獅子頭宮出【拾参】 〜佃囃子と獅子頭〜 10:43

拡大写真(2400X1800)839KB

三之部神輿/月島西仲通り商店街 12:04

三之部神輿/月島西仲通り商店街 12:04

拡大写真(2400X1800)949KB

八角神輿の船渡御【四】 〜台船に鎮座した渡御神輿〜

八角神輿の船渡御【四】  〜台船に鎮座した渡御神輿〜

拡大写真(3000X2000)1.27MB

八角神輿

町内巡幸【四】 〜佃煮元祖「 天安てんやす 」と宮神輿〜 09:58

八角神輿」町内巡幸【四】 〜佃煮元祖「天安」と宮神輿〜 09:58

拡大写真(2000X1700)710KB

住吉神社境内で〆の揉み上げ 19:55

住吉神社境内で〆の揉み上げ 19:55

拡大写真(2400X1700)701KB

 
 

 





















1738




























1737





 



















1736


























1735


2012年12月9日(日)

 平成24年(2012)5月1日(火)から5日(土)にかけて東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で御鎮座壱千百七拾弐年例大祭が開かれた。
 鐵砲洲稲荷神社の例大祭は3年ごとに開催され、平成23年(2011)に本祭が行われる予定だったが、3.11東日本大震災が発生したために中止となり、今年の陰祭の年に本祭が実施されたもの。
  鐵砲洲といえば、歌舞伎座前の神輿練りが有名だが、歌舞伎座は平成22年(2010)4月30日に閉場式が行われて120年余の歴史に幕が下ろされ、平成25年(2013)4月の開場を目指して新しい歌舞伎座が建設中のため歌舞伎座前の神輿練りができないので、今年は、初めて17町会12基の町神輿による連合渡御と宮入参拝が行われた。

棒鼻の遺影を翳す神輿舁

Carrying a mikoshi, a front man
holding up a photograph of the deceased.

ぼうばなの いえいをかざす みこしかき

 鐵砲洲大祭については、鐵砲洲奉祝大祭江戸っ子!鐵砲洲大祭 など、過去の作品に詳しい解説を掲載しているので、この作品では細かな解説を省略し、高精細画像を楽しんで頂くことにした。



▼ 翌5月4日(金)は、曇りがちながら天候が回復したので、予定どおり、初めての連合渡御と町内神輿12基の宮入参拝が実施された。宮元(湊一・二丁目町会)では、夜の無礼講神輿が催され、大いに盛り上がった。

満場の手〆轟く夏祭 

Summer festival, whole people
clapping their hands loudly.

まんじょうの てじめとどろく なつまつり









真打の最後に決める神輿差

The headliner,
lifting up the mikoshi over heads finally.

しんうちの さいごにきめる みこしさし







▼ 宮元(湊一・二丁目町会)では、この日の全ての予定が無事に終了した後、鐵砲洲児童公園の御仮屋の前で、恒例の無礼講神輿が行われた。法被を脱ぎ捨てた入墨褌の氏子たちも現れ、鐵砲洲大祭のフィナーレを飾るにふさわしい盛り上がりを見せた。

鐵砲洲無礼講なる神輿舁

Teppozu, the mikoshi carrying on
their shoulders without the formalities.

てっぽうず ぶれいこうなる みこしかき

「鐵砲洲大祭'12」
 
 
2012.12.8 撮影:星宏幸・小林豊一  監修:和田義男

********

拝殿に向かう大神輿
故人と共に神輿を担ぐ! 16:50

故人と共に神輿を担ぐ! 16:50

拡大写真(2000X1333)454KB

満場の手〆 13:44

満場の手〆 13:44

拡大写真(2600X1750)1.00MB

宮元大神輿の神輿差し! 17:57

宮元大神輿の神輿差し! 17:57

拡大写真(2400X1300)787KB

無礼講神輿【六】 〜最後のフィーバー!〜 19:32

無礼講神輿【六】 〜最後のフィーバー!〜 19:32

拡大写真(2400X1500)504KB

 
 













 




1734
















1733















1732



















1731














1730


















1729














1728



















1727

2012年11月27日(火)

 2012年7月24日(火)〜8月2日(木)に阪急交通社の企画する旅・「イタリア湖水地方・アルプス・ドロミテ街道・リヴィエラの真珠チンクエテッレ10日間」に家内と共に参加した。
▼ マッジョーレ湖はイタリアのロンバルディア州とピエモンテ州の州境にある湖で北部はスイスのティチーノ州にまたがっている。イタリアで二番目に広い湖で面積は212.2km2深さは最大372m。
 マッジョーレ湖の女王とも形容されるストレーザの町はモッタローネ山麓にあり、ロープウェーとリフトを乗り継いでモッタローネ山頂(1491m)に上がることができる。 
 モッタローネ山頂からの景色は素晴らしく、はるか北西方向にモンテ・ローザ Monte Rosa を望むことができる。モンテ・ローザは、イタリアとスイスの国境にあるアルプス山脈で二番目に高い山で、スイスの最高峰。

アルプスの雪山背負ふ遠青嶺

Far away mountains of green ridge,
carrying a snow mountain of Alps
on the back.

