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 旅紀行日本の祭り

2003年12月15日改訂

祭囃子メドレー

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2003年12月13日制作

遠州横須賀東田町「五条大橋」の山車

遠州横須賀東田町「五条大橋」の山車(江戸天下祭)

山車と神輿の順行

 翌11月24日(月)の三連休最終日、フィナーレを飾る順行があり、昨日と同様、地下鉄で日比谷に行き、午前11時半頃、JR有楽町駅北側交差点に設けられた一般見学席に脚立を立ててパレードが始まるのを待った。
 この場所は行列の正面をとらえることのできる絶好の位置で、事前に順行径路を検討して決めたものでる。報道陣も報道席を確保してカメラやビデオを構えていた。
 順行のコース:日比谷公園〜丸の内仲通り〜行幸通り〜皇居前広場(約2km)
画像をクリックすると拡大図が現れます。 カメラ位置
 順行は正午に日比谷公園の日比谷門を出発し、帝国ホテル前を通過した後、間もなく先頭集団が現れた。

江戸天下祭の先頭集団

江戸天下祭の先頭集団

拡大写真(1600x790)255KB 【E-1 100mm/100-400mm  F3.5 1/200秒 ISO200】

 順行の先導をつとめるのは江戸天下祭旗を持つ旗手2名で、そのあとに鳶頭(とびがしら)衆が続いた。組頭、副組頭、小頭等の文字が染め抜かれた半纏をはおり、花笠をかぶり、木遣り(きやり)を唄いながらの堂々たる行進である。今年の神田祭で見かけた顔ぶれが多く、江戸天下祭は神田祭をベースにしたものであることが分かる。

組頭たち

花笠をかぶった組頭 風格のある組頭

 鳶頭衆に続いて神田囃子(かんだばやし)保存会によるお囃子屋台が現れた。神田囃子は、大太鼓、締太鼓、鉦、笛で構成され、屋台・昇殿・鎌倉・仕丁舞・神田丸・亀井戸・麒麟・葛鼓などの曲目が演じられる。

神田囃子

拡大写真(1600x800)232KB 【E-1 110mm/100-400mm  F3.2 1/160秒 ISO200】

 神田囃子に続いて男髷(おとこまげ)を結った艶やかな手古舞(てこまい)の女性たちが登場した。

手古舞てこまい

 手古舞は、「木遣などで梃子(てこ)を操作する役の梃前(てこまえ)」、あるいは「重いものを大勢で運ぶときに、先頭に立って指揮する人の梃子前(てこまえ)」などの当て字だといわれ、江戸時代の祭礼の余興の舞である。

 もとは氏子の娘が扮したが、後には芸妓(げいぎ)が男髷(おとこまげ)に右肌ぬぎで、伊勢袴・手甲・脚絆・足袋・草鞋を着け、手拭いを首に巻き、花笠を背に掛け、鉄棒(かなぼう)を突き、木遣りを歌って神輿の先駆けをするようになったという。

手古舞の女たち

拡大写真(1200x650)199KB 【E-1 134mm/100-400mm  F3.2 1/200秒 ISO200】

 人力車に乗った旦那衆

 江戸時代の天下祭かと思ったら、連合町会の高張提灯(たかはりぢょうちん)を先頭に人力車が登場した。もちろん明治以降の文化である。乗っているのは連合町会会長などのお歴々である。江戸時代も祭りのスポンサー(高額寄付者)である大店(おおだな)の旦那衆が民衆の前で羽振りをきかしたのであろうか。

 人力車に乗った旦那衆

拡大写真(1600x850)209KB 【E-1 118mm/100-400mm  F3.5 1/200秒 ISO200】

天下祭一番

 旦那衆の後に、祭本番の山車の順行が始まった。天下祭一番の大役を努めるのは、東京九段三丁目町会の「牛若丸」の山車である。秋葉原東部、富士見地区などと書かれた高張提灯が先導する。

