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 感動写真集

2012年11月26日改訂

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Canzone 'Valzer Dottore(ワルツ・ドクター)'-'Solo Noi(我々だけ)'

ドロミテの昇藤とや夏山路   北舟

 

Summer mountain path, rising wisteria surprising at Dolomite.

2012年11月26日制作

ミズリーナ湖のノボリフジ

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ミズリーナ湖のノボリフジ/ドロミテ(イタリア)

世界遺産

イタリア夏の旅

イタリア国旗

マントヴァ

■ 四日目 2012年07月27日(金) ジェノバ〜マントヴァ観光〜パドヴァ(泊)

 

★☆★彡

 
ツアー 四日目は朝、ツアーバスでジェノヴァを出発、午後、世界文化遺産のマントヴァに入って市内観光をしたあと、パドヴァに一泊した。

世界文化遺産マントヴァの位置

世界文化遺産マントヴァの位置

画像:Google Earth

途中の村の教会 2012.7.27 09:29

途中の村の教会 2012.7.27 09:29

マントヴァ Mantova

▼ マントヴァは、イタリア共和国ロンバルディア州マントヴァ県のコムーネの一つで、マントヴァ県の県都である。

 人口約5万の小都市マントヴァは、12世紀につくられた人工湖によって三方を囲まれている。これらはガルダ湖から発したミンチョ川の水をせき止めたもの。三つの湖はそれぞれ大きな方から、スペリオーレ湖、メッツォ湖、インフェリオーレ湖と呼ばれている。

マントヴァの中心部

マントヴァの中心部

資料:地球の歩き方
 14世紀から約400年間、ゴンサーガ家がマントヴァを支配した。15-16世紀にかけて、マントヴァは侯爵領となり、続いて公国となった。1490年には、フランチェスコII世とフェッラーラのエステ家のイザベル・デステが結婚し、このイザベル・デステの手腕により、多くの芸術家がここに集まり、北イタリアのルネサンスの中心として、ヨーロッパ中にその名を馳せた。

マントヴァの三方を囲む人工湖 12:39

マントヴァの三方を囲む人工湖 12:39

▼ レオナルド・ダ・ヴィンチは1500年、マントヴァに立ち寄り、イザベラの素描を残している。「モナ・リザ」のモデルは、通説ではジョコンダ夫人とされるが、イザベラがモデルだとする研究者もいる。ティツィアーノもイザベラの肖像画を描いている。

イザベラ・デステ Isabella d'Este Gonzaga 1474 - 1539 (ティツィアーノ画)

イザベラ・デステ Isabella d'Este Gonzaga 1474 - 1539 (ティツィアーノ画)

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画像:フリー百科事典ウィキペディア

 マントヴァはウィリアム・シェークスピア作の悲劇『ロミオとジュリエット』の中に登場する。劇中ロミオはティボルトを誤って殺害し、町から追放される彼はただちにマントヴァへ向けて発ち愛するジュリエットの死の知らせを聞いてヴェローナへ帰還する。
 また、こゝは、ヴェルディ作曲のオペラ「リゴレット」の舞台であり、市内にはオペラに縁のある建物や登場人物の像が現存するが、劇中の人物は全て架空の人物である。

ソルデッロ広場鳥瞰図

ソルデッロ広場鳥瞰図

画像:Google Earth

ソルデッロ広場 Piazza Sordello

▲▼ マントヴァの中心地に位置するソルデッロ広場。大聖堂ドゥオーモやドゥカーレ宮殿が威容を誇っている。

ソルデッロ広場 12:46

ソルデッロ広場 12:46

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ドゥオーモ Duomo

▼ マントヴァのドゥオーモ(大聖堂)は、14世紀に建てられたゴシック様式で、カトリックのマントヴァ司教座が置かれている。

ドゥオーモ/マントヴァ

ドゥオーモ/マントヴァ

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ドォーモ・ファサードの飾り

ドォーモ・ファサードの飾り

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ドゥカーレ宮殿 Palazzo Ducale

▼ マントヴァのドゥカーレ宮殿はゴンザーガ家の豪華な宮殿である隣接するサン・ジョルジョ城とサンタンドレア教会もゴンザーガ家のもので、400年もの長きにわたる往時の栄華を知ることができる。