あるぷすの ゆきやませおう とおあおね

▼ チンクエテッレは、イタリア北西部のリグーリア海岸にある5つの村を指す。険しい海岸に色とりどりの家屋が並ぶ文化的景観によって知られており、ポルトヴェーネレや小島群などと共にユネスコの世界文化遺産に登録されている。
 イタリアのリヴィエラと呼ばれるチンクエテッレには、誰もが必ず訪れる愛の小道(Via dell'Amore ヴィア・デル・アモーレ)といわれる遊歩道がある。チンクエテッレ南東端に位置するリオマッジョーレ(本村)とマナローラ(分村)とをつなぐ約1km強の遊歩道である。

岩穿つチンクエテッレの夏の海

Summer sea of Cinqueterre,
drilled road through the rock.

いわうがつ チンクエテッレのなつのうみ

▼ ミラノの南方145kmの海洋都市ジェノヴァは、リグーリア州ジェノヴァ県に属する人口約60万のイタリア共和国の都市。ジェノヴァ県の県庁所在地であるとともにリグーリア州の州都であり、周辺コムーネを含んだ都会としての人口は約90万でイタリア有数の大都会のひとつである。 
  近年に復元された噴水で知られるフェッラーリ広場は、ジェノヴァ中心部に位置する広場で、ドゥカーレ宮殿があるほか、旧証券取引所のボルサ館など、多数のオフィスビルが立ち並ぶ。。

噴水に寄り添う二人旅の空

The sky of journey,
a couple sitting close at a fountain.

ふんすいに よりそうふたり たびのそら

▼ ドロミテは、イタリアのチロル地方、東アルプス山脈に属する山群で、北はリエンツァ川、西はイザルコ川とアディジェ川、南はブレンタ川、東はピアーヴェ川に囲まれた広い範囲を指すが、狭義には観光化された地域をいう。
  コルチナ・ダンペッツォから国道48号線を東北東に14kmほど行ったところにあるミズリーナ湖は、ベッルーノ県アウロンツォ・ディ・カドーレ村にある海抜1,754m、周囲2.6km、深さ5mほどの自然湖で 、湖の周辺には、約10軒のホテルがある。

ドロミテの昇藤とや夏山路

Summer mountain path,
rising wisteria surprising at Dolomite.

どろみての のぼりふじとや なつやまじ

▼ ツアー一行は、ミズリーナ湖から更に北上し、アウロンツォ小屋からラヴァレード小屋を往復するトレ・チーメ・ディ・ラヴァレード(ラヴァレード三峰)のハイキングを楽しんだ。
 岩陰にアザミ(薊)の群生があった。キルシウム・スピノシシムヌという難しい学名がついているキク科アザミ属の高山植物で、日本名はアルプスアザミというらしい。

ドロミテや岩に寄り添ふ夏薊

Summer thistles,
nestling close to a rock at Dolomite.

どろみての いわによりそう なつあざみ

▼ 北チロル Nordtirol と東チロル Osttirol はオーストリアのチロル州に、残る地域は1918年からイタリアに帰属している。そのうち南チロル Sudtirol はボルツァーノ自治県として、また、外国のチロル Welschtirol の異名をもつトレンティーノはトレント自治県として、それぞれ独立の県となっている。この2県を合わせてトレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州を構成する。
 カレッツァ湖(1,520m)は、イタリア北部、南チロル地方のドロミテ山地にある湖で、ラテマール山 Monte Latemar(2,842m)を望む風光明媚な地として知られる。

ドロミテの緑の湖や夏岩根

Summer mountain rocks,
the green lake at Dolomite.

どろみての みどりのうみや なついわね

▼ ツアー最終日は、ミラノの西北西約130kmに位置するチェルヴィニアとその西方約60kmのラ・パリュを訪問し、本ツアーのフィナーレにふさわしいアルプス観光を楽しんだ。
 最初は、モンテ・チェルビーノ(マッターホルン)のイタリア側の登山基地として知られるチェルヴィニアの南方約2kmにある小さなブルー湖を訪れた。ブルー湖から見るモンテ・チェルビーノ(マッターホルン 4,478m)は素晴らしく、イタリア側の定番のスポットとして名高い。

アルプスの夏天に聳びゆ岩根かな

The rock mountain of the Alps,
rising into the summer sky.

あるぷすの かてんにそびゆ いわねかな

▼ チェルヴィニアの観光を終えたツアー一行は、モンテ・ビアンコ(モンブラン)を一目見るために、西南西約60kmにある最後の観光地ラ・パリュに向かった。ラ・パリュ(1,325m)は 、クールマイユール Courmayeur の分村で、フニクラ・モンテ・ビアンコ Funivie Monte Bianco (モンブラン・ロープウェイ)の出発地点である。
 一行は、フニクラ(ロープウェイ)に乗車し、パヴィリオン Pavillon 駅で乗り換えた後、二つ目の中継駅リフジオ・トリノ Rifugio Torino (3,329m)で下車。トリノ避難所(3,375m)まで歩き、モンテ・ビアンコ(モンブラン)を望見した。

白山の白雲吐くや夏の空

Summer sky,
White Mountain
exhaling the white clouds.

