1/4 2/4 3/4 4/4 インド通信目次  

インド通信笑うカワセミ編 2/4

 

今 日

 

昨 日

♪マン・クント・モーラ  
復刊!インド通信笑うカワセミ現場運営編@(春が来た!)

KF(King Fisher)読者各位


インド通信、復刊です!!

10日間、日本で再充電した後、西ベンガルに舞い戻りました。昔は、半年に一度の15日間休暇でしたが、今は、4ヶ月毎に10日間の休暇制も選択出来るようになっており、海外勤務も、随分、闘い易い時代になっています。うちの所員も、ほとんどが4ヶ月休暇制を選択して、家族との距離を埋める努力をしているようです。


さて、プルリアですが、冬は去り、インド桜(?)咲く季節に変わっていました。

うちのインド人たちは、Flames of forestと呼んでいますが、カラカラの乾季の中で、木々に花燈るこの時期は、地の底から色彩が染み出して、大地が燃えているようなイメージとなり、この灼熱の大地で、根をしっかり張って生きている木々の生命力を目の当たりにすると、こちらも励まされているような元気な気持ちになれます。

もちろん、桜ではないので、今、植物名、調査中です。東南アジアでは、フランボヤン(火炎樹)を、南洋桜と呼んでいましたが、インドのは、これとも、ちょっと違うように思います。


西ベンガルは、3〜5月が暑季(ここプルリアは50度になり、灼熱の大地と呼ばれる所以です)、6〜10月が雨季となりますので、雨季前に、ダム工事の出来高をガンガン稼いでおく必要があり、釈迦力(Buddha's powerと訳しても、うちのインド人たち誰も理解してくれず、単純にWork hard !と語っていますが)に働け!と、インド人のケツを叩く日々が続きます。


今は、明方で10度、昼で28度ぐらいと、空気も美味く、非常に快適な季節が続いていますので、「復刊、笑うカワセミ」は、「現場運営編」というテーマで、しばらく号を重ねてみたいと思います。

海外工事なんて簡単やんけ!と、若手が、不肖43歳に取って代わってくれる日々を夢見て、一句。

読むだけで その気になれる 笑うKF さてさて何人 異国で涙  (へたくそ!)


(写真解説)
1枚目=休暇前
2枚目=休暇後
3枚目=近影
4枚目=花弁

2003年2月23日

インド通信笑うカワセミ現場運営編A(キャンプ建設)

KF読者各位

現場運営編と大見得を切ったものの、海外工事も、日本の国内現場運営と、そうそう変わるものでもありませんので、力まず、「インド西ベンガル流」を、適時、ご紹介していきたいと思います。


まずは、今回は、ベースキャンプ建設から。
(うちのキャンプ横で、ちょうど今建設中の、LOT-5三菱重工さんの現場の様子をお借りしました。重工さんは、ダムの導水管と水門を担当します。)

一枚目
「戦場のピアニスト」のユダヤ人ゲットーを、連想された方、貴方の感性は、海外工事向きかもしれません。
(この休暇に、家族で、立川で、15日の封切を見て来ましたが、さすが、アカデミー候補だけに、素晴らしい出来でした。まだの方は、ぜひ、どうぞ!早くも、脱線・・)

日本の現場では、仮設プレハブ事務所が多いと思いますが、インドでは、プレハブは高価でまだまだ普及しておらず、こうして、レンガとモルタルで、事務所や宿舎を建設していきます。

場所選定のポイントは、なんせ、洪水の来ない高台です。うちは標高230mにキャンプがありますが、裏にカワセミの舞う小川が流れおりますので、雨季には、濁流になりますが、水位的には大丈夫なことを調べてから建設しました。
(僕は、平成5年に、鹿児島で「86水害」を経験しており、あっという間に街が水没して、あの時は、往生しました。でも、人間、日頃は、土地の高低さなんて余り気にしないで、生活してますよね。)

二枚目
インドでは、木材は貴重品で、レンガで事務所や宿舎を組み上げます。木材は高価ですが、レンガなら、1個1ルピー(2.6円)で済みます。

西ベンガルでは、女性が、実によく働きます。ところが、男たちは、昼間からバクチをしていたり、夜には酒を飲んで管を巻いたりと・・・(日本と似てる?)。
彼女達の日給は、経験度に寄りますが、50〜80ルピー程度です。インドにも最低賃金法があり、西ベンガルは、75ルピー(190円)ですが、絵に描いた餅で、なかなか守られていないようです。

キャンプを拠点にして、現場初めすべてが回っていきますので、乗り込み時のポイントは、いかに、早く、これらの施設を立ち上げ、機能させるかです。ただ、インド的にの〜んびりと建設されていきますので、うちの200名居住出来る規模の事務所&宿舎で、建設には、約4ヶ月、掛かっています。

乗り込み時期は、忙しくて一番大変ですが、白紙から色々組み上げれますので、一番おもしろい時期でもあります。

2003年2月26日




インド通信笑うカワセミ現場運営編B(水)


KF読者各位

海外では、生水厳禁というのは、誰もがご存知のことと思います。

私も、ジャワ島時代に、スタッフの結婚式で、出された水を2cmほど飲みましたら、翌朝から激痛で、3日間で5キロ痩せれた経験があります。あとで聞くと、裏の川の水でした。

従い、現場を構えた時には、まず、そこの水質検査を必ずしておく必要があります。水アタリで全員討ち死では、ザマありませんから。水質試験場が現地になければ、サンプル水をペットボトルの空き瓶に詰めて持ち帰り、日本で検査することになります。

うちのキャンプも、1000フィート(300m)の井戸を掘って、そこからの水を使っていますが、それでも大腸菌が多くて、飲料不適の検査結果となっています(インドは、こんな山奥でも、地下300mに大腸菌が本当にいるのでしょうか?正確な検査結果だとしたら、なんと肥沃な大地です!!あるいは、インドの井戸業者が、ちゃんと300mまで掘ってないとか・・・どきっ!)


それで、日本から持ち込んだこのような浄水プラントで、キャンプの水を浄化しています。(写真1)


村人は、毎日共同井戸で、井戸水を汲んで行きますが、これは、完全に女性の仕事です。ベンガル地方の井戸水には、微量のヒ素が含まれているので要注意との乗り込み前情報がありましたが、ここプルリア地方は、ヒ素含有地区からは外れているようです。しかし、この国は、女が実によく働きます。(写真2)


現場では、日本人用には、写真のような、ミネラル水を使っています。20リッターのタンクが、60ルピー(150円)です。一度に150〜200タンクぐらい購入することになります。
ボトルは、西ベンガルでは、コカコーラとペプシブランドミネラル水が手に入り、1リッターボトルで、10ルピー(25円)です。(写真3)


人間が一日に必要な水は、約2リッターですので、この数字を元に、現場での必要量を計算します。水は、切らさないように、注意していますが、山奥なので、早め早めの手当てが肝心です。


日本でも、家庭で、水を買うようになったのは、バブルの80年代後半からでしょうか?100円ショップのダイソーでも、ミネラル水が売られているのをみましたが、日本では水はまだまだ割高ですよね。水と安全は只という感覚がなかなか抜けませんよね、我々、日本人は。

2003年3月1日


インド通信笑うカワセミ現場運営編C(チャイ)


KF読者各位

現場での一服は、ここ西ベンガルでは、やはり、チャイになります(珈琲豆が手に入りませんので、珈琲好きには、ネスカフェを飲んで貰っています)。

どこへ打ち合わせに行っても、必ず、小ぶりな器に入ったチャイ(ミルクティー)を出して貰えます。

ベンガル語では、チャイのことを、チャーと言い、日本語の「茶」を伸ばしたような発音です。

いつも、僕達にチャーをサーブして呉れているうちのオフィスボーイのナレン君に今回は特別出演して貰いました。
現場が始まるまでは、この村で牛を飼っていたナイスガイです。今では、ちゃんと、チャーもネスカフェも作れますし、日本人を皆、さん付けの名前で呼んでくれます。

これは、西ベンガル州の地図ですが、彼の右手が僕達のプルリア地区、左手がダージリン地区です。(なぜ、中指で指すのかは、今度、彼に聞いておきます。もしかして、実は、これが世界の主流で、人指し指で指すのは、日本だけだったりして・・・??)

こんな山奥で現場をやっていると、日本への土産も、何も気の利いたものがないで〜〜と言う所員の声を、研修生たちが、工夫して、形にしてくれました。

ビンテージダージリン茶100gを大成マークの木箱で包んだだけですが、なかなかすっきりしたデザインだと思いませんか?ベンガル文字で、プルリア揚水発電プロジェクトの文字も、ちゃんと入っています。

この州の産直品ですので、手軽で安価なアイテムが、一丁上がりです。

思いつきを形にする、これは、我々建設ビジネスもそうなのですが、ちょっとしたひらめきと意志さえあれば、現場でも、まだまだ工夫の余地は、色々あるのではと思っています。

はい、では、チャーで、一服・・・・

※あっ、折り紙の鶴も、研修生の作品。器用って素晴らしい!

2003年3月5日


インド通信笑うカワセミ現場運営編D(就労ビザ)


KF読者各位

最近の日本では、ソムリエの有資格者にも、就労ビザが出るようになったと聞きました。

インドも、乗り込み前に、大きな疑問だったのが、第3国人に、就労ビザが果たして出るのだろうか?という点でした。10億2千万人もいるのだから、インド人をまず雇用せよと言われて、就労ビザが発給されないのでは?という不安が長くありました。ビジネスビザや観光ビザでの就労が、違法なのは、もちろん、万国共通です。

昔、バリ島の滑走路を建設しました時に、日本人5人のところに、韓国人を17名入れようとして、施主から、なかなか就労ビザの推薦状を貰えず、屁理屈に屁理屈を重ねて、大成は、国際的な建設会社だから、韓国人の社員も大勢居るんやで論で、押し切った冷や汗の記憶がありますが、海外で仕事をやる際に、第3国人に就労許可が簡単に出るか否かは、受注前の大事な調査ポイントです。

インドも、国によっては、相当の差別意識があるようで、今も、パキスタン人には、まず、就労ビザは貰えないようですし、スリランカ人もハラスメントを受けて、なかなか貰えないみたいです。
マレーシア人やシンガポール人は、英領時代に、インド人が、錫鉱山やゴム園の労働力として沢山出ていますから、いわゆる印僑には、割と簡単に就労ビザが、貰えるようです。

写真は、スマトラのバタック族13名です。昨日、現場にやって来ました。バタック族は、トバ湖(地図中央。湖周100kmのインドネシア最大の湖)周辺に生息しています。
戦前までは、インドネシアでは、人食い人種と言われて、恐れられていました(本当です!)。
でも、今は、敬虔なクリスチャンに改宗して、人はもう止めて、豚や鶏を食べるようになっています。

インドで、インドネシア人に、就労ビザが出るのか否か、長く疑問だったのですが、政局や経済の不安定さに乗じて、なぜか、ジャカルタのインド大使館が、就労ビザを13名に呉れました。
(インドネシアは極めてネゴ〜シアブルな、素敵な国です、はい!)

彼らの戦歴は、実に立派で、スマトラ島アサハン(大成&ハザマ)、ジャワ島チラタ1期(大成)、チラタ2期(大成)、スマトラ島ムシ(清水)を、鉱夫として、渡り歩いて来ています。
コスタン(一番背の高い男)を長としたチームで、皆かなり親戚関係が強いらしいです。一番小さいのはコックで、バタック料理担当です。

地下発電所の斜坑を掘るために、うちの現場に参戦してくれていますが、機械掘りできない斜坑を、手掘りで掘るのが仕事です。斜坑ですから、当然下から掘る訳ですが、少々の岩が落ちて来て、頭に当たっても平気なバタック族たちなのです。

ビサ?(出来るか?)、バギマナ?(どうや?)、ボレ?(ええか?)、アパカバール(元気〜?)で、私も含めて、インドネシア経験者の多いうちの現場では、また、英語が陰を潜めて、インドネシア語が飛び交うようになってしまいますが、これも、現場の進捗の為には、ご愛嬌です。

ちなみに、今、うちの現場には、日本人の他には、インド人、ネパール人、マレーシア人、スリランカ人、バングラデッシュ人、インドネシア人が来ています。7ヶ国の混成軍団です。

今んところの、合い言葉は、Family &Pride(家族のために、そして、自分のプライドのために)です。

今回は、内容が、少し硬かったか・・・

2003年3月6日


インド通信笑うカワセミ現場運営編E(ナンを焼こう!)


KF読者各位
 
今回の休暇を利用し、IBMノートR32というペンティアム4搭載マシンをインドに持ち込みましたので、このマシンから、初めてのインド通信です。ペン4の速さは定評通り。しかし、IBMのキーボードの打感は素晴らしい!思わず、撫でてしまいそうです。
 
 
前号Dが少し硬かったので、今回は、少し柔らかなお話で。
 
 
一年半前のインド乗り込み時から、所員たちの間で、せっかくのインド勤務なんだから、キャンプにタンドール釜を作って、タンドリーチキンとか、ナンとかを焼こうじゃないか!という計画がありました。
 
昨年11月、ジャムシェドプールのレジェントホテルに、インド料理の出張サービスを頼んだ際に、ドラム缶で作ったタンドール釜をわざわざ持って来て貰え、その釜でのタンドリー料理が余りに大好評で、その場で、2釜製作を頼んでしまいました(1釜なんと600ルピー=1500円!の安さもあり、2釜頼みました)。
 
3月になって、釜もほぼ出来上がったというので、今回、同ホテルに、設置の打ち合わせで、行って来ました。
 
釜内の熱を上手く伝えさせるために、粘土とかガラスとかを上手く混ぜて釜を製作するので、3ヶ月はかかるとのことでしたが、インドでは珍しく、4ヶ月で製作してくれました。
 
 
こういう機会をすぐ役得にしてしまうので、私はすぐ太ってしまうのですが、事前調査ということで、何枚か、焼いて貰いました。
 
1)生地は、発酵させた小麦粉。
2)軽く叩いて、伸ばします。
3)さらに、空中で、伸ばします。
4)釜の内面に貼り付けます。燃料は木炭(隣のビハール州産)。
5)膨らんできたら、金棒で、取り出します。落とさないように・・
6)バターを塗って、一丁、上がり!(この液体はバターです)
※これで、一枚、12ルピーぐらいです。
 
 
うちのキャンプにも、この釜の受け入れの為に、屋根付きのタンドール道場を建設中で、今月末には、完成予定です。
 
この道場で、残りの4年の工期で、ナン職人を、養成して、日本に送り込むことになります。ナン焼き1級とか、ナン焼き2級とかの、資格証も持たせて、うちの土木屋さんたちには、帰国して頂きましょう。
 
私も、退職後に、新宿センタービルの前で、リヤカーでナン焼いて、1枚50円で売ったら、皆さん、お昼には、買ってくださいますか?


