ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2011年10月21日改訂

ログイン時刻

 

 

 

今 日

昨 日

gamelan rindik Tritis Asih

田の神を祀る祠や垂れ稲穂   北舟

 

A small shrine for the guardian deity of rice fields, the ears of rice bowing.

2011年10月20日制作

田の神を祀る祠

拡大写真(2400x1600)795KB

田の神を祀る祠 / バリ島(インドネシア)

バリ島再訪!

VISIT TO BALI AGAIN !

 

インドネシア国旗

 

ウパチャラ

▼ これも、裏道の民家で行われているバリの祭礼オダラン Odaran のイベントのひとつである寄り合い・ウパチャラ upacara の風景です。この寄り合いは、町内会のようなバンジャールにて運営されています。バリでは、祭り行列や僧侶の読経をはじめ、家寺の儀式や寄り合いなど、オダランに伴う儀式は、全てウパチャラと呼ばれます。
 私は、博多で、3年半、再開発の現場を担当していましたので、博多祇園山笠の寄り合いなどにも、同様の匂いを感じることが出来ました。日本では、最近、こうした寄り合いが激減しているのではないかと思います。バリは、伝統の世界を今もちゃんと維持している点が素晴らしいと思います。

バリの祭礼オダラン Odaran の寄り合い・ウパチャラ

バリの祭礼オダラン Odaran の寄り合い・ウパチャラ

拡大写真(2400x1600)918KB

▼ 幕を張り、臨時のハレの場を作るのは、日本も、インドもそして、ここバリも同じです。男女の席が分かれていますが日本もかつては男女別席でしたし今も男女の区別が残っている祭りもあります性別で分かれる方が話題が会って楽しいということかもしれません。夫婦が一体として行動する西洋の文化とは違う、アジア諸国共通の価値観ですね。  
 バリのお祭りの正装は、男女とも白装束です。そして、女性は、更に黄色の帯を腰に巻きますが、これは、斎戒沐浴(さいかいもくよく)の証(あかし)となります。  

婦女子の席

婦女子の席

拡大写真(2400x1600)639KB

▼ この割れ門の奥に、祭壇があります。祭壇は神聖な場所なので、割り門で外界と区別しているわけです。

割れ門の奥の祭壇

割れ門の奥の祭壇

拡大写真(2400x1600)803KB

▼ バリの女性の儀式での正装。髪を束ね、胸を強調し胴をきゅっと締めた服が、儀式用のスタイルです。

お供え物を整える女性たち

お供え物を整える女性たち

拡大写真(2400x1600)680KB

女性たちの手で祭壇に供えられる供物

女性たちの手で祭壇に供えられる供物

拡大写真(2400x1600)695KB

祭壇は、沢山のお供え物で一杯になっています。ブンガカンボジア(プルメリア)が華やかさを演出しています。

沢山のお供え物で一杯の祭壇

沢山のお供え物で一杯の祭壇

拡大写真(2400x1600)705KB

▼ お供え物の子豚の丸焼きです。このお肉をご飯にのせて、スパイシーなタレのかかった料理がバビグリンと呼ばれているもので、町のレストランには、BABI GURING と書かれています。村人から、バビグリンは15人ほどの大人数で1匹注文して、みんなで食べるといいよ、と云われました。 

バビグリンとして食べられる豚の丸焼き

バビグリンとして食べられる豚の丸焼き

拡大写真(2400x1600)768KB

▼ お供え物の中に赤犬の子犬がありました。日本人にとってはカルチャー・ショックですが、バリ人にとっては、「子豚があれば子犬もあるさ」ということなのでしょう。

お供え物の中に子犬が・・・

お供え物の中に子犬が・・・

拡大写真(2400x1600)831KB

バリスタイルの住まい。イタリア人が住んでいました。門構えは小さいのですが中はゆったりしています空間の使い方が、暑気を逃すように作られていて、バリらしい設計です。

イタリア人が住む家

イタリア人が住む家

拡大写真(2400x1600)761KB
▼ 庭の置き鉢。花は、白と黄のブンガカンボジア(プルメリア)と、紫色のアングレック Anggrek 。万字のデザインになっているのがわかりますか? 右万字()ですのでバリでは「力」を表します。左万字(卍)は「和」です。アート感覚が素晴らしいですね!!