はくさんの はくうんはくや なつのそら

▲ モンブランは、フランスとイタリアの国境に位置するヨーロッパ・アルプスの最高峰で、標高は4,810.9m。ヨーロッパではロシアのコーカサス山脈の最高峰エルブルス山(5,642m)に次ぐ高山で、西ヨーロッパの最高峰である。フランス語でモン (Mont) は「山」、ブラン (Blanc) は「白」を意味し、「白い山」の意味。イタリアでは、イタリア語で同じく「白い山」という意味のモンテ・ビアンコ (Monte Bianco) と呼ばれる。

「イタリア夏の旅」 2012.7.24-8.2 撮影・原作:小池淳二

********

感動のモンテ・ビアンコ(モンブラン 4810.9m)!

スイス最高峰モンテ・ローザ Monte Rosa (4636m) の勇姿

スイス最高峰モンテ・ローザ Monte Rosa (4636m) の勇姿

拡大写真(2400x1800)648KB

愛の小道/4 〜マナローラ方面の景観〜 11:41

愛の小道/4 〜マナローラ方面の景観〜 11:41

拡大写真(2400x1800)939KB

フェッラーリ広場の噴水 17:57

フェッラーリ広場の噴水 17:57

拡大写真(2400x1800)836KB

ミズリーナ湖のノボリフジ

ミズリーナ湖のノボリフジ

拡大写真(2000x1500)352KB

アルプス・アザミの群生 15:07

アルプス・アザミの群生 15:07

拡大写真(2400x1800)1.11MB

ラテマール山(2,842m)とカレッツァ湖 14:51

エメラルド・グリーンが見事なカレッツァ湖 14:51

拡大写真(2400x1800)769KB

ブルー湖とモンテ・チェルビーノ(マッターホルン 4,478m) 

ラーゴ・ブルー(ブルー湖)とモンテ・チェルビーノ(マッターホルン 4,478m) 11:16

拡大写真(2400x1800)953KB

感動のモンテ・ビアンコ(モンブラン 4810.9m)!

感動のモンテ・ビアンコ(モンブラン 4810.9m)!

拡大写真(2400x1800)749KB

 
 














 




1726













1725














1724























1723














1722















1721















1720


















 







1719


















1718














1717





















1716

2012年10月28日(日)

 平成24年(2012)の初秋、静岡県磐田市(いわたし)に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)が開催された。事前に 見付天神裸祭のご案内 により全国連和田グループ(第四期)を募集し水曜日の浜垢離(はまごり)に 3人(水浴2人)、土日の御大祭(ごたいさい)に10人(堂入り 9人)が参加した。
▼ 水曜日午前10時過ぎから遠州灘に面する磐田市福田海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」 が行われた。
 松原の神事が終わると、氏子たちは次の神事である海浜の修祓(しゅばつ)のため福田浜に移動神事のあと、浜垢離が行われた。最初は神職たちの禊で、鈴木宮司、2人の禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)の4人が白鉢巻・越中褌姿で並び、遠州灘に向かって柏手(かしわで)を打ち、拝礼したあと、海に入って波を被り、身体を清めた。 

遠州の寄する巻波秋の垢離

The autumnal water purification,

the rolling waves rushing at Ensyu.

えんしゅうの よするまきなみ あきのこり

▼ 去年は台風による高波のため、波に打たれることを避けて足を波に洗われる程度だったが、今年は大波に向かって果敢に挑戦し、頭から海水を被るという今までにない勇壮な光景となった。
 一番觸(いちばんぶれ)は、浜垢離、堂入り、鬼踊り、山神社からの觸番の発進など、見付天神裸祭を語るには欠かせない祭組である。白褌に白鉢巻という質素な出で立ちは、神事にふさわしく、清潔感があふれている。

秋雨に濡るる白褌浜の垢離

Water purification at beach,
wet white loincloth in the autumnal rain.

あきさめに ぬるるびゃっこん はまのこり

▼ 浜垢離から松原に引き揚げてくると、水陣が祭広場で裸練りを楽しんでいたので、早速激写した。本番の堂入りで行われる鬼踊りの練習のようにも見えた。 
 再び祭広場に足を運ぶと、肩車による親子や爺孫の微笑ましい裸の触れ合い(スキンシップ)を楽しむ姿が見られた。父や祖父の肌の温もりは、子や孫にとってかけがえのない一生の思い出となることだろう。

觸鈴の音松原に秋祭

Autumnal festival,
the sounds of Furesuzu bells
to the seashore of pine trees.

ふれすずの おとまつばらに あきまつり

▼ 磐田市では、市政施行7年目に当たる平成23年(2011)、新たな磐田市のスタートを記念して8〜9月に磐田市を代表するイメージキャラクターのデザインを募集したところ、最優秀賞は大阪府の田中みなみさんの作品「しっぺい」で、見付天神に伝わる民話「悉平(しっぺい)太郎」をモチーフにしたもの。ご覧のとおり、赤褌(あかふん)を締めたふくよかな白犬である。
 ともあれ、これで名実ともに見付天神裸祭が磐田市を代表するイベントとなったわけで、赤褌犬「しっぺい」が全国に知られるようになることを祈念している。

天神の赤褌犬や秋祭

Autumnal festival,
the red fundoshi dog of Tenjin shrine.

てんじんの あかふんけんや あきまつり

▼ 御大祭の9月22日(土)午後6時から東中区の子供連の道中練りが始まったので、彼らを撮影しながら一緒に天神様に向かった。
 午後6時20分頃、見付天神に到着。東中区の幼児たちが父親や祖父に肩車してもらい、拝殿前で押し合いへし合いする様子を撮影した。間もなく、赤いリボンのついた觸鈴(ふれすず)を持つ西中区の子供連が到着。子供たちの勇姿を激写した。

宝前の子供の練りや秋祭

Autumnal festival,
surge of enthusiasm by the children
in front of the shrine.

