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満19歳1ヵ月 3,000万アクセス達成!(2019.08.15)

ロマンと感動!世界の旅の写真館

Wa☆Daフォトギャラリー  Wa☆Daフォトギャラリー

2021年12月10日改訂

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今 日

累  計

昨 日

♪篠 笛
歳ひとつ重ねて白褌寒の垢離   北舟

Winter water ablution, white loincloth aging a year.

2000年7月20日開設

プロフィール写真名作集(アニメーション)

拡大写真「初春の寒中禊(鐵砲洲稲荷神社) 2018.01.14」(3000x2000)1.45MB  

プロフィール写真名作集

デジタル写真家 DIGITAL PHOTOGRAPHER

氏 名  和田義男(わだ よしお)
出 生  奈良県奈良市興福寺猿沢池のそばで出生 昭和22年(1947)3月6日(72歳) 団塊の世代一期生
出 身  高知県須崎市
自 宅  東京都青梅市 (アトリエ:羽村市)
家 族  妻、長男、次男の4人家族
職 業

 デジタル写真家 裸褌祭研究家 〈 元大成建設(株)理事 元神戸海上保安部長・神戸港長 〉

信 条  日本の心と伝統文化を愛し、ロマンと感動を求める行動型国際人 
趣 味  デジタル写真 旅行 俳句 パソコン インターネット
嗜 好  酒(主にビール・ワイン・ウイスキー・ブランデー) 珈琲
普遍の名刺
家族から20余年前の写真を未だに掲載しているのは、詐欺だといわれ、アポロキャップ・リュック姿から和服を着た和田爺(満74歳)の写真に張り替えた。ポートレート以外は普遍で、人と人とを結ぶ金の連結リングは、2000年当時と全く変わらない。
名刺 / 2021.11.06 作成
名刺 / 2021.11.06 作成
普遍の名刺
  ▼ 令和元年(2019)8月15日アクセス3000万件達成を機に名刺を改訂した。愛機を持つ我がポートレートは、19年前、Wa☆Daフォトギャラリーがスタートした2000年に撮影したもの。帽子の下の髪の毛は薄くなり、現在は坊主頭になっている。金の連結リングは、世界を結ぶ友好のシンボル。初心を忘ぬよう、このデザインは普遍である。  
  I revised my name card on the occasion of 30 million access on August 15, 2019. My portrait with my camera was taken in 2000 when Wada Photo Gallery started. The golden connected rings are the symbol of our friendship around the world. This design is immutable so as not to forget my original intention.  
名刺 / 2019.09.14 作成
名刺 / 2019.09.14 作成

(羽村のアトリエ版)

CD・DVD用名刺
CD・DVD用名刺 / 2019.09.14 作成

「Wa☆Daフォトギャラリー累計3000万件」達成!

  「Wa☆Daフォトギャラリー累計3000万件」達成!丸坊主の和田爺は、2019年3月6日に72歳になったが、令和元年に入った2019年8月15日(終戦記念日)、Wa☆Daフォトギャラリー http://wadaphoto.jp は、累計3000万件を達成した。2000年7月16日(海の日)に誕生して以来、満19歳になって1ヵ月後の快挙である。これも一重に皆様のお陰であり、衷心より御礼申し上げる。〈 拝 〉  

Wa☆Daフォトギャラリー・ホームページ

★彡 最新画像 ★彡

拡大写真(1600X2400)377KB

津屋崎祗園山笠2019

  令和元年(2019)7月20日(土)21(日)の両日、福岡県福津市(ふくつし)津屋崎(つやざき)に鎮座する波折神社(なみおり・じんじゃ)(麻生藤七宮司 59歳)で305年目の津屋崎祗園山笠(つやざき・ぎおんやまかさ)(福津市無形民俗文化財)が開催され、津屋崎祗園山笠振興会(西野正信会長 66歳)の協力を得て、全国連和田グループ(和田義男代表 72歳)第五期6名が北流に参加し、密着取材した。  
全国連和田グループ代表の勇姿! 吉田屋地先・津屋崎浜 2019.07.21 06:04

全国連和田グループ代表の気合!

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体年齢57歳に若返った和田爺の甚平姿

  ▼ 令和元年(2019)7月19日、津屋崎祗園山笠(福岡県福津市)に参加取材した際、津屋崎海岸恋の浦で記念撮影。撮影:吉田好幸 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII
 
 現在、毎日1万歩を目標に歩いている。私の携帯はガラケイだが、便利な機能として歩数計があり、これが多機能で、歩数、歩行距離、消費カロリーなどが自動的に計算され、過去の記録や累計などを見ることができる。
 
 毎日、目標ができたおかげで、令和元年(2019)9月16日時点で、身長165cmの和田爺は体重が64sとなってBMIが23.5の標準体重(適正体重+4kg)に入り、実年齢72.5歳が体年齢57歳となり、1年間で4歳も若返った。体脂肪率は20.2、内臓脂肪は14.5とやや高めで、基礎代謝量は1350kcal。これからも健康ウォークを続け、健康寿命が長引くよう務めたい!
 

