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平成21年(2009)9月23日(水)秋分の日、日帰りで静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の浜垢離(はまごり)を密着取材した。朝4時起きしてJR青梅線の一番電車で東京駅に出て新幹線こだまで浜松駅まで行き、東海道線で磐田駅に着いたのが午前9時前。タクシーで見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅に行き、そこから福代さんに付きっきりで案内して頂いた。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 磐田市の中心部に位置する見付宿場通り(みつけしゅくばどおり)(旧東海道)一帯は、江戸時代に東海道五拾三次の見付宿(みつけじゅく)として栄えた宿場町である。国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、8日間にわたって行われる矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神)の秋の例大祭で、その最大の見所が毎年旧暦8月10日の直前の土日に催行される御大祭(ごたいさい)である。 |
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矢奈比賣神社(見付天神)公式サイト 見付天神裸祭保存会公式サイト |
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明治末期の見付宿
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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▲ 164km2の市域に17万人が暮らす磐田市は、静岡県西部・天竜川の東側に隣接し、律令時代以降、遠江国(とおとおみのくに)の国府・国分寺が置かれた古代の政治文化の中心都市であり、戦国時代から江戸時代にかけては、東海道53次の宿場町である見附宿(みつけじゅく)として栄えた。 |
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昭和15年(1940)、磐田郡見付町(みつけちょう)・中泉町(なかいずみちょう)・西貝村(にしがいむら)・天竜村(てんりゅうむら)が合併して磐田郡磐田町が発足。昭和23年(1948)に市制が施行され、平成17年(2005)には磐田市と磐田郡竜洋町、福田町、豊田町、豊岡村が合併して、現在の磐田市となった。 |
東海道本線敷設に際しては、見付町の南の中泉町に中泉駅が設置され、磐田町に合併後は磐田駅となって発展した。現在、磐田市はオートバイメーカーのヤマハ発動機や自動車メーカーのスズキの企業城下町で、サッカーのJリーグ・ジュビロ磐田の本拠地として知られる。 |
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東海道五拾三次之内 見附 / 歌川廣重 画
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▲ 見附宿(みつけじゅく) は、旧東海道の宿場で、東海道五拾三次の江戸から数えて28番目、京から数えて26番目にあたり、現在の静岡県磐田市の中心部に位置する。「見附」の名は、京から江戸に下る途中、旅人が初めて富士山を見付けることができる場所であったことから付けられたとされる。 |
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10世紀に遠江国の国府が置かれ、鎌倉期には国衙*(こくが)と守護所**(しゅごしょ)が置かれたことから、中世の東海道屈指の規模を持つ宿場町となった。 |
天竜川の左(東)岸にあたるが、大井川と違って水深があったため、主に舟が使われており、大井川ほどの難所ではなかった。しかし、川止めのときは、島田宿などと同様に、足止めされた人々で賑わった。また、遠江国分寺や見附天神の門前町であり、姫街道***(ひめかいどう)の分岐点でもあった。 |
*国衙(こくが):日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画
**守護所(しゅごしょ):中世日本において守護が居住した館の所在地
***姫街道(ひめかいどう):主要街道の別ルート(人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ない街道) |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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平成21年(2009)は、9月26日(土)・27日(日)に御大祭(ごたいさい)が行われたが、その7日前の9月20日(日)が祭事始(さいじはじめ)で、午後3時、見付天神裸祭の開始を告げる煙火(はなび)一発が打ち上げられ、元宮天神社(もとみや・てんじんしゃ)(通称「元天神(もとてんじん)」)において、元宮天神社祭が行われた。 |
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御大祭7日前に行われる |
祭事始 |
/元天神 2009.9.20 15:00 |
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2008年の写真:見付天神裸祭保存会 |
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▲▼ 祭事始(さいじはじめ)は、8日間に及ぶ見付天神裸祭の開会式であると同時に、元天神のお祭りという二面性がある。厳粛な神事にあわせて、地元では前日から祭屋台を繰り出して賑やかなお祭り騒ぎとなり、この日の午後は祝いの餅投げなども行われた。 |
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祭屋台から祝いの餅投げ/元天神
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2008年の写真:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 午後10時、煙火一発が打ち上げられると、約35分間、境内や街道筋は灯(あか)りが消されて暗闇となり、「御斯葉(みしば)下(お)ろし」といわれる祭礼地区の道清め(通称「おみしまさま」)が行われた。社務所や大鳥居、街道の交差点など13箇所に「見付天神」と記された木綿(ゆう)と麻(ぬさ)を垂らした長さ約1mの門榊(かどさかき)を立て、御饌米(おせんまい)が献ぜられた。街道筋では敬虔な町民たちが神事を見守り、御饌米を拝受した。 |
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暗闇で行われる |
御斯葉下 |
ろし/見付宿場通り(旧東海道) |
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2008年の写真:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 御大祭(ごたいさい)3日前に氏子たちの心身を清める行事が浜垢離(はまごり)で、今年は9月23日(水)に見付天神南方約8kmの遠州灘に面する福田海岸で行われた。 |
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貸し切りバスで見付公民館を出発する |
地脇町 |
の |
輿番 |
たち 2009.09.23 09:25 |
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▲▼ 今年、神輿を担ぐ輿番(こしばん)を務める地脇(じわき)町会のバスに福代さんと共に便乗し、祭会場には余裕を持って到着することができた。 |
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神輿渡御の指揮者・山内敏昭 |
輿長 |
の挨拶 09:35 |
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浜印を先頭に松原の神事が行われる斎場に向かう輿番たち 10:00
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▼ 午前10時過ぎから遠州灘に面する磐田市福田(ふくで)海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が始まった。 |
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28ヵ町の各総代を務める見付三社氏子崇敬者会の長老たち 10:10 |