ほうぜんの こどものねりや あきまつり

▼ 和田グループは、全員、午後7時半に憩いの宿に集合し、お互いに六尺褌を締め合って、出陣の準備をした。
 和田グループ二番觸は、二番觸町会所前で草鞋(わらじ)と腰蓑(こしみの)をつけたが、その模様を文化財調査チームが撮影した。このシーンがDVDに収録されるかどうかはまだ分からないが、大変光栄に思う。

褌をキリリと秋の御大祭

Autumnal big festival,
fastening fundoshi loincloth tightly.

ふんどしを きりりとあきの ごたいさい

▼ 渡り付けが終わると、いよいよ宵祭の見せ所である道中練りが始まった。御瀧車は、旧東海道の見付宿場通りに繰り出し、行進を始めた。かねての予定通り、福代邸二階の窓から裸っぽたちの勇姿を激写した。
  福代邸からの激写が終わると、急いで街道に下り、集団のあとを追った。すさまじい熱気に圧倒されるが、何とか警固の間に割り込み、裸っぽたちの勇壮なシーンを撮りまくった。写真は雄弁に真実を語る。筆舌に尽くしがたい道中練りの感動シーンをじっくりとご覧頂きたい。

街道をオイショで進む秋夕べ

Autumnal evening,
marching through the street,
shouting 'Oisyo!'

かいどうを おいしょですすむ あきゆうべ

▼ 西区の堂入りは、23:00と決まっているが、その時刻は、觸鈴が堂入りする時刻と解釈されているようで、10分ほど前から堂入りが始まった。
 天井のスプリンクラーから撒水(さんすい)が開始されると、拝殿の中は徐々に汗と熱気が広がり、やがて堂内を広く包んでむせ返るほどになる。褌腰蓑姿の裸っぽたちが押し合いへし合い、「オイッショ、オイッショ!」という精力的な掛け声と地団駄(じだんだ)を踏む床音が次第に激しくなって行く。
 この晴れ舞台のために用意された神聖な觸鈴は、たったひとつしか持ち込めない。觸鈴を持つことのできる資格者は、リストバンドをしている人だけ。次々に觸鈴がリレーされ、打ち鳴らされるが、騒音に打ち消されて、全く聞こえない。
 時刻は遂に翌日の日曜日に入ったが、堂内では鬼踊りが続き、身動きのとれない拝殿で最後の盛り上がりに誰もが酔いしれていた。

長き夜や鬼を追い出す鬼踊

A long autumnal night,
Ogre Dance driving ogres out.

ながきよや おにをおいだす おにおどり

▼ 神輿が総社拝殿に安置されたあと、神輿総社着御祭が執り行われた。総社ではまだ神事が行われている一方で、神輿渡御にお供してきた裸っぽたちは、総社の西(左)の注連縄に囲まれた納所(おさめどころ)で腰蓑納めをしたあと、三々五々帰途に着いた。
 腰蓑納めをしたあと一団となって戻ってきた西中区・二番觸の氏子たちは、雨のなか、町会所前の車道で、午前1時に交通規制が解かれるまで、最後の裸練りを楽しんだ。拝殿では人が多すぎて十分に発散することができなかったので、和田グループ参加者たちも觸鈴を振り回して、鬼踊りに興じた。

觸鈴の音も濡れをり秋の夜半

Autumnal midnight,
the sounds of message bells
getting wet also.

ふれすずの おともぬれおり あきのよわ

▼ 渡御(おわたり)があれば還御(おかえり)がある。これまでは渡御を取材してきたが、還御は取材しなかったので、今年、大孫に二連泊し、初めて還御を激写することにした。
  かつては5kmの還御コースを担いでいた輿番は、いつのころからか、神輿を台車に乗せて運ぶようになった。 午後5時丁度、煙火一発が打ち上げられると、鳳輦神輿は総社の鳥居の前から見付天神目指して出発した。。

鳳輦の街道行くや秋の暮

Autumnal evening,
the portable shrine of phoenix
going along the main road.

ほうれんの かいどういくや あきのくれ

▼ 輿番たちは、 赤鳥居を通過したところで鳳輦を止め、神輿を担いで見付天神に向かった。拝殿前の広場では、昨夜の堂入りのときと同じように、大勢の参拝者たちが一筋の花道を開けて還御列の到着を待っていた。やがて先頭集団が現れると、歓声が上がった。
 還御神輿が拝殿前の花道に到着すると、感動の神輿練りが奉納された。神輿を地面すれすれに下げ、そこから一気に差し上げる。これを何度も繰り返す。周りの人々もそれにあわせて提灯を上下し、輿番を励ます。これまでに見たことのない、見付天神オリジナルの感動的な神輿練りである。永遠に続くかと思われるほど、何十回も神輿を上げ下げするこの神輿練りを「天神練り」と呼ぶことにした。

天神の揺るる御輿や秋の夜

Autumnal night,
the portable shrine of Tenjin
moving up and down.