2003年3月9日



インド通信笑うカワセミ現場運営編F(現場の宝)

KF読者各位
 
 
昨日は、砂嵐と豪雨の影響で、停電が都合3回、3時間ほどあり、夕食も、牛ステーキを、蝋燭を燈したダイニングで・・という、西ベンガルならではの一日でした。
 
作業の関係で、今、ジェネレーターを、現場に持って行ってしまっておりますので、キャンプには、今、発電設備がありません。最近は、昼間で35度も珍しくありませんので、50度になるこれからの暑季を考え、キャンプに、発電設備を早く復活させておこうと、昨晩も、カルカッタから戻って来た工事長と話したところです。
 
現場では、持ち場立場で、皆、考え方が違いますので、この辺りの調整が、現場では結構大事になってきます。船頭が複数になると、それぞれの思惑で走ってしまい、物事が、前に進まなくなってしまいます。調整なんて、余り良い響きの言葉ではありませんが、現場で勤務していると、どうしても避けて通れない、日本的な仕事の一つだと思います。
 
しかし、停電で、ふと、思いましたが、最近の日本では、停電とか、イメージ出来ませんよね。でも、実際に、停電とかになったら、大都会の東京とか、どうなるのでしょうか?電車が止まると、インドのように、ひたすら歩いて、家路につかれることになるのでしょうか?我々の発注者は、西ベンガル電力公社なのですが、何時間停電させても、平気の平左ですが、日本の東電さんとか、電力を供給するその日常の努力は、物凄いものがあるのではないでしょうか。
 
 
さて、今回は、現場のスウィーパーたちの紹介です。
 
インド英語では、掃除担当者を、Sweeperと呼びます。もちろん、ここにも、インドのカースト制が生きてます。
 
左から、マチュア、ガネッシュ、シャフカーン。彼らは、このバグムンディ村から通って来てくれています。
 
ダム工事での地元対策ということもあり、キャンプの運営に関しては、多くの村人に参加して貰っていますが、西ベンガル州は、インド共産党マルキシスト派が、30年近く州政権を握っているインドでも珍しい州ですので、彼らも、村を通しての採用ということで、村を通して党費を納めながら、うちに働きに来てくれています。
 
 
日本人用の36室、食堂、事務所と、朝7時から、夕方4時までの8時間(インド労働法では、一日8時間週48時間制です)、ひたすら、床から机まで、磨き上げてくれます。
 
ルームメーキングとかも、ご覧の通りです。いかに、部屋を散らかしていようと、毎日毎日、このように復元してくれます。(ちなみに、ベッドの蚊帳は、マラリア蚊対策です。)
 
机の上に小銭を置いておこうが、この3人は見向きもしません。
 
インドネシア時代は、財布から、持ち主に判らないように、徐々に一枚づつ消えてしまうので、そのぐらいの覚悟で居ろよ!と言われてきたものですが(もう10年余も昔の話ですので、今は、そんなことはないと思いますが)、うちの現場では、これまで、そんなことは、皆無です。
 
インド4千年の歴史とヒンドゥー教の宗教感が、彼らのまじめで、勤勉な倫理感を支えているのでしょうか?(最近、別の部署で、盗みで一人クビにしましたが、彼と彼の親からは、そういう部署に配属した丹下が悪い、次は、盗む物がないような部署に配属してくれ、そうすれば、盗みは二度と起きない!というインド?論理を展開されており、僕は、とんでもない!お前が悪いんやないけ!と抵抗しております。)
 
 
海外では、優秀なスタッフは、砂浜で砂金を掬うようなもので、出会う確率は千に3つとかと良く言いますが、こうしたひたすら、勤勉でまじめなスタッフと言うのも、非常に稀で、貴重です。うちのスウィーパーたちも、こういうのを、「現場の宝」と言うのだろうな・・と思いながらの、現場運営編Fでした。
 
 
では、皆さん、今日も一日、頑張って下さい。

2003年3月12日


インド通信笑うカワセミ現場運営編G(NHK衛星)


KF読者各位
 
10年昔日の感あり、あれっ、10年一昔でしたっけ・・海外ボケで、上手く言葉が出てきませんが、9年のブランクを経て、海外現場に舞い戻った私が一番驚いたのは、海外で、NHKが見れるようになっていたことでした。
 
もちろん、インドでは3時間半の時差がありますが、今、大阪で開催中の春場所とかも、ちゃんと中継(ライブ)で見れるのです。これは、3勝目、朝青龍の○○●、○の画像です(今場所も、気合が入った良い顔です!)。
 
 
今では、海外の現場、どこでも、この程度の設備はあると思いますが、日本でデコーダー(ビデオぐらいの大きさで、15万円ぐらい。)を買い込み、これを海外に持ち込み、現場にパラボラを立て、NHKの電波を拾うことになります。ちなみに、うちは、二町君が、北ベトナム時代に使っていたお古を持って来て呉れたので、これを使っています。
 
 
NHK衛星には、無料のNHKワールドと、有料のNHKプレミアムがあり、日本のBSを想像される方が居られると思いますが、ちょっと違って、海外専用用の番組構成になっています。この2つを見ようと思えば、2台のデコーダーが必要になります。
 
有料のプレミアムは、日本で視聴料(年に4万円ぐらいだったか?)を払うと、パスワードを呉れますので、これで、インドで、De-codeして、画像を拾うようにします。実は、大相撲も、有料番組のほうです、国技なのに・・・
 
ニュースとか、昼どきワイドとか、大河ドラマ、のど自慢、経済最前線とか、なかなか多彩な番組群ですが、なぜか、僕らの飯時には、日本の古典芸能とか囲碁教室とかが流れてしまいます。
 
紅白歌合戦も、このプレミアム(有料)のほうのお陰で、ちゃんと見ることが出来ました。黒部ダム高熱隧道から中継された中島みゆきの「地上の星」では、全員から思わず、拍手が出ました(まるで、力道山とルーテーズ戦のようでした。若い人は知らんか・・)
 
朝のテレビ連続小説「まんてん」は、夜9時半からなので、丁度、飯時の人が多く、結構人気で、私は、内心自慢です(平成6年頃、屋久島いわさきホテルの建設で、鹿児島から約2年間、船で通いましたので、私はあの島の大ファンなのです)。
 
 
しかし、今では、インターネットで、日本の民放各社のネット放送も、パソコンで簡単に見えるようになっていますので(動画は、まだまだ遅いですが)、通信の更なる高速化に伴い、このNHK衛星の寿命も、もうそう長くはないのかもしれません。頑張れ、NHK!!
 
以上、海外現場の厚生設備に関してで、Gの巻でした。
 
では、良い週末を!Have a nice weekend !
 

2003年3月13日

インド通信笑うカワセミ現場運営編H(焼肉大会)


KF読者各位
 
 
現場は海外でも、工事をやっているのは日本の土建屋集団ですので、発想は変わりません。昨日、カルカッタの新任の総領事や各社の支店長が現場見学会でわざわざバグムンディ村まで来て下さいましたので、奥様同伴ということもあり、歓迎の意味も込めて、昼に焼肉大会を開催しました。
 
 
焼肉大会の段取りは、皆さんも、日本の現場で、し慣れているはずですから、簡単に、海外でのコツ(骨)のみ伝授。
 
 
骨法1.
ドラム缶を縦に2つに割る。
横腹に、空気が入るように、大きな穴を開ける(燃焼力に差が出ます)。
炭を置く台は、トタン板状の、波打った薄鉄板が良い(左のドラム缶参照)。
焼きそば用の鉄板は、一枚、溶接し製作する(左奥)。
焼肉用の網も1枚、用意する(網がなければ、このような靴の泥落としでも、代用は可能。もちろん、新品の泥落としで!右手前参照)。
炭は、両ドラム缶で、20キロぐらい必要(右のドラム缶参照。隣のビハール州のネパールとの国境辺りで、良質の木炭が焼かれていますが、1kg10ルピー(25円)程度で、安くて非常に良質です。)
火付け時間は、早めに。余熱で、十分に焼けますし、火が強すぎると、肉が燃えて焦げます。
この程度の設備で、30〜40名分は、楽勝です。
(ネパール人コック助手のラム君にモデルになって貰いました。)
 
骨法2.
網奉行は一名。
うちの場合は、ナイジェリア15年、インドネシア、ビルマで、転戦歴20年の機電屋の信太さんが居られ、心強い限りです。お互いもう40代で若くはないのだから、身体を労わろう!というのが、事務屋の僕との合言葉になっています。
左のコックのラックスマンは、15年ほど昔に、ネパールでマルシャンギ水力発電所をやった時の調理スタッフで、今回も、インドに参戦してくれています。日本料理なんでも可の人柄の穏やかなオヤジコックです。
 
骨法3.
天候は、晴れが望ましい。昨日は32度ぐらいでしたが、少々暑くても、こうして野外で、趣向を変えれば、皆さん、パクパクです。
飲み物は、ビールとジュースと麦茶程度。
ご来客には、冷たいオシボリの準備を忘れないこと。
 
骨法4.
今回のメニュー。
タイ牛肉、ヤリイカ(これもタイから)、村の鶏(串さしで焼き鳥風に)、海老(ガンジス川河口から)、カマス(マドラスから)、焼きうどん、焼きそば、村の野菜(キャベツにニンジンに玉葱)。
サイドメニューで、炊き込みご飯のおにぎり、玉子焼き(だし巻き)、コロッケ、白菜キムチ。
 
 
こんな按配です。  今回は、釈迦に説法だったか・・・
 
 
(おまけ=TOEIC250点コース:筆者レベル)
焼肉大会を英訳すると・・・
 
 
※やっぱ、BarbeQ Party かな・・?!

2003年3月16日

インド通信笑うカワセミ現場運営編I(全休日)


KF読者各位
 
 
今日3月18日(火)は、ホーリー祭というヒンドゥー教徒の祝日で、現場を全休にしています。
 
ホーリー祭というのは、クリシュナ神を敬うお祭りで、お互いが色粉を掛け合い、非常ににぎやかです。インド人たちには、悪戯っ子のベイビークリシュナが、お守りとして大人気のようです。
 
平安時代に那羅延天(護法神)として伝わったビシュヌ神(太陽神)の8回目の化身がクリシュナ神で、9回目が仏陀なんだそうです。なんだか、こういう話になると、インド4千年の歴史の話になり、日本も負けてしまいそうになります。
 
 
色掛けは、スタッフに聞きますと、自分の人生の流れを変え、相手にもその幸運を与えるような意味があると言いますが、はしゃぎながら、お互いに掛け合うのを見ていますと、その時だけ、お茶目なクリシュナ神が宿ったのではというような熱狂ぶりで、ついこちらもインド人化してしまいます。
 
今日は、色粉の流しで、朝からもう3回、シャワーしてますが、色粉を掛けたがるインド人を断るのは、インド仁義に反するようで、今日だけは、もう好きにして〜とばかり、各色に塗(まみ)れました。明日から、わしのところにも、インドの幸運が・・・
 
 
ホーリー祭ということで、ダムも、トンネルも、プラントも、QCも、アドミも全部止めて、一切、作業なしの一日としています。イスラム教徒を使って作業できなくはないのですが、ホーリー祝祭というヒンドゥー教の風習を尊重する意味で、すべて現場を止めています。昨年も、経験済みですから、この辺りは、学習効果、我々日本人側にもありです。
 
 
日本人のある人は、ヘルメットの装具を洗ったり、また、ある人は、次の冬用に毛布を干したり、作業着を自分で洗ったりと(今日は、ドービーたちも休ませています)、そうですね、昔、日露戦争で二○三高地戦を闘った乃木大将とステッセル中将にも、休戦協定日があって、その日は、お互い撃つのは止めていたようですが、多分、こんな感じではなかったのでしょうか?(若い人には、二○三高地と言っても、わからんか・・・・・)
 
 
インド通信、今回で、25本目となりますので、記念に、普段は姿を見せない筆者で、お笑い下さい。こち亀の両津にだんだん似てきたと、家では言われています。本社総務での苦情電話係時代は、雅山に似ていますと、会社に電話を掛けてくるおばあちゃんに嘘をつきっ放しでした。今も深く反省しています。
 
 
昨日、村のホーリー色粉屋台の売り子席で、パチリ。なかなか原色が映えるでしょう!皆さん、ビニール袋で、各色買っていってくれます。
 
そして、今日のホーリー祝日に、スタッフたちとパチリ。天使のパイエルシンも、印度紀香のスチブラタも、今日ばかしは、お顔が一面、どどめのピンク色です。
 
では、Happy Holi!
 