ドゥカーレ宮殿のファサード/マントヴァ

ドゥカーレ宮殿のファサード/マントヴァ

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▼ 写真下は、画家アンドレア・マンテーニャが1627年に描いたもので、息子フランチェスコが枢機卿に選出された知らせを受けるルドヴィーコ・ゴンザーガ像。マントヴァ・ドゥカーレ宮殿所蔵。

息子フランチェスコが枢機卿に選出された知らせを受けるルドヴィーコ・ゴンザーガ像/ドゥカーレ宮殿所蔵

息子フランチェスコが枢機卿に選出された知らせを受けるルドヴィーコ・ゴンザーガ像/ドゥカーレ宮殿所蔵

拡大写真(1600x1034)297KB 画像:フリー百科事典ウィキペディア

ドゥカーレ宮殿の内庭

ドゥカーレ宮殿の内庭

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宮殿内部のカステッロ広場

宮殿内部のカステッロ広場

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宮殿に隣接するサン・ジョルジョ城

宮殿に隣接するサン・ジョルジョ城

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ソルデッロ広場の南西にエルベ広場がありラジョーネ宮殿サン・ロレンツォ聖堂サンタンドレア教会がある

ラジョーネ宮殿/エルベ広場

ラジョーネ宮殿/エルベ広場

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ラジョーネ宮殿 Palazzo della Ragione

▲▼ カノッサ家の支配下にあった11世紀に建てられた。当時は、キリストの聖遺物を求めて、マントヴァを訪れた巡礼者たちの宿泊施設として利用されていた。13世紀に宮殿として建て替えられ、ゴンザーガ家の時代には、ポデスタ館(行政長官の館)として利用された。15世紀に火災のため現在のように改築された。

 2階部分には世界最大級(縦78m、横27m、高さ27m)のサローネと呼ばれる大部屋があり、占星術、宗教、労働を題材とするフレスコ画の連作が描かれている。

ラジョーネ宮殿とサン・ロレンツォ聖堂

ラジョーネ宮殿とサン・ロレンツォ聖堂

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サン・ロレンツォ聖堂 Basilica of San Lorenzo

▲▼ エルベ広場に建つユニークな円形のサン・ロレンツォ聖堂はカノッサ伯家時代の11世紀に建てられたマントヴァ最古の教会である。

ユニークな円形のサン・ロレンツォ聖堂

ユニークな円形のサン・ロレンツォ聖堂

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サンタンドレア教会 La Chiesa di Sant Andrea

▼ サンタンドレア教会は、1472年、レオン・バッティスタ・アルベルティによって着工され、1494年、ルカ・ファンセッリによって完成された。建設を依頼したのはイザベッラ・デステの夫でフランチェスコII世ゴンザーガの祖父にあたるルドヴィーコ・ゴンザーガ。建物はルネッサンス様式だが、1414年建築の鐘楼はゴシック様式となっている。

サンタンドレア教会/エルベ広場

サンタンドレア教会/エルベ広場

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サンタンドレア教会の内部

サンタンドレア教会の内部

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リゴレットの家 Casa di Rigoletto

▼ マントヴァが舞台の歌劇『リゴレット Rigoletto 』は、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全3幕からなるオペラで、1851年、ヴェネツィア・フェニーチェ座で初演された。

リゴレットの家

リゴレットの家

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『リゴレット』の原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲『逸楽の王』だったが、当時のフランス王をモデルにした実話のため、物議を醸し、初演の翌日に上演禁止となった。ヴェルディがオペラ化するに当たっては、舞台をフランスからイタリアに移し、架空の貴族の話に変えて検閲をクリアした。このオペラは大成功し、ヴェルディ中期の傑作となり、ヴェルディは大作曲家の地位を得ることとなった。

リゴレットの像/リゴレットの館

リゴレットの像/リゴレットの館

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■ 五日目 2012年07月28日(土) パドヴァ〜ドロミテ観光〜ボルツァーノ(泊)

 

★☆★彡

 
▼ ツアー 五日目は、朝、パドヴァを発ち、ツアーバスで北上。コルティナ・ダンペッツォからイタリア唯一の世界自然遺産・ドロミテに入り、東部を観光したあと、ドロミテ西部のボルツァーノに移動して連泊した。

イタリア唯一の世界自然遺産ドロミテの位置

イタリア唯一の世界自然遺産ドロミテの位置

画像:Google Earth

ドロミテ Le Dolomiti

▼ ドロミテはイタリアのチロル地方、東アルプス山脈に属する山群で、北はリエンツァ川、西はイザルコ川とアディジェ川、南はブレンタ川、東はピアーヴェ川に囲まれた広い範囲を指すが、狭義には観光化された地域をいう。