バリ人の美意識

バリ人の美意識

拡大写真(2000x1333)450KB

▼ 竹は、バリ語でもバンブー。とんとんとん・・・という乾いた音は、水田の鳥追い用です。バリの田園に、風音と同じように、気持ちよく響き渡ります。バリの棚田で響くこの竹音を、極楽で聞く音楽に例えた旅行者がいました。

竹で出来た風鈴

竹で出来た風鈴

拡大写真(2400x1600)642KB

▼ 米の島バリでは、年に三回お米がとれます。いつ田植えをするのかは、農家でバラバラ。ウブドのホテルの二階から見える水田で、田植えをしている姿をとらえました。 日本では、田植機が使われますがバリでは昔ながらの手植えですので、腰が痛くなることでしょうね。

ウブドの田植え

ウブドの田植え

拡大写真(2400x1600)610KB

▼ この水田は既に稲穂をつけています向こうの方には鳥を追い払う仕掛けが張られています。日本のようにカカシもあるということです。手前は、田の神を祀る祠(ほこら)です屋根をつけた供物台まであるのはさすがバリですね。

   田の神を祀る祠や垂れ稲穂  北舟 

たのかみを まつるほこらや たれいなほ

A small shrine for the guardian deity of rice fields, the ears of rice bowing.

田の神を祀る祠

田の神を祀る祠

拡大写真(2400x1600)795KB

▼ バリのヒンドゥー寺院。島には1万以上の寺があるそうです。これらの寺院を中心に、宗教を生活の中心に置いたバリ人の暮らしが回っています。

バリのヒンドゥー寺院

バリのヒンドゥー寺院

拡大写真(2400x1400)633KB

バリの教育制度は日本と同じ6・3・3制。小高で制服が統一されています彼女は小学生。兄弟で代々着れますから、合理的です。デンパサール北東約3kmにある石彫りの村、バトゥブラン Desa Batubulanで。

バリの小学生 / ウブド村

バリの小学生 / ウブド村

拡大写真(2400x1770)505KB

▼ 割れ門の左右の石の門番に、ホテルマンの笑顔もそっくり。石像の耳の花は、ハイビスカスです。年中咲いている花ですが、こうした花を使ったちょっとした美学が、バリの特徴です。

ウブドのホテル従業員

ウブドのホテル従業員

拡大写真(2400x1600)583KB

黄色の花はマリーゴールドインドでも聖花でしたがバリでもお供え物で使います豪華な感じがする花ですデンパサールの市場での一コマ。

鮮やかなマリーゴールド

鮮やかなマリーゴールド

拡大写真(2400x1600)757KB

クタのマデズワルン(マデさんの食堂の意味)。私の仕事していた頃は店はここだけでしたが、今は、ウブドにも支店を出したそうです。ここの蟹肉カレースープと、アボガドサラダと、ビンタンビールが、飛行場建設時代の私の休日定番食でした(当時で総額500円ぐらい、今回は1000円ほど取られました)。

 バリにも仮面舞踊があります。日本の能面に似ていますが、眼がぱっちりしているのが、バリの特徴です。

マデズワルンレストランの壁のお面 / クタ

マデズワルンレストランの壁のお面 / クタ

拡大写真(2400x1600)734KB

バリの焼き物。ほんわりとした笑顔で、旅行者を和ませます。バリの田んぼの土を使って焼かれています。

バリスタイルの焼き物

バリスタイルの焼き物

友人経営のイカット(絣)販売店スルヤジャヤの店先で。おやつの売り子さんが商い(休憩)中です。ピーナッツあり、果物のカット物あり。インドもそうでしたが、ここインドネシアも頭に乗せます。