天下祭一番

「牛若丸」の山車

 制作は昭和初期と伝えられるが、屋台部分は第二次大戦時に焼失し、来歴なども同時に失われた。現在は2年に1度の日枝神社の山王祭で順行している。山車には囃子方が乗っており、人形は牛若丸で、立って横笛を吹いている姿をかたどっている。日比谷公園で展示されていなかった山車である。

「牛若丸」の山車

拡大写真(1200x900)250KB 【E-1 100mm/100-400mm  F3.2 1/150秒 ISO200】

女神輿おんなみこし

 神輿の先頭を飾るのは須田町中部町会の「女神輿」。文字通り女だけで担ぐ神輿で、参加した9台の神輿の紅一点である。神輿も女性らしく金と朱色で統一した艶やかなもの。腕組みしている女性など、男と変わらないパフォーマンスに喝采が湧く。

 女性の担ぐ神輿といえば、毎年7月に行われる大阪・天神祭のギャル神輿も有名で、関西では人気がある。

女神輿

拡大写真(1200x900)236KB 【E-1 100mm/100-400mm  F3.2 1/160秒 ISO200】

天下祭二番 「東郷元帥」の山車

 三番町町会所属の「東郷元帥」の山車がやってきた。屋台の高張提灯は、何故か三番町ではなく、麹町出張所地区となっている。東郷平八郎元帥の屋敷が三番町内にあったため、昭和25年(1950)、町会の有志が制作したという。この山車も山王祭で順行している。かなり質素な山車で、日比谷公園では展示されていなかった。

天下祭二番 「東郷元帥」の山車

拡大写真(1200x900)256KB 【E-1 152mm/100-400mm  F3.2 1/200秒 ISO200】

平河町一丁目町会神輿

 「東郷元帥」の山車に続き、麹町出張所地区と表示された高張提灯に先導されて、威勢の良い神輿が練り込んできた。平河町一丁目町会に所属する神輿で、昭和34年(1959)浅草宮本により制作されたものという。

平河町一丁目町会神輿

拡大写真(1200x900)257KB 【E-1 158mm/100-400mm  F2.8 1/200秒 ISO200】

天下祭三番 「弁慶と牛若丸」の山車

 この山車は、「白鷺」のページで最初に紹介した九段四丁目町会の山車で、日比谷公園に展示されていたものである。高張提灯には「九段四」と表示されている。山車の後には、飯田橋町会神輿が続いた。

 一番から三番までの山車はすべて日枝神社の天王祭に参加する山車であった。今回の江戸天下祭は神田祭をベースにしたものとなっているので、実行委員会が気を遣ってこのような順番にしたのだろうか。
 三番以降の山車は、全て前日まで日比谷公園に展示されていたものでばかりである。順行には全部で10台の山車が登場する。

天下祭三番 「弁慶と牛若丸」の山車

拡大写真(1200x900)257KB 【E-1 100mm/100-400mm  F3.5 1/160秒 ISO200】

天下祭四番 「羽衣」の山車

 神田祭で唯一宮入する地元神田松枝(まつえ)町会の山車がやってきた。「羽衣」山車である。松は緑ということで、緑の半纏に股引姿の女性軍が山車の牽引役をつとめている。男性は数えるほどしかいない。

 山車には、手古舞の女性達が左手に提げていた手持提灯(てもちちょうちん)などが飾ってあり、興味深い。山車の後には、岩本町二丁目大和町会の神輿が続いた。

天下祭四番 「羽衣」の山車

拡大写真(1200x900)291KB 【E-1 118mm/100-400mm  F2.8 1/125秒 ISO200】

天下祭五番 「森下町」の山車

 青梅市森下町の山車は人形と山車が分かれた構造で、江戸時代を代表する江戸重層型である。山車の屋根が開閉できるようになっており、江戸時代は人形を乗せていたことが伺われる。人形は大和時代の伝承上の人物・武内宿禰(たけうちのすくね)で、祭りの期間中、別の場所で展示される。

天下祭五番 「森下町」の山車

拡大写真(1200x900)268KB 【E-1 100mm/100-400mm  F2.8 1/125秒 ISO200】

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