褌坊主の甚平姿

拡大写真(2000X1950)296KB

和田爺の褌甚平

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FG(エフジイ)とFU(エフユウ)

  ▼  半世紀以上にわたる褌愛好者である筆者は、Mr. Fundoshi と呼ばれ、「褌爺」と自称してきたが、これを「ふんどしじい」「ふんじい」というのもしっくりしないので、ニックネームとしてFG(エフジイ)と自称したい。
 
 その根拠は、戦前の日本海軍は、世界の港に寄港し、早くから英語文化を取り入れていた。これは和魂洋才の一種だが、軍人の下着はもちろん全員越中褌で、これをFU(エフユウ)と呼んでいた。FUNDOSHIだからFUとしたのだろう。
 
 エフユウは、日本海軍に広く行き渡っていた越中褌の隠語である。それにならって、自称エフジイとしたのである。
 
 戦前では、野球も英語を止めて日本語で行うなど、英語を使わないようにしたのは、世界を知らない井の中の蛙であった日本陸軍の蛮行である。そのおかげで、日本は戦争に突入し、敗戦した。今後、絶対にその轍を踏んではならない。エフユウは、私に取って、和魂洋才の象徴なのである。
 

水褌(すいこん)で一泳ぎ / 津屋崎海岸恋ヶ浦 2019.07.19

水褌(すいこん)で一泳ぎ / 津屋崎海岸恋ヶ浦 2019.07.19

拡大写真(2000X2400)591KB

褌坊主の甚平姿

  ▼ 今日は、まだ4月半ばにもかかわらず、初夏のような陽気になったので、昼過ぎ、散髪屋に行き、サイド2mm、頭頂部4mmの丸刈りにした。「頭を丸める」という諺があるが、別に悪いことをしたわけではない。とてもさっぱりした気分になり、いよいよ褌坊主になった。(^-^)
 
 甚平は、袖も身頃も全体的にゆったりして、風通しが良い作りなので、夏のホームウエアとして涼しく着られる。甚平の下は相性の良い越中褌のみ。高温多湿の日本の夏を過ごすには必須のホームウェアである。

 ちなみに、甚平は「甚兵衛羽織」の略で、一説には、江戸時代に甚兵衛という人が武士の陣羽織に似せて考案したからだといわれる。魚類最大のジンベエザメは、 甚平のような模様が体にあることから名付けられたという。(2018.04.19)
 
Yoshio Wada with close-cropped head wearing jinbei the working clothes of Japanese home wear on April 19, 2018.
 
Jinbei Figure of Fundoshi Monk
 
Today, because it was still cheerful like early summer, despite the middle of April, I went to a barber shop in the afternoon and cut my hair to 2 mm in side and 4 mm in head top. There is a Japanese proverb "to round the head" when restart my life, but I did not do bad things separately. I felt very refreshed and I finally became a Buddhist monk wearing fundoshi. (^-^)
 
Jinbei is comfortably worn as summer homewear, as sleeves and body are relaxed overall and airy. Under Jinbei only ettyu fundoshi with good compatibility. It is indispensable home wear to spend hot summer in Japan. (April 19, 2018) 
 
Incidentally, Jinbei is an abbreviation for "Jinbei Haori", which is said to have been invented in the Edo era when people called Jinbei resembled samurai battle half coat. It is said that Jinbei-zame the biggest whale shark of the fish was named because there is a pattern like Jinbei in the body.

褌坊主の甚平姿

拡大写真(1500X1450)165KB

作務衣

  ▼ 作務衣は、禅宗の僧侶の普段着だが、近年、高齢者などの部屋着として人気がある。私も冬は作務衣、夏は甚平が定番のカジュアル・ウェアで、下着の越中褌と相性が良い。  
Yoshio Wada with close-cropped head wearing samue the working clothes of Japanese Buddhist on lucky day of Feburuary, 2018.

作務衣姿の和田義男(70歳11ヶ月) 2018年2月吉日

作務衣姿の和田義男(70歳11ヶ月) 2018年2月吉日

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体年齢61歳!

  ▼ 桜が開花し、暖かくなったので、夕刻、1時間ほど多摩川健康ウォークを続けている。本日、入浴後、ヘルスメーターで健康チェックをしたところ、体重67.1kgとなり、体年齢が61歳に快復した。全身・両腕・体幹・両脚とも注意から維持に復帰。冬場、寒くてサボっていたため、体重が70kgに増えていたので、3kgの減量により、準肥満体(標準体重+10%以内)に復帰し、元の健康を取り戻すことができた。ただ、お腹が少し出ており、もう少しへこませたいが、和服や褌が似合うので、このままでよいという声も頂いている。(^-^) 2018年3月30日  
My body age turns to 61 years old!
 
I'm 71 years old. Today, I'm very glad my body age came back to 61 years old according to the health meter of my house due to loosing my weight 3 kilograms from 70 to 67 on March 30, 2018.

