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平成25年(2013)の初秋、静岡県磐田市(いわたし)に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)が開催された。事前に
見付天神裸祭のご案内
により「見付天神裸祭全国連和田グループ第五期」を募集し、9月11日(水)の浜垢離(はまごり)に4人、9月14日(土)15日(日)の御大祭(ごたいさい)に7人、延べ11人(札幌市、土浦市、新座市、八王子市、青梅市、川崎市、相模原市)が参加した。 |
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【凡例】
▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 ●:筆者の私見 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 164km2の市域に17万人が暮らす磐田市は、静岡県西部・天竜川の東側に隣接し、律令時代以降、遠江国(とおとおみのくに)の国府・国分寺が置かれた古代の政治文化の中心都市であり、戦国時代から江戸時代にかけては、東海道53次の宿場町である見附宿(みつけじゅく)として栄えた。 |
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昭和15年(1940)、磐田郡見付町(みつけちょう)・中泉町(なかいずみちょう)・西貝村(にしがいむら)・天竜村(てんりゅうむら)が合併して磐田郡磐田町が発足。昭和23年(1948)に市制が施行され、平成17年(2005)には磐田市と磐田郡竜洋町(りゅうようちょう)、福田町(ふくでちょう)、豊田町(とよだちょう)、豊岡村(とよおかむら)が合併して現在の磐田市となった。 |
東海道本線敷設に際して当時繁栄していた見付町の住民が家畜に影響が出ると考えて反対したため、その南の中泉町に中泉駅が設置され、磐田町に合併後は磐田駅となって発展した。現在、磐田市はオートバイメーカーのヤマハ発動機や自動車メーカーのスズキの企業城下町で、サッカーのJリーグ・ジュビロ磐田の本拠地として知られる。 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 見附宿(みつけじゅく) は、旧東海道の宿場で、東海道五拾三次の江戸から数えて28番目、京から数えて26番目にあたり、現在の静岡県磐田市の中心部に位置する。「見附」の名は、京から江戸に下る途中、旅人が初めて富士山を見付けることができる場所であったことから付けられたといわれる。 |
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10世紀に遠江国の国府が置かれ、鎌倉期には国衙*(こくが)と守護所**(しゅごしょ)が置かれたことから、中世の東海道屈指の規模を持つ宿場町となった。 |
天竜川の左(東)岸にあたるが、大井川と違って水深があったため、主に舟が使われており、大井川ほどの難所ではなかった。しかし、川止めのときは、島田宿などと同様に、足止めされた人々で賑わった。また、遠江国分寺や見附天神の門前町であり、姫街道***(ひめかいどう)の分岐点でもあった。 |
*国衙(こくが):日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区域
**守護所(しゅごしょ):中世日本において守護が居住した館の所在地
***姫街道(ひめかいどう):主要街道の別ルート(人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ない街道) |
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見付天神裸祭「 |
御大祭 |
」会場の衛星画像 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 磐田市の中心部に位置する見付宿場通り(みつけしゅくばどおり)(旧東海道)一帯は、江戸時代に東海道五拾三次の見付宿(みつけじゅく)として栄えた宿場町である。国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、8日間にわたって行われる矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神)の秋の例大祭で、その最大の見所が毎年旧暦8月10日の直前の土日に催行される御大祭(ごたいさい)と、その3日前に行われる浜垢離(はまごり)で、今年は、浜垢離が9月11日(水)御大祭が9月14日(土)15日(日)に開催された。 |
矢奈比賣神社(見付天神)公式サイト 見付天神裸祭保存会公式サイト |
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画像:Google Earth |
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見付天神裸祭は、矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神社)の女神・矢奈比賣が遠江国の総社である淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)の男神・大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとへ一夜の逢瀬を楽しむために神輿渡御する祭である。渡御に先立ち、褌(ふんどし)腰蓑(こしみの)姿の裸衆が道中練りと称して町中を練り歩き、拝殿で鬼踊りと称して乱舞することから裸祭と呼ばれる。 |
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女神が渡御する姿を見られたくないとの思いからか、神輿渡御の際は、沿道の全ての照明が落とされ、暗闇の中で密かに渡御が行われる。現在でもこれらの神事が厳しく護られていることが国の重要無形民俗文化財に指定された大きな要因となっている。 |
ちなみに、同じような伝説は、7月7日の夜に牽牛と織女が出会う七夕(たなばた)のほか、12月に行われる秩父の夜祭では、秩父神社の女神(妙見菩薩)と武甲山(ぶこうさん)の男神(蔵王権現)が年に一度の逢瀬のために御旅所へ渡御する。
秩父夜祭 |
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平成25年(2013) |
見付天神裸祭 |
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拡大写真(1279x1811)454KB |
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● 4年前の平成21年(2009)に、初めて見付天神裸祭を密着取材したことがきっかけで、見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよよういち)さんや副事務局長の松本直希(まつもとなおき)さんと知り合い、それ以来、保存会の役員を中心に、地元の氏子の方々との交流が始まった。 |
