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 旅紀行ジャパン

2003年11月7日改訂

♪満天の星の下で TAM Music Factory

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2003年11月5日作成

男体山

男体山(奥日光)


 華厳滝を満喫した後、中禅寺温泉ロープウェーで茶ノ木平(ちゃのきだいら)の展望台に行こうとしたが、ロープウェーの解体工事が行われており、廃止されたようだった。そこで、西方に10分ほど歩いて遊覧船のりばに行き、約1時間の船旅を楽しんだ。

中禅寺湖畔

中禅寺湖畔

拡大写真(1200x900)304KB 【E-1 82mm/28-108mm  F6.3 1/320秒 ISO100】

中禅寺湖ちゅうぜんじこ

 中禅寺湖は、栃木県日光市の西部、男体山(なんたいさん 二荒山)の南に位置する。湖面標高1,269m、面積は11.5km2で、標高1,000m以上の湖としては日本最大。東西6km、南北2km、最大深度163m、周囲の長さ21km。男体山から噴出した溶岩によって大谷(だいや)川がせき止められてできた堰止湖である。
 湖水は華厳滝となって落下する大谷川の表面排水のほか、華厳滝の滝壁から湧き出す十二滝や白雲滝などの地下排水を通して下流に流れ出る。湖尻に設置されている栃木県営の中禅寺ダムは湖水位を最大2m調節できるため、華厳滝の落水量や下流の発電所への流入水量を調整している。
 湖水の透明度は夏に大きく、1年を通しておよそ8〜10mの間を変化する。日光国立公園の中核となっており、湖畔は華厳滝とともに国の名勝に指定され、国際的観光地として知られる。

中禅寺湖

拡大写真(1200x900)238KB 【E-1 100mm/100-400mm  F5.0 1/400秒 ISO100】

男体山なんたいさん

 標高2,484mの男体山は勝道上人(しょうどうしょうにん)が開いた山岳信仰の霊場であり、山頂に二荒山(ふたらさん)神社の奥宮、中禅寺湖北東岸の中宮祠(ちゆうぐうし)に中宮、日光市街に本社がある。現在のいろは坂上り口から上は女人の登山を禁止し、〈峰禅頂(みねぜんじょう)〉の僧が湖の東岸・歌ヶ浜などを拠点として修行した。
 さらに近世には一般の人が参加する〈男体禅頂〉〈船禅頂(ふなぜんじょう)〉も講の形で行われた。船禅頂は、浜禅頂または補陀落(ふだらく)禅頂ともいわれ、湖上に船をこぎ出し、歌ヶ浜(うたがはま)、上野島(こうずけじま)、千手ヶ浜(せんじゅがはま)などの諸堂、霊所を順拝する修行である。

男体山

パノラマ写真(2000x770)209KB 【E-1 28mm/28-108mm  F8.0 1/320秒 ISO100 連続写真2枚 】

 中禅寺湖は、優れた湖畔の景観に加えて、8月の平均気温が18℃と避暑地として絶好の条件を備えていることから外国人が数多く来訪するようになり、明治20年代には湖畔に外国人の別荘が建てられた。
 もともと中禅寺湖は神聖な湖とされ、その魚を食べることは禁じられていたが、現在では年間200万尾の鱒(ます)が放流され、付近の渓流や湯ノ湖とともに鱒釣りの名所として知られる。また、かつての船禅頂に代わって、夏季には定期遊覧船が就航し、湖上の名所を巡回している。

西方の白根山系

西方の白根山系

パノラマ写真(2600x720)268KB 【E-1 100mm/50-200mm  F5.6 1/500秒 ISO100 連続写真3枚 】

紅葉の名所・

八丁出島はっちょうでじま

紅葉の名所・八丁出島

拡大写真(1200x900)236KB 【E-1 100mm/100-400mm F4.5 1/320秒 ISO100】

 あらたふと木の下闇も日の光  芭蕉

あらとうと きのしたやみも ひのひかり

 芭蕉は、46歳の元禄2年(1689)3月27日(旧暦)、曾良を伴い奥の細道の旅に出た。同年4月1日(旧暦)日光を訪問。この句は日光街道から東照宮を見て詠んだ句といわれ、(日光山は)何と尊いことだろう!木の下の闇まで日の光が射している。(これは、東照宮さまのおかげだ。)という意味で、芭蕉の徳川家康への過度の賞賛がしばしば非難された句だという。 松尾芭蕉「あらたふと」発句懐紙
 芭蕉は、推敲を重ねたあと、「あらたうと青葉若葉の日の光」を完成句とした。翌日、浦見滝(うらみのたき)で「暫時は瀧に籠るや夏の初」の句を詠んだ(前出)。