作務衣姿の和田義男

拡大写真(1500X1450)165KB

愛機 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII を持つ黒甚平姿の和田義男  2017.07.15

愛機 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII を持つ黒甚平姿の和田義男  2017.07.15

春の叙勲

  ▼ 平成29年(2017)5月10日、東京プリンスホテル鳳凰の間で行われた国土交通省勲章伝達式に参列し、海上保安庁奉職38年の海上保安功労により瑞宝小綬章を賜り午後皇居長和殿春秋の間にて天皇陛下に拝謁した。→ 春の叙勲・拝謁の記  
国土交通省勲章伝達式祭壇にて/東京プリンスホテル鳳凰の間 2017.05.10

国土交通省勲章伝達式祭壇にて/東京プリンスホテル鳳凰の間 2017.05.10

瑞宝小綬章

瑞宝小綬章

勲記

勲記

ホテルが用意してくれた金屏風の前で

ホテルが用意してくれた金屏風の前で

ありのままの古希70歳

  ▼ 平成29年(2107)3月6日の古希70歳の誕生日に際しては、和田フォトギャラリー並びにフェイスブックのファンの皆様から身に余るたくさんのご祝辞を頂戴した。先日、関東の和田フォトファンのご好意により、私の古希祝いにマイカーにて箱根湯本温泉の天成園に日帰り入浴してきた。
 
 私が記念に和服と褌姿を撮りたいと無理な注文をしていたところ、幸いにも和服愛好家が正絹の和服一式を持参して着付けまでしてくれ、カメラ愛好家が私のカメラ
OLYMPUS OM-D EM-1 Mark II で撮影してくれた。
 
箱根湯本温泉天成園で記念撮影 2017.03.13

箱根湯本温泉天成園で記念撮影 2017.03.13

ソフトモヒカン?
  ▼ 2017年春に70歳の古希を迎える前に坊主頭にしたが、正確にはソフトモヒカンというヘアスタイル。頭頂部をもう少し伸ばしたいと、現在、育毛中。(^-^) 2016年秋に羽織袴姿で槍を持つ武士に変身。白と黒の調和した着物は最高で、老齢の私に似合っている。  
 

The kimono's collaboration of white and black is superb, it fits aged me well.

 

槍を持つ羽織袴姿の武士に変身!  2016.10.24

槍を持つ羽織袴姿の武士に変身!  2016.10.24

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戦国武将に変身!
  ▼ 平成28年(2016)10月17日(月)、日本の侍文化を世界に紹介するため、東京都渋谷区円山町の道玄坂にある渋谷鎧甲甲冑写真館(しぶや・よろいかぶと・かっちゅう・しゃしんかん)(サムライアーマー・フォトスタジオ / キングビル七階) http://samurai.bz/ に行き16世紀の戦国時代に活躍した武将に変身した。白の前袋式六尺褌を締め込んだ後、筆者が選んだのは、奥州の覇者・独眼竜(どくがんりゅう)伊達政宗の愛用した黒い鎧甲。筆者は、この日のために丸坊主になった。  
  I went to Samurai Armor Photo Studio http://samurai.bz/en/index.html  locating Shibuya, Tokyo Japan on October 17, 2016 in order to transform myself into a busyo (military commander) of the Sengoku (Warring States) Period of 16th century for the introduction of Japanese samurai culture to the world. I chose black armor worn by Dokuganryu Masamune DATE the Conqueror of Ou District wearing white rokusyaku fundoshi double fastened long type. I had my head close clipping cut for this day.  

戦国武将に変身!(アニメーション) / 渋谷鎧兜甲冑写真館(東京都渋谷区円山町) 

戦国武将に変身!(アニメーション) / 渋谷鎧兜甲冑写真館(東京都渋谷区円山町)

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伊達政宗に変身!

伊達政宗に変身!

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褌侍に変身!
  ▼ 平成27年(2015)11月24日(火)、隅田川西岸に建つ浅草寺雷門のそばにある浅草変身写真館スタジオ七色に行き、江戸時代の着物・褌姿の侍に変身した。海外に日本の伝統文化を紹介するため、日英のバイリンガルで解説し、フェイスブックにも掲載した。 https://www.facebook.com/yoshio.wada.12   
  I went to STUDIO NANAIRO which is a photo studio near Thunder gate Kaminarimon of Sensouji Temple locating western side of Sumida River in Asakusa downtown Tokyo to take myself transforming into samurai of Edo era wearing fundoshi and kimono on November 24, 2015. In order to introduce Japanese culture to the world, I explained bilingual of Japanese and English as well as uploaded to Facebook. https://www.facebook.com/yoshio.wada.12   

羽織袴の侍 / スタジオ七色(東京都台東区浅草)  2015.11.24

羽織袴の侍 / スタジオ七色(東京都台東区浅草)  2015.11.24

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名作アニメーション
褌侍参上! / スタジオ七色(東京都台東区雷門)

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デジタル写真家 和田義男(66歳)

私の肖像画

私の肖像画 2/2

 

我は海の子

我は海の子切手/水褌の少年

我は海の子切手/水褌の少年
  私の大好きな小学校唱歌は、「我は海の子」で、80円切手も出ている。誰でも知っている曲であるが、これが軍歌であると知る人は少ないだろう。

