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 旅紀行日本の裸祭り

2012年10月27日改訂

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♪太鼓メドレー

夜街道腰蓑梯団里祭  北舟

 

A village ritual, a large group with straw aprons on a night highway.

2009年10月11日制作

力水を浴びて揉み合う東中区梯団/福代邸前(旧東海道)

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力水を浴びて揉み合う東中区梯団/旧東海道福代邸前(静岡県磐田市)

国指定重要無形民俗文化財

神紋:八弁菊   矢奈比賣天神社   神紋:剣梅鉢

見付天神裸祭

道中練

▼ 本番を前に御瀧車の氏子たちが会所前で記念写真を撮った。最前列右側に東中区梯団長の片山千代三さんと並んで坐っておられるのが見付天神裸祭保存会会長の石川大造さんである。

御瀧車おんたきぐるま

(東中区)の記念撮影/宿町会所前 20:38

御瀧車(東中区)の記念撮影/宿町会所前 20:38

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▼ 午後9時になると煙火(はなび)1発が打ち上げられ宵祭が始まった。それに前後して、東中区梯団11ヵ町の祭組は「渡り付け」と呼ばれる挨拶廻りを行った。西区では「刻限触れ」、西中区では、「渡り付け」と呼ぶが、東区では挨拶廻りとなる。最初に親町(おやまち)から子町(こまち)に対して行われ、子町は親町へ返礼の使者を出す。
 梯団への各町合流のタイミングもこれにより調整される。この時は練りは行わず、「オイショ、オイショ」の掛け声だけで往復する。東中区の親町である御瀧車では、分担して他の10ヵ町へ渡り付けに出かけた。

御瀧車の地脇への渡り付け/地脇町会所(東中区) 20:53

御瀧車の地脇への渡り付け/地脇町会所(東中区) 20:53

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▲▼ 片山梯団長一行が向かったのは、地脇(じわき)町会所。双方とも横一列に並び、口上を述べ、訪問者に地脇の御神酒が振る舞われる。高野和彦警固長らが応対したが、梯団長と交わした熱い握手が印象的だった。左奥に庄さんの姿が見える。片山さんのご配慮にお礼申し上げる。

祭本番を前に熱い握手

祭本番を前に熱い握手

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▼ 親町の渡り付けが終わると、今度は受ける立場となる。数が多いので、纏めてやってくる祭組もあった。写真下は、手拭いを見ると、緑ヶ丘(みどりがおか)、北見(きたみ)、龍宮社(りゅうぐうしゃ)、元宮社(げんぐうしゃ)、地脇(じわき)が合同で御瀧車に渡り付けにやってきたことが分かる。4梯団で最大規模の渡り付けと思われる。
 独特の作法が決められており、双方が提灯を横一列に並べ、鉢巻を外して首に掛け代表者が「渡り付け、有り難うございます。提灯の合図のもと、親町との合流、宜しくお願いします。」と口上が述べられると、御瀧車の代表者がお礼の口上を述べ、若者が盃を配って御神酒を振る舞ったあと、拍手をして見送った。

東中区梯団の渡り付け/御瀧車会所前 21:12

東中区梯団の渡り付け/御瀧車会所前 21:12

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▼ 御瀧車(宿町)の会所の内部を撮影させてもらった。由緒ある屏風に囲まれて、天神様が祀られており、その前に長老たちが陣取っていた。左列中央の眼鏡をかけた人が平成14年(2002)にこれまでの組織を再編して新たに発足した見付天神裸祭保存会の石川大造・初代会長である。先ほどの記念撮影にも参加された。裸祭の主催者は保存会なので、石川さんが祭の最高責任者である。
 3日前の浜垢離で、御瀧車のテントの下で、郷土料理の昼食に舌鼓を打ちながら親しく歓談させて頂き、見付天神裸祭について忌憚のない感想や意見を述べさせて頂いた。特に、褌の徹底について持論をお話したところ、石川会長のご賛同を得られたのが嬉しかった。今後、この裸祭の衣装統一が徹底されれば、国の重要無形文化財にふさわしい「天下の奇祭」として、全国の有識者から高い評価が得られるものと思われる。

由緒ある屏風と天神様を祀った祭壇の前に陣取る長老たち/御瀧車(宿町)町会所

由緒ある屏風と天神様を祀った祭壇の前に陣取る長老たち/御瀧車(宿町)町会所

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  ▼ 渡り付けが終わると、いよいよ宵祭の見せ所である街道練りが始まった。宿町の祭組「御瀧車」は、旧東海道の見付宿場通りに繰り出し行進を始めた。最前列は前〆(まえじめ)として隊列が崩れないようスクラムを組みその中に練りの集団を封じ込めている。青のリストバンドが前〆であることを示す。「オイッショ、オイッショ!」の掛け声と共に行進する褌腰蓑姿の集団は、あっという間に町中を熱気に包んだ。  

御瀧車の行進/見付宿場通り(旧東海道) 21:35

御瀧車の行進/見付宿場通り(旧東海道) 21:35

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  ▼ 福代邸の二階からの眺めが素晴らしい。まさに高見の見物とはこのことだろう。この交差点で、東中区梯団の地脇と北部4町が写真右下の地蔵小路から御瀧車などと合流。見付天神裸祭最大の勢力にふくれあがり、その熱気に圧倒される。このアングルの写真は、福代さんのお勧めによるもので、裸祭のスケール感を表現できた。  

地蔵小路からの合流を待ち受ける東中区の祭組たち/福代邸前(旧東海道) 21:41

地蔵小路からの合流を待ち受ける東中区の祭組たち/福代邸前(旧東海道) 21:41

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地蔵小路から地脇、北部4町が合流!/福代邸前(旧東海道) 21:42

地蔵小路から地脇、北部4町が合流!/福代邸前(旧東海道) 21:42

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  夜街道腰蓑梯団里祭 北舟 

よかいどう こしみのていだん さとまつり

A village ritual, a large group with straw aprons on a night highway.

力水を浴びて揉み合う東中区の大梯団!/福代邸前(旧東海道)

力水を浴びて揉み合う東中区の大梯団!/福代邸前(旧東海道)

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西に移動を始めた東中区梯団/福代邸前(旧東海道) 21:42

西に移動を始めた東中区梯団/福代邸前(旧東海道) 21:42

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▲▼ 東中区の氏子最大勢力は、西に流れて行ったので、二階から急いで下りて街道を走り、やっと御瀧車に追いつき、見付宿場通り(旧東海道)での撮影に入った。

静岡銀行前で西区と擦れ合った東中区梯団/旧東海道 21:46

静岡銀行前で西区と擦れ合った東中区梯団/旧東海道 21:46

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▲▼ 静岡銀行前で西区と東中区の梯団同志の擦れ合い(すれ違い)があり、たった10分ほどで、盛り上がりは頂点近くに達し、既に陶酔状態の人もいる。写真下二列目に庄さんの姿が見える。凄(すさ)まじいばかりの熱気で、私も全身汗だくになりながら、シャッターを切り続けた。

汗だくのスクラム行進/東中区

汗だくのスクラム行進/東中区

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▼ 西区の宵祭・街道練りは、飯田正梯団長を先頭に8つの祭組の山車(だし)が並び、その後に前〆以下の裸の集団が続く。山車の順番は、子供連のときと同じである。
飯田梯団長を先頭に東に向けてパレードする西区梯団/旧東海道 21:47

飯田梯団長を先頭に東に向けてパレードする西区梯団/旧東海道 21:47

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  ▼ このあと、西区と東区との擦れ合い(農協前)など見せ場が続いたが、夜店などに阻まれて、擦れ合いのスケール感を出せる写真はうまく撮れないことが分かり、再度、福代邸の二階に陣取った。期待したとおり、東中区との擦れ合いを終えて東に向かう西区の勇姿を捉えることができた。  

静岡銀行前で東中区と擦れ合ったあと東に向かう西区梯団/福代邸前 21:55

静岡銀行前で東中区と擦れ合ったあと東に向かう西区梯団/福代邸前 21:55

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▼ しばらくして、東区梯団5ヵ町が西に向かう行列を撮影した。東区の山車(だし)は、眞車(しんしゃ)(おや町)・元門車(げんもんしゃ)(〆切)・権現(ごんげん)(三番觸)・宮本(みやもと)・元天神(もとてんじん)の順に並んでいる。
山車を先頭に街道を西行する東区梯団/福代邸(旧東海道)

(殿)元天神・宮本・権現(三番觸)・元門車(〆切)・眞車(先頭)

山車を先頭に街道を西行する東区梯団/福代邸(旧東海道)

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▼ 先頭の前〆は、黄色の向こう鉢巻をした屈強の男たちがスクラムを組んで行進している。白い紐の腕輪をしているのが見える。彼らは、元門車(げんもんしゃ)の氏子たちで深夜の神輿渡御の際に神輿に追従する裸っぽたちが乱入したり、担ぎ棒に上がったりして狼藉を働くことを防止するために、神輿の後部を〆切る特殊部隊である。
〆切を先頭に姿を見せた東区梯団/福代邸(旧東海道) 22:09

〆切を先頭に姿を見せた東区梯団/福代邸(旧東海道) 22:09

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▲ 彼らは堂入りの際には頬被りができる特権を持っている。神輿の親衛隊ということでそのような特権が許されているのだろう。神輿渡御は暗闇の中で行われるため、その姿を撮影することができないので、この写真はとても貴重なものとなった。
一団となって西進する裸っぽたち/(東区)

一団となって西進する裸っぽたち/(東区)

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▼ 続いて、西に向かう西中区の道中練りが現れた。西中区は、4梯団中最小のグループで、祭組は4ヵ町しかない。山車(だし)は、先頭から舞車(まいぐるま)(おや町)・元藏社(げんぞうしゃ)・天王(てんのう)・二番觸(にばんぶれ)の順に並んでいる。
山車を先頭に街道を東進する西中区梯団/福代邸前(旧東海道) 22:23

(先頭)舞車・元藏社・天王・二番觸(殿)

山車を先頭に街道を東進する西中区梯団/福代邸前(旧東海道) 22:23

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▼ 地蔵小路の交差点で立ち止まり、こちらに向かって敬意を表しておられるのが西中区梯団長の鈴木亨司さんで祭りが終わった後、松本邸で夜遅くまで歓談させて頂いた。群馬の新尺俊勝さんが二番觸に参加しているが、何処にいるか、確認することができなかった。

拝殿を目指す西中区の裸っぽたち/福代邸前(旧東海道) 22:24

拝殿を目指す西中区の裸っぽたち/福代邸前(旧東海道) 22:24

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