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 感動写真集

2006年11月22日改訂

 

 

 

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♪水の宮 水の宮・和風BGM

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           夏花摘む卍の寺の聖観音  北舟

2006年6月23日作成

一之宮の堂下げ

一之宮の堂下げ(淺草寺/東京都台東区)

淺草神社神紋「三葉葵」   淺草神社神紋「三網」   淺草神社神紋「左三巴」

江戸っ子!三社祭

堂 下

淺草寺せんそうじ 観音堂
 「あさくさかんのん」で知られる観音堂は国宝だったが、惜しくも東京大空襲で焼失したため、昭和33年(1975)に再建された。間口34.5m、鉄筋コンクリート製の入母屋造(いりもやづくり)で、南に面して建ち、内部は外陣(げじん)と内陣(ないじん)に分かれ、大扉が開いている昼の間は誰でも自由に参拝できる。

観音堂外陣に並ぶ三柱の本社神輿

観音堂外陣に並ぶ三柱の本社神輿

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必見の天井画

 天井には堂本印象(どうもといんしょう)画伯の「天人散華の図」と、川端龍子(かわばたりゅうし)画伯の「龍の図」が描かれている。この二つの天井画は、本堂再建の際に奉納されたもので、近代絵画の代表作といわれる。

天人散華の図

実際の絵はくすんでいるが、グラフィック・ソフトにより、描かれた当初の色合いに再現した。

天人散華の図

撮影:和田義男

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 堂本印象(1891 - 1975)は京都府生まれの日本画家。戦後、抽象表現や障壁画の世界にも活躍の場を広げ、国際展覧会に多くの作品を出展するなど国際的にも活躍。1961(昭和36)年に文化勲章を受賞した。

龍の図

実際の絵はくすんでいるが、グラフィック・ソフトにより、描かれた当初の色合いに再現した。

龍の図
撮影:和田義男

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 川端竜子(1885 - 1966)は和歌山生まれの日本画家。初め洋画を学び、渡米後日本画に転向。壮大豪放な表現を理想とし、会場芸術としての日本画を唱えて院展を脱退、青竜社を結成。終生在野の立場を貫き、文化勲章を受章している。

一之宮の神輿

一之宮の神輿

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御宮殿ごくうでん の本尊
 鳥よけのために金網が張られた内陣の中央には、本尊を安置する間口4.5m、高さ6mの御宮殿(ごくうでん)(厨子)がある。御宮殿内部は前の間と奥の間に分かれ、奥の間に本尊の聖観音菩薩像、前の間にお前立ちの観音像が安置されている。

観音堂の御宮殿

観音堂の御宮殿

撮影:和田義男

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 夏花摘む卍の寺の聖観音 北舟 

げばなつむ まんじのてらの しょうかんのん

お前立ち 観音かんのん
 御宮殿(ごくうでん)前面にはお戸帳(おとちょう)と呼ばれる豪華な刺繍の幕がかけられており、卍の印が印象的。御開帳の折はお戸帳を外して扉が開かれ、お前立ちの観音像を拝することができる。33年ごとの順年開帳のほか、慶祝や記念行事の際に臨時に開帳される。

大きな御幣棒を持って神輿を待つ長老たち

大きな御幣棒を持って神輿を待つ長老たち

秘仏・ 聖観音菩薩しょうかんのんぼさつ
 観音堂の本尊は、隅田川から現れた1寸8分(約5.5cm)の金無垢と伝える聖観音菩薩像で、秘仏とされているために公開されないが、実は文政年間(1818〜1830)には、この本尊は1尺8寸(約55cm)の木造の観音像であることが知られていた。

一之宮の堂下げ

一之宮の堂下げ

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秘仏の検分

 明治維新の後、政府から神仏分離令(廃仏毀釈)が出され、勅命(天皇の命令)により、太政官(だじょうかん)の役人が僧侶の立ち会いなしで淺草寺観音堂の秘仏の検分を行い、観音像であることを確認して帰って行った。

二之宮の堂下げ

二之宮の堂下げ

 昭和8年(1933)、このとき検分した役人の娘が父親の筆による観音像のスケッチを淺草寺に持参した。観音像は木彫りで両手両足が欠損し、大きさは「お前立ち」の観音像(一本造りの二尺二寸(約67cm)の像)くらいであったという。

三之宮の堂下げ

三之宮の堂下げ

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 いずれが真実にせよ片手で持てるほどの大きさであり、観音堂の巨大な構えにしては、誠に小さな本尊である。

淺草神社に向かう僧侶たち

淺草神社に向かう僧侶たち

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堂下げどうさ  
 三柱の祭神が観音堂外陣にて一夜を過ごし、翌19日(日)午前10時過ぎから淺草寺の僧侶の読経が行われ、淺草神社宮司の祝詞奏上のあと、午前11時ころから一之宮・二之宮・三之宮の順に堂下げが行われた。

淺草神社に向かう本社神輿の行列

淺草神社に向かう本社神輿の行列

本社神輿の公開

 三基の本社神輿は、淺草神社に引き渡された後、宝蔵門などに安置されて一般公開され、午後4時ころ淺草神社に還御(かんぎょ)し、神霊返しの儀が斉行されたあと、お開きとなった。

淺草神社神官が引き継ぐ

淺草神社神官が引き継ぐ

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淺草神社の本社神輿を担ぐ栄誉を得た氏子たちは、無事大任を果たし、晴れがましい笑顔が印象的だった。

晴れがましい宮神輿の担ぎ手たち

晴れがましい宮神輿の担ぎ手たち

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 この日は晴天に恵まれ、一日中、三基揃った本社神輿を詳細に鑑賞できる数少ない機会であり、神輿ファンにとっては垂涎(すいえん)のイベントであった。

鳥居前で公開された本社神輿

鳥居前で公開された本社神輿

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