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 感動写真集

2010年12月22日改訂

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♪LIpi Li Je Varos NaS - Pismo Moja Hrli Tamo
Tiho Je NegDJe Svirala Mandolina - Setala Se Jelica I Ive

秋の波ドドンと寄する街の壁   北舟

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The wall of the town, the autumn waves charging violently.

2010年12月22日制作

アドリア海の荒波が打ち寄せる城壁南岸

アドリア海の荒波が打ち寄せる城壁南岸/ドブロヴニク(クロアチア)

世界遺産

クロアチア秋の旅

クロアチア

 

モンテネグロ

クロアチア国旗 モンテネグロ国旗

ドブロヴニク

 ■ 五日目/10月26日(火):ドブロヴニクコトルドブロヴニク(連泊)

 

★☆★彡

 
▼ ツアー五日目は生憎の雨となったが、午前中、世界文化遺産の街・ドブロヴニクを観光。午後、モンテネグロのコトルを見学後、ドブロヴニクに戻って連泊。

堅固な城壁に護られたドブロヴニクの景観/定番の展望ポイント 2010.10.26

堅固な城壁に護られたドブロヴニクの景観/定番の展望ポイント 2010.10.26

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ドブロヴニク Dubrovnik

▲▼アドリア海の真珠」と賞賛されるドブロヴニクは、クロアチア観光のハイライトで、オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市街は、高く重厚な城壁に囲まれており、どこから見ても絵になる美しい街である。

ドブロヴニク旧市街/東から西を臨む

ドブロヴニク旧市街/東から西を臨む

パノラマ写真(3000x1000)569KB

  ▲▼ ドブロクニクは15〜16世紀にヴェネツィアと並ぶ貿易都市として栄えた歴史があり今も旧市街は、オレンジ色の瓦屋根の家々が所狭しと並び、8〜16世紀に増改築を繰り返して建造された堅固な城壁に囲まれている。

ドブロヴニクのメインストリート「ブラッツァ通り」

ドブロヴニクのメインストリート「ブラッツァ通り」

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  ▲▼ 旧市街は、大理石が敷き詰められたプラッア通り Ulica od Placa を中心に、左右に細長く狭い路地が延び、変わらない人々の暮らしが続けられている。この美しい街は、1979年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

壁面のキリスト降架像

壁面のキリスト降架像

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大聖堂 Katedrala Riznica

▼ ルジャ広場の先にある大聖堂は、もともとは1192年に英国のリチャード王が創建したものと伝えられているが現在の建物は、17世紀にバロック様式で再建されたもの。内部には、中世にドブロヴニクが貿易都市として栄えていた当時を偲ばせる財宝が多数保存されているという。

ドブロヴニクの大聖堂

ドブロヴニクの大聖堂

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  ▼ シェクスピアに影響を与えた劇作家マリン・ドルジッチMARIN DRZIC (1508-1567)の銅像があった。ドブロクニク出身。彼の喜劇はルネッサンス期の最高傑作と評される。

シェクスピアに影響を与えた劇作家マリン・ドルジッチの銅像

シェクスピアに影響を与えた劇作家マリン・ドルジッチの銅像

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城壁 Gradske zidine

▼ ドブロヴニクを取り囲む城壁は、全長1,940mあり、高さは最高で25mに達する。城壁の途中にはミンチェタ要塞をはじめ砦や見張り塔、陵堡(りょうほ)が築かれており、見るからに堅牢で、1667年の大地震でも城壁だけは殆ど被害を受けなかったという。

ミンチェタ要塞と城外の駐車場

ミンチェタ要塞と城外の駐車場

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 ドブロヴニクが誕生したのは、614年のこと。当時は、西ローマ帝国が崩壊したことからスラブ人、アヴァール人などの異民族が旧帝国領に流入しており、その襲撃から逃れるために、エピダウルス(現在のツァヴァト)に住んでいた人たちが移り住んできたのがその起源という。  

ミンチェタ要塞からドブロヴニク旧港、ロクルム島方面を臨む

ミンチェタ要塞からドブロヴニク旧港、ロクルム島方面を臨む

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 ドブロヴニクが城壁に囲まれたのは、町が誕生した8世紀のことだが、現在のような強固な形になったのは15世紀から16世紀のころ。城壁の上に設けられた遊歩道を歩くと、グルリと一周することができる。  

パノラマのドブロヴニク旧港

パノラマのドブロヴニク旧港

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   ドブロヴニクは、海洋貿易によって栄えた都市で、中世のラグーサ共和国は、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと共に5つの海洋共和国の一つに数えられ、アドリア海東側では、ヴェネチア共和国だけが唯一のライバルだったという。

城壁で防御されたドブロヴニク旧港

城壁で防御されたドブロヴニク旧港

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城壁の上を巡回する旅行客たち

城壁の上を巡回する旅行客たち

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   巧みな外交術と豊富な富に支えられ15世紀から16世紀にかけて著しい発展を遂げた。恒久的に戦争による破壊から守るため、1970年代に非武装化されたが1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争で、セルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲され(ドブロヴニク包囲)、砲撃により多大な損害を蒙った。

岩山に築かれたロビリイェナツ要塞

岩山に築かれたロビリイェナツ要塞

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▲ 高台からアドリア海の方を臨むと、新しい赤瓦に混じって古い赤瓦が点在している様子がよく分かる。殆どが新しい赤瓦であり、内戦で攻撃を受けた家屋が如何に多かったかを物語っている。  

城壁の西端を固めるボカール要塞

城壁の西端を固めるボカール要塞

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ボカール要塞に据えられた大砲

ボカール要塞に据えられた大砲

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  秋の波ドドンと寄する街の壁 北舟 

あきのなみ どどんとよする まちのかべ

The wall of the town, the autumn waves charging violently.

アドリア海の荒波が打ち寄せる城壁南岸

アドリア海の荒波が打ち寄せる城壁南岸

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コトル Kotor
▼ モンテネグロ北部、アドリア海沿岸のボカ・コトルスカ Boka Kotorska と呼ばれる地域は、フィヨルドにより形成された複雑に入り組んだ湾で、コトルはその湾の最奥部に位置する港町である。

後背の岩山が城壁で防御されたコトル(世界文化遺産)/モンテネグロ

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▲▼ 人口19,000人余りのコトルは、高度な航海術を誇り、スラヴ諸国で最初の航海士学校が創立されるなど、歴史に名を残した町である。複雑な海岸線と険しい岩山に囲まれた天然の要害の地であることに加え、背後の山に城壁を築き、往時は、堅固な城塞港湾都市として繁栄を極めた。

スクルダ川と城壁と聖ニコラス教会

スクルダ川と城壁と聖ニコラス教会

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  ▲▼ 石畳の路地が縦横に張り巡らされた旧市街には、貿易の富によって築かれた豪華な館や美しい寺院が建ち並んでおりユネスコの世界文化遺産に登録されている。1979年の大地震と1990年代の内戦により、甚大な被害を受けたが、ユネスコなどの支援を受けた復旧作業により、現在は往年の美しい姿を取り戻している。

展望所よりコトル北方を臨む

展望所よりコトル北方を臨む

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モンテネグロ Montenegro

 世界遺産コトルのあるモンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国である。セルビア・モンテネグロ(旧ユーゴスラビア連邦共和国)を構成する二つの共和国のうちのひとつだったが、2006年6月3日に独立を宣言した新しい国で、日本の福島県に相当する面積に60万人余りの人々が暮らしている。

コトルを出港する旅客船

コトルを出港する旅客船

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