晩秋の紅葉

晩秋の紅葉

拡大写真(1200x900)320KB 【E-1 124mm/100-400mm F3.5 1/200秒 ISO100】

枯木と紅葉

枯木と紅葉

拡大写真(1200x900)203KB 【E-1 100mm/100-400mm  F4.0 1/250秒 ISO100】

上野島こうずけじま

 中禅寺湖に唯一浮かぶ小さな島が上野島である。島の中央の石塔は、日光の開祖・勝道上人(しょうどうしょうにん)の墓で、上人の分骨が祀られているという。

勝道上人の墓のひとつがあると伝えられている上野島(こうずけじま)

拡大写真(1200x900)215KB 【E-1 76mm/28-108mm  F5.6 1/250秒 ISO100】

日光富士にっこうふじ

 男体山は、この位置から眺めるのが最も富士山に似ていて美しいという。日光富士と呼ばれる所以である。

 日光富士

拡大写真(1600x630)127KB 【E-1 28mm/28-108mm  F9.0 1/320秒 ISO100】

  剃り捨てて黒髪山に衣更  曽良

そりすてて くろかみやまに ころもがえ

 曽良(そら)は、芭蕉のお供として、黒髪を剃り捨てて墨染めの衣で行脚(あんぎゃ)の旅に出たが、日光でこの句を残した。「おりしも4月1日の衣更えの日をこの黒髪山(男体山)で迎えることになったとは。」と詠んだ。江戸時代には旧暦4月1日と10月1日に夏と冬の衣更えを行ったようで、黒髪と黒髪山とをかけている。

日 光

日光

拡大写真(1200x900)253KB 【E-1 100mm/100-400mm  F5.0 1/400秒 ISO100】

中禅寺ちゅうぜんじ

立木観音
 中禅寺湖東岸の歌ヶ浜(うたがはま)にある中禅寺は、延暦3年(784)、日光山の開山・勝道上人によって創建された寺で、世界遺産・日光山 輪王寺(にっこうざん りんのうじ)の別院である。
 本尊は、勝道上人自身が桂の立木を手刻したと伝わる高さ5.4mの千手観音(せんじゅかんのん)で、男体山の本地仏(本来の姿)にあたる。この観音像は、胴体部分に根がついたままの立木の状態で彫られたことから、立木観音(たちきかんのん)とも呼ばれる。
 また、中禅寺自体も立木観音(たちきかんのん)と呼ばれて親しまれている。中禅寺湖の名前もこの寺院に由来している。
  もともとは二荒山(ふたらさん)神社中宮祠(ちゅうぐうし)と同一の社寺で、明治の神仏分離令以後も中宮祠の隣にあったが、明治35(1902)の豪雨に伴う山崩れで湖に押し流され、建物は崩壊したものの立木観音だけは浮かび上がったので歌ヶ浜に移して祀ったという。
 境内には愛染明王(あいぜんみょうおう)を祀るお堂や大きな桂の木があり、映画「愛染かつら」のロケ地にもなった。(写真上が五大堂、下が観音堂)

中禅寺(五大堂と立木観音堂)

拡大写真(1200x900)291KB 【E-1 134mm/100-400mm  F4.5 1/320秒 ISO100】

菖蒲ヶ浜しょうぶがはま

 菖蒲ヶ浜は、中禅寺湖の北岸・西寄りにあり、戦場ヶ原(せんじょうがはら)の入口である。夏はキャンプ場、冬はスキー場で賑わう。船着場には遊覧船が寄港する。湖上の遊覧船から眺める菖蒲ヶ浜は、人影もなく、暮れゆく晩秋の風情があり、一幅の油絵を見ているようで、何時までも心に残った。

菖蒲が浜

パノラマ写真(1600x1120)224KB 【E-1 152mm/50-200mm  F5.6 1/640秒 ISO100】

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