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 旅紀行日本の裸祭り

2003年5月10日改訂

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2001年11月10日制作

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ふんどし談議 2/2

←播州秋祭ふんどし談義→

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浜の宮・須加

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■■■ ふんどし談議 PART2 ■■■
 

 播州秋祭シリーズのメインとなる「灘のけんか祭り」の解説文について、10月30日付けの徒然日記で「ふんどし談議」という見出しで「ふんどし」という言葉を巡る議論を紹介した。

 このたび最終決着となったので、その顛末を記したい。

 前回は、「まわし」も同じ「ふんどし」なので、私の語感でそのまま「ふんどし」という言葉を使わせてもらうということで終わった。しかし、その後、日記の「ふんどし談議」を読まれた読者から次のようなご意見が寄せられた。

 灘の喧嘩まつりの「ふんどし」と「まわし」の談義は、あまりどちらにもこだわらない方がいいと思います。地元の人がこうしてほしい・・といえば、私はその気持を尊重します。その土地のしきたり、風俗、風土を尊重したいと思います。あえて、私は「まわし」と呼ぶ方に支持します。あれはやはり、「ふんどし」の一種類の「まわし」だと思います。
 このご意見を受け、私は自分の思い入れを押し通したことで、感情を害されている人がいれば、それは良くないことだと反省した。そこで、最初にご意見をいただいた地元のAさん(灘のけんか祭りに錬り子として参加され、 灘のけんか祭り を主宰されている。)に、次のようなmailを出した。
 
 先日は、貴重なご意見をお寄せいただき、有り難うございました。その後も他の方から「ふんどし」という言葉の使用についてご意見が寄せられました。再度検討させていただいた結果、自分のこだわりを押しとおすことで地元の人の思いを傷つけるのは、良くないことだと思い至りました。

 そこで、訂正の申し入れのあった「灘のけんか祭り」に関係する「灘のけんか祭り」と「男たちの写真展」の文面から「ふんどし」という言葉を「まわし」に代えました。どうかご確認下さい。仲間の皆様にも宜しくお伝え下さい。

 その後、Aさんから次のようなお礼のお便りが届き、本件は円満に落着した。

 こんにちわ。灘のけんか祭りHP管理人です。

 「ふんどし」修正されたの確認しました。ありがとうございます。お礼を言うのはおかしいかな(笑) 「まわし」の方がやっぱり私達にはしっくりときます。その言葉でなれてしまっているからでしょうか・・・?「ふんどし」ではないですね。灘に限ってではないと思いますが。

 よく祭りを知らない子に写真とか見せて説明とかしてたら「ふんどし」してるとか言われます。そしたらすかさず「まわしや!」と言ってしまいますね(^^;; やはり「ふんどし」と「まわし」は別物でしょう。勝手な解釈でもうしわけないですが。相撲取りがしているのを「ふんどし」とは言わないと思うので・・・

 勝手なことばっかり書いてもうしわけないです。

 子供から「ふんどししてる」といわれても「まわしであってふんどしではない」と言い切るAさん。相撲の世界でも「人のふんどしで相撲をとる」や「ふんどし担ぎ」という言葉があるのだが...。ともあれ、ホームページは自分だけのものではないということや、そのためには用語の使用に細心の注意が必要であることなど、多くの教訓を得たふんどし談議であった。

追伸: 翌日、この日記を読まれた姫路在住のSさんから次のお便りが寄せられた。

 徒然日記を拝見いたしました。

 灘同様に屋台(太鼓台)やみこしが登場し、勇壮な動きを見せる岸和田や愛媛の西条まつりなどでは、神前の礼儀か、曳き廻しの怪我防止かは定かではありませんが、昔から肌を露出しない装束となっているようですし、「はだかまつり」を除き、ふんどし姿はあまり見られないようです。

 呼称につきましては、この「はだかまつり」の類では、”ふんどし”と呼んでおり、”まわし”という呼び方はしていないように思われます。千葉県に御輿をかついで海に入る祭りがありますが、担ぎ手は皆ふんどし一丁で、ここではたしか”ふんどし”と呼んでおりました。

 灘地区では、相撲と同様に神前の礼として、祭り装束として”まわし”と呼び、下着の”ふんどし”と区別しており、また、呼称も祭りの一部としてこだわりをもっているのではないでしょうか。(推測です。)

 私見といたしましては、訂正された判断は正しいものと思われます。

 Sさんのご意見では、灘地区の場合、「ふんどし」という場合は、祭り装束を指すのではなく、下着を連想するようである。そのようなイメージであれば、Aさんがいわれるように、祭り装束として着用するのは「まわし」であって、下着の「ふんどし」ではないということで、それなりに納得できる話である。

 日本古来から伝わる「ふんどし」とは何だろうかと考えてみると、それは日本人のアイデンティティ identity (日本人らしさ)を示す非常に大切なものであるというのが私の持論である。

 何年か前、ロンドンに2週間滞在したことがあるが、そのとき、ポスターや雑誌のグラビアで、スコットランドの伝統衣装であるキルト kilt をまとった若い男性が、風でキルトがあおられて白い臀部がむき出しになっている写真を目にした。