てんじんの ゆるるみこしや あきのよる

「見付天神裸祭'12」 2012.9.19・21・22 撮影・制作:和田義男

********

見付天神裸祭名場面集
神職たちの

浜垢離はまごり

 10:57

神職たちの浜垢離 10:57

拡大写真(2000X1250)188KB

西区 一番觸いちばんぶれ の浜垢離/弐 11:04

西区一番觸の浜垢離/弐 11:04

拡大写真(2000X1450)381KB

賑わう松原の祭広場/参 〜女の子も肩車〜

賑わう松原の祭広場/参 〜女の子も肩車〜

拡大写真(2000X1900)774KB

静岡県 磐田市いわたし のイメージキャラクター「しっぺい」

静岡県磐田市イメージキャラクター「しっぺい」

拡大写真(1110X700109KB

西中区子供連の堂入り/弐 〜西中区のラインナップ!〜

西中区子供連の堂入り/弐 〜西中区のラインナップ!〜

拡大写真(2400X1800)709KB

和田グループの支度/参 〜参加者全員の記念写真〜

和田グループの支度/参 〜参加者全員の記念写真(前姿)〜 19:54

拡大写真(2400X1800)693KB

道中練り/拾  〜汗と忍耐の行進!〜 21:55

道中練り/拾 〜汗と忍耐の行進!〜 21:55

拡大写真(2600X1950)942KB

堂入り・鬼踊り/拾六 〜早くも佳境に入る!〜 23:14

堂入り・鬼踊り/拾六 〜早くも佳境に入る!〜 23:14

拡大写真(2400X2000)685KB

二番觸・会所前の鬼踊り/壱 〜赤鈴を打ち鳴らす〜

二番觸・会所前の鬼踊り/壱 〜赤鈴を打ち鳴らす新尺俊勝世話役(4)〜 00:47

拡大写真(2000X1700)373KB

還御おかえり /参 〜 見付宿場通りに入る

鳳輦ほうれん

神輿〜 17:01

還御/参 〜 見付宿場通り(旧東海道)に入る鳳輦神輿〜 17:01

拡大写真(2400X1800)888KB

還御おかえり /四拾参 〜感動の天神練り!〜 20:12

還御/四拾参 〜感動の天神練り!1/2〜 20:12

拡大写真(2600X1950)669KB

 

 


















1715

































1714





 





 

























1713































1712


2012年10月5日(金)

 平成24年(2012)9月15日(土)、埼玉県さいたま市岩槻区笹久保(いわつきく・ささくぼ)810に鎮座する篠岡八幡大神社(しのおかはちまん・だいじんじゃ)(久伊豆神社馬場裕彦宮司)において、「笹久保の古式子ども土俵入り」が行われた。
 さいたま市岩槻区(旧岩槻市)の古式子ども相撲土俵入りは、釣上(かぎあげ)地区と笹久保(ささくぼ)地区双方が平成17年(2005)2月21日に「岩槻(いわつき)の古式土俵入り」として国の重要無形民俗文化財に指定された。
 笹久保地区は隔年開催で、敬老の日(9月第三月曜日)の前日に行われることになっており、2012年は前々日の9月15日(土)に行われた。

村相撲化粧褌赤襦袢

Village sumo, the ornamental loincloths
and red under-kimonos.

むらずもう けしょうふんどし あかじゅばん

▲ 今年の土俵祭(どひょうまつり)に参加する子供たちは、小学6年生以下22名で、最年少は年中組園児の中村さとしくん(5歳)。遊馬(あそま)会長の第一声は、「みんなふんどしを締めてきたか!」だった。
 子供たちが身につける褌は、赤・紫・白の三色に色分けされている。化粧廻しの色に合わせたもので、赤が子役(コヤク)の初級者(定員21名)、紫が手合(テアイ)の中級者(定員8名)、白が亀能(カメノウ)の上級者(三役)(定員3名)を表す。定員は合計32名なので、子役が10名不足している。
  化粧廻しのあと、赤い襦袢(じゅばん)を羽織る。衣装箱には、「共用襦袢」と表示されている。その横には、「フンドシ、タビ、袴」と表示された衣装箱もあり、かつては褌も共用されていたのだろう。

秋兆す鎮守の森の豆力士 

Early autumn, sumo children
at the grove of a village shrine.

あききざす 鎮守の森の まめりきし

▲ 土俵祭一行は、休憩の後、馬場宮司の先導により、赤鳥居をくぐって参道をパレードし、篠岡八幡大神社の拝殿に向かった。
 さいたま市岩槻区に位置する笹久保は、古くは大和田と呼ばれていたが、永承年間(1046-1053)に源義家が奥羽征伐に向かう途中、この地に陣を張り、笹の生い茂った窪地に軍配を祀り、八幡神を勧請して戦勝を祈願したことから、のちに笹久保と呼ばれるようになったと伝わる。
篠岡八幡大神社は、創建以来、岩槻城(いわつきじょう)代々の城主により武運長久の神として信仰され、江戸期を通じて、歴代の岩槻城主から崇敬されていたという。
 遊馬行司を先頭に一列縦隊に並んだ豆力士たちは、篠岡八幡大神社の拝殿前にうずくまって参拝した後、馬場宮司による御祓いを受けた。

奴踏む子ども相撲や土俵入

Ceremonial entrance into the ring,
the Yakko walk of children sumo.