★☆★彡

1 われは海の子白浪の さわぐいそべの松原に 煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家(すみか)なれ 
2 生れて潮に浴(ゆあみ)して 浪(なみ)を子守の歌と聞き 千里(せんり)寄せくる海の氣(き)を 吸(す)ひて童(わらべ)となりにけり
3 高く鼻つくいその香(か)に 不斷(ふだん)の花のかをりあり なぎさの松に吹く風を いみじき樂(がく)と我は聞く

(現代の教科書では、以下は載せていない)

4 丈餘(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて ゆくて定めぬ波まくら 百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)の海の底 遊びなれたる庭廣し
5 幾年(いくとせ)ここにきたへたる 鐵より堅(かた)きかひなあり 吹く潮風に黒みたる はだは赤銅(しゃくどう)さながらに
6 浪にただよふ氷山(ひょうざん)も 來(きた)らば來(きた)れ恐れんや 海まき上(あ)ぐる龍巻も 起(おこ)らば起れ驚かじ
7 いで大船(おおふね)に乗出して 我は拾はん海の富 いで軍艦に乗り組みて われは護(まも)らん海の國

★☆★彡

 「我は海の子」は、作曲・作詞不詳の文科省唱歌といわれていたが、作詞者は児童文学者の宮原晃一郎(本名:知久)(1882〜1945)が10歳まで住んでいた鹿児島の天保山公園の海岸から見た桜島を思い浮かべて作詞したという。
 

筆者の幼児時代 1950年ころ

 

小学一年生の筆者 1953年4月

筆者の幼児時代 1950年ころ 小学一年生の筆者 1953年4月
 
 
 私は、小学一年生から高校三年生まで、黒潮が岸辺を洗う土佐湾の中央に位置する須崎で育った。
 小学生時代は、夏休みになると、「いどくいおおぜ(黒猫褌下さい)」と駄菓子屋にぶら下がっているふんどしを買って、一日中、真っ黒になって新庄川(しんじょうがわ)の川の口と富士ヶ浜で泳いで遊んだ。黒猫をなぜ「いどくい」というのか分からないが、「おいど」(お尻)に食い込むから「いどくい」というのだと理解している。
 我は海の子切手の水褌(すいこん 前袋式六尺褌)の子は上級生で幼児や貧乏人は黒猫褌かフリチンだった。

黒猫褌の少年

「黒猫褌の少年」拡大写真(600x400)68KB

新潟街角今昔  撮影:渡邊馨一郎

 
 

             悠々自適

 平成24年(2012)3月31日をもって 大成建設(株)を退職し今日、4月1日から悠々自適の生活が始まった。3つの送別会に出席して大いに盛り上がり、二日酔い気味の身体も既に癒えて今日はその第一歩を踏み出した記念日として、書斎のパソコンに向かって日記を書いている。
 これからは、満員の通勤電車に揺られることもなく、毎日が日曜日の気楽な人生を謳歌することになるが今のところまだ実感が湧かず何か申し訳ないような気もするしかし、高校卒業後海上保安大学校に入学したときから月給をもらうサラリーマンとなり、丁度47年が過ぎた。もう十分に働いてきたと胸を張って歩くことにしよう。
 江戸時代は、隠居したあとに道楽が始まり、町人文化が花開いたのだから、これからは、二足の草鞋を脱ぎ、褌を緩めてデジタル写真家として旅と写真に生きる道楽を極めたい。
 
2012.03.31 12:00 撮影
 昨日家内に愛機 OLYMPUS E-5のシャッターを押して貰い、前期高齢者(満65〜74歳)の新参者の記念写真を撮った。送別会でも「まだ若いですね」と云われたが、気力・体力はまだまだ残っており、これからもバリバリと仕事をやれる自信がある。政治家や医者などは、前期高齢者になっても働いているが、彼らは、仕事が道楽であり、それはそれで幸せなことだと思う。私は既に12年前からライフワークとしてWa☆Daフォトギャラリーを築き上げており、今日からは、この世界に専従してゆきたい。 これも40年連れ添ってきた家内の理解あってのことであり、感謝の念を常に持ちたい。
 「悠々自適」とは、広辞苑によると、「俗世を離れ、自分の欲するままに心静かに生活すること。」とある。私にとって「俗世」とは生計を維持するための職場であり、「心静かに生活する」とは隠居生活に入るということだろう。しかし、私は、これからも俗世にどっぷりと浸り、老いに向かう心をときめかせながら、ロマンと感動を求めて世界を旅し、気力・体力・財力の続く限り、誰も真似することができない高みを目指して日本一のフォトギャラリーを築き上げてゆきたい。今日から年金生活者になったこの身としては、財力の方はいささか心許ないが、Wa☆Daフォトギャラリーを通じて広がった人の輪を大切にしながら、何事も楽観的に諸行無常の余生を謳歌してゆきたい。 2012年4月1日 65歳
 

劇場訓蒙図彙の挿絵

劇場訓蒙図彙しばいきんもうずい  /  

式亭三馬しきていさんば

 享和3年(1803)
 