 調べてみると、スコットランドでは、古来からノーパンが伝統だったのだ。バッキンガム宮殿では、チャールズ皇太子はじめ、衛兵、バグパイプ奏者などが日本の着物に当たる伝統のキルトを着用するときは、現代でも下着は何もつけないという中世からの伝統を固持しているそうだ。寒いとか、格好が悪いとか、局所のサポートがなく不安定だからといって、パンツをはく人はいないそうだ。

 キルトの下から尻が覗く写真が堂々と衆目にさらされているのを見ると、イギリス人は、そのような光景を卑猥だと感じるのではなく、むしろ、当たり前のものとして、また、粋なもの、ユーモラスなものとして、少なくとも好感を持って受け入れられているのだろうと感じたのだった。

Eton College  イギリス人の国民性の一つに、古い物を大切にするということがある。ロンドン西方35kmにあるウィンザー城のそばに、オックスフォードやケンブリッジに多数の学生が進学するイートン校 Eton College がある。ここの制服が燕尾服で、それが世界(日本)の礼服になったことで特に有名だが、そのイートンのキャンパスに足を踏み入れたとたん、校舎は廃屋かと思うほどの古い建物だった。

 通路やドアもボロボロだ。落書きのあとも沢山ある。それでも中はリフォームされていて、人が住んでいる。イギリスには台風も地震もないから、建物は何百年ももつ。だからイギリス人は、古い建物をリフォームしながら使い続けているだ。

Eton College

 昔から伝わる伝統や古い物を大切にする心、アンティーク好きは、生まれながらの環境の中で親子代々培われてきたものだったのだ。イートンを見てイギリス人のメンタリティを少しだけ理解できたような気がした。

 ひるがえって日本はどうだろう。日本人の心や伝統は、まず最初に明治維新の洗礼を受けて崩壊が始まった。政府主導で西洋文化崇拝が始まり、ちょんまげと和服の文化をざんぎり頭と洋服の文化に強制的に切り替えられたときから、古いもの、伝統的なものが全て時代遅れでダサイものであるという固定概念に変えられてしまった。

 そして第二次世界大戦の敗北によって決定的な打撃を受けた日本人は、戦後のアメリカ文化の波に飲まれてしまったのだった。長くゆるやかに流れてきた日本の歴史にあって、僅か一世紀余りのあいだに、このような大変革が起こってしまったのだ。

 現在の日本は、古くなればすぐに壊して新築し、使い捨てや新しいものにすぐに飛びつく気風が当たり前のようになっている。僅か一世紀余りで日本人はそんな軽薄な国民性を持つに至ってしまったのだろうか。昔はそうではなかったはずだ。温故知新。2000年の節目を通過したばかりの現代、このあたりでもう一度考え直す必要がありそうだ。

 伝統や古来の文化を守るには、合理性や利便性では解決できない。イギリスのキルトに見られるように、不合理性や不便性があっても、頑固なまでにその様式を固持する気概が必要であり、それには忍耐も欠かせない。それを支えるのは、国民性や気候風土に根ざした、他の国にはない独自の文化を持っているという誇りなのではないだろうか。

 21世紀を迎えた今、日本人のアイデンティティ identity (日本人らしさ)を復活すること、つまり、廃れつつある伝統文化を復活することが大切だと思う。建国僅か200年のアメリカは、伝統がないことで最も伝統を尊重する国の一つである。日本は2000年の伝統があるのに、その有り難さや重みを実感できないでいるのが現状である。

 何でも自由で好きなことが出来る現在の日本は素晴らしい国である。しかし、不便でも不自由でも、世界に誇ることのできる長い長い伝統文化を特殊な人だけに任せるのではなく、我々日本人一人一人が地域社会や家族の交流の中で受け継ぎ、育み、存続していく努力が必要なのではないだろうか。

 ふんどしの文化は、単なるファッションや個人の嗜好の問題というだけではなく、現在存続の危機に直面している日本古来の伝統文化の現状を象徴するものだと思う。

 胴長短足の日本人には、世界に誇る和服が似合う。和服を着るときは、男性の下着はふんどしである。女性は腰巻で、その下にはなにも着けない。なぜなら、イギリス人のキルトと同様、それが日本古来の伝統であり様式美だからだ。

 祭りで屋台や神輿を担ぐときは、粋な祭りふんどしやまわしをキリリと締めてほしい。パンツやトレパン姿が混ざってしまうと、その瞬間から日本の伝統が崩壊し、祭りの品位が失われる。浅草の三社祭などで、せっかく祭りふんどしを締めているのに、恥ずかしいのか、腹巻きで臀部を隠している男をよく目にする。そんなみっともないことは止めて、堂々と祭り衣装を誇示して欲しい。相撲をとるときは、きちんとしたまわしを締めよう。パンツやブリーフの上からまわしを締めるのは、とても見苦しい。

 播州の秋祭りは、日本古来の裸の美学が息づいている。外国人もこの祭りを見て、きっと wonderful exciting だと思っていることだろう。世界中のどこにも存在しない素晴らしい祭り文化が現代に継承されているのだから!

 左の写真をご覧いただきたい。播州では、祖父から父へ、父から子へと、この秋祭りの伝統が受け継がれている。まだ幼い男の子が、大人とまったく同じ祭り衣装で屋台に立っている。(浜の宮天満宮) このように伝統の継承が行われている播州は、本当に素晴らしいところだ。これからも、高温多湿の風土にマッチした日本古来の裸文化を世界にアピールしていただきたい。心から声援を送る。

ふんどし談議 2/2

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