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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年8月13日改訂

♪秋の野 TAM Music Factory

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2005年8月12日作成

五稜郭の三角防塁

五稜郭の三角防塁(北海道函館市)

函館初夏の旅

五稜

 

谷地頭やちがしら

温泉
   函館は、湯の川温泉だけでなく、市内でも温泉が湧く。温泉とサウナ付きの銭湯があちこちにあり、料金は350〜370円と普通の銭湯と同じ料金で、時間制限はない。函館山の麓にある市営・谷地頭温泉は360円で入浴できる。毎日2時間ほど銭湯で楽しむ市民も多いという。そのためか、函館の人は艶やかな肌の人が多い。
 

 

五稜郭ごりょうかく

公園
   立待岬に歩いて15分ほどで行ける函館山東部山麓の谷地頭(やちがしら)から湯の川行きの市電に乗り、函館駅前を通り過ぎて五稜郭公園前で下車。徒歩10分で五稜郭公園に着く。昼食後、五稜郭タワーに登った。
 五稜郭は、江戸末期の蘭学者・武田斐三郎(たけだ・あやさぶろう)の設計による日本最初の西洋式城郭。大砲を設置するための稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの突角を配し、星形の五角形を呈する外観からその名が付いた。

建造当初の五稜郭(五稜郭タワー)

マウスカーソル(ポインタ)を画像にあわせると物標名が表示されます。

建造当初の五稜郭(五稜郭タワー)

拡大写真(1400x790)127KB

 

特別史跡 

五稜郭ごりょうかく

 五稜郭は、五つの方向に伸びた稜堡から敵に十字砲火を浴びせることができ、どの方向からも死角のない近代銃撃戦の理想的な要塞として考案されたものという。  五稜郭タワー

五稜郭跡の全貌(五稜郭タワー展望台)

広角パノラマ撮影のため、画像はデフォルムされており、三角防塁の石垣は、実際は直線です。

五稜郭跡の全貌(五稜郭タワー展望台)

パノラマ写真(2000x900)492KB

 五稜郭は、7年の歳月をかけて元治元年(1864)竣工し、慶応4年(1868)4月に大政奉還を経て明治政府に引き継がれるまで、蝦夷地の中心として重要な役割を果たした。
   明治元年(1868)10月、榎本武揚(えのもと・たけあき)率いる旧幕府脱走軍により占拠され、箱館戦争の舞台となった後は、役所としての機能を失い、関係施設も大半が解体された。

三角防塁

三角防塁

拡大写真(1400x1050)378KB

 大正3年(1914)から「五稜郭公園」として一般公開され、昭和27年(1952)には「五稜郭跡」の名称で国から特別史跡の指定を受けた。三角防塁そばの一の橋と二の橋は、以前は赤い太鼓橋であったが、昭和60年(1985)代に、五稜郭開城当時の木製の橋に復元されたという。

一の橋の托鉢僧

一の橋の托鉢僧

拡大写真(1400x1050)378KB

  夏草や僧の托鉢五稜郭   北舟 
 

土方歳三ひじかたとしぞう

の銅像
   函館で最も人気のある人物は、箱館戦争で散ったイケメンの土方歳三である。五稜郭タワーの展望台に函館出身の彫刻家・小寺真知子による土方歳三之像が置かれている。  「土方歳三」フリー百科

土方歳三の銅像

拡大写真(1130x1400)242KB

 五稜郭は、明治元年(1868)榎本武揚らが官軍に破れた箱館戦争の舞台となったことで知られるようになった。現在は、花見時期の1,600本を超える桜の花が美しい五稜郭公園として、市民や観光客に親しまれている。
  土方の斃れし夏の星の城   北舟 

タンポポの咲く土手

タンポポの咲く土手

拡大写真(1200x900)440KB

 

新しい五稜郭タワー

 現在、新しい五稜郭タワーが現タワーの隣接地に建設中で、平成18年(2006)3月竣工、4月1日オープン予定。新タワーは現在の高さ60mから98mとなり、高さ90mに2層の展望台ができ、現在の200人収容から1000人以上の収容が可能となるという。  五稜郭タワー 

五稜郭タワー展望台より函館市街を臨む

五稜郭タワー展望台より函館市街を臨む

拡大写真(1400x900)309KB

北海道・早春の湖 ラベンダーの里 北海道冬の旅 

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