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▲▼ 撮影した写真は、毎年保存会に謹呈しており、その写真がガイドブックに採用されるようになった。今年のガイドブックにも昨年撮影した写真が多数掲載されており、写真下の目次頁には「協力 Wa☆Daフォトギャラリー 撮影 和田義男」と紹介されている。 |
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平成25年(2013) |
見付天神裸祭 |
ガイドブック目次 |
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拡大写真(1610x1165)502KB |
資料:見付天神裸祭保存会 |
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▲▼ 筆者の手元には「はだかまつり」という表題の見付天神裸祭ガイドブックがある。初出の平成19年版以来、平成25年版まで7版を重ねる。見付天神裸祭ガイドブック編集委員会によるものだが、実質的には浜松市のデザイン会社に依頼しており、とても洗練された内容で、さすがプロの仕事だと思う。 |
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平成25年版ガイドブックを精査してみると、各町が提出する祭組を紹介する写真を除き、はじめてパンツ姿が一掃されていることが分かった。「ガイドブックの規約に反する写真は載せない」という編集方針が打ち出されたらしく、Wa☆Daフォトギャラリーの「パンツ姿は載せない」という方針と軌を一にするもので、大変嬉しく思う。 |
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平成25年(2013) |
見付天神裸祭 |
日程表 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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ガイドブックは、毎年全戸に配布されるが、とても良く分かるので、好評を博している。
06・07頁には「裸祭まつりのこころえ」が懇切丁寧に説明されている。
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一時期、パンツの使用を認めたことから衣装の乱れが生じ、保存会では、国指定重要無形民俗文化財にふさわしく、浜垢離では町印手拭いの鉢巻と晒(さらし)の褌(ふんどし)、御大祭ではそれに加えて晒の腹巻(はらまき)・腰蓑(こしみの)・黒足袋(くろたび)・草鞋(わらじ)という伝統衣装に統一した美しい裸祭を目指している。 |
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平成25年(2013)「裸祭のこころえ」
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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ガイドブックの08・09頁には、4梯団28祭組の構成と御大祭の見所が紹介されている。堂入りに先立つ道中練りで梯団のすれ違いがひとつの見所で、「擦れ合い」と呼ばれている。しかし、上からの撮影でない限り、このシーンを撮影するのは難しい。「鬼おどり」は、拝殿での裸踊りで、最大の見所である。毎年、保存会の計らいで幣殿から激写しており、今年も素晴らしいシーンを多数切り取ることができた。 |
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平成25年(2013)各 |
梯団 |
の運行概要 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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平成25年(2013)9月11日(水)、昨年に引き続き、日帰りで静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の浜垢離(はまごり)を密着取材した。朝4時起きしてJR青梅線の電車で河辺(かべ
)駅から東京駅に出て八塚さんと合流、07:03発新幹線ひかり461号(2号車)で浜松駅まで行き、東海道線で磐田駅に着いたのが08:49だった。 |
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貸し切りバスで見付公民館前から |
福田 |
海岸に向かう |
輿番 |
の |
地脇町 |
2013.09.11 09:45 |
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▲ 駅前からタクシーで見付天神裸祭保存会の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅(カットサロン小西)に行き、慌ただしく取材準備を整えたのち、見付公民館前から出発する輿番・地脇町のバスに福代さんと共に便乗させて頂き、遠州灘(えんしゅうなだ)福田海岸(ふくでかいがん)に向かった。 |
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浜垢離では、毎年、福代さんが私に同伴してサポートして下さるので、とても有り難い。今年も海に入って激写すべく、福代邸でTシャツ・海水パンツ・サンダルに着替え、荷物を保管して頂いた。取材終了後、福代邸でシャワーを浴び、奥様の運転で磐田駅まで送って頂いた。 |
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かつて |
屋形船 |
で浜に向かった |
今之浦川 |
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和田グループの今年の浜垢離参加者は、私を入れて庄俊之さん(45歳
相模原市)、八塚正基さん(64歳 新座市)吉澤知秀さん(39歳
八王子市)の4名。全員、東中区・宿町(しゅくまち)御瀧車(おんたきぐるま)に参加し、私以外は片山千代三・東中区梯団長宅に集合し、片山さんのお世話になった。 |
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▼ 神輿渡御の際に神輿を担ぐ輿番という大役は、東区・権現町(ごんげんちょう)権現と東中区地脇町(じわきちょう)地脇の二つの祭組が交互に分担しており、今年は地脇が輿番である。烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)・褌(ふんどし)・白足袋(しろたび)・草鞋(わらじ)姿の一行は、福田海岸に到着すると、「御輿番地脇」と墨書した浜印(はまじるし)を先頭に松原の式場に向かった。 |
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遠州灘 |
福田 |
海岸に到着 10:04 |
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テントで |
浜垢離 |
の準備/西中区 |
二番觸 |
10:07 |
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▼ 午前10時15分過ぎから遠州灘に面する磐田市福田(ふくで)海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が始まった。 |