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▲▼ 見付天神に向けた祭壇を囲み、見付天神の氏子28ヵ町の総代と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の先供(さきとも)や宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たちがコの字型に陣取った。 |
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祭壇は、神が降臨する神籬(ひもろぎ)となる松の木の根元に鉾(ほこ)を立て、先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が束ねられ、その手前に小唐櫃(こからびつ)を据え、その上に八足机(はっそくづくえ)が二台置かれたものである。 |
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松原放生会祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 10:15 |
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▲▼ この神事は、神宝(しんぽう)(神社の宝物や調度品)を祓い清めることと、命之魚(みょうのうお)を放つことにより殺生(せっしょう)の罪を祓い清める放生(ほうじょう)が目的である。神職二名により献饌(けんせん)と命之魚の献上が行われた後、鈴木宮司による祝詞(のりと)奏上が行われた。 |
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祝詞は、「矢奈比賣(やなひめ)神社の神霊に数々の神饌(しんせん)と命之魚をお供えし、神宝を祓い清める行事を行います。また、放生(ほうじょう)もしますので、今年の祭も賑やかく盛大にできますようお願いします。」という内容である。 |
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氏子総代・桜井淳一さんによる |
玉串奉奠 |
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▲▼ 続いて、氏子総代・桜井淳一さんによる玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われたあと、神職と先供(さきとも)たちが近くの小川に命之魚(みょうのうお)の放流に向かった。 |
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二番觸 |
の |
直会 |
会場のそばを行く放生行列 10:21 |
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▲▼ 命之魚(みょうのうお)は、何時の頃からか大原の大杉家の当主が捕獲して献上するのが習わしとなった。大杉家では「かけ魚(うお)」と称し、必ず奇数匹の鯔(いな)(鯔ぼらの子)を献上する。最近は鮒(ふな)が使われることが多く、今年は篦鮒(へらぶな)だった。 |
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へらぶなを かわにはなちて さとまつり |
A village ritual, releasing flat crucian carp in the river. |
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先供による |
命之魚 |
(へら鮒)の |
放生 |
10:25 |
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先供 |
の長老を先頭に松原から広大な福田浜に移動 10:30 |
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▲ 松原の神事が終わると、氏子関係者たちは次の神事である海浜の修祓(しゅばつ)のため、福田浜に移動した。 |
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鉾 |
、大榊、先供・輿番の |
浜印 |
を立てて祭壇をつくる神職や先供たち 10:33 |
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▲▼ スコップで砂浜を堀り、鉾(ほこ)と天神と呼ばれる大榊と共に先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が立てられ、神饌(しんせん)を載せる八足机(はっそくづくえ)などが置かれた祭壇は、遠州灘に向けられた。 |
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鈴木俊彦宮司による |
祝詞 |
奏上/海浜の |
修祓 |
10:45 |
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▼ 大榊や浜印の笹は、神の依り代(よりしろ)、つまり、神々が降臨するための目印で、神籬(ひもろぎ)となるもの。最初に、禰宜(ねぎ)が海神(わたのかみ)と祓戸大神(はらえどのおおかみ)を迎える迎神詞を奏上する。「オー」と警蹕(けいひつ)を掛けて座に戻る。続いて米、魚、酒などを献饌(けんせん)し、宮司が祝詞(のりと)を奏上する。大麻(おおぬさ)と切麻(きりぬさ)による修祓(しゅばつ)は、コの字型の三方に向かって行われる。 |
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砂浜に直接座して祝詞を奏上する宮司 |
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▼ 次に、参列者全員に20cmほどの竹串に紙垂(しで)を付けて麻で縛った小祓い(こばらい)が配られ、各自、起立したまま、小祓いで頭からつま先まで、左、右、左と身体を祓う。 |
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小祓いを氏子総代に配る権禰宜 |
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小祓いで全身を浄める輿番たち |
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▼ 撤饌(てっせん)のあと、禰宜による昇神詞の奏上で神々を送り、砂浜での修祓(しゅばつ)の神事が終わった。 |
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禰宜による神を送る昇神詞の奏上 10:50 |
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▼ 浜の神事が終わると、海の禊ぎに入る。先供(さきとも)や氏子総代たちは、茣蓙(ござ)の上で脱衣して六尺褌(ふんどし)一丁の裸形(らぎょう)となった。輿番は、袖をたくし上げ、袴の股立ち(ももだち)を取って水浴に備えた。 |
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禊の準備をする輿番(左)と |
先供 |
たち 10:54 |
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▼ 鈴木宮司始め神職たちもその場で脱衣して越中褌一丁になり、白地に赤い剣梅鉢(けんうめばち)の神紋の下に矢奈比賣天神社(やなひめ・てんじんじゃ)と墨書(ぼくしょ)した鉢巻を締めて、海の禊ぎに備えた。 |
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その場で脱衣して越中褌一丁になった鈴木宮司 10:55
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▼ 白晒の六尺褌姿となった先供(さきとも)たちは、小祓い(こばらい)に息を吹きかけ、祭壇のそばの砂浜に挿(さ)して厄を落としたあと、海に向かった。後に続く参列者たちも、次々に小祓いを砂浜に挿した。 |
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こばらいを はまにのこして あきみそぐ |
The autumnal purification, leaving an exorcising charm at the beach. |
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小祓いを砂浜に挿す |
先供 |
たち 10:56 |
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