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 感動写真集

2018年7月3日改訂

♪絲綢之路シルクロードのテーマ2

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2005年10月25日作成

赤茶けた岩肌の火焔山

赤茶けた岩肌の火焔山(中国シルクロードの旅)

 絲綢之路

 シルクロードの旅

火焔山

 敦煌で二泊して名所巡りを堪能したあと、夕刻夜行寝台列車でトルファンに向かい、翌朝5時過ぎに到着した。  

 
トルファン(吐魯番)

 トルファンは中国、新疆ウイグル自治区の東部、かつての西域北道沿いにあるオアシスの町で、ウルムチの南東110km、トルファン盆地の北縁にある。人口は17万で、7割を占めるウイグル人は多くがイスラム教徒である。

トルファンの朝の風景

トルファンの朝の風景

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 天山山脈の東側にすり鉢状に落ちこんだ南北60km、東西120kmのトルファン盆地は、中国の最低地として知られ、盆地の底にある艾丁(がいてい)湖の湖面は標高−154m、その深さは−399mの死海についで世界第2位。  
 「西遊記」で有名な火焔山(かえんざん)の地であり、元代に火州と呼ばれたことが象徴するように、夏の暑さが厳しく、最高気温が40℃を超える日が1年に40日近くある。また降雨量も少なく、風の強い場所としても有名である。  

荒野の高昌故城

荒野の高昌故城

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高昌故城こうしょうこじょう

 トルファン市街から東に45km、火焔山南麓にあるカラホージョとも呼ばれる高昌故城は、5世紀から7世紀にかけて漢人による独立の仏教王国を建てた高昌国の都城で、東西1,600m、南北1,500m、周囲5km余の方形の外城は、高さ11.5mに及ぶ城壁もよく保存され、シルクロードに残る最大規模の遺跡として知られる。

驢馬(ろば)車で故城を巡る

驢馬(ろば)車で故城を巡る

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 高昌故城は、王城・内城・外城と3部分に分かれ、王城が外城の最北部に位置し、内城が外城の中心部にある。建物は日乾煉瓦(ひぼしれんが)によって築かれ、アーチ型の出入口が多い。日乾煉瓦は畑の容土や肥料として使われたため、落城のあと大部分は持ち去られて崩れている。

 玄奘(げんじよう)がインドへの求法(ぐほう)の旅の途中に約1ヵ月滞在した寺院跡は南西の隅にある。高昌国王は旅費や従者を与えるなど玄奘に全面的な支援を行い、そのお陰で玄奘は目的を達する。インドからの帰途、高昌国に立ち寄ろうとした玄奘は、高昌国が侵略を受けて既に滅んでしまったことを知る。  玄奘三蔵(600?-664)  

驢馬と御者(高昌故城)

驢馬と御者(高昌故城)

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 漢代には高昌壁が築かれたという記録がある。5世紀、蘭州出身の漢人、麹氏(きくし)一族によって麹氏高昌国(きくし・こうしょうこく)が成立し、以後640年に唐の太宗(たいそう)によって滅ぼされるまで、約140年間存続した。   

荒野の廃墟(高昌故城)

荒野の廃墟(高昌故城)

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 9世紀末、唐が全面的に撤退した後、10世紀にはウイグル人の「高昌大王府」が置かれた。高昌故城はその後300年間ウイグル人の拠点として栄えたが、13世紀にチンギス・ハンの遠征軍に襲撃され、廃墟となってしまった。

赤茶けた岩肌の火焔山

赤茶けた岩肌の火焔山

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火焔山かえんざん

 火の山、すなわち火焔山は炎熱の地トルファンの代名詞といわれるほど有名である。トルファン盆地の北端に長さほぼ100kmにわたって屏風のように連なる山脈が火焔山であり、ウイグル語では「クズロダゴ」と呼ぶ。

火焔山の駱駝

火焔山の駱駝

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西遊記さいゆうき

 

 隋書の中で、火焔山は赤石山として紹介されている。最高峰は851mで、文字どおり赤い山肌が延々と続き、実際に炎のような陽炎(かげろう)がたつという。 また、西遊記にも登場し、その中で「火頭飛ぶこと高さ千丈」と表現されている。

西遊記の像(ベゼクリク千仏洞)

西遊記の像

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撮影:口羽 崇芳さん

 西遊記は、中国の明(16世紀)の時代に書かれた伝奇小説で、僧である三蔵法師が三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、さまざまな冒険をしながら天竺へ経を取りに行く物語である。著者は呉承恩(1504? - 1582?)で、江蘇省生まれの官吏・詩人といわれる。

民族衣装の女性(ベゼクリク千仏洞)

民族衣装の女性(ベゼクリク千仏洞)

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ベゼクリク千仏洞

 火焔山の谷間にあるベゼクリク千仏洞は5〜6世紀の高昌国の時代に開かれ、イスラム教がトルファンに入る13世紀末まで、700年あまり栄えた。 石窟内には美しい仏教壁画があったが、イスラム教徒や西洋の探検隊に剥がし取られ、現在ではわずかしか残っていない。

壮大なベゼクリク千仏洞

壮大なベゼクリク千仏洞

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