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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2010年11月28日改訂

今 日

昨 日

♪Medley6 /West Side Story - I left my heart in SanFrancisco

春川の久遠の流れ摩天楼   北舟

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Skyscrapers, everlasting flow of the spring river.

2008年12月9日制作

パノラマのニューヨーク市街/ESBから東方を臨む

パノラマのニューヨーク市街(アメリカ・ニューヨーク州)

春のアメリカ二人旅

ニューヨーク

ニューヨーク New York

サンフランシスコからニューヨークへ 飛行時間 5時間30分 ニューヨーク時間 09:30 ジョン・エフ・ケネディ(JFK)空港に着陸。昨夜は一睡もできず、頭が重い。ターンテーブルで手荷物を受け取り、椅子にかけて休んだ。
ニューヨークの宿 私はホテルの住所と名前を書いたメモをドライバーに渡した。ドライバーは順にお客を下ろしてゆき、われわれは最後で、12:15に着いた。雨も小降りとなっていた。イタリア料理のレストランの隣には間違いないけれど、うらぶれた通り、うらぶれたレストランの隣で入り口は1枚のガラスの扉があるだけ。ホテルから受け取っていたメールを見ながら、指示のとおりに取り付けられているボタンを押した。すると早口の英語である。応答しないところを考えると、自動応答である。何度押しても通じない。そこへ若い男がやってきて、地下室へと降りていった。しばらくしたら、若い日本人女性が地下から上がってきて、どちら様ですかと尋ねた。それから、キーでドアを開けたので、手荷物を入れた。彼女は地下室が事務所ですから、そこでチェックインしますという。狭い急な汚い階段を10段下りて鉄の扉を開くと、食用油の臭いがした。物置のようなところである。厨房がみえた。また、鉄の扉を鍵であけると小さな部屋があって、事務机一個とソファーが一つあった。
 「ほかの電話に出ていたので留守番電話にしていました」「今村様は昨日の27日に到着されるのではなかったですか」というので、ブッチャー(保証メール)を見せると、どこやらに電話をして、「変更のメールを持っていますよ」としゃべっているので、行き違いがあったことがわかった。そこで4泊分764ドルをトラベラーズ・チェックとキャッシュで支払った。カードだと15ドル上乗せという。荷物はポーターに運ばせる。5ドルだという。お荷物を預かりますが1泊10ドルでシャトルバンを手配する料金は15ドルです。などとお金のことばかりいう。体調が普通の状態だったら、おかしいことを言うなあと感じたと思うが、なにしろ一睡もしていないので、受け答えしただけだった。ポーターは予約制だというけれども、それじゃ困るので、アンタが手伝ってくれと、強引にポーターの代役をさせて、5ドルチップを上げた。カミはさんは、この応対に対して相当に怒り、帰国後も腹の虫が収まりそうにない。ホテルのキャッチフレーズに『日本語が話せます』なんて、ブログに書いておきながら、留守電は英語、用事があったら、この電話でお願いしますという電話は有料の赤電話、かけたら出るけど英語の留守電で、別のところに電話してくれという、こんな誠意のない対応じゃアタマにくるのも当たり前だ。

ニューヨークの衛星画像

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

ニューヨークの衛星画像

拡大写真(1350x1800)850KB 拡大写真:フリー百科事典 Wikipedia
 私は断続的に居眠りをした。夕方左足が吊った。カミさんが抑えてくれ、ほどなく収まったので、周辺を散歩した。地下鉄の駅まで150メートルしかない。ここは便利なところだ。コンビニがあったので、水や果物を買ってきた。人心地がついたところで部屋を見渡すと、縦3メートル横2.7メートル高さ3メートルと狭い、両側に幅90センチの木のベッドがあるだけ。畳の部屋なら4畳半という見当である。そんなところに大人のベッド2台を入れているということになる。右側はレンガの壁がむき出しである。床は板。山小屋以下だなと顔を見合わせた。これが1泊191ドルなのである。ニューヨークは物価が高いと聞いていたので仕方がないと思っていた。専用のバスはあったが、いったん廊下に出て、キッチンの前を通り過ぎると専用の浴室があるのである。風呂に入り脚をもみほぐして寝た。カミさんはネットで写真を見て予約したのに、写真と全く違うと、かなり興奮して寝付かれず、誘眠剤をいつもの2倍飲んだそうである。午前2時半、「イタイ イタイ」の悲鳴で飛び起きた。今度はカミさんの脚が吊ったのだ。指先を反らせ、すぐ収まったので湿布薬を貼っておいたが、翌朝、本人はこの事実を否定した。しかし、湿布薬が証拠である。それでも、なかなか納得できなかったようだ。
 4月28日は結婚記念日、しかも今年は金婚式の年にあたる。丁度旅行の日に重なるので、繰り上げて、カミさんの古希の祝いを兼ねて、成田のホテルで子供や孫を集めてお祝いを済ませていたのである。そうかといっても、やはり、こんな目にあうと愚痴のひとつもこぼしたくなるものだ。最悪の結婚記念日!願わくば、これを境に良いことが続きますように!

