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 感動写真集

2007年11月14日改訂

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♪梵鐘メドレー/本門寺・寛永寺・浅草寺

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2007年10月10日作成

美しい花や果物で飾られた慰霊碑

美しい花や果物で飾られた慰霊碑(タイ・カンチャナブリー)

戦場に架ける橋

慰 霊 祭

はじめに

 2007年3月25日(日)、タイ国日本人会主催によるカンチャナブリー慰霊祭に出席したので、その模様を紹介したい。カンチャナブリーは、ミャンマー(当時のビルマ)との国境近くにある町で、1957年に公開されたイギリス映画「戦場にかける橋 The Bridge on the River Kwai 」の舞台となったクウェー川架橋 The bridge over the river Kwae がある。現在はクウェー川鉄橋が架かり、観光列車が走る観光スポットとなっている。

カンチャナブリーにある慰霊碑の入口

カンチャナブリーにある慰霊碑の入口

慰霊碑の建立趣意書

   慰霊碑のある広場の入口には、タイ語、日本語、英語により、慰霊碑建立の趣旨を書いた次の碑文があった。  
 この慰霊碑は 第二次大戦中 泰緬鉄道(たいめんてつどう)建設に従事し亡くなられた連合国軍並びに関係の方々の霊を慰めるために 昭和19年(1944)2月当時の日本軍によって建てられたものであります。在タイ日本人有志は 毎年3月 亡くなられた方々の霊を慰めるためにここに集まり 慰霊祭を行っております。

門に刻まれた碑文

門に刻まれた碑文

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泰緬たいめん 鉄道
 泰緬鉄道は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(現ミャンマー)を結んでいた鉄道である。日本軍によって建設・運行され、戦後、連合国軍によって一部を残し撤去された。日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は Thai-Burma Railway だが、英語圏ではむしろ Death Railway (死の鉄道)の名で知られる。存置部分は、タイ国鉄南部線の支線、ナムトック線として運行されている。

慰霊碑のある広場

慰霊碑のある広場

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 ナムトック線は、バンコクのバーンコークノーイ駅(トンブリ駅)を始発駅とし、西部へ進み、ナコーンパトム県、ラーチャブリー県、カーンチャナブリー県を通り、ミャンマーのヤンゴン(ラングーン)へ至る。現在は泰緬(タイ・ミャンマー)両国は国境付近の鉄道を取り払い、タイ側では、バーンコークノーイ駅(トンブリ駅)からナムトックサイヨークノーイ駅まで日に2便運行している。

泰緬鉄道の現在の終点ナムトックサイヨークノーイ駅

泰緬鉄道の現在の終点ナムトックサイヨークノーイ駅

拡大写真(1400x890)336B 資料

慰霊碑の碑文

 旧日本軍が建てたこの慰霊碑には

「泰緬連接鉄道(たいめんれんせつてつどう)の建設で不幸にして病を得て斃(たお)れた南方各国労務者と俘虜(ふりょ)のためこの碑を建て恭(うやうや)しくその霊を慰む 昭和19年2月 日本軍鐵道隊」

と書かれており、慰霊の対象は建設作業中の病死者としている。事故や栄養不良、虐待などによる死者がいたことは史実であり、胸が痛む。

慰霊碑の碑文

慰霊碑の碑文

 入口にあった日本人会の碑文には、「泰緬鉄道建設に従事し亡くなられた連合国軍並びに関係の方々の霊を慰めるため」と書かれていて、死亡者全員を慰霊の対象にしている。慰霊碑の碑文は病死者と明記しており、うがった目で読めば、病死者以外は慰霊の対称にしていないとも読める。

手を合わせるタイ国日本人会の人たち

手を合わせるタイ国日本人会の人たち

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 一方では、非常な戦争中に捕虜の慰霊碑を立てるという優しさも評価できよう。しかし、戦闘集団である旧日本軍が慰霊碑を建立する気になったほど、泰緬鉄道の建設に伴う犠牲者が多かったことを思うと、とても残念である。亡くなられた多くの方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げる。〈 合掌 〉

大勢の僧侶による読経

大勢の僧侶による読経

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読経を終えて退席する僧侶たち

読経を終えて退席する僧侶たち

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タイの葬式

 
 タイの葬式は、一般の人で通夜が一週間、金持ちほど通夜が30日、50日と長くなり、王室の通夜になると100日も続く。初夜は親族の主催で行われる。その後は遺体を棺に納める。

美しい花や果物で飾られた慰霊碑

美しい花や果物で飾られた慰霊碑

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 2日目からは、遠い親戚や子供が勤める会社の世話役などが通夜の費用を負担するスポンサーになる。主な費用は、僧侶に喜捨する反物、米、少額の布施、通夜の食事代など。

慰霊碑の祭壇と僧侶

慰霊碑の祭壇と僧侶

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 慰霊祭の式典は、まずタイ人僧侶によるタイ式で行われ、後から高野山から派遣された日本人僧侶による日本式の式典が執り行われ、僧侶の読経に続いて、御焼香が行われた。

祭壇で読経する高野山真言宗の僧侶

祭壇で読経する高野山真言宗の僧侶

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 タイの葬式に話を戻すと、通夜は寺院で行うのが通例で、多くの修行僧が出席し、寺院の本尊に対してお経を上げる。本尊が阿弥陀仏の寺院では、流派によっては、阿弥陀仏と死者を赤い木綿糸でつなぎ、更に喪主親族にもつなげて、仏と死者と遺族がつながっていることを実感させている。

焼香する日本人会の人たち

焼香する日本人会の人たち

 読経が終わると僧侶による説教が1時間ほどあり、最後に僧侶へ反物(僧侶が身に纏う一枚の黄色布)や米などの布施を行う。タイ仏教では、布施が多いほど、良いところに生まれ変わるという信仰があり、遺族たちはできるだけ多くのものを喜捨(タンブン)する。

日本人会の献花

日本人会の献花

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 予定期間の通夜が終わったあとの本葬儀は、寺院の中にある火葬場で行われる。その際は、僧侶が経をあげることはなく、参列者が僧侶に反物を渡す儀式があるだけである。遺体はほとんど火葬にされるが、タイには墓に骨をおさめる風習が殆どないため、人によっては、海や山に散骨して自然に帰すことになる。

祭壇や献花に飾られた慰霊碑

祭壇や献花に飾られた慰霊碑

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 原則があれば例外がある。タイ人でも墓を建てて納骨する例が見られるし、骨の一部を寺院に納める場所ができたので、そこにおさめる人も増えている。しかし、一般的には、日本のように命日や彼岸の日に墓参りをする習慣がないので、骨を安置している場所で参拝することは殆どないという。日本でも散骨が徐々に増えてきているが、タイの葬式を見ていると、それも良い考えかもしれない。

慰霊碑の前で記念撮影

慰霊碑の前で記念撮影

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