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2016年7月26日改訂

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♪メドレー「野の花〜春の海」
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

山笠や褌衆のひた走る   北舟

拡大写真(3000X2000)1.43MB 

Yamakasa festival, the fundoshi guys run and run.

2000年7月16日開設

ビルの谷間を行く土居流/博多祗園山笠(福岡県福岡市)
ビルの谷間を行く土居流/博多祗園山笠(福岡県福岡市)
2016年の日記 7月
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「徒然日記」目次


2016年7月22日(金)雨

■■■ 「津屋崎祇園山笠'16」速報! ■■■

▼ 平成28年(2016)7月16日(土)17(日)の両日、福岡県福津市(ふくつし)津屋崎(つやざき)に鎮座する波折神社(なみおり・じんじゃ)(麻生藤七宮司 56歳)で302年目の津屋崎祗園山笠(つやざき・ぎおんやまかさ)(福津市無形民俗文化財)が開かれ、津屋崎山笠保存会(中村周一会長 73歳)の協力を得て、全国連和田グループ(和田義男代表 69歳)第二期8名が北流に参加し、密着取材を行った。
I paid a courtesy call to Mr. Tatsuo Koyama the Mayer of Fukutsu wearing Wada happi coat on July 15, 2016. This photo was taken at mayor's room. He wore Wada happi and welcomed All Japan Wada Group to Tsuyazaki Yamakasa Naked Festival of Fukutsu City, Fukuoka Prefecture Japan.
全国連和田グループ和田義男代表 小山達生(こやまたつお)福津市長へ表敬訪問 / 福津市長室 2016.07.15 14:10

全国連和田グループ和田義男代表小山達生(こやまたつお)福津市長へ表敬訪問 / 福津市長室 2016.07.15 14:10

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2016年津屋崎祇園山笠のポスター

2016年津屋崎祇園山笠のポスター

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The Seven Samurais of All Japan Wada Group Second Session

和田グループ第二期7人の侍 / 吉田屋前 2016.07.16 17:17

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I joined Tuyazaki Yamakasa Naked Festival as the reader of All Japan Wada Group Second Session of Seven samurai members on July 16-17, 2016 at Fukutsu City Fukuoka Prefecture Japan.

▼ This naked photo is taken at the beginning of naked visit to the three shrines of Tsuyazaki Town joining Kitanagare Group in the evening of July 16, 2016.

裸参り(三社まいり)にいざ出陣!/ 和田義男代表

裸参り(三社まいり)にいざ出陣!/ 和田義男代表

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This photo is All Japan Wada Group Members going along the path in the green paddy fields for pilgrimage to the three shrines locating in the Tsuyazaki area on July 16, 2016.
田園地帯に入る和田グループ / 7kmを走破する裸参り 19:20

田園地帯に入る和田グループ / 7kmを走破する裸参り 19:20

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▼ Kitanagare Group naked only wearing fundoshi loincloth, running on the path in the green paddy fields for the pilgrimage to Konpira Shrine.
金比羅神社を目指して青田の中の農道をひた走る北流 19:20

金比羅神社を目指して青田の中の農道をひた走る北流 19:20

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宮地嶽神社の参拝/北流 20:14

宮地嶽神社の参拝/北流 20:14

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ゲリラ豪雨の中なごみ前から撤収/北流 21:05

ゲリラ豪雨の中なごみ前から撤収/北流 21:05

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雨のなか山小屋目指して津屋崎千軒の夜道を走る裸山笠/新町流(アニメーション) 21:07

雨のなか山小屋目指して津屋崎千軒の夜道を走る裸山笠/新町流(アニメーション) 21:07

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追い山の朝/吉田屋(アニメーション) 2016.7.17 06:40

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本番を迎えた七人の侍/吉田屋(アニメーション)

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隊列を組んで颯爽と乗り込む和田グループ/北流山小屋前 07:11

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北流全員の記念撮影 / 山小屋前 07:24

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二番山笠北流の宮入り 08:19

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感動の宮出し/一番山岡流と二番山北流の出会い! 09:04:46 

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北流発進! 09:04:50 

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宮前の疾走!/北流 09:06:54

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津屋崎千軒を行く北流! 09:13:30

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北流の力走!/なごみ前 09:16:02

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しおさい通り北側の清道を回頭する北流! 09:16:36

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廻り留めの駐車場に入る北流 09:21

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台上がりの和田代表/北流 09:22

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子供たちを乗せた北流の流れ舁き 09:44

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漁港を渡る北流/流れ舁き 09:56

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フィナーレの山揺らし/北流 10:10

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北流副代表世話人・浜栄次さんと/津屋崎漁港  2016.07.19 08:24

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お世話になった吉田屋の大将と女将さん 08:16

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YouTube 津屋崎祇園山笠2016 https://www.youtube.com/watch?v=kaQFtbobMTk  

和田グループ赤褌海水浴/津屋崎海水浴場(アニメーション) 11:00

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                                                      'Fundoshi Swimming at Tsuyazaki Beach'

I enjoyed swmming wearing fundoshi loincloth at Tsuyazaki Beach on July 19, 2016 after Tsuyazaki Yamakasa Naked Festival was over at Fukutsu City Fukuoka Prefecture Japan.

It was really fine weather so that I could not open my eyes because the summer sun was too much bright. But It was wonderfull and I felt refreshed to swim in the sea like a kid.
褌海水浴/津屋崎海岸(アニメーション) 2016.07.19

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2016年7月20日(水)雨  和田フォトファンの皆様  「お便りコーナー」より抜粋

302年目の津屋崎山笠お疲れ様でした!

全国連和田グループ第二期の皆様

おはようございます。昨日、帰京しました。皆さんが帰られたあと、二日間、恋の浦(津屋崎海岸の北に聳える大峰山の北の風光明媚なビーチ)で、吉田カメラマンと褌海水浴のロケを行ったため、体中が真っ赤に日焼けしてしまいました。一週間の旅行でしたが、吉田屋の滋養溢れる食事で1キロも体重が増えていました。軽い筋肉痛がありますが、一晩、爆睡して体力が回復しました。まだまだ若いもんには負けないと、自信がつきました。(^-^)

二日間の盛りだくさんの日程のなか、ある意味、命がけの神事でもある津屋崎山笠でしたが、擦り傷以外は、全員事故もなく無事に完遂できたことは、個性溢れる元気な皆様方のお陰で、慰労と感謝の念で一杯です。

参加者全員が津屋崎山笠の模範集団として真剣に行動され、十分に楽しまれたことは、和田グループを立ち上げて良かったと安堵しています。裸参りではゲリラ豪雨に見舞われましたが、本番の山笠巡幸では晴天に恵まれ、私は、まだ、晴れ男と名乗らせて頂きます。(^-^)

和田グループを親身に導いてくれる北流れbQの西住さんに提灯をお返ししたあと、歓談する機会がありましたので、感想をお聞きすると、大きな掛け声でレシービング・ラインを駆け抜けた和田グループの格好良さにみんな驚いていたとのことで、誰に教わったのかと聞かれました。苦情は一切なく、とても立派だったと褒めて頂き、来年も独立部隊として今年と同じ要領でお願いしますとのことでした。

新尺さんからご質問のあった出発時の要領ですが、西住さんに確認したところ、漁協駐車場に車を入れて、そこから歩いてスタート地点に行き、独自にお汐井取りをして全く問題ないとのことでしたので、来年も今年と同じ要領で北流に合流したいと思います。和田グループは西古小路はじめどの町会にも属していませんので、どこから出発してもよいのですが、吉田屋では遠すぎますので、これからも今年円陣を組んだ漁港の橋のたもとを出発地点とします。また、北流の隊列に入るときも新尺さんのご判断で今年と同じような位置でお願いします。

中村会長宅に腕章を返しに行った際、会長から「怪我はなかったか」と聞かれましたので、「全員、無事で、大いに楽しませて頂きました。来年も参加させて頂きますので、よろしくお願いします。」とお伝えしたところ、大歓迎とのことでした。

4700枚と1800枚。これは、私と吉田さんの撮影枚数です。後日、数千枚の辻さんの画像も届きますので、合計約1万枚の中から、力作を抜き出す作業がこれからの私の日課になります。3日後の猪鼻の甘酒こぼしは、体力的にきつくてパスすることにしますが、岐阜県郡上市(ぐじょうし)の落差60mの阿弥陀ヶ滝で行われるみそぎ祭(新取材)が月末にありますので、完成するのは、8月末になると思いますが、和田フォトにアップ後、DVDを作成してお送りします。

皆様お待ちかねの記念写真は、これから検索して真っ先にをお送りさせて頂きますので、いましばらくお待ちください。

吉田幹事発案の恒例となった寄せ書きは、和田グループの勲章です。ご協力ありがとうございました。

YouTubeに津屋崎山笠の動画がアップされています。次の動画は、北流関係者が撮影されたもので、和田グループの勇姿も写っていますので、ご自分の姿を見つけてください。和田法被のお陰で、和田グループの参加者がどこにいるのか直ぐに分かります。最後に私の取材姿も写っていました。「祝いめでた」も綺麗に録音されていますので、来年に備えて練習しておいてください。

