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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2011年6月13日改訂

今 日

昨 日

♪チャイコフスキー ピアノ曲「四季」 舟歌-白夜

 

夕焼けてクーポル染むる寺院かな   北舟

 

 

The evening glow, the cupola of the temple being dyed.

2011年6月10日制作

夜11時近くの美しい夕日 / スーズダリ

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夜11時近くの美しい夕日 / スーズダリ( ロシア)

世界文化遺産

ロシア国旗

ロシア初夏の旅

セルギエフ

 ■ 四日目/6月26日(月):モスクワ〜 セルギエフ・ポサード〜スーズダリ(泊) ■

 

★☆★彡

 
ツアー四日目は朝9時にホテルを出発黄金の環の「セルギエフ・ポサード」を見学後スーズダリに宿泊した。

ツアーのルートマップ

ツアーのルートマップ

JTB資料
 
黄金の環おうごんのわ   Золото́е кольцо́
  ▲ 黄金の環(ザラトーイェ・コリツォー)は、ロシア、モスクワ北東近郊にある都市群の名称で、古くは、ザリエーシェ Zalesye とも呼ばれた。
   これらの古い都市は、政治、宗教、芸術、建築などの源流が形成された地域として重要視される。これらの都市は、11世紀から15世紀末にイワン雷帝が各地を征服して中央集権体制を構築するまで、ロシア諸公国の首都として栄華を誇った。  
   都市自体が野外建築博物館ともいえるもので、12世紀から18世紀におけるロシアの都市に特徴的なクレムリン(城塞)、修道院、大聖堂、教会などを擁している。  
   「黄金の環」の都市が観光地として喧伝されるようになったのは、ソ連時代の1974年のこと。ソ連崩壊後も外国人向けの観光地として整備が進められている。都市の多くは、M 8 高速道路の沿線にある。また、モスクワのヤロスラヴリ駅 から鉄道を利用して行くことができる。  

セルギエフ・ポサードの創設者・ラドネジの聖セルギイの像

セルギエフ・ポサードの創設者・ラドネジの聖セルギイの像

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セルギエフ・ポサード Се́ргиев Поса́д

   セルギエフ・ポサード(スィエールギィフ・パサート)は、ロシア、モスクワ州の都市、セルギエフ・ポサード地区の首府で、モスクワの北東70kmに位置する。 人口11万余を擁する。黄金の環の都市の中ではモスクワに最も近く、モスクワから日帰り観光ができる。
   セルギエフ・ポサードは14世紀なかばにセルギー・ラドネシスキー(ラドネジの聖セルギイ)によって創建された至聖三者聖セルギイ大修道院の周辺にできた門前町を起源として成長してきた。1742年には周辺の村落と合併して市域を拡大セルギエフの地名はソ連時代の1930年に宗教的な市名を理由にザゴルスクと改称した。ソ連崩壊後の1991年、「セルギイの居住地」を意味する現名称に改称された。  

トロイツェ・セルギエフ大修道院の全景

トロイツェ・セルギエフ大修道院の全景

資料
 

トロイツェ・セルギエフ大修道院 Тро́ице-Се́ргиева Ла́вра

  ▲▼ トロイツェ・セルギエフ大修道院はセルギエフ・ポサードにある至聖三者(しせいさんしゃ)聖セルギイ大修道院というロシア正教会において最も重要な修道院のひとつで、ロシア正教の拠点となっている。
   1366年大貴族のセルギー・ラドネシスキーは、人里離れた森の中に聖堂を建て、修行生活を始め、数々の奇跡を起こし、聖人となってトロイツェ・セルギエフ大修道院を拓いた。彼の死後、1423年にトロイツキー聖堂が建立され、1585年にはイワンIV世(雷帝)より、ウスペンスキー大聖堂が献納された。他にもドゥホフスカヤ聖堂、五重の鐘楼などの歴史的建築物を有し、現在もロシア正教のメッカとして人々の信仰を集めている。  
トロイツェ・セルギエフ大修道院(世界文化遺産)/ セルギエフ・ポサード

トロイツェ・セルギエフ大修道院(世界文化遺産)/ セルギエフ・ポサード

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  ▲▼ トロイツェ・セルギエフ大修道院の諸建築は、ロシア教会建築の優品として知られ、1993年に「セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建築的遺産群」としてユネスコの世界文化遺産に登録された。  
   至聖三者セルギイ大修道院の修道院長は、モスクワおよび全ロシアの総主教が務める。実務はセルギエフ・パサード駐在の院長代理が務める。  

円柱の装飾が美しいセルギエフ教会(旧大食堂)

円柱の装飾が美しいセルギエフ教会(旧大食堂)

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トロイツキー聖堂 Троицкий собор

  ▼ トロイツキー聖堂(トローイツキイ・サボール)は、トロイツェ・セルギエフ大修道院の至聖三者大聖堂(しせいさんしゃ・だいせいどう)のことで、1423年に聖セルギイの墓所の上に建てられた大聖堂で、彼の棺が安置されている。
    有名なルブリョフによる板絵イコン「至聖三者」は、当初は至聖三者大聖堂にあったが、現在、原本はモスクワの国立トレチャコフ美術館に所蔵されている。  

トロイツキー聖堂

トロイツキー聖堂

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ラドネジの聖セルギイ   Сергий Радонежский́
  至聖三者聖セルギイ大修道院を創設した正教会の聖人「ラドネジの聖セルギイ」は、 正教会全体でも著名であるが特にロシア正教会で崇敬される。日本正教会では「ラドネジの克肖者(こくしょうしゃ)聖セルギイ」と呼んでいる。克肖者(こくしょうしゃ)とは、正教会で聖人に付される称号で、日本正教会による訳語である。
   1392年に死去後、現在も彼の遺体は至聖三者聖セルギイ修道院の至聖三者大聖堂に収められており、多くの信者が崇敬に訪れる普段はガラスで覆った棺に納められており早朝のみ蓋が揚げられて直に彼の不朽体(聖人の遺体)に触れる(接吻する)ことができる。  
ラドネジの

克肖者こくしょうしゃ

セルギイのイコン(1882年)  / ヴィクトル・ヴァスネツォフ画 アブラムツェヴォ教会所蔵

ラドネジの克肖者セルギイのイコン(1882年)  / ヴィクトル・ヴァスネツォフ画 アブラムツェヴォ教会所蔵

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フリー百科事典 Wikipedia
ウスペンスキー大聖堂  Успенский Собор
▼ トロイツェ・セルギエフ大修道院のシンボルとして知られるウスペンスキー大聖堂(ウスピェーンスキー・サボール)は、イワン雷帝の命により、1585年に完成した。玉葱型をした4つの青いドームの中央に金色の大ドームがあるのが特徴。
ウスペンスキー大聖堂

ウスペンスキー大聖堂

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  ▼ 聖堂の内部には巨大なイコノスタス(聖障)*があり、17世紀のフレスコ画やイコン(聖像画)で覆い尽くされており、敬虔(けいけん)な雰囲気が漂っている。 ロシア正教の聖堂の内部は、十字架や聖者らの像は飾らず、パイプオルガンなどの楽器も装備されない。椅子やベンチもないので、信者は、立ったままで礼拝する。
   あるのは聖堂や教会を飾るフラスコ画とイコンだけである。賛美歌は伴奏のないいわゆるアカペラで歌われる。同じキリスト教でも、カソリックやプロテスタントとは、かなり違った 祈祷である。  
  *イコノスタス (聖障): 寺院の内部を信者が礼拝する場所と至聖所**(しせいじょ)とに隔てるイコンの壁のこと。  
  **至聖所:宗教的建築物の最も神聖な場所。  
イコン(聖像画)で飾られた聖堂のイコノスタス (

聖障せいしょう

イコン(聖像画)で飾られた聖堂のイコノスタス(聖障)

鐘 楼  Колокольня
▼ 薄緑色のパステルカラーがひときわ美しい5階建ての高さ88mの鐘楼は、18世紀に建てられたもで、最上階は展望所になっている。大修道院内の多くの建築物の中でもひときわ高く、目立っている。建設当時では、ロシア一の高層建築であったという。

パステルカラーが美しい高さ88mの鐘楼

パステルカラーが美しい高さ88mの鐘楼

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チェルニコフ聖母マリア僧院
▼ チェルニコフ聖母マリア僧院は、JTBが発掘した僧院で、他社のツアーでは訪れない。そのため、地球の歩き方('10〜'11版にも紹介がない。洞窟のある僧院として、見学する価値が高い。

褐色のチェルニコフ聖母マリア僧院

褐色のチェルニコフ聖母マリア僧院

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イコン(聖像画)  икона
▼ イコン(ギリシア語: εικών、ドイツ語: Ikon、英語: icon、ロシア語: икона )は、キリスト教において神や天使や聖人を記念し象徴として模(かたど)られた絵や像で、敬拝(崇敬)( προσκύνησις )の対象とされるもの。形を意味するεικόνα (イコナ)に由来する。
 写真下は、こぢんまりとしたチェルニコフ聖母マリア僧院の内部である。ベンチや椅子のない礼拝所( 聖所せいじょ・内陣)(手前)は、イコン(聖像画)で飾られたイコノスタス(聖障せいしょう)により、奥の最も神聖な場所である至聖所(しせいしょ)と隔てられている。 イコノスタスとは、「イコンの壁」という意味である。
 イコノスタスには、普通三つの出入口(ドア)があり、特に重要なのが真ん中にある「王門」または「天門」と呼ばれる門で、神品*(しんぴん)のみが通ることができる。奉神礼の中で「王門」を開いたり閉じたりすることによって、神の国との交わりが顕(あらわ)される。
*神品: 主教から叙聖された正教会の聖職者。

イコン(聖像画)で荘厳された僧院内部

イコン(聖像画)で荘厳された僧院内部

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  ▲▼ 教会ではイコンを聖像画とも呼ぶ。英語の icon (アイコン) は、ギリシャのイコンに由来する。特に東方教会(正教会・東方諸教会)では、平面の板や壁に描かれたものや浮き彫りのものを用いる。立像は用いられない訳ではないが、極めて稀だという。

チェルニコフの棺

聖チェルニコフの棺

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  ▲ 旧約聖書では神を描写することが禁止された。これを形像拒否といい、このためユダヤ教やキリスト教では神を絵に描いたり彫像に作ることを禁じた。イスラム教もまた同じ根拠で宗教美術に具体的形像を持ち込むことを避けた。 現在、その掟は、イスラム教において厳格に守られている。
   正教会では、イコンやフラスコ画を描くことが許されているが、教会や家庭などで用いるイコンやイコンを描く画家については厳格な規定がある。イコンを描くことは神に近づく道のひとつであり、祈祷の一形態であるばかりでなく、イコンを見る他の信者を神に導く道だからである。  

修道士がこもった洞窟

修道士がこもった洞窟

フレスコ画 fresco
▼ フレスコ画は、壁に漆喰(しっくい)を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態(生乾き)の間に水や石灰水で溶いた顔料で描く方法で、高度な計画と技術力を必要とする。失敗した場合は、漆喰をかき落とし、やり直すほかはない。
 漆喰には石灰岩(CaCO3)を焼成し、生石灰(CaO)にした上に加水した消石灰(Ca(OH)2)を使用する。作品を描写中、媒剤となる水分はたえず気化し、消石灰は二酸化炭素(CO2)を吸収、酸素(H2O)を放出し、炭酸カルシウム(CaCO3)に変化する。炭酸カルシウムは水に溶けないため、フレスコ画は保存性に大変優れている。

保存性に優れたフレスコ画の復元作業

保存性に優れたフレスコ画の復元作業

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スーズダリ  Су́здаль
▼ 夕刻、スーズダリに移動し、ホテルに一泊した。日が長いので、ホテルの近くを散歩。夜11時頃だったが、夕日が美しかった。スーズダリは、ロシア、ウラジーミル州の都市。モスクワ北東ウラジーミルから26km、カメンカ川沿いに位置する古都である。現在の人口は千人あまり。1992年スーズダリは「ウラジミルとスーズダリの白亜の建造物群」としてユネスコの世界文化遺産に登録された。

夜11時近くの美しい夕日 / スーズダリ

夜11時近くの美しい夕日 / スーズダリ

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  夕焼けてクーポル染むる寺院かな 北舟 

ゆうやけて くーぽるそむる じいんかな

The evening glow, the cupola of the temple being dyed.

夕日に染まったスーズダリの寺院

夕日に染まったスーズダリの寺院

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  ▲▼ 今日、スーズダリは、古代から中世の教会、修道院などの建築を多数保有する観光都市である。市街には多数の教会建築のほかに、小川の流れと牧草地を有する小さな村や草原があり、こうした田園とスーズダリの教会建築は、絵画的な風景をもたらしている。特に夏場には、こうした風景を求めて多くの観光客や絵を描く人々が訪れる。

スーズダリの夕焼け空

 スーズダリの夕焼け空

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 ■ 五日目/6月27日(火):スーズダリ〜ウラジミール〜モスクワ(泊) ■

 

★☆★彡

 
▼ 9時にホテルを出発。黄金の環のスーズダリとウラジミールを見学後、翌日のサンクトペテルブルクへのフライトに備えて、モスクワに一泊。

早朝の散策 / カメンカ川 Каменка (スーズダリ) 

早朝の散策 / カメンカ川 Каменка (スーズダリ) 

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リザパラジェーンスキー修道院 Ризположенский собор
▼ リザパラジェーンスキー修道院は、13世紀初めに創設された修道院。鐘楼は、ナポレオン戦争の勝利を記念して建てられたもので、高さが72mあり、スーズダリで一番高い建物である。

リザパラジェーンスキー修道院 / 赤の広場(スーズダリ)

リザパラジェーンスキー修道院 / 赤の広場(スーズダリ)

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アレクサンドル修道院 Александровский монастырь

  ▼ 鱗(うろこ)の屋根が特徴のアレクサンドル修道院の現在の建物は17世紀に再建されたもの。14世紀のスーズダリの王妃の墓がある。2006年にウラジミール-スーズダリ教区の修道院として再スタートした。

うろこ屋根のアレクサンドル修道院

うろこ屋根のアレクサンドル修道院

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スモレンスク教会 Смоленская церковь
▼ スモレンスク教会は、スモレンスクの聖母を讃えて17世紀末に建設された。5つのクーポラと四角な建物は、当時のシンプルな建築様式を今に伝えるものとして貴重である。

スモレンスク教会(冬の教会)

スモレンスク教会(冬の教会)

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ポクロフスキー女子修道院 Покровский монастырь
  ▼ カメンカ川の畔に緑豊かなポクロフスキー女子修道院がある。16世紀に木造で建てられ、20世紀に再建された。ピョートルI世の最初の妃だったエヴドキヤ・ロプヒナがここで暮らしていた。ピョートルI世は彼女との離婚後エカテリーナI世と結婚した。

ポクロフスキー女子修道院

ポクロフスキー女子修道院

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野原のアコーディオン弾き

野原のアコーディオン弾き

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ピアノ曲集 「四季」 Tchaikovsky / Les saisons
   BGMに流れるピアノ曲集「四季」作品37bisは、ピョートル・チャイコフスキーが作曲したロシアの一年の風物を各月ごとに12のピアノ曲で描写した作品集である。
   ペテルブルグの音楽雑誌の企画依頼で1875年から翌年にかけて作曲され1885年に曲集として出版された。
12曲とも三部形式で書かれ、各曲ともロシアの詩人が各月の風物を題材にした作品を参考にしているという。
 
   BGMには、12曲の中から5月の白夜(五月の夜 ト長調)と6月の舟歌(ト短調 4分の4拍子)の2曲を選んだ。  
   12曲の中で最も気に入っているのが1876年7月頃に作曲されたという舟歌。ロシアの河や湖での船遊びを表現したもので、夕暮れのほのぼのとした気分を表しているという。  
   「四季」の作曲を引き受けたチャイコフスキーは、当時35歳頃で、他にも多数作曲していたこともあり、毎月このための小品を書くのを忘れがちになったため気の利いた召使いが締切間際になると朝早く主人を起して催促しそのお陰で、彼は朝ひと息でその月の曲を書き上げたという。こうして生まれた「四季」は、企画と音楽との両面で大成功し、ロシアばかりでなく、外国にも広まり、今もなお親しまれている。  

ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)

ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)

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