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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2014年8月23日改訂

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♪一番山笠楠田入り〜山伏/邦楽囃子

山笠や赤褌還暦台上り   北舟

 

Yamakasa festival,
Daiagari the commander of sixty years old wearing red loincloth.

2010年8月4日制作

東流の全力疾走!

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東流の全力疾走!/櫛田神社(福岡県福岡市)

国指定重要無形民俗文化財

祗園紋   櫛田神社   三つ盛り亀甲に五三の桐

博多山笠寸描

東 流

七番山笠 ・

東流ひがしながれ

東流(ひがしながれ)は、大博通り(たいはくどおり)東側の地域で構成される。旧七流の東町流を母体とし昭和41年(1966)の町界町名整理を機に、呉服町流や櫛田流の一部が合流して新たに発足した流である。

七番山笠・東流舁き山の不動明王

七番山笠・東流舁き山の不動明王

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 参加町は御供所町一区御供所町三区、御供所町四区、東長寺新道、奥堂町、金屋小路、上桶屋町、下桶屋町、北船町、上普賢堂町、下普賢堂町、普賢堂町、魚町、上東町、下東町、中浜口町、鏡町、博多駅前一丁目の十八ヵ町。殆どが旧町名単位で、行政が強行した町界町名整理に反発しているようである。
東流の飾り山笠

見送り

東流の飾り山笠/表 東流の飾り山笠/見送り

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 東流は流の中の特定の町がその年の祭を取り仕切る当番制をとらず、全町で当番にあたる流当番制で運営している。昭和43年(1968)以降、水法被は「東」の一字で統一されており、当番法被も縦筋模様に統一されている。

清道旗を廻る先走りたち/東流  2010.7.11. 17:38

清道旗を廻る先走りたち/東流  2010.7.11. 17:38

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▲▼ 統一法被であることから、中洲流と同じように、水法被の左袖に町名を書いたワッペンを縫い付けている。

櫛田入りした七番・東流

櫛田入りした七番・東流

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▲▼ 東流は、舁き山と飾り山の両方を立てているが、中洲流と同じように、山台の部分が共用の引き出し山となっており、山が舁かれるときには、取り替え作業を目にすることができる。

清道旗に向かう

清道旗に向かう

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▲▼ ガイドブックによると、東流は、何事にも熱心で、例年、追い山の「櫛田入り」「全コース」ともに上位に入る。

清道旗を廻る

清道旗を廻る

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  山笠や赤褌還暦台上り  北舟 

やまかさや あかふんかんれき だいあがり

Yamakasa festival, Daiagari the commander of sixty years old wearing red loincloth.

全力疾走!

全力疾走!

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回頭する舁き山

回頭する舁き山

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八番山笠・上川端通

▼ 八番山笠とも呼ばれる山笠は、上川端通(かみかわばたどおり)の走る飾り山である。土居流に属する上川端商店街が独自に立てている飾り山で、「走る飾り山」として「追い山馴らし」と「追い山」に舁き出されて、櫛田入りを披露したあと、コースの一部を舁いて殿(しんがり)を務める。
 足りない人手を山笠讃合会から補ったり、祭愛好者・県職員・九州大学学生などの助っ人で補っているという。
上川端通の走る飾り山笠 2009.7.5

見送り

上川端通の走る飾り山笠/表 上川端通の走る飾り山笠/見送り

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▲▼ 昨年の山笠で、町内に繰り出した上川端通の山笠を撮影することが出来たので、最後に付け加えたい。  

街に繰り出した走る飾り山笠

街に繰り出した走る飾り山笠

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  ▲▼ 電線のなかった昔は、このように高くて重い山笠を担いでいたというから、昔は大変な労力を要したことが想像される。この八番山は、タイムには関係ないにもかかわらず、全力疾走する姿は、毎回、多くの観衆に感動を与えている。  
町を練り歩く走る飾り山笠
町を練り歩く走る飾り山笠 1/2 町を練り歩く走る飾り山笠 2/2

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撮影・原作:  竜二  つじ りゅうじ 
出生:昭和44年(1969)長崎県佐世保市
住居:長崎県佐世保市
職業:水道工事 
趣味:写真、車、野鳥(観察・撮影)

おわりに

 7月11日(日)日は、天気予報で100%雨となっていたので、行くつもりは無かったんですが、当日朝からさほど崩れる様子でも無かったので、一か八かで出掛けました。
 
 運良く雨模様にはならなかったので、東流付近に車を止めてから東流、西流、大黒流、博多リバレイン、川端中央商店街、上川端通、キャナルシティ、櫛田神社、中州流と足早に回り、この後は中州流が他流舁きに出発するのを待つことに。始めは少なかった見物人も増え始め、舁き手が集まるころにはいつの間にか大勢のギャラリーが集まっており、いざ出発の時にはものすごい盛り上がりでした。
 
 地元の人に聞いたところ、最終的に櫛田神社へ行くと言われたので先回りをして櫛田入りの練習を見学しました。練習とは言っても本番どおりに行われ、博多祝い唄も聞くことが出来ました。
 
 博多祗園山笠の見物は今回で3回目となります。休みの日にしか行けないというのもありますが、参加団体が多く、広範囲で行われ、また集団で見ることが出来るのは追い山ならしと集団山見せと最後の追い山の3回、それ以外は決まったスケジュールの中、各流がそれぞれに活動しているという祭りの為に未だ全部は見れていません。
 
 博多祗園山笠を見学しようと思われる方は、事前にスケジュールを確認するのはもちろんですが、公式ホームページにも地図が公開されていますので、見学する順路を決めておくことをお勧めします。各流の飾り山や舁山の所にも必ず地図がおいてありますので、これも活用しましょう。そうしないと同じ流でも当番町によって舁山の設置場所が変わる為、探すのにひと苦労すると思います。

感動写真集〈 第140集 〉「博多山笠寸描」

撮影・原作:辻 竜二    監修: 和田義男

 平成22年(2010)8月4日 作品:第21作 画像:(大46+小3) 頁数:4 ファイル数:115 ファイル容量:36.3MB
 平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:369 頁数:1,423 ファイル数:58,798 ファイル容量:8,577MB

博多山笠の褌文化

▼ 写真下は、博多祗園山笠振興会が平成6年(1994)に発行した「戦後五十年博多祗園山笠史」の表紙に使われている博多祗園山笠屏風(櫛田神社蔵)で、江戸時代の博多祗園山笠の様子が描かれている。

博多祗園山笠屏風

博多祗園山笠屏風

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和田義男
▲ これを見ると、江戸時代の博多山笠は、日本全国の裸祭にみられるように、全員が褌一丁の裸形で、足は草鞋(わらじ)か裸足(はだし)である。電線がないため、山笠も今の飾り山笠以上に立派なもので、氏子たちは誇らしげにカラフルな褌を締めて公道を練り歩いている。
 明治時代に入り、西洋の文化が全て進んでいるという誤った認識に基づく文明開化政策の影響で、褌一丁の裸祭は野蛮とされ、法被を着るようになり、その衣装が現在に及んでいる。
▼ しかし、締め込みと呼ばれる褌だけは、頑なに守られており、誰一人違反する人はみられない。女子であっても男子同様の褌を締めれば、祭に参加できるのは驚くべきことで博多以外では女子の褌姿は見られない。博多山笠では、今も変わることなく日本古来の褌文化が熱く息づいていることに感動する。
女子も褌を締めれば祭りに参加できる博多山笠/中洲流
女子も褌を締めれば祭りに参加できる博多山笠 1/2 女子も褌を締めれば祭りに参加できる博多山笠 1/2

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 その反面、江戸の夏祭は、かつては裸祭であったが、高温多湿にもかかわらず、褌姿を嫌って半纏・ハンダコ・股引に身を固めているのはとても残念である。深川祭では褌禁止という町内さえあるのには驚きを禁じ得ない。江戸の祭文化からすっかり変質してしまった現代の江戸っ子たちは、この作品を見て、父祖伝来の伝統を重んじる博多っ子の誇らしげで素晴らしい心意気を見習って欲しいものである。

日本三大裸祭と裸祭日本一

 平成22年(2010)7月31日、10年間の総括として「日本裸祭百景」が完成した。上・中・下巻あわせた収録内容は、正月から師走(12月)までの12ヵ月間に開催された裸祭69件、20頁、ベスト・ショット545(大476+小69)枚にのぼった。
 全国の主な裸祭は全て収録しているので、この機会に比較検討してみたところWa☆Daフォトギャラリーが認定する日本三大裸祭は、次の祭で、その規模と内容において群を抜いており、有識者で異論を唱える人はいないだろう。
 
      (1)博多祗園山笠(福岡市)  (2)西大寺会陽(岡山市)  (3)国府宮はだか祭(愛知県稲沢市)
 これらの祭は、長い歴史文化を持ち、いずれも5,000〜10,000人の褌姿の裸たちが参加し、厳正な規律に服し、西洋文化に翻弄されることなく一人の衣装違反者もいない。その中でも、唯一国の重要無形民俗文化財に指定されていることや、開催期間が15日間もある点において、博多祗園山笠が裸祭日本一であると認定する。
 なお、例年9月に静岡県磐田市で実施される見付天神裸祭は、国の重要無形民俗文化財に指定されている大規模な裸祭であるが一時期、褌に代えてハンダコやパンツを容認したため、祭り衣装の乱れが見られるのが残念である。現在、保存会の方で本来あるべき褌姿に戻す努力がなされており、それが実現して日本三大裸祭と同様に一人の例外もなく全員褌姿に衣装統一された暁には、これを加えて日本四大裸祭と呼びたい。今年は全国から希望者を募り、和田グループとして参加し、微力ながら見付天神の美しくも勇壮な裸祭の復帰に加勢することにしている。その詳細は、後日、作品化して発表することにしているので、ご期待願いたい! 〈 完 〉
                                               平成22年(2010)8月4日 22:00  和田義男
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