おやつの行商

おやつの行商

拡大写真(2000x1560)502KB

▼ これも、同じく友人経営の民芸品屋アレックスの店先で。アテという植物繊維で作った皿や籠などです。百年は使えると、店主が言いますので、私も今も何個か使っていますが、15年以上経ちますが全く問題ありません。

アテ(植物繊維)の籠 / クタ

アテ(植物繊維)の籠 / クタ

拡大写真(2400x1600)974KB

▼ これは、2002年10月12日に、イスラム教のテロ組織により、202名が爆死したサリクラブというディスコの跡地です。記念地として更地で維持されています。アレックスから、30mほど南の地点にあります。外人客がほとんどだったサリクラブには、ビールを飲みに私も通っていただけに、こうしたテロがあの平和なバリで起こるとは・・と当時の勤務地のインドで思ったことが思い出されます。

202名が爆死したディスコ・サリクラブの跡地 / クタ・レギャン地区

202名が爆死したディスコ・サリクラブの跡地 / クタ・レギャン地区

拡大写真(2400x1600)650KB

▼ 道路を隔てた対面に建てられているモニュメント。亡くなられた方202名の名前が刻まれています。日本人は2名。観光旅行の若いご夫婦が巻き込まれて亡くなっています。  
 しかし、この撮影の1週間後の2005年10月1日に、またもクタとジンバランで同時爆弾テロがあり、20余名が死亡して、観光客がさらに遠のく事態に。空港建設当時はほんと安全で落ち着いた土地だったのですが、爆弾テロがこうも連続しておこると、治安面の不安から、バリ島には気軽に観光で行けなくなる・・との印象を与えてしまいますよね。  

2002年10月12日に起きたクタのテロ事件の犠牲者たちを祀る慰霊碑

2002年10月12日に起きたクタのテロ事件の犠牲者たちを祀る慰霊碑

拡大写真(2400x1600)525KB

▼ バリ空港建設時代からの友人、私のイカット(絣)収集の協力者、華僑のティエンさんの民芸店スルヤ・ジャヤの店内でパチリ。一切値引きはしませんの貼り紙あり(ほんとにそうです!)。夫婦で、福建省から渡って来た客家(ハッカ)だそうです。若い頃は美人でした。旦那のアレックスは、先年、糖尿病で亡くなり、私がバリ島を訪ねる楽しみが一つ減ってしまいました。さきほどのデンパサールの家は、彼女の家です。

絣商かすりしょう

のティエンさん

絣商のティエンさん

スルヤジャヤ店内

スルヤジャヤ店内

拡大写真(2400x1600)750KB

プロフィール

拡大写真(800x600)99KB

 
 
撮影・原作 : 
 

丹下誠司たんげせいじ

 

職業:大成建設(株)勤務

住居:東京都国分寺市
趣味:インドの神像収集
  (前任地のインドネシアの絣(イカット)も100枚ほどのコレクションがあります)

撮影後記

 私は、一人旅が大好きです。集団で動くのは、どうも苦手な私です。自分のペースを乱されたくないという気持ちがここでも一番にあると思います。また、旅する先に、訪ねて行ける人がいる・・・その意味は大きいです。旅の目的にもなるからで、あてども無く旅するのが苦手なのも、私の貧乏性の性格を表していると思います。
 さて、バリ空港の建設工事で、当時一緒に乗り込んだ所長は、その後、ジャカルタで倒れて、苦しむこともなく、そのまま天国に召されてしまいました。インドネシア駐在歴25年以上の猛者で、59歳でした。
 
  翌年の4月には、その所長の墓参りで、ジャカルタから2名のインドネシア人(ゴザリさん、パアラントさん)が日本を訪ねて来てくれました。横浜市青葉区の徳恩寺のお墓には、彼らがジャカルタから持って来た、故人の大好きだったマンゴスチンとイチを供えてくれました。
 
