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 旅紀行日本の祭り
2002年8月18日改訂

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2002年5月27日作成

葵祭御所出発

楠公役の井戸敏三・兵庫県知事(左)と弟・正季(まさすえ)役の矢田立郎・神戸市長(右)

市民が支える時代絵巻

 2002年5月26日(日)、神戸市・湊川神社(みなとがわじんじゃ)の楠公祭(なんこうまつり)で、17年ぶりに楠公武者行列が復活した。騎馬武者、神輿、稚児などが昔ながらの衣装を身にまとい、総勢800人が湊川神社からハーバーランド、湊川公園を経由して神社に戻る5kmのコースを行進した。
 この時代行列は、神戸市民が楠公さんと愛称する楠木正成(くすのきまさしげ)が、1333年(元弘3年)6月、幽閉地の隠岐から京に戻る途中の後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列を再現したものである。氏子など市民有志による楠公武者行列実行委員会が主催する私祭として、湊川神社の楠公祭・神幸(行列巡行)に併せて行われるもので、市民が支える一大行事である。
 初夏の晴天に恵まれた朝、湊川神社本殿にて発御祭(はつぎょさい)が執り行われ、楠公ご夫妻の御霊(分霊)が神殿から神輿に移乗された後、楠正成には井戸敏三・兵庫県知事、副将の弟・正季(まさすえ)には矢田立郎・神戸市長、長男・正行(まさつら)にはタカラジェンヌの芽映はるかさんが扮するなど、多くの市民が参加した行列が、午前10時頃、正行との最後の別れを歌う「青葉繁れる桜井の...」のメロディが流れるなか、湊川神社を出発、多くの市民が古式ゆかしいページェントを沿道から見守った。
 今回復活した武者行列は、湊川神社が御鎮座130年の佳節を迎えるにあたり、楠公没後600年を記念して華々しく開催された1935年(昭和10年)当時を再現したもので、当時の新聞によると、そのときの武者行列は総勢3,000人、人出は50万人だったという。戦前までは毎年盛大に行われていたが、戦争で衰退し、戦後1965年(昭和40年)までは簡略化された武者行列が行われたが、地下鉄工事などのために中断を余儀なくされ、以後満足に行われたのは1975年(昭和50年)と1985年(昭和60年)の2回だけというありさまだった。
 その後阪神淡路大震災に見舞われ、中断したままとなっていたところ、このたび関係者の長年の努力により17年ぶりに再開されたものである。今回の試みを機に、市民が支える神戸の一大イベントとして定着することを祈りたい。
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発御祭 分霊を待つ神輿 神殿開扉 分霊が神輿へ

01発御祭(はつぎょさい)
 
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02 分霊を待つ神輿
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03 神殿開扉
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04 分霊が神輿へ
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猿田彦の舞 楠公の神輿 奥方の神輿 身支度
05 猿田彦(さるたひこ)の舞
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06 楠公の神輿
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07 奥方の神輿
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08  身支度
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最後の打合せ 出陣を待つ兵士たち 武者と従者 余裕の女武者
09 最後の打合せ
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10 出陣を待つ兵士たち
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11 武者と従者
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12  余裕の女武者
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 楠木正成と湊川神社

湊川神社楼門  楠木正成は、北条執権時代の1294年(永仁2年)、大阪・南河内に生まれた。無名であったが、後醍醐天皇の命を受けて鎌倉倒幕の兵を挙げたころから頭角を現す。 湊川神社本殿
 「武家が政治を行うのではなく、天皇が自ら行うべきである。」との考えから後醍醐天皇の「建武の中興」に係わる。
 結果的に共に歩んできた足利尊氏が離反し、湊川の地で足利軍と戦う。
 敵は数万、味方は七百余という戦の末、正成は弟・正季らとともにこの地で自刃した。楠公の死後、この地に小さな墓が立てられたが江戸時代初期に尼崎城主・青山幸利が五輪塔を建て、梅と松を植え墓標とした。
楠公肖像画  1692年(元禄5年)、大日本史を編纂中の水戸光圀が水田の中にあった小さな塚に〈嗚呼忠臣楠子之墓〉と自書した墓碑を建てた。 「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑
 幕末に尊王論が高まると、正成顕彰がさかんになり、1872年(明治5年)、後に初代兵庫県知事となる伊藤博文らの請願により、明治政府は楠木正成を祀る湊川神社を創建し、別格官幣社に列した。正成の子正行以下16人を配祀する。
 本殿西隣には、自刃の地が残り、境内の東側には国指定史跡の墓所と徳川光圀による「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑が立つ。
楠木正成 1294年(永仁2年)生 1336年(建武3年・延元元年)没 鎌倉・南北朝時代の武将 大阪府・河内出身 幼名多聞丸 河内の国の豪族の家に生まれる 1331年後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐に参加し赤坂城で挙兵 1332年千早城に立てこもり鎌倉幕府と戦う 建武中興で河内守・摂河泉3国の守護となる 離反した足利尊氏を討ち九州に駆逐する 1336年(建武3年・延元元年)湊川の戦い足利軍を迎撃し敗北 弟・楠木正季と差し違えて死亡 首は六条河原にさらされたあと河内の妻子の元に送られる 当時11歳の楠木正行は父の首を見て自害しようとしたが母に諫められて思いとどまる 1880年(明治13年)7月贈正一位 皇居二重橋付近に銅像がある
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馬と出発を待つ いざ出陣 神輿の行列 薙刀の稚児行列

13 馬と出発を待つ
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14 いざ出陣
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15 神輿の行列
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16 薙刀の稚児行列
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車上の神輿 楠木正行(まさつら) 楠木正成 舞人(まいびと)「陵王」
17 車上の神輿
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18  楠木正行(まさつら)
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19 楠木正成(まさしげ)
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20 舞人(まいびと)「陵王」
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ハーバーランド付近の行進 女騎馬武者 馬上のタカラジェンヌ 手を振る稚児

21 ハーバーランド付近の行進
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22 女騎馬武者
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23 馬上のタカラジェンヌ
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24 手を振る稚児(ちご)
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《 撮影 2002年5月26日 神戸市内 》
 オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素 530枚

楠木正成と観心寺 楠木正成1 楠木正成2 聖徳太子と楠木正成 千早城

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