2003年3月18日

インド通信笑うカワセミ現場運営編J(銀行)


KF読者各位
 
 
日本の現場も小払口座を持つように、海外現場も、同じように、乗り込み時に、銀行に口座を開き、竣工時まで長くおつきあいすることになります。国内勤務では余りご縁がないかもしれませんが、保証(Bond=前渡金保証や履行保証など)とかでも、銀行にお世話になることになります。
 
現場の立ち上げと同時に口座を開きますが、その際は、会社のゴム印とか、会社からの委任状(Power of Attorney)とが要りますので、十分な事前打ち合わせが必要です。会社案内パンフも要求されます。うちは、海外では、なんせ名もない会社なのです。大成のパンフは立派なので、日本で最強最大のコントラクターなので、安心して口座を開かせてくれ!と、いつも大見栄を切るようにしています。でも、インド人は数字に賢いので、付属のBSやPLとかを見て、でも、なんで、こんなに借入金が多くて、赤字の年も多いんだ!と切り返されたりします。
 
 
日本では、小切手はいまだにそう普及していないと思いますが、インドや、インドネシアでは、小切手が主流です。(この2ヶ国でしか勤務したことがありませんが、元英領や元蘭領は、多分、どこも同じでしょう)
(画像1)
 
今、国内勤務の人も、来たるべき海外勤務に備えて、サインの練習だけは、日頃からしておきましょう。海外では、日本のような印鑑制度は、極めて稀です。真似されないサインが大事ですが、読めないサインも、困ります(私のは、簡単に真似されてしまいそうですね)。一日に何十回もサインしますので、数をこなせるサインであることも必要です。
 
 
インドでは、2万ルピー(約5万円)を超える現金での出金は、所得税法上、認められていません。2万ルピーを超えると、必ず、小切手での払いが、要求されます。
 
本社から送って貰った資金を現地の口座で管理しながら、施主からの取り上げ金を入金したり、また、材料費や工事費を各業者に支払ったりしています。インドには、約束手形なるものがなく、すべて小切手での支払いとなっています。
 
Account Payee と、左上にクロス線で書くのは、日本の銀行渡小切手と同じ発想です。これで、必ず、受取人名義の口座に一度入ることになります。
 
私は、日々の生活では空手形ばかし切っていますが、インドビジネスでは、約束手形は存在しませんので、預金残高内でしか、切れない小切手システムは、一度慣れると、私のようなぐうたらビジネスマンには、実に便利な良いシステムです。
 
 
 
さて、具体的な銀行ですが、うちの現場は、カルカッタではSCB(スタンダードチャータード銀行)を、現場ではUBI(インド統合銀行)を使っています。UBIは、ここバグムンディ村と、プルリア町の、2支店に口座を持っています。
 
電信振替のような制度がインドにはまだありませんので、郵便やクーリエ便で、銀行間の小切手がやり取りされ、決済されるシステムです。同行間の大きな支店同士では、電信が一部、導入されているようですが、基本的には、銀行間で、小切手を送りあい、やり取りしています。電信でピッ!の世界ではなく、郵便で何日もかけて資金が運ばれる訳です。この時間感覚に日本人は戸惑います。笑う人が居るでしょうが、これは、本当です。非常にインド的で、乗り込み当時は、立ち眩みがしました。
 
 
SCBは1827年設立だったかのイギリス系の古い銀行で、もちろん民間外資ですが、UBI始めインド系の銀行は、ほとんどが国営です。ソ連を真似、社会主義国家を目指していた頃の名残でしょう。顧客満足のような概念は、まだ、インドの銀行ではトレンドになっておらず、結構、インド人は、待たされていますが、うちは最強最大なので、いつも最優先で手続きしてくれ、おまけに、チャイとかも必ず出してくれています。
 
SCBの対応は超一流です。インド人マネージャー(Mr.マヘッシュ)が特に素晴らしく、彼の下、非常に良いチームワークで、いつも、大成をサポートしてくれています。
 
 
(画像2)UBIバクムンディ支店。2階のみで営業。右下は散髪屋。お金がない時が多いので、まとまったお金(40万ルピー=100万円ぐらい)が必要なときは、2週間前には予約しておくようにしています。
 
 
インドの田舎では、銀行強盗が盛んなようで(本当です)、どこの銀行も、入り口は、鉄格子でこのように入りにくくしています。上に鎖が見えるでしょう・・これで、開き幅を調整しています。お客は、この鉄格子をくぐり抜けて店内に入ることになります。太った私は、腹がひっかかり、時々、シャツのボタンが飛んだりしています。(画像3)
 
 
銀行からオーバードラフト(融資)も可能で、今の融資金利は年13〜15%ぐらいです。もちろん、現場が会社に内緒では借りれませんので、融資を受ける際は、本社稟議が必要となります。
 
 
定期預金は、今、年利で8〜9%ぐらい付きます。従い、現場の余剰資金は、まめに、定期化することにしています。1ヶ月定期からあります。預金の源泉所得税は約15%。
 
私も、日本の今の低金利を知っているインド人スタッフから、よくこの国での定期を勧められますが、確かに高金利には惹かれますが、インドからルピー通貨は1ルピーも持ち出し禁止なので、余り気乗りがしていません。
インドでは外貨に交換しようにも、その外貨(US$や円とかが)が手に入りませんし、結局、インドで使うしかありませんので、いくら定期が高金利でも、余り使い道がないからです。
スタッフにも、定期預金を勧めますが、生活に余裕がないスタッフが多く、皆、なんやかやで、毎月、使い切って、定期までは回せないようです。
(注意=うちのようなプロジェクトは、インドからお金が出せないと、いつまでも、日本に帰任出来ません。これは、インド中央銀行(RBI=日本の日銀に当たる)の許可を取り、日本に逆送金をすることになります。これがインド手続きで、また、大変なのです、はい。)
 
 
わしって、元々は経理マンだったんだなあ、やはり素質は隠せないなあ〜と、思いながら、まとめたJでした。つい長文になってしまいました。
(金がないと、現場は全く動きませんので、海外では、銀行業務は、最優先テーマですよ!)
 
 
(銀行逸話)
昨年8月に、統廃合の関係でカルカッタ支店を閉めた東京銀行さん(現東京三菱銀行)ですが、カルカッタ支店は、東銀さんとしては、ロンドン、ニューヨークに継ぐ、戦前からの海外出店3番目の伝統ある支店でした。当時は、インドは鉄と綿花でした。カルカッタの銀行街は、19世紀半ば建設のビルが並んでいる一角にあり、インド帝国の首都としての、栄華の時代を偲ぶことが出来ます。インド共産党CPIMがバックの労働組合に、閉鎖反対でロックアウトされ、膠着状態がもう一年近くになります。ベンガルです。

2003年3月23日

インド通信笑うカワセミ現場運営編K(現地渡給与)


KF読者各位
 
 
毎月25日は、給料日。海外では、現地渡給与(げんちわたしきゅうよ)と呼んでいます。国内勤務の事務の方には、聞き慣れない用語だと思います。
 
我々社員の、会社からの給与は、すべて円が基本になっていますが、海外勤務者だけ、その一部を、現地通貨で受領出来るようになっています。インドなら、円給与の希望額を、インドルピーで、受け取れるということです。
 
USドルを中心にして、円→USドル→インドルピーと、通貨交換を掛けていきますので、対USドルの買いレートと、対インドルピーの売りレートをクロスさせて、当該月ごとに、計算しますので、為替の変動を受けて、インド側での受け取り給与は毎月変わることになります。海外勤務をすると、円高とか、円安とかのForeign Exchange(外国為替)に、すぐ敏感になれます。USドルが噛みますが、単純には、円が強ければ(円高なら)、支給されるインドルピーが増える(ルピー安)という構図ですね。
 
うちの現場は、単身赴任者で、3万円、家族帯同者で8万円ぐらいのインドルピーを、現地渡給与として支給していますが、散髪5〜10ルピー、ジュースが15ルピー、ビールが40ルピー、タバコが60ルピー程度ですので、食費を精算してしまうと、あとは、こうした雑費くらいで、皆、ルピーを余し気味のように思います。(ルピー=約2.5円)
 
この現地渡給与も、CashDispenserの普及で、会社も、この4月から、廃止を決定。その40年余りの歴史に幕を下ろします。一部、特例として、海外僻地専門の事務(えっ、あたしのことか・・!)の間だけで伝承される技として生き残ることになります。
 
インドじゃあとても信じられませんが、日本のカード一枚で、今や世界中で、お金が引き出せるんだそうです。インドでは、その類いの機械にカードを入れたら、一生カードが出てこないか、機械の向こうに隠れている人がパクって逃げてしまうのではないでしょうか・・・
 
 
 
お金の話のついでに、ここで、若者の旅のバイブル、沢木耕太郎の「深夜特急Bインド・ネパール」(新潮文庫)に登場する『ババ札』をご紹介しましょう。
深夜特急、お持ちの方は、BP55「神の子らの家」をご覧下さい。
 
(画像1)
銀行から出て来た際には、紙幣は100枚づつ、ホッチキスで両面から留められています。帯もホッチキス留めで、さらに、輪ゴムが巻かれています。これで、8束、40万ルピー(約100万円)です。新券であろうと、必ず、ホッチキスで両面から留められています。
 
(画像2)
市中で、何度もこのホッチキス留め攻撃を受けていると、このような『ババ札』が出来上がります。沢木時代同様、確かに、今も、受け取りを拒否されます。
時々、何かに混ぜてやろうかと思うことがありますが、山奥の狭い男社会で、日本人同士で、ババ札を巡って殴りあいという訳にもいきませんので、インド人スタッフがサモサとかを買って食べる時に寄付するようにしています。村の食堂では、別に気にせず、受け取って貰えるようです。
 
(画像3)
昨年1000ルピーが出ましたので、これが、今のインドの最高紙幣です。うちの村では、ほとんど流通しておらず、受け取りを嫌がる商店もあります。偽札?と思われているのかもしれません。25パイサ(60銭)から、1000ルピー札まで並べてみました。
 
 
 
沢木耕太郎の旅したカルカッタは、もう30年以上昔のカルカッタですが、今、この深夜特急Bを読み返しても、カルカッタの街の様子は、当時も今も、ほとんど変わっていないのではと思うことがあります。
 
為替は、確かに、大変動していて、このババ札のところで沢木が書いている、1ドル=8.75ルピーが、今は、1ドル=47ルピーですし、沢木当時、たぶん、1ドル=360円近くでしょうから、今が1ドル=118円として、物価も変わっており単純な比較はおかしいのですが、日本は、今、円安、円安と言いながらも、いかに、日本が、戦後、円高傾向に走れたのかがわかります。
 
深夜特急のBは、バンコクを後にし、偶然にもオベロイグランドに泊まるところから始まっていますが、奇遇にも、今うちのカルカッタ事務所は、このオベロイ内に事務所を構えてあり、また、サダルストリートも、すぐ近くなので、彼の泊まったリットンホテルでビールを飲んだりとか、Salvation Army (救世軍宿泊所)付近も、よく散歩しますが、物乞いにしても、路上生活者にしても、ごみに群がるカラスにしても、両替屋の親父にしても、全く当時のままでは・・と思うような光景が至る所に残っているのが、カルカッタです。
 
この沢木の深夜特急に触発されて、一体、何人の若者が、リックと故郷日本を背負って、海外に飛び出していったことでしょう・・・と、彼らの海外挑戦の大和魂に敬意を払いながらの、Kでした。
 
では、ごきげんよう!
 
 
※沢木耕太郎の最新作は、「一号線を北上せよ」(講談社)。私はまだ読んでいませんが、深夜特急が思い悩む旅なら、これは、思い決める旅を綴った本だと、何かの書評にありました。旅好きの方、ぜひ、どうぞ!



2003年3月25日

インド通信笑うカワセミ現場運営編L(食堂)


KF読者各位
 
 
今回は、食堂です。
 
インドネシアでは、キャンティーン(Canteen)と呼んでいましたが、うちの現場では、ダイニング(Dining)と、和製で略して呼んでいます。正統インド英語では、メス(Mess)が正しいようです。
 
 
国内の現場では、お弁当のシステムが発達して、最近はあまり食堂を、やらなくなっているのではと思いますが、海外では、規模は色々ですが、食堂は今でもかなり一般的だと思います。
 
 
飯場(はんば)のイメージ・・と言っても、若い人はわからんか・・、賄い(まかない)付きの下宿のイメージ・・・下宿なんて、これも、若い人はわからんか・・・、まあ、独身寮の食堂のイメージ・・あっ、独身寮も、最近の若い子はわからんか・・う〜ん、そうですね、じゃあ、自分のお家の食卓・・・えっ、コンビニの弁当ばかりしか喰ってねえ〜・・・困った。。。そうですね、皆で、わいわいがやがや、楽しく食べれる雰囲気で、海外現場の食堂は、組み立てを考えればよいのです。これなら、簡単!
 