 いつまで経っても、懐かしい思い出として、心に残る海外勤務。実際に仕事を担当しているときは、苦しく大変な思いばかりで嫌なのですが、工事が終わって何年か経ってみると、心に残って思い出せるのは、楽しかったことばかりです。これが、海外勤務の醍醐味だと思います。
 
  今回も、和田さんのご好意で、我が心の故郷インドネシア、そのバリ島の画像発表の機会を頂けたことに感謝しています。ぜひ、皆さんの、旅の目的地の一つとして、神々の宿る島=バリ島を考えて頂けたらと思います。テリマカシ バニャック (ご一読、大変にありがとうございました)。 〈 合掌 〉

★☆★彡

参考図書

バリ島の心地よいホテル  坪田三千代、増島実  平凡社
インドネシア全二十七州の旅  小松邦康   めこん
バリの魂、バリの夢  大竹昭子   講談社文庫
バリ島楽園紀行 とんぼの本  佐藤由美他  新潮社
好きになっちゃったバリ  下川裕治編   双葉社
地球の歩き方 バリ島  2005〜2006   ダイヤモンド社
定本インド花綴り  西岡直樹  木犀社 (順不同)

感動写真集〈 第164集 〉「バリ島再訪!」

撮影・原作 : 丹下誠司  監修:和田義男

 平成23年(2011)10月20日 作品:第29作  画像:(大41+小2) 頁数:2 ファイル数:92 ファイル容量:34MB
  平成12年(2000)〜平成23年(2011) 作品数:417 頁数:1,641 ファイル数:69,760 ファイル容量:11,501MB

【編集子が選ぶ名作】

ウブドの田植え

ウブドの田植え

拡大写真(2400x1600)610KB

バリ人の素顔を見事に活写!
 10月16日(日)に発表した「バリ島は招く!」に続き、本日10月20日(木)丹下誠司さんの第11作「バリ島再訪!」が完成した。実は、この作品は、4年ほど前に丹下さんからお送りいただいていたものだが、バリ島の名所旧跡をはじめ風光明媚なリゾート・ビーチや華やかな海洋レジャーなどには全く触れておらず丹下さんの個性溢れる作品ではあるものの、正直なところ面白くないので、お蔵入りにしていたのである。
 
 といっても、私が観光客としてバリ島を訪れ、世界に知られる観光地としての晴れ姿を紹介した後で、普段着のバリ人を描いたこの作品を発表しようとの構想があった。バリへの旅立ちが今年になってしまい、丹下作品の発表が大きく遅延してしまったことについては、お詫び申し上げる。
 私の「バリ島は招く!」をご覧になった後で、この作品を見て頂ければ、観光客の表面的な観察ではとても描けない、素顔のバリ人を見事に活写した丹下ワールドに魅了されることだろう。

  行きずりの観光客に過ぎない我々夫婦ですらリピーターになろうかというバリ島であってみれば、若いときにデンバサール空港の建設に携わり、家族とともにバリで暮らした丹下さんにしてみれば、バリ島を愛する気持ちは、人一倍強いのは当然であり、インドに単身赴任していたとき以上に地元住民との交流が広く深く行われたことは、この作品を見ればとてもよく分かる。
 また、人によっては関心が薄い日常生活も、かなり深いところまでカメラを持ち込んで活写しているのは、さすが人間愛に燃える丹下さんだと感心する。そこに住んでいた人が久しぶりに再訪したときの懐かしさや感激が原動力になっているに違いない。素晴らしい作品をお送りいただいた丹下さんには、心から感謝申し上げたい。〈 完 〉 
                                                  2011.10.20 監修 和田義男 
特集!旅紀行(海外写真集)   世界の名城 感動写真集
旅紀行ジャパン   奉納相撲   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク