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 旅紀行日本の裸祭り
2012年4月7日改訂

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♪海のアラベスク〜千年女王〜氷湖〜精霊

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江の島天王祭(神奈川県藤沢市江ノ島)

江の島天王祭(神奈川県藤沢市江ノ島)

2003年12月31日制作

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劇場訓蒙図彙の挿絵

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ふんどし談議 2/2

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2006年11月5日(日)曇  K   様より  ふんどし談義

こんにちは  
Sumo matches of a Shinto ritual, A boy's pouch of skin appears by chance.
         しょうねんの ふぐりみえもす みやずもう

和田さんご無沙汰しております。今日は、この俳句の英訳があまりにも面白かったので、思わずメールしてしまいました。少年が相撲をするときに、偶然にも、その少年の体の稲荷寿司が見えてしまうといった解なのでしょうか。それにしても、少年の金玉を稲荷寿司に見立てているところが面白いですね。また、相撲の競技中に横から、それが見えてしまうというのも、少年ずもうだから許されることなのでしょうか。

大相撲で、まわしの前袋から、何かカオを出したらその時点で負けですから。これから冬になりますね。はだかまつりの季節が到来です。今年も全国各地の裸祭りをぜひご紹介下さい。楽しみにしております。

今晩は。お便り有り難うございました。自称「名句」の中に入れている滑稽句「少年のふぐり見えもす宮相撲」をお褒め頂き、光栄です。Kさんは、英語にお詳しいようですね。正確に説明しますと、「ふぐり」は陰嚢のことで scrotum です。そのままの英語では全く面白くありませんので、私がひねり出したのが pouch of skin で、直訳すると「皮膚でできた袋」です。
 

撮影:K. T.

勝負あった!(烏相撲/京都・上賀茂神社)

この写真がそれです。この写真も見事で、撮ろうと思って撮れるものではありません。「みえもす」は宮相撲ですから「(褌からはみ出て)見えることもある」の意で、「Appears by chance」としました。現在形です。

私の元気な内にご期待にお応えして来年2月下旬に裸祭りの決定版「黒石寺蘇民祭」に挑戦します。

2006年11月2日(木)晴  丹下誠司   様より   インド通信

団塊の世代の感傷旅行「大和のふるさと」完成!
 
配信、ありがとうございます。子供の頃、海上自衛隊の叔父を訪ねて、松山から、祖母と何回か行った江田島、小学校の低学年だったでしょうか、その時、記念館で見た大和の砲弾とか、日の丸への遺書とか、懐かしい光景が。40年ぶりぐらいで、思い出されて来ました。(略)

早々に「大和のふるさと」をご覧いただき、有り難うございました。丹下さんの叔父さんが海上自衛隊に勤めておられたため、松山から江田島に行かれたんですね。当時は水中翼船もなく、フェリーで平清盛が拓いた音戸ノ瀬戸を通って行かれたと思います。大講堂などのリフォームがありましたが、基本的には当時と殆ど変わっていないと思います。

正門近くの売店(PX/ピーエックス)に行き、越中褌(海軍の隠語でFU/エフユー)を売っているかどうか聞いたところ、販売していないとのことで、時代の変化を感じました。ちなみに陸上自衛隊では野戦訓練などがあり、着替えに便利なFUが重宝されていますので、今でもPXで販売されていると思います。(^^;

2006年10月19日(木)晴  M   様より  ふんどし談義にある褌の写真使用について 

TBS テレビのM と申します。 
はじめまして。 わたくしTBSテレビの番組を制作しておりますM と申します。 実は、わたくしどもの番組で都道府県のクイズを出題するコーナーがあります。 そのなかで、漢字クイズがあり「褌」という漢字をあてるという問題が出題されるのですが、和田様のHPを拝見させていただいてまして、神田祭のお写真が非常に男らしくかっこいい写真で問題にぴったりなのでぜひとも使用させていただけないかなと思いメールをさせていただきました。

お忙しい中恐縮ではございますが、ご検討の程何卒宜しくお願い申し上げます。ご解答のほうを返信していただけたら幸いでございます。企画書を別紙にて添付させていただきます。(略)

今晩は。お便り有り難うございました。褌の写真のご用命をいただき、ありがとうございました。以下の条件でご自由に加工してお使い下さい。必要なら原画をお送りさせていただきます。

なお、プライバシーの問題がありますので、どの写真なのかお知らせ下さい。後ろ姿なら問題ありませんが、顔がハッキリ分かる写真だとぼかす必要があるかも知れません。以上、宜しくご検討下さい。有り難うございました。(略)
 

返信、ありがとうございました。写真ですが、「旅紀行日本の裸祭り」の中の第4+集のふんどし談義の《神田祭の江戸っ子たち》の大きな写真の下に3枚ある中の一番右の写真を使用したく思っております。使い方としては、顔を切って首から下を使用させていただきたいと思っておりますがよろしいでしょうか。
 
使用写真は http://wadaphoto.jp/maturi/images/kan43l.jpg で、首から下を表示するとのこと、了解です。(中略)宜しくお願いします。有り難うございました。

2006年10月16日(月)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ

褌の種類の件 いつもお世話になっています。今日和田様のサイトを拝見していまして、気になったところがあります。それは『褌談義』の「褌の種類」のページです。

広辞苑によると、「六尺褌」とは「晒木綿6尺を用いて作る男の下帯」である。6尺は180cmほどなので、実際はもっと長く、用途によって寸法がかなり違っている。六尺褌は、古くから男性の下着のほか、労働着として定着した。

とありますが、http://www.geocities.jp/thai_rokushaku/ ここを開いていただいて、左に並んでいるページの「六尺褌入門」をご覧下さい。そこに鯨尺と曲尺について記してあります。表題は「褌の場合、六尺というのは、1.8mではありません」というところです。

私は裁縫をする時に、母からこのように教えてもらってきました。いかがでしょうか。では、お元気で。

お便り有り難うございます。鯨尺の件は、私も知っています。母が裁縫していましたので・・・。褌談義のご指摘の部分は、そんなに詳しい説明をしていませんが、間違った記述はありません。

広辞苑によりますと、「六尺褌」は「晒木綿サラシモメン6尺を用いて作る男の下帯。」となっています。また、「尺」は「尺貫法における長さの単位。古来用いられ、大尺(高麗尺)・小尺があり、近世には曲尺カネジヤク・鯨尺・呉服尺・享保尺などがあったが、明治以後は曲尺が採用され、1メートルの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。」とあります。

私も学校で尺が統一されたことを習いましたので、鯨尺と言わない限りは、曲尺となります。従って、六尺褌の六尺も曲尺の180cmをイメージするのは、私を含めて普通の人の感覚であり、正常だと思います。それでは短くなるので、褌販売店でもメートル法で、六尺褌の長さは240cmなどと表示しています。

六尺褌は、前垂れ式や前袋式、体格差などにより、長さが大幅に変わってきます。六尺褌の六尺は鯨尺の長さだといってみたところで、決まった長さに裁断される訳ではありませんので、曲尺であれ鯨尺であれ五十歩百歩です。従って、実際の長さはもっと長く、用途によって寸法がかなり違っていると説明しました。

越中褌も三尺褌と呼ばれますが、要はイメージで、前垂れの長さは、地域や人の好みでかなりの差があり、三尺ピッタリの長さだとは誰も思っていません。六尺褌の半分くらいの長さの褌だということでしょう。

ご指摘、有り難うございました。
 

私たちの年代ですと、母が家で寝巻きから浴衣までみな仕立てた時代ですが、さすが和田様で、細かいところまでご考察されており、感じ入ります。かえってお手数をお掛けしてしまい、申し訳ありまでんでした。和田様のサイトは本当に安心して拝見することができます。では、お元気で。

2006年10月10日(火)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ

こ無沙汰いたしております。お変りありませんか。今回のデジカメ購入に際しましては、いろいろお世話になりありがとうございました。一ヵ月半ほど不在にしておりましたが、その間に精力的にホームページのアップデートが行われているのを知り、感服いたしております。特に重陽の烏相撲では、伝統に則った形で褌が伝承されているようで、ほほえましく思いました。緩褌はご愛嬌ですね。

帰ってから毎日雨ですが、こちらはまだ褌一丁でも十分過ごせます。当地では雨季が明けますと、一年で一番過ごし易い時期となります。これから寒くなる日本とは大違いです。

今晩は。お便り有り難うございました。無事にバンコクに帰還され、軍事クーデターの影響もなく平常とのこと、安堵しました。「重陽の烏相撲」は読者のご要望で実現しましたが、素晴らしい伝統行事が古都に残っていて、感動しました。褌はどうしても緩むもので、子供の場合はそれが可愛らしく思います。水森亜土さんがいっておられたようにお尻が赤くなるのも愛嬌ですね。(^^

風呂上がりは褌一丁といきたいところですが、メッキリ涼しくなってきましたので、日本ではそうはいかないようになりました。タイは、水害が大変のようですが、これからが過ごしやすい気候になるのでしょうね。新しいカメラで素晴らしいタイの画像を沢山切り取って下さい。有り難うございました。

2006年10月9日(月)晴  清原 浩   様より   若宮八幡秋季大祭/川組後援会

こんばんは、清原です。 祭りの日程時間がほぼ決まりましたのでご連絡いたします。

3日(金) 14時00分頃 川組與丁集合 (参照)・・・宮町公民館
      ※川組み與丁着替え。後、宮町でお神酒を頂いて回り、17時30分位までに市役所に集合。

3日(金) 18時15分頃 陸組み御神輿本宮お立ち (参照)・・・若宮八幡を立ち、参道を通り市役所へ。
      ※川組み與丁は、市役所前待機。

3日(金) 18時30分頃 市役所前引き継ぎ (参照)・・・陸組みから引継ぎ。
      ※横棒の差し替えや三本締め後、玉津側を進行。

3日(金) 19時00分頃 大たいまつ点火・大太鼓 (参照)・・・特設ステージサイド。
      ※この間、御輿は玉津側を進行中。

3日(金) 19時30分頃 御神幸の入川(お下り) (参照)・・・玉津側より入川。
      ※入り川の前に乗船。

3日(金) 20時00分頃 御神輿の出川 (参照)・・・高田側より出川。のち陸組みに引継ぎ。
      ※御輿より先に下船。引渡し完了後、與丁は市役所へ。     
      
3日(金) 21時20分頃 お着き (参照)・・・陸組みが高田側を下宮に向けて進行。
      ※この間、川組みは、市役所にて着替え、片付け帰宅準備。

流れ的にはこの様な感じですね。(時間は多少前後します。) 時間的に重複する間があります。特に、御輿が玉津側を回っている時に、松明の点火(火矢にて。)と和太鼓のステージが同時進行し、御輿から距離的に離れてます。どうするかは、当日現場で検討した方が良いと思います。

川組與丁(よちょう)褌締込

 

宮町巡回

川組與丁褌締込

  宮町巡回

大松明点火

 

御神輿出川

大松明点火

  川を渡る神輿 / 若宮八幡秋季大祭
後援会フォトアルバムより

雰囲気が伝わればと、御輿の進行ルート等の写真を撮って来ました。それと、前年度の写真全てのURLを記載しましたのでご覧下さい。  ◎進行ルート他  http://photo.thi.jp/v/20061008/  ◎前年度の写真全て 前日の写真 翌日の写真

お便り有り難うございました。ご紹介頂いた写真を全て見せて頂きました。清原さんが撮影されたものでしょうか。ブレているのも躍動感があり、良く撮れていますね。褌姿の川組の皆さんが宮町のスナックなどを廻って歩くのが良いですね。

アップされている写真を含め、これまでに撮影された写真の原画をCDに焼いていただけると有り難いです。私の撮影で上手く撮れなかったところや、日程的に撮影できなかった場面などをお借りしたいと思います。撮影者のクレジットを表示しますので、宜しくお願いします。

私の取材後も撮影をされることと思いますが、御旅所から還御されるシーンも沢山撮影して下さい。過去の写真とあわせ、御旅所への渡御だけでなく、お祭りの全ての行事を紹介した感動巨編に仕上させていただきますので、よろしくお願いします。

アップされている写真は、褌の締め込みからスタートされていますが、私の発想と全く同じですね。(^^; 川組の取材を主にしたいと思っていますが、陸組の見所も押さえたいと思っています。

松明の点火(火矢にて。)と和太鼓のステージが神輿巡幸と重なる点ですが、松明の点火と和太鼓の見所は逃さず撮影し、直ぐにまた巡幸に戻るというかたちになるのでしょうね。巡幸も交差点などでの晴れがましいパフォーマンスをする見所などがあると思いますので、そちらに伺ってから、詳しい撮影計画を立てたいと思います。

神輿が入水するシーンは、船から撮影ということになるようですね。陸からの撮影も迫力がありそうで、どなたか撮影される方を決めていただき、その写真もお借りできれば、漏れがなくなると思います。写真のお陰で、イメージが湧いてきました。本番が楽しみです。有り難うございました。

2006年10月7日(土)晴   M     様より   褌談義の誤り訂正

褌談義 
こんにちは。貴HPを拝見している者です。非常に瑣末なことなのですが、(褌のお便り)文中、「学習院や巣鴨学園の臨海学校では赤褌で泳ぐのが…』のくだり、巣鴨学園では生徒は『白褌』です。指導しているのはOBと教員で彼らは『黒褌』となっています。私自身卒業生として思い出に残っております。

これからも楽しみに読ませていただきます。突然のメール失礼いたしました。

今日は。お便り有り難うございました。誤りのご指摘、大変光栄です。早速誤りの部分を訂正させて頂きました。フリー百科事典 wikipedia ふんどし の外部リンクに当サイトの「褌談義」が掲載されて以来、毎日200件のアクセスがあり、光栄に思っています。最近、日本人男性のアイデンティティの象徴といえる褌が静かなブームになっているようで、その一端を担っているとすれば、大変嬉しい限りです。

日本の高温多湿の気候風土に合った伝統の下着がこれからも存続することを祈念しながら、褌談義を続けてゆきたいと思っています。有り難うございました。

2006年10月6日(金)曇  清原   様より   若宮八幡秋季大祭/川組後援会

Re:祭りが近づいてきました こんばんは。清原です。ご連絡有難うございました。当日の詳しい時間割りは、14日位にはっきり決まると思いますので、分かり次第詳しい割り振りを考え、ご連絡いたします。

おおまかには、空港から45分位で高田市内に着きますので、川組みの集合時間まで若宮、下宮や町並みを撮影してから、
(1)輿丁の準備の撮影
(2)川組み各店のお神酒を貰う時の三本締めの撮影
(3)陸組み御立ち撮影
(4)太鼓、松明の撮影
(5)川組み同行撮影
(6)船上撮影
(7)陸組み同行撮影
(8)若宮での参拝撮影

の流れになるかと思います。ただ、御立ちから大祭一連の流れを撮影する場合は、陸組みと川組みとの行動が異なる場合がある為、一人での撮影は中々難しいかと思います。出来る限り陸組みの時間割を聞いて、可能な限り撮影出来ればと考えてます。

川を渡る神輿 / 若宮八幡秋季大祭

川を渡る神輿 / 若宮八幡秋季大祭

後援会フォトアルバムより

http://pksp.jp/hadaka-maturi/ の【MAP】に御輿のルートを記載しました。一応、明るいうちに、撮影ポイントを確認しといた方が良いでしょうね。あと、以前は入浴があったのですが、銭湯が無くなり、今は着替えるだけとなりました。直会は、月曜日にあります。日曜日と直会の模様を、私で良ければ撮影いたしますが・・・・。

また何か気づいた点がありましたら何なりとお申し付けください。可能な限り対処いたします。では、宜しくお願い致します。

お便り有り難うございました。氏子の方が当日、集合から解散までの様子を密着取材したいと思っています。あらゆる写真を写しますが、変な写真は出しませんのでご安心下さい。氏子の方は、カメラに意識しないで、自然に振る舞って頂きたいと思います。カ
メラ目線になっている写真は没です。私は存在しないとして、普段通りに振る舞って下さい。

作品にはあまり役立たないかも知れませんが、皆さんの記念になるよう、個人の写真も沢山撮りますので、喜んでいただけると思います。大量の写真をDVDで全てお渡ししますので、皆さんに配って下いただければ幸いです。

2006年9月18日(月)雨  H. K.   様より  若宮八幡秋季大祭【裸祭り】日本三大裸祭り - 公式サイト

豊後高田市 若宮八幡秋季大祭のご案内です。 
大変ご無沙汰をしております。大分県豊後高田市の 『若宮八幡秋季大祭』の裸祭り川組後援会のH. K.です。本年度の大祭日程を少しでも早くご連絡を、と思いましたが中々決まらず、取り合えず開催日のみ決定致しましたのでご案内申し上げます。

来る、11月3日(金曜日)〜5日(日曜日)になりました。

詳しい時間等は来月の総会での話し合いで決定致しますので、決まり次第ご連絡をさせて頂きます。前回、一泊二日のご予定と申し出頂きましたが、和田様のご都合が合えば3日(金曜日)の午前中にお出で頂ければ幸いでございます。

当方のプランとして、金曜日の午前中から午後にかけ、『仏の里』のご案内(国宝の真木大堂、富貴寺、熊野磨崖仏等)後、同日午後三時頃より大祭の撮影に入れれば良いかと考えております。取り合えず、和田様のご都合をお聞き致しまして、今後の対応を考えたいと思います。ご多忙中とは思いますが、ご検討の程宜しくお願い申し上げます。

『若宮八幡秋季大祭』裸祭り

『若宮八幡秋季大祭』裸祭り

豊後高田市資料

おはようございます。丁度、京都の烏相撲を仕上げ、一息ついていたところです。以前お約束した豊後高田市の裸祭りの取材のご案内を賜り、有り難うございました。文化の日から始まる3連休に催しがあるとのこと、誠に都合が良い日程ですね。是非、取材させて頂きたいと思います。

後援会の皆様に現地での取材支援をお願いできれば、日本三大裸祭りの一つとして、国東半島の仏教文化という大きなテーマで、日本の伝統文化が今も息づく様子を激写し、素晴らしい作品に纏めて世界に紹介できると思いますので、どうか宜しくお願いします。有り難うございました。
 

早速のお返事、誠に有難うございます。私どもも何分未経験な部分も御座いますが、精一杯サポートさせて頂きますので宜しくお願い致します。当日は、後援会のスタッフジャンパー(写真添付)を着ていただきますので、ほぼフリーパスとなります。

余談ですが、私は約20年、輿丁(よちょう)として神輿を担いできました。しかしながら、『日本三大裸祭りの一つ』の割には知名度が低く、どうかして世間の人にこの祭りの良さを知って欲しいと考えて来ました。初めて和田様にメールした時も、これだけの素晴らしい写真を撮られる方だから、多忙で無理だと思ってました。

でも、和田様のお写真を見れば見るほどその魅力に取り付かれ、駄目元ではじめてメールを出しました。で、今回こうして和田様とのご縁が出来た事が、私にとって一筋の明りが射して来た様に思えて、安堵の気持ちに酔いしれております。至らぬ事が多々あるかとは思いますが、宜しくお願い致します。
 
スタッフジャンパーですか、なかなか素敵ですね。宿の手配、有り難うございました。先ほど、往復航空券をネット購入しました。大分滞在中、運転手を含め常時アテンドして頂けるとのこと、大変申し訳ありませんが、お言葉に甘えさせていただきます。どうか宜しくお願いします。

前回もお話ししたかもしれませんが、撮影した画像は、後日、DVDに焼いて、全て進呈しますので、今後の活動にご利用下さい。ポスターなどに使われるときは、「撮影:和田義男」とキャプションを表示頂ければ幸いです。

日本三大祭りの一つと言っているのは、地元の方だけだとは言いませんが、三大○○は、同じジャンルで地域によって違った内容になります。けしからんという人もいるようですが、私はその意気込みを買います。努力して、毎年、少しずつ中味を充実させてゆけば、何時の日か、きっと全国的に認知されるビッグな祭りになると思います。

大きな目標があるからこそ、毎日の向上があります。現状で満足していては、マンネリに陥り、沈滞化してしまいます。祭りは自ら楽しむ面と人に見せて感動を与える両面があります。人に見せることを重点に置くと、楽しくないという人もいますが、衣装をキチッと揃えて、伝統を継承し、発展させる原動力になります。よそ行きの顔つきになります。でもそれは良い意味の緊張で、晴れ舞台となるのではないかと思います。

色々な祭りを見てきましたが、後援会や実行委員会の指導力やセンスの良さで、ロマンと感動溢れる祭りにもなり、カメラを向けたくなくなるような、だらしない祭りにもなってしまいます。豊後高田市のホームページの写真を見る限り、祭りを支える若者達の熱気を感じ、指導力やセンスの良さを感じます。それが私を大分に惹きつける原動力になりました。

2005年の大晦日に「・・・裸祭りで検索し、和田様のホームページを見つけました。素晴らしいお写真と、和田様の裸祭りへの思いが物凄く伝わりました。一応、私どもが支援している裸祭りも、『日本三大裸祭りの一つ』と言われており、その歴史は900年を超えています。・・・和田様も機会が御座いましたら是非お出でください。きっとご満足頂けるかと確信致しております。」というお誘いのメールを頂いたとき、きっと何かあるに違いないと期待がふくらみました。

早大・考古学の吉村作治教授も神輿を担がれたようで、そのコメントも読みましたが、ファンは着々と増えているようですね。私もお仲間に入れていただければ、これほど嬉しいことはありません。有り難うございました。

2006年7月5日(水)  Suzuki     様より   三社祭と銭湯「元町湯」の褌談義

江戸っ子!三社祭 拝見しました 
ご無沙汰しています、徳島のSuzuki です。お元気でしょうか?三社祭前からですから、二ヶ月弱でしょうか。その間にも新作が発表され、都度楽しませて頂いています。

僕も今年の三社祭に、無事参加する事が出来ました。ミッキーさんのご尽力のお陰です。生まれて初めての神輿担ぎが三社祭とは、かなり贅沢なデビューと言えるでしょう。朝から宵の口までの神輿、その熱気と江戸の臭いを充分楽しませて貰いました。(肩
は痣だらけ、膝はガクガクでしたが)

参加してから拝見する画像と、その前とでは印象が違いますね。特に「江戸っ子!三社祭」は、見たかった画像です。良い出来ですね。この様な画像も、三社祭の歴史にとっては貴重ですね。

久々に褌の話を。いつもの元町湯での話ですが(笑)。僕の褌に興味を示してくれた二人組の方が居ました。当初の頃は「珍しそうな目つき」だけだったのですが、会釈になり、会話へと発展しました。褌に好意的な方達で、一人は「今日の褌の色」がある意味楽しみだったそうです。白赤が基本なのですが、たまたま三越製の「ピンク」などを締めた物ですから、会話も弾みました。

「勝負下着は赤か?!」と言われましたので「いやいや、ピンクですよ」と、皆して談笑出来ました。一枚褌を謹呈した方からは「ワールドカップ日本戦で、貰った褌締めて応援したけど、負けたなぁ〜」と初褌に好感触と、サッカーの残念さが混じって楽しい話が出来ました。

時折メディアで取り上げられるので(父の日のプレゼントにも出ていたそうですね)、話題に事欠きません。近所のスーパーでも少しづつ売られているようですが、プリント物の雑な縫製、かつ高価(一枚千円)。もう少しリサーチして並べて貰えれば良いのに、と考える日々です。

何時も長いメールで済みません。また、メールさせて頂きます。

今晩は。お久しぶりです。三木さんとお二人で今年の三社祭に初参加され、良い思い出となられたようで、良かったですね。私は当日は撮影に行けませんでしたが、西浅三北の志村さんから素晴らしい画像を提供頂き、「江戸っ子!三社祭」を世に出すことができました。

銭湯での褌談義、ますます輪が広がって行くようで、楽しみですね。有り難うございました。

2006年6月7日(水)曇   横田    様より  田舎の素朴な祭りにまつわるふんどし談義

和田様、はじめまして。横田ともうします。私も祭りが好きで、貴殿の立体感のある写真のファンでもあります。

褌に関するページを見ていて、昔体験したことを思い出したのでお便りさせていただきました。20年以上前になりますが、友人と車であてのない気ままな旅に出たときのことです。「無駄を楽しもう」というコンセプトのもと、本当に何も決めず、気の向くまま車を走らせていたのですが、ある日訪れた土地の公衆浴場で地元の人と話をしておりましたところ我々のことを気に入ってくださり、その夜は祭りがあるとのことで「どうせ気ままな旅なら参加してみては?」と誘われ参加しました。

祭りといってもこじんまりとした土地の娯楽といった感じで特に変わったものはありませんでした。酒とご馳走がふるまわれ、開放的な気分になってやんや騒いでいるうちに褌を締める時がきました。白いさらしの六尺で、たてみつを締め上げ「ほら、一丁あがり!」とぴしゃりと尻を叩かれた時、なんとも勇壮で不思議な気分になりました。

そこから褌集団は少し離れた神社のようなところへ向かい、奉納の儀式のようなことをはじめました。ただ、この時点で皆酔っているのでただ単に騒いでいるだけのようなムードです。ある程度、儀式(?)が済み、今度は神を奉っている木の周りに移動しました。すると男達は褌の脇から一物を取り出し、射精し始めました。あっけにとられていると、「この神は女の神さんだから、かけてやると喜ぶ」らしく、我々も思い切って同じように実行しました。

でもやはり緊張して思うようにならないので困っていると、別の男性が木片のようなものに油のようなものを塗ったものを持ってきて、「これを尻に入れてみろ」と言いながらたてみつをずらして尻に入れてきました。そして相撲の仕切りの時のように腰を落としながら動作をしていると先ほどまでとは比べ物にならないぐらい気持ちが高まりました。そして「ほら、もう少しだ」と褌の結び目をぐいっと上げられると、見事にぶっかけることが出来ました。その後もかなり遅くまで、飲んで騒ぎ続ける状態だったのですが、結局3回ほど放出させてもらいました(苦笑)。

気ままな旅だったので、人との出会いが非常にドラマティックで、こういう素朴な娯楽があることを羨ましく感じました。

今晩は。お便り有り難うございました。20年前に経験された田舎の素朴な祭りにかかわるふんどし談義、興味深く拝読しました。昔は、性がおおらかな時代で、若衆宿などで生理的処理のためにそのような風俗がある地方があったことは承知していますが、昭和60年頃でも未だに田舎の祭りにそのような風習が残っているところがあったとは驚きです。

祭りには裸男だけでなく、神主や長老たちも陪席しているはずですから、かなりおおらかな性風俗ですね。素朴な娯楽なのか、神聖な儀式なのか、理解に苦しむところですが、ともあれ、貴重な体験談をお寄せ頂き、有り難うございました。

2006年5月30日(火)曇  N.   様より  ふんどし販売店「たふさぎ屋」開業のお知らせ

相互リンクのお願い 
はじめまして。突然のメールで失礼致します。私はこの4月より新たにふんどしブランド『たふさぎ屋』を立ち上げたkinchanことN.と申します。以前は普通のサラリーマンでしたが、ほんの遊びの延長でふんどしを製作しているうちに、とうとう脱サラしてふんどし屋を開業(顛末は下記ブログに記しています)してしまいました。

まだ立ち上げたばかりでWEBのみでの展開ですが、今後はリアル店舗への展開も視野に入れ準備中です。ふんどしの機能的な長所を知り、何とかトランクス、ブリーフに並ぶ第三の下着として、もっと広く定着させたいと考え、洋装にもマッチするふんどしをテーマに商品開発をしております。

立ち上げのプロパガンダとしてイベントも開催し、7誌程にこの模様の記事も掲載して頂き、それなりの感触も得ました。ただ、なにぶん走り始めたばかりですので、広く色々な方からのご意見も頂戴し、より良い商品作りを目指すと共に、安定顧客層の獲得に努めて行く必要性を感じております。

今回、偶然和田様のサイトを発見し拝見させて頂いたところ、ふんどしに対する造詣の深さや、愛着・情熱の様なものを感じ、是非相互リンクさせて頂けないものかとメセッージさせて頂きました。

弊社サイト http://tafusagiya.ocnk.net/  並びに私のブログ http://d.hatena.ne.jp/tenchou-kinchan/ などをご覧頂き、お眼鏡に叶いましたらリンクのご検討を頂けます様、宜しくお願い致します。

今晩は。お便り有り難うございました。私の「ふんどし談義」が百科事典「ふんどし Wikipedia」の外部リンクに掲載されて以来、毎日300件ほどのアクセスをいただいております。そのお陰でふんどしのお便りが増えており、N.さんからこうしてお便りをいただけるのも何かのご縁があったようで、大変嬉しく思います。

今年四月から新しく「たふさぎ屋」を立ち上げられ、ファッションふんどしを販売されておられるとのこと、大変嬉しく思います。「たふさぎ」とはふんどしの古語ですね。現在、たふさぎという言葉は死語になっていますので、解説しないと分からないでしょうね。

早速、サイトとブログを見せて頂きました。老舗の褌屋はじめ和粋屋など、internetの褌販売店が繁盛している中で、どれだけのオリジナリティを出すかが勝負の分かれ目ですが、今回、ファッションをコンセプトに、洋装にもマッチする「modeふんどし」を出されたことは、これまでにない路線ですので、人気が出るのではないでしょうか。しかも、女性のふんどしも販売するという話題性に富んだ企画で、大変、素晴らしいと思います。

また、ふんどしのファッションショーを企画され、多くのマスコミが報道するなど、かなりの反響があったようで、素晴らしいアイデアと行動力に感心しました。

ファッション性溢れる男女の健康肌着として、奇抜な見かけだけでなく、落ち着いた雰囲気のものを加えたり、使用感や耐久性など、良心的な製品を製作されれば、一時的な流行に終わることなく、末永く定着することができると思います。また、大人だけでなく家族全員で楽しめるよう、子供用のふんどしも開発されると良いと思います。親がふんどしをすれば、子供たちもしたくなるのは自然の成り行きですから・・・。(^^

私の「ふんどし談義」 http://wadaphoto.jp/maturi/japan15.htm をリンク頂いて結構です。私の方は、「ふんどし談義」で紹介させていただくほか、リンク集「日本の祭り」でリンクさせていただきます。今後とも出来る限り応援したいと思いますので、何か企画されるときはお声をおかけ下さい。ご協力できることがあるかも知れません。

たふさぎ屋の益々のご発展を心から祈念しております。有り難うございました。

早速のご対応ありがとうございました。子供用ふんどしの製作アイディアなど大変参考になりました。こちらからお願いしておきながら、順序が前後してしまい恐縮ですが、先程下記にリンクを貼りましたのでご確認下さい。
http://tafusagiya.ocnk.net/link

余談ですが、和田様のプロフィールを改めて拝見させて頂き、インターネットの世界の凄さを再認識致しておりました。と言うのも、実は私、数年前まで専門施工業者として大成建設さんにもお世話になっておりました。家業だったこの会社も今では倒産し、その後様々な経緯を経て今日に至っている訳ですが、その当時の業界での立場からすれば、和田様とこうしてメールをさせて頂いていること自体が不思議な感覚です。今後ともご指導頂けますよう、重ねてお願い申し上げます。
 
今晩は。お便り有り難うございました。当方へのリンクに際し、「ふんどし談義」のバナーを作って頂き、また、「和田義男氏の主催する旅の写真館「Wa☆Daフォトギャラリー」内「旅紀行日本の裸祭り」のコーナーとして、日本各地の裸祭りの豊富な画像を中心に、ふんどしに付いて様々な考察を綴ったページ。」と、誠に適切な説明文を掲載して頂き、有り難うございました。

脱サラ以前は、弊社とお付き合いがあったとのこと、誠に奇遇ですね。これも何かの縁だと思われます。これからもよろしくお願いします。有り難うございました。

2006年5月17日(水)曇  taki   様より  ふんどし姿でないと神輿を担げない新座市大和田・氷川神社夏の大祭について

こんにちは。日頃より拝見しております。takiと申します。実家の近くで行われているということもあり、新座市大和田の氷川神社で行われている夏の大祭で御神輿を担いでおります。

ここのお祭りはそれほど規模が大きいわけではないですが、ここ数年ふんどしをしない人を完全に排除しています。はじめての時は正直言って恥ずかしかったですが1時間もすれば慣れました(笑)。むしろかっこよく思えるくらいでした。近頃はふんどしを恥ずかしがる人も多いですが、こういった機会があればたいていそんなことは思わなくなるのでしょうね。

だからこそふんどしを義務にしているのかもしれないと思っています。和田様も何か機会がありましたら、お越しいただければ楽しんでいただけるのではないかと存じます。それでは失礼いたします。

今晩は。お便り有り難うございました。ふんどしを締めていない人は神輿を担げないというルールが徹底している氷川神社の夏の大祭、internetで検索すると、「はっちゃんの【神輿みたまま】大和田の裸神輿」で、写真と解説がありました。なるほど、間違いなく全員白晒1反のふんどし腹巻き姿です。法被の人と法被を着用できない野次馬の区別があるようですが、ふんどしを締めれば、神輿が担げるようですね。170年以上の伝統ある祭り、神輿を夜担ぐのが変わっていますね。

毎年7月下旬に開催されるようですが、今年の日程や見所、撮影ポイントなど、教えて頂ければ幸いです。今年都合がつけば、是非、取材させて頂きます。夜祭りだと宿泊の必要があるかも知れませんね。takiさんが担がれる神輿の密着取材ができれば最高です。宜しくお願いします。有り難うございました。
 
お返事ありがとうございます。今年の日程ですがこれはまだ運営の人から聞いておりませんが、たいていは7月最後の金土です。
http://www.oowada-hayashi.jp/  こちらのページに近くになってくると書かれると思います。撮影スポットは、申し訳ないですが担ぎ手にはよくわからないです。

しかしものすごい大混雑するお祭りではなく、ローカルで小規模ものなので場所取りなどはされなくても十分撮影できます。神輿に張り付いて写真を撮ることもおそらく出来ますよ。ただ境内にはいるとそれなりに混雑するのでご注意を。見所といってもお祭りに詳しいというわけではないのでよくわからないのですが、2日目に境内で板に神輿をぶつけて破壊するときは相当盛り上がります。

宿泊ですが1日目は10時、2日目は11時に終わるのでどちらに住んでおられるかにもよりますが、終電にはぎりぎりで間に合うのかもしれません。
 
おはようございます。ご返事有り難うございました。私は青梅に住んでおり、新座までは西国分寺から武蔵野線で4駅16分ということで1時間くらいですから、宿泊しなくてもよさそうですね。意外に近いので、十分に取材できそうです。そんなに混んでいないとのことですので、撮影もスムーズにいきそうですので、今年は是非取材したいと思います。貴重な情報をいただき、光栄です。これからもどうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2006年5月13日(土)曇  Suzuki   様より  三社祭と褌談義

浅草三社祭の件 
お早う御座います。徳島のSuzukiです。いよいよ一週間後となり、ドキドキし始めました。衣装等も三木さんから御指南があり、今週末に準備する予定です。何しろ生まれて初めての御輿、TVで見ると勇壮な祭りなので、不安一杯です。三木さんの話によると、土曜日のみの参加だそうです。慣れない僕には丁度良いですね。御輿は夕方一杯位まで練り歩くんですね。パワフルな祭りですね!その後は同好会の動きに併せるそうです。

話は変わりまして、銭湯での話。最近通っている銭湯で、僕の褌を気に入ってくれる方が数名います。その内の一名が、赤褌がお気に入りで良く話し掛けてきます。先日も浴場で会うなり、「おい、今日は赤か?」と。「今日は残念ながらピンクです(笑)」「ピンクかぁ(笑)」と軽い会話が生まれました。脱衣場ではピンクの褌を披露させられました。日々見ていると締めてみたくなって来た、と話していました。

「元町湯」と言う所なのですが、銘水を引いているので気持ちよいお風呂です。そう言う所には、良い客が集まるのでしょうね。その日の結論として、日本の銭湯には、褌がよく似合います!

おはようございます。お便り有り難うございました。来週の土曜日、待望の浅草・三社祭で、三木さんと一緒に神輿を担がれるとのこと、全ての段取が整ったとのこと、良かったですね。あとは天候が良いことを祈るだけですね。

久々の銭湯・元町湯でのほのぼのとした褌談義、楽しく拝読しました。私の子供の頃の銭湯の風景を思い出します。高知の漁師町でしたので、大人は殆どが越中でした。普段着ですから白晒です。愛好者の輪が広がれば良いですね。有り難うございました。

2006年4月24日(月)曇  S. U.   様より

はじめまして! 
はじめまして 以前から三社祭などの写真を拝見させて頂いているのですが、今回、初めて江ノ島の天王祭の写真を見ていたところ、、びっくりしました! なんとあの丸で囲まれた親子はまさしく私の主人と息子です!!こんなことってあるんですね!

私も主人も担ぎ屋でして主に都内の祭りに参加させて頂いています。今週末も赤羽馬鹿祭りにもちろん親子で参加する予定です!実は当時息子は確か4歳であの日が記念すべき褌デビューだったのです!去年は次男も褌デビューいたしまして、親子三人でお尻をぷりぷりさせながら祭りに参加しておりました! またどこかのお祭りで見かけたら是非声をかけてください!!

埼玉の飯能に住んでいるU.と申します。飯能祭りにも是非足をお運びくださいませ!これからもお祭りの写真楽しみにしています。

神輿と海に入った親子
 写真の親子は、神輿と共に海に入って禊ぎをした唯一の親子である。塩抜きのシャワーを浴びている後ろ姿が前出の「恵みのシャワー」の中央手前に写っている。幼児は怖かったとみえてシッカリと父親にしがみついていたが、父に肩車されて海に入ったことは永遠の記憶に残るのではないだろうか。元気に育つことを願う。
神輿のそばの親子
神輿と海に入った親子
おはようございます。お便り有り難うございました。U.さんのご主人とお子さんの写真を 江の島天王祭(塩抜)掲載させて頂き有り難うございました。このたびお目にとまり、喜んで頂けて嬉しく思います。ご家族揃って神輿の担ぎ屋とのこと、羨ましい限りです。

掲載させて頂いたご長男の写真は、褌デビーの写真だったということで、大変貴重な写真ですね。飯能祭も有名です。一度是非取材したいと思っています。どこかでお会いできると良いですね。有り難うございました。

2006年3月12日(日)晴  T. S.   様より

初めてのメール、失礼します 突然のメール、失礼します。(以下敬称は、さん付けでご了承下さい) 徳島県在住の、T. S.と言います。初めまして。何時も、和田さんのHPを楽しみに拝見しています。そのジャンルの広さと、質の高さに敬服しています。画像のトリミングや構成も、失礼ながら僕好みの形となっていて、新作のUPを待ち遠しく感じています。

和田さんのHPを見始めたのは、裸祭りが切っ掛けでした。自身が褌(主に越中褌)を愛用していますので、善通寺会陽や西大寺会陽を検索していた際に、出会いました。迫力ある画像と、日本男児の褌姿に凛々しさと羨望を感じました。また、裸祭りだけに限らず、世界の風景を楽しめるサイトを発見し、日々楽しんでいました。

特に僕の目を引きつけたのは、アルハンブラ宮殿の画像です。小学生の頃そのギターに魅せられ、音楽の先生にレコードからテープへダビングして貰った位、衝撃的な音楽でした。トレモロを聴いただけでその風景が頭に過ぎる、こんな音楽があるんだ!と子供心ながらにカルチャーショックを受けました。その余波で(途中でJAZZとも出会いましたが)、トランペットを成人するまで続けていました。今は音楽から離れ、マスターズと言う大人の水泳をしています。

音楽を離れてから10年位経て、和田さんのHPでアルハンブラ宮殿に出会い、その運命を感じました。僕のイメージを更に上回る画像に、感嘆を覚えました。(何処にあるのかさえ調べていなかった自分が恥ずかしかったですが)以来、都度アップされる新作を楽しみにしています。

自身の事を少し書かせて頂きます。僕は浦安のミッキーさん事、三木さんの知人になります。(褌を介して知り合いました)先日執り行われた西大寺会陽では、三木さんのご紹介で「旭電業」さんから参加させて頂きました。会陽前に和田さんとも会われ、一杯飲まれると言うお話をメールで頂きました。その際、「僕の様なファンが居るとお伝え下さい」と伝言をお願いしましたので、ご記憶にあれば幸いです。

三木さんとは初めてお会いしたのですが、とてもフランクな方ですね。着物姿も堂に入り、その姿に憧れました。何時か、和田さんともお会いしてみたいな、と考えております。その様な機会がありましたら、三木さんと交えまして宜しく願いします。上記の様な気持ちで、本日意を決してメールさせて頂きました。憧れのHPのオーナーにメールを打つのは、ドキドキするものですね。

国府宮編では、貴重な画像もUPされていて、吃驚しました。先日参加した西大寺会陽では、防水型デジカメ(オリンパスμ)を持ち込んだものの寒さで手振れを起こしていて、殆ど撮れていませんでした。本来カメラを持ち込むのは良くないと思いますが、宝木の争奪戦に参加していては身体が危ないですから、雰囲気味わい、端っこで押しくらまんじゅうを楽しむ程度にしています。(何枚かは見られるのもありましたが、難しいですね)

色々と書き連ね、乱筆乱文で失礼致しました。またHPを楽しみに拝見させて頂きます。失礼します。

こんにちは。長文のお便り有り難うございました。先日の西大寺会陽に三木さんとご一緒されたんですね。零時の宝木投下まで、寒くて大変だったことでしょう。お疲れ様でした。私は灘のけんか祭りに魅せられて以来、裸祭りを追い続けていますが、まだ参加したことはありません。裸祭りは寒い時期に行うことで御利益がより大きくなると信じられているために、冬や早春に集中しているようで、参加するには覚悟が必要です。

先日の山伏の滝行も本当に大変なことだと思います。それでも参加するのは、日本古来の伝統に我が身を置き、アイデンティティ(日本人らしさ)を肌身で感じることができる魅力に惹きつけられるからでしょうね。私は写真を撮ることでその感動を自分のものとすることができますので、参加するよりは楽ですが、それでも寒い時期の取材は大変です。お陰様で、今年の冬の裸祭りの取材も無事に終わり、溜まった作品の編集に取りかかっています。裸祭りはまだまだ沢山ありますので、来年以降も機会を見つけて取材してゆきたいと思っています。

褌を愛用されておられるそうで、三木さんともそれが縁で知り合われたとのこと、褌は日本人男性の原点と思う私と同じメンタリティをお持ちですね。徳島にお住いなのでお会いできる機会が少ないと思いますが、どこかの祭りでお会いできると良いですね。

オリンパスのカメラをお持ちとのこと。お近くで裸祭りなどがありましたら、写真をお送りいただければ幸いです。これからもどうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2006年2月10日(金)晴  Mui   様より  取材要請

「日本の祭」取材をリクエストします 埼玉秩父の「猪鼻の甘酒まつり」をぜひ取材してください。褌一丁の男達が甘酒を撒き散らす興味深い奇祭です。「猪鼻」「甘酒」で検索すると、詳しい内容のサイトが幾つかあります。

今晩は。お便り、そして取材の要請、有り難うございました。「いのはなのあまさけまつり」というようですね。奥秩父荒川観光協会の記事で確認しました。褌だけでなく、はんだこ姿が入っているようです。どれだけ変質しているのか、心配ですが、埼玉県の無形民俗文化財に指定されているようですので、今年の取材予定に入れておきます。有り難うございました。
 

猪鼻の甘酒まつり

ふんどし姿の氏子達が甘酒をかけ合う秩父の奇祭 / 7月24日(日)

猪鼻の甘酒まつり1 猪鼻の甘酒まつり2

奥秩父荒川観光協会資料

2006年2月6日(月)曇  J. S. 女史   様より 

裸祭り紹介 はじめまして。『子供相撲』を検索してこちらに辿り着きました。裸祭りを写真に納められているとのこと、私の出身新潟にも裸祭りがいくつかあるのですが、中でも浦佐の裸押合大祭は有名です。浦佐の3月はまだ真冬。雪降る中を町の青年団が裸で練り歩く姿は迫力あります。

青年団のサイトができたようなので、もし興味がおありでしたら御覧下さい。http://www.urasa-tamon.com/ それでは、突然失礼いたしました。

今晩は。お便り有り難うございました。ご紹介いただいた南魚沼市浦佐の裸押合大祭を検索しますと、確かに盛大に行われているようですね。でも、上半身裸のハンダコ姿です。以前は、褌一本の勇壮な祭りだったと思いますので残念です。このような変質・改悪されてしまった祭りは、無形民俗文化財としての価値が損なわれていますので、カメラを向ける気にはなりません。

むしろ同じ新潟県でも今年2月11日開催予定の長岡市にある巣守神社(栃堀)の裸押合大祭は、400年前の伝統を伝え、六尺褌一本で行われているようです。

巣守神社(栃堀)の裸押合大祭  http://www.city.nagaoka.niigata.jp/tochio/osirase/osiaitaisai.html

浦佐の裸押合大祭とともに越後の二大裸押合大祭と呼ばれているようですが、こちらの方が素晴らしいと思います。今年は目前ですので、無理ですが、今後の取材を考えたいと思います。お知らせ、有り難うございました。

2006年2月4日(土)晴  M. M.   様より

いつも拝見させていただいております。 いつも拝見させていただいておりますM.と申します。なかなか自分では行けない土地のことを知ることができて感謝しております。もしよろしければ日本の祭りで、京都の「烏相撲」も取材していただきたくメールさせていただきました。よろしくお願い申し上げます。

今晩は。お便り有り難うございました。いつも当サイトをご覧いただき、有り難うございます。お知らせ頂いた京都の烏相撲は、噂では知っていましたが、中味はよく分かりませんでした。今、検索して調べますと、

上賀茂神社。9月9日午前10時、本殿で重陽神事を行ったのち、11時頃細殿前の立砂のところで弓矢を持った刀祢(とね)が烏が踊るが如くピョンピョンと横飛びをし「カーカーカー」「コーコーコー」と烏の鳴き声を出すなどユニークな所作を行い、その後土俵で氏子の子どもたちによる相撲が行われる。拝観自由。市バス上賀茂神社前すぐ。問合先: 075-781-0011 終了後拝観者に菊酒の授与がある。

とのことですね。写真を見ると、小学生が10人ずつ二手に分かれ、相撲まわしというより、白の水褌のような褌を締めて相撲を取っていますね。神事だからでしょうか。伝統文化が彷彿としている烏相撲、今度是非取材してみたいと思います。早速、今年の取材予定表にエントリーしました。有り難うございました。
 
ありがとうございます。楽しみにしております。

2006年1月29日(日)晴   赤銅色    様より 

「江ノ島寒中神輿」 こんにちわ、和田様、静岡の赤銅色です。昨日は2週間前に行われた江ノ島寒中神輿錬成大会の模様を作品「江ノ島寒中神輿」として仕上られ送信して頂きまことに有難うございました。夏の八坂神社の祭礼と併せて毎年参加させて頂いている私は、今回も仲間3人と計4名で参加しました。私達静岡勢3名は赤褌で統一、東京在住の今年初参加の新人は前夜急遽参加が決まったので私が昨年締めた紅白の六尺褌を貸して主に片瀬・諏訪睦様のどっこい神輿を担がせて頂きました。

平成6年から父親が亡くなった平成13年を除き、降雪で中止された年を除いては夏の八坂神社の神幸祭を含めてほぼ毎回参加させて頂いています。この大会がネットなどで取り上げられ若い担ぎ手が年々増加することは結構なことだと思っております。こういう機会がないと日本人として生まれた若者が六尺褌を締めるチャンスはないでしょうから。この祭に参加する若者は、褌の締め方も指導者がしっかりしているためか、各地の大学の寒中水泳大会で見られるいわゆる「ゆるフン」の者がほとんど見られないのも嬉しいことです。

それと、和田様が作品で述べられているように、日本全国の裸祭のなかでも、ここが唯一無二の色物・柄物の六尺褌の展示会の要素を持っているのも、あれだけ多くのカメラマンが殺到する所以かと存じます。抜けるような青い空とオレンジ色の炎と寒風に赤く染まった裸衆の肌、加えて藍染の半纏に身を包んだりカラフルな振袖姿の新成人の初々しさなど画になる材料には事欠きませんですものね。

今年は、近年に無く暖かな一日だったせいもあり、カメラマンと担ぎ手とどちらが多いかといった感もなきにしもあらずの状態でしたが、作品を拝見すると、かなりのスピードで撮影ポジションを換えながらこの錬成大会を記録して頂いたことが容易に推測され、和田様の精緻な撮影計画に脱帽するのみです。

作品のあとがきに色調が鮮やか過ぎるという批判もあるかもというような趣旨のお言葉がありましたが、初春に新成人を祝う本大会の趣旨からみれば、そんな批判はないはずで、むしろフォトショップを駆使され最適な色調を探りつつ本作品を纏められた和田様のご努力をこそ賞賛すべきだと考えます。今後とも、日本固有の伝統文化である各地に存在する裸祭を精力的に取材なさって作品に纏め上げられることをご期待申し上げております。

追伸: 当日、私は和田様のお姿をお探しして、できれば一言でもいいからお話したかったのですが、あの数のカメラマンのなかでは発見できず失礼してしまいました。和田様のお顔がHP上で拝見できるのに私が素顔を晒さないのも失礼かと思い当日のスナップを添付しておきます。

こんにちは。長文のお便り有り難うございました。早々に「江ノ島寒中神輿」をご覧いただき、嬉しく思います。赤褌に統一された静岡勢の皆さんは、前回に引き続き、今年もバッチリと出演して頂いています。赤銅色さんは、今回は後ろ姿が確認できるだけの出演で、申し訳ありません。(^^;

前回は快晴で、終始オリンパスブルーの青空をバックにカラフルな映像が続きましたが、今回は半分曇り空だったのが残念でした。それでも、おっしゃるように唯一無二のカラフルな褌姿が躍動する裸祭りなので、江ノ島や荒波をバックに、良い写真を沢山撮影することができ、私なりに満足しています。

これからも裸祭りファンのご期待に添えるよう全国に足を運びたいと思います。ご声援宜しくお願いします。有り難うございました。
 
こんばんわ、和田様、素晴らしい作品に仕上がった 「江ノ島寒中神輿」の末尾に宮嶋様や丹下様という高名な方々の感想に混じって、私の稚拙な一文が掲載されていいものかと悩みますが玉石混交の感想文として数多くの和田様の作品のファンの方々のお許しを得れれば幸いと思うことに致します。

この冬も今週末の岩手県水沢市・黒石寺の蘇民祭やその翌週末の愛知県稲沢市の国府宮の裸祭など、目白押しに日本の伝統を後世に繋ぐ祭が続きます。いずれも、所用があり参加できないのが残念ですが、裸祭以外にも各地の季節感溢れる臨場感に富んだ和田様のギャラリーを楽しみにしております。本当に、この度は有難うございました。一緒に出掛けた静岡勢の諸君にも報告済です。

末筆になりますが、風邪が蔓延しておりますので、くれぐれもご自愛下さり、精力的に作品をご発表頂ける様ご祈念申し上げております。
 
今晩は。お便り有り難うございました。長文で、含蓄ある内容、是非、多くの裸祭りファンに読んで頂きたいと思い、掲載させていただきました。写真の方も受け入れていただき、嬉しく思いました。これからもどうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2006年1月29日(日)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ 

お知らせありがとうございました 「江ノ島寒中神輿」のアップのお知らせありがとうございます。寒いこの時期に、また海水が掛かるかも知れないという状況の中での撮影で大変だったろうとお察し申し上げます。でも、和田様が日本の裸祭りに掛ける意気込みは確かに伝わって参りました。

今回は江の島を意識しての撮影であったとのこと。その為に逆光になったということですが、やはり回を重ねて撮影するというこ
とは、前とは違った視点で撮影できるというメリットがありますね。

それと確かにカラフルな褌が多いですね。「引き上げる伊勢睦の神輿」の写真で、最前列の若者の褌はなかなか綺麗に締められ
ており、好感が持てましたが(ちょっと横廻しが緩い感じもしますが)、格好良く締められている褌が意外と少ないことを感じました。

これは褌が実生活の中で締められなくなったという時代ということで、まあ仕方が無いのでしょう。公衆の面前ですので、事前にしっかり締めこんで、格好いい褌姿を見せて欲しいものです。ただ腹巻はいただけませんね。

でも、先回の写真に写っている面々のお顔が、今回もまた見ることができ、寒い時期の裸祭りに病み付きなった日本の裸男の心意気も感じられました。どうもありがとうございました。

こんにちは。お便り有り難うございました。おっしゃる伊勢睦棒端のイケメン君は、全幅の白褌をうまく締めていて、引き締まった身体によく似合っていました。

折角褌を締めているのに、腹巻きで隠している人が各神輿ともにいましたが、とても見苦しく思います。なるべくカメラに入らないようにしたのですが、排除するのは難しいですね。ハンダコやパンツ姿も混じっていますので、今後、六尺褌に統一して頂くことを主催者にお願いしたいと思います。

鐵砲洲の氷柱禊と違って、黒潮の流域にある湘南海岸ですので、海の中は楽で、陸に上がって風に吹かれる方が何倍も寒いとのことでした。

2006年1月15日(土)雨  若宮八幡裸祭り 川組後援会会長   様より   若宮八幡秋季大祭/川組後援会

若宮八幡神社の秋季大祭 早速のご返信頂いたのに、お返事が遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。

さて、私どもの祭りに関して『褌』等の呼び方ですが、輿丁(よちょう)の間では〔サラシ〕と呼び、上着については〔狩衣〕(かりぎぬ)と呼んでおります。

また、和田様が貴重なお時間を割いて取材頂けるものであれば、我々後援会として出来る限りのサポートをさせて頂きます。アシスタントの確保、撮影場所の確認確保(川での撮影では、船を手配)、宿の手配などご希望に添えるよう努めたいと思いますが、何分予算が無いため、和田様の交通費をはじめ宿泊費、報酬等が出来兼ねます。その件をご了承頂いた上でお出で頂けるのであれば、後援会として最善を尽くさせて頂きます。

詳しい日程等が決まりましたら、早急にご連絡いたしますので、ご検討の程宜しくお願い致します。

おはようございます。ご返事を賜り、大変嬉しく拝読させて頂きました。私の交通費や宿泊費までご心配されて、痛み入ります。私の趣味でやっていることですので、取材は当然自費です。案内して頂ける方や、撮影場所の確保、川船にも載せて頂けるとのこと、本当に有り難く思います。当日の夜の宿の方は予約だけしていただければ幸いです。是非、取材させていただきますので、よろしくお願いします。祭りが近くなれば、細目をご相談させて下さい。有り難うございました。
 

早速のご返事、誠に有難うございます。 では、日程等が決まり次第ご連絡致しますので、その際は宜しくお願い致します。
若宮八幡秋季大祭 川組後援会  M.

2006年1月9日(月)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ

CD-ROMをお送りいたしました 和田様 お知らせをいただきありがとうございました。早速アクセスさせていただきました。この寒い日本で、氷が入った水槽での中はさぞかし冷たかったろうと思いますが、そこへ褌一丁になって、あえて入って身を清め精神の鍛錬というところに、日本人としての気概というか、特質を見る思いでした。

終わった後の満足感は素晴らしいものなのでしょう。褌を締めることにより、古来より我が日本民族が高い精神性の元で暮らして
きたことを垣間見る思いでした。心臓の悪い私にはとても出来ないことですので羨ましくもありました。(略)

おはようございます。早々の寒中水浴大会のご感想を賜り、有り難うございました。厳寒の季節に褌一丁の裸形になって禊ぎをするのは、日本の伝統文化で、日本人のアイデンティティを感じます。

 「氷塊の中の禊」 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sui02l.jpg の最前列・向かって右に写っている15回目の平野さんの話では、戦前までは、全国の尉官以上は全員最寄りの神社で初禊ぎをし、心身共に新たな気持ちで新年を迎えていたということです。

(略)

2006年1月9日(月)晴  赤銅色   様より

「鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴大会」速報拝見 > ご無沙汰しております。新年の画像としては極めて斬新な「太陽を掴んだ鴎」もわが郷里である静岡市の清水港で撮影して頂いたとのことで地元静岡県人の一人として厚く御礼申し上げます。

> さて、手早くUPされました昨日の日曜日に行われた「鐵砲洲稲荷神社の第51回寒中水浴大会」には友人が参加したので、早速拝見しました。昨年の和田様の素晴らしい作品で、概要は承知しておりました。氷柱を浮かべた特製水槽に浸かっての禊は普段滝行などで鍛えている友人でないと心筋梗塞など惹起させそうで参加できないものと思い、私は別の友人と温泉場である熱海市の成人式祝の寒中水泳大会に赤褌姿で参加して参りました。こちらも、東京と同様好天で海風も吹かずに比較的暖かなひとときではありましたが、海から上がって友人達と記念撮影をしていると、さすがにブルブルっと来ました。

> 鐵砲洲稲荷神社では、主催団体の全面的ご支援で法被を着用されて大量の撮影を挙行されたとのことですので、本編も素晴らしい感動を頂戴できる作品になることとご期待申し上げております。新年が明け、各地で裸祭や寒中水泳大会が毎週のように開催される季節となりました。この次の週末の15日にはかつて撮影された江の島の神輿寒中練成会と逗子の浜での寒中水泳大会があります。私は、本当は両方参加したいのですが、時間が重なるので江の島に参加させて頂く予定です。是非、とちらかを撮影なさって頂ければ有難いことだと存じます。今年も、日本の男達の躍動感を活写されている和田様のますますのご精進をご期待申し上げております。

おはようございます。お便り有り難うございました。早々に寒中水浴大会をご覧いただき、嬉しく思います。次の週末は、14日の大阪・天王寺のどやどやを取材し、翌日は江ノ島の寒中神輿を取材する予定です。もっとも体力があればの話ですが・・・。予定通りであれば、江ノ島でお会いできるかも知れませんね。鐵砲洲の寒中水浴に参加され、速報版に出演頂いた方も江ノ島にも行かれる人がいますし、常連の方とまたお会いできることと思います。江ノ島の寒中神輿は、初春にふさわしく、カラフルな六尺褌のお披露目?や振り袖神輿など、とても絵になりますので、期待しています。(^^ 有り難うございました。

2005年12月31日(土)晴  若宮八幡裸祭り 川組後援会会長   様より   若宮八幡秋季大祭/川組後援会

若宮八幡神社の秋季大祭 和田様、はじめまして。私は、大分県豊後高田市に伝わる『若宮八幡秋季大祭』の裸祭り川組後援会の者です。裸祭りで検索し、和田様のホームページを見つけました。素晴らしいお写真と、和田様の裸祭りへの思いが物凄く伝わりました。

一応、私どもが支援している裸祭りも、『日本三大裸祭りの一つ』と言われており、その歴史は900年を超えています。今年は、11月18日から20日に開催し、ダイドー祭りドットコム 2005 にもエントリーされました。http://www.dydo-matsuri.com/map.html
和田様も機会が御座いましたら是非お出でください。きっとご満足頂けるかと確信致しております。迎える2006年度、和田様の更なるご活躍をお祈り申し上げます。

若宮八幡裸祭り/大分県豊後高田市

若宮八幡裸祭り1 若宮八幡裸祭り2
若宮八幡裸祭り3 若宮八幡裸祭り4
 

若宮八幡秋季大祭川組後援会アルバムより

おはようございます。「若宮八幡裸祭り」のご紹介、有り難うございました。古くからある裸祭りで、上半身は以前は裸だったようですが、現在は鉢巻に白い着物、下半身は前垂れ式六尺褌で宮神輿を川向こうの御旅所まで運ぶ勇壮な男の祭りで、世界一の大松明や太鼓の演奏など、見所が沢山ありますね。

地元では西大寺会陽と防府天満宮裸坊祭とともに日本三大裸祭の一つということのようですが、防府天満宮裸坊祭は5千人という規模は凄いものがありますが、上半身裸の人が若干いるものの、みんな白いシャツやパッチをつけており、裸祭とはいえないようです。変質してしまったとすれば、残念なことですね。

その点、若宮八幡裸祭は、規模は小さいようですが、伝統の粋な褌姿を崩しておらず、頼もしく思います。後援会のサイトなどを見せていただきましたが、夜の祭りなので、取材が難しく、鮮明な画像を撮るのが大変なようですね。

となれば、むらむらと挑戦心が生まれ、鮮明な画像を切り取って天下に発表したいという意欲が湧いてきました。あつかましい相談で恐縮ではありますが、もし、後援会のご尽力を賜り、撮影場所や宿の確保、取材の指導(アテンドして頂く方がおられればベスト)など、サポートしていただくことが可能であれば、是非、一泊二日の日程で取材に行きたいと思います。ご検討いただければ、幸いです。

ちなみに、サイトを種々見せていただきましたが、灘のけんか祭りでは褌をまわしと呼んでいるように、締め込みなどという言葉が使われていて、褌という言葉はどこにもありません。地元では褌を何と呼んでいるのでしょうか。褌と呼ぶと差し支えがあるのでしょうか。

(このお便りは、全国の裸祭りファンのために、お便りコーナーでご紹介させていただきます。後援会アルバムから写真を借用することをお許し下さい。有り難うございました。)

2005年12月31日(土)晴  奥村次郎   様より   鐵砲洲稲荷神社・寒中水浴大会

来年もよろしく 和田さん、今日は 金沢の奥村です。いつもHPのご案内、有難うございました。今年もあと1日を残すのみとなりました。来年もよろしくお願いします。1月8日には鉄砲洲に行きますから又写真を撮ってください。金沢の出初式にも今に来てください。雪の中を褌一つの裸で放水する図は非常に勇壮ですよ。今年は雪が多かったから良い絵が出来るような気がしますが鉄砲州と重なりますね。鉄砲洲の時に雪が降ってくれたら最高だと思いますが、いつも晴天で残念です。とにかくよろしく。

おはようございます。お便り有り難うございました。加賀鳶の出初め式の裸放水は超有名で、雪の降る寒い中を褌一丁で勇壮に放水する姿は男らしく、素晴らしい絵になりますね。来年は鐵砲洲と重なるので取材できませんが、再来年は是非激写したいと思っています。

年末は日本海側が大雪で被害が出るなど大変ですが、東京はずっと晴天続きです。来年正月8日も雪の降る確率は極めて少ないようです。奥村さんは寒中禊ぎのベテランですが、寒さをどのように克服しておられるのでしょうか。暑がりで寒がりの私にはとてもできない相談です。精神力が違うのかも知れませんね。(^^; 来春お会いできることを楽しみにしています。良いお年をお迎え下さい。有り難うございました。

2005年12月27日(火)晴  ちばあきお    様より   ちば☆フォトギャラリー

Re: 道通宮子供会陽 
和田さん、今晩は。道通宮子供会陽 の作品を早速拝見しました。見事な出来ばえとなっていて驚いています。同じ写真を使ってもこうも違ってくるものなんですね。さすがにキャリアの違いを思い知らされました。小生の稚拙なサイトとは違い、ミリオンサイトでアップされましたので、このローカルな道通宮会陽もきっと大勢の人に知られることでしょう。会陽の参加者や関係者が知れば喜ぶことと思います。また、西大寺子供会陽もリンクしてあって、構成も素晴らしいと感じました。今年もあと数日です。お体をご自愛してどうぞよいお年をお迎え下さい。有難うございました。

ちばさん、今晩は。素晴らしい作品をお寄せ頂き、有り難うございました。矢張り裸祭りはファンが多いのか、アクセス数が格段に違います。カナディアンロッキーはコストもかかり、大作なのですが、やっと1000アクセスを超えたばかりです。祭りは熱気があって本当に良いですね。冬は裸祭りのシーズン。ちばさんに負けないよう、来年は特に力を入れて取材したいと思っています。

ちばさんのサイトで
下鴨神社・矢取り神事 を見せて頂きましたが、褌が廃れ、パンツとは情けないですね。あるスレッドで次のような会話がありました。

301 :陽気な名無しさん :04/08/06 21:51 ID:4sdforE3
今、KBS京都のニュースで下鴨神社の「矢取りの神事」が映っていたんだけど、これって去年までは、六尺褌一丁で池の中に入って矢を取り合いしてたんだよね。

 今年から半タコって言うのかな、パンツをはくことになったみたい。何かかえって格好悪いわ。

302 :陽気な名無しさん :04/08/06 21:53 ID:4sdforE3
にもかかわらず、アナウンサーは「下帯一つの男たちが・・・」って何度も言ってたわ。ちょっとは日本語勉強しろよ。

下帯が褌を意味することを知らないアナウンサーがいるなんて、ゾッとしますね。京都の人は褌が似合わないのか、鞍馬の火祭は別にして、市内では褌をした祭りが殆どありませんね。お年寄りは褌を愛用しているのは間違いないのですが・・・。確か祇園祭りのとき、神事として八坂神社前で神輿洗いが行われますが、氏子たちは褌だったと思います。何時か写したいと思っているのですが、それも行ってみたらパンツ(ハンダコ)になっていたらガッカリですね。(^^;

2005年12月18日(日)晴  星 宏幸   様より  鐵砲洲稲荷神社  鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会

寒中水浴大会 鐵砲洲稲荷神社弥生会の星です。こんにちは。和田さんの写真をご提供いただきました寒中水浴のポスターがようやく完成致しましたので、幹事長の石川より発送させていただきます。

来年の寒中水浴大会は、ポスターにもあります通り、1月8日(日)11:00に行われます。和田さんのサイトでご紹介いただいた効果もあり、参加の申し込みも多数来ているようです。今回も、是非お越し下さるようお願い申し上げます。

2006年の寒中水浴大会は正月8日(日)に開かれるとのこと、是非お伺いして勇ましい禊ぎの行事を激写させていただきます。来年は立入禁止区域の設定など事故防止対策をなさるのではないかと思いますが、取材場所の確保など、宜しくお願いします。嬉しいことに私の「鐵砲洲稲荷神社・寒中水浴大会」 http://wadaphoto.jp/maturi/suiyoku1.htm  がまだ1年にもならないのにアクセス3万件を超える人気作品になっています。もしその甲斐あって水浴申込者が増えているとすれば、大変嬉しく思います。この日本の正月にふさわしい健康的な水浴大会が中央区だけでなく、東京の、いや、全国の正月の風物詩として発展されることを祈念しています。

ところで、寒中水浴大会の実施要領を見ますと、服装は越中褌または半股引(に白鉢巻き)となっていて、半股引(ハンダコ)もOKになっていますが、越中褌に統一していただきたいと思います。単なるイベントであれば仕方ないのかもしれませんが、れっきとした神社の公式行事ですので、このような衣装の混乱は、品位を落とします。

多分、越中褌は恥ずかしいからハンダコでも良いとのことでしょうが、伝統の衣装を恥ずかしいと思う人には参加して欲しくありません。持っていない人には弥生会で準備して着用してもらうくらいの気合いが必要だと思います。六尺褌は排除ということのようですが、それならなおさらハンダコやパンツ、水着も排除するべきです。禊ぎには越中褌が最良の衣装です。
 
衣装の件、石川にも伝えましたところ、早速、男性は越中ふんどし、女性は白い着物で、また全員白鉢巻で統一したとのことです。当初、半股引も可としたのは、「越中褌は恥ずかしいから・・・」ということではなく、誰もが持っている半股引の方が参加しやすいだろうという配慮があったのだと思います。
 
星 様  おはようございます。衣装統一の件、大変嬉しく思います。伝統文化を継承する鉄砲洲の寒中水浴大会は、はや半世紀がたち、あと50年続けば1世紀になります。東京で格式ある寒禊ぎは鉄砲洲だけです。末永く伝統を打ち立てて下さい。当日、皆さんの勇姿を激写させていただきます。石川さんや金沢の奥村さんから寒禊ぎに参加するよう呼びかけられましたが、撮影と水浴は両立できませんので、再来年以降の懸案とさせていただきます。(^^;

ご存じのことと思いますが、天下祭で知られる神田明神(神田神社)で「寒中ガマン大会」という寒禊ぎが行われていますが、褌を締めている男性は誰もおらず、全員半股引(ハンダコ)姿なので、恥ずかしくてカメラを向ける気にもなりません。単なる地域のイベントなら勝手にやってもらえば良いのですが、神田明神の行事なので、信じられない気持ちです。
 

鳥舟(櫓漕ぎ運動)でウォーミングアップする鹿島神宮の大寒禊

鳥舟(櫓漕ぎ運動)でウォーミングアップする鹿島神宮の大寒禊

資料

来年正月22日(日)1000から1100まで「鹿島立ち」で有名な鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の大寒禊が境内の御手洗池(みたらしのいけ)で実施されます。参加料2000円(昼食代込み)、衣装は白の越中褌(女性は白衣)と白鉢巻で統一され、毎年100人以上の一般参加があるそうです。(写真) 来年で20回目ということですので、まだ新しいのですが、伝統の衣装以外は認められず、神道の真骨頂を見せてくれます。こうしてみると、神社が日本古来の民俗文化の継承者であることを実感します。

世界を眺めても、これだけ清潔で美しい国は日本しかありません。鉄砲洲のあと、この大寒禊も激写する予定です。規模は鹿島神宮が大きいようですが、伝統は鐵砲洲の方が遥かに長いのです。鹿島神宮に負けないよう、世界に誇る伝統美の寒禊ぎを続けて下さい。故中川名誉宮司の偉大さを実感しています。有り難うございました。(合掌)

2005年12月15日(木)晴  N. K.   様より  「どやどや」の取材について

はじめまして いつも楽しく拝見しています。私は埼玉に住んでおりますが、出身が大阪です。和田様が「どやどや」で取り上げて下さった、四天王寺羽曳丘高校の出身です。卒業して15年経ちますが、自分も参加した祭りを素晴らしい映像と、詳細な解説で取り上げて下さいました事に感謝しています。また、世界各地の画像も、いながらにして旅をしている気持ちになり、毎回見入っております。

私自身は、両親がすでに他界していることもあり、大阪にもご無沙汰しております。どやどやを見ていますと、高校時代を懐かしく思い出します。あの頃、嫌でたまらなかった祭が、今となっては青春の貴重な思い出です。いつか見に行こうと思いつつも、14日が平日のことが多く、なかなか足を運ぶ事ができませんでした。来年は土曜日ですので、是非にと考えておりましたが、家庭の事情でそれもかなわず、残念に思っております。

HPを拝見しますと、祭はそれぞれ1回の撮影のようですが、再び、どやどやを撮影されるご予定はございますでしょうか?これまでも、問い合わせてみようかと何度も思いましたが、一読者のわがままを不躾にメールするのも気が引けました。今回、思い切ってメールいたしました。

和田様のHPの益々のご発展をお祈りします。寒くなってまりました。お風邪など召しませぬよう、お体おいたわり下さい。

お便り有り難うございました。いつもWa☆Daフォトギャラリーをご覧いただき、嬉しく思います。「どやどや」で有名な四天王寺羽曳丘高校OBのK.さんから、実際に裸になった体験者として、貴重なお話をいただき、嬉しく拝読しました。嫌でたまらなかった「どやどや」が今では青春の懐かしい想い出となっているとのこと、若い頃はその存在価値を見いだせなかった日本独自の伝統文化の素晴らしさを、年を取るにつれて実感できるようになったことは、私自身とまったく同じ経過を辿っておられるわけで、親しみを覚えました。

「どやどや」の作品をアップして、はや4年の歳月が流れましたが、その間、既に9万人を越える全国の方々にご覧いただきました。今となってみれば300万画素のCAMEDIA C-3040ZOOMで撮影したものですので、望遠も大したことがなく、六時堂のお札争奪戦は全景しか撮れていません。そろそろ800万画素のE-500で躍動する若人の裸像を再度捉えてみたいと思っています。お便りをいただいて来年の正月14日は土曜日に当たるとのことですので、新幹線を利用すれば日帰りで取材できそうですね。是非、ご期待に添えるよう、計画したいと思います。どやどやの内輪話などもお聞かせ願えれば幸いです。これからもどうか宜しくお願いします。有り難うございました。
 
ご返信頂き、ありがとうございます。再び、どやどやの取材をして頂けること、嬉しく思います。私が参加したのは、高1・2年の2回でした。部活が運動部でしたので、強制参加です。当時の私には、ふんどし姿がたまらなく苦痛であり、日が迫るに連れて、ブルーな心境になったことを、昨日の事のように思い出します。

幸いにも(?)、赤でしたので、胸をなでおろしたことも、懐かしい思い出です。運動部が中心の参加者なのですが、それだけでは足りず、ホームルームなどで、参加者を募るわけですが、結構な希望者がいたので、意外に思ったものです。もちろん、男子生徒の半数以上は嫌がるのですが。清風と違い、共学校ですから、女子の目に触れることが嫌でした。

実際には、着換えは休憩所にて行いますし、祭当日は女子生徒が見学することはありませんでした (曜日の関係で) 私は、友人達と一緒に、部室で予めふんどしを締めてからジャージで向かいました。軟弱ですね 笑

当日は寒さと言うよりも、恥ずかしさで一杯で、とにかくも集団の中に埋没しようと、中に中にと一生懸命でした。外側になるまいと。私の場合、中高時代と、非常に自意識過剰でしたので、どやどやでは人目に付かないよう、それだけに一生懸命でした。お笑い下さい。

当然、お札をとることもなく、冷たい水を浴びて震えながら、とにかく終わってくれることを祈っていました。かような状態で、お恥ずかしい事この上ない有様でした。和田様のHPの参考になるような、裏話を持ち合わせていないことを申し訳なく思います。最後の風呂が、異様に泥だらけだったこと、それでも冷え切った体には湯が心地よかったことを覚えています。

今のどやどやの画像も、大変高画質で素晴らしく思っていましたが、カメラがより高画質化されたようで、来年のアップが益々楽しみです。私のわがままをかなえて下さり、心からお礼を申します。これからも楽しみに拝見させて頂きます。
 
今晩は。どやどやにまつわる思い出話、興味深く読ませて頂きました。私は高知の漁村に育ったせいで、小さいときから銭湯や海で大人の褌姿を見ていましたし、海水浴では黒猫を締めていました。大人になったらふんどしを締めるものと思っていましたので、違和感はなく、大学の寮生活で、汗かきの体質のためインキンになったとき、医者から越中褌を勧められ、それをきっかけに今日まで愛用しています。六尺褌と違っていつもユルフンで締めているので、着装感がなく、通気性がよいので、健康的です。ふんどし談義にも書いたように、日本人男性のアイデンティティを感じています。

K.さんは、そのような文化的背景が無かったため、違和感や嫌悪感を持たれたのでしょうね。外国人力士も弟子入りした当時は、お尻を出すのが恥ずかしいと思うようですが、馴れれば何ともなくなります。一種のカルチャーショックですね。赤褌だったので胸をなでおろしたとのことですが、白褌だとどこが問題なのでしょうか。私は白がノーマルで、赤は少し勇気がいる気がします。昔は還暦になると赤褌を締める(赤子に還る)習慣があるので、白は大人になった証しというイメージです。
 
こんばんは。私の頃は、白ふんどしですと、水を浴びた時に透けるという噂があり、ほとんどの参加者が、赤を希望していたと思います。私の記憶が定かであれば、部活ごとに赤・白が決まっていたように思います。私自身が、赤を選択したとかいう記憶はなく、先輩から、「良かったな。うちは赤だぞ。透けずにすむからな。」と言われたことを思い出します。実際には、白だからとて、透ける事はありません。

亡くなった父は、能登半島の羽咋の出身で、漁師町でした。父の父(つまり祖父ですが)は、戦地で亡くなっており、父が物心付くころにはすでにいなかったそうです。貧しかったこともあり、よく近所の漁師を手伝ったと聞かせれました。和田様の故郷のお話しのとおり、当時は大人も子供もふんどしが普通だったと聞いております。父も、黒い三角のふんどしをはいて、泳いだもんだと語っていました。それが「黒猫」というものでしょうか?

中学卒業後、大阪で就職した父は、そこで新潟から働きに来ていた母と出会い家庭を持ち、私を育ててくれたわけですが、残念ながら、私の育った環境の中には、ふんどしは身近な物とは言えませんでした。そういうこともあり、高校時代、いきなり直面したどやどやのふんどし姿は、面食らったの一言でした。今でもそうでしょうが、参加する学生のほとんどは、あの神事によって生涯初めてのふんどしを締めるわけです。少なからず、カルチャーショックではあるわけです。控え室では、「おお〜、尻がスカスカする」という言葉が聞かれました。

私は大学は東京に進みましたが、一緒のサークルの仲間に、学習院出身の者がおりました。ご存知かと思いますが、学習院は夏に沼津で臨海学校があり、赤ふんで泳ぎます。聞けば、学校のプールも赤ふんで泳ぐのだとか。彼曰く、ふんどしになれてしまうと、これ以上泳ぎやすいものはないそうです。久し振りに水着をはくと、お尻を覆われることが、気持ち悪く感じたほどだそうです。これは和田様のHPの本筋とは何ら関係ない話しでしたが・・・

その友人は、ふんどしで泳げる公共のプールを探しては泳ぎに行ってました。当時の私には、全く持って奇異な行動に写りましたが、和田様の、大学以来の越中ふんどし愛用のお話しをうかがいまして友人のことを思い出した次第です。私が、「赤でよかった」と記したのは、上記のようにお恥ずかしい理由からなのです。
 
おはようございます。白褌は水に濡れると透けて見えるという理由は予見していました。(^^; でも、おっしゃるように、四年前どやどやを取材したときは、そのようなことはありませんでした。みなさん、六尺褌を前袋式に締めていますので、濡れても透けて見えることはありません。越中褌だと前垂れ式ですので、前垂れがずれると透けて見えます。僧侶や神官は越中褌が正装なので、滝行や禊ぎをするときは、厚手の布でできた禊ぎ用の越中褌を締めると聞きます。でも、3年前、高野山に行ったとき、玉川の水行場で使う越中褌を近くの法衣店で1本380円で売っていましたが、薄くて使い捨てのような粗末なものでした。水行は人に見せるものではないので、厚手のものは必要ないのでしょう。

http://wadaphoto.jp/japan/koya3.htm
http://wadaphoto.jp/japan/koya4.htm

黒い三角のふんどしは、黒猫です。高知の私の田舎では「いどくい」と呼んでいました。おいど(尻)に食い込むからでしょうか。小学低学年の頃締めていました。駄菓子屋にぶら下がって売られており、「いどくいおおぜ(黒猫下さい)」と言って買ったことを何故か覚えています。幼児はフリチンで泳いでいましたので、褌を締めるのが誇らしかったからでしょうか。ちなみに褌は履くとはいわず、締めるといいます。

学習院の臨海学校では赤褌、巣鴨学園は白褌(教員とOBの指導者は黒褌)で泳ぐのが伝統と聞いていますが、褌を気に入った人はずっと愛用するのでしょうね。褌は少数派なので、衆目を気にせずに堂々と締めるのは、勇気がいることかもしれません。しかし、まわりは思ったよりも無頓着ですので、案ずるより産むが易しです。現在、国分寺のフィットネスクラブに通っていますが、脱衣所でたまに老人の越中姿を見かけることがありますが、黄色の越中褌を締めた若者を見かけたことがあります。今、インターネットの褌屋などで手軽に購入できますので、結構ブームになっているようで、色物や柄物を楽しむ人が増えているのかも知れません。K.さんも試しに如何ですか。
 
私の場合、ふんどしよりも、まわしのほうが似合うかもしれません。 苦笑 気がつけば、和田様のHPのお便り欄にて、私のつたないメールがアップされており、恥ずかしくも、嬉しく思います。取り上げて下さり、ありがとうございました。光栄に思います。今後も益々のご発展とご活躍をお祈りします。
 
今回のふんどし談義は有意義な中身が沢山ありましたので、紹介させていただきました。掲載をご了解いただき、嬉しく思います。これからもどうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2005年8月16日(火)曇  Y. K.   様より  名古屋在住 褌のお便り

突然失礼します 
祭りの素晴らしい写真の数々にいつも見とれております。小生は昭和30年、高知・室戸の生まれですが、中学3年の時に大阪へ転校し、その後京都、東京、京都、東京、広島、名古屋と転々としております。ちょうど、南国土佐をあとにして35年になりますね。さて、祭りと褌について3点ばかりお便りいたします。

1 担ぎ手が足りないという新聞記事を目にして、名古屋・那古野(なこの)神社の「夏の例大祭(何とか天王祭)」の神輿渡御に2年前から参加しております。ここは赤の六尺褌に足袋、法被、鉢巻で担ぎます。参加してみて分かったのは、なぜ六尺なのかということです。腹をギュッと締めるとものすごく力が入るのです。たぶん、陸上の投擲競技や重量挙げのベルトと同じ理屈じゃないかと考えます。今じゃ全然有名ではない祭りですが、由緒正しい素朴な、名古屋の誇るべき祭りだと思います。毎年7月16日にありますので、ぜひご参加下さい。

2 「わっしょい」か「せいや」―小生もわっしょいがピンときます。ところが、那古野神社の神輿では「えっち、えっち」と掛け声を掛けるのです。初めて聞きました。神社の方に聞くと、「えっちら、こっちら」からきているのではないかとのこと。

3 5年前から越中褌を愛用しております。金沢での単身赴任時代、バイクで奥飛騨温泉へよく出かけましたが、ある年配のライダーが越中を締めているの見て「かっこいいな」と興味を持ち、高知・赤岡の「はきものや ましろ」(間城綾江さん経営)に越中を注文したのが褌との付き合いの始まりです。

 突然失礼しました。今後とも祭りの写真に期待し、そして楽しみにしております。

今晩は。久しぶりに褌のお便り、興味深く拝読させていただきました。ご紹介いただいた赤褌着用の祭をinternetで検索すると、名古屋の那古野神社例大祭(天王祭)ですね。正式には「なごやじんじゃ」と読むようですが、「なごの」と読む人が多く、宮司さんも根負けしているようです。(^^; 「赤褌の暴れ神輿」ということで、写真集を見てみますと、確かに全員赤の前垂れ式六尺褌を締めています。

那古野神社例大祭 http://www.geocities.jp/sdyys385/newpage25.htm

人集めに苦労されているとのことですので、できれば来年取材し、当サイトで発表すれば、全国の裸祭りファンが応援に駆けつけてくれるかもしれませんね。なんとかお役に立てるよう頑張りたいと思います。若い人も参加しているようですので、これからも廃れることのないよう、地元の人には特に頑張って貰いたいものです。

おっしゃるように六尺褌をきつく締めると下腹に力が入って、自然とファイトが湧いてくるのでしょうね。「えっち、えっち」という掛け声は珍しいですね。はじめて聞きました。労働がきつくなれば、声を出すのも辛くなり、「えっちら」が「えっち」になるのでしょうね。

下着に越中褌を愛用されるようになったとのこと。夏の暑い季節には特に重宝ですね。最近、褌屋が盛況のようで、注文してもかなり待たないと届かないとか。若い人にも是非締めて貰いたいものですね。有り難うございました。

2005年8月3日(水)晴  K. T.   様より

ふんどし談義 
始めまして。いつも楽しく拝見させていただいています。特に地元の"灘のけんかまつり"は何回見ても楽しいです。それと"ふんどし談義"も改訂していないかチェックしています。本日久々に"ふんどし談義"を見ていたところ、大変なものを発見しました。なんと私が書いた記事がありました。(いままで見落としていました) "播州秋祭 ふんどし談義"の3/4の最後のS社、社内広報の特集記事 『30年』 です。

   祭りといったら「灘のけんか祭り」。高一で初めてまわしをしてヤッサ(屋台)を担いで30年。
   一時期、怪我をしてやめていたが、今も現役で担いでいる。
   今、住んでいる所も"灘の七村"であるが、担ぐのは生まれ育った村のヤッサ。
   子供の頃からヤッサを担ぐ親の姿を見て育った村が一番である。
   普段は近すぎて帰らないが、祭りは朝から帰って兄や仲間と酒をのみ、一緒に「出立ち」をする。
   祭りは最高である。今年もそろそろ太鼓の練習の音が聞こえ出す。
   だんだんと気分が盛り上がり、わくわくしてくる。10月14日、15日が待ち遠しい。

ちょっと嬉しくてメールさせていただきました。

お便り有り難うございました。いつもWa☆Daフォトギャラリーをご覧いただき嬉しく思います。S社の社内報に「30年」を投稿されたのがT. さんでしたか。簡潔にして明瞭、灘のけんか祭りに寄せる熱い思いが伝わる名文ですね。T. さんにとってこの祭りは日本人として今に生きる原点なのでしょう。

私も5年前に灘のけんか祭りを見て感動し、裸祭りシリーズをはじめましたので、私にとってもこの祭りは原点です。練子全員がふんどし(泥まわし)を締め込み、神輿や屋台を担ぐ姿に魅了され、ふんどしについて思いを巡らすうちに、ふんどしこそ日本人男性のアイデンティティだと考えるようになり、ふんどし談義をはじめるきっかけにもなりました。今年もあと2ヶ月半でお祭りです。どうか怪我をしないよう十分にご注意されて、男らしい伝統の裸祭りを堪能して下さい。有り難うございました。

2005年7月19日(火)晴  trimrnd   様より  ふんどし談義

ホームページ拝見しました! 
はじめまして。ホームページを拝見しメールを送らせていただきました。博多の山笠についてネットで調べている中で、偶然、和田様のサイトにたどり着きました。画像の鮮明さと内容の濃さでついつい見入ってしまいました。私はカメラも写真も、全くわからないのですが、サイトの画像を見たときに「動き」を感じるほどのリアルさを実感したということは、それだけ和田様のカメラマンとしてのこだわりがにじみ出ていたのだと考えます。

中でも「ふんどし談義」の一連のお話は興味深いものがありました。「ふんどし」と「締め込み(廻し)」の違い。「ふんどし」という響きに抵抗があるというのは、ふんどしや廻しに縁のない人だけではないようですね。さらにはその中でも、「ふんどし」にあまり良いイメージを持っておられない方と、単純に「ふんどし」と「締め込み(廻し)」は機能的に違うものであるから分けて考えておられる方もいらっしゃると思われます。

「文化」と一言で言っても、それを解釈する側によって違ってくるということ、それゆえ伝承されていくことが難しいことがあるということを、調べ物の目的も忘れて考えこんでしまった次第であります。ちなみに私は褌を締めることはありますし、廻しを締めて相撲をすることもあるので特に抵抗はないですね。

何かとりとめのないメールになってしまいましたが、和田様のサイト、ブックマークに追加しましたので、今後ともダイナミックでドラマティックな内容が出てくることを楽しみにしております。では、この辺で。

おはようございます。お便り有り難うございました。私のサイトをお褒め頂き、また、ふんどし談義についてのご感想、嬉しく拝読しました。ご指摘のとおり、ふんどしは、その言葉やイメージに抵抗があるという問題と、ふんどしの定義に異論があるという二つの議論がありますね。これは育った環境に大きく影響されると思います。特に、越中ふんどしは戦前の軍隊が採用した下着のため、徴兵制にまつわる暗いイメージもあるようです。

私は戦後生まれであるため、特別な感情はなく、高温多湿の高知県に育ち、自然に裸文化を受け入れてきました。銭湯のふんどし姿や、ふんどしが干してある景色を見て、大人になればふんどしをするものという、一種の憧れを持ちました。

世界を旅するようになってからは、日本人男性のアイデンティティとして、認識を新たにしました。特に国技の相撲が国際的にも認知され、朝青龍など外人力士が増え、フランスのシラク大統領も大ファンであるなど、日本文化が世界的に広がってゆくことを嬉しく思っています。internetのふんどし通販・褌屋が大繁盛している現状をみると、国内でもふんどしファンが着実に増えているようで、嬉しく思っています。有り難うございました。
 
和田様、早速のお返事、ありがとうございます。前回書きそびれましたが、私、褌暦は長い(?)ものでして、かといってそれほどたいしたきっかけではなく、幼少の頃に祖父がたまに締めていた、いわゆる六尺に興味を示し、「自分もほしい!」と駄々をこねて以来、その存在を知っているという程度のものです。夏の夜には縁側で六尺一丁で涼んでいる横で、孫の私が同じく六尺姿でアイスクリームを食べたり花火をしたり、といった具合で過ごしていたことを思い出します。人のものはなんでも欲しがる子供だったようです。そういう意味では、褌とは私にとって、ノスタルジックな気分を連想させるものかもしれません。

また、最近になって、知人に誘われたのがきっかけで、廻しを締めて土俵で相撲の稽古をすることがあります。私自身、スポーツは得意ではないし身体もそれに向いている体型ではないのですが、廻しをキリッと締めて土俵で汗を流すと、それだけで日々のストレスから解消されるようでやみつきになっております。ただ、翌日の筋肉痛だけは避けられませんが・・・。

そんな私ですが、それでも褌に抵抗がある人の気持ちはわかるような気がします。和田様のおっしゃるとおり、個人の環境を背景とした影響があるのでしょう。そういう個々の違いを考慮せず、ただ「文化だから」というだけでは受け入れられないのかもしれないですね。相撲に誘ってくれた知人が言っていたのですが、案外、現代の子供でも「ちょっとやってみない?」と言葉をかければ廻しを締めて相撲を取ることぐらい平気でやるそうです。ただ、そこに強制や「男の子だからしなさい」といったニュアンスが含まれるとすぐに反感を持たれるそうです。私も自分が子供だったころのことを思い返すと「確かにそんな風に言われると反感を持つかも・・・」と想像しました。声をかける側の心構え一つで変わるのなら、どれだけ気を使っても使いすぎることはないと感じました。

とはいっても基本的に私は褌に抵抗がないので・・・。最近、通販で販売しているのを見ると興味がわきます。普段はサラシの布を裁断して使うだけなので余計に・・・。そういう意味ではネット社会の恩恵を被る側なのかもしれませんね。
 

今晩は。長文のお便り、有り難うございました。子供の頃、夏の縁側でお爺さんと一緒に六尺褌を締めて夕涼みしておられたという話、興味深く拝読しました。三つ子の魂百までといわれるように、子供の頃の環境が大きく影響することは間違いありません。

                   夕涼し爺のふんどし孫も締め
                      庭花火そろひのふどし爺と孫    北舟


IT時代のお陰で、褌屋が繁盛していますが、伝統文化がITに支えられているという側面があるのですね。こうして情報交換できるのも、まさにITのお陰です。現代の子供たちに日本の裸文化を伝えるにも、色々な配慮が必要かも知れませんね。

2005年4月3日(日)  宮本弁慶   様より  古式泳法のご紹介

海辺の寒中水泳大会

海辺の寒中水泳大会

資料

以前ご質問をいただいていた日本泳法のことですが、昔はプールがなくて川や海で泳いでいました。当時は水褌(すいこん・水泳用の六尺褌)や黒猫褌(もっこ褌を水泳用に改良したもので、別名「サポーター」と言う)を着けて泳ぎました。
特に水褌の場合は細い布のところをつかめることができ、更に溺れた人を助ける為に水褌を外して布をつかめることができるので人命救助用としても重宝しています。
現在はプールが普及すると水褌の需要も減ってしまい、代わりに水着が登場し、更に女性の日本泳法の普及も増えてきた為、現在の水褌は見かけなくなりました。現在水褌で泳ぐところができる場所は、京都市北区の「上加茂游泳術講習所」のみになっております。
この講習所は日本泳法十二流派の一つ「小堀流踏水術」を習うことができます。講習期間は毎年7月から9月までの夏季限定となっております。

 参加している方は、地元の小学生から一般までですが、京都・大阪方面からも参加しております(私もその一人です(^^))。男性は白の水褌、女性は普通の水着着用で泳いでいます。勿論、ボランティアの指導員もいますので安心して習えます。水褌をなれない子供たちは、ユルフンになってしまうこともありますが、ちゃんと指導員が締め直します。私の場合は指導員とのマンツーマンで習っています。まだまだ、私は修行の身ですが、今年も頑張って泳いでいきたいと思います。

日本の古式泳法の現状について、非常に詳しくご説明をいただき、興味深く拝読しました。前袋式六尺褌が水褌に利用されてきたのは、ほどけにくいことや、後褌(うしろみつ)を掴んで救助できたり、水褌を解いてロープ代わりに使えたりと、種々の効用があったからなのでしょうね。また、鮫が来たときには水褌を解いて長く延ばして泳ぐと鮫が寄ってこないなどということもいわれています。

今は、海水パンツが普及し、その効用よりも日本男子のアイデンティティや男らしさを表すものとして、古式泳法などに僅かに生き残っているようですね。宮本さんは京都で小堀流を習われておられるとのこと、是非、会得されて、伝統を絶やすことなく、後世に伝えていって欲しいと思います。有り難うございました。
2004年9月25日(土)   宮嶋 茂   様より    タイの仏教文化シリーズ 
 Re:大原はだか祭り(速報版)  和田様  お知らせありがとうございます。早速拝見いたしました。なかなか勇壮な祭りのようですね。若い人たちも多いようですから、これからに期待できそうですね。  大原はだか祭り
でも惜しむらくは、和田様も仰っていらっしゃるように、祭りの装束ですね。私も同感です。最後に「江戸時代は、全裸か褌一丁・・・」とありましたが、私の亡くなった叔父は渥美半島の漁師町の出身でしたが、その叔父から網を引く時は、全裸でオチンチンの先を藁で縛っただけだったと聞いたことがあります。
恐らく藁で縛ることにより見えないとする日本独特の了解があったのだろうと勝手に推測しています。ですから全裸だったかも知れないというのは、うなずけることです。
時代と共に変化していくことは仕方がない一面を持っていますが、博多山笠も現在は「水法被」ですが、昔は裸だったと何かで読んだ記憶があります。でもやはり昔の伝統に回帰して欲しいと念願せずにはいられません。褌文化の再興は大事なことだと思っております。では、完成をお待ちしています。
宮嶋 様  お早うございます。早々に「大原はだか祭り」(速報版)をごらんいただき、有り難うございました。おっしゃるように、房総の海の漁師も戦後のある時期まで、藁しべで陰茎の先端を縛るだけの全裸で働いていました。彼らにとっては先祖代々の労働着であり、羞恥心は全くありません。有名な写真集があり、新宿の紀国屋書店では今でも販売しています。女性は腰巻きだけで上半身裸でした。

昔、NHKテレビの白黒時代に「新日本紀行」という番組で、房総の漁村が報道されていましたが、そこでは漁師はみな前袋式に白晒の六尺褌(水褌)を締めていました。随分後の回顧談で、担当記者が、藁しべ一本の全裸なので、これでは放映できないと思い、褌を締めてもらったという自慢話がありましたが、ガッカリしたことを思い出します。これはやらせ以外のなにものでもなく、NHKの民俗文化に対する冒涜であり、高慢だと感じたものです。

現在、「うるるん滞在記」や「世界不思議発見」など、世界各地の民俗文化を取材した番組に人気がありますが、アマゾンの全裸はもとより、山岳民族に多い褌やパプアニューギニアのコテカ(ペニスサック)などをありのまま放映していることは、正しい態度であり、好感を持って見ています。

キリスト教の伝道で、裸が野蛮だとされたことが、全世界の民俗文化を破壊しました。明治維新の文明開化も西洋の文化が上で高温多湿の日本の裸文化は野蛮だとして、労働着であった褌が駆逐されてゆきました。功罪相半ばかもしれませんが、せめて伝統文化を謳う祭りだけでも、正しい衣装で世界にアピールしてほしいと思っています。私はこれからも世界に誇る日本の裸文化を発掘し、internetで世界に発信したいと思っています。
 
和田様  やはり房総でも漁師のいでたちはそうでしたか。日本全体がそうだったかも知れませんね。「新日本紀行」はテーマミュージックも素晴らしく、良心的な番組だと思っていましたが、そんなことがあったとは知りませんでした。番組製作者の段階での作為はいただけませんね。

「うるるん滞在記」や「世界不思議発見」も日本に居る時はよく見ていました。コテカの時はビデオに収録してこちらへ持ってきてあります。その時、キリスト教の布教の結果、彼らが教会へ行く時だけ洋服に着替えて行くところが放映され、一宗教の布教により大切な文化が破壊されていることに衝撃を受けました。このことは世界中のあらゆるところで起こっています。キリスト教徒の傲慢です。

明治維新で来日した技術者がまず最初に驚いたのが、休日に働いているということだったそうです。そして、その時の労働着が褌だったのですね。褌を禁止せよとの上申もなされたと聞いています。ここにも伝統文化を無視する西洋の身勝手があります。そういうことが今日まで及んでいるのです。もういい加減に我々自身が目覚めないといけませんね。

そして日本の明治維新の頃、イギリスがタイが遅れているのは迷信に満ちた仏教を信じているからだと、時の国王に侵略目的で迫ったことがありました。その時、当時のラーマ4世だったと思いますが、国中の僧侶を集め、また釈尊の時代の仏教を最も伝えているとされる当時のセイロンからも僧侶を招聘し、おびただしい経典と共に、これに対抗した歴史があります。

その結果がタイが東南アジアで唯一植民地にならなかった理由だと言われています。それにより、いまでも古き良き伝統がタイなりに残っているのだろうと推測しています。

私も褌には愛着があり、私なりのこだわりがあります。是非この褌に代表される日本の裸文化をこれからも発掘し、世界に発信していってくださることを念願いたしております。
 
宮嶋 様  タイが唯一列強の植民地にならなかったのは、仏教を中心とする伝統の矜持であるということを知り、感動を新たにしました。キリスト教にも良い面と悪い面がありますが、現在のアメリカは、建国200年余の歴史しかなく、歴史文化の乏しい国ですが、そのために世界一歴史文化を大切にします。個性や多様性を重んじるのは、そのためです。それにひきかえ、日本は世界に誇る長い歴史文化があるのに、その価値に気付かず、伝統を疎かにする風潮があります。

日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)は何かといいますと、高温多湿の裸文化ということになります。褌という下着からはじまり、和服や日本建築など、すべてが日本特有の蒸し暑い夏を如何に凌ぐかという観点から出発しており、私は褌こそ日本文化にふさわしい日本男性の象徴と思っています。これからもこの素晴らしい日本の裸文化を世界に紹介してゆきたいと思います。有り難うございました。
2004年9月22日(水)  宮嶋 茂   様より    タイの仏教文化シリーズ
 
