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 感動写真集

2005年10月26日改訂

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2005年10月25日作成

岩壁の僧院・莫高窟

岩壁の僧院・莫高窟(中国シルクロードの旅)

 絲綢之路

 シルクロードの旅

莫高窟

撮影・原作 大森保武

はじめに

 2005年9月4日(日)〜9月10日(土)の一週間、中国シルクロード(絲綢之路)に旅した。昼前にANAチャーター便で関西空港を出発、約5時間のフライトでウルムチに到着。一泊した後、翌日国内便で1時間10分ほどのフライトでウルムチ東方の敦煌(とんこう)に着く。敦煌では連泊し、主な観光地を巡った。

ANA機より見た天山山脈(最高峰 5,445m)の勇姿

ANA機より見た天山山脈(最高峰 5,445m)の勇姿

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ウルムチ(烏魯木斉)
 ウルムチは、中国北西部にある新彊(しんきょう)ウィグル(維吾爾)自治区中央部、ジュンガル(準菓爾)盆地南部のオアシスの町で、自治区の主都である。ウルムチとはモンゴル語で「美しい牧場」の意。古来より天山山脈(てんざんさんみゃく)の北側を通るシルクロード・天山北路(てんざんほくろ)の要地として発展してきた。
 新中国成立後の1955年に自治区の主都となり、政経・文化の中心都市となった。人口180万のウルムチは、ウイグル系、漢人系、イラン系、カザフ系その他の諸民族が居住する多民族都市で、蘭州との鉄道・公路、チベットへの公路が通じ、国内各都市や諸外国と結ぶ国際空港がある。

地 図

地 図

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資料

絲綢之路シルクロード

 シルクロードは二千余年の歴史があり、東の長安(今の西安)から西のローマまで各道をあわせると全長七千キロ余りとなり、その約半分が中国領内にある。

 中国北部を流れる中国で2番目に長い黄河(こうが)(全長5,464km)は「河(か)」と呼ばれ、今日の甘粛省(かんしゅくしょう)の大部分にあたる黄河西方の地域は、広く「河西(かせい)」と呼ばれてきた。

 黄河の西に連なる祁連(きれん)山脈から流れ出す党河(とうが)により、その北麓にはいくつかのオアシスが発達している。代表的なものとしては、武威(ぶい)(涼州)、張掖(ちょうえき)(甘州)、酒泉(しゅせん)(粛州)、安西(あんせい)(瓜(か)州)、敦煌(沙州)で、この五つのオアシス群を結ぶ路線こそ、中国と西方世界とを結ぶシルクロードで、河西通廊(かせいつうろう)又は河西走廊(かせいそうろう)と呼ばれる。
敦煌の駅

敦煌站とんこうたん

敦煌の駅「敦煌站」

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敦 煌とんこう

 敦煌は紀元111年、漢の武帝が郡を置いたことから始まった。当時は沙州(さしゅう)と呼ばれ、シルクロードの軍事的要衝のひとつだった。漢民族は、ここから西を「西域(せいいき)」と呼んだ。

 3.12万km2に広がる敦煌(とんこう)は、中国、甘粛省(かんしゅくしょう)北西部の酒泉地区に属する市で、人口18万。河西通廊(かせいつうろう)の西端に位置するオアシスの町で、かつてはシルクロードの中国側の出入口に当たる最重要拠点だった。敦煌の敦は「大きな」、煌は「盛ん」の意味。

寝台列車

寝台列車

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 敦煌は平均海抜1,138mで、オアシス面積は僅か4.5%しかない。冬は極めて寒く、夏は酷熱の地で、しばしば強風の吹き荒れることでも知られる。住民は漢人系、イラン系、トルコ系、インド系といったさまざまな種族からなる。
 敦煌の北と西にはゴビ砂漠が広がり、更にその西方にはタクラマカン砂漠が待ち受ける。前漢時代には、敦煌の北西100kmの地と南西70kmの地に、玉門関(ぎょくもんかん)と陽関(ようかん)が設けられていた。

岩壁をくり抜いた寺院

岩壁をくり抜いた寺院

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 玉門関は北西のハミ(哈密)やトルファン(吐魯番)へ通ずる西域北道(さいいきほくどう)の門戸、陽関はホータン(和田)へ通ずる西域南道(さいいきなんどう)の門戸となっていた。しかし、清代に入ってからは、ハミやトルファンへは敦煌の東北110kmの安西(あんせい)から交通するようになった。

陳列中心(展示センター)に向かう人々

陳列中心(展示センター)に向かう人々

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ゴビ(戈壁)砂漠

 ゴビ砂漠のゴビとは、モンゴル語で「草がまばらに生え、若干の動物が生息する荒れ地」を意味する普通名詞。一般にモンゴル南部から中国内モンゴル自治区北部、甘粛省の一部にかけての地域をゴビ砂漠と呼んでいる。
 この地は海抜1,000m前後の高原で、西部に砂丘が少しあるほかは大部分が砂礫のひろがるステップ*である。この地から巻き上げられ、気流に乗って運ばれる砂を黄砂(こうさ)と呼び、日本にも飛来する。
*ステップ:温帯内陸の乾燥草原。乾季には不毛地、降雨季には緑野に変ずる。

莫高窟の入口

莫高窟の入口

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莫高窟ばっこうくつ

 敦煌の名が特にに有名になったのは、敦煌市街南東25kmの鳴沙山(めいさざん)東麓の岩壁に掘られている仏教の大石窟群・敦煌莫高窟があり、20世紀初頭に、その第17窟、蔵経洞とよばれる仏洞から大量の経巻や古文書、書画の類が発見され、世界中の東洋学や仏教美術の研究者から注目を受けたことによる。

第61窟(五代) 娯楽

 

第158窟 各族王子

第61窟(五代) 娯楽 第158窟 各族王子
 

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岩壁の僧院・莫高窟

岩壁の僧院・莫高窟

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