 
回転を考えて、所員数の3分の2(うちなら24席)程度で、備品準備は十分です。(画1)
 
最近は、日本の100円ショップとかで、お箸なんかも安く買えますので、助かります。お茶碗とかは、人数分は最低準備したほうが、喧嘩になりません。飯を喰いながら、望郷の念に駆られることも多々ありますので、日本で仕入れたお茶碗とか汁椀とかお箸は、必須と思います。プラスティック製の中華箸とか、金属製の朝鮮箸は、緊急以外は止めたほうがよいでしょう。
 
 
うちは、土木の現場なので、朝が実に早い。早い人は、午前5時半には、食べ始めて、6時には、ジープで、山の中へ、山削りに。遅い人でも、7時には、山へ入ります。
 
うちは、大成の現場なので、夜も実に遅い。午後10時に、晩飯を食べて、それからまた、事務所で、深夜までその日の片付け仕事・・という按配です。
 
昔は、雨が3日も続くと死ぬと言われて来た職業ですが、今は、パソコンが普及し、雨でも晴れでも、24時間働ける職業に進化?しています。
 
 
 
単純な比較はおかしいのですが、うちは請負金180億円のダム工事で、日本での工事レベルだと約600億円規模らしいですが、これを5年の工期で、人の波はありますが日本人を約30名投入して、24時間体制で現場を回して、昼も仕出しスタイルで弁当箱を準備して・・・の流れを考えると、コックは最低5名必要となります。食堂も、朝5時半から夜11時までの営業ですから、コックも、このくらいの人数が最低必要になります(年休は、最低16日〜最大30日、与えねばなりません)。
 
うちは、ネパール人のコック1名とアシスタントコック4名の5名で、食堂の切り盛りをさせています。さらに、市場での食材買出しで、インド人スタッフが2名従事しています。
 
 
コックのラックスマン(中央)は、15年前にネパールのマルシャンギ水力発電所新設工事(大成の現場です)で働いていて、魚国さんの派遣社員の方に、調理指導を受けて、今の舌を作りました。。日本料理の味見が出来る貴重なスタッフです(インド人では、なかなかこのレベルにならないそうです。インド人は、香辛料舌なので、日本料理の微妙な味付けが出来ないようです)。私は、インドで10kg増量してしまい、今、鋭意減量中ですが、ラックスマンの実力がわかろうというもんです。
 
 
私が鶏肉を豚肉?と聞くぐらい食に全く無頓着なのに、この荒くれが揃った現場でそう文句も言われずにやれているのは、昔取った杵柄の腕力があるからです・・・(嘘)・・・ではなくて、実は、秘密兵器があるからです。
 
日本のJES社(成田空港で世界に向け日本食材の発送している『築地エキスプレス』を展開している会社です)のバンコク支店から、河合政雄課長に、この山奥にまで、調理指導で、わざわざ来て頂いています(左から2人目)。このJES社の会社を挙げてのバックアップには、本当に助かっています。
 
3〜4ヶ月に約一週間滞在のペースで、包丁一本、さらしに巻いてえ〜〜の感じで、バンコクから、冷凍食材を担いで来ていただき、英語とヒンディー語で、うちのネパーリーたちに調理指導をして下さっています。ネパーリーも、指導を受ければ、自分の技量が格段に向上しますので、真剣に聞いて、必死で調理技を習得しようとしています。日ごろ、口煩い土木屋集団が、河合さん来所時だけは、その料理を前にして、沈黙の集団に変身してしまいます。(画2:河合課長とネパーリーコックチーム)
 
 
自慢ではありませんが、デリーに2軒しかない日本料理屋の一軒「た○ら」のネパール人コックのナビン君は、昨年暮まで、うちの食堂で、コック助手をしていました。カトマンズの大学に行くというので、帰任を認めてやったら、すぐ、受験勉強を諦め、なんとデリーでコック職(助手ではない)を見つけたようです。私は5月にデリーに出る予定があるのですが、「たむ○」で、お蕎麦かなんか頼んで、プルリアから乾燥ゴキブリでも持っていって、こっそり入れて、「なんじゃい、こりゃあ!コックを呼ばんかい!」と、ナビンに、凄んで来る予定です。
 
 
では、最近の夕食を、ご紹介して、L食堂の巻を終わりにしましょう。
 
1)サンマ定食(画3)
冷凍サンマを、バンコクから空輸しています。この山奥では川魚しか手に入りませんが、インドの川は、人から牛からなんでも流しますので、タイからの海魚の贅沢をしています。
 
2)豚骨ラーメン(画4)
スープは、村の豚を使いました。麺は、タイ国アユタヤ産の中華麺です。ブランド名のみ、なぜか、キシメンです・・・名古屋出身の人が、タイで麺作りしているのでしょうか?紅しょうがは、日本から。
 
3)うな玉丼(画5)
日本人は、ウナギで精が付くという信仰があり、人気メニューです。インドの川には、人を食った巨大なガンジスウナギが居るはず(ほんまかいな?)ですが、なんせ川が川ですので、このウナギもタイから輸入しています。
 
 
えっ、インド料理が、食べてみたいって?馬鹿言うんじゃあ、ありません。1回だけなら、美味いけど、連続で3日も食べりゃあ、香辛料のせいで、身体が黄色くなって、カレー味の汗が出始めて、労働意欲も沸いて来ません。
 
 
日本は、桜も満開で、お花見の季節と思います。今週も、頑張りましょう!
 

2003年3月30日

インド通信笑うカワセミ現場運営編M(ロジスティックス)


KF読者各位
 
 
西ベンガルも暑くなってきました。今日の午後3時の日陰の気温計です。(画1) 日向の気温計は、直射で参考になりませんが、42度でした。乾季真っ盛りの5月は、こんなもんではありません。
 
 
 
ロジスティックス(Logistics)。海外では、よく耳にする言葉です。
 
Logistics=軍隊用語では、兵站(へいたん)=輸送、宿営、兵糧とかを指すのですが、現代では、もっと広い意味で、多くの人や機械を組織的に成功裏に動かすための実務的なアレンジメントと、訳されて、使われているようです。
 
Lが食堂でしたので、今回は、ロジスティクス。中でも、うちの兵糧(食料)の解説をしておきましょう。皆さんが将来、海外現場を担当する際の参考になるかもしれません。
 
 
イラク戦争でもそうですが、兵站で、圧倒的に、優れているのは、アメリカ軍です。思想が違い過ぎます。旧日本軍でしたら、お米1升渡されて、あとは現地でなんとかせいや・・の世界でしょうが、昔も今も、完全に準備した状態で、乗り込むのがアメリカ的発想です。あの砂漠でも、冷房の効いた戦車の中で、多分、アイスクリーム舐めながら、高速キャタピラを回しているはずです。
 
私は、20代の最後を東ボルネオで、LPGガスプラントの工事に従事していました。米国べクテル社が乗り込みを担当した現場でしたが、赤道直下の僻地に、飛行場あり、学校あり、病院あり、スーパーマーケットあり、ゴルフ場あり、部屋は8畳の個室で、トイレ、温シャワー、クーラー、冷蔵庫完備と、圧倒的な思想の差を感じたものです。
 
 
 
さて、うちの現場ですが、兵糧(ひょうろう)は、次の5つのルートから、入れています。
 
1)村の市場から毎日
野菜、鶏など。ベンガルでは、牛蒡(ごぼう)以外のほとんどの野菜が手に入ります。タマネギやポテト、トマトに限られるパキスタンとかの過酷さに比べれば、非常に恵まれた野菜環境です。(画2)
 
 
2)ジャムシェドプールの市場から週一
ハム、ソーセージ、バター、豚肉、果物、パン。海海老、マナガツオも時々。90キロ先のTATA製鉄の街で、80万人都市ですが、物資はあるようで実は期待ほどではありません。うちの現場の唯一の帯同家族も、この街に。
 
 
3)ネパールから月一
米と味噌、醤油。
カトマンズから、ネパール国境のラクソールを経て、ジープで、うちの現場に入ってきています。国境でよく止められるようですが、出荷から入荷まで、約5日です。洪水の時期は、約半月かかります。
インド米はインディカで、パサパサの細長い粒のカレー向きの米です。我々は、ネパールの短粒タイプのジャポニカ米を購入しています。
沢木耕太郎の深夜特急Bの第8章「雨が私を眠らせる」で、彼は北上していきますが、うちの米は、沢木と同じルートを、逆に南下させて来ています。
米も腐りますので、2ヶ月分の貯蔵が適量でしょうか。うちは、600キロをストックするようにしています。一人当たり月8〜10kgを消費の目安にしましょう。米も息してますので、下にパレット板を忘れないように!あっ、インドは、米は輸入禁止です、あしからず。ジュート袋で仮装して・・・(画3)
 
 
4)バンコクから月一
これは、冷凍食材(サバ、サンマ、タイ牛肉など)と、タイ産の業務用食材類(kg単位のQPマヨネーズ、キッコーケン醤油。キシメンブランド中華ソバなど)を、JES社バンコクより購入しています。
カルカッタ空港での、税関や植物検疫とのネゴ話は、またの機会に。
バンコクからの輸送カーゴ代が、1kg=500円見当で掛かります。
 
 
5)日本から月一
基本調味料(みりんとか、料理酒とか、鰹節とか、サラダのドレッシングとか、ハウスのほんとうふとか・・)を、JES東京本社より。
インドには、個人毎で、年間に1000ドルまでの食品輸入の免税枠がありますので、これをフルに活用しています。12名日本人がいれば、毎月免税輸入できます。なお、1000ドルは、CIF価格(輸送費込みインド渡し価格)です。
日本からの輸送カーゴ代は、1kg=1300円ですので、東京からの食材は、2倍以上の価格になってしまうと考えればよいです。(画4)
 
 
 
冷凍食品の保存では、冷凍庫が必要で、インド製は頻繁に故障するものですから、3台の冷凍庫と、4台の冷蔵庫を使っています。インド製は、買った翌日から見事に故障してくれます。
カルカッタから届いた氷漬けのマナガツオを前にして、思いっきり長期停電、その日の晩飯は、一人頭、豪勢に、2尾出しました。融けて痛むのだけは、止めようがありません。
 
 
毎晩コンビニの弁当ばかりで、何かを作るのに、何を準備すればよいのかわからんって?日本で生活していると、便利だから、ついこうなりがちですよね。独身の人は、早く嫁さん貰って、スーパーでも一緒に買い物に行けば、何が必要かすぐわかりますよ!
あと、自分で調理する自炊技は、海外勤務では必須かもしれませんね(わしは、せんけど!)。
 
 
食材注文表は、電子シート化しているので、いつでも、お譲り出来ます。食材注文履歴としても残せるし、実に、便利な時代だと思います。
 
 
今回は、ちょっとSeasoned・・な(味付けした)話題でした。



2003年4月2日

インド通信笑うカワセミ現場運営編N(病院)


KF読者各位
 
 
週末に、バナラシで沐浴、ブッダガヤで瞑想の旅に出ておりましたので、ご無沙汰となりました。ガンガー(ガンジス河)で来世に思いを馳せ、菩提樹の下で釈迦の想いに包まれ、インド2年間での精神の垢を落として参りました。
 
 
さて、今回で、現場運営編も早や15回目。現場にあってはならないもの、しかし、付き物なもの・・・で、今回は進めて参りましょう。
 
 
いやな響きの言葉ですが、それは、事故、Accidentです。
 
事故と聞いて、なんや〜あ!と、席を立てなくなったら、現場の事務は、もう引退すべき時期でしょう。九州の時は、一日に3回ぐらい、なんや〜あ!となり、3回目には腰が抜けたことがありました。やはり、現場の事務は、足腰が勝負です。
 
 
事故対応は、国内も海外も、全く変わりません。
応急手当をして、病院に担ぎ込むのも、その後の対応も、全く一緒です。
従い、国内では、現場の乗り込み時に、どの病院で、どんな怪我や病気に対応するのかを決めておきますが、これは、海外でも全く同じです。
 
 
国内と、ちょっと違うのは・・・・そうですね、何点か挙げてみましょう。
 
1)海外では、救急車を準備したりします。
こんな山奥では呼んでも救急車は来ませんので(インドの都市部には、救急車は存在します)、自分達で運行することになります。これは、スズキマルチ社の四駆です。中に、ちゃんとベッドも付いています。インドではオートマ車は普及していませんので、クラッチ操作は日本で身につけておいて下さい。坂道発進が出来んって?インドでは牛が止めてくれるから大丈夫です。(画1)
 
 
2)蛇に噛まれた時の血清があります。
インドネシアでは、蛇に噛まれたら、毒が回って倒れる前に、その蛇を噛まれなかった方の手で逃がさず掴んで、病院に駆け込む、先生はその蛇を見て、血清を特定するというのが、チラタ1期で先輩から教わった技でした。本当にそんなことをした人が居たのかどうかはチラタの数多い謎の一つになっています(合掌)。
インドは、さらに蛇の本場で、キングコブラとかインドコブラとかが居りますので、覚悟して乗り込みましたが、カルカッタに、コブラ初め4種類の蛇に効く血清を発見。これを現場に常備しています。インドは、HIVの確率も非常に高いので、使い捨ての注射器も、血清と共に、冷蔵庫に保管しています。(画2)
誰が注射するかの問題は、血清確保の次に出て参りますが、遠い昔Black Jack志望だった私がチクリとやっても良いのですが、子供の頃に、昆虫採集で捕らえたカブト虫とかに防腐剤を注射して以来の腕前ですので、ちょっと自信はありません。
 
 
3)病院もこんなレベルです
うちのバグムンディ村の病院です。村人用の病院ですが、病院のある村は、インドではまだ良いほうです。ファーストエイド(応急措置)のレベルの病院ですが、傷の縫合がとても上手な先生が、裏の家に住んでおり、村人からは、赤ひげ先生の扱いを受けています。うちの現場も、ここで応急措置をしています。入院も出来ますが、寝るだけで他の病気を貰いそうで、ちょっと度胸が要ります。(画3)
(赤ひげ診療譚=山本周五郎の小説にあるから、若い人は読んでおいてね!)
 
そして、(画4)は、ジャムシェドプールの病院です。現場からは、90キロ、約2時間離れていますが、タタ病院と呼ばれ、タタ製鉄が経営している大病院です。Intensive Care UnitとかCTスキャンもあります。大企業の付属として、経営されている病院が、インドでは多いようです。ここなら、安心して入院出来ます。ただ、英語で自分の症状を伝える能力が要求されます。
 
なお、インドの病院では、薬は呉れず、処方箋を元に、外の薬局で、調合して貰い、買って来ることになります。
 
 
 
海外で、現場をやる時にやはり一番困るのが、怪我とか病気とかの対応で、どうしても日本並みにはいきません。逆に言えば、日本が恵まれ過ぎているのかもしれません。
 
 
現場としては、緊急用に、バンコクの日本語の通じる病院(バムルンラード総合病院)も紹介して頂いておりますが、やはり、日本の病院のほうが、意思疎通が簡単で患者もご家族も何かと安心できますので、急患が出た場合は、日本での治療を念頭においております。
 
 
幸いなことに、うちの現場は、これまで、大きな怪我や病気は出ておりません。
海外僻地ゆえに、怪我する訳にも、病気をする訳にもいきませんので、皆、逆に、敏感になっているのが、幸いしているのかもしれません。
 
以上、今回は、非常にまじめなお話で、Nでした。
う〜ん、沐浴すると、文体が変わりますね。
 
では、皆さん、ごきげんよう!
 
 
===~~〜  (インドコブラのベロ)・・・えっ、ちょっと違うか!?・・・


2003年4月9日

インド通信笑うカワセミ現場運営編O(メンタルケア)


KF読者各位
 
 
昨日は、26キロ先のバラランプール村が、騒乱罪を適用されて突如道路閉鎖。一昨日に、トラックが、警察署の前で5歳の子供を誤って轢き殺す事故あり、その事故を見ていた村人が、その運転手と助手をトラックから引き摺り降ろして、その場で2人を撲殺、それを止めに入った警官のうち1名も巻き添えで刺されて重傷。12時間後に閉鎖解除になりましたが、うう〜ん、なかなかHOTで激しいインドです。
 
 
 
前回は病院でしたので、Oも、その流れで、精神衛生について。
 
 
もう17〜18年前になるのですが、初めての現場チラタ1期の時に、先輩から、海外で、工事に携わっていると、もう心身ともにボロボロになるので、事務の方からは、その辺りの目配り、気配りをしっかり頼むぜ!と言われたことを覚えています。
 
確かに、海外工事やってますと、日本とは違う環境で、言語も違いますし、さらに、厳しい工程と予算、施主からは過大な要求、エンジニアからは理不尽な判断、なかなか動かない現地下請、権利主張だけは一丁前のスタッフ、言葉の全く通じないレイバーたち、すぐ壊れる機械、何にも無い建設資材、度重なる停電・・と、両手両足でも足りないぐらいの困難苦難が、待ち構えていますので、身体も心も、あっという間に、見事にボロボロになれます。国内でスピード感に乗った仕事を体得していた工事の方は特にそうかもしれません。朝も、身体が重くて、このまま、また、酒飲んで休んでしまいたい気分というのでしょうか、眼の前に巨大な山が立ちはだかるような感じで、なんでこんなインドくんだりまで流されて来てるのかと自分の人生の不運に涙し、トホホホという感じでベッドからやっと這い出る毎日に陥ります。
 
で、ボロ2になりながらも、更にボロ3やボロ4になると、もう仕事になりませんので、皆さん、毎日工夫して、再充電しながら、自身をやりくりしています。くわ〜〜、もう朝や、今日も働くで〜!の気分で、ベッドから飛び起きる感じにならにゃあ、建設業はやれません。
 
 
そのために、もう何が大事と言っても、海外は、気分転換が一番大事です。眠れれば、元に戻れて、復活出来ますが、仕事で、追い詰められて来ると、夜も眠れなくなって来て、リチャージが出来なくなります。が〜んと眠って、すっきりした気分で朝を立ち上げねばなりません。
 
 
うちの現場では、工夫と言うほどでもないのですが、気分転換の一環としてやっていること、国内の方には笑われるかもしれませんが、次のようなことがあります。気分転換グッズも、無いなら無いなりに、こなしてしまうのがうちの社員ですが、全く無いとなると、やはり駄目で、ゼロと0.1の準備の差は、結構大きいものがあります。余り参考にはならないかもしれませんが・・・
 
 
1)ビールは潤沢に準備
これは、カワセミという名のビール。650ml瓶で、40ルピー(100円)。開高健だったか、一瞬幸せになりたかったら酒を、3日幸せになりたかったら結婚を、一生幸せになりたかったら釣りを・・と言っていたと思いますが、けだし名言だと思います。もちろん、全額個人負担で、一種の幸せに浸って、気分を開放しています。イスラム禁酒圏の方には、申し訳ないような環境です。
 
2)漫画を日本から
日本のBook Offで百円本を買って、持ち込んでいます。明日の活力が出るようなマンガに人気があります。倒れても倒れても立ち上がるような主人公とか、難問奇問を見事解いてしまうような主人公とかの漫画ですね。「あずみ」とか「お〜い、竜馬」とかの歴史物も人気ありです。「課長島耕作」も、現場で一時流行ました。「美味んぼ」「味いちもんめ」とかもほとんど揃っていますが、インドで無い物ねだりになるからか、人気は中程度というところです。
 
3)床屋さんの出前
出張サービスなので、村での3倍料金(カットで15ルピー!)ですが、2週間毎に、来てくれて、キャンプの中で、事足りますので、結構人気です。一頭、40円です。村なら、5ルピー(13円)なんですが・・
 
4)宿舎に花壇
バラ、ハイビスカス、ベゴニアと、一鉢20ルピー(50円)で、安いもんですから、市場で買って来ては並べています。インドの花は、少ない大地の栄養をなんとか吸ってやっと咲きました!というのばかりですから、実に良い色です。
 
5)家族への電話
日本まで一分間34ルピー(85円)ですが、もちろん個人負担ですが、多い人で、月に10,000円分ぐらいは電話しているでしょうか?頻繁に断線しますが、家族とまで断絶する訳にはいきませんので、皆、短い時間でも、まめに電話しているようです。
 
6)映画のDVD
皆のパソコンには、ほとんどDVDドライブが装填されていますので、DVD文庫を作って、皆で、回し見しています。洋画も手軽に見れるし、英語字幕で、英語の勉強も出来るし、よい気分転換になるしで、一石三鳥ぐらいの効果があります。「スパイダーマン」が人気です。
 
しかし、書き出しているうちに、こちらが気恥ずかしくなるくらいで、インドって、なんでこうなの・・という感じですね。
 
 
 
あとは、建設業の宿命というか、うちなんかは、山奥の現場なので、皆、単身赴任して来ています(独身も若干居ります)。それで、単身者にとっては、ダム工事の長い工期ですので、自分の心身に加えて、日本に残して来た家族のケアがとても大事になってきます。こうした絆(きずな)は、電話とか、手紙とか、最近では、e-mailとのでのやり取りで、かろうじて維持している状態です。
 
 
やはり、日本の家庭が落ち着いてないと、海外で安心して働ける訳がありません。子供さんのケア以上に、実は、奥さんのケアのほうが大事なように思うのは、40代の前半にしてすでに単身歴10年(結婚歴19年)になる筆者からのアドバイスです。そこの若い人、ゲットした彼女は、大事にしなさいよ、釣ってからが、大事なのよ、女性は!
 
 
幸せの重点を何に置くかの価値観の問題になるのかもしれませんが、こうしてスーツケースにヘルメット1個詰めて、パソコン抱えて、世界の現場を渡り歩く僕らのような仕事は、確かに身軽で、単純で、仕事も面白いんですが、しかし、醒めて考えると、「出稼ぎ」みたいなもんで、実に因果な仕事やなあ〜と、思いますね。
 
 
最後に、瀬戸大橋を架けた本四公団の杉田秀夫さんが、母校丸亀高校で講演した時の言葉(NHKプロジェクトXより)。
「橋を作ることより、もっと難しい人生がある」
 
 
では、今週も、頑張っていきましょい!
 


2003年4月13日


インド通信笑うカワセミ現場運営編P(インド英語)


KF読者各位
 
ブッダガヤの釈迦が悟りを開いた菩提樹の下で、私も、仏の御心に触れて、改心したはずなのに、わずか、一週間で、また、椅子を蹴り飛ばしながら、インド人を叱咤激励?する元通りのあたしに。でも、現場は、鉄火場なんで、これも仕方ありません。暑季真っ盛りですが、この暑さのせいにしてはいけません。日陰で42度ぐらいの寒暖計も、太陽に曝すと、1分程度で、あっという間に、47度ぐらいになります。現場作業の工事の皆さん、本当にご苦労様です!
 
 
 
しゃべりなくして、海外現場は出来ませんので、今回は、語学で。
 
 
私の使用可能外語は、インドネシア語と英語なのですが、すべて現場での必要性に迫られて学習したもので、事前に会社で研修を受けてとか言ったものではありません。いわゆる叩き上げ、駅裏留学コースと言う奴で、全然、会社からは特別にお金を掛けて貰えずに、ほら、行って来い!で、現場で現地学習したものです。
 
 
四国の公立高校でしたので、さすがに、外人教師などは居ませんでしたが、かなり高いレベルの英語教育を受けていたはずなのですが(同級の女房がそれを証明しています)、まさか、土方をやることはあっても、自分が英語を使う仕事をやるなどとは思いもよらず、いつも授業中寝ていたのが、災いして、今でも、HerとかHisとか、複数形とか時制とかもチャンポンのエグイ英語を使っています。
 
ただ、27歳で入ったインドネシアでは、3ヶ月で話せねばあとは何年居ても同んなじぜ!と先輩からド発破掛かって、必死でインドネシア語を覚えた記憶がありますが、しかし、英語は、なんでこんなに上達しないのか?文法が複雑すぎるからか?脳ミソが歳を取り過ぎたか?音感が悪いからか?身体に合わんのか?
先日も、BBCで、ブッシュが、フセインがなんたらかんたら言ってましたが、その1割も聞き取れなかったです。
 
英語も、中学の頃から、習ってましたので、もう英語歴30年ですが、ゴルフと同じで、何年やっても、全く上達しません。ゴルフもヘタの横好きで、いつまでたっても120ぐらいで軽く回ってしまうレベルですので、英語とゴルフは決定的に身体に合わない何かがあるのでしょう。(陰の声:全然練習せんからやんけ!)
やはり、日本も、インドのように小学生から英語をやらせるべきじゃあないでしょうか?(あっ、自分がヘタなのを、学校や先生や教育制度のせいにしてる!)
 
 
先日、キャノンの御手洗社長のインタビュー記事を読んでいたら、米国キャノン販社時代に、お前なんか、もうFire(クビ)だ、が、えっ、Mr.御手洗、もう、Hire(雇用)してくれてますやろと、軽く米国人スタッフにかわされた・・とあり、思わず笑ってしまいましたが、私も、この類の話は、インドでなんぼでもあります。
 
 
印パキ紛争地帯のカシミール地方には、トンネル技師多く、うちも、何人かこの地方の出身者を雇っていますが、先日も、咳が出るので、薬をくれと来ましたので、Do you have a cold ?と聞きましたら、彼は悲しそうな顔をして、?、Do you get a flu ?と聞いても、更に、??、お前、英語しゃべれるよな?と聞いたら、Of course !!で、ありゃ、また、わしの発音が悪いのかな?と思いながら、紙に書いても、それでも、Cold もFluも、彼には???でしたので、咳やから、風邪薬で大丈夫やろうと、薬をやって、現場に出しました。
翌日、インドでは、風邪をFeverと言わないと通じないわ・・と、デリーから来ているパイエルちゃんに教えて貰いました。
Do you have a fever ?と、聞けばよかったのです。
 
 
通じないと本当に疲れるのですが、発音は悪い、文法は目茶苦茶、口数だけで、インド人とやり合う訳ですから、体力英語というか、もう夕方になると、へとへとになってしまう英語です。
 
 
 
片岡義男さんという62歳になる作家がおられます。私は、学生時代からのファンなのですが、この日系3世の影響を、考え方や生き方の面で多分に受けてます。単車乗りという点もそうです。
 
 
片岡さんの最新刊『英語で言うとはこういうこと』(角川Oneテーマ21文庫)から、敬意を表しつつ、一部、借用させていただきます。
 
以下、す〜っと、口から出てくれば、貴方は、相当な英語力があると思いますよ。英訳してみて下さい。
 
a)政府は見て見ぬふり
b)ここが平和なのは、軍事力のおかげです
c)スピード違反で切符を切られた
d)都心から一時間
e)地元にある隠れ家のような居心地のよい小さな店
f)顔に出ているよ
g)面倒なことになりますよ
 
どうですか?
日本語を、英語にす〜と昇華させるのは、やはり、センスとか持って生まれた血のようなものでしょうか?
 
 
英語の教材としては、いつも、色々買うので、家で、その投資費用対効果で笑われていますが、インドで愛用しているのは、研究社の『アメリカ口語教本』で、赤、緑、青、茶とありますが、今の私のレベルは、せいぜい、緑と青の中間ぐらいでしょう。茶となると、学校で習った気はするのですが、もう手が出ません。
 
 
まあ、死ぬまでが学習といいますので、千里の道も一歩ずつの語学修行は、Still going on !です。
 
 
日本でも、第2回目の海外作業所事務研修の募集が始まったと聞きます。若い皆さん、長い人生、半年ぐらいは寄り道して、インド英語の世界に浸ってみるのはどうでしょうか?私のように、40過ぎてから後悔しても、出るのは冷や汗と愚痴ばかしですよ。
 
 
 
★片岡義男さんの英訳だとこうなります。★
a) The government looks the othe way.
b) There is  peace here, because the military is here.
c) I got a citation for speeding.
d) within an hour of the city center
e) a cozy little neighborhood place
f) It is written all over you.
g) It could spell trouble for you.
 


2003年4月16日


インド通信笑うカワセミ現場運営編Q(スタッフ)


KF読者各位
 
 
日本から朝顔の種を持ち込んで3月に蒔いておきましたら、今朝、咲きました!日本の花の色は、実に良いですなあ〜〜透けるような夏の色です!!(画1)
 
 
SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)が、とうとうインド上陸のニュースが、18日付の新聞に。西海岸のゴアで、患者発見で、Virus touches shore at tourist hotspot と報じられています。ウイルスが海岸に触る・・と、インド英語の発想はおもしろい。
 
ゴアは、日本人には余り馴染みがないかもしれませんが、アラビア海に面したリゾート地で、1961年までポルトガル領でした。鹿児島に布教で上陸したフランシスコザビエルが帰路ここで亡くなり、彼のミイラが安置された教会があります。従い、今は、キリスト教徒の聖地となっています。
 
 
現場運営編も終わりが近づいて来ました。インドでの現場運営は独特で、余り参考にならないようにも思いますが、まあ、場所や時代が変われば運営も変わるわ!の精神で、気軽に読んでやっていただけたらと思います。では、今回は、現地スタッフについて。
 
 
 
インド乗り込み前に予想されていたのが、西ベンガルは共産主義の州政権が30年近く維持されており、うちの建設現場でも、頻繁にストライキが張られるだろうということでした。
 
7名集まれば、組合が合法的に結成出来ると、Union Lawでは、規定されており、直接雇用も極力避けて、せいぜい直雇6名までで現場をやるか、人材派遣の外注を中心としたスタイルでやるか・・と思いながら、現場を始めました。結果、直接雇用ゼロ、すべて外注スタイルで、ここまで来ましたが、これは、今のところ、正解だったと思っております。もちろん、インドですから、今のところ・・です。
 
 
海外工事では良いスタッフは、砂浜で金の粒を掬いだすようなものと、よく言いますが、本当に、せんみつ(千人に3人)というか、そんな割合でしか、優秀なスタッフとは出会えません。人材の豊富な日本でなら、とおはち(10人に8人)ぐらいは、金の延べ棒がごろごろの感じじゃあないでしょうか?
 
 
海外では、自分でやると一人工(いちにんく)のままなので、いかに多くのスタッフを、自分の手足の如く使えるかが勝負の分れ目になります。ただ、どやしつけても、彼らが、動く訳ではなく、やはり、こちら側が、自分でもすべて出来ることを、彼らに示してやりながら、更にお互いに、より良い方法を探ることが必要です。彼らの外国人を見る目は鋭く、空威張りしていても、すぐ化けの皮が剥がれてしまいます。スタッフにハードワークを強いる以上、自分も、それ以上のハードワーカーで、臨まねばなりません。
 
 
高校の時の教頭先生が、よう言うてました、山本五十六長官の「やって見せ、言うて聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」
これが、インド人スタッフを使う時にも、全く、当てはまってます。こっちがまずやって見せて(だから自分で出来なければなりません!)、カタコト英語でも彼らのツボに入るように説明して聞かせてやって、そして、やらせてみて、上手く出来たら、拍手してようやったと褒める・・・これが、インドでのコツです。(やまもといそろく:旧日本海軍連合艦隊司令長官)
 
 
やはり、そこでは、お互いの信頼と尊敬がないと上手くいきません。お互いが、人間だからです。この辺が、吼えれば、相手が聞くと思っているインド嫌いの日本人には理解が出来ないところです。わりと、海外に慣れてないと、ついついこう走りがちですので、要注意です。
 
 
 
現場は、本当に、色々な職種が交じり合っていて、色々なインド人の努力で、維持されていることが、わかります。インドの現場ですから、主役はもちろん、インド人ですね。
 
 
うちのインド人スタッフを見ていますと、職種には貴賎はないのですが、本人のやる気というか、その取り組み方自体に、貴賎が生じていて、結果大きな差が、個々人に、出来ていると思います。
 
以下、何職種かを、ご紹介してみましょう。
 
(通門管理:画2)
会社でいえば、受付のようなものです。ここで、記帳し、入場バッチをつけないと、キャンプ内には入れません。4名のチームでやらせています。鉄門とかも、無いと、誰もが勝手に入って来て良いよと、インドでは解釈されるようですので、必要です。インド共産党が勝手に張り紙をしていくので、Stick No Biils とペンキで書かせました(張り紙駄目よ!の意味です)。
 
 
(現場車両の点検:画3)
村からの運転手ですが、オイルの点検ぐらいは出来ます。村からだけで、20名余、来て貰っています。村道で乱暴な追い越しを掛けた村の若者運転手を即刻クビにしたら、党リーダーからは、不当解雇だ、運転手全員でストを張るぞと脅されています。やるなら、やってみんかい!と撥ねつけていますが、この辺の駆け引きは、日本と、全く同じです。この若者、党リーダーの親戚なんです。
 
 
(夜間警備:画4)
顔は怖いですが、キャンプの庭に例のパンゴリン(センザンコウ:穿山甲)を放し飼いにしてましたら、彼が怖がって、夜中に叩き起こされたことがあります。キャンプの警備チームは3名のチームです。
 
 
 
あと、倉庫番3名、キャンプの清掃係3名、ドービー(洗濯係)5名、食堂コック5名、食材調達班3名、資機材調達班2名とか、アドミだけでも、こんなに大人数が、大成の旗の下、毎日、勤勉にしこしこ働いてくれています。
 
 
1年3ヶ月前のキャンプ立ち上げ時に比べ、色々なことが規則正しく回るようになり、随分落ち着いて来たように思います。
 
 
出来高も20%弱で、今年、来年が勝負の年ですが、スタッフが伸びてくれて、私が居なくても、組織が、トラブルや事故含めて、いろんな事にスムーズに対処出来るようになるのが、やはり事務屋冥利というもんでしょう。もちろん、まだ完成途上ですが、うちのインド人たちは優秀なので、十分に目標達成可能と思っています。
 
 
現場運営編は、Sまでで、あと番外編をおまけで何本か付けて、締めたいと思います。では、皆さん、今週も、良いスタートと、なりますように!
 
2003年4月20日


インド通信笑うカワセミ現場運営編R(ご近隣)


KF読者各位
 
 
インドも、暑季真っ盛り。連日40度(日陰で!)を越える暑さで、1月頃には、フリースを羽織って、寒さに震えてたのが、ホントにあれは現世だったのか・・と思ってしまうような、うだるような毎日が続いています。
 
 
ただ、暑季も良い事あり、とうとう、インドにマンゴの季節がやってきました。わたしゃ、これには、目が無いのです。
 
これは、プルリアの街の露天商なんですが、とうとう、西ベンガルにも、出回り始めました。ベンガル語では、マンゴを、ア〜ム(Am)と言います。(画1)
 
インドネシアの時は、女房を質に入れても、旬のドリアンを食べるという諺がありましたが、インドにも、同様の諺があり、特に、この時期に出回るムンバイ産のマンゴは、アルファンソーと呼ばれ、非常に甘くて香りも良く、珍重されています。熟していると、口の中が発酵果汁で、本当に痺れます。皮膚の弱い人は、口の周りがかぶれるほどです(Mango=漆科)。日本の皆さん、こんな美味いものばかり、インドで食べていて、どうもすいません。
 
 
 
さて、現場運営編も終わりが近づいて来て、今回は、ご近隣です。
 
 
日本では、現場を担当して、ご近隣問題で、悩んだ人も多いのではないでしょうか。これが、実に難しい。建設業の宿命と言えるテーマかもしれない。私は、日本の現場は、鹿児島と福岡しか知りませんが、ご近隣問題は、こじれ出すと、とことんこじれるし、作業所で所員全員が一番知恵を絞るテーマではないでしょうか。昔、本社で苦情電話係をしていた頃も、頂いた電話の半分以上は、ご近隣関係だったように思います。それほど、簡単に火種になるし、表があれば、裏もあり、取扱いが、非常に難しい。日本の現場の場合、施工計画以上に、所長と事務担当者が一緒になって、気を遣うテーマになっているのではないでしょうか。世間には色々な方が居られて、裏の裏がすぐ表になったりと、侮れません。
 
解決のコツ?そうですね、こちら側が、ご近隣側の立場での感覚を、忘れないことでしょうか。
 
しかし、何も無い更地から構築物を立ち上げる我々の建設業からは、機械音や作業埃、あるいは、建設労務がなくなる訳がありません。杭打ちの音がうるさい、現場からの埃がすごい、ペンキが飛んだ、道路に汚泥が落ちたまま、弁当ガラが公道に散乱している、コンビニの駐車場で昼飯を喰うな・・などなど、有形無形のご近隣問題が、我々の周りには転がっていますよね。
 
国内の方に、ご近隣のことを語っても、釈迦に説法ですな。
 
 
 
さて、海外での国家プロジェクトの場合、この類の問題は、ほとんど片付いた状態で、コントラクター(請負者)に仕事が下りて来ますので、外国人として、近隣問題を扱うことは余り無いのではないかと思います。むしろ、かなりの部分が、エンプロイヤー(施主)が扱う問題として位置づけられているように思います。私も、ダム、LPGプラント、国際空港、そして、今また、ダムですが、日本的な近隣問題を、海外で対応したことは、ほとんど記憶がありません。
 
まあ、そういう点で、海外の方が近隣問題はラクと言えば、ラクですが、海外と言っても、当然、住民の方は居られますし、ご迷惑を掛けないで、仕事することは、もちろん、言うまでもありません。その国(インド)で仕事させて頂いているという意識と感覚ですね。
 
 
で、うちなんかも、最近、地域協力の一環で、キャンプの入り口に、ベンガル語の小学校がありますので、そこに寄付をしようと、作業所で決めて、ビールの空き瓶が、50パイサ(1円25銭)で、売れますので、毎月6百本以上は出るビールの空き瓶を売って、それで、鉛筆とかノートとか教科書を買って、学校に寄付しようじゃあないかという話に所内ではなっています。(が、まだ、実施出来ておりません。さっそく、その打ち合わせで、小学校に行ってみたら、今は、ちょうど、暑季休業中でした。インド人も暑いのですね)
 
 
今回は、ご近隣がテーマということで、最後に、工事が始まってからの、この1年間の我がバグムンディ村の、大きな変化を3様。えっ、変わったの、これだけ?そう、これだけ!インドは、4000年の歴史の国、すぐには変わりません。
 
 
画2)まず、村で初めての酒屋が出来ました。
インドの酒屋には、必ず鉄格子があります。現金商売なので、強盗防止用です。なお、インドでは、ウイスキーもビールもワインも、国産で作られています。
 
 
画3)次に、村で初めての電話屋が出来ました。
STDがインド各州への遠距離電話、ISDが国際電話を意味します。家庭への電話普及は都市部だけで、地方では、まだまだこの電話屋さんが全盛です。
 
 
画4)そして、村で初めての中華料理屋台が出来ました。
Egg Roll という卵を使った焼き春巻と、辛い焼きソバが食(しょく)せます。道端の埃も味のうちです。一料理、5ルピー(13円)の世界です。
 
 
以上、建設景気で沸くバグムンディ村の3葉でした。
 
 
建設業の良いのは、労働集約産業ですから、人がわんさか集まって来てくれるところですよね。工事やってる間は、その地域の景気も、一時的に、ぐんと良くなります。
 
 
はい、では、ごきげんよう!良いGWをお過ごし下さい。
 
 
★頼みの綱の衛星メールがシステム異常で、先週末から停止。通信がスムーズに行かないと、情報のキャッチボールが上手く行きませんね。


2003年4月29日


インド通信笑うカワセミ現場運営編S(海外心得)


KF読者各位
 
 
皆さん、良いGWをお過ごしのことと思います。うちは、突貫なんで、土日も関係なしの、いつものインド状態です。
   
二町君から、綾小路きみまろのCDを現場に送って貰い、所員で、楽しんでいます。『爆笑スーパーライブ第1集!中高年に愛をこめて・・』です。
 
綾小路きみまろは、昨年までは、観光バスの停車場で、自分の漫談カセットを、バスガイドさんに、「道が渋滞したら聞いてやって下さい」「雨が降ったとき聞いてやって下さい」と、只で配っていたそうです。森進一や小林幸子の専属司会の方ですから、話半分としても、今回、CD40万枚のヒットで、さあ、霜降り牛食べるぞ!と思った途端、痛風の診断とのことで、これには、笑ってしまいました。漫談カセットを5台のダビング機で毎晩何十本もコピーして呉れた奥さんには、今も頭が上がらないそうです。うちの現場も、昨年の紅白は、中島みゆきで泣きましたが、今年の紅白は、綾小路きみまろで、笑えるでしょうか・・?!
 
 
 
さて、今回で、現場運営編も最終回。最後は、海外工事の心得について少し。
  
私は、海外は、インドネシアとインドの2ヶ国、通算8年で、また、こうした人里離れた僻地専門ですから、海外工事なんたらかんたらと、えらそうなことは全く言えないのですが、人の運だけには恵まれてまして、昔、土木の大先輩から言われた言葉を、念仏のように唱えて、仕事をするようにしています。
  
それは、こういう言葉なんです。
 
 自分の知らない世界が、自分の周りには山ほどあると、いつも心しろ。そうすれば、謙虚になれる。謙虚な心があれば、世界中、どこででも生きていける。
 
 事実は、一体何なのかさえを押さえていけば、的確な判断が出来る。人を見るな、事実だけを見ろ、そうすれば、人を誹謗中傷する気にもならない。
 
 この2つの心得で、大体、海外では、やれるはずです。
現地で、空気のように生きれます。
 
 
日本や日本人であることを振りかざす人も、海外では特にアジアでは、多いようですが、人の家に土足で上がりこむような感覚を、相手側に持たれるだけだと思います。その国で、仕事をさせて頂くという気持ちが、やはり一番大事ですね。
  
以上で、笑うカワセミ現場運営編は、お仕舞いです。国内の方には、全然参考にならんか?海外の方にも、インドが独特過ぎて、全然参考にならんか?と思いながら、中年おじさんパワーで、恥も外聞もなく、送信し続けてしまいました。
 
  
撮り貯めた画像がまだありますので、この現場運営編の番外で、あと何本か、発信させていただき、次のカワ通は、6月後半から、また違った企画で、再登場させて頂けたらと思っています。
 
カワ通も、現在配信先384名です。高校、大学、会社と手繰って、配信してみましたが、突然メールを送っても、たぶん怒られないだろうなレベルとなると、このぐらいの数になります。
 
  
えっ、カワセミ、どうしてるかって?魚を取っていた川は、今のこの時期だけ稲田にされていますが、今朝も、裏の森を、元気に、きゃあ〜、きゃあ〜と鳴きながら飛んでいました!この村には、コバルトブルーと、ブリリアントブルーの2種が生息しています。顔はひょうきんですが、「飛ぶ宝石」の形容がぴったりの美しい小鳥です。
  
 
 
はい、では、建設会社ですので、最後の締めは、3本締めで。着工1年の、うちの現場の3ショットです。灼熱の大地プルリアの、暑さと乾きと埃を、画像でお送りできないのが残念です。
 
出来高も、20%弱なので、まだまだ、ひよこ段階ですが、あと4年で、2007年2月には、225MWの発電機4機で計900MWの発電所が誕生します(黒部ダムの約3倍の発電量です)。
  
画1)下ダム付近
標高260m地点のロックフィルダム。Lower Damと呼んでいます。左岸と右岸に石を積み上げて、高さ95m、堤長310mのダムが出来ます。画像の右手が、堰き止められて、貯水湖側になります。(豆知識=ダム工事では、上流から下流に向かって、右手側を右岸と呼ぶのだそうです。)
  
画2)上ダム付近
標高440m地点の同じくロックフィルダムです。Upper Damと呼んでいます。高さ71m、堤長1505m高で、撮影側が湖となります。(豆知識=ここプルリアは雨が少なく、2年間の雨季を利用し、湛水されます。下ダムと上ダム間で揚水し、その落下力で4基の発電機を回します。)
  
画3)アクセストンネル入口
これは、パワーハウス(地下発電所)などへの入り口です。各トンネルの総長は、5973m。パワーハウスの大きさは、幅25mX高48mX長157mで、駆逐艦がすっぽりというところでしょうか。(豆知識=発電機は、4基で、東芝製。このプロジェクトは、日本からのローンです!)
  
今、32名の日本人と、約1000名のインド人、そして、ネパール、インドネシア、マレーシア、スリランカ、バングラデシュ人の約50人の7ヶ国軍団で、日々汗しています。
 
やはり、建設現場は、人間道場ですね!
 
  
★カワ通+カワ2=インド駄文計35本、私のIBM R32で、簡単にCDRに焼けますので、帰国したら、野村ビル前の日曜フリーマーケットで、一枚100円で売ってみましょう。インド製ソニーのCDRは原価30ルピー(75円)ですから、利益率2.5割か・・ぼろい儲けやなあ〜〜!さて、何枚、売れるでしょうか?(家族のサクラで、3枚は固い!?)


2003年5月4日


インド通信笑うカワセミ現場運営番外編(おまけ@)


KF読者各位
 
 
 
現場運営編を作る中で、画像化したものがまだ何枚かありますので、おまけの番外編として、何本か、流させていただきます。
 
 
国内工事では、ごくごく当り前のことも多くて、な〜んだ・・と思われることがほとんどではないかと思いますが、将来、海外工事をやる際の、工夫やアイデアの一つとして、ご参考にしていただけたらと思います。
 
 
1)神棚
え〜っ、海外でも、神棚?と、おっしゃられる方が居られるかもしれません。私は、必ず準備するようにしています。現場の事故って、人為を越えて、発生することも度々ですので、「困った時の神頼み」のみならず、「困る前の心の拠り所」としても、海外現場に神棚は必設です。
 
うちのお札は、西新宿の熊野神社から頂いて来ました。神棚は、日本で購入し、託送しました。見事な?榊(さかき)は、実は、造花です。
 
毎月、必ず、一日会(ついたちかい)の前に、所員全員で、2礼2拍1礼で、安全祈願しています。神棚の清掃は、1日の朝に、私が必ずします。インドには、数々の神様が居られますので、これは、日本から来た安全の神様(お札が神様?)とそのハウスだと、うちのスタッフたちには説明しています。
 
 
 
2)作業着
村のナエムというテイラーに縫わせています。うちの作業着を、サンプルとして日本から持ち込み、同じようなイメージで縫ってくれと頼みました。海外で複製作業着作ると、コピー権の問題が出るのでしょうか?ズボンは紺地、シャツはモスグリーンの生地で、大成カラーで、仕立てるようにしています。ちゃんと採寸してくれて、材料手間込みで、シャツ500円、ズボン500円というところです。現場作業のインド人スタッフにも、支給しています。うちの現場が終われば、今、間口1間のナエムの店も、倍ぐらいになるかもしれません。
 
生地ですが、ドライ&クール系の生地が、インドでも最近出回り始めましたが、まだ、通常のコットン生地に比べたら、3倍は高いです。
 
本社総務時代に、木塚鰍ウんと、作業着や女性の制服を扱ってましたが、社内結婚の方は、うちの制服が奥さんとのキーワードになるのでしょうね?そういう話題のあるご夫婦が、羨ましいですね。
 
 
 
 
3)ビール券、ジュース券
うちは、食券制でやっています。ビール40ルピー(100円)、ジュース18ルピー(45円)の、原価販売です。ビールは、呑み助はとめどなく飲むので、やはり、食券制で正解だったかなと思っています。でも、なかには食券を切らす人も居て、そういう人はツケ呑み翌日払いを認めています。まあ、そんなにうるさく管理しているわけではありません。
 
青のペプシは、クリケットのワールドカップ2003に合わせにインドで販売されましたが、ケロシン(灯油)そっくりの色が災いして、全然売れませんでした。味ですか?甘い灯油味です。
 
このビールは、ブラックラベル(黒ラベル)と言い、西ベンガル州では、もっともポピューラーなタイプです。サッポロさんの黒ラベルの味と、ちょっと似てる・・・?
 
 
 
4)地図
昨年8月、現場立ち上げ時に、大澤管理部長がご来所され、現場運営について、細かくご指示頂いたことの一つです。地図を張っておくと、所員も落ち着きますし、会話も弾みます。地球のどこに自分が居るのかもわかるので、戸惑わなくなります。インドと西ベンガル州とカルカッタ市内地図は現地購入、そして、日本地図は日本から持ち込みで、4種の地図を準備しています。
 
「話を聞かない男、地図が読めない女」という本が日本で売れたらしいですが、男は確かにそうだと思いますが、女の人は地図が本当に読めないのでしょうか?
すいません、アホな疑問で・・・
 
 
 
5)救急箱
現地の薬でも、もちろん、大丈夫なのですが、日本の薬で、気持ちが落ち着く場合もあります。現地の病には、現地の薬が一番効くようです。救急箱セットは、日本で買い、持ち込みます。
 
心が弱っている時は、日本製の体温計で、体温測るだけで、安心出来ます。傷にはマキロン、腹痛は正露丸、蜂に刺されりゃあ、キンカンです。
 
救急箱への補充は、適時、忘れないようにしましょう。
 
 
 
 
現場運営のヒントというと、大げさですが、どこの現場でもやっていることを、リマインドの意味で、インドじゃあ、こうよ!・・ということで、あと、3〜4回ぐらいに分けて、番外編でしばらく流させていただきます(6月の休暇で、次のカワ通ネタ、日本で拾ってきますので、そのツナギですな、はい!)。
 
お家毎で、味噌汁の味が違うようなもんで、まあ、海外の国と現場毎で、こんなもんは、千差万別で、工夫とかヒントとか言うほどのもんでもないんですけどね!
 
では、良い週末を!
 


2003年5月9日


インド通信笑うカワセミ現場運営番外編(おまけA)


KF読者各位
 
 
うちは、LOT−4で土工事担当ですが、先日、LOT-6−1の東芝さん(発電機担当)が5名でご挨拶に来られたので、ちらっと上目で見て、応接にお通ししなさいとスタッフに指示して、日本人は一人であとはインド人やな?と思って、大成名刺一枚持って入ったら、色の黒い人からも東芝の名刺を渡されて、慌てて、一枚取りに戻りました。
いや〜あ、恥ずかしかった〜!!こちらの心を読まれると、どきっとして、照れますよね。穴でもあれば、入りたい気分でした・・・
港区芝浦の東芝本社から来た技術者の方で、あとで、私も入れた日本人3名で、記念撮影もしましたが、肖像権の問題もあり、この写真はカワ通には載せられません。あっ、記念撮影までしちまって、さらに失礼やったか・・・
 
 
 
カワ通が、冗談路線に走らないように軌道修正しつつ、今回も、現場運営に関するインド流を、番外編として、何本か、お届けします。
 
 
1)衛星電話
 
現場の環境によっては、ここまで準備すべきでしょう。うちの現場は、もう頻繁に電話回線が切れます。2〜3週間断線というのも珍しくありません。去年は5週間全く不通のこともありました。本社から電話が来ないから、ラクやなあ!と思えだしたら、もう貴方もすっかりインド人で、日本復帰に黄信号です。
 
白い弁当箱のようなものがアンテナです。この箱の角度で、天空の衛星位置を拾い出し、世界各地と交信できます。充電式で、どこでも使える無敵の電話です。イラク戦争の取材で入ったテレビ局の特派員なんかも、これを使っていたはずです。
 
ただ、インドの電波法の関係で、民間には、このタイプは許可されていませんので、いつもは隠していて、印パ危機とかの非常時のみ限定で使うようにしています。一台約30万円。一分間、300円です。日本では、KDDIで買えます。
 
 
 
2)お弁当箱
 
これは、本当の弁当箱。現場の弁当箱は、中仕切りタイプに限ります。おかずの汁が滲みませんので、個々の味を、維持できます(私が言うと説得力がないですね)。ネパール人コックのラビンドラ君が揚げ餃子を入れて呉れていますが、箸でやれといつも言っているのですが、手を使ってしまっています。
 
毎日、昼弁で、20〜25食を作り、現場のサイト事務所へ仕出ししています。山が、約6キロ先なんで、工事の人も、いちいちお昼で、キャンプに戻って来れません。なお、この弁当箱は、日本製で、JESさんから買えます。
 
 
 
3)洗濯物の箱
 
さらに、箱ついでに、洗濯かご。洗濯物は、部屋番号毎で仕訳されています。各自、洗濯物には、マジックで番号を書くようにさせています。衣類番号=部屋番号=箱番号で、ドービーたち(洗濯班)が、手際よく、仕訳してくれてます。
 
番号書きは、油性マジックなんですが、服や下着に数字を書くのを嫌がる人も居ます。なんか刑務所みたい気分になるから嫌なんだそうです(入ったことがあるのかしら?)。
 
日本には、アイロンで貼り付けられる小切れがあるようで、そうしたグッズを準備したほうが、スマートで良いかもしれません。
 
毎朝、30数名分の洗濯物を回収し、夕方にはアイロン効かせて、畳んで返すようにしています。これは、夕方の洗濯かご軍団、勢揃いの雄姿。
 
 
 
4)記念撮影
 
現場にご来客があれば、記念撮影でパチリ。
 
デジカメで取り、プリンターで印刷し、村の大工さんに額縁を作って貰い、ゲストハウスに、飾るようにしています。ご来客の写真をネタに、所員で、結構、話も弾んだりもします。
 
しかし、デジカメって、こうして簡単にプリントできますので、本当に便利で、素人カメラマンの層を確実に広げましたよね。写真って、時の経過も残すので、好きです!
 
 
 
5)キャンプのごみ処理
 
日本ですと、市役所がしっかりしているので、ごみ処理では分別を気にしなければなりませんが、うちらは、まずどう処分するかから、自分たちで考えねばなりません。
 
燃えるごみは、燃やし、燃えないごみや生ごみは、埋めるようにしています。ユンボで6X4X4mぐらいの穴掘って、そこにごみが溜まるごとに、土を掛けて埋めていく繰り返しです。一杯になれば、次の穴へ移動という按配です。縄文時代の貝塚のパターンか・・・?
 
埋め場までは、こうして、うちのアドミチームが自転車で運搬したり、担いで運んだりしています。生ごみに野犬が集まるので、ごみ穴には、金網で蓋が必要です。えっ、ごみ処理して、犬に食わせたい人もいるんじゃないかって・・?そういう人は、ここでは、燃えて貰うようにしています。
 
 
 
海外では、都市部での仕事もあれば、僻地での仕事もあり、あるいは、海工事、山工事などなど、この辺りの段取りも、各工事毎で、まあ、色々でしょう。
 
 
 
今週は、3ヶ月ぶりで山を下り、カルカッタから、デリーに足を伸ばして参ります。
デリーには、マクドナルドが出て来ているらしいので、ヒンドゥー教の国インドで、ハンバーガーの肉はどうなっているのかの長年の疑問も、今回、解いて参ります。可笑系のデリー風景あれば、デジカメで、拾って参りましょう。
 
では、今週が、皆さんにとって良い週となりますように!
 


2003年5月11日


インド通信笑うカワセミ現場運営番外編(おまけB)


KF読者各位
 
 
 
デリー出張から戻って参りました。荷車を引いてハイウエーを走るラクダに、ベンガルとはまた違った北インドを感じてきました(駱駝は走るとかなり速いです!)。デリーも、北のオールドデリーは、路地が迷路のように続く13世紀からの古い街並みを維持していて、人力車(リキシャーと言います)がまだまだ大活躍中でしたが、南のニューデリーは、20世紀になって計画的に作られた街で、ロータリーを各所に配置して、セダンで十分に走り回れる街で、とても対象的な南北構成でした。
 
 
 
現場運営も番外おまけ編の3本目で、現場のハイテク&ローテクものを、5つご紹介したいと思います。
 
 
1)衛星メール
2回目の登場です。このパラボラなくして、現場の業務は全く進みません。このインド通信も、衛星システムなしでは、実現不可能でした。電話回線の維持が困難な僻地現場では、必設の機器と言えるでしょう。64KBの制約がありますので、何名もの所員が同時にとはいきませんが、ホームページの閲覧とかも出来ますし、大成のTEXにも、接続可能です。停電と砂嵐の時だけは、使用不能となります。
 
 
2)保温ジャー
以前は、炊き出しジャーからそのまま食べていたのですが、時間の経過と共に、どうしても味が落ちてしまうという欠点がありました。冷えると美味くなくなるのは、大陸米(ネパール米)の特徴かもしれません。この保温ジャーを入れてから、所員のご飯の量が倍になりました。もちろん、日本からの持込で、タイガー魔法瓶製です。
 
 
3)タンドール釜
やっと初回の火入れも終了し、美味いナンとタンドリーチキンを量産してくれています。造作賃も入れて、2釜で4万円弱でした。
 
 
4)餅米竈(カマド)
これは、正月用の餅の、もち米を蒸らすカマドです。レンガを積んで作りました。石臼は、カルカッタ日本人会で不要になった物を頂きましたので、雨季が過ぎて、気温が下がってきたら、一度搗(つ)いてみます。今は、余りの暑さで、誰からも餅が食べたい!なんて声は出てきません。
 
 
5)病気本
ジャパンタイムズ社の「外国で病気になったときあなたを救う本」には、うちの所員は何名もお世話になっています。病院には必ず持って行かせるようにしています。「腹が痛い」=I have an abdominal pain.とか、「歯が痛い」=I have a toothache.とか、普段は余り使ってないので、こうしたアンチョコ大全は、いざという時に本当に助かります。
 
 
以上、ローテク過ぎましたかしら・・・?
 
 
 
デリーのマクドナルドでは、チキンマハラジャマックというのを試して来ましたので、またのインド通信で登場させていただきます。インドマックには、ビーフのハンバーガーは、やはり有りませんでした。テリヤキマックならあるかなと思ってましたが、インド人の口にタレが合わないのか、デリーの店には有りませんでした。
 
 
はい、では、今週も、ご安全に!
  


2003年5月18日


インド通信笑うカワセミ現場運営番外編(おまけC)


 
KF読者各位
 
 
あちゃ〜、魁皇が、こけて、朝青龍、3回目の優勝。昔、直方(のうがた)の現場をやってた時に、魁皇が勝つと花火がど〜んと揚がってて、今日は、2連発を期待してたのですが・・・まあ、武双山が勝ち越したから、ええか。
 
 
このところ、毎日、短時間ですが、午後に雷雨で、雨季が近づいて来たことを感じます。気温も、せいぜい40度と、暑季を完全に抜けて、随分と過ごし易くなってきました。ベンガルは、これから、6月〜10月が雨季となります。
 
 
現場のハイテクもんをご紹介したいのですが、今回も、お笑いもんしかなくて、すみません。インド現場での、工夫色々、です。
 
 
あと、一回打って、現場運営編、おまけも入れて計25本で、打ち止めとなります。しばし、お付き合い願います。
 
 
 
1)味噌汁&トースト
この暑さで、味噌汁が全く売れません。コーンポタージュとかは人気があります。
おかしいと思ったら、味噌汁のだし作りを、手抜かれていました。
朝は5時から、夜は11時までというMADな食堂ですが、いつでも熱い味噌汁が出来るように加熱器に鍋を載せてスタンバっています。お汁は、残ると捨てますので、具(わかめとか、アサリとか、油揚げとか)は、別椀に分けて出すようにしています。
過酷な仕事で飯が喉を通らなくなった社員用に、食パンの準備も欠かせません。ただ、インドの食パンは、パサパサで、一ヶ月放っておいても、カビも生えないぐらい頑丈です。頑固なパン党がいますが、防腐剤でミイラになれるのではないでしょうか?
 
 
2)日本女性のカレンダー
新潟の新発田から来てくれている型枠大工のオヤジさんのうちの一人(61歳。前任地モンゴル)が、海外の食堂には、これがないとね!と、着任の時に、わざわざスーツケースに入れて持って来てくれました。オヤジ、あんたは、えらい!わしは、こういう気遣いに弱いのです。
アホかと思われるかもしれませんが、着物姿に見つめていただけるだけで、現場の食堂での馬鹿な喧嘩が半減します。水着のカレンダーを現場にかけておくと、戦闘的になっていけないような気がします。
うちの食堂には、今、この梅宮万紗子さんが、微笑んでいます。来月からは、細川直美さんです。秋には、菊川怜ちゃん登場です。
今年の大成の海外版は、着物の黒木瞳さんで、インドで大活躍頂いてますが、ぜひ来年も、僕らのようなオジサンが、海外で、まじめに頑張れるように、女優さんは、会社に厳選して頂きたいと思います。
 
 
3)電話料金メーター
私用電話は、インド人も含めて、すべて個人負担でやってますので、こうした料金メーター機を入れてみました。インドの電話屋さん(STD/ISD屋)で、使っているのと同タイプです。
手前が記録簿ですが、インド人は結構まじめに記帳してくれます。毎月締めて、私が、集金してます。
 
 
4)通知など
海外を余り長くやると、人によっては、糸の切れたタコになってしまいます(私も昔そうでした。今もか?)。ですから、日本の情報を、所内に適時流しておくことも必要です。
先月のプレジデント誌で、日本の社長33人の「いる社員、いらない社員」という特集があり、うちの社長が出てましたので、コピーして、食堂に高く掲げています。メールが全盛ですが、アピール度を考えると、会社の通知とかも、貼れるものは、貼り出すべきですね。でも、話を聞かない「なんたら」、地図の読めない「かんたら」ではないですが、字を読まない「なんたら」達が、私も含めて、うちの現場は実に多いです。えっ、どうしてるのかって?大きな声で、ひつこく、語り続けるしかないですね。
 
 
5)電郵
「でんゆう」と呼ぶのは、うちの会社だけでしょうか?メール全盛ですが、海外では、書類を送ったりの機会がまだまだ多いです。
従い、現地から東京への最速ルートを確立しておく必要があります。送った物が今どの地点にあるのかまで把握出来るレベルのクーリエ会社でなければなりません。DHLが有名ですが、うちは、OCSを使っています。
現場〜カルカッタ間の書類も、Bill No.で、コンピューター管理されており、安心できます。書類は無くなった時の手戻りが大変です。
もう20年近く前、大成がカルカッタ地下鉄をやっていた頃から、OCSはうちと取引しているそうで、事務担の阿部紀一さん(故人)を知っているというマネージャーが営業に来ましたので、阿部さん懐かしさで、即一発で、OCSに決めてやりました。
OCSのサービスの一環で、日経と読売を取っていますが、2〜4日遅れで、ここインドでも、日本で印刷した新聞を読むことが出来ています。
 
 
 
現場運営と言っても、日本の現場のどこででも、やっていることを、インド流に加工しただけなんで、芸のうちにも入りません。海外工事も、国内現場とやってることはほとんど変わりませんので、ぜひ、カワ通に騙されて、日本の若者の皆さん、そう貴方!、一緒に海外で泣いてみませんか。
 
2003年5月25日


インド通信笑うカワセミ現場運営番外編(おまけD最終回)


KF読者各位
 
 
26日(月)15時半頃、型枠大工の62歳のオヤジ兄のほうが(新発田ペアで、背格好も双子の兄弟みたい)が、夜勤の準備で起き出して来て、「丹下さん、仙台でまた大地震だ。火災も発生しているようで、夕方だから大変になりそうだよ!」と事務所に報告に来てくれました。食堂のテレビで確認したら、揺れの状況が、丁度写し出されていました。一瞬、阪神大震災レベルの被害になるのか・・の思いが頭を過ぎりましたが、その後、被害がそうでもないニュースが徐々に流れて来て、心底、ほっとしました。津波もなく、被害も最小で、本当に良かったです。
宮城県沖地震(1978)では、ブロック塀の倒壊現場を、学生の眼で、何軒も見てますので、イメージがすぐ過去に飛びました。日本は地震国なので、日本勤務もつらいですよね。
 
 
さて、現場運営編、これが最後の1本です。21年、建設会社で仕事して、うち15年が現場ですが、25本で全部というのは、なんか情けないですが、現場の事務担当の仕事なんてのは、日常の繰り返しで、まあこんなもんかもしれません。
 
 
私は、現場事務所の入り口にアドミ席を陣取って、手元の6名のインド人を各方面に蒔いて彼らが不在の時は、受付と電話番と配車係と弁当屋もやっているのですが、今朝なんか、こんな調子でした。
「マーカーペンある?」「油性、ホワイトボード用、どっち?」「油性!」「はい、じゃあ、こちらね」「両替して!」「なんぼね?」「2万円」「じゃあ、0.3815のホテルレートで、7630ルピーね。」「ズボンの股が破れた。」「はい、じゃあ、そこ置いといて下さいね(新発田のオヤジ弟には敬語)。縫わしときます。」「エクササイズデューティーって何ですか?」「蔵出し税で、16%よ。」「老眼鏡、日本に置いて来た。」「じゃあ、家に電話して、この名刺の住所に送っとくように。わしが、6月の休暇で取って来ますから。」「昼飯、事務所で喰います。」「じゃあ、弁当キャンセルしとくね。」「この伝票で払っといて」「じゃあ、サインを金額の下にしといて!」「部屋の電球が切れた。蛍光灯のほう。」「じゃあ、昼間にチューブ、変えときますね。」「ビール券とジュース券、頂戴」「はい、合計580ルピーです。」「トイレが詰まりました。」「流れんの?」「なんとか流れます。」「じゃあ、あとで、スタッフにやらせるからね。」「現場事務所まで、ドロップオンリーで車あります?」「じゃあ、タタのスモウの白で走ってね。すぐ返すように。」「この給与明細の引き去りが分からんのだけど」「じゃあ、ちょっと本社にメールで聞いとくね。返事は晩ね。」と、こんな状態が、始業時の60分間ぐらい、朝の6時から7時ぐらいの間に続きます。
 
44歳にもなって、こんなことを、インドで一日やっていて、良いのだろうか??の疑問も過ぎらない訳ではないですが(椎名誠の、「インドでわしも考えた」の世界ではないですが)、まあ、ここは、現場ですし、目の前の山を越えないことには、明日の山がやって来ないと開き直って、とりあえずは、身体の周りを舞う蚊や蝿を殺し、眼の前に頭を出してくるモグラを叩いて、あるいは、目の前を過ぎる蛇の頭を踏み潰してと・・・まずは、すべて、捌き(さばき)の、初期対応の世界に浸っています。しかし、こんなに頭を使わないで生きてると、歳とってから、大きなしっぺ返しが来るでしょうね、たぶん・・・まあ、いいか。
 
 
さあて、毎度のパターンですが、番外編D、締めくくりの最後の5画像。
 
ソニーのマビカには活躍して貰いましたが、画素がいかんせん少なく、軽いのだけが取り得の画像群でした。だけど、そこがまた、インドの田舎を写すには合っていたように思います。
 
はい、では、はじまり、はじまり。
 
1)カワラケ&瓶子(ヘイシ)
インドにも、これらのルーツと思われる素焼きモノがありますが、このカワラケと瓶子は、日本から持ち込みました。VIP(例えば、本部長や支店長)が来られた時には、安全祈願の後、VIPに神主役をお願いして、皆のカワラケに瓶子で、お神酒を注いで頂き、「ご安全に!」のご発声で、全員で献杯する儀式が、うちの現場にはあります。
日本の戦国時代には、出陣の時は、カワラケを割ってから馬に乗って出陣して行ったらしいのですが、毎回、割ってると、その度に日本から持ち込まなきゃなりませんし、掃除も大変なので、おとなしく献杯だけしています。
 
 
2)テニスコート
なんせ、山ん中は、退屈します。仕事を瞬間忘れて、気分転換する時間がないと、さすがに肉体も精神も参ってしまいます。で、やっと、コートを、今、作り始めています。コートは、土にしてくれ、芝にしてくれと、当初いろんな希望が出ましたが、どうせすぐ飽きるんだから、飽きれば、また駐車場に出来るコンクリでええやないかの結論で、作り始めました。平面が上手く出せるのかが心配ですが、こまかな事は言ってられません。熱いコートでの暑いテニスになります!
キャンプの外にゴルフの打ちっ放し練習場を作ろうと言う話も、随分前からありますので、このコートが完成したら、取り掛かるつもりです。アプローチ練習場やバンカーも作るつもりですが、蛇とかさそりとかの巣にすぐなりそうです。
 
 
3)研修生
なんせ、海外現場勤務は、長くなると、退屈します。お互いが始終顔を合わせてますから、倦怠期の夫婦みたいなもんで(たぶん・・?)、作業所の日々に、新鮮さがどんどんなくなって来る。そうした集団に、右も左もわからん国内の若い小僧を投入したら、どうなるか?、で、海外事務研修生ということで、20代の若者を2名投入して、去年から、半年、試してみました。
これは、半年研修後の日本帰国直前の1期生です。なんか、凛々しいでしょう・・・タージマハールが。
2期生も、7月から4ヶ月、投入されますので、インドの洗礼後の、彼らの日本での成長に期待大です。まずはボロボロになって頂き、そこから這い上がってみて貰いましょう。しっかし、インドは、心底効きますからね、楽しみです!
 
 
4)芳名録
うちのような僻地の現場には、周りにホテルなんかが全くないので、ゲストハウスと言う宿泊施設を作ります。うちには、3部屋あります。で、お泊りになられたVIPに、所員に一筆、一コメント書いて頂くようにしています。読み直す気持ちの余裕のある所員はまだおりませんが、現場も終わり方になって読み返すと、作業所の歴史を綴る良い記念の一冊になっていると思います。これも、我らが大澤管理部長からの伝授の技です。
あと、村メイドの素焼きの大壺とか、クリケットのバットとかに、揮毫して貰って、ゲストハウスに並べても飾るのも面白いかもしれませんね。
どうしても日常に流されますので、作業所の歴史を語る品は、所員の間に、必要だと思いますね。
 
 
5)海外3点セット
土壇場では、なるたけ、シンプルに。海外を移動する時は、この3点があれば、いけます。パスポートと航空券とクレジットカードの3点セット。3つだから、覚え易いでしょう!
昨年6月の印パ危機でも、30人の所員のインド脱出策は考えざるを得ませんでした。さっと逃げる時は、この3点セットで、十分です。
実際、現金がモノを言う世界が、ドタバタの中では生じてきますが、野盗も増えますので、大金はお奨め出来ません。
 
 
はい、以上で、現場運営編、お仕舞です。
 
 
4ヶ月インドノンストップで、10日の日本休暇の繰り返しで、早や2年。しかし、身体って、不思議と、慣れるもんです。山の環境が幸いして、俗世間の煩悩からは解脱。これが、街部の工事でしたら、白粉の蝶々も多く、ここまでは集中できんでしょう。やはり、この空気の澄んだ、牛とヤギと羊に囲まれた、西ベンガル環境のなせる業です。
 
 
インド4千年の歴史で、工期に間に合った工事はないという冗談伝説に果敢に挑戦する我ら大成建設ですが、終わってみたら、万骨累々とならんようにせにゃあいけません。鬼門の天竺は、最後の最後まで、気が抜けません。
 
 
皆さん、株買うなら、インドで事業展開している根性のある日系企業が買いかもしれませんよ。こっそりお教えしますと、ソニーでしょ、スズキに、トヨタに、日清食品、東京海上、それに、大成建設・・・最後の会社は安いけど、将来、大化けするかもしれません。
 
 
 
現場運営編、長らくのご愛読?、ありがとうございました。しばらく、充電して、また、次なる企画で、カワ通、復活させます。
 
 
それでは、ごきげんよう!See you again!


2003年5月31日


 

インド通信笑うカワセミ編 2/4 (続く)

1/4 2/4 3/4 4/4 インド通信目次