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 旅紀行ジャパン

2003年8月20日改訂
BGM

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高野山金剛峯寺

2002年9月29日制作

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奥の院出口(中の橋)

奥の院出口(中の橋)

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昼なお暗き奥の院参道

 奥の院

 バスは、高野山町を西から東に縦断し、20分ほどで町の東端にある終点・奥の院に到着した。降りたところは中の橋駐車場のそばで、奥の院の出口に当たる。入口は一つ前の一の橋であるが、駐車場の関係もあり、ここから奥の院に参拝する人が多い。

奥の院

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 全国から行脚してきた遍路が金剛杖(こんごうづえ)をしっかりと握りしめ、次々に到着する。ここから奥の院参道に入る。
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阪神淡路大震災物故者慰霊碑

阪神淡路大震災物故者慰霊碑

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奥の院参道

 一の橋から東に向かい、中の橋を経て御廟までの約2kmの石畳の道が奥の院参道である。
 昼なお暗き巨大な杉並木の道の両側には、20万基を越えるあらゆる時代のあらゆる人の墓碑が建てられている。日本最大の墓石群だという。

祈り

祈り

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 間もなく、阪神淡路大震災の慰霊碑を見つけた。遍路の一団が手を合わせている光景に心を打たれた。
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巨木の森

巨木の森

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 千年杉のそばを遍路が行く。悠久の時を刻んだ巨大な杉の木を見ていると、人の命がいかに短く小さな存在であるかを思い知らされる。

芭蕉句碑

芭蕉句碑

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 「父母(ちちはは)のしきりに恋し雉(きじ)の声」という芭蕉の句碑があった。杉木立にこだまする哀切な雉の鳴き声を聴いていると、今は亡き父母がしきりと恋い慕われると芭蕉は詠んだ。
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織田信長墓所

織田信長墓所

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 芭蕉(1644-1694)は行基(668-749)の「山鳥のほろほろと鳴く声聞かば父かとぞ思う母かとぞ思う」を踏まえてこの句を詠んだという。

大師信仰

 奥の院は大師信仰の中心霊域で、壇上伽藍とともに高野山の二大聖地である。弘法大師の眠る霊廟である御廟(ごびょう)をはじめ、燈籠堂(とうろうどう)、御供所(ごくしょ)、御廟橋、水向(みずむけ)地蔵等があり、有名な玉川(たまがわ)の清流が参拝者の心を浄めてくれる。
 人々は参道の両側に延々と続く墓碑を確認し、思い思いに手を合わせながら、東の御廟に向かう。
 説明によると、弘法大師のそばで永眠したいという人々の願いからこのような空間が生まれたという。墓石や墓碑は、歴代天皇から庶民まで、敵味方、身分、性別、宗派などの区別は一切ない。
 高野山への納骨や建碑は鎌倉時代から続いているという。現在の墓石群の中核をなすのは江戸時代の諸大名の五輪塔で、上杉謙信、武田信玄、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康など戦国時代のライバルたちが肩を並べている。弘法大師の前では全ての人が平等に扱われている。
 本能寺の変で遺体すら発見されなかった信長の墓には白百合の花が手向けられており、現代人の人気が高い。参道から一段上がったところにあるので見逃し勝ちだ。
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御供所

御供所

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 御供所(ごくしょ)と呼ばれるお堂では、現在も御廟に住む大師に毎日進上される生身供(しょうじんく)と呼ばれる食事を支度する。温かいご飯とお汁、季節の野菜を使った御膳が1日2回、御廟と向き合う燈籠堂に運ばれる。

納経所

 御供所(ごくしょ)は、納経所(のうきょうしょ)を兼ねている。四国88ヶ所巡りや西国33ヶ所巡りなどを完了した遍路は、最後のゴールとして高野山に登り、納経帳(のうきょうちょう)納経軸(掛け軸)・白衣に総本山の朱印や揮毫(きごう)を受ける。

納経所

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 元気のある人は生涯遍路を繰り返し、納経帳は朱印で真っ赤になるという。掛け軸や白衣は勲章となり、貴重な進物となる。
 奥の院の納経所では、すぐそばの水向地蔵(みずむけじぞう)に参るために経木(きょうぎ)を申し込む人も多い。この日は臨時にテントを張って窓口を増やしていた。
納経帳 納経軸(掛け軸) C?

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納経軸(掛け軸)  (1024x768) 121KB

経木  (1024x768) 169KB

遍路のこと

南無大師遍照金剛 「遍照金剛(へんじょうこんごう)」とは弘法大師が唐の国へ留学した時に恵果和尚(けいかわじょう)から授与された称号(宝号)で、「南無(なむ)」とは「あゝ」と感嘆する言葉。これを続けると「あゝありがたい弘法大師様」という意味になる。遍路はこれを唱えながらお札所(おふだしょ)を巡る。持ち物に同行二人(どうぎょうににん)と書くが、常に弘法大師とともにあるという意味だ。
金剛杖 一日の巡礼を終えて宿に着くと真っ先に金剛杖(こんごうづえ)を洗い、きれいに拭いて今日の感謝と明日の無事を祈り、床の間に安置する。杖は大日如来をあらわす五輪塔の形をしている。五輪塔はすなわち大日如来、つまり弘法大師のこと。手で触れることのできる弘法大師に守られて、遍路は札所を巡っていく。 遍路結願(へんろけちがん お寺をすべて打ち終えること)の八十八番大窪寺には、長い遍路を共にした金剛杖がたくさん奉納されている。
納経札 数年前に高松の屋島寺で出会った遍路は、80回目の巡礼で体力のある限り死ぬまで続けるといわれ、その熱意に感銘を受けた。巡礼の際、紙製の納経札(のうきょうふだ)納札 おさめふだをお札所に納めるが、色分けがあり、回数が増えるにつれて白から青、赤、銀、金となってゆき、100回以上は錦札となる。回数は本人が納経札に書く。回数の多い納経札には御利益ごりやく)があるのか、札入れ(箱)から回数の多い札を探し出して持って帰る遍路もいる。この行為には賛否両論があるようだ。見ていた私も勧められたが辞退した。
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