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2005年7月1日改訂

今 日

昨 日

♪栄華の墓所 TAM Music Factory

拡大写真(1600x1200)225KB           

緋袴の静の舞や春の色   北舟

2000年7月31日開設

片野順子さんの静の舞

片野順子さんの「静の舞」(鶴岡八幡宮/鎌倉市)

 

 

2/5
 

2005年1/5

2005年2/5

2005年3/5

 

目次

2005年6月27日(月)晴  花水木仰ぎて深し空の青  アルプスの水を引きたる植田かな
 
■■■     「残雪の信濃路」アップ ■■■
 
   2005年5月5日(木)6日(金)の両日、家内と共に一泊二日の日程で立川発のバスツアーに参加し、信州信濃の旅に出掛けた。バスは八王子インターから中央自動車道に乗り、ひたすら西に走った。やがて長野県の田園地帯に入ると、新緑がとても瑞々しく、西方に残雪の北アルプス(飛騨山脈)が聳(そび)え、車窓から眺める初夏の信濃路の素晴らしい光景を目の当たりにして、早くも心が弾んだ。・・・ 昨晩、このときの作品が完成し、アップした。6ページ61枚の大作となった自信作である。  
 

アルプスの時計台

アルプスの時計台

拡大写真(1780X1350)327KB

 
 

アルプスの嶺の向かふの山雪解  奥穂高雪解の谷を従えつ

 
    犬も歩けば棒に当たる。旅の写真館の醍醐味は、旅先で予期せぬ素晴らしい光景に出会うことである。日本は瑞穂(みずほ)の国である。四方を海に囲まれているが、断じて海洋民族ではない。春になると農民たちが一斉に美田を耕し稲作に勤しむ姿を見ると、日本人が農耕民族であることを実感する。棒に当たったのは田植の風景である。バスの窓ガラス越しに撮影した沢山の画像の中に宝が埋まっていた。信濃の国には北アルプスに抱かれた豊かで美しい農村があった。  
   最後は雨になったが上高地も素晴らしかった。日帰り旅行では行けなかった明神池。神秘的で美しい光景に感動した。そして、ここでも棒に当たったのは、明神橋の日本猿である。専属のモデルになってくれたのかと思うほどで、良い写真が撮れた。これからも森羅万象との素晴らしい出会いを求めて旅を続けたい。  

 
2005年6月19日(日)晴
 
■■■     「お囃子大会(速報版)」アップ ■■■
 
   2005年6月19日(日)午後1時半から4時半まで、青梅市民会館ホールにおいて、青梅囃粋會(おうめ・そうすいかい)主催の「第二回お囃子発表会&講演会」が開かれた。小林栄介・青梅囃粋會会長の挨拶の後、竹内俊夫青梅市長はじめ来賓の祝辞の後、お囃子が披露された。  
   午後3時から西分町囃子連を指導している荒井美知徳さんの講演があり、多彩な踊りの実演と解説があった。西分町囃子連は、平成15年(2003)第23回東京都祭ばやしコンクールで最優秀賞を受賞したという。名実共に青梅の踊りの第一人者である荒井さんの指導があったればこその受賞であろう。青梅市の市章のデザインは荒井さんが考案したものというから、多彩な才能の持ち主である。  
 

森若囃子会の熱演

森若囃子会の熱演

拡大写真(2000x1150)327KB

 
   青梅大祭実行委員会の村野公一さんのお誘いで、第二回お囃子発表会&講演会に行ってきた。青梅一小の生徒たちの踊りも披露され、総合学習に取り組む校長の熱意を感じた。青梅の踊りの実演と解説をされた荒井美知徳さんの講演も素晴らしかった。昭和22年(1947)初めて青梅で祭り囃子の踊りを始めたときは二人しかいなかったというから、まさに草分けである。  
   今日、とりあえずの速報版を完成した。他にも素晴らしい踊りが沢山あるので、後日追加したい。  

 
2005年6月17日(金)雨  風薫る静御前を見上げつつ  金棒を手に手古舞の夏祭
 
■■■     「青梅大祭2」アップ ■■■
 
   当サイトがミリオンサイトの仲間入りを果たして初の作品「青梅大祭2」が完成し、先ほどアップした。この作品は、5月3日に開催された住吉神社の祭礼・青梅大祭を取材したものである。爽やかな晴天に恵まれ、朝9時から夕方6時過ぎまで、E-300とE-1の二刀流で一日フル稼働して祭りを激写した。二度目の取材なので、より突っ込んだ映像が撮れ、屋台祭りというジャンルの中で、青梅の独自性を掘り出せたものと思う。  
   今年の青梅大祭は、青梅駅前の四町競演を撮影したかったので、青梅大祭実行委員会の村野公一さんにご尽力頂き、多摩ケーブルネットワーク(TCN)のご厚意により、青梅駅前のTCNが実況中継をしているカメラ席にのぼり、スチール製の高さ約2m程の台座の上にあぐらをかいて撮影した。お陰で、ひと味違った映像を撮影することができた。欲をいえばきりがないが、今回、被写体までの距離が近かったため、35mmフィルム換算で22mmの広角レンズでは、広さを出すには不十分だった感じがする。これ以上になると魚眼レンズになるが、十分な広さを表現するには魚眼が必要かも知れない。  
 

木を入れる本町の拍子木(青梅大祭/東京都青梅市)

木を入れる本町の拍子木

拡大写真(1400X1050)363KB

 
   ミリオンサイトになって初めての作品なので、編集にも力が入った。今回、原画のレタッチ法をより踏み込んだものにした。「墨江」のページにある補修した神功皇后(住江町)の画像は、剥離やひび割れのある顔面をレタッチし、滑らかな膚を取り戻すことができた。  
   また、晴天の直射日光を受けた原画は、日向と日蔭のコントラストが強すぎるため、フォトショップ6のトーンカーブをいじって、人間の記憶色に近い階調と色彩に調整した。大きな冒険で、人により好みが分かれるかも知れないが、私はこの絵作りに非常に満足しており、今後、和田流写真術として、この手法で原画をブラッシュアップしてゆきたい。  

2005年6月16日(木)雨   青梅路や利休鼠の走り梅雨
 
■■■     1日のアクセス6000件を突破! ■■■
 
   先日梅雨入りした東京は、このところ雨が降り続き、我が家のベランダから見える多摩川も水かさを増し、山々の緑も深みを増している。憂鬱だという気分がある一方で、恵みの雨という一面が強い。東京都の水瓶・小河内ダムが一杯になることを期待する昨今である。  
   梅雨入りのため、取材を離れ、取り溜めた写真を整理し、作品の制作に邁進しているところだが、昨日15日(水)夜、帰宅してパソコンを起動すると、トップページのアクセス件数が4000件を超えていた。何かの間違いかとも思ったが、誤動作ではなかった。7日にミリオンサイトを達成してからも、いつものように1日2000件前後で推移していたのだが、急に大ブレークとなり、最終的には6027件に達した。  
   アクセスが特定のページに集中したのかも知れないと思い、主な人気作品のページを覗いてみたが、全般的に件数が多くなっていて、飛び抜けて多くなったページはない。原因不明だが、多分、メジャーなポータルサイトに私のサイトが登録されたのではないかと推測する。今年の2月一杯、松下電器産業(株)のパナソニックのサイトにリンクされたときには、4日で1万件のペースでアクセスが続いたが、1日に6000件を超えたのは初めてで、驚いている。いつもは1000件を超えるのは午後4〜5時ころだが、今日も朝10時には既に1000件を超えた。カウンターの数字がみるみる上がっていく様子は、うなぎ登りという言葉を連想する。いつまでこのペースが続くか楽しみである。  

2005年6月8日(水)晴   行く春や白砂に染みる珊瑚波    石筍に雫一滴木の芽時
 
■■■     100万アクセス達成! ミリオンサイト ■■■
 
   6月7日(火)朝6時半に起床してパソコンにスイッチを入れると、トップページのカウンターが1000114となっていて、今朝100万件を超えたことが分かった。2000年7月16日の皆既月食の日に産声をあげてから満5歳の誕生日を迎える39日前に100万アクセスを達成することができ、遂にミリオンサイトと名乗ることができるようになった。感慨も一入である。スタートして1万アクセスをいただくのに11ヵ月を要したことを考えると、隔世の感がある。  
 

100万アクセス記念キャンペーン!

 
   これも南光優さんから始まった感動写真集に素晴らしい作品を発表していただいた20人ほどの同志の方々のお力添えがあった賜物で、もし私一人でやっていたとしたら、この日が来るのはもっともっと先のことだったと思われ、本当に有り難いことである。最近は5日で1万アクセスを頂いているので、このペースで行くと、1年5ヵ月後には200万アクセスとなる。今後どこまで行けるのか分からないが、気力・体力の続く限りデジカメをリュックに背負って旅を続け、ロマンと感動の作品を発表してゆきたいと思う。  
   その日はキリ番をゲットした方からお便りがなく、幻のキリ番かとあきらめかけていたところ、今朝、大阪市の海童さんからキリ番の貴重な画像が送られてきた。タイムスタンプは午前2時2分となっていた。また、100万カウント達成時刻予想は、大庭靖雄さんの「6月7日午後11時30分」が最も近かった。お二人には、後日、記念品と賞品をお送りすることにしている。  
 

キリ番100万件 2005.6.7.0202

キリ番100万件 2005.6.7.0202

拡大写真(1280X768)94KB

 
   奇しくも6月7日、海洋冒険家の堀江謙一さん(66)が世界で二人目となる東西両回りヨット単独無寄港世界一周を達成された。神戸時代にお付き合いした堀江さんが偉業を達成されたことを心からお喜びし、次は人類が成し遂げたことのない目標を成就されて、我々団塊の世代のロマンと感動をかき立てて頂きたい。  
 
■■■    

「沖縄 

美ら海ちゅらうみ

紀行(八重山編)」アップ! ■■■
 
   トップページのアクセスが100万件を超えた6月7日の記念すべき日に「沖縄美ら海紀行(八重山編)」が完成し、本島編と併せて
沖縄紀行が完結した。旅紀行ジャパン・第36集 沖縄美ら海紀行(八重山編) としてアップしたが、今回も7頁82枚と大作になった。
 
 

95羽しかいない冠鷲 カンムリワシ(特別天然記念物/西表島)

 

巨大な板根のサキシマスオウノキ(天然記念物/西表島)

95羽しかいないカンムリワシ   巨大な板根のサキシマスオウノキ(天然記念物/西表島)

拡大写真(1200x900)254KB

 

拡大写真(1600x1200)511KB

 
   本島編と八重山編をあわせると約3,000枚4.5ギガの写真を撮影した。フルオート・大量撮影という和田流撮影術により、沖縄紀行の感動を何とか再現できたのではないかと秘かに自負している。今回、特に大きな画像をリンクしているので、隅々までじっくりと鑑賞していただければ幸いである。  

2005年5月28日(土)晴  神輿舁く勘三郎の白半纏
 
■■■     鐵砲洲祭(勘三郎襲名祝賀)アップ ■■■
 
   5月1日(日)〜5日(木)のゴールデン・ウィーク期間中、東京都中央区湊一丁目の鐵砲洲稲荷神社で行われた鐵砲洲祭を取材し、先ほど、日本の祭り第15集 鐵砲洲祭(勘三郎襲名祝) としてアップした。3年に一度の大祭となった今年、御本社神輿をはじめ12基の町神輿が渡御する鐵砲洲祭は、江戸っ子たちの夏祭りの魁(さきがけ)で、この後、神田祭、三社祭と次々に東京の夏祭りが繰り広げられる。  鐵砲洲稲荷神社公式サイト  
   毎年正月初旬に拝殿前で行われる寒中水浴大会は、中川文隆宮司(なかがわふみたか・ぐうじ)自らが裸になって氷柱の立つ冷水に入浴する行事で、地元の氏子のほか地方からも参加者があり、毎年報道されて東京の冬の風物詩として知られる。  寒中水浴大会   
 

 
 

神輿を担ぐ中村勘三郎さん(歌舞伎座玄関前/東京・東銀座)

神輿を担ぐ中村勘三郎さん

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提供:弥生会 撮影:多田裕美子

 
   祭初日の5月1日(日)、歌舞伎座の前で鐵砲洲稲荷神社主催による中村勘三郎さんの襲名祝賀行事が開かれ、中川宮司の装束と同色の白半纏を纏った弥生会の氏子たちが御本社神輿で歌舞伎座渡御を行った。青梅大祭と日程が重なったことから襲名祝賀行事を取材できず、残念に思っていたところ、今年正月9日の寒中水浴大会が縁で知り合った弥生会の星宏幸さんのご尽力により、弥生会から貴重な写真をご提供いただき、紹介することができたことはとても嬉しい。  
   江戸時代の伝統文化が今に伝わる歌舞伎座の前で江戸っ子たちが年に一度の神輿を練り上げる・・・鐵砲洲祭最大の見所は、この歌舞伎座渡御であり、とても感動的なイベントである。5月4日の歌舞伎座渡御の日、昼頃神社で落ち合った星宏幸さんの案内で宮元の大神輿と共に歌舞伎座に向かい、町神輿5台の晴れ姿を存分に撮影することができた。特に、ビルの上からの撮影は初めての試みだったが、鐵砲洲祭ならではの良い写真が撮れた。是非、じっくりとご覧いただきたい。  

2005年5月22日(日)晴
 
■■■     我が家に光ブロードバンドがやってきた! ■■■
 
  So-net with フレッツ 我が家の青梅市では、NTT東日本の光ブロードバンド「Bフレッツ」のサービスが5月18日から始まった。既に当マンション共有部分への光ファイバーの引込みや機器の取付工事が終わっていたので、今朝から我が家の工事があり、無事開通の良き日を迎えることができた。NTTの担当者に聞くと、青梅市内のマンションタイプの開通は、当マンションが最初とのことで、とても嬉しい。(^^  
   これまで我が家では So-net の ADSL 8Mbps を利用しており、局舎まで3kmもあるため、ブロードバンドスピードテストhttp://www.bspeedtest.jp/ では1.6 Mbps しか出ていなかったが、それでもホームページの運営には快適だったし、LAN を組んで合計4台のパソコンとゲーム機がストレスなく動いていた。  
   今回、「So-net 光 with フレッツ」を申し込んだ。回線がNTTのBフレッツで、プロバイダがSo-net である。コース変更ということなので、パソコンの設定は一切いじることなくつながったのは有り難い。家の工事は、業者がやってくれたVDSLモデムの設置と、私が行ったフレッツ・ひかり電話のルーター付モデムの設置と初期設定だけなので、直ぐにできてしまった。キャンペーン期間中なので、15,000円ほどの工事費と、月3,728円(機器レンタル料と税込)の利用料金が4ヵ月間タダになるという。  
 

 
  SAKURAインターネット 31Mbps 開通後、業者が持ち込んだパソコンでNTTのサイトと交信して計ったスピードは59Mbpsで、標準的なスピードだということだった。私のパソコンからブロードバンドスピードテストをやってみたところ、31Mbps だった。これは、プロバイダから先のスピードの影響を受けるので、混雑度により変わってくるという説明だった。  
  測定サイト http://www.bspeedtest.jp/  v2.3.3
測定時刻 2005/05/22 10:17:21
回線種類/線路長/OS FTTH/-/Windows XP
キャリア/ISP/地域 NTT Bフレッツ マンション VDSL利用/-/東京都
ホスト1: WebArena(NTTPC) 30Mbps(9971kBを2.7秒で転送)
ホスト2: SAKURAインターネット 31Mbps(16870kBを4.4秒で転送)
推定最大スループット: 31Mbps
コメント: NTT Bフレッツ マンション VDSL利用の平均速度は13Mbpsなのでかなり速い方です!おめでとうございます(下位から95-100%tile)
 
   また、ニフティのスピード測定も試してみた。  
  ▼ speed.nifty.com スピード測定
計測日時 : 2005/05/22 16:13:39
下り速度: 27.477Mbps
上り速度: 12.543Mbps
 
   下り速度が31〜27Mbpsということで、50〜40倍ほどのスピードアップになっている。体感スピードとしては、ホームページの閲覧は、なるほど早くなったかなというくらいであるが、アップロードはもの凄い速さになったことがよく分かる。大きなファイルのダウンロードもあっという間に終わる感じで、キャッシュファイルを見ているのかダウンロードしているのか分からないくらいだ。このような低料金で、internetを快適に楽しむインフラが整ったのは有り難い。(^^  
 

 
  NTTひかり電話 今回、internetを利用したIP電話So-netフォンとNTTの加入電話を解約し、Bフレッツを利用した光IP電話サービス「ひかり電話」を申し込んだ。これで、加入電話と同じ番号でNTTのIP電話が使えるようになった。「安心プラン」というコースで、月額基本料金が1,470円だが、8時間分の無料通話1,280円が含まれているので、実質基本料金は190円となる。しかも、8時間をオーバーした通話は、全国一律3分税込7.56円となる。これまでの加入電話の基本料金1,890円はなくなる。品質は光回線を利用しているので、ADSL利用のIP電話のように途切れたり、切れたりすることはなく、高品質の通話ができ、フリーダイヤルや警察・海保・消防などの3桁ダイヤルもできるので、制約がほぼなくなっている。ただ、時報などごく一部の機能が使えないが、実用上問題ないので、契約に踏み切った。加入電話の権利は、局預かりとなる。  

2005年5月20日(金)晴  首里城の三線の音春の風
 
■■■    

「沖縄 

美ら海ちゅらうみ

紀行(本島編)」アップ! ■■■
 
   4月15日(金)から18日(月)まで、家内と二人で日本旅行・赤い風船のツアーに参加し、3泊4日の日程で沖縄本島(おきなわほんとう)と八重山諸島(やえやましょとう)を旅した。本日、晴天に恵まれた前半二日分の本島編が完成し、旅紀行ジャパン・第35集 沖縄美ら海紀行(本島編) としてアップした。  
   間もなく満5歳を迎えるWa☆Daフォトギャラリーに待望の沖縄の作品を加えることができた。7ページ79枚という大作になってしまったが、これでもまだ前編であり、後編の八重山編が残っている。後編は、がらりと違った沖縄の大自然を記録しているので、ご期待いただきたい。  
   沖縄本島の見所は沢山あるが、中でも首里城跡・万座毛・沖縄美ら海水族館・琉球村はとても素晴らしい。沖縄本島のツアーを考えておられるなら、この4スポットは必ずご覧になることをお勧めする。  
 

 
   主力の OLYMPUS E-300 はCCDがコダック製で、「コダック・ブルー」と呼ばれる深い青色には定評がある。今回は、特にそれを活かすことができ、沖縄の鮮やかな空や海の色を十二分に写し撮ることができた。自信作が完成したのは、E-300のお陰である。  
 

首里城(世界文化遺産/沖縄本島)

首里城

広角パノラマ写真(3000x1000)555KB

 

2005年5月6日(金)曇のち雨  アルプスの影黒々と植田かな
 
■■■     早春の信濃路を激写! ■■■
 
 

 5月5日から家内と共にクラブツーリズムのバス旅行に参加し、一泊二日で早春の信濃路を旅した。中央自動車道から長野自動車道に入ると、信濃路は遅い春が訪れ、雄大な残雪の中央アルプスを背景に、田圃には水が張られ、農家のトラクターや田植機があちこちで見られ、本格的な田植えの季節が訪れていた。この日は小布施(おぶせ)を見学したあと、大町温泉の黒部観光ホテルに宿泊した。

 
 

残雪の中央アルプスと水田 (大町温泉付近  2005.5.5.1240)

残雪の中央アルプスと水田

拡大写真(1400x1050)212KB

 
 

昔ながらの田植え

 

田植機

昔ながらの田植え   田植機

拡大写真(1200x900)291KB

 

拡大写真(1200x900)347KB

 
 

中央アルプスと植田 (大町温泉付近  2005.5.5.1650)

中央アルプスと植田

拡大写真(1600x1200)363KB

 
   翌日は、曇り空のなか、残雪の穂高連峰を擁する早春の上高地に入り、たっぷり5時間の散策時間を活かし、バスターミナルから明神池までの往復7kmのハイキングコースを歩いた。終始、鶯の声をBGMに、梓川の清流沿いに続く瑞々しい新緑の森林浴は最高だった。  
   このツアーには愛機E-300を持参し、800万画素1,950枚約3,000MBを撮影した。後日、「早春の信濃路(仮称)」と題する作品をアップする予定である。今年のゴールデン・ウィークは10連休となったが、4月29日の青梅大祭の山車人形の撮影に始まり、青梅大祭、鐵砲洲稲荷神社例大祭、そして信州信濃への旅行と、連続8日間の撮影行が続き、合計6,470枚10,170MBもの画像を撮影した。これほどの大量の画像を連続して撮影したのは初めてで、いささかグロッキーである。沖縄旅行の作品の編集も残っており、これからの編集作業が大変だが、ひとつひとつ良い作品を創り上げて行きたい。  

2005年5月4日(水)晴
 
■■■     鐵砲洲稲荷神社大祭を激写! ■■■
 
 

 今日も爽やかな晴天に恵まれ、昨日の青梅大祭に続いて、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社の例大祭に行ってきた。今年正月の寒中水浴大会の取材が縁でお付き合いが始まった弥生会の星宏幸さんと午後1時に神社で会合し、午後6時過ぎまでアテンドいただき、江戸下町の江戸っ子たちの魁となる夏祭りを激写した。

 
 

歌舞伎座前の大神輿(鐵砲洲稲荷神社大祭/歌舞伎座 2005.5.4.1450)

歌舞伎座の前の大神輿

拡大写真(2000x1500)652KB

 
   氏子15町会の熱気溢れる神輿練りで汗だくの取材だったが、圧巻は東銀座の歌舞伎座前の神輿練りである。星さんに手配いただき、歌舞伎座前のビルの最上階から激写し、会心のショットをものにすることができた。実はこの写真が撮りたくて、青梅大祭で疲労困憊の老体にむち打って出掛けたのである。その甲斐があり、このような珍しくも貴重な写真を撮ることができ、大満足である。歌舞伎座を建て替えるという話もあるらしく、もしそうなればなおさら貴重な記録になると思われる。  
 

宮元の大神輿(鐵砲洲稲荷神社大祭/歌舞伎座前 2005.5.4.1450)

宮元の大神輿

拡大写真(2000x1500)610KB

 
   中村屋一門を表す猿若柿色(薄黄色)の紋付姿の勘三郎さんの大きな写真は、ニューヨーク公演のおり、ハドソン川の船の上で口上を述べる姿を写真家・篠山紀信さんが撮影したもの。人気の歌舞伎俳優の中村勘九郎さんが18代目の「江戸猿若勘三郎」を襲名したのは今年3月3日。襲名に合わせて写真付きの記念切手が発売されるなど、話題を呼んだ。  
   鐵砲洲稲荷神社大祭期間中の5月1日(日)、歌舞伎座玄関前で中村勘三郎さんの襲名祝賀行事が開かれ、勘三郎さんの挨拶のあと御本社神輿のお祝い担ぎがあり、勘三郎さん自らも神輿を担がれた。弥生会・星さんから貴重な写真を提供いただいたので、ここに紹介したい。  
 

鐵砲洲稲荷神社の御本社神輿を前に手締めする中村勘三郎さん(鐵砲洲稲荷神社大祭/歌舞伎座 2005.5.1.1150)

鐵砲洲稲荷神社の御本社神輿を前に手締めする中村勘三郎さん

拡大写真(1200x560)258KB

提供:弥生会 撮影:星 宏幸

 
   今計算してみると、E-300・800万画素で1,100枚1,870MBを撮影していた。後日、DVDに焼いて星さんにお送りし、弥生会で活用していただきたいと思っている。5月1日、山車人形の撮影で行けなかった十八代目中村勘三郎襲名祝賀行事については、弥生会のご厚意により写真を提供いただけたので、鐵砲洲稲荷神社大祭として感動的な作品を創りたいと思っている。乞うご期待!  

2005年5月3日(火)晴  青梅路や祭囃子の競ひ合ひ
 
■■■     2005年青梅大祭を激写! ■■■
 
 

 今日は爽やかな晴天に恵まれ、青梅大祭が盛大に行われた。私も朝9時から夕方6時過ぎまで、E-1とE-300の二刀流で一日フル稼働して祭りを激写した。午後6時過ぎ、祭りが終わり、西分町の公園に駐輪しておいたマウンティンバイクで20分後に帰宅。シャワーで汗を流したら、顔や腕がしっかり日焼けしていて、赤くなっていた。日焼け止めクリームを塗るべきだったと反省しきり。(^^; 先ほど画像をパソコンに取り込んで、容量を計算したところ、1,700枚2,680MBだった。その前の三日間の山車人形の写真をあわせると3,400枚5,270MBとなり、DVD一枚には収まらない分量になってしまった。

 
 

 
   今年の青梅大祭は、例年フィナーレを飾る青梅駅前の本町、住江町、西分町、勝沼町による四町競演を是非とも撮影したかったので、青梅大祭実行委員会の村野公一さんにご尽力頂き、多摩ケーブルネットワーク(TCN)のご厚意により、青梅駅前のTCNが実況中継をしているカメラ席にのぼらせていただいた。予想どおりの特等席で、視界を遮る障害物は皆無で、スチール製の高さ約2m程の台座の上にあぐらをかいて撮影した。  
   午後5時半ころ、山車四台が四方から二本の扇を持った人に向かって進入してくる。広角ズームでかなりの枚数を激写したが、二度の撮影機会があったなかで、この一枚が最高の写真だった。山車の間隔がピッタリそろい、囃子方や踊り手の表情がすこぶる良い。これより早くても遅くてもいけない。この瞬間でなければならない。中には一般の見物客が入れないので、邪魔なカメラは見えない。花笠の人など、祭り衣装も楽しい。今日の会心の一枚である。来年のポスターに、是非採用願いたいと思っている。(^^;  
 

フィナーレの四町競演!(青梅大祭/青梅駅前 2005.5.3.1740)

フィナーレの四町競演!

拡大写真(1800x1300)670KB

 
  黒田通生さんのこと 今日、昼の休憩時に森下町の武内宿弥の撮影でお世話になり、意気投合した黒田通生さんのお宅にご挨拶に伺ったところ、宴席の最中で私もお相伴にあずかった。手ぶらで申し訳なかったが、楽しい歓談のひとときを黒田邸で分かち合うことができた。黒田さんは森下町人形保存委員会の委員で、山車人形師法橋仲秀英研究会会長・祭狂斎みち藤を名乗られ、その道の権威で、毎年瓦版を出されておられるので、私も一部いただいた。顔が広くて人望がおありで、次から次へと遠来の客が来られたのには驚いた。  
   圧巻は、私の写真が多数掲載された「四00年目の江戸祭禮」を出版された江都天下祭研究会の神田倶楽部会長・田畑秀二さんら神田倶楽部の皆さんとお会いできたことである。いつもメールを頂いているたてやま西平(にしへい)さんともお会いすることができた。いわゆるオフ会である。ホームページを通じて、交流の輪がどんどんと広がってゆくことが楽しくてしょうがない。村野さん・黒田さんに大感謝である。  

2005年5月2日(月)曇
 
■■■     町の「静御前」を激写! ■■■
 
  美しい静御前 明日の青梅大祭・本番に備えて、青梅市仲町(なかちょう)では今日午前9時から油屋の事務所を展示場にして、江戸時代の名人形師・松雲斎徳山(しょううんさい・とくざん)が文久元年(1861)に製作した静御前の組立てと飾付けが行われた。元の衣装を保存するため、新しい衣装を着用し、江戸時代の衣装は人形のそばに展示されている。義経の子を宿した清楚な美貌の白拍子・静御前は保存状態も良く、一昨年の400年目の天下祭に森下町の武内宿弥とともに出展されたもので、神田倶楽部から進呈された「天下祭静御前」の新しい木札が誇らしげであった。  
   森下町や住江町と同様、青梅大祭実行委員会の村野公一さんのお取りはからいで、仲町人形保存会会長で油屋の社長・恩田敏造さんや同委員の藤野幸男さん、祭りを統括される仲町静和会会長の若林健一さんと知り合うことができ、皆様のご了解を得て仲町の組立て・展示作業を取材することができた。人形に詳しい長老から価値ある扇などの説明を受けながら作業の一部始終を愛機E-300で撮影し、800万画素・440枚680MBにのぼる貴重な映像資料を作成することができた。  
 

瑞々しい静御前

 

気品溢れる静御前

瑞々しい静御前   気品溢れる静御前

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  台座の上の静御前 他町と違って、仲町の展示会場は広くて天井の高い油屋さんの事務所なので、今年専用の高い台座を新調し、その上に静御前を展示している。本来、山車(だし)人形は高い山車の上に乗せるものなので、下から上を見上げたときに一番良い表情に見えるように作られている。他町では展示場が狭いためにそれができないが、仲町の静御前は、油屋さんのお陰で、見上げるようにして美しい姿を鑑賞できるのが素晴らしい。  

2005年5月1日(日)晴後雨  春の風冠鷲の羽音かな
 
■■■     住江町の「神功皇后」を激写! ■■■
 
  住江町の宝物 5月2日からの青梅大祭に備えて、青梅市住江町(すみえちょう)では今日午前9時からキネマ通り角の展示場で、江戸時代の名人形師・仲秀英(なかしゅうえい)が製作した山車人形の名作・神功皇后(じんぐうこうごう)の組立てと飾付けが行われた。この人形は、本体だけでなく、衣装についても江戸時代のままであるのが自慢で、住江町の宝物といえる逸品である。頭には松雲斎徳山(しょううんさい・とくざん)の天冠を被っている。  
   一昨日の森下町の武内宿弥と同様、青梅大祭実行委員会の村野公一さんのお取りはからいで、住江町の山車人形を取り仕切っておられる佐野誠さんにご紹介いただき、佐野さんのご了解を得て住江町の組立て作業を取材することができた。佐野さんや本橋さんのご説明を受けながら作業の一部始終を愛機E-300で撮影し、800万画素・530枚810MBにのぼる貴重な映像資料を作成することができた。  
 

遠くを見る神功皇后

 

慈悲深い神功皇后

遠くを見る神功皇后   慈悲深い神功皇后

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美しい神功皇后

 

優しいまなざしの神功皇后

美しい神功皇后   優しいまなざしの神功皇后

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補修した神功皇后

注:デジタル写真を和田義男が補修したもので、実物は補修されていません。

補修した神功皇后

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  モナリザの微笑み? 仲秀英の作とあって、武内宿弥と同様、見る角度によって色々な表情を見せるので、飽きることがない。仲秀英の曾孫にあたる斎藤道子さんも非常に気に入っておられる人形である。顔の色が白いため、普通に写すと顔が白飛びしてしまうので、表情がきつく感じられ、誤解を受けることになるが、きちんと露出補正すれば、美しく慈悲深い表情であることがわかる。モナリザの微笑みではないが、第14代仲哀天皇の御子(のちの応神天皇)を孕んでいる余裕からか、微笑みの中に自信に裏打ちされた慈悲深いまなざしを感じてしまうのは、私だけではないだろう。ただ、保存状態が良くなかったためか、美しい顔に傷やシミが認められ、その点だけが残念である。参考のため、補修した写真を掲載した。  

2005年4月30日(土)晴  梅林や人それぞれの道に入る
 
■■■     森下町の「武内宿弥」を激写! ■■■
 
  武内宿弥の組立て ゴールデンウィーク中の5月2日・3日に開催される青梅大祭に備えて、森下町(もりしたちょう)では4月29日(金)午前9時から東京都から有形民俗文化財に指定されている旧稲葉家住宅で、江戸時代の名人形師・仲秀英(なかしゅうえい)が製作した山車人形・武内宿弥(たけのうちのすくね)の組立てと飾付けが行われた。  
   私の「青梅大祭」という作品をご覧になってお付き合いが始まった青梅大祭実行委員会の村野公一さんのお取りはからいで、青梅大祭のポスターとパンフレットに私の写真が掲載されたばかりでなく、この日、地元森下町人形保存委員会の委員で、山車人形師法橋仲秀英研究会会長・祭狂斎みち藤を名乗られている黒田通生さんから森下町自治会の人形保存委員会会長・黒田哲夫さんはじめ委員の方々に紹介いただき、皆様方の懇切丁寧な説明やアドバイスを受けながら作業の一部始終を愛機E-300で撮影し、800万画素・620枚960MBにのぼる貴重な映像資料を作成することができた。  
 

丁髷の武内宿弥

 

生気溢れる武内宿弥

丁髷の武内宿弥   生気溢れる武内宿弥

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見下ろす武内宿弥

 

遠くを見る武内宿弥

見下ろす武内宿弥   遠くを見る武内宿弥

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  丁髷の武内宿弥 普段は冠をかぶっている武内宿弥は、髭(ひげ)と同じ色の丁髷(ちょんまげ)を結っていた。法橋(ほっきょう)という高い僧位を名乗る数少ない人形師である仲秀英だけあって、見えないところまで手抜きせずにキッチリと作り上げていることに、江戸時代の職人芸の真骨頂を見る思いがした。現代では、このような素晴らしい人形を製作できる人形師は見あたらないというから驚きであり、同時に寂しい気がする。  
   武内宿弥は、写真のように見る角度によって全く違った表情を見せるので、何度見ても新たな発見があり、飽きることがない。仲秀英が制作した山車人形はあちこちに残っているが、一昨年、400年目の江戸天下祭に出品された山車人形の中で一番好きな人形であり、彼の最高傑作だと思う。神田倶楽部が発行した保存版「四00年目の江戸祭禮」に私が撮影したこの武内宿弥がA4サイズで掲載されてからは、その思いが一層強まっている。  
 

 
 

武内宿弥の前で斎藤道子さんと

武内宿弥の前で斎藤道子さんと

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  仲秀英の曾孫さんとの出会い 撮影がほぼ一段落したころ、町田市にお住いの斎藤道子さんという方が武内宿弥と対面するために訪ねてこられた。青梅大祭の二日間は都合がつかず、本日足を運ばれたのだという。早速黒田通生さんからご紹介いただき、幸運にも親しく歓談する機会を得た。斎藤さんの祖母が仲秀英の娘さんだそうで、仲秀英は彼女の曾祖父(そうそふ)に当たり、この日斎藤さんは、曾爺さんの作品を見に来られたのであった。  
   斎藤さんがそのことを知ったのは一昨年の400年目の江戸天下祭からだという。仲秀英に関する資料が少なく、未だによく分からないところが多いようで、爾来、彼女は山車人形研究家として、曾祖父のことを調査・研究されておられる。色々な話をお聞きした中で、ご自分の研究成果を本にして出版される計画をお持ちであることを知り、私の写真を全面的に提供させていただくことになった。  
 

 
  DVDの作成・謹呈 私の写真は、原画を全てDVDに焼いて、地元森下町人形保存委員会の黒田通生さんだけでなく、青梅大祭実行委員会の村野公一さん、それに出版を計画されておられる斎藤道子さんに謹呈することにしている。殆どが手持ちフルオートのフラッシュ撮影のため、白飛びなど画質が心配だったが、予想外に上手く撮影できていて、E-300の実力を再認識した。これらの画像を自由にお使いいただき、多方面で活用していただければ幸甚である。これだけの大量の画像の撮影は他に例がないと思われ、このような機会を与えていただいた森下町の皆様に、心から御礼申し上げたい。  

2005年4月30日(土)晴  春霞御岳の谷を深うする
 
■■■     早春のナイアガラ瀑布」アップ! ■■■
 
   4月29日(金)、匿名さんの「早春のナイアガラ瀑布」が完成し、アップした。この作品は匿名さんの第3作で、今年3月9日から4月6日まで、アメリカ旅行をなされた際、3月28・29日にナイアガラ瀑布に行かれて撮影されたもので、落下する膨大な水量や湧き起こる水煙、轟音をたてて滝を流れる水の激しさに、観客は壮大な大自然の営みを目前に呆然と立ちすくみ、ただ圧倒されるばかりだという。  
 

アメリカ滝 American Falls

 

カナダ滝 Canadian Horseshoe Falls 

アメリカ滝 American Falls   カナダ滝 Canadian Horseshoe Falls 

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  ナイアガラ瀑布 ナイアガラ瀑布は、アフリカ大陸のジンバブエとザンビアにまたがるビクトリアの滝と、南米大陸のブラジルとアルゼンチンにまたがるイグアスの滝とともに、世界三大瀑布のひとつである。ナイアガラ瀑布は、共にアメリカ五大湖に数えられるエリー湖からオンタリオ湖に北流するナイアガラ川の、エリー湖から約35km下流に位置する。ゴート島で二分されたこの瀑布は、南西側が馬蹄型をしたカナダ滝、北東側がアメリカ滝である。流れ落ちた水は、レインボー橋をくぐって北上し、やがてオンタリオ湖に注ぐ。この地の先住民はこの滝をニアガラ(雪のように轟く水)と呼び、畏敬の念をもって見つめて来た。ナイアガラ瀑布は、今も轟音と共に落下した水の塊が白い飛沫となって舞い上がり、雪のような霧に変わる営みを続ける。  
  アメリカ滝 アメリカ滝はノコギリ型をした滝で、高さ56m、幅320m、水量毎分14,000ton 。残念ながら崩落した岩が景観を損ねている。右(南)側の小さな滝は花嫁のベール滝 Bridal Vail Falls )と呼ばれる。ゴート島に架かる上流橋から下流の方を眺めると、急流のナイアガラ川が白波をたてて流れ、下流橋の奥にあるアメリカ滝に吸い込まれてゆくのが見える。  
  カナダ滝 美しいアーチ型をしたカナダ滝は、高さ54m、幅675m、水量毎分155,000ton。その湾曲した形状からホースシュー・フォールズ(馬蹄滝)と呼ばれる。 この滝は、1670年頃までは左右の端を結んだ直線状だったが、 年と共に侵食が進み、現在のような馬蹄形になったという。カナダ滝は、その美しさからナイアガラ瀑布を代表する滝となっており、アメリカ滝の存在を知らない人が多い。  

2005年4月24日(日)晴  ベランダに珍客来り雀の子
 
■■■     花の寺・収玄寺 ■■■
 
   4月23日(土)、行楽日和のなか、鎌倉市長谷(はせ)にある日蓮宗の収玄寺(しゅうげんじ)を訪れた。昨年4月11日の鎌倉祭りで、片野順子さんが藤間流名取・藤間寿美霞(ふじますみか)さんとして鶴ヶ岡八幡宮・舞殿(まいでん)で「静の舞」を披露されたのを撮影し、鎌倉まつり「静の舞」 としてホームページにアップしていたところ、奇しくも丁度一年後の2005年4月11日、片野さんがこの作品を発見され、mailを頂いてからお付き合いが始まった。オリジナル画像をCDに焼いて片野さんに進呈したところ、非常に喜んでいただき、ご招待を受けたので、この日、片野さんのお住いの収玄寺におじゃまし、ご住職のお父様やお母様など、ご親族の皆様ともお会いし、昼食をご馳走になるなど楽しいひとときを過ごさせて頂いた。  
 

片野順子さんの静の舞(鶴岡八幡宮/鎌倉市)

片野順子さんの静の舞

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   収玄寺は、日蓮聖人の四大法難のひとつである文永8年(1271)の龍口法難の際、宗祖日蓮と共に殉死の覚悟を決した鎌倉武士・四条金吾頼基の屋敷跡で、金吾の滅後、一寺が建立されたもの。文政年間(1818〜1830)の創立と言われ、創立当初は収玄庵と称したが、大正末期の本堂改築を機に寺号も収玄寺と改称した。現在境内には多くの花木・野草が植えられており、花の寺としても知られている。 収玄寺公式サイト

 片野順子さんは、1977年上智大学外国語学部英語学科を卒業され、現在、国際的なジャーナリストとして活躍されておられる。片野さんのホームページ 歩く大使館 は在日大使館の取材を通じて、色々な国の文化や暮らしぶりを伝える素晴らしいサイトである。お仕事柄、外国人の知人が多く、モッディさんという在日25年のスウェーデンの画家が私の「静の舞」の写真を見て片野さんの舞を絶賛され、写真をもとに絵を描かれることになった。できあがれば見せて頂けることになっており、今から楽しみにしている。他にも多くの反響があり、私の写真が皆様にお役にたち、思わぬ交流の輪が広がったことを嬉しく思った。
 
 

収玄庵

 

シラー・ベルビアナ(収玄寺/鎌倉市)

収玄庵   シラー・ベルビアナ(収玄寺)

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   この日は、片野さんご一家と親しくお付き合いをなされている地元の市川寧(やすし)さんが収玄寺で「四季の花回廊」という個展を開いておられたので、片野さんにご紹介いただき、ゆっくりと鑑賞させていただいた。市川さんは210万画素のニコンCOOLPIXで収玄寺をはじめとする花の寺で鎌倉の草花を撮影され、湘南気まぐれ写日記 という素晴らしいホームページに発表されておられる。今回、収玄寺の境内に咲く花延べ400種の中から23種を選んで発表されたもので、来訪者が後を絶たず、非常に盛況だった。収玄寺のホームページを飾る花の写真も市川さんの作品である。

 市川さんは210万画素の写真をマックのソフトを使って補間処理をして400万画素相当にされて印刷しておられるので、全紙大から葉書サイズまで十分にシャープで色鮮やかな作品となり、私を含む多くの観客を魅了した。なかでも和紙に印刷したものは、まるで日本画のような味わいがあり、市川さんのオリジナリティあふれる名作で、素晴らしかった。

 私も早速用意していたE-300に50mmマクロレンズを装着し、春の草花を撮影した。上の写真は特に印象的な花だったので、花の世話をされている片野さんのお母様にお聞きしたところ、シラー・ベルビアナという花であることが分かった。まだ4月の下旬であるが、鎌倉は初夏を思わす陽気で、春の野草が咲き乱れており、湘南の温暖な気候を羨ましく思った。
 

2005年4月19日(火)晴  長閑さや牛車に揺られ島巡る
 
■■■    

「沖縄 

美ら海ちゅらうみ

旅」速報! ■■■
 
   4月15日(金)から18日(月)まで、家内と二人で日本旅行・赤い風船のツアーに参加し、3泊4日の日程で沖縄本島(おきなわほんとう)と八重山諸島(やえやましょとう)を旅した。沖縄が梅雨に入る前の期間を選んだのだが、気温は23℃前後で暖かく汗ばむほどで、4日間は晴・快晴・曇・雨という天候だった。最後に雨に見舞われたのが残念だったが、独特の琉球文化が花咲く美ら海に囲まれた島々を十分に堪能することができた。  
 

 
  沖縄本島 沖縄本島では、世界文化遺産の首里城(しゅりじょう)と海洋博公園が素晴らしかった。後者は正面玄関から階段を下りてゆくと海の向こうに特異な形をした伊江島(いえじま)が見え、花一杯の沖縄らしい風景が印象的で、また、沖縄美ら海(おきなわ・ちゅらうみ)水族館の巨大な水槽の中を遊弋する巨大なジンベエザメが圧巻だった。この水槽に使用されているアクリルパネルは、世界一の大きさだという。  
 

首里城(世界文化遺産/沖縄本島)

首里城

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海洋博公園(沖縄本島)

 

沖縄美ら海水族館(沖縄本島)

海洋博公園   沖縄美ら海水族館

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   琉球村では、愛知県の明治村のように古い家屋が集められ、伝統衣装の村人たちが琉球文化を身をもって示してくれる。中でも道ジュネー(みちじゅねー)というパレードが圧巻で、様々な民族衣装の踊りがあり、最後は観客と共に踊りの輪ができあがり、乱舞することになる。琉球村は展示(ハード)と共に心のこもった民俗の触れあい(ソフト)があり、とても楽しく感動的であった。  
 

獅子舞(琉球村・道ジュネー/沖縄本島)

 

ジュリ馬(琉球村/沖縄本島)

獅子舞(琉球村・道ジュネー)   ジュリ馬(琉球村/沖縄本島)

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  西表島 八重山諸島は、石垣島(いしがきじま)・西表島(いりおもてじま)・由布島(ゆふじま)・竹富島(たけとみじま)の四島を巡った。西表島は、何といっても特別天然記念物のイリオモテヤマネコが有名だが、もう100匹を切っていて絶滅に瀕している種であるだけに、交通事故防止など、地元ではなみなみならぬ取り組みがなされていた。バスの運転手の話では、人間よりも優遇されているという。残念ながら目撃することができなかったが、もう一つの特別天然記念物のカンムリワシは石垣島と西表島にしか生息しておらず、しかも95羽しか確認されていない絶滅に瀕している猛禽類であるが、二度ほど目撃することができ、幸運にも撮影することに成功した。  
   仲間川(なかまがわ)をボートで遡り、オヒルギ、メヒルギ、サキシマヒルギなどのマングローブの群生を見ながら説明を受け、最後に天然記念物の巨大なサキシマスオウノキを見学した。この木は板根(ばんこん)と呼ばれる板状の根が特徴のとても珍しい木である。  
 

95羽しかいない冠鷲 カンムリワシ(特別天然記念物/西表島)

 

先島蘇芳の木 サキシマスオウノキ(天然記念物/西表島)

95羽しかいないカンムリワシ   巨大な板根の先島蘇芳の木

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  由布島 西表島から由布島には、遠浅の海を水牛車(すいぎゅうしゃ)で渡るのが観光資源になっている。水牛を操るおじさんたちは、運が良ければ三線(さんしん)を奏でながら琉球民謡を披露してくれる。運が悪いと、三線もなければ、あとから来る水牛車にどんどん追い越されて、貴重な時間を空費させられる羽目になる。水牛も方向を誤ったり、立ち止まったりと、一筋縄でいかないのが面白い。  
  竹富 竹富島は隆起珊瑚礁の島で、石灰化した珊瑚の石垣と美しい花々が年中咲き乱れる美しい島である。竹富島も水牛車で島巡りを楽しむ。こちらは行け・止まれの号令だけで、あとは水牛が道順を覚えていて勝手に歩いてくれる。三線の弾き語りが沖縄の旅情を誘う。若者は町からいなくなり、今は観光のみで生きている老人の島となっているのが少々寂しい。  
 

海を渡る水牛車(由布島)

 

水牛車観光(竹富島)

海を渡る水牛車   水牛車観光

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  石垣 最後の日は、雨に見舞われたなか、石垣島を巡った。昨年6月天皇・皇后両陛下が行幸啓(ぎょうこうけい)された川平(かびら)湾の珊瑚礁をグラスボートで見て回ったあと、石垣島鍾乳洞を見学した。石筍(せきじゅん)の数は日本一というだけあり、保存状態も良く、「遠野物語」で知られる民俗学者の柳田国男が絶賛したというだけあって予想外に素晴らしい洞窟だった。  
 

石垣島鍾乳洞(石垣島)

 

東シナ海の落日(恩納村/沖縄本島)

石垣島鍾乳洞   東シナ海の落日

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   このツアー4日間で3059枚・4526MBを撮影。バックアップをDVDに取った。これまでWa☆Daフォトギャラリーには沖縄の作品がなかったので、懸案となっていたが、良い写真を多数撮影できたので、後日「沖縄美ら海の旅」というシリーズ名で複数の作品にして発表したいと考えている。乞うご期待!  

2005年4月11日(月)雨  長閑さや淀みの浮子の動かざる
 
■■■     川辺の町ロンドン」アップ! ■■■
 
  早春のロンドン 4月10日(日)、大庭靖雄さんの「川辺の町ロンドン」が完成し、アップした。この作品は大庭靖雄さんの第4作で、初の海外作品である。国際会議でロンドンに出張された際に、3月19・20日の貴重な週末を取材に充てられ、ロンドンを流れるテームズ川の川辺を28kmも歩かれて早春の表情を見事に切り取られた名作で、4頁36枚の大作となった。BGMにはビートルズをイメージした曲が流れる。  
 

テームズ・ディットンの川べり

 

ホテルと係留施設

テームズ・ディットンの川べり   ホテルと係留施設

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  ロンドンの印象 今回はテームズ川の印象が強かったので、川と関連づけて写真をまとめてみたが、同時に感じたのは鳥が多い町だということだった。メリーポピンズという映画は、僕の好きな映画だが、ロンドンが舞台だと思う。この映画で、「2ペンス」という歌の場面があるが、その舞台が鳩が舞う寺院の階段で、大変印象的だった。  
   今回歩いていて、町中の大通りを鳩が歩いていたり、テームズパスをカモメがたくさん飛び交っているのを見て、実際に鳥が多いなあと思った。最後の国会議事堂の夕焼けの写真をとるときには、ごく小さい影に過ぎないが、そういう鳥が真ん中にさしかかるのを待った。  
  万歩計 万歩計で測っていたので、土、日で4万歩余り歩いたことがわかった。1歩70cmくらいなので、約28km歩いた勘定になる。すべて舗装されているし、歩道も広くとってあるので歩きやすかったのだが、舗装が堅くてちょっと疲れた。ウォーキングシューズがあれば良かったなと思った。 (以上・・・「川辺の町ロンドン」より抜粋。)  

2005年4月8日(金)晴
 
■■■     「千鳥ヶ淵の桜」速報! ■■■
 
   4月7日、東京は午後から晴れてきたので、皇居の千鳥ヶ淵(ちどりがふち)の桜を見に行った。最近NHKは、桜といえば千鳥ヶ淵を真っ先に中継するほどで、都民には非常に人気があり、ウィークデーにもかかわらず、地下鉄東西線・九段下駅からぞくぞくと花見客が押し寄せ、人混みでなかなか場所が空かないほどだった。数日前までは寒くて震えていたのが嘘のように急に暖かくなり、日中は23℃まで上昇。汗をかきながらの花見となり、アイスキャンデー屋が出るほどの賑わいだった。東京は週末までが桜の見頃である。  
 

牛ヶ淵の桜(北)

 

牛ヶ淵の桜(南)

牛ヶ淵の桜(北)   牛ヶ淵の桜(南)

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  咲くほどに散りゆく花のお壕かな   北舟    
 
 

千鳥ヶ淵の桜(田安門前)

千鳥ヶ淵の桜

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  散る花の今日の名残を田安門   北舟    
 
 

桜のトンネル(田安門前)

 

満開の千鳥ヶ淵

桜のトンネル(田安門前)

 

満開の千鳥ヶ淵

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   皇居の北にある田安門から桜田門まで、約3kmの道のりを3時間かけて歩き、800万画素のE-300で690枚1100MBを撮影した。後日「千鳥ヶ淵の桜」としてアップしたい。  

2005年4月6日(水)晴  若鮎のキラリと光る宙返り
 

100万アクセス記念キャンペーン!

 
   Wa☆Daフォトギャラリーは、2000年7月16日にスタートし、2005年の誕生日に満5歳を迎えるが、それに先立つ6月にはアクセス100万件を達成することが確実となった。これはひとえに愛読者の方々の暖かいご支援のたまものであり、心からお礼申し上げます。  
   100万アクセス達成を目前に控え、ささやかながら「100万アクセス記念キャンペーン!」と銘打ち、種々のイベントを企画した。当選された方々には「100万アクセス達成記念DVD(達成時点でのWa☆Daフォトギャラリーの全作品を収録したDVD版)」などの記念品や賞品を進呈することにしている。記念品や賞品の具体的な内容は、秘密(当選者の感想文などを参考に、そのときの気分次第?!)だが、個人のサイトなので過大な期待はご無用に願いたい。(^^;  
   実は、賞品を何にするかまだ検討中で、さきほどインド在住の丹下誠司さんから太古の昔ヒマラヤは海底であったという証拠であるアンモナイトの化石などを寄付いただけるという。ペーパーウエイト(文鎮)にも使えるということで、ロマン溢れる化石を遠慮なく賞品に使わせていただくことにした。丹下さんのご厚情に感謝!  
   キャンペーンの内容は「キリ番ゲット」「100万カウント達成時刻予想」「私の感動写真」の三つ。詳しくはキャンペーンの記事をご覧いただき、ふるって応募願いたい。  100万アクセス記念キャンペーン!  

2005年4月3日(日)晴〜雨  梅の山音一つせぬ朝ぼらけ
 
■■■     写真が青梅大祭のポスターに! ■■■
 
   当サイトの 青梅大祭 の写真が平成17年5月2日〜3日開催の青梅大祭のポスターに採用された。昨日、青梅大祭実行委員会で広報担当の村野公一さんからポスターとチラシをいただいた。村野さんによると、ポスターは1500枚、チラシは12万枚印刷され、ポスターはチラシのスポンサーになってもらった店舗や企業始め各町の自治体や商店街、公共施設などに配布されるという。  
   チラシの方は、およそ3万4千枚ほどが青梅市内の自治会組織を通して回覧で配布される。また、およそ6万3千枚が青梅の周辺地域(羽村、福生、瑞穂、あきる野)に4月26日に新聞広告として折り込まれる。そのほかは、ポスターと同様に商店や自治会に渡されるが、当日に配布する部数もかなり入っているという。チラシの最後の発行&編集の欄には、写真提供:和田義男と表示されていた。村野さんのご好意に感謝!  
 

青梅大祭のポスター

青梅大祭のポスター

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好奇心 <駒木町>
夏祭猿と戯むる大五郎

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写真提供:和田義男

写真提供:和田義男

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   青梅大祭実行委員会の村野さんは、墨江町囃子連や囃粋會のメンバーで、 墨江町囃子連 を主宰されている。去年、青梅大祭の作品を発表後、「夏祭猿と戯むる大五郎」と詠んだ猿まねをしている男の子が墨江町囃子連の連長(リーダー)をされている田中正幸さんの総領息子の龍佑(りゅうすけ)くんであるというお便りを受けた。  
   それ以来、mailを交換し、色々と青梅大祭についてご教授いただいていたのだが、私の写真をポスターやチラシに使わせて欲しいとのお話があり、私は地元青梅市の最大の祭りに貢献できることを嬉しく思い、全ての写真の原画をCDに焼いてお渡ししていた。龍佑くんが写っている写真は田中さんにお渡しして頂き、喜んでいただいた。  
   このたび、村野さんが写真を選んでデザインされたポスターやチラシを見て、龍佑くんの写真や女の子の写真が採用されていたのを嬉しく思った。村野さんは祭りを楽しむ人々の表情を捉えた私の作品を大変評価されたようで、「楽しい」というキャッチフレーズがポスターに踊っていることを非常に嬉しく思う。  
   村野さんのご尽力で、今年は四町の山車が競り合う青梅駅前の報道席に入ることができるので、より迫力のある画像を撮影したいと今から張り切っている。また、江戸時代の名人形師・仲秀英(なかしゅうえい)が制作した武内宿弥(たけうちのすくね)(森下町)と神功皇后(じんぐうこうごう)(墨江町)を組み立て段階から撮影する手配をしていただいたので、外からは見えない部分を記録したいと思っている。  

 

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