エンパイア・ステート・ビルディング(奥はクライスラー・ビル)

エンパイア・ステート・ビルディング(奥はクライスラー・ビル)

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エンパイア・ステート・ビルディング Empire State Building   ESB

 国連ビル、グラウンド・ゼロ、エンパイア・ステート・ビルディングなどはどうかなあと考えたあげく、一番に高いところから眺めて、土地勘を養えるエンパイア・ステート・ビルディングに行くことにした。バス停を探してウロウロするより歩こうということになり、8番街から5番街まで42丁目通りを東へ、33丁目まで南である。2キロ弱である。ビルの入り口は、なんの変哲もないが歩道に人が並べるように囲いのロープが張ってある。とにかく、高層ビルだらけで、いくら首を曲げて上をみても、ビルの壁が空に伸びているだけ。実に空が狭い。歩道にロープを張ってあるものの人はいない。しかし、ビルの中に入るとコンクリート剥き出しのホールがあって、大勢の人がいたので、わけはわからないが並んで待った。

エンパイア・ステート・ビルディングから南を臨む

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 少しずつ進んで、仕分けされて階段を上ると、ボディチェックされ、チケット売り場へと進む。パスポートが必要。シニア料金は17ドル。そして、豪華なロープを張り巡らした待合室、といっても並ぶところだが、折り重なってすすむ感じである。それから、2,30人ずつ更に上の階に進み、エレベーターホールへの待合室に至る。そこは天井が低く、天井板がなく、配線等が剥き出しの殺風景の広い部屋である。ここのロープはお粗末であった。ここで、展望を終えた人たちがエレベーターで降りてきた員数だけ 展望台へのエレベーターに乗せるのである。だから、展望台の定員が常に一定数以下に保持されるよう、ここでコントロールしているのであろう。
 1時間以上待って86階の展望台に上がると、そこは丸い展望ホールであるが、座る椅子はない。床に座りこんでいると、すぐに警備員がやってきて、立つか降りるか誘導するのである。お客の回転第1である。ホールは全面ガラスであるから、雨風が強いときは、ホール内から展望するのだろう。朝は雨模様だったが、晴れ上がって、カミさんは「私は晴れ女だから」と何度も威張っていた。ドアから外の回廊にでる。風は強い。自殺予防の金網がある。カメラを金網の外に出して撮影できる程度の目の粗さである。びっしり人が張り付いているので、人の流れで押し出されるように前に出て、回廊を一回転した。混雑しているので、余韻を楽しむ余裕はない。それでも、南西に自由の女神があり、グラウンド・ゼロ地点を教えてもらい、西のハドソン川が青いことを確かめ、北のセントラルパークの一部を見ることができた。

パノラマのニューヨーク市街/ESBから東方を臨む

パノラマのニューヨーク市街/ESBから東方を臨む

パノラマ写真(2000x1000)486KB

  春川の久遠の流れ摩天楼  北舟 

はるかわの くおんのながれ まてんろう

Skyscrapers, everlasting flow of the spring river.
 日本でも高層化が進み、格別感激するほどのことはなかったが、ここからはほとんど緑が見えない。市中を見る限りたくさんの街路樹があるけれども、見渡す限りコンクリートかレンガ色ばかりである。これは、一つ一つのビルが数十階、低くても数十メートルの高さがあって、ビルの谷間ではどんな大木も見えないはずである。マンハッタン島の南部は金融街で盛り上がり、中央部はロックフェラー・シティやタイムズ・スクェアで盛り上がり、北の方はなだらかである。ただし、これは土地の高度ではなく、ビルディングの山の盛り上がりを表現しているのである。雨上がりで若干靄があったし、強烈な西日で、それに見合った撮影をしなかったので、撮影は不出来だった。自由の女神像はいくら望遠にしてもきれいに撮影できなかった。広大なセントラル・パークもビルの間に一部分が見えただけだった。