津屋崎祇園山笠2016
 https://www.youtube.com/watch?v=kaQFtbobMTk 

参考ですが、かつて炭坑で栄えた福岡県飯塚市の飯塚山笠の追い山が7月15日にありました。かなりな規模ですが、山笠は全部コロがついていて、担いでいるように見えますが、実は曳き山ですので、取材意欲はありません。追い山はタイムレースで、一見豪快に見えますが、舁き縄もなく、担いでいる格好をしているだけですので、私にはまやかしに見えます。地元では、飯塚流山笠だと割り切っているのでしょう。ただ、衣装やパフォーマンス、気合いの入れ方などは参考になります。

飯塚山笠追い山2016
 https://www.youtube.com/watch?v=lhjMCB3FiiY 

お時間のあるときに、和田宛に感想文をお送り頂ければ嬉しいです。作品の末尾に掲載させて頂きますので、よろしくお願いします。

来年も皆様全員が新しい仲間と共に吉田屋に元気な姿を見せていただくことを祈念しています。それまで、お元気で、ご活躍ください。ありがとうございました。〈 拝 〉

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2016年7月11日(月)曇
■■■ 北舟の褌談義〈44〉英訳写真俳句 -弐拾七- ■■■
ご神体を清める行修者/みそぎ浜(北海道・木古内町)
北舟の褌談義〈43〉英訳写真俳句 -弐拾七-

【四拾六】木古内寒中みそぎ祭(木古内町無形民俗文化財)

北海道上磯郡木古内町 佐女川神社 平成28年(2016)1月13日(水)〜15日(金)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/kiko16.htm (日英バイリンガル)
Youtube: https://youtu.be/U630p1eRNK4 

● 寒禊吐錠銜へし行者かな  北舟
(かんみそぎ とじょうくわえし ぎょうじゃかな)
Midwinter Ablution,
the ascetic biting
a Tojo cloth.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kiko303l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images10/kiko092l.jpg 

● 寒みそぎ飛沫に凍むる白ふどし  北舟
(かんみそぎ しぶきにしむる しろふどし)
Midwinter ablutions,
the white loincloth being frozen
by the splash.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kiko025l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images15/kiko172bl.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kiko320l.jpg 

● 雪下駄やみそぎ行列一文字  北舟
(ゆきげたや みそぎぎょうれつ いちもんじ)
Snow geta clogs,
a procession for ablutions
making a bee line together.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kiko051l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images15/kiko197l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kiko343l.jpg 

● 寒垢離や四人行者の褌の白  北舟
(かんごりや よにんぎょうじゃの こんのしろ)
Winter ablution,
white of the loincloths
of four ascetics.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images15/kiko249l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kiko005l.jpg 

● 神々と禊ぐ海原雪ふどし  北舟
(かみがみと みそぐうなばら ゆきふどし)
Snowy loincloths,
ablutions with various deities
at sea.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images10/kiko113l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kiko302l.jpg 

〈みそぎ事始め〉天保2年(1831)正月17日早朝、津軽海峡を東に臨む北海道は木古内(きこない)の漁村に鎮座する佐女川神社の神社守(じんじゃもり)は、夢の中で「ご神体を清めよ」とのお告げがあって目を覚まし、寒風肌を突き刺す中、すぐに神社真下の川へ向かい、小川の氷を打ち砕き、身を切るような冷たい川の水を桶に汲んで何回もかぶり、みそぎを行った。

木古内町と佐女川神社
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kiko008.jpg 

 神社に戻り、ご神体を抱いて海岸に行くと、大きな鮫(さめ)がいて、その背中には白衣をまとった美しい女性の姿があった。女性を神の聖なる使者だと信じた神社守は、御神体と共に何度も極寒の海で沐浴した。しかし、神社守が気づいたときには、既に女性の姿はなく、河口にいた大きな鮫も上流に上り、小さな沼へ消えていった。 

 神社守が御神体と共に海へ入り、自身の体と御神体を清めたその年からは、不思議なことに村の豊作豊漁が続き、天保の大飢饉を乗り越えて賑わいを見せるようになった。それ以来、村では毎年「寒中みそぎ」が行われるようになったという。

佐女川神社(さめがわじんじゃ)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kiko009l.jpg 

〈解説〉天保2年(1831)から続く「寒中みそぎ」は、正に命をかけて行う神事で、毎年行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる4人の若者が1月13日から3日間佐女川神社本殿にこもり、極寒の中、昼夜の別なく数時間おきに水垢離(みずごり)を取り、1月15日「みそぎ浜」にてご神体を清め、1年の豊漁豊作を祈願する。

 「寒中みそぎ」は、明治38年(1905)から大正12年(1923)までの間は途絶えていたが、復活してからは、その伝統を受け継いで毎年行われてきた。近年は「木古内寒中みそぎ祭り」として、町を挙げた一大行事として催行されており、2010年は、第180回の記念すべき年となった。

神社から水垢離に向かう行修者
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kiko004l.jpg 

〈撮影・原作者の感想〉「このたび、以前から興味のあった木古内町の「寒中みそぎ祭り」を取材することができました。この「寒中みそぎ祭り」は、厳寒期における北限の「みそぎ」として道内はもとより国内に広く知られているところですが、TVニュースで放映される映像は、行修者が勢いよく海に飛び込んでいく最終日のものがほとんどであり、その全容はあまり知られていませんでした。
 
 最終日に行われる「海中みそぎ」は、もちろん迫力満点ではありますが、本番の前に行う一連の鍛錬こそ、本当に辛く厳しいものでありました。行修者は、3日間で数百回の冷水をかぶりますが、特に夜間の冷え込みが一段と厳しく、見ている方が震える中で行われる水ごりは圧巻で、まさに命をかけて行う神事です。
 
 また、寒風の中、冷水をかぶった後の濡れた体のままで他者の水ごりを仁王立ちで見守ることや、行修者の水ごりが一巡した後、ゆっくりと階段を上り、神殿に入れてもらえず戻ってきてはまた水ごりを行う姿には感動を禁じ得ません。
 
 参拝者は、このような若者たちの厳しい修行に対する真摯な姿から多くの感動を貰い、神社境内には彼らを称える惜しみない拍手が響き渡っていました。
 
 取材にあたり寒さ対策は十分したつもりでしたが、手袋はカメラ操作のため指先の出るものを使用せざるをえず、指先が北海道弁でいう「なまらしばれる」感覚となりましたが、他の参拝者同様、私も彼らから寒さを吹き飛ばすような素晴らしい感動をもらい、新年早々本当に清々しい気持ちになりました。
 
 「寒中みそぎ祭り」には、多くの年少者が様々な形で携わっていますので、これからも良き伝統を守り受け継がれていくことを確信した3日間でした。」

御神体の海中みそぎ/津軽海峡・木古内湾(きこないわん)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kiko006l.jpg 

〈感想〉「木古内寒中みそぎ祭」は、僅か4人の若者が3日間寒中禊を行い、最終日に津軽海峡で海中禊をするというとても簡素で小さな神事が、180年という歴史の重みと、木古内町上げての取組みにより、見る者誰しもが感動を禁じ得ない素晴らしい冬祭であり、その完成度の高さは、驚くほどである。

 七福神の中でただ一人女性の神である弁財天(べざいてん)を務めた行修者は、初心者で普通の高校生であることに驚く。筆者も東京都中央区の鉄砲洲稲荷神社で寒中水浴を経験しているが、水の冷たさには思わず顔をしかめてしまうものだが、新人とは思えないほど立派な態度だった。1月の極寒の北海道で4人の若者が平然と冷水を被り、終始仏のような穏やかな表情を浮かべ、まるでプロの修業僧のように粛々と寒中みそぎを完遂する姿は、未だに信じられないほど素晴らしく、見る人全てに元気と感動を分け与えてくれる。
 彼らの衣装も申し分ない。みそぎ褌は、白の前袋式六尺褌(水褌)であるが、何枚も重ね締めをして衣装の乱れを防いでおり、締め方も基本に忠実で美しい。読者は、神社境内での「みそぎ」では、鼻緒が紅白の草履を使用していたが、みそぎ浜での本番は、白い鼻緒の草履だったことにお気付きだろうか。このようなきめ細やかなこだわりは、180年の伝統の重みであると同時に、先祖から受け継いだ文化を変質させることなく受け継いでゆこうとする決意の表れであり、そのセンスの良さが光っている。長老たちの一文字笠、裃、雪下駄も素晴らしい文化で、江戸時代から抜け出して来たような光景が現出された。 

 「木古内寒中みそぎ祭」は、木古内町の無形民俗文化財に指定されているが、道や国レベルの文化財としての価値が十分にあると思われる。是非、申請して認定を得て欲しいと思う。

 最後に、「伝統の神事が町おこしのための観光資源として、見せ物になっている」との指摘があることについては、筆者は、有形・無形の文化財を変質させることなく後世に伝えてゆけるのであれば、町おこしや村おこしのために積極的に活用することは、地域住民の伝統文化への認識や連帯感を深め、商目的を超えた文化交流の輪が広がる効果が大きいので、大歓迎であることを付記したい。 

〈追伸〉2016年の正月、第186回寒中みそぎ祭りの取材のため、木古内町へ4度目となる訪問を果たしたKさんは、待望の北海道新幹線が2016年3月26日に開業するのを記念して日英バイリンガルの作品を完成させた。これは、函館善意通訳会でボランティア活動を続けておられるKさんらしい行動力で、敬服している。そのお陰で、和田フォト504作目にして初めて完全な日英バイリンガル作品が完成した。彼の期待通り、多くの外国人観光客が木古内町を来訪してくれることを祈念している。

MIDWINTER ABLUTION FESTIVAL 2016 (English Version)
YouTube: https://youtu.be/gfaS9LAX4SA  