日本一の裸祭シリーズ

  Wa☆Daフォトギャラリーは、現在、世界55ヵ国を巡る高画質写真 28,296枚、 作品502作/2,053頁を公開する日本一のフォトギャラリーであるが、最近の活動は、裸祭シリーズの取材が主である。平成13年(2001)10月15日に 灘のけんか祭り を見て感動し、全国の裸祭を激写する原点となった。練子全員が褌(泥まわし)を締め込み、神輿や屋台を担ぐ姿に魅了され、祭衣装について思いを巡らすうちに、褌こそ日本人男性のアイデンティティだと考えるようになり、ふんどし談義をはじめるきっかけにもなった。
日本の裸祭り
- 日本の裸褌文化を継承する"はだか祭り" -
 それ以来、日本古来の裸褌文化を継承する裸祭を求めて取材を続けて足かけ16年、感動写真集同人の助力も受けて、その作品は104種204集となった。裸祭シリーズの目次ページとなる 日本の裸祭り は、累計150万アクセスを超え、日本一の裸祭サイトとして人気を博している。こゝまで徹底した裸祭の取材は、私しかなしえないという領域に達し、日々、使命感に燃えて次の計画を練っている今では撮影だけでなく全国連和田グループ代表として祭褌を締めて裸祭にも参加しその高揚感や醍醐味を肌で実感して楽しむようにもなった。「好きこそ物の上手なれ」で、これが私の熱中する道楽であり、若さと元気の源となっている。
 気力・体力の続く限り、裸祭の密着取材をゴールのないライフワークとして取り組んでゆく覚悟であるが、私の寿命が尽きるとき、Wa☆Daフォトギャラリーは internet から消え去る運命にある。この貴重な記録映像を後世に残すべく、CD化・DVD化を行い、お世話になった保存会や主催者などにお送りしているが、日本の祭CD・DVD完成! で希望者に有償でお分けしている。平成25年(2013)3月には、クレジット払いを希望される方々のために ストアーズ店 をオープンした。得られた浄財は、取材費の全てを賄える額ではないが、年金生活者となった筆者にとって貴重な財源であり、クオリティの高い作品づくりに活用させて頂いている。
 森繁久弥主演の「ふんどし医者」(1960年)という映画があったが、さしずめ、私は、「褌カメラマン」といったところであろう。(笑) 自分自身の褌姿を実名で堂々と公表しているサイトは見あたらないので、これも道楽の極みであり、これからも裸祭愛好者のご支援を賜れば幸甚である。〈 拝 〉 2016年2月24日改訂 68歳
 
 

我が人生

 海上保安大学校1年生のとき、発汗による湿疹に悩む私に医務長から勧められたことがきっかけで、現在に至るまで半世紀近く下着として越中褌を愛用している。清潔で涼しく快適な越中褌は、高温多湿の気候風土にマッチした健康下着であり、今となってはトランクスや、ましてブリーフなどはあり得ない。休日には、たまに六尺褌を締めることがあるが、六尺は祭や水泳に適しており、日常の下着は、越中に限る。
 成人して世界を旅するうちに日本がどこからも侵略を受けずいにしえの文化を今に伝える素晴らしい国であることに気付いたが特に世界に例のない裸褌文化の躍動する裸祭に魅了されこれまでに104種204の作品を和田フォトギャラリーに発表し1日6千〜1万アクセスを頂く日本一の写真サイトと評価されるようになった「裸褌文化」は筆者が提唱する言葉である

鐵砲洲寒中水浴

▼ 平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で第53回寒中水浴大会が開催され、参加者約60名に混じって初めて褌一丁の裸形になり、大勢の観客の前で氷柱で冷やされた円形水槽に浸かって冷水を浴びたこの神事は関東最長の歴史を誇る寒禊で東京都中央区の春を呼ぶ新年の風物詩として知られる
鐵砲洲稲荷神社神紋   鐵砲洲稲荷神社   鐵砲洲稲荷神社神紋

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

 

撮影:星 宏幸

▼ この年満60歳の厄年を迎えた筆者は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴の後、私を誘ってくれた三木芳樹さんや地元の平野五郎さん(故人)と共に赤褌(あかふん)に締め直して還暦記念水浴を行った。 鐵砲洲寒中水浴'08

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

 
▲▼ 人前に自分の褌姿を晒すのはこのときがその嚆矢だが、平成28年(2016)で 9回目の寒禊を果たし、意気軒昂である。新年に神々への感謝とご加護を祈念して斎戒沐浴するのは、戦前まで普通の行事であり、新しい褌を締め、気分を一新して新年を迎えることの清々しさは、体験しないと分からないかも知れない。
鐵砲洲寒中水浴'16
喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会  2011.1.9
喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと 10:53

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会(東京都中央区湊一丁目)

  年新た褌新たに鐵砲洲  北舟 

としあらた ふどしあらたに てっぽうず

The New Year, gathering at Teppouzu wearing a new loincloth.

中川文隆宮司の挨拶 2014.01.12 10:48

中川文隆宮司の挨拶 2014.01.12 10:48

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撮影:小林豊一

  鐵砲洲十年の春や新ふどし  北舟 

てっぽうず ととせのはるや しんふどし

Teppozu the tenth beginning of spring, all fundoshi loincloths brand-new.