ワールドトレードセンターの跡地 グラウンド・ゼロ

ワールドトレードセンターの跡地 グラウンド・ゼロ

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グラウンド・ゼロからタイムズ・スクェアまで 次に、グラウンド・ゼロを目指して、バスMapを広げると、「1」番バスであれば、乗り換えなしで行けそうである。グラウンド・ゼロとはテロ攻撃で倒壊したWorld Trade Center のツイン・タワーの跡地である。地下鉄のほうが早く行けるが、バスは街を眺めることができるのである。いい気持ちで乗っていたら終点とのこと。どうも様子が違うのである。日本人町みたいだ。漢字で店の名前がでているし、ゴミゴミしていて店が開けっぴろげであり、アメリカ的ではない。聞いてみるとイース・ビレッジであった。改めてガイドブックを開くと、東海岸というかイースト・リバーが近くにある。アンダーグラウンド的な雰囲気で、ライブハウスや古着屋が多いとか日系レストランや日系スーパーなのが集中しているとのこと。歩いた感じでは、雑多な商店が立ち並んでいるので、台湾やマレーシアの市場を連想した。(東南アジアでは台湾とインドネシアしか知らないので)スーパーではなくコンビニだろう。昔の日本の場末を連想させる。1番バスには、イースト・ビレッジ行きとサウス・フェリー行きとがあり、この日はサウス・フェリー行きは運行しない日だった。こういうことはMapではなく、説明欄に書いてあることで、帰国後に読んで理解した次第。
 北には、ハーレム、スパニッシュ・ハーレム、南には世界一のチャイナタウン、リトル・イタリーがある。わがホテルはリトル・イタリーの一角にある。欧米系人種は、ここかしこで郊外へ駆逐されているようだ。ここで買った弁当を下げて、バスを探し、15番で最南端のSouth Ferryへ行った。ここでは、大型フェリー4隻がひっきりなしにスタッテン島と往復していた。地下鉄1,2,3,4,5,6号線から絶え間なく人が流れ出し、フェリーからも15分おきにどっと人が流れ出していた。大きな待合室ではあるが、椅子は隅っこにいくつかあるだけで、あとは人が流れているのである。待合室ドアの外の縁石に腰を下ろして弁当をつかい、あたりを散歩した。南西の海上に自由の女神像が聳えるリバティ島とその北にエリス島が見えた。ハドソン河口、北ニューヨーク湾の平べったい小さい島で、建物はみえない。距離はないのに、靄と逆光でよく見えなかった。フェリーのビルディングの隣はバッテリー、旧兵舎である。昔はこうした港には砦や兵舎があり、今でも地名として残っている。南はStaten島、大きな島である。東はイースト川、地下鉄が海底トンネル4本でブルックリン地区と結んでいる。少し上流に大吊橋のブリックリン橋が威容を見せていた。ここは有料の橋。地図では各地区間の航路がたくさん書き込んであるが、時間帯が違うのか、あまり船舶交通は見受けなかった。警官が数人警戒に当たっていた。グラウンド・ゼロへの道を聞くと、指差して歩いて5分だと教えてくれた。

2001年9月11日の9.11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)によって崩壊したワールドトレードセンターのツインタワー

2001年9月11日の9.11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)によって崩壊したワールドトレードセンターのツインタワー

拡大写真:フリー百科事典 Wikipedia
 さて、相当歩いても一向にグラウンド・ゼロは現れない。ぐったりなったカミさんを待ちながら歩いて、やっと着いた。金網に囲まれて中は見えない。一部を残し再建中らしい。近くの地下鉄の駅まで歩き、タイムズ・スクェアまで北上し、ニューヨーク一番の賑わいを見物して帰ることにした。確かに人通りも多いし、ネオンサインも華やかであるが、何しろ暗い、そう感じる。やはり道路の幅が大きいので、電気の光線では限界があるのである。ヨーロッパでは人通りが少なくても、どのビルにも明るい華やかなファッション・ウインドウが続き、歩道から見えるので、いくら寒くても楽しい。ニューヨークに限らず、ロスもシスコもそんなところはなかった。レンガか何か投げつけられてガラスを割られるのだろうか。今では、警官ばかりで夜歩きは心配ないようだ。とにかく、殺風景。人通りはおのぼりさんだろう。あてもなくさまよっているようだ。大劇場だって入り口は目立たない。しかし、中にはいれば華やからしい。ということで、市中散策には適しないというのが結論。

フリーダム・タワーを中心とした新ワールドトレードセンターの建設現場

フリーダム・タワーを中心とした新ワールドトレードセンターの建設現場

拡大写真(1600x1200)324KB
 ケンタッキー・チキンで買い物して、地下鉄4番でブリーカー駅へ。午後10時帰宅。地下鉄の交通は慣れれば便利、それに危険性など全くない。ニューヨークの町は、どこにも警官が大勢いて安心である。部屋にはいると、ベッドにメモがあり「鍵は入り口ホールの壁に取り付けた白いBOXの中へ投げ入れてください」とあり、さらに荷物の預かり料金を1夜10ドルといいましたが、間違いで一人10ドルなので、40ドル支払ってください、と書き添えられていた。これにはカッときた。『隙間風が入って寒い。布団が破れ汚れている。ベッドが寝返りするたびキシむ。テーブルの脚がグラグラ。テレビの配線が部屋にぶら下がっている。テレビのリモコンがダメ。荷物の預かり料のポリシーが不明瞭につき20ドルしか払わない。』と書いておいた。がっくりして風呂にはいる元気もない。

夜の タイムズ・スクウェア Times Square Times Square

夜のタイムズ・スクウェア

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ハドソン川  Hudson River

ハドソン川巡航 店をでて、海岸線に行くと一帯は公園として美しく整備されて、紙切れひとつ落ちていない。北の方向は見える限りベンチが並ぶ護岸公園、バラック・パーク・シティである。住宅とホテルが公園の一部として整備されている。ここからは自由の女神も見える。対岸のハドソン地区の海岸に並ぶビルの形がなんとなく面白い。天気は曇ってきて、川の水は冴えない色だし、ビルも全く輝いていない。杖を突きながら、更に北上したら、海上タクシーの船着場があった。一人12ドルで対岸めぐりができるというので乗船した。かなり多くの写真を撮ったが、どんよりした映像ばかりで、肉眼の印象より数段悪い出来ばえだった。船着場の陸側にはちょっとした公園があり、白いハナミズキが満開だった。その下で幼い子供たちが大勢楽しそうに声をあげ走り回っていた。こういう光景は、ほんとに心を和ませてくれる。こちらの写真は明るくきれいに撮れているのに、船の上から撮った写真はクラーイのである。

ハドソン川の巡航

ハドソン川の巡航

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   20:00ドアを誰かがノックした。マルイという例の女性である。一瞬緊張した。彼女も緊張しているようだった。「お荷物は玄関の柱にチェーンをつけて鍵をかけておきます。鍵は200で開きます」といい、お詫びの一言もなく、さよならの一言もなかった。私も「そうですか」といっただけ。私も何も咎めなかったが、のちのちのため、掘っ立て小屋を証明するための証拠写真を撮影した。抗議したいとも思うし、もう忘れたいとも思うし、という心境である。  
個人旅行もシンドイ こういうことでニューヨーク見物は終わった。北のハーレムのゴスペルも聞きたいと思っていたが、いざ着いてみると、まったくそんな気が失せていたのである。体調が原因だと思う。団体ツアーにガッカリしての個人旅行だったが、これもシンドイ体験だった。個人旅行はオーストラリア、カナダについで3回目である。これまでは、どこででも地元の暖かい人々との交流があり、旅を満喫できたので、今回の落差はひどいものだった。この国には根底に人種問題がある。ニコニコなんかしておられるか!という人々が町に住み、それを嫌がって郊外に逃げるように住んでいる人たちは、そこで楽しく美しく生きていることだろう。そういうハッピーな人々には出会えなくて、残念だった。杖を突いて帰り、旅の記録を書き疲れ果てた。という情けない自分がここにいる。

マンハッタンの都市公園 セントラル・パーク Central Park

セントラル・パーク

 

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撮影・原作:  今村一憲 (いまむら かずのり)
1932年生まれの76歳、 埼玉県所沢在住

趣味趣向:囲碁、絵画冗句(575)横隔

膜運動(カラオケ)、旅行記執筆

(昔の趣味:ゴルフ、登山、マージャンなどのギャンブル、飲酒放吟)

あとがき

 父が転勤族、私もそうであり、沖縄から北海道まで32年間に16回転居し「人生は旅なり」を実感してきました。旅では新しいものに出会い感動があります。リタイア後は年1回の海外旅行と年2回の遠出です。どこへでも夫婦旅行ですが、何でも知りたい体験したいという私とその足を引っ張るカミさんとのコンビも2008年4月には50年の歳月が重なり、金婚式当日はニューヨークで迎えることになりました。

 ツアー団体旅行と違い手作り旅行には悲喜こもごものハプニングが付き物です。感動と悲哀の繰り返しですが、帰国して旅行記の取りまとめになりますと、こうしたデキゴトが旅に彩りを添えるわけで、道に迷ったり、邪険にされたり、詐欺にあったことも得難い経験として苦笑できるようになり、やがて楽しい思い出に変わるのです。

 また、困ったときに出会った親切な人々との束の間も交流などは、大きな感動として残るものです。海外では、言葉が不自由なだけに、見ず知らずの他人に声をかけなければなりません。国内旅行ではまずありえないことです。この地元の人々との後日のメールや手紙のやり取りも楽しみの一つです。

 春のアメリカ二人旅は、その一部始終を随筆「 アメリカ合衆国旅行記 American Funny Trip 」に纏めています。興味のある方はご覧下さい。(随筆名をクリックすれば、別窓にPDFファイルが現れます。)

 今や後期高齢者として分別されてもいじけずに、これからも旅を続け、その感動を受けたいと望んでいます。また、この度は、和田さんの格別のご配慮で感動旅行の仲間にいれていただくことになり、感謝しています。「わが人生に悔いなし」の境地です。 2008.12.9 今村一憲 

★☆★彡

感動写真集第104集/特集!旅紀行第78集  「春のアメリカ二人旅」

撮影・原作:今村一憲  監修 : 和田義男

 平成20年(2008)12月9日 作品:第34作 画像:(大44+小12) 頁数:5 ファイル数:136 ファイル容量:37.9MB
 平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:305 頁数:1,112 ファイル数:37,454 ファイル容量:5,939MB
  暮れなずむダウンタウンの春の燭  北舟 

くれなずむ だうんたうんの はるのしょく

The lingering glow in the evening sky, the spring lights of downtown.

【編集子が選ぶ名作】

ツインピークスから見たサンフランシスコの夜景

ツインピークスから見たサンフランシスコの夜景

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個人旅行 Personal Tour
  インターネットの格安チケットの購入から宿の手配など、全てが手作りで企画された世界で唯一のアメリカ旅行。その顛末が一杯詰まった「春のアメリカ二人旅」は今村御夫妻の汗と涙の結晶である。
 この作品の解説は、44頁に及ぶ「 アメリカ合衆国旅行記 」から写真に関係する部分を抜粋したもので、原作は何倍もの喜怒哀楽が詰まっており、思わず吹き出してしまう名作である。
 

 

和田義男
 若いバックパッカーならこれしきのトラブルは何ともないことだろうが、老夫婦が治安の悪いアメリカのダウンタウンのホテルに連泊し、行き違いや詐欺まがいのトラブルに巻き込まれれば、音を上げてしまうのは誰しも同じで、杖をつきながらも無事に帰国できたことは、とても幸運だったと思う。幾多の困難にもめげず、今後も個人旅行を考えておられるのは、御夫妻が旅の手配や悲喜こもごもの出会いが大好きだということなのだろう。
 私たち夫婦が利用しているパック・ツアーは、添乗員( Tour Director TD )が同行するので、ホテルのダブルブッキングに遭遇しても、責任をもって同格のホテルを探してくれる。我々ツアー客は、文句を言いながら連れて行かれた宿に泊まるだけで済む。お湯が出なければ、日本語で添乗員に電話すればたちどころに解決する。
 これが個人旅行となると、責任は全て自分にふりかかり、不自由な英語をたよりに一夜の宿を探さなくてはならない。事前に送られてきた写真と違った薄汚い部屋に案内されても、別の部屋や宿を要求する会話力はなく、「 ボロ部屋に連れて行かれて泣き寝入り  北舟 」ということになってしまう。(^^;
 この作品のお陰で、旅のロジスティックス(兵站、手配)に忙殺されることなく、名所旧跡を心おきなく観光し、写真撮影に集中できるグループ・ツアーの有り難さを再認識することができた。
 なお、この作品は、今村さんの持ち味を生かすため、旅行記を主体に編集したので、観光スポットの解説に十分でないところがある。それを補うために、見出しを ニューヨーク」のようにフリー百科事典にリンクしているので、詳しい説明はそちらを参照して頂きたい。
  春川の久遠の流れ摩天楼  北舟 