やっこふむ こどもずもうや どひょういり

▲ 「笹久保の古式子ども土俵入り」は、子供たちの健やかな成長と五穀豊穣を願って行われる土俵祭である。平成17年2月21日に、釣上(かぎあげ)地区と共に国の重要無形民俗文化財に指定されて以来、この日が4度目の土俵入りである。
  土俵入り式典が終わって祭壇が取り払われると、本番の古式土俵入りが始まった。最初は子役の土俵入りだが、数が足りないため、子役に手合が加わった土俵入りが披露された。
▼ 一見して凄いと思ったのは、土俵の上に広がる天幕である。秋の強烈な日射しから豆力士たちを護ってくれるこの天幕は、天保11年(1840)に作られたもので、170余年の歴史がある。1反の布を36枚つなぎ合わせたもので、36反(約15m四方)の広さがある。

天幕や土俵に残る村相撲

The sky curtain,
a village sumo continues at the ring.

てんまくや どひょうにのこる むらずもう

「笹久保古式子供土俵入」
 
 
2012.09.15 撮影・制作 : 和田義男

********

土俵をバックに記念写真 16:08

襦袢じゅばん

を着て準備完了! 13:35

襦袢を着て準備完了! 13:35

拡大写真(2400x2300)981KB

拝殿に向かう 14:48

拝殿に向かう 14:48

拡大写真(2000x1850)933KB

子役と手合の土俵入り

子役と手合の土俵入り/参-拾弐 〜古式土俵入りアニメーション(10枚)〜

拡大写真(2400x1800)1.14MB

歴史的な天幕が張られた土俵 16:02

歴史的な天幕が張られた土俵 16:02

パノラマ写真(3000X1360)1.22KB

 

 

































1711

































1710





 





 












1709





























1708


2012年9月26日(水)

  平成24年(2012)7月1日(日)から15日(日)までの間、771年目となる博多祇園山笠(はかた・ぎおん・やまかさ)が福岡県福岡市で開催された。昨年に引き続き、休日を利用して福岡入りし、 1日(日)・8日(日)・15日(日)の様子を撮影した。
  昭和54年(1979)に国から重要無形民族文化財の指定を受けた櫛田神社の夏祭・博多祇園山笠は、7月1日から15日まで福岡市内の14箇所で絢爛豪華な飾り山笠が展示され、1日の舁き山笠7流の当番町・役員が箱崎浜(はこざきはま)で身を清めるお汐井とり(おしおいとり)に始まり、10日の流舁き(ながれがき)、11日の朝山笠(あさやま)、他流舁き、12日の追い山笠(おいやま)ならし、13日の集団山見せ、14日の流舁きと次第に盛り上がり、15日の櫛田入り(くしだいり)タイムレース・追い山笠(おいやま)で最高潮に達する。
▼ お汐井取りは、博多祇園山笠冒頭の行事で、心身を清める神事である。「お汐井」とは箱崎浜の真砂(まさご 砂)のこと。舁き山笠の行事に参加する七流の男たちが、法被姿で町内ごとに集合し、箱崎浜まで「オイサッ、オイサッ」の掛け声とともにやってくる。

山笠やお汐井取りの褌衆

Yamakasa festival,
the fundoshi men taking Oshioi sand.

やまかさや おしおいとりの ふどししゅう

▲ 箱崎浜へ着いたら、升(ます)やテボと呼ばれる竹製の小さな籠(かご)にお汐井を取って持ち帰る。帰路で筥崎宮と櫛田神社にお参りし、1年の無事を感謝するとともに、行事期間中の安全を祈願する。持ち帰ったお汐井は、山笠での無事を祈り、家を出るときにふりかけて身を清めるのに用いる。
▼ 子供たちに地域の伝統を理解させるために開始された子供山笠 。現在、子供用の舁き山は3台ある。大人の舁き山を2/3に縮小した形で、同地区の飾り山共々、アニメや子供番組のキャラを題材にしたものが多い。
 何れも7月1〜8日の金曜から日曜にかけて主に流れ舁きを行う。少女は4年生まで参加できる。台上がりは8〜10名で、出来るだけ多くの子が台上がり出来るよう、停止する毎に交代する。

山笠の子供も魅せる濡れふどし 

Yamakasa festival, how cool
the children of wet fundoshi!

やまかさの こどももみせる ぬれふどし

▼ 7月15日未明、博多祇園山笠のクライマックスにあたる行事(タイムトライアル)が追い山笠で、短く「追い山」と呼ばれる。4時59分に一番山笠が山留めをスタート、櫛田神社境内の清道を回って奉納する。その後、二番山笠から八番山笠「走る飾り山」までが5分おきに出発し、多数の男たちが交代を繰り返しながら博多の町内に設定されたコースを走り、須崎町の廻り止めまで、櫛田入りと全コース約4kmの最短時間を競う。

山笠や褌衆のひた走る

Yamakasa festival,
the fundoshi guys run and run.

やまかさや ふんどししゅうの ひたはしる

▼ 事前準備で山笠に関する資料を探していたとき、追い山の終了後に他の流は厳かに舁き山を解体するが、西流だけは昔からの伝統で山崩しを行うという記事があったので、取材した。
  何が始まるかわからないまま待機していると、舁き山は山小屋の後ろ側から帰って来て山小屋の中を通過し、我々が待機していた交差点中央まで拍手に迎えられてやってきた。
  観衆がざわめく中で台上がりの総代が博多祝い唄を歌い始めると周囲もそれに応えて皆で合唱。その後全員による博多手一本のあと、舁き山周囲から何人もがよじ登り、一斉に飾りものの争奪戦が始まった。

山笠や褌衆の山崩し

Yamakasa festival,

the fundoshi men dismantle the float.

やまかさや ふんどししゅうの やまくずし

「博多祇園山笠'12」
 
 
2012.07.01-15 撮影・原作:辻 竜二 監修:和田義男

********

博多小学校の子供山笠/拾壱

お汐井取り/拾七 〜西流〜

お汐井取り/拾七 〜西流〜

拡大写真(1200X1800)401KB
博多小学校の子供山笠/拾

博多小学校の子供山笠/拾

拡大写真(2400X1800)960KB

追い山笠/拾七 〜七番山・西流〜 05:37

追い山笠/拾七 〜七番山・西流〜 05:37

拡大写真(2000X1400)515KB

西流-山崩し/参  06:13

西流-山崩し/参  06:13

拡大写真(2400X1600)736KB
 

 

































1707

















1706





 





 







1705
























1704

























1703





 









 









 






1702



















1701



















1700





 









 

 







1699



 

2012年9月12日(水)

  平成24年(2012)2月11日(土)から17日(金)までの7日間、タイの友人と共に空路バンコクからヤンゴンに入ってミャンマーの主要な観光地を旅した。
 国民の約85%が南方上座部仏教と呼ばれる敬虔な仏教徒で、何処に行っても仏教文化に接する。公用語はビルマ語で、少数民族は、それぞれ独自の言語を持つ。
▼ ヤンゴンの北東方約184kmに位置するチャイティーヨー山の山頂に位置するチャイティーヨー・パヤーは、ゴールデン・ロックとも呼ばれ、ミャンマーのモン州にある仏塔(パゴダ)である。ミャンマーではヤンゴンのシュエダグォン・パヤーとマンダレーのマハムニ・パヤーに次ぎ、三番目に重要な仏教巡礼地である。
 
 この巨岩は、今まさに丘を転がり落ちそうな状態に見え、あたかも重力を否定しているかのようである。この奇跡とも思える「重力の否定」を一目見ることで、ゴールデン・ロックは、多くの人々に仏教へ帰依するためのインスピレーションを与えて続けてきた。

黄金の輝く巌冬暮色

The color of winter sundown,
the golden lock shining.

おうごんの かがやくいわお ふゆぼしょく

▼ バゴーで最も有名な巨大寝仏(全長55m、高さ16m)のあるシュエターリャウン寺院に行った。例によって山門には一対の獅子像が睨みをきかせている。この寺院は、13〜16世紀のモン族の王朝時代に栄えたが、18世紀半ばにミャンマー族コンバウン朝アラウンパヤー王に征服されてから衰退してしまったという。

寝仏の微笑み嬉し春隣

Spring at hand, the sleeping Buddha
smiling to make happy.

ねぼとけの ほほえみうれし はるどなり

▼ 夜は、ヤンゴン近郊のカンドーヂ湖にあるカラウェイ・パレスで食事とディナーショーを楽しんだ。このレストランは船のように見えるが、昔の王侯貴族が食事を取るために浮かべた船を真似た建物である。食事をしながらミャンマーの民俗舞踊や民族楽器の演奏を楽しんだ。

黄金の衣装の跳ねる春間近

Spring at hand,
the golden costumes hopping around.

おうごんの いしょうのはねる はるまじか

▼ バガンの遺跡は、11世紀から13世紀、バガン王国の興隆からフビライ・ハーンの侵攻を受けるまでの250年余りの間に建造されたものである。
 最初に訪れたところは、アーナンダ寺院と並んでバガンを代表する仏塔で知られるシュエズイーゴン・パヤーである。
 仏塔(仏舎利塔、パゴダ)は、3つの高層からなり、全ての高層にはジャータカ物語の550の石画がはめ込まれ、塔の中には釈尊の額骨と歯が納められているという。

稚児僧の冬日に伸ぶる影法師

The shadow of child monks,
getting longer by the winter sunshine.

ちごそうの ふゆひにのぶる かげぼうし

▼ シュエグージー寺院は、1131年、アラウスィードゥー王によって建立された。寺院の上層部に上る階段は、非常に狭く、下りてくる小学生たちをやりすごしてから登ったが、上り下りのすれ違いは体を横にしないとできない程の広さしかなかった。高層部に達すると、仏塔の間から広大なバガン平原を見渡すことができた。
 この光景を私は長い間憧れていた。バガン遺跡に行きたいと思い立ってから足掛け7年近い歳月が流れていたが、今こゝに立ち、じっくりとバガン高原を見渡せることに感動し、積年の夢が叶って幸せい っぱいだった。

仏塔の滅びし原野冬の空

Winter sky, ruins of pagodas in the range.

ぶっとうの ほろびしげんや ふゆのそら

▼ シュエサンドー・パヤーは、アノーヤター王がこの地を征服してタトォン国を建国した際に、真っ先に建てられた寺院の一つで、1057年の建立は、バガン黄金期の初期にあたる。
 急な階段を上っていかなければならないが、幸いにも手すりが設けられているので、老人でもそれを頼りに急な階段を安全に上り下りすることができる。入口で裸足になり、傾斜のきつい階段を息を切らせながら屋上に上がり、夕焼けの真正面を撮影できるように場所取りをした。
 当初韓国人が私の前にいたが、途中でいなくなったので、障害物はなくなった。全周をフリーハンドで撮影した後、三脚を使用して、壮大な日没の景観を激写した。

仏塔の荒野を染める冬入日

Winter sunset,
dyeing the range of pagodas.

ふゆひさす たうんたまんこや てこぎぶね

▼ アマラプラのタウンタマン湖に行った。タウンタマン湖には、渡し舟として使われている独特の形をした手漕ぎ舟がある。水鳥を模したと思われる舟形で、舟首と舟尾がカラフルに塗装され、目玉が描かれている。長い二本の櫂(かい)を器用に操って進む。 舟頭は立ったまま漕ぎ、乗客は座席に座る。

冬日射すタウンタマン湖や手漕舟

Winter sunshine,
rowing boats of Toungthaman Lake.

らくだのり どばいさばくの ふゆびおつ

▼ インレー湖はシャン高原にある南北22km、東西12km(乾期には15kmx6km)の細長い湖である。水深は6m、乾期には2mほどの浅い湖で、水草が至る所に繁茂して浮島を形成する風光明媚な観光地である。
 ガーペ僧院の見学を終えて屋外に出ると、日没の時刻になり、美しいインレー湖の夕日を見ることができた。

冬入日湖面を滑る舟一艘

Setting sun,
a boat sliding the surface of the lake.

ふゆいりひ こめんをすべる ふねいっそう

▼ 殿(しんがり)は、ヤンゴンのシングッダヤの丘の上に建てられたミャンマー最大の聖地シュエダグォン・パヤーの見学である。この仏塔の歴史は、今から2500年以上もの昔に遡る。伝説によれば、タポゥタとバッリカという兄弟の商人がインドで仏陀に出会い、8本の聖髪を貰い受け、BC585年にこの地に奉納したのが起源だという。それ以降度重なる拡張工事の末、大小あわせて60余の仏塔が建てられた大寺院に発展した。

冬朝日直立不動のパゴダかな

The sun of winter morning,
the firm pagoda rising straight.

ふゆあさひ ちょくりつふどうの ぱごだかな

 黄金の仏塔は、高さが99.4mあり、基底部の周囲は433mある。使われている金箔の数は、8688枚と云われている。塔の再頂部には、1個76カラットのダイヤモンドをはじめ、合計5451個のダイヤモンドと1383個のルビーのほか翡翠(ひすい)などの宝石が散りばめられているという。

「ミャンマー感動の旅」
 
 
2012.02.11-17 撮影・原作:宮嶋 茂 監修:和田義男

********

黄金の輝きを放つ仏塔 19:25

大勢の巡礼客で賑わうゴールデン・ロック

大勢の巡礼客で賑わうゴールデン・ロック

拡大写真(2400x1600)752KB

安らぎを与えてくれるシュエターリャウン寝仏  14:48

安らぎを与えてくれるシュエターリャウン寝仏 14:48

拡大写真(2400x1800)791KB

絢爛豪華な王朝舞踊 19:32

絢爛豪華な王朝舞踊 19:32

拡大写真(2000x1560)801KB

幼い托鉢僧 09:39

幼い托鉢僧 09:39

拡大写真(2400x1800)817KB

原野に広がるバガン遺跡/参

原野に広がるバガン遺跡/参

拡大写真(2400x1450)604KB

バガンの落日/壱 〜太陽の輝き〜 17:26

バガンの落日/壱 〜太陽の輝き〜 17:26

拡大写真(2600x1300)161KB

客を待つ渡し舟/タウンタマン湖 11:06

客を待つ渡し舟/タウンタマン湖 11:06

拡大写真(2400x1350)604KB

インレー湖遊覧/拾四 〜夕焼/ガーペー僧院〜 17:34

インレー湖遊覧/拾四 〜夕焼/ガーペー僧院〜 17:34

拡大写真(2400x1800)588KB

朝日に輝く黄金塔/シュエダグォン・パヤー 2012.02.17 09:27 

朝日に輝く黄金塔/シュエダグォン・パヤー 2012.02.17 09:27 

拡大写真(2600x1800)631KB

第34集 第35集 第36集 俳句「海の風景」目次 北舟の英訳写真俳句「白褌」 褌の俳句 海の俳句100選

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2012年7月7(土)曇 写真俳句のさきがけ 写真に俳句をつけて発表したのは、私が最初。現在、写真俳句として流行っている。作家の森村誠一が自分がはじめたのだと放言しているが、有名になると恥知らずになってしまうものなのだろうか。

 この句集をご覧頂ければ、私が何年も早くはじめていることが分かる。北舟は和田義男の俳号。北海道の稚内で単身赴任しているときに俳句をはじめ、日本最北端の舟・北舟と名乗ることにした。

東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句

東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。

東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。

おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 俳人協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

特集!旅紀行(海外写真集)   世界の名城 感動写真集
旅紀行ジャパン   奉納相撲   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花
  wadapho.jp 内検索  

ログイン時刻

 

 

 

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

リンク フリー のサイトです。 リンクの際は ご一報いただき、リンク用バナー お使い下さい。
写真を個人で楽しむのは 自由ですがホームページや商用等に使用する際は ご連絡下さい。
 Copyright (C) 2000-2015Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール