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 旅紀行日本の裸祭り

2011年2月12日改訂

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♪八千代獅子/邦楽琴

夏山路神代に生ゆる欅かな   北舟

 

A mountain path, the zelkova came up at the age of the gods.

2008年9月16日制作

神代ケヤキの坂をのぼる一行

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神代ケヤキの坂をのぼる一行/武州御嶽山(東京都青梅市)
鐵砲洲稲荷神社神紋   武蔵御嶽神社   鐵砲洲稲荷神社神紋

武州御嶽山滝行

神代欅

 
 立派な朱塗りの門をくぐり、玄関から中に入ると正面奥に祭壇があり、御師の写真が飾られていた。祭壇の前に4人の白装束のスタッフが座っており、修業体験講座の申込者の受付にあたっていた。

秋山荘の祭壇の前で受付 2008.9.6 12:20

秋山荘の祭壇の前で受付

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   土曜日の午後1時から日曜日の午後4時半まで実施される修業体験講座の内容は、滝行、山駆け、大祓行法、鎮魂などで、18歳から65歳までの健康な男女なら誰でも参加できる。参加費は15,000円で、行に必要な褌や白衣などは貸与される。
作務衣さむえ などの貸与品を受け取る

羽場左近はばさこん

さん(74歳)

作務衣などの貸与品を受け取る羽場左近さん(74歳)

   受付で作務衣(さむえ)などの貸与品を受け取っている人は、東京都国立市(くにたちし)にお住いの羽場左近(はばさこん)さん(74歳)で今回で5回目という。参加者22名(うち女性9名)の中で最高齢者である。本来は高齢のため参加資格がないが、特別許可を得て参加した。  

羽場さんに貸与された物品

羽場さんに貸与された物品

 羽場さんに貸与されたのは、作務衣上衣、越中褌、鉢巻、名札、修業体験講座のテキスト、貴重品袋の6点。テキストと貴重品袋以外は、終了後返納する。貸与された褌は布が薄くて透けて見える恐れがあるため、羽場さんは法衣店で調達した厚手の水行褌を締めた。

法衣店で購入した厚手の水行褌を締めた羽場さん

法衣店で購入した厚手の水行褌を締めた羽場さん

 滝行は鉢巻と褌以外何も身につけず、裸足で行うのが原則だが、滝壺は滑りやすいので白足袋を履くという。

修行講座の4人のスタッフ

修行講座の4人のスタッフ

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   午後1時までに手続きを済ませた受講者たちは全員白衣に着替えた後、受付の隣の大部屋に集合し、須崎祭事部長による挨拶とスタッフの紹介、講座の概要説明、注意事項の伝達などのオリエンテーションが行われた。  
全員を集めてオリエンテーション 13:20

全員を集めてオリエンテーション

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宿舎を出発して御嶽神社に向かう

宿舎を出発して御嶽神社に向かう

   白衣に着替えて行者らしくなった受講者たちは、貴重品と荷物を宿に預け、手荷物のみを持って秋山荘を出発し、武蔵御嶽神社に向かった。移動は一列縦隊で歩き、私語は一切禁止である。  
草むす

御師おし

の家

草むす御師の家

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御岳みたけ

神代じんだい

ケヤキ
 
 社伝によれば日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の昔から生い茂っていた木とされ古くから神代(じんだい)ケヤキの名で親しまれている。昭和3年(1928)国の天然記念物に指定された。
 青梅市教育委員会によれば樹齢推定約600年、樹高30m、目通り目通り(目の高さの幹周り)8.2mという。かなりの老木で、瘤があり、空洞にはカバーがかけられている。
御岳みたけ

神代じんだい

ケヤキの坂をのぼる一行

神代ケヤキの坂をのぼる一行

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  夏山路神代に生ゆる欅かな  北舟 

なつやまじ かみよにおゆる けやきかな

A mountain path, the zelkova came up at the age of the gods.

御岳みたけ

神代じんだい

ケヤキ

御岳の神代ケヤキ

神代じんだい ケヤキがよく見える

駒鳥こまどり

売店(右)を通過/神社門前商店街

神代ケヤキがよく見える駒鳥売店(右)を通過/神社門前商店街

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手水てみず の作法
 神社にお参りする際はまず手水舎(ちょうずやてみずやちょうず しゃてみずしゃ)で手と口をすすぐ。昔から清らかな水は穢(けがれ)を流すとされ、手水は禊(みそぎ)を略式化したもの。
【1】柄杓(ひしゃく)を右手に持ち、左手を洗う。 【2】柄杓を左手に持ち替え、右手を洗う。 【3】柄杓を右手に持ち替え、左手に水を受けて口を洗い、左手を洗う。 【4】柄杓を立て、柄(え)の部分に水を流す。 大相撲のように、直接柄杓に口をつけてはいけない。
手水舎ちょうずしゃ

手水てみず

の作法を指導する須崎祭事部長

手水舎で手水の作法を指導する須崎祭事部長

 

随身門ずいしんもん

 参道入口の随身門は拝殿や弊殿と共に元禄13年(1700)に造営されたもので元々は仁王門だったが、江戸時代の末期に右大臣・左大臣の像が安置され、造りも二層楼閣だったものが一層に改修されている。

鳥居と随身門

鳥居と随身門

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御嶽講みたけこう

 中世、山岳信仰の隆盛とともに、関東の修験(しゅげん)の一大中心として、鎌倉の有力な武将たちの信仰を集めた武州御嶽山は、御嶽権現(みたけごんげん)の名で厄除・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えた。

御嶽講みたけこう

の記念碑が並ぶ石段

御嶽講の記念碑が並ぶ石段

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   人々の社寺詣が盛んになると共に世に三御嶽の一つとして武蔵・相模を中心に御嶽詣が関東一円に広がるとやがて講*(こう)が組織され、御嶽講として御嶽山に参拝する仕組みが生まれた。
 昔は字(あざ)などを単位とし、その字名(あざな)を冠して「○○御嶽講」などといい、全講員に代わって参拝する代参人数名により御嶽詣(みたけもうで)が行われた。旅費は講を構成する家々から集めたお金(古くは米や五穀)でまかなわれた。
*(こう):宗教上・経済上その他の目的のもとに集まった人々が結んだ社会集団

大杉が林立する石段

大杉が林立する石段

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   現在でも春には代参人が神社参拝を行い、秋から冬にかけては御師が各地の講に出向き、一軒一軒お札を配り、家によっては神棚の祈祷も行っている。ある御師の場合は春の4・5月には40組350名ほどの講員を迎え、冬の12・1・2月には約60箇所800軒の講のお宅に出向き、お札の頒布や神棚祈祷を行うという。

御嶽講みたけこう

の人たち

御嶽講の人たち

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   参道の両側に建てられた○○講や△△講中と書かれた御嶽講の記念碑は、新しいものも沢山あり、現在でも講が続いている。最近は、記念碑を建てる敷地がなくなり、信者の寄進は石段の修復にシフトされている。
社務所の前をあがると拝殿

社務所の前をあがると拝殿

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随神門から300段の石段を登ると、神明造の本殿と権現造の拝殿・幣殿が建つ標高929mの御岳山山頂に至る。

御嶽山みたけさん

山頂(929m)に鎮座する武蔵御嶽神社 13:50

御嶽山山頂(929m)に鎮座する武蔵御嶽神社

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