はるかわの くおんのながれ まてんろう

Skyscrapers, everlasting flow of the spring river.

【編集子が選ぶ名作】

パノラマのニューヨーク市街

パノラマのニューヨーク市街

パノラマ写真(2000x1000)486KB

アメリカ音楽 American Music
 アメリカ音楽といえばジャズ( Jazz )だが、BGMには、定番のジャズに加え、オールドデイズ( Old Days )の名曲を集めた。最後の頁では今村御夫妻の金婚記念を祝しニューヨークが舞台のウエストサイド物語( West Side Story )の名曲・トゥナイト( Tonight )と、想い出のサンフランシスコ( I left my heart in San Francisco )のメドレーをアップした。ごゆるりと楽しんで頂ければ幸甚である。 〈 完 〉 平成20年(2008)12月9日  監修 和田義男

読者からのお便り

2008年12月10日(水)晴  小池淳二  様より  感動写真集/小池淳二

Re: 「春のアメリカ二人旅」完成! こんにちは。昨晩から「春のアメリカ二人旅」を見て、読んでおります。昨日はフォトギャラリーのページの切り替えが順調にいかない場面もありました。今村さんご夫婦の悪戦苦闘振りがわが身のように感じられ、若干疲れました。私も最近脚の筋肉がつることがあり、先日の神戸裏山のハイキングでも最後は脚をもんで切り抜けました。でも、これ以上の金婚式は無いのではとも思いました。ご夫婦のご健勝を祈っております。
 
こんにちは。お便り有り難うございました。早々に今村さんの力作「春のアメリカ二人旅」をご覧いただき、光栄です。昨夜は、レンタルサーバー会社のトラブルで、私のサイトだけでなく、その会社のサイトへも接続できないなど、ご迷惑をおかけしました。アクセスが6000件ほどに減っているのは、そのためです。今日は何とか復帰したようですが、ときどき繋がりにくくなるようです。

今村さんの作品は、これまでとは違って、写真の解説というより、原作の長編旅行記を切り貼りしたものです。そのため、解説は2〜3行という私の編集方針に反していますが、今村さんの個性を生かすことを最優先に編集させていただきました。

高齢になると、いくら気力体力に自信があっても、足の痙攣など、思わぬアクシデントに遭遇するようですね。元気であっても、旅行は余裕を持った日程にしないといけませんね。有り難うございました。
2008年12月11日(木)晴  今村一憲    様より  感動写真集/今村一憲

春のアメリカ二人旅の反響

1.昨夜メルトモにBCCとして、次のようなお知らせをしたら、今朝までに次の反応がありました。自慢というより、貴兄の偉業をもっともっと多くの人々に紹介したいということです。

『各位(BCC) 師走も明日から中旬です。小生は一年365日何も変わりませんが、皆さんお変わりございませんか。4月から5月にかけて、「ニューヨークで金婚式」としゃれて、23日間の手作り個人旅行をしましたが、このほど、日本一のデジタル映像サイト「wadaphoto」に採用され、『春のアメリカ二人旅』という写真アルバムが公開されました。このサイトはデジタル写真家和田義男さんが主宰されているわが国最大の写真ブログです。

来年早々にはブログ来訪者1千万人を記録する予想で、その記念パーティが盛大に開催されると聞いています。つたない私の写真が、氏の監修により素晴らしい映像となり、アメリカン・ミュージックのBGMとともに、視覚と聴覚を刺激するようになっています。ぜひ一度ご覧頂きますようご紹介申し上げます。下記をクリックしてください。 http://wadaphoto.jp/kikou/america1.htm 』

2.今朝までの返信

(1) 五期 元大学校長 N.氏

師も走る候となりました。音沙汰がないと思っていましたが大変な企画が進んでいたのですね。和田さんの活躍ぶりは聞いておりましたがレベルが違う世界です。あらためて驚いております。ゆっくり拝見させていただきます。いいお年をお迎えください。                                 

(2) 一期 I.氏 いずみ書房店主 八王子在住。小生の随筆を編集製本してくれています。

先月27日付けの「椿峰通信」ブログから音無しで如何が過ごしているか? マタマタ夫婦二人旅行かとも思っておりましたが、「wadaphoto」に向いていたようですね。「和田義男」なる人物のことは噂には聞いておりましたが、凄い手腕家ですね。「いづみ書房」も畳まなければのショックを受けました。精々頑張って下さい。

(3) 高校同窓・俳人、カラオケ同人  元住友重機社長 大泉学園在住 K. H.氏

今村さん 素晴らしいです。いい記念となりましたね。羨ましいです。奥さんへの最大の孝行が出来、よかったですね。今後も奥様を大事にしてあげて下さい。

(4) 一期 K. Y.氏

23日間の冒険旅行、一気に読み且つ魅せていただきました。余生?を悠々と楽しんでいるご様子、感心いたしております。お陰で、和田さん主宰のホームページを知り、学生の頃図書館でアメリカの大衆雑誌 LIFE を胸をときめかせながら読んだ頃を想い出しました。有り難う存じました。

(5) 高校同窓・旅の達人、旅同人誌主宰 調布市在住 カラオケ同人 H. K.氏

「どげんしよんろ」の編集作業を中断し眠気さましに貴兄のメールをみて、「wadaphoto」にアクセスして驚きました。いっぺんに眠気は吹っ飛びました。貴兄のアメリカ旅行記が軽やかなセンチメンタルジャーニーのメロディーにのってすばらしい画像に変身して流れてくる様に圧倒されました。 素晴らしい!良かったですね。おめでとうございます。

(6) 高校同窓・元デジタル映像技術者、現在新潟で療養中  S. S.氏

「このたび小生の旅日記が...」を拝見しました。凄いの一語!!です。以前に旅行記を伺って感動して色々と拝見したのですが、その時とは別の感動で、新たに改めて全く別物の手記と写真集と言う形で、拝見する事が出来ました。知っている筈の写真なのに、全く衣装を変えた形で美しい写真として登場していました、結婚式のお色直しの様な感じです。こんな事を言うと今村一憲さんには大変失礼ですが、著名なベテランの編集者が手を加えると様変わりするモノなのですネ。

改めて新鮮になった今村一憲さんの旅日記に、驚嘆しております。凄い!、凄い!、を連発しております。和田義男さんのブログは有名で以前から良く覗いておりましたが、今村一憲さんとは先輩後輩のご縁があるとは初めて気が付きました。あんな、こんな著名なブログに今村一憲さんが登場するとは、今村一憲さんご本人も、一躍天下に知られた(著名人)の仲間入りですネ。オメデトウございます。ウーン、唸って写真を眺め、手記を改めて読ませて頂いております。凄い!、ウーンの連発です。

今村一憲 Kazunori Imamura
imamurakazunori@amber.plala.or.jp
http://tsubakimine75.spaces.live.com/
 
おはようございます。長文のお便り、有り難うございました。名作「春のアメリカ二人旅」の大反響、大変嬉しく、これほど多くの方に喜んで頂けるとは望外のことで、大変光栄に思います。ご友人にWa☆Daフォトギャラリーをご存じの方もおられたんですね。こうなると、来年は第二弾を企画しなければなりませんね。(^^ 更に感動の名作をお願いします。

お送り頂いた讃辞は、早速、お便りコーナーと「ニューヨーク」の頁の最後に収録させて頂きました。ご確認頂ければ幸いです。有り難うございました。
2008年12月12日(金)晴  今村一憲    様より  感動写真集/今村一憲

「春のアメリカ二人旅」反響第2弾

) カミさんの友人、ご近所のジャズ・ピアニスト  M. O. さん

和田さんのサイトを楽しませていただきました。さすが!ですね。プロです。きっとたのしかった23日間が走馬灯のように思い出されている事でしょう。旅を重ねてくると、思う事は 大変だったり・文句があったり・・・・の方が後々までしっかり覚えているという事です。たくさんのハプニングがあったからこそ印象に残る旅になっている事でしょう。 次回はどちらへお出かけでしょうか?楽しい楽しい旅日記を楽しみにしております。

(2) 高校・同窓 小金井市在住 元中小企業金融公庫常務理事 M. S.氏

メジャーデビューを果たしましたね。原君、古賀君、下田君の賛辞、正にその通りです。一気に読み直し、作品の素晴らしさに、震えています。感動を有難う。今までの作品を、今一度眺めなおすことにします。奥様との旅の続きを、楽しみにしています。

(3同 久留米市在住 元タクシー会社社長 H. H.氏

早速ワダフォートギヤラリーにアクセスしました。センチメンタルジャーニーやその他のムード曲に乗って今村兄の作品と旅日記が紹介されて行きます。雰囲気万点で素敵でした。影像が更にムードアップされたようで、最後の和田氏の挨拶もグッドでした。とても感じの良い扱い方をしておられると感心しています。私は相変わらず体調不良に苦しんでいますが、久しぶりに和田氏のギャラリーを見せて頂き有難うございました。

(4海保大一期 横浜在住 謡曲大師範 R. S.氏 

貴兄の旅行記の素晴らしさに何時も敬服しているところ、この度は「wadaphoto」に採用された由おめでとうございました。日本一のデジタルサイトが如何なるものか、デジタル写真家というジャンルがどのような活躍をしているのか、ブログとは?など知る由もありませんが、貴兄の旅行記がさらに輝きを増し、まぶしく見させていただきました。ところで、和田さんとは15期の方ですか?。
とすれば、なかなかのご活躍ですね。頼もしい限りです。貴兄の筆の進みとともに更なる良き作品を期待しております。

(5同 3期 調布市在住(今年転居、巡視船いずの仲間) 浦川和男氏

「春のアメリカ二人旅」拝見しました。ピッタリの音楽も加わり、素晴らしい出来栄えで、バーチャルのアメリカ旅行を楽しみました。和田君の写真展に出掛けたとき、彼は今村さんが真っ先に来てくれたと、大変喜んでいました。彼とは私が三池部長、彼が熊本県警出向中に知り合い、それ以来(昭和60年以来)の親友です。寒さが厳しくなります。どうぞお風邪を召されぬようご注意ください。

今村一憲 Kazunori Imamura
imamurakazunori@amber.plala.or.jp
http://tsubakimine75.spaces.live.com/
 
おはようございます。お便り有り難うございました。大反響ですね。早速、紹介させて頂きます。
2008年12月25日(木)晴  miyoko    様より 

春のアメリカ二人旅 おはようございます。忙しい12月になっても和田フォト全開で楽しく拝見しました。特に今村さんご夫妻の「春のアメリカ二人旅」は傑作でした。というよりも、衝撃的でした。私はご夫妻よりも20歳も若いというのに、これでいいのかという思いでいます。お二人のパワフルな旅行に比べれば昔のバックパッカーだった自分が情けなくいます。

私を消極的にしているのは語学力。と時間とお金です。駆け足旅行は記憶に留めようにも忙しい見学ですからしょうがないとあきらめ、私は人との出会いとハプニング、その土地のめずらしい食べ物やお土産に期待をした旅に重点を置いています。そう考えると、和田さんの言うように雑務から一切解放されたパックツアーも悪くはないですよね。せいぜい、ゆったり目のスケジュールが組み込まれた自由時間のあるツアーを選択して暫くはこのスタイルで旅をしたいと思っています。

本当は今村さんご夫妻のような手作りの旅をしたいと思っています。しかし、怠惰の性格ですから「語学力向上の努力」は鼻から無理と諦めています。それを克服しない限りは小さな心臓ですからフリープランの海外旅行は夢のままで終わってしまうでしょうね。今村さんご夫妻の勇気と冒険に乾杯!久々にパワーをいただきました。ありがとうございます。

来年も和田さんの新しい同志の紹介に期待します。よいお年を。
 
今晩は。今村さんの「春のアメリカ二人旅」のご感想を賜り、光栄です。今村さん御夫妻の旅行スタイルは、miyoko さんも共感されるのではないかと想像していましたが、予想通りでした。(^^ しかし、とても真似出来ません。今村さん御夫妻のパワーには脱帽しますね。

来年も感動写真集の同志の方々と共にロマンと感動の作品を沢山アップしたいと思っていますので、どうかご期待下さい。有り難うございました。
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