2016年7月10日(日)曇
■■■ 北舟の褌談義〈43〉英訳写真俳句 -弐拾六- ■■■
五月丸
北舟の褌談義〈43〉英訳写真俳句 -弐拾六-

【四拾五】おしぐらんご

岡山県笠岡市 金浦湾 平成16年(2004)6月20日(日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/osi1.htm 
おしぐらんご保存会の人たち
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi03l.jpg 

● 幟旗舟人たちの汗光る  北舟
(のぼりばた ふなびとたちの あせひかる)
Banner flags,
glistening sweat
of boatmen.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi22l.jpg 

● 夏の空今に伝わる舟戦  北舟
(なつのそら いまにつたわる ふないくさ)
The sky of summer,
traditional boat battle
on the sea.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi12l.jpg 

〈解説〉「おしぐらんご」は、白幟(しろのぼり)の源氏方を表す東の行者山軍と、赤幟(あかのぼり)の平家方を表す西の妙見山軍の二手に分かれ、それぞれ6人の男たちが各々紅白の褌を締め、四丁櫓(よんちょうろ)の和船(わせん)に乗り組み、海水を掛け合いながら速さを競う勇壮な行事である。最初は漁師たちが出入港の時に先陣を競っていたものが、年中行事として定着したものといわれる。 

 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi27l.jpg 

 かつては漁師としての腕が問われ、勝てば大漁・豊作になるという作占いの意識も強く、激しい競争が展開されたという。 競技船にはその年の新造船が使用され、勝てば船主から椀飯振舞(おうばんぶるまい)を受けるので、喧嘩も珍しくなく、「喧嘩ぐらんご」の異名を持つ。喧嘩がエスカレートして、結局ゴールしないことも希ではなかった。 

 漁業の近代化に伴い、和船の新造と漕ぎ手が減少したため、昭和35年(1960)に一旦中止されたが、地元有志が保存会を結成し、笠岡市など関係者の尽力により、昭和62年(1987)に復活した。

 競争に使う和船は、行者丸(ぎょうじゃまる) 妙見丸(みょうけんまる) 五月丸(さつきまる) 兜丸(かぶとまる) 龍宮丸(りゅうぐうまる) 乙女丸(おとめまる)の6隻で、白幟が源氏方の行者山軍を、赤幟が平家方の妙見山軍を表している。

 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi11l.jpg 

 この地方の方言で櫓(ろ)を「漕ぐ」ことを櫓を「押す」といい、競争すること「・・・くらべ」を「ぐらんご」ということから、「漕ぎくらべ」の意味の「おしくらべ」が方言で「おしぐらんご」になったという。 

〈お爺さんの思い出話〉
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi45l.jpg 

昔の金浦湾(かなうらわん):写真の人は、私が話を聞いた長老のひとりである。昔は漁村だったが、昭和52年から漁業は全廃し、漁師たちは地元の企業に職を求めた。今は、趣味として使われている船があちこちに係留されているだけだ。

 「お爺さんが子供のころは、干拓地など無く、海がきれいでここでよく泳いだ。ドンガメ(カブトガニ)は日干しにされ、薬や肥料などに使用されていた」と話すこの人は、遠い昔を思い出したような澄んだ目が印象的だった。金浦橋の方を指差し、干拓地を見つめ、「橋の向こうには大きな瀬戸の海が広がっていた」と話してくれた。 

昔の「おしぐらんご」:「おしぐらんご」に使用する和船は、昔は全部で4隻あり、2隻トーナメント方式で3回レースを行い、一番を決めていたそうで、その頃は1キロほど沖合からスタートした。それは凄いもので、青年団の中から選ばれた豪傑たち(4x6=24名)は誇りが高く、非常に名誉なことで、褌姿で歩くと人が道を開けてくれた。気の合った仲間同士でグループをつくり、舟に乗る。どんな手段を使ってでも相手の舟を妨害して一番になりたかったから喧嘩も多かった。

 「一番になると褒美も凄く、飲めや唄えで女郎屋に1週間くらい行ったきりだった」と、熱っぽく話してくれた。何故おしぐらんごが中止になったのか聞くと、祭の寄付が減り、赤字になって継続が困難になったらしい。そこで笠岡市の援助を受けて再び復活したという。

 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi08l.jpg 

昔の漁業:昔はこの和船で漁をしたり、瀬戸内の島々で魚の買い付けをしていた。先に帰ってくると一番売りで高く買ってもらえるため、早さを競うようになった。遠くは岩国の方まで行っていた。舟の持ち主は、村の強力(ごうりき)ともいえるつわもの、猛者(もさ)を集めて舟に乗せ、猛者たちも年齢に関係なく一番になれば、平等にそれなりの褒賞金が入った。

6人の役割:舳先で棒を持っている人は、相手の舟を妨害する役目をしており、この棒で舟を押して進路を曲げたりするのと、櫓を叩いて外すこともやる。もちろん今は観光用なので、そのようなことはやらない。2番目に乗っている旗振りは、海水をかける人で、これも相手方を妨害する。やはり櫓を突付いて外したりする。残り4人は漕ぎ手だが、先頭の人が指揮をとり、バランスよく時計の振り子のように漕ぐと、後の人もそれに合わせて漕ぐことによってスピードが出る。艫(とも/船尾)の人が最も重要で、舵取を担当している。

 http://wadaphoto.jp/maturi/images/osi28l.jpg 

櫓の作成:私が話を聞いた年配の人は62歳で、この人の親父さんは12歳で舟に乗った。この人は和船の櫓の手入れを担当しているようで、「舟それぞれに櫓が4本あるが、全部1本1本違うんじゃ」と丁寧に説明してくれた。その舟に合わせて作るみたいで、左と右も当然違うし、どの一本も他の舟に持って行っても合わない。微妙な調整があり、これは勘で行う。櫓の長さは約5.8mあり、今は外れないように工夫されている。それでも漕ぎ方が悪く外してしまう人がいる。櫓の調整の仕方、縄の結び方など、「若い人に継承していきたいんじゃが、それがいないんじゃ」と嘆いていた。一年に一回なのでそのときは覚えていても忘れてしまうらしい。それと櫓(ろ)や舳先(へさき)、掛け声等々の舟言葉も覚えきらないという。 

2016年7月9日(土)雨
■■■ 北舟の褌談義〈42〉英訳写真俳句 -弐拾五- ■■■
裸詣りの男たち
北舟の褌談義〈42〉英訳写真俳句 -弐拾五-

【四拾四】坂越の船祭り(国指定無形民俗文化財)

兵庫県赤穂市坂越 大避神社 2004年10月10日(日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/sakosi1.htm 

● 浦祭神前に立つ褌衆  北舟
(うらまつり しんぜんにたつ ふどししゅう)
A festival of fishing village,
naked fundoshi men standing
in front of guardian god. 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi44l.jpg 

〈裸の参拝〉ここでは、水軍の櫂伝馬(かいでんま)を漕ぐときは赤法被を着用するが、神に対峙(たいじ)するときは裸になるのが掟で、境内では裸厳禁という神田祭や三社祭のような江戸の文化とはまったく逆の作法である。ここでは、常識が逆転している。

● 天高し坂越の浦の櫂伝馬  北舟
(てんたかし さこしのうらの かいでんま)
The sky is high,
large paddle boats
at Sakoshi beach.
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 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi20l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi17l.jpg 

〈櫂伝馬〉若衆組が乗り組む2隻の和船は、かつての水軍の流れを汲む伝馬船(てんません)で、櫂伝馬(かいでんま)と呼ばれる。片舷6本づつ、両舷12本の櫂(かい)を取り付けた手漕ぎ船である。

● 浦祭裸の胸に守札  北舟
(うらまつり はだかのむねに まもりふだ)
A festival of fishing village,
tarisman
on the bare chest. 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi06l.jpg 

● 秋の暮伝馬曳きゆく渡御船団  北舟
(あきのくれ てんまひきゆく とぎょせんだん)
The evening late in autumn,
rowboats towing
the convoy carrying a portable shrine
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi66l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi69l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi67l.jpg 

● 秋の海島の御旅所暮れゆきぬ  北舟
(あきのうみ しまのおたびしょ くれゆきぬ)
Autumn sea,
the lodging shrine on the island
darkening.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi73l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi75l.jpg 

〈解説〉大避(おおさけ)神社船渡御祭は、「坂越(さこし)の船祭り」と呼ばれ、今から300年ほど前の江戸時代、坂越が繁栄を極めた時期に始まったといわれる。「坂越の船祭り」は平成4年(1992)に国の無形民俗文化財に選定され、使用する船も兵庫県有形民族文化財に指定されている。 

〈赤い伝馬船〉
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〈裸衆の上陸〉
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/sakosi46l.jpg 

〈感想〉褌をきりりと締めた海の男たちが伝馬船を漕ぐさまは江戸時代さながらで、勇壮な瀬戸内の水軍を彷彿とさせる。後半は一転して雅な平安絵巻が繰り広げられる。9隻を珠数つなぎした渡御船団をたった2隻の櫂伝馬が曳航するさまは、凄いというほかはない。

 高度な機械文明を謳歌する現代に、全て人力で執り行われる海の祭典! 全く変質することなく、現代に伝わる伝統美! 国の無形民俗文化財にふさわしい壮大なページェント! 言葉では言い尽くせない海の男のロマンに感動を新たにした。 

 今年は台風が何度も襲来し、生島御旅所(いきしまおたびしょ)は大きな被害を受けたという。坂越浦の綺麗に舗装された浜辺は、打ち寄せられたゴミで覆われ、祭りの開催が危ぶまれたそうで、大勢の人が汗を流して掃除した。浜に立てられた大きな幟は、前日に立ててやっと祭りに間に合ったという。  

 夕刻から豪雨となったが、神事は予定通り執り行われ、神輿は復路も船渡御により、深夜、無事宮入した。櫂伝馬の若衆は、濡れ鼠になりながらも、立派に勤めを果たしてくれたという。 

 大変な苦労をして伝統の祭りを継続しておられる坂越の方々に心から感謝申し上げ、これからもこの素晴らしい祭りが末永く存続することを祈念したい。〈 合掌 〉 

2016年7月7日(木)晴
■■■ 北舟の褌談義〈41〉英訳写真俳句 -弐拾四- ■■■
無事に大鳥居を通過した裸神輿
北舟の褌談義〈41〉英訳写真俳句 -弐拾四-

【四拾弐】緒方三社川越しまつり

大分県豊後大野市緒方町 船橋大神宮 平成21年(2009)11月28日(土)29日(日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/ogata1.htm 
Youtube: https://youtu.be/N3iD5hZU7EU https://youtu.be/KhPoWsq6se8 

● 秋深む八幡鳥居川の中  北舟
(あきふかむ はちまんとりい かわのなか)
Late autumn,
Hachiman torii
standing in the river. 
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 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata011l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata013l.jpg 

● 白褌の鳥居くぐりや秋神輿  北舟
(びゃっこんの とりいくぐりや あきみこし)
Portable shrine in the autumn,
men of white loincloths
passing under the torii.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata038l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata039l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata042l.jpg 

● 急流に挑む白褌秋神輿  北舟
(きゅうりゅうに いどむびゃっこん あきみこし)
Portable shrine in the autumn,
men of white loincloths
challenging the rapid current. 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata085l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata086l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata089l.jpg 

● 秋の夜水門下る褌衆  北舟
( あきのよる すいもんくだる ふどししゅう )
Autumn night,
men of loincloths
going down the water gate. 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata092l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata093l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata095l.jpg 

● 秋夜川白褌神輿石鳥居  北舟
(あきよかわ びゃっこんみこし いしどりい)
Autumnal night river,
portable shrine of white loincloths
going under the stone torii. 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata082l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata083l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata084l.jpg 

〈解説〉平成21年(2009)11月28日(土)29日(日)の両日、大分県豊後大野市緒方町(ぶんごおおのし・おがたまち)原尻の滝(はらじりのたき)上流域で約800年の歴史を持つ「緒方三社(おがたさんじゃ)川越(かわご)しまつり」が行われた。

 今から800年ほど前に、源頼朝から豊後の国を任された大友能直(おおとも・よしなお)が緒方三郎惟榮(おがたさぶろう・これよし)の一族を討ち滅ぼしたあと、原尻の滝で洪水や暴風雨が相次いだ。惟榮(これよし)の怒りではないかと恐れた能直(よしなお)は、原尻の二ノ宮に緒方一族の霊を祀ったのが川越しまつりの始まりだといわれている。
 川越しまつりは、一ノ宮(父神)神輿と三ノ宮(母神)神輿が年に一度、二ノ宮(子神)八幡社に集まり、一夜を共にする祭りである。一ノ宮と二ノ宮は緒方川の右岸(東岸)にあるため、一ノ宮は陸路で行けるが、三ノ宮は左岸(西岸)にあるために川を渡らなければならない。祭り当夜、三ノ宮神輿が褌(ふんどし)一丁の若者たちに担がれて、緒方川を渡る姿は勇壮で、川越しまつりとして知られるようになった。

筆者の選ぶ名作〈狭い水門を下る三ノ宮神輿〉
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/ogata033l.jpg 

〈感想〉僅か40人ほどの褌姿の男たちが総重量650kgというそんなに大きくはない神輿を担ぎ、二夜に渡って、川中に立つ大鳥居の周辺水域を往復するという、それだけの祭りにもかかわらず、これだけの感動を受けた理由は何処にあるのだろうか。

 白褌(びゃっこん)に白足袋を履いただけの簡素な出で立ちで現れた若者たちが神輿を担いで川を渡るだけという素朴な川渡神事は、どこにでもありそうだが、そうではない。
 原尻の滝口の岩盤が川床となった渡御会場は、夜になると真っ暗闇になり、篝火(かがりび)と竹松明(たけだいまつ)だけの照明を頼りに川を渡る姿は純朴そのもので、飾るものが何もないのに美しく、日本人の心の琴線に触れるロマンがあり、感動がある。

 これは、原尻の滝をはじめ、この大鳥居周辺の舞台装置がこの野外劇を素晴らしいものにしているのではなかろうか。神輿と裸の担ぎ手と松明と篝火以外の演出が一切ない素朴さが、日本人のDNAに擦り込まれた感性を刺激しているに違いない。 

【四拾参】宝光院はだか祭

岐阜県大垣市 天台宗仏道山宝光院 毎年2月3日節分
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/hidarime1.htm 
Youtube: https://youtu.be/hOFjJ6cRRQo 

● 節分会出陣式の手締かな  北舟
(せつぶんえ しゅつじんしきの てじめかな)
A celebration for spring,
hand-clapping 
for the kickoff celemony.
裸男たちで一杯になった宿
 http://wadaphoto.jp/maturi/images4/hidarime029l.jpg 
出陣式の手締め
 http://wadaphoto.jp/maturi/images4/hidarime032l.jpg 

● 鬼やらひ湯気たちのぼる褌衆  北舟
(おにやらい ゆげたちのぼる ふどししゅう)
Exorcism
steam rising
from men of loincloth.
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 http://wadaphoto.jp/maturi/images4/hidarime049l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images15/hidarime100l.jpg 

● 節分会白ふんどしの川渡  北舟
(せつぶんえ しろふんどしの かわわたり)
A celebration for spring,
river crossing
with white loincloth.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images4/hidarime063l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images4/hidarime064l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images4/hidarime065l.jpg 

〈解説〉宝光院では、毎年2月3日の節分の日に厄除開運(やくよけ・かいうん)の節分会(せつぶんえ)が開かれるが、それに合わせて終戦後(約70年前)に復活した「ひだりめ不動節分会はだか祭」が催行される。「宝光院裸祭」と書かれた六尺褌を締めた男たちが一団となって杭瀬川(くいせがわ)に入って身を清め、厄除開運を祈願するこの伝統行事は、宝光院が主催しているが、実際の運営は檀家の役員やボランティアたちが行っている。

 この日は大般若祈祷(だいはんにゃ・きとう)が終日行われるほか、何回かに分けて籤(くじ)の入った豆袋を撒(ま)く豆打式(まめうちしき)があり、それに並行して裸練り、みそぎ川渡り、心男遷座(しんおとこせんざ)、福俵(ふくだわら)授与など、午後3時頃まで盛りだくさんの行事があり、春の到来を告げる風物詩として多くの信者や観衆で賑わう。 

2016年7月6日(水)晴
■■■ 北舟の褌談義〈40〉英訳写真俳句 -弐拾参- ■■■
土俵際の上手投
北舟の褌談義〈40〉英訳写真俳句 -弐拾参-

【四拾】船橋大神宮奉納子ども相撲

千葉県船橋市 船橋大神宮 平成16年(2004)10月17日(日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/hono1.htm 
Youtube: https://youtu.be/hc4wkcVn8l0 

● 宮相撲行列長し褌小屋  北舟
(みやずもう ぎょうれつながし まわしごや)
Dedicatory sumo mach at shrine,
making a long line
to the changing tent for sumo fundoshi. 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/hono08l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/hono09l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/hono10l.jpg 

● 宮相撲緩む褌もなんのその  北舟
(みやずもう ゆるむふどしも なんのその)
Dedicatory sumo mach at shrine,
no one being concerned
to the loosened fundoshi.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/hono50l.jpg 

● 太陽を身いっぱいに宮相撲  北舟
(たいようを みいっぱいに みやずもう)
Dedicatory sumo mach at shrine,
exposing whole bodies
to the sun.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images/hono29l.jpg 

〈解説〉船橋大神宮の奉納相撲は、約400年前に徳川家康が鷹狩りで船橋に滞在した際、地元漁師の子供たちが相撲を取って見せたところ、大変喜んだ家康がこれを神社に奉納したことに始まるという。

 家康の船橋御殿が廃止された後も、その広大な地所を与えられた大神宮の祭礼に相撲は欠かせない行事となった。江戸時代には行司の差し違いがあるたびに力士の応援者同士で喧嘩が起きたところから「船橋のけんか相撲」の異名がつき、関東でも屈指の草相撲として名を馳せた。 

 船橋大神宮の奉納相撲は、戦後の混乱を脱した昭和25年(1950)に再開され、一時中断があったあと昭和54年(1979)に復活。その後四半世紀を迎え、2004年は土俵を新調し、伝統の奉納相撲を幾久しく伝えていこうという意気込みが感じられた。

 この年の参加者は小学3年生から6年生までの139人で、その中に女子が11人いた。女子は男子テントの左の部屋で、短パンの上からまわしを締めてもらっていた。数が多いので、ボランティアのおじさんも汗だくだった。 

〈こだわりの褌〉アマチュア相撲を取り仕切る日本相撲連盟は、パンツの上にまわしを締めてもよいとしているが、船橋大神宮の奉納相撲は、国技の伝統にしたがい、女子以外は直接肌にまわしを締めさせている。大会の説明の中で、「褌(ふんどし)を締めて相撲を取る」という言葉が紹介され、子供たちは相撲まわしも「ふんどし」と呼ぶことをおそわった。

 パンツの上にまわしを締めるなら参加するという学校もあるという。しかし、伝統文化を損なう申し出には一切応じないという。船橋の人々が400年もの昔から受け継いできた国技の相撲文化をかたくなに守っていることに感動した。 

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団体戦二連覇の海神小学校
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〈感想〉子供相撲の熱戦を見ている内に、筆者の小学校時代を思い出した。高知県も相撲が盛んで、その頃は殆どの学校に屋根付きの相撲場があり、授業の一環として男子は土俵で相撲を取った。まわしは直接肌に締めるものと決まっていた。 

● 少年のふぐり見えもす草相撲  北舟 
(しょうねん のふぐりみえもす くさずもう) 
Ritual sumo wrestling,
the boy's testicles
happen to be exposed.

 当時、女子は観戦するだけだったが、四つ相撲となって立褌(たてみつ)が緩み、あるものが見えたとき、きゃーと言いながら手で顔を覆いながらも、指の隙間から覗いていた女子のことが忘れられない。(^-^)

【四拾壱】妙法輪寺寒の荒行

石川県羽咋郡宝達志水町 妙法輪寺 平成19年(2007)2月16日(金)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/ara5.htm 

● 白褌の行者白髪寒禊  北舟
(びゃっこんの ぎょうじゃはくはつ かんみそぎ)
Purification with water in the cold season,
The ascetic of a white loincloth,
having white hair on his head and a white beard.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images3/ara69.jpg 

〈解説〉平成19年(2007)2月16日(金)、石川県羽咋郡(はくいぐん)宝達志水町(ほうだつしみずちょう)麦生(むんぎょ)の日蓮宗宝栄山(ほうえいざん)妙法輪寺(みょうほうりんじ)において12人の荒行僧による帰山奉告式大祈祷会(だいきとうえ)が開かれた。

 この年、全国の日蓮宗寺院から千葉県市川市中山にある正中山法華経寺(しょうちゅうざん・ほけきょうじ)に入行(にゅうぎょう)した荒行僧は183人。昨年11月1日から2月10日までの100日間、日蓮宗大荒行堂(だいあらぎょうどう)で、過酷な荒行を修めた。

 妙法輪寺から住職の大森教裕上人の子息・大森教生上人が初めての荒行(初行)に参加して見事に成満(じょうまん)。この日同じ荒行を修めた11人の上人と共に帰還し、妙法輪寺で大祈祷会が催行され、模範水行が公開された。 

 http://wadaphoto.jp/maturi/images3/ara57l.jpg 

 大森住職によると、今年入行した183名の修行僧のうち途中脱落者が7名もあり、うち1名は入院後死亡したという。まさに殉職者が出るほどの命賭けの荒行である。

 年々脱落者が増えているとのことで、知育偏重教育による体力不足や、少子化による忍耐力の低下などの要因が考えられるが、いずれにしても豊かな生活を享受する日本の世相を反映していることだけは確かなようである。 

 本堂の前で、今日の主役である大森教生上人を囲んで、12人の上人(しょうにん)の記念撮影が行われた。 

 http://wadaphoto.jp/maturi/images3/ara54.jpg 

 記念写真の前列中央が大森教生上人。その右隣が第十行の千日水行(せんにちすいぎょう)を成満された堀田龍顕上人、左隣が第四行の遠藤龍潤上人。回数が増えるに連れて風格と威厳が備わるようで、他を圧倒する雰囲気がある。白髪の堀田龍顕上人は、十回目の荒行に成功し、千日水行者という至難の偉業を達成された。若くして白髪になられたのは、その過酷な荒行の結果に違いない。〈 合掌 〉

2016年7月5日(月)晴
■■■ 北舟の褌談義〈39〉英訳写真俳句 -弐拾弐- ■■■
松明を手に駅館川を渡る裸男たち
北舟の褌談義〈39〉英訳写真俳句 -弐拾弐-

【参拾八】鷹栖観音鬼会(宇佐市無形民俗文化財)

大分県宇佐市 鷹栖観音寺 平成21年(2009)1月4日(日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/takasu4.htm 

● 火柱に染まる白褌どんど燃ゆ  北舟
(ひばしらに そまるびゃっこん どんどもゆ)
Dondo bonfire burning, 
white fundoshi loincloths 
being dyed by the pillar of frames. 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu057l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu058l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu056l.jpg 

● 初春や褌焦がすどんど焼  北舟
(はつはるや ふんどしこがす どんどやき)
Early spring,
Dondo bonfire
scorching fundoshi loincloths.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu064l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu060l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu061l.jpg 

● 初春や夜川に映ゆる褌の白  北舟
(はつはるや よかわにはゆる こんのしろ)
The New Year,
white loincloths
noticeable to the night river.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/bungo047l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images4/takasu01l.jpg 
 http://wadaphoto.jp//maturi/images4/takasu14l.jpg 

● 初春や夜川を渡る褌衆  北舟
(はつはるや よかわをわたる ふどししゅう)
Early spring, 
men of fundoshi loincloths
crossing a night river.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu072l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu050l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images6/takasu075l.jpg 

〈解説〉平成21年(2009)1月4日(日)夜、大分県宇佐市の鷹栖観音寺(たかすかんのんじ)で、褌(ふんどし)草鞋(わらじ)姿の男衆が駅館川(やっかんがわ)を渡り、対岸の鷹栖観音堂(たかすかんのんどう)一帯で「どんど」を焼き、松明(たいまつ)の火の粉をまき散らす勇壮な火祭り「鷹栖観音鬼会(たかすかんのん・おにえ)」が催行された。

 宇佐市上拝田(うさし・かみはいた)にある鷹栖観音堂は、奈良時代の僧・法蓮(ほうれん)が建立したといわれ、宇佐弥勒寺(うさみろくじ)の末寺(すえでら)(分家のような寺)として1300年の歴史がある。つがいの鷹が上人の徳を慕って巣を作ったという伝説が地名の由来になっているという。

 現在、鷹栖観音堂は、駅館川(やっかんがわ)の対岸に建立された観音寺の奥の院となっており、鷹巣山上拝田の百間岩(ひゃっけんいわ)と呼ばれる岩山の中腹にある。現在の堂は絵馬などから江戸中期の建立といわれる。何本もの長い柱で舞台をつくり、その上に堂舎を乗せた懸造り(かけづくり)と呼ばれる建築様式で造られている。 

 観音寺が建立されてから始まったという鬼会(おにえ)は、宇佐市から無形民俗文化財の指定を受けており、正月会(しょうがつえ)の最後に当たる1月4日の夜に勤修(ごんしゅう)される。

 地元の青年や県外から飛び入りの参加者たち数十人が鷹栖観音寺に集まり、読経のあと裸になって寺宝の赤鬼、青鬼の面を持った2人を先頭に長さ約2mの松明(たいまつ)をかざしながら極寒の駅館川(やっかんがわ)を渡り百間岩(ひゃっけんいわ)の観音堂に参拝して無病息災を祈る。 

鷹栖観音寺の寺宝の鬼面(宇佐市指定有形文化財) 
 http://wadaphoto.jp//maturi/images4/takasu09.jpg 
燃えあがる「どんど焼」 
 http://wadaphoto.jp//maturi/images4/takasu43l.jpg 
参道を駆ける男たち
 http://wadaphoto.jp//maturi/images4/takasu03l.jpg 

〈感想〉時代と共に祭りも変質してゆくのはやむを得ないことである。子供や女性の登場もあっても良い。しかし、この伝統の祭にデカパン(ハンダコ)や六尺褌が混じっていた。中にはパンツや六尺褌の上に越中褌を締めているのもいて、見ているだけで恥ずかしくなった。また、越中褌姿ではあるもののネクタイを締めた男がいた。これは完全な悪ふざけであり、伝統の祭礼を冒涜する行為である。祭り主宰者や参加者がなぜ制止できなかった(しなかった)のか。これらの映像を目にしたとき、私は悲しみを覚えながら没にした。

 鉢巻・腹巻・越中褌・足袋草鞋という伝統の祭りが、一部の不心得者にスポイルされるのは残念である。これは時代の要請による変質とはいえない。伝統の保持には大変な労力が伴うが、神聖な行事が低俗な娯楽に変質してしまわないよう、関係者の反省を求めたい。 

【参拾九】岩槻の古式子供相撲土俵入り(国指定重要無形民俗文化財)

埼玉県さいたま市岩槻区 釣上神明社 2009年10月18日(日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/kosiki01.htm
埼玉県さいたま市岩槻区 篠岡八幡大神社 2012年9月15日(土)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/kosiki05.htm 

Youtube : https://youtu.be/ktljv2VKtJI 

● 秋日向化粧褌を締める子ら  北舟
(あきひなた けしょうまわしを しめるこら)
Broad daylight of autumn,
children wearing
ornamental sumo loincloths.
 http://wadaphoto.jp//maturi/images7/kosiki03l.jpg  (釣上地区)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images13/sasakubo013l.jpg  (笹久保地区)

● 村相撲化粧褌赤襦袢  北舟
(むらずもう けしょうふんどし あかじゅばん)
Village sumo,
the ornamental loincloths
and red under-kimonos.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kosiki05l.jpg  (釣上地区)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images13/sasakubo018l.jpg  (笹久保地区)

● 宮相撲化粧褌横一線  北舟
(みやずもう けしょうふんどし よこいっせん)
Sumo wrestling at a shrine,
ornamental loincloths
making a horizontal line.
 http://wadaphoto.jp//maturi/images7/kosiki19l.jpg  (釣上地区)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images13/sasakubo049l.jpg  (笹久保地区)

● 奴踏む子ども相撲や土俵入  北舟
(やっこふむ こどもずもうや どひょういり)
Ceremonial entrance into the ring,
the Yakko walk
of children sumo.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kosiki12l.jpg  (釣上地区)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images7/kosiki13l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images13/sasakubo072l.jpg  (笹久保地区)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images13/sasakubo106l.jpg 

〈解説〉さいたま市岩槻区(旧岩槻市)の古式子供相撲土俵入りは、釣上(かぎあげ)地区と笹久保(ささくぼ)地区で行われており、子供たちの健やかな成長と五穀豊穣を願って行われる土俵祭である。この双方が平成17年(2005)2月21日に「岩槻の古式土俵入り」として国の重要無形民俗文化財に指定された。 

 釣上(かぎあげ)地区は毎年行われ、平成21年(2009)10月18日(日)に取材し、釣上古式子供相撲土俵入として発表した。笹久保地区は隔年開催で、敬老の日(9月第三月曜日)の前日に行われることになっており、2012年は前々日の9月15日(土)に行われた。

 同じ「岩槻の古式子供相撲土俵入り」だが、釣上地区は「釣上の子ども相撲土俵入り」、笹久保地区は「笹久保の古式子ども土俵入り」と称している。それにあわせて、両者のタイトル保持団体の名称も「釣上の子ども相撲土俵入り保存会(橋本勇会長)」「笹久保の古式子ども土俵入り保存会(遊馬甫(あそま・はじめ)会長)」と微妙に表現が違っている。また、衣装や所作の細部においても違いがあり、それぞれ独自性を固持している。

 この子供相撲土俵入りの起源は、源義家が八幡神を勧請して戦勝を祈願した際、神霊を慰めるために始まったという説、鎌倉時代に鶴岡八幡宮で行われる相撲大会に出場する代表者の選抜のために始まったという説、江戸時代中頃に天から軍配が降ってきたことから行われるようになったとする説などがあり、明確な起源は明らかでないが、年代物の天幕を見ても分かるように、古くから行われてきたことは間違いない。 

2016年7月4日(月)晴/酷暑
■■■ 北舟の褌談義〈38〉英訳写真俳句 -弐拾壱- ■■■
松明を手に褌登山
北舟の褌談義〈38〉英訳写真俳句 -弐拾壱-

【参拾七】五大尊蘇民祭(花巻市無形民俗文化財)

岩手県花巻市石鳥谷町 光勝寺 2012年1月28-29日(旧正月6-7日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/godaison01.htm 
YouTube: https://youtu.be/po9zw8nWERQ 

● 褌のロール一反 寒詣  北舟
(ふんどしの ろーるいったん かんもうで)
A ten-meter-long role
of loincloth,
midwinter pilgrims.
http://wadaphoto.jp/maturi/images12/godaison040l.jpg
「裸参り」参加者たちは、お互いに助け合いながら、持参した白晒木綿1反(10m)を半分に折り、白晒褌(しろさらしふんどし)として半幅の晒布で締めるのに便利なように褌ロールを作っていた。

〈全裸禊〉開会式が終わると、参加者たちは全裸となり、舞台の右横の出入口から紅白幕の張られた禊場で、注連縄(しめなわ)の張られた水桶から手桶で水を汲み、-5℃の外気の中で冷水をかぶって禊を行った。五大尊の禊作法は、最初に手足に水を掛け、身体を水の冷たさに馴らしたあと、肩に水を掛ける。頭から水をかぶらないようにとのことだった。
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● 七福や御神酒臓腑に寒詣  北舟
(しちふくや おみきぞうふに かんもうで)
The Seven Gods of Good Fortune,
midwinter pilgrims
gulping down the sacred sake.
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● 寒詣噛符行燈白褌  北舟
(かんもうで かみふあんどん しろふどし)
Midwinter pilgrims,
mouthpieces of paper,
square lanterns and white loincloths.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images12/godaison118l.jpg 
「裸参り」の行列は、五大堂公民館を出発して約13分後に光勝寺の一ノ鳥居に到着した。一ノ鳥居は、翌日の蘇民袋争奪戦の決勝点である。ここで噛符(かみふ)をくわえ、山頂の五大堂まで無言の「裸参り」となる。

● 氷点下ふんどし衆の赤はだか  北舟
(ひょうてんか ふんどししゅうの あかはだか)
Freezing temperatures,
red skins of pilgrims
wearing funoshi loincloth.
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「裸参り」の一行は、五大堂公民館を出発して約17分後に光勝寺五大堂に到着。裸の行者たちは、噛符をくわえ、頭(こうべ)を垂れたまま、五大尊に参拝。五大堂を後にした褌の行者たちは、光勝寺本堂に着くと、玄関の前に整列し、僧侶たちから大麻(おおぬさ)や錫杖(しゃくじょう)などで御祓いを受けて、「裸参り」を終えた。 

● 五大堂神楽の聞こゆ雪山路  北舟
(ごだいどう かぐらのきこゆ ゆきやまじ)
Godaido temple,
sacred Kagura music
sounding at the snow mountain path.
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 五大尊蘇民祭当日の1月29日(日)は、絶好の晴天に恵まれた。そのためか、放射冷却が凄く、花巻市の朝は-15℃と冷え込んだ。午前9時半頃、花巻市消防團第十六分團を先頭に晴れやかな「お山登り」の行列が光勝寺前庭を出発した。先導する消防団の後には、天狗(猿田彦)、五大堂神楽、優勝旗を持った前年度取主と松明を持つ裸男、仏具や蘇民袋を携えた僧侶や住職、審判団、護摩講員などが続いた。 

● 冬晴や褌登山の五人衆  北舟
(ふゆばれや ふんどしとざんの ごにんしゅう)
The winter sun shining, 
the mountain climbing
by the five naked of a string loincloth.
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● 護摩餅や褌衆の奪ひ合ひ  北舟
(ごまもちや ふんどししゅうの うばいあい)
A Goma rice cake,
scramble
by naked guys of loincloth.
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● 雪渓を下るふんどし男たち   北舟
(せっけいを くだるふんどし おとこたち)
Guys of fundoshi loincloth,
going down
a snowy valley.
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● 雪晴や倒れて止まむ蘇民祭  北舟
(ゆきばれや たおれてやまん そみんさい)
A fine snow day,
Somin Ritual
ended after falling-down.
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 争奪戦の渦は、五大堂を出発して約45分後に一ノ鳥居の決勝点に辿り着き、一同、参道に倒れ込み、団子状態となって、動かなくなった。下敷きになった人は、雪の参道にうずくまっており、何人もの体重がかかって辛い状態になっている。取主(とりぬし)は、蘇民袋の口に近い順に第一取主(優勝者)、第二取主、第三取主と認定され、一・二・三の数字が書かれた赤いリボン(木綿布)を咥(くわ)えさせて判定する。 
前年度取主から祝福を受ける第一取主
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第二取主
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焚き火で暖を取る裸たち 
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● ストーブのそばで一献五大堂  北舟
(すとーぶの そばでいっこん ごだいどう)
Godaido temple,
a cup of sake
beside a stove.
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〈解説〉平成24年(2012)1月28日(土)・29日(日)の両日、岩手県花巻市(はなまきし)石鳥谷町(いしどりやちょう)の貴峰山(きほうざん)光勝寺(こうしょうじ)(佐藤宥弘住職)で五大尊蘇民祭(ごだいそん そみんさい)が開催された。 

 光勝寺の五大尊蘇民祭は、800年以上の歴史を誇る伝統の裸祭で、1年間の無病息災を祈って護摩を焚き、コマと呼ばれる365枚の木札が入った麻製の蘇民袋を奪い合い、御守札とする勇壮な冬祭である。 

 花巻市無形民俗文化財の指定を受けたこの蘇民祭は、旧正月6日(2012年1月28日)午後7時から前夜祭があり、「裸参り」と星祭(ほしまつり)(護摩法要)が行われる。翌日の旧正月7日(2012年1月29日)は、午前9時半から12時半頃まで、御神火祭(ごじんかさい)(護摩法要)と蘇民袋争奪戦を中心とした蘇民祭が行われる。 

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〈感想〉素晴らしい裸祭だった。最初から最後まで、参加者全員が褌一丁の勇壮で美しい裸祭が実現した。黒石寺蘇民祭や胡四王蘇民祭では、寒さのせいで、どうしても一部に服を着て裸祭の質を落としてしまう不心得者がいるが、完璧なまでに統制の取れた蘇民祭は初めてのことなので、感動した! 

 裸祭の取材に当たっては、祭の背景にある宗教行事や褌を締める舞台裏などもすべて取材するのが私のコンセプトで、誰もやっていないのが自慢でもある。ここでは、全裸禊まで撮影させて下さった。

 寒い冬に褌一丁の裸形になって、水を被ったり裸参りしたりする光景は、日本全国に見られ、世界に誇る日本固有の民俗文化として極めて価値が高く、寒冷地として知られる東北の真冬に裸の男たちが氷点下の外気温に晒されながら裸参りしたり雪の上で蘇民袋を争ったりする祭は、最も過酷な裸祭のひとつである。噛符(かみふ)と呼ばれる三角紙を噛んでお参りするのは、寒さに堪えるために考え出された方便であろう。それだけ厳しい行は、それだけに感動と尊敬も大きい。この感動巨編を世に送り出した今、また、ひとつ素晴らしい裸祭に出会えた喜びを噛みしめながら、来年もロマンと感動を求めて、東北の冬を旅してみたいと思った。

2016年7月3日(日)晴/酷暑
■■■ 北舟の褌談義〈37〉地獄絵に描かれた褌 ■■■
光明寺の地獄絵
北舟の褌談義〈37〉地獄絵に描かれた褌

 前回で英訳写真俳句が20編となったので、今日は話題を変えて、「地獄絵に描かれた褌」について書いてみたい。  

【壱】光明寺

 神奈川県鎌倉市では珍しい浄土宗の光明寺(こうみょうじ)は、正式には天照山蓮華院光明寺といい、第四代執権・北条経時(ほうじょう・つねとき)が仁治元年(1240)法然(ほうねん)の孫弟子・然阿良忠(ねんあ・りょうちゅう)上人(1199〜1287)を開山として創建した蓮花寺を第五代執権・北条時頼(ほうじょう・ときより)が寛元1年(1242)材木座に移して光明寺と改名したもので、浄土宗関東総本山である。

蓮で有名な光明寺の本堂と記主園
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光明寺の地獄絵
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▲ 本堂には、閻魔大王の前で最後の審判を受け、地獄に送られた死者の末路が描かれた地獄絵が掲げられている。嘘つきは舌を抜かれたり、針の山を登らされたり、火の車など子供のときに親から教わった恐ろしい地獄の沙汰がありありと描かれている。

 地獄に描かれた青鬼・赤鬼・黄鬼・緑鬼は、着物を着た鬼も見えるが、殆どが白と黄色の前袋式六尺褌を締めた裸形である。肌に直接褌を締めている鬼のほか、虎皮の褌の上に六尺褌を締めている鬼もいる。鬼の褌が一様に前袋式であるのは、前垂式だと作業をするのに緩んだりするためであろう。 

 地獄に落ちた男たちは、全員白褌一丁の裸形である。三途川(さんずのかわ)を渡ったところで、脱衣婆(だつえばば)が経帷子(きょうかたびら)と呼ばれる白装束をはぎ取ってしまうため、男性は褌、女性は腰巻のみの裸形にさせられてしまうからである。白褌なのは、死装束が白に統一されているため、色柄褌を締めていた者も湯灌のあと、新しい白褌に着せ替えられるためである。男たちは、六尺褌のほか、越中褌と思われるものもあり、中には猿股のようなものも見られる。江戸時代の男性の下着は褌だったので、この地獄絵は、江戸時代に描かれたものでは無いのかも知れない。

 閻魔大王の前に数珠つなぎされた男たちが連行されて来ているが、前垂式の褌をしている。全員盲目で剃髪しているので座頭たちであろう。最初は僧侶かと思われたが、寺に納める絵図に地獄に落ちた坊主を描くことはないと思われる。彼らの下着は越中褌が普通なので、前垂式六尺褌ではなく、越中褌と考えられる。数珠つなぎの男たちを連行する黄鬼も越中褌らしく見える。座頭担当の鬼だからだろうか。 

 閻魔(えんま)大王は死後五週間目(五・七日忌)に天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道の何れに送るかの裁判を行う。嘘をついても浄玻璃(じょうはり)の鏡に罪が映し出される。死後四十九日目に判決が確定し、直ちに執行される。閻魔はインドの死の神ヤーマであり、中国で閻魔大王となって日本に伝わった。閻魔の本地は地蔵菩薩である。

【弐】延命寺

千葉県安房郡三芳村延命寺には、16幅の絵巻が保存されている。この絵巻は、天明4年(1784)江戸の絵師によって描かれたものだが、絵師の名は不明である。この絵巻に描かれた褌姿 (部分)を見てみよう。 

三途川「壱」
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▲ 三途川(さんずのかわ)では、渡河を躊躇している死者を投げ入れている赤鬼が描かれている。虎の毛皮の上に緑色の前袋式六尺褌を締めた裸形である。後ろに控えているのは、前垂式六尺褌一本の盲目の男性で、杖と数珠を持っており、座頭と思われる。最初は、死に装束の白衣を着ているはずなので、初めから裸形というのは少し解せない。後ろの女性二名も着物をはぎ取られたのか裸でいる。よく見ると男と同じ褌をしている。江戸時代の女性も褌をすることがあるのだろうか。 

三途川「弐」
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▲ こちらも赤鬼だが、緑色の前袋式六尺褌を直接肌に締めている。投げ入れられている男は、既に白衣ははぎ取られたらしく、前垂式六尺褌一丁の裸形である。  

脱衣婆
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▲ 三途川を渡ると、脱衣婆(だついばばあ)が待ち構えていて、死者の白衣をはぎ取ってゆく。死者は三途川を渡る前に赤鬼に裸にされているので、同じ絵巻で矛盾があるが、こちらが本来の姿で、男性は褌一丁、女性は腰巻一枚の裸形となる。地獄絵によっては、着衣が全てはぎ取られ、全裸となるものもあるが、光明寺も延命寺も慈悲があるのか、褌腰巻までは、はぎ取らない。下の男性は前垂式六尺褌だが、一般男性は、この前垂式が普通の下着だった。

閻魔大王の下へ
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▲ 閻魔大王の前に連行されている男たち。全員盲目で、先頭の男は杖をついているので、座頭の一団である。光明寺の地獄絵図と同じように、数珠つなぎにされている。光明寺とちがって、こちらは前垂式六尺褌である。座頭は越中褌が普通だが、江戸時代における死出の旅姿は、越中褌の老人でも経帷子の下に白い前垂式六尺褌を締めたのであろう。鎖を持つ緑鬼は、直接肌に白の前袋式六尺褌を締めているが、後ろの結び目が不自然である。葛飾北斎のような達人であれば、このような描き方はしないだろう。

頸木刑の男性
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▲ 頸木(くびき)刑の男性は、前垂式六尺褌一丁だが、三角巾の天冠(てんかん)をつけている。これは死装束(しにしょうぞく)の定番で、幽霊の絵にも描かれているが、光明寺の地獄絵ではまったく見られず、延命寺の方もやっと見つけられた。天冠は地域によっては頭巾(ずきん)や額烏帽子(ひたいえぼし)などとも呼ばれるが、一説には、閻魔大王に会うのに、失礼の無いようにとの意味があるという。そうであれば、地獄絵に無くてはならないものなのだが・・・。

〈所感〉以上見てきたように、江戸時代の絵師が描いた延命寺の地獄絵図を見る限り、鬼たちはカラフルな褌を楽しんでいるが、死出の旅に出た男たちは、白い前垂式六尺褌を締めるのが一般的であることが分かる。また、丁髷(ちょんまげ)の元結(もとゆい)は切られて、頭髪は後ろに垂れている。この姿が、一番残酷で無残な姿ということなのだろう。

 地獄絵を寺に掲げるのは、これを見た信者たちの恐怖心をあおり、浮世では善行を積み、地獄に落ちることのないように戒めるためであろう。絵師の描いた地獄絵は、江戸時代の現実をリアルに描いており、当時の肌着がどういうものだったかがよく分かるので、褌研究家にとっては有り難い資料である。〈 合掌 〉

2016年7月2日(土)曇
■■■ 北舟の褌談義〈36〉英訳写真俳句 -弐拾- ■■■
北舟の褌談義〈36〉英訳写真俳句 -弐拾-

【参拾六】大善寺玉垂宮鬼夜(国指定重要無形民俗文化財)

久留米市大善寺町宮本 玉垂宮 平成27年(2015)1月7日(水)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/oniyo01.htm 
Youtube : https://youtu.be/mcaQOvwC6co 

● 七日はや鬼神をわす玉垂宮  北舟
(なのかはや おにがみおわす たまたれぐう )
The seventh day of the New Year,
a fierce god
at Tamatare-gu.
玉垂宮本殿の夜叉の鬼瓦
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● 大善寺天狗の鬼面七日とや  北舟
(だいぜんじ てんぐのきめん たまたれぐう )
The seventh day of the New Year,
devil's masks of long-nosed goblins
at Daizenji.
鉾面神事の鬼面 / 玉垂宮拝殿
 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo061.jpg 

● 初春に褌締める鬼夜かな  北舟
(はつはるに ふんどししめる おによかな )
Ogre's Night
wearing fundoshi loincloth
in the New Year.
鬼夜褌を締める / 大善寺校区公民館二階
 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo085l.jpg 
タイマワシたちの参集
 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo114l.jpg 

● 七日夜のお汐井汲や褌の白  北舟
(なのかよの おしおいくみや こんのしろ)
White is the fundoshi loincloth
collecting water
in the 7th day of the New Year.
お宮の汐井汲
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● 松明を翳して走る七日かな  北舟
(たいまつを かざしてはしる なのかかな)
The seventh day of the New Year,
running with a flaming torch
holding up.
タイマワシの汐井かき 〜ガッツで行こう!〜
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 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo152l.jpg 

● 初春の大松明やふどし染む  北舟
(はつはるの おおたいまつや ふどしそむ)
The huge torches
of the New Year,
turning the fundoshi loincloth red.
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 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo195l.jpg 

● 初春の鬼夜褌竹はぜる  北舟
(はつはるの おにびふんどし たけはぜる)
Ogre's Night Fundoshi,
the bamboos exploding
in the New Year.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo187l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo239l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo306l.jpg 

● 七日夜の白ふんどしや手一本  北舟
(なのかよの しろふんどしや ていっぽん)
Teippon at the night of seventh day
of the New Year,
wearing white fundoshi loincloth.
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 http://wadaphoto.jp/maturi/images16/oniyo289l.jpg 

〈解説〉毎年正月7日に行われる鬼夜は、かつての大善寺による追儺(ついな)の火祭で、1600年余の歴史を有する。明治以後は、玉垂宮によって催行され、締込みと呼ばれる褌をきりりと締め込んだ男たち400人余が日本一といわれる六本の大松明を燃やし、社殿を二周させる壮観な火祭で、平成6年(1994)に「大善寺玉垂宮の鬼夜」として国の重要無形民俗文化財に指定され、那智の火祭と鞍馬の火祭と共に日本三大火祭の一つに数えられている。

 鬼夜は、1600年もの昔から行われている火祭であり、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する鬼会(おにえ)神事の満願の行事である。

 今から1600年余の昔、仁徳天皇の時代に藤大臣(とう だいじん)(玉垂命)が勅命を受けて賊徒の肥前国水上の桜桃沈輪(ゆずらちんりん)を闇夜に大松明(おおたいまつ)を照らして探し出し、首を討ち落し、鉾(ほこ)を集めて焼却したところ、その後、様々な災危が起ったため、桜桃沈輪の霊を慰める祭礼を執り行ったところ、災危が鎮まったという故事がある。

 鬼夜の行事は、12月31日の鬼火採り(おにびとり)から始まる。大晦日の夜に燧石(ひうちいし)でとった御神火(鬼火)を神殿に灯し、隅正實宮司が斎戒沐浴して七日七夜守り続けて、祈願を行い、その結願(けちがん)となる正月七日に鬼夜が行われる。鬼会の最後の夜の神事であることから、鬼夜と呼ばれる。

 鬼夜の主な行事は、昼に行われる鬼面尊神(きめんそんしん)神事と種蒔(たねまき)神事、夜の汐井汲(しおいくみ)と汐井かき、鉾面神事(ほこめんしんじ)、大松明廻し(おおたいまつまわし)、一番松明の火取り、鬼の鬼堂(おにどう)めぐりと汐井かきである。中でも鉾面神事は、祭神が妖族を退治した有様を演じるもので、興味深い。   

 夜の行事を飾る大松明廻しは、大善寺や大橋など七地区から奉納された直径1m、全長12m の六本の大松明が400人余の褌一丁の男衆に支えられ、火の粉を撒き散らしながら社殿を時計回りに巡回する。一番松明は社殿を一周し、惣門をくぐる。二番松明以下は、社殿を二周する。この間、鬼役は姿を隠したまま、シャグマ(赭熊)の子供たちに囲まれて鬼堂の周囲を右に七回半廻り、社前の霰川(あられがわ)で、人の災厄を洗い流す禊 「鬼の汐井かき」をして神殿に帰る。

 鬼夜に火の粉を浴びると難を逃れて無病息災が叶うといわれ、魔祓い(まばらい)の鉾面神事に用いられる鉾に付けられた鉾紙(ほこがみ)は安産、幸運のお札として珍重されるほか、大松明の焼け残った縄や竹にも御利益があり、持ち帰る人が多い。

2016年7月1日(金)曇
■■■ 北舟の褌談義〈35〉英訳写真俳句 -拾九- ■■■
北舟の褌談義〈35〉英訳写真俳句 -拾九-

【参拾五】八海山滝行

新潟県魚沼市 八海山尊神社 2011年1月29-30日
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/hakkai01.htm 
Youtube : https://youtu.be/x9Lv6GjpWZg 

● 厳寒の不動の滝や法螺の音   北舟
(げんかんの ふどうのたきや ほらのおと)
The coldest season,
a sound of a conch shell
at Fudo waterfall.
厳寒の不動の滝
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai037l.jpg 

〈泰賢行者〉八海山(はっかいさん)の社(やしろ)は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)(614-669)が御神託を得て御室(現六合目)に祠を設けたのがその嚆矢(こうし)と伝えられている。八海山には役小角(えんのおづぬ)や弘法大師が頂上で密法修行を行ったという伝説が残されてはいるものの、全国的には無名に近い存在だった。 

 しかし、寛政6年(1794)、大崎村出身の泰賢行者(たいけんぎょうじゃ)http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai197ms.jpg が木曽御嶽山(きそのおんたけさん)の中興の開祖・普寛(ふかん)と共に八海山の登拝道を開くと、八海山は御嶽山の兄弟山として尊敬を集め、次第に全国にその名を知られるようになり、県境を越えて各地の講集団が訪れるようになった。 

 大崎口登拝道は、泰賢行者自らが大崎村の御嶽講を率いて享和3年(1803)に切り開いたもので、これが大崎口里宮(現八海山尊神社)を世に知らしめた始まりであり、泰賢行者は、八海山開闢(かいびゃく)の祖として敬われている。 

泰賢行者霊窟(れいくつ)の内部 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai035l.jpg 

● 法螺貝の音八海の雪嶺に   北舟
(ほらがいの おとはっかいの せつれいに)
The trumpet shell
sounds to the snow ridges
of Mt. Hakkai.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai093l.jpg 

● 先達の御幣の揺るる雪の滝   北舟
(せんだつの ごへいのゆるる ゆきのたき)
The snow-covered waterfall,
a master waving
a rod of charm.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai112l.jpg 

● 白褌に気合込めたる雪の滝  北舟
(びゃっこんに きあいこめたる ゆきのたき)
The snow-covered waterfall,
unyielding spirit
wearing a white loincloth.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai157l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai125l.jpg 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai126l.jpg 

● 綿帽子被りし鳥居山眠る  北舟
(わたぼうし かぶりしとりい やまねむる)
The sleeping mountain,
the torii gate
capping with snow
大雪に眠る大鳥居と88段の大石段・龍鳴の階(りゅうめいのきざはし)
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai192l.jpg 

● 大雪に法螺の音消さる八海山   北舟
(おおゆきに ほらのねけさる はっかいさん)
Mt. Hakkai,
the sound of trumpet shell
vanishing by the heavy snowfall.
 http://wadaphoto.jp/maturi/images9/hakkai191l.jpg 

〈解説〉新潟県南魚沼市に聳える八海山(1778m)の大崎登山口に鎮座する八海山尊神社(はっかいさんそんじんじゃ)では、毎年、大寒(2011年1月28日)から節分(2011年2月3日)まで、護摩行と滝行による寒修行(かんしゅぎょう)が行われる。このたび、山田泰利宮司の御高配により、寒修行を密着取材することができた。

 越後三山は、越後山脈のうち、南魚沼市から魚沼市にかけて広がる八海山(1778m)・越後駒ヶ岳(2003m)・中ノ岳(2085m)を指し、三山全域が越後三山只見国定公園に指定されている。

 越後三山(魚沼三山)のひとつである八海山は、日本200名山に数えられており、八ッ峰(やつみね)と呼ばれる岩峰群と入道岳(にゅうどうだけ)などから成り、最高峰は標高1778mの入道岳で、古くから霊山として崇められ、修験の山として知られている。

 司馬遼太郎が愛用した世界大百科事典には、「修験道は、日本古来の山岳信仰が外来の密教、道教、儒教などの影響のもとに、平安時代末に至って一つの宗教体系を作りあげたもので、山岳修行による超自然力の獲得と、その力を用いて呪術宗教的な活動を行うことを旨とする、実践的な儀礼中心の宗教である。」と解説されている。そして、神道と習合した修験道が八海山尊神社で実践されていた。

褌一丁で雪中の滝行に向かうかつての行者たち(八海山尊神社社務所)
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〈所感〉大自然と対話する八海山寒修行は、大寒の最も寒い時期の1週間、毎日深夜零時と朝9時の二回、社務所から泰賢行者の霊窟のそばを流れる里宮不動滝まで片道約1.5kmの道のりを徒歩で往復し、冷水に生身を晒す禊行が実践され、寒修行の中で最も過酷な試練が行われている。

 行者たちにとっては、身をもって先人の偉業を偲ぶのに最もふさわしい修行であり、それを長年にわたって実践してきた先達(せんだつ)たちの誇りともなっていよう。現在も多くの信者が寒修行に参加するのは、不可能を可能にする気力と体力を涵養し、自己の可能性を高める試練と考えているからであろう。

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 僅か1日に過ぎないが、寒修行に勤(いそ)しむ行者たちと起居を共にして感じたことは、彼らは、我々と変わらない普通の人間であり、特殊な境遇に身を置く、変わった人々ではないということであった。そして、大自然の中に生身を晒す厳しい修行の中にも、安らぎがあり、ゆとりがあった。

 大自然から隔絶した都会のオフィスの中で、激しい競争原理の下で経済活動に邁進する我々現代のサラリーマンは、物質的な豊かさがある一方で、失われたものも多々あると思われる。18世紀のフランス人思想家・ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)は「自然に帰れ、自然の中の人間こそ真の姿である。」と提唱し、多くの若者たちに影響を与えたが、これは、現代の我々にも通用する警句ではなかろうか。 

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