宮島玉取祭拝見いたしました  今日は宮島玉取祭を拝見させていただきました。宮島は字こそ違いますが、私の姓と同じ発音ですので親しみが持てます。前垂れ式の赤褌なんですね。私の子供の頃の海水浴では前垂れ式もありましたが、ほとんどが前袋式の赤褌や晒での六尺褌でしたので懐かしく拝見させていただきました。  宮島玉取祭

ただ褌の締め方で後ろ横みつと縦みつの交差部分の締め方が決まっておらず、またもう少し下で締めれば格好よく見られるのにと思いましたが、これは祭りの時だけに褌を締める現代人には少々無理な要求かも知れませんね。それから、途中から水着の若者が出てきてちょっとがっかりしました。やはりちば様や和田様が終わりにお書きになっていらっしゃるように、伝統の褌で決めて欲しかったです。

タイにも褌に似た伝統衣装がありますが、家庭を持った人たちの間では今も立派に使われています。伝統を大事にしているという感覚であるかどうかは分かりませんが、実際に伝統衣装が家庭で使われていることは事実ですので、今の日本の現状が残念でなりません。

でもちば様の熱意には感心いたしました。そして最初玉が高く設定されており、なかなか飛びつけず、それが段々下がってくるもの面白いと思いました。ちば様におかれましては、これからもいい写真をお撮りになって精精私たちを楽しませてください。ご期待いたしております。では、ありがとうございました。お元気で。
こんにちは。ちばさんの「宮島玉取祭」をご覧いただき、また、長文の感想をお寄せ頂き、嬉しく拝読しました。おっしゃるように、普段褌を着用していないので、締め方もバラバラで、はっきり言って締まりがないですね。(^^; 

以前、日本の越中褌のようなものを締めている古い石像の写真をお送り頂きましたが、今でもタイでは褌に似た伝統衣装を着用している方がおられるのですね。日本は新しい物好きの民族のようで、次代をになう若者に伝統を大切にする心をもってほしいものだと思います。
 
和田 様  > 普段褌を着用していないので、締め方もバラバラで、はっきり言って締まりがないですね。(^^; 

・・・・・そうですね。その点、確かに博多山笠などは立派なものですね。先達のご苦労が偲ばれます。九州男児の心意気でしょうか。私も一度だけですが千年以上の歴史を持つ裸祭りに参加したことがあります。もちろん褌の正装でしたが実に爽快でした。でもやはり若い人の中には短パン姿の者もおり興ざめでした。

どうも現代人にとっては、褌は格好も悪く、締めるのが恥ずかしいというような感覚のようにも思えます。そして褌を「履く」というような表現も聞きいたりします。いやはや時代でしょうかね。

> 今でもタイでは褌に似た伝統衣装を着用している方がおられるのですね。

・・・・日本の越中褌とほとんど同じというのは、タイの山岳民族の一部に見られますが、一般的には腰巻の感じのものです。しかし時として先般お送りした出家式の時のように褌に似た着用方法も見掛けます。またタイの記念切手の中には褌と思われるデザインのものがあります。ご希望であれば一枚だけですがお送りできますので、ご希望をお聞かせください。面白かったのでさらに購入しようとしたところ記念切手でもう無いとのことでした。

> 次代をになう若者に伝統を大切にする心をもってほしいものだと思います。

・・・・・私見ですが、伝統が如何に大切であるかは、今の日本ではどこも教えてないのではないでしょうか。ですから宮島の祭りで水着で参加した若者にも、きっと伝統を汚しているという意識はないと思います。恥ずかしいからとかの単純な気持ちからではないかと推察しております。

・・・・・和田様におかれましては、お仕事も抱えながらこうして立派なホームページを維持運営されており、ただただ感謝の一言です。これからもよろしくお願いいたします。  宮嶋 茂
 
宮嶋 様  ご丁寧なお便り有り難うございました。楽しく拝読させて頂きました。思わぬ褌談義となりましたが、宮嶋さんのメンタリティは私のものとまったく同じであることを知り、意を強くしました。これからも裸祭りを追い続け、日本人のアイデンティティをアピールしてゆきたいと思います。

千年以上の歴史を持つ裸祭りに参加したことがあるとのことですが、どういう祭りでしょうか。今、どうなっているのか興味があります。
 
和田様  戦後あらゆるものをスクラップ・アンド・ビルドしてきた国です。貴重な伝統も同じだったのかも知れませんね も子供の頃まだまだ褌姿の親父があちこちにいましたので、褌には愛着を持っています。一部に褌に対する偏見もあるようですが、伝統とは何かを日本人自身がもう一度見つめなおさなければならないと思っています。

和田様には今後とも裸祭りを追い求めていっていただき、お言葉にもあったように我々日本人のアイデンティティーをアッピールしていってください。

> 千年以上の歴史を持つ裸祭りに参加したことがあるとのことですが、どういう祭りでしょうか。

・・・・・これは静岡県磐田市に古くから伝わる見付けの裸祭りで、今も営々として続いています。今年は先週ぐらいだったでしょうか。真冬の裸祭りではありませんので参加し易いです。インターネットでの検索も可能だったと思います。

ここの祭りの特徴は褌の上に藁で編んだ腰簑を巻き、一般参加者は黒足袋に草鞋を履くことです。でも、残念ながら褌でない者もいますが、腰簑を巻いていますので余り目立ちません。後ほど写真を探しましてお送りいたします。少しお待ちください。腰簑を見ていますと、私見ですが南方からの伝来に関係しているかも知れないとロマンを掻き立てられます。
 
見付天神祭に参加されたのですね。これは有名で存じています。一度取材したいと思っていますが、今まで機会がありませんでした。腰簑が珍しく、おっしゃるように南方文化と関係があるかもしれませんね。
 
 

タイの伝統的な住居を移築し、古いものを展示してある「カムティエン・ハウス」にあったタイ伝統の褌の写真をお送りいたします。ただし、このスタイルが現代のタイで使われているのではありません。やはり一般的なものは腰巻スタイルですが、北部の山岳地方では今も使われているのかも知れませんが、確認はできていません。なおこれは褌スタイルの展示ではなく刺青の展示のようでした。

貴重な写真、ありがとうございました。初めて見る写真です。かなり厚手の生地の褌ですね。布を腰に巻き付けるという方法はどの国でも考えは同じようですね。褌は英語でloinclothというそうですが、まさに腰布で、巻き方により腰巻きや褌になるんですね。
 
> 布を腰に巻き付けるという方法はどの国でも考えは同じようですね。

・・・・そうですね。でも、こちらでこういった格好を生活の中でまだ見たことはありません。また山岳地方へでも行く機会があれば注意していようと思います。

> 褌は英語でloinclothというそうですが、巻き方により腰巻きや褌になるんですね。

・・・・そうですね。私も一度外人にloinclothで何を連想するのかと聞いたことがありますが、腰に巻いた物とのことで、日本の褌のイメージはありませんでした。でも、こういったものを見ていますと、やはりアジアだなって思いますね。我々日本人のところまで同じ文化が届いています。

ですから褌を締めるっていっても何も感じない人もいるかも知れませんが、褌がすごい旅をして私のところまで届いているかと思うと感動ものです。

見付け天神祭りの写真をお送りいたします。これらの写真は、適当にカメラを掲げ撮ったもので、スティール写真をスキャナーで友人に取り込んでもらったものです。
 
 

 

2004年5月14日(金)  M. H.  様より  女褌について

初めまして。 和田先生のフォトいつも楽しく見させて頂いてます。

お祭、お問い合わせなのですが、夫婦でっ三社祭か神田祭来年にでも参加したいと話し合ってますが、女性でも褌可、或いは褌姿の女性が参加可能なお祭ご存知でしょうか? 誠に初夏、お祭でご多忙の所ご案内宜しくおねがしもうしあげます。
今晩は。お便り有り難うございました。三社祭は明日、町神輿の連合渡御があります。来年のことということですが、神輿を担ぐには町内会に申し込んで担がせて頂けるかどうか、聞かれたらよいと思います。少なくとも縁もゆかりもない方が飛び入りで担ぐことはできないと思われます。詳しいことは、主催者の浅草神社に問い合わせされると良いでしょう。

三社祭や神田祭では、元気のある男性は六尺褌を締めていますが、女性の褌姿は見たことがありません。その辺も町内会の衣装の取り決めがあると思います。ただ、見物するのは差し支えなく、そのとき、女性が法被の下に褌を締めていたとしても、公序良俗に反しないような方法であれば、誰も文句は言わないと思います。

ちなみに、毎年成人式にあわせて、江ノ島の海岸で藤沢鎌倉神輿連合会による寒中神輿錬成会がありますが、年によっては、褌姿の女性が神輿の上で掛け声をかけることがあるようです。そちらの方は申し込めば飛び入りで参加できると聞いています。

浅草神社 http://www.asakusajinja.com/index_2.html

振袖神輿(江の島) http://forum.nifty.com/fmatsuri/lib05/4.htm

2004年3月14日(日)  笹光雄  様より  若囃太鼓

相互リンクをお願いします 初めまして、私は茨城県下館市で子供達と太鼓をやっている下館若囃太鼓の笹光雄 と言います。素晴らしいお祭りのHPを以前から拝見していました、特に裸まつりや、ふんどし談義など大変参考になりました。ぜひHPの相互リンクをお願いしたくメールいたしました。

若囃(わかはや)太鼓

若囃(わかはや)太鼓
若囃太鼓のふんどしは純心な神童の正装であり、世界平和,無病息災,五穀豊穣,家運隆昌を願う神童が天鼓を打つ姿を象徴しています 

参照:若囃太鼓,神童の衣装

下館若囃太鼓は子供達が、ふんどしで太鼓を打つ全国でも数少ない(唯一かも)太鼓の会です。海外公演としてカーネギーホール公演を2回、また昨年は台湾のダンシングフェスティバルIN台湾に参加しました。伝統曲の継承普及を目的に創作太鼓にも力を入れ活動しています。HPは下記ですのでよろしくお願いします。
 http://wakahaya.web.infoseek.co.jp/taiko/index.html 
音源MP3は下記です
 http://wakahaya.web.infoseek.co.jp/taiko/cdsell.html#sanpuru 
県外にも積極的に参加していますので皆様の地域で太鼓のイベントなど有りましたらぜひ参加させて頂きたいと思っていす。関東以遠では三重、和歌山、石川、山梨、静岡、福島、 岩手、栃木の各県のイベントに参加しました。子供達の学校で休みが続く時なら関東以遠でも参加出来ると思いますのでよろしくお願いします。

今晩は。お便り有り難うございました。私のホームページを気に入って頂き、光栄です。早速、若囃太鼓を見せてもらいました。既に15年の伝統ある子供たちの太鼓集団で、カーネギーホールでの公演を2回もされたとは凄いですね。しかも、フィナーレには六尺褌一本で演奏するとは、まさに日本人のアイデンティティーを感じるパフォーマンスで、国内外に人気がある根元となっているのでしょうね。素晴らしいと思います。S さんの「若囃太鼓のふんどし」と題するエッセーを読ませて頂きました。褌へのこだわりに共感を覚えました。相互リンク、了解しました。宜しくお願いします。
 
メール有難う御座います。相互リンクの件ご了解頂き有難う御座います。早速リンクしましたのでお知らせします。WaDaフォトギャラリーの膨大な写真で撮影も大変だと思いますがこれからも楽しみにしております。私は今年7月1日に松本市堀米の裸まつりに使う竹竿を持って行く事にしています(竿が老朽化) 堀米の子供達と約束したのですが 10mの竿をどうやって持って行くか困っています。若囃太鼓の子供達は来週は海の家で合宿です。今後ともよろしくお願いします。  下館若囃太鼓
   
リンク確認しました。有り難うございました。私の方も若囃太鼓を日本の祭りにリンクしました。7月の地方巡業は、色々と大変ですね。東京方面での公演がありましたら是非見に行きたいと思いますので、お知らせ下さい。その際は子供たちの雄姿をE-1で撮影して、若囃太鼓のホームページに提供したいと思っています。
22003年5月18日(日)   J. U.   様より
海

相談 褌(六尺)大好き人間なのですが、いわゆるその気の者ではありません。ただ単純に間違った西欧かぶれの現代の日本の風俗に伝統のふんどしを残したいと切実に願い、といっても何も出来ることがないので、せめて自分が草の根的活動の中から積極的に褌をして大衆の目に出来るだけふれようと思っているささやかな抵抗をしたいと考えているだけです。
そこで相談ですが、今までに自分が友達に頼んで撮ってもらった写真をここに添付しますので、先生のもしくは先生が思いつかれる何かにのせてもらえませんか。
小生は海坊主というハンドルネームでお願いしたいのですが、現在海外に住んでいます関係上なかなか日本での活動は出来ません。
しかし来週末から一週間ほど日本へ一時的に帰りますので、もし先生が何かの企画で写真を撮るご予定があれば、小生がモデルにしてもらえるようなことは可能でしょうか?
今晩は。お便り有り難うございました。私の裸祭りの作品をご覧いただいているようで、嬉しく思います。

さて、ご要望の件ですが、申し訳ありませんが、U様の写真を発表する場は持ち合わせていません。褌姿の写真は、日本の伝統文化である裸祭りを通じて十分に手に入ります。祭りを通じて私のこだわりを主張するというコンセプトをご理解下さい。いわゆるアダルトサイトでは個人の裸を見せるところが沢山あり、現在は会員制が多く(そうしないと有害サイトとして削除される)、愛好者同士の交流の場になっているようですが、私には興味ありません。

日本に帰国されるのであれば、温泉や海水浴場でアピールするか、飛び入りの裸祭りに参加して、自己主張することが考えられます。裸祭り好きのグループが散見されますので、そちらの方に相談されたら如何でしょうか。また、少し勉強されて、ご自分でサイトを開設されたらどうでしょうか。(単にご自分の褌姿をサイトに載せるだけでは有害サイトと間違えられる恐れがありますので、注意が必要ですが・・・。)
ふんどし談議 2/2

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