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松原 |
放生会 |
祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 〜 |
祝詞 |
を奏上する久野隆宮司〜 10:22 |
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↓神輿先供係 |
↓輿番 |
神社総代(見付天神三社崇敬者会)↓ |
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▲▼ 見付天神に向けた祭壇を囲み、氏子28ヵ町の神社総代(見付天神三社崇敬者会)と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の先供(さきとも)と呼ばれる神輿先供係(みこしさきともがかり)や宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たちがコの字型に陣取った。 |
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祭壇は、神が降臨する神籬(ひもろぎ)となる松の木の根元に鉾(ほこ)を立て、先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が束ねられ、その手前に小唐櫃(こからびつ)を据え、その上に八足机(はっそくづくえ)が二台置かれたものである。 |
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氏子長老による |
玉串奉奠 |
10:25 |
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見付天神三社崇敬者会・新井清作会長↓ |
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↓見付天神裸祭保存会・鈴木亨司会長 |
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▲ この神事は、神宝(しんぽう)(神社の宝物や調度品)を祓い清めることと、命之魚(みょうのうお)を放つことにより殺生(せっしょう)の罪を祓い清める放生(ほうじょう)が目的である。神職二名により献饌(けんせん)と命之魚の献上が行われた後、今年3月に禰宜(ねぎ)から昇格した久野隆(くのたかし)宮司(47歳)による祝詞(のりと)奏上・玉串奉奠(たまぐしほうてん)と氏子総代による玉串奉奠が行われた。 |
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命之魚 |
を放流する小川に向かう神輿 |
先供 |
係 10:33 |
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▲▼ 松原で放生(ほうじょう)される命之魚(みょうのうお)は、何時の頃からか大原の大杉家の当主が捕獲して献上するのが習わしとなっている。大杉家では「かけ魚(うお)」と称し、必ず奇数匹の鯔(いな)(鯔ぼらの子)を献上するという。しかし、実際は、篦鮒(へらぶな)が献上され、松原近くの小川に放流された。 |
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命之魚 |
(篦鮒)を小川に放流する(アニメーション) 10:33 |
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▼ 松原の神事が終わると、氏子関係者たちは次の神事である海浜の修祓(しゅばつ)のため、福田浜に移動した。 |
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海浜の |
修祓 |
に向かう一行/ |
福田 |
海岸(遠州灘) 10:40 |
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▲▼ 榊(さかき)と注連縄(しめなわ)が結びつけられた鉾(ほこ)を持った神職が波打ち際まで進み、空に向けて鉾を振り回して神々の降臨を促す一方で、二人の氏子がスコップで砂を掘り、神々の依代(よりしろ)となる大榊(おおさかき)を植える作業が行われた。 |
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神々の |
憑代 |
( |
神籬 |
)を植える穴を掘る |
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▼
白砂青松の広大な福田浜の渚に鉾(ほこ)と天神(てんじん)と呼ばれる大榊(おおさかき)と共に先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が立てられ、神饌(しんせん)を載せる八足机(はっそくづくえ)などが置かれた祭壇が遠州灘に向かって据え付けられた。大榊や浜印の笹は、神々の依代(よりしろ)、つまり、神々が降臨するための目印で、神籬(ひもろぎ)となるものである。 |
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鉾、大榊、先供・輿番の浜印を植えて |
憑代 |
とする 10:42 |
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海浜の |
修祓 |
/遠州灘 |
福田 |
海岸(静岡県磐田市) 10:46 |
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▼▲ 最初に、禰宜(ねぎ)が海神(わたのかみ)と祓戸大神(はらえどのおおかみ)を迎える迎神詞を奏上。「オー」と警蹕(けいひつ)を掛けて座に戻り、続いて米、魚、酒などを献饌(けんせん)したあと、
久野宮司が砂浜に直に正座し、祝詞(のりと)を奏上した。 |
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見物客に囲まれて |
祝詞 |
を奏上する久野宮司 10:52 |
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御幣 |
によるお祓いに続いて切り |
麻 |
でお清め 10:57 |
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▲▼
大麻(おおぬさ)と紙吹雪のような切麻(きりぬさ)による修祓(しゅばつ)の後、参列者全員に20cmほどの竹串に紙垂(しで)を付けて麻で縛った小祓(こばらい)が配られ、各自、起立したまま、小祓に息を吹きかけたあと、頭からつま先まで、左、右、左と身体を祓(はら)った。 |
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こばらいに
いきをふきかけ みそぐあき |
The autumnal purification,
insufflating an exorcising charm with breath. |
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