傘寿水浴の羽場左近さん(80歳)と一緒に水行 11:56

傘寿水浴の羽場左近さん(80歳)と一緒に水行 11:56

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撮影:伊藤秀行

 
▲▼ 鐵砲洲に足を運んで10年目の平成26年(2014)1月12日(日)、59回目の鐵砲洲寒中水浴が行われ、和田グループ第5期18名と共に7度目の水行を行った。毎年盛大になってゆき、東京の初春の風物詩としてすっかり定着したこの寒禊は、その年、イギリスの一流紙「ザ・タイムズ」に掲載された。寒い冬に褌一丁で禊を行うのは海外に例が無く、日本の伝統文化として世界から注目されるようになったことはとても誇らしく、嬉しいことである。右下に私が写っているが、この年の水行は過去最高の寒さだった。(笑)

イギリスのタイムズ紙に掲載された第59回鐵砲洲寒中水浴大会 2014.1.13

イギリスのタイムズ紙に掲載された第59回鐵砲洲寒中水浴大会 2014.1.13

拡大写真(2000X1840)1.44MB

 毎年鐵砲洲から始まる私の褌人生は家族の理解を受け誰憚ることもなく続けられるのが有り難い。好きなことを好きなだけ実践することが長寿の秘訣であると信じ、これからも大いに我が褌人生を謳歌して行きたい。 2016年2月26日改訂
 
  
YouTube 報道ビデオ「鐵砲洲稲荷神社 寒中水浴大会_H28.1.17」
https://youtu.be/lhfwGVl4DQM 
↓画像をクリックすると動画が始まります。
 
 
■■■     バティックを着たポートレート ■■■
 
  ▼ この写真は、我が家で撮った私の最新の写真で、オリンパスデジカメを持ち、マレーシアのフォーマルシャツ・バティックを着ている。このバティックは、クアラルンプールにお住まいのフェイスブック・フレンド、ケイ・セン・タムさんを2015年2月16日に東京を案内したときにプレゼントしてもらったもの。  
 タムさんによると、第一ボタンを外し、裾を垂らしたままにするのがバティックの正しい着用法だという。次回からは正しく着用することにしよう。
 このバウンス写真は、2015年4月19日にオリンパスE-5、FL 600R、三脚を使い、右手に持ったリモコンで撮影したもの。オリンパスのビビッド・カラーは、一番良い。

This photo is my latest portrait at home having a digital camera of Olympus wearing a Batik the Malaysian formal shirt presented by my facebook friend Mr. K Seng Tham who lives in Kuala Lumpur when I guided him Tokyo on February 6, 2015. I like this ocean blue color very much.
 
According to Mr. Tham, the right way of wearing Batik is the first button not fastened and no tuck in. I will wear next time in the right manner.
 
This bounce flash photo is taken by Olympus E-5 using FL 600R, a camera tripod and a remote controller in my right hand on April 19, 2015. I like Olympus vivid color best of all.

 

バティックを着たポートレート

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■■■     Facebook フレンズ4800人! ■■■
 
 

My Facebook Friends 4800 Persons!  https://www.facebook.com/yoshio.wada.12 

 
My Facebook friends reached to 4800 persons since February 5, 2012. It took 20 days to gain 100 from 4700 to 4800. Followers are 2389 people. About 95% of them are foreigners mainly Southeast Asia. New friends in 2015 are about 1700 persons. My uploaded photos are 455. My page is written in Japanese and English. http://wadaphoto.jp is my homepage written in Japanese for Japanese friends.
▼ 平成24年(2012)2月5日に世界最大のSNS / Social Networking Service として知られるフェイスブックを始めて約3年10ヵ月経過したが、平成27年(2015)11月27日、Facebook フレンズ(FBフレンズ)が4800人に達した。このうち外国人が占める割合は95パーセント以上で、東南アジアの人々が大半だと推測される。
 100人になるまで23日、200人まで更に20日、300人まで18日、400人まで19日、500人まで14日、600人まで9日、700人まで15日、800人まで37日、900人まで58日、1000人まで26日、1100人まで26日、1200人まで30日、1300人まで23日、1400人まで13日、1500人まで15日、1600人まで37日、1700人まで28日、1800人まで16日、1900人まで21日、2000人まで45日、2100人まで45日、2200人まで117日、2300人まで101日、2400人まで21日、2500人まで25日、2600人まで40日、2700人まで26日、2800人まで14日、2900人まで12日、3000人まで19日、3100人まで14日、3200人まで13日、3300人まで11日、3400人まで10日、3500人まで7日、3600人まで24日、3700人まで21日、3800人まで23日、3700人まで21日、3900人まで13日、4000人まで25日、4100人まで18日、4200人まで15日、4300人まで36日、4400人まで15日、4500人まで54日、4600人まで27日、4700人まで16日、そして4800人まで20日かかった。今年に入って約1700人増加している。
 最近、審査基準を厳しくし、顔写真がない人は全て却下した。ペットや風景などを顔写真欄に貼り付けているケースも、どんな人か分からないのでNG。申請は、200人を超えているだろう。フォロワーが2389人いるので、私のページを注目している人は、4800+2389=7189人にのぼる。承認しても erected penis など猥褻画像を送ってくる人が後を絶たず、相変わらずブロックするケースが多発している。最近は、言語を日本語に戻し、解説は日本語と英語のバイリンガルで行っている。外国人だけでなく、日本人にもフェイスブック・フレンドになってもらいたいと思うからである。私の個人的な裸褌姿を見ることができるのは、friendsに限定しているので、フレンドになった恩恵は大きい。 2015.11.27
 

Facebook フレンズ 4800人!

Facebook friends 4800!

 

 

見付天神裸祭

▼ 平成25年(2013)の初秋、静岡県磐田市(いわたし)に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)が開催された。4年前の平成21年(2009)以来、毎年、全国から募集した和田グループの代表として参加すると共に、この素晴らしい国指定重要無形民俗文化財を激写し、Wa☆Daフォトギャラリーに発表してきた。 見付天神裸祭'13
神紋:八弁菊   矢奈比賣天神社   神紋:剣梅鉢
 これまで撮影に徹してきたが、平成25年(2013)9月11日(水)、取材5年目にして初めて撮影途中で浜垢離(はまごり)を体験した。私が人前に褌姿を晒すのは、鐵砲洲寒中水浴に次いで二度目であるが、遠州灘での豪快な海水禊は素晴らしく、感動した。これからも気力・体力の続く限り、寒中水浴とともに毎年続けて行きたい。

觸鈴や褌衆の秋の垢離 北舟

ふれすずや ふんどししゅうの あきのこり

Heralding bells, the autumnal purification by the people of fundoshi loincloth.

西中区

浜垢離はまごり

 〜觸鈴を持つ筆者〜 2013.9.11

西中区の浜垢離 〜觸鈴を持つ筆者〜 2013.9.11

撮影:福代陽一
 浜垢離では、松原に戻って半纏を着る前に、福代さんに私の褌姿を撮影してもらった。この日ばかりは、大勢の裸っぽの中の一人なので、誰憚ることなく撮影出来る。

和田義男(66歳)の裸っぽ 2013.9.11

和田義男(66歳)の裸っぽ 2013.9.11

撮影:福代陽一
 当年66歳だが、こゝ一年ほど毎夕続けてきた多摩川健康ウォーク5km1時間のあと、入浴前に我が家のヘルスメーターで測定した体重は65kg、BMI24、体年齢 58歳。まだまだ若いもんには負けられない。(笑) 2013年11月11日 66歳

和田義男(66歳)の裸っぽ / 福代邸前 2013.9.11

和田義男(66歳)の裸っぽ / 福代邸前 2013.9.11

撮影:福代陽一
 
 
私のシニアライフが産経新聞全国版に掲載!
 
  ▼ 平成25年(2013)末、産経新聞の寺田理恵記者からオファーがあり、JR青梅線河辺駅前の喫茶店で1時間半ほど取材を受け、平成26年(2014)1月7日、産経新聞朝刊第22面全国版に掲載された。(ホームページ掲載許可取得済み) YAHOO!ニュースにも同文が配信されている。私自身の長年の活動をこれだけ大きく、しかも全国紙の全国版で報道されたのは初めてのことであり、大変有り難く、また、光栄に思う。
 
 

私のシニアライフが産経新聞に掲載!

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YAHOO!ニュース ネットで稼ぐシニア世代 「道楽の延長」「空き時間活用」
  
産経新聞 1月8日(水)9時0分配信

 シニア人材の活用が課題となる中、インターネットを使い収入を得る人が増えている。道楽で始めたカメラで「年1回海外旅行ができる程度」の小遣いを得る男性と、音楽活動を続けながら空き時間でテープ起こしを始めた女性に話を聞いた。年頭に当たり、シニアライフの設計の参考にしては−。(寺田理恵)

◆技術より好奇心

 再就職先の大手建設会社を平成24年3月に退職した元海上保安官の東京都青梅市の和田義男さん(66)は、フリーのデジタル写真家を名乗る。収入の柱は年金。撮影した写真が教科書などに掲載されたほか、DVDにまとめてホームページ(HP)で販売したり、放送番組や出版社に安価な使用料で提供したりしてささやかな収入を得る。

 撮影を始めたのは50歳頃。その後、HPを立ち上げて海外旅行先の感動シーンをアップしていたが、兵庫県姫路市で締め込み姿の男衆が神輿(みこし)をぶつけ合う「灘のけんか祭り」を見て、心を揺さぶられた。

 「神輿の下敷きになって死んでも名誉の戦死扱い。ふんどし一丁で大騒ぎする祭りは日本にしかない」と、各地の知られざる裸祭りを夢中で撮り続けた。HPは個人の利用なら高画質でダウンロード自由な点が人気を呼び、13年間でアクセス数2300万件を突破。特に裸祭りは好評で、約2年前に始めたフェイスブックでは外国人に人気が高く、交流のきっかけとなっている。

 17年から撮り始めた鉄砲洲稲荷神社(東京都中央区)の新春恒例行事「寒中水浴大会」は評判を呼び、行事自体が次第に有名になった。最近は、他の行事の主催団体から招かれて旅費の提供を受けたり、講演を行ったりすることもある。「仲間が増え、社会貢献にもなる」

 撮影のコツは技術より好奇心。ときにはテレビ局のカメラマンと一緒にずぶぬれになったり、氷点下の寒さの中、長時間場所取りをしたりして被写体に接近し、フルオートでシャッターを押し続ける。「働いていたときより大変だが、忙しくて時間がいくらあっても足りない」と充実した毎日だ。

◆年齢問わず実力勝負

 横浜市戸塚区の女性(57)はネット上で不特定多数の人材を募って仕事を発注する「クラウドワークス」(東京都渋谷区)のサービスに登録し、昨年11月からテープ起こしの受注を始めた。夫が単身赴任して空いた時間を活用し、月約3万円の収入になった。

 かつては音楽家として関西中心に各地のホールやホテルなどでピアノ伴奏をしていたが、約6年前に横浜に転居後、演奏の仕事が減った。現在は編曲の仕事を年7〜10曲のペースで手掛けており、音楽活動を続けながら好きなパソコンを使ってできる働き方を探した。

 登録したのは昨年5月頃で、最初はブログ記事執筆の受注回数をこなし、実績をつくった。受注機会を増やすため、丁寧な仕事を心掛け、発注者が評価する技術や質など5項目でいずれも満点を維持。テープ起こしに絞ったのは「知らない分野の専門用語を調べながら起こすのが楽しい」からだ。「音楽の仕事は年を取れば減る。外で働くのも選択肢が限られるので、年齢非表示で実力本位で勝負できるインターネットは欠かせない」と話す。

 こうした仕事をマッチングさせるサービスは「クラウドソーシング」と呼ばれ、アプリ開発やロゴデザインなど専門性の高い仕事を受注する人もいる。クラウドワークスのPR担当者によると、50歳以上のシニアの登録者が急増。「新しい楽しみができた」など、無理なく働く様子がうかがえるという。4人に1人が65歳以上の超高齢社会を迎え、シニアの時間の使い方は一層、多様化しそうだ。

■悠々自適 6割

 シニアライフは悠々自適か、仕事をするか−。ソニー生命が50〜79歳男女1000人を対象に昨年9月実施したインターネット調査によると、「悠々自適がいい」に「近い」「どちらかといえば近い」と答えた人が6割を占めた。しかし、「仕事は欠かせない」に「近い」「どちらかといえば近い」と答えた人も約4割おり、仕事を求める人が一定割合いることが分かった。

 現在、職業を持っている人518人に限ると、「仕事は欠かせない」に「近い」「どちらかといえば近い」という人は53%を占め、仕事を続けたいと考える人が過半数となった。
寒中水浴【参】 〜一心不乱に 祓戸大神はらえどのおおかみ を唱え

振魂ふりたま

を続ける〜 2013.1.13 11:18

寒中水浴【参】 〜一心不乱に祓戸大神を唱え振魂を続ける〜 2013.1.13 11:18

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撮影:小林豊一

 残念ながら取材記者の視点がシニアの生活と収入にあるため、私の道楽が小遣い稼ぎのように描写されており、デジタル写真家として旅や祭の密着取材を通じて道楽の輪が広がり、新たな交流が生まれ、それがささやかな社会貢献ともなっていることが私の生き甲斐であるという趣旨の私の説明と若干違ったニュアンスとなっている。得られた収入はお小遣いではなく、今後の取材費の補助として活用させてもらっているのだが、写真の販売による収入を聞かれて海外旅行ができる程度とごまかした点が小遣いに取られたのだろう。(笑)一方の女性のネットでテープ起こしの方は内職なので小遣い稼ぎだろうが、私の場合、収入は旅費や宿泊費など必要な取材費の何分の一に過ぎず、収支決算すれば真っ赤な赤字なので、小遣いどころではない。そこまで詳しく説明しなかった私が悪いのかも知れないが・・・。
 また、一番最初に「人は遊び戯れるために生まれてきた」と看破した後白河法皇の梁塵秘抄を紹介し、「学び働くこと」と「遊ぶこと」が車の両輪の如く大事であるが、むしろ遊ぶことこそが人生を最も豊かにするものであり、退職後の長い余生をバラ色に過ごすには、現役のうちから子供のように熱中できる道楽を見つけることが大事だと力説した部分は、完全に欠落している。これも紙面に限りがあるので、あれもこれもというのは私の欲張りなのだろう。(笑)
 多くのサイトがうたかたの如く生まれては消えて行く internet の世界にあって、Wa☆Daフォトギャラリーは足かけ15年になった。この長寿も感動写真集同人と多くのファンのご支援の賜だと感謝する毎日だが、今年も道楽三昧に没頭するシニアライフを続けてゆく覚悟であり、愛読者の方々には、これからもどうか宜しくご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げたい。 2014年1月8日
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