 東端のボルツァーノと西端のコルティナ・ダンペッツォ間約100kmを結ぶドロミテ街道は壮大な景観を楽しむドライブコースとして知られる。

ドロミテ街道

ドロミテ街道

資料:地球の歩き方
 ドロミテの名はこの山々で非常に豊富な鉱物である苦灰石ドロマイトからなる苦灰岩(マグネシウム質石灰岩)を発見した地質学者、デオダ・ドゥ・ドロミュー から取られた。他のカルシウム質の地域とは反対にドロミテには石灰岩の侵食現象による洞窟などが存在しない。

アンテラオ山(3,263m) 2012.7.28 11:38

アンテラオ山(3,263m) 2012.7.28 11:38

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コルティナ・ダンペッツォ Cortina d'Ampezzo

▼ コルティナ・ダンペッツォは、イタリア共和国ヴェネト州ベッルーノ県にある人口約6000人のコムーネ(基礎自治体)である。ドロミテ山脈の麓、アンペッツォ地方の中心地であり、登山やウィンタースポーツの拠点となるリゾート地である。1956年には、この町を中心に冬季オリンピックが行われた。

ドロミテ街道東端のコルティナ・ダンペッツォ(1,211m)

トファーネ山(3,243m)

ドロミテ街道東端のコルティナ・ダンペッツォ(1,211m)

拡大写真(2000x1500)595kB 画像:フリー百科事典ウィキペディア
▲▼ コルティナ・ダンペッツォは県都ベッルーノから北へ45km、リエンツから西南へ58km、ボルツァーノから東へ60km、ヴェネツィアから北へ124kmの距離にある。

コルティナ・ダンペッツォに入る 11:54

コルティナ・ダンペッツォに入る 11:54

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▲▼ ドロミテの東の入口として、夏はハイキング、冬はスキーやスノーボードなどのウィンタースポーツを中心とした観光が盛んで、世界各国から観光客が訪れる。別荘やホテル、ペンションなどの宿泊施設が充実しており、長期滞在者向けの安宿から高級ホテルまで、各種の宿泊施設が点在する観光村である。

コルティナ・ダンペッツォの教会 11:57

コルティナ・ダンペッツォの教会 11:57

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 ツアーバスは、コルティナ・ダンペッツォ村を通過して山道に入りクリスタッロ山(3,221m)を左手に見上げながら北東のミズリーナ湖に向かった。

コルティナ・ダンペッツォ〜ミズリーナ湖

コルティナ・ダンペッツォ〜ミズリーナ湖

画像:Google Earth
 

ミズリーナ湖 Lago di Misurina
コルチナ・ダンペッツォから国道48号線を東北東に14kmほど行ったところにあるミズリーナ湖は、ベッルーノ県アウロンツォ・ディ・カドーレ村にある海抜1,754m周囲2.6km、深さ5mほどの自然湖で 、湖の周辺には約10軒のホテルがある。

紅葉のミズリーナ湖(1,754m)

紅葉のミズリーナ湖(1,754m)

拡大写真(1800x1200)355kB 画像:フリー百科事典ウィキペディア
▲▼ 1956年のコルティナ・ダンペッツォ・オリンピックでスピードスケートの会場となった。オリンピックのスピードスケートが自然の氷の上で行われたのは、この時が最後だという。

ミズリーナ湖とカディニ山(2,839m) 12:19

ミズリーナ湖とカディニ山(2,839m) 12:19

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リゾートホテルの建つミズリーナ湖 12:20

リゾートホテルの建つミズリーナ湖 12:20

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ルピヌス・ポリフィルス Lupinus polyphyllus
日本ではノボリフジ(昇藤)と呼ばれる清楚で高貴な雰囲気の高山植物に目が止まったルピヌス・ポリフィルスという難しい学名がついているがマメ科ルピヌス属の花で、イタリアでは Lupinus、イギリスでは Lupin と呼ばれているらしい。
  ドロミテ の昇藤とや夏山路 北舟 

どろみての のぼりふじとや なつやまじ

Summer mountain path, rising wisteria surprising at Dolomite.

ミズリーナ湖のノボリフジ

ミズリーナ湖のノボリフジ

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