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 旅紀行日本の裸祭り

2012年10月27日改訂

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♪山伏/邦楽囃子

白褌の波に洗わる秋の垢離  北舟

 

The autumnal purification, white loincloths being washed by the waves.

2009年10月11日制作

一番觸の浜垢離/遠州灘

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一番觸の浜垢離/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市)

国指定重要無形民俗文化財

神紋:八弁菊   矢奈比賣天神社   神紋:剣梅鉢

見付天神裸祭

浜垢離

▼ 最初は神官たちの禊ぎで、午前11時頃、西(左)から鈴木宮司、2人の禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)の4人が鉢巻・越中褌姿で並び、遠州灘に向かって柏手(かしわで)を打ち、拝礼したあと、海に入って寄せ来る波を被り、身体を清めた。 

鈴木俊彦宮司(左端)ら神職の浜垢離 10:57

鈴木俊彦宮司(左端)ら神職の浜垢離 11:00

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神職たちの禊ぎ 10:58

神輿渡御の指揮者・山内敏昭輿長の挨拶 09:35

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▼ 宮司ら神官たちの禊ぎが続くなか、長老を肩車に御輿先供係(みこしさきともがかり)と書かれた浜印(はまじるし)を持つ旗手を先頭に、六尺褌一丁になった先供(さきとも)たちが氏子一番乗りで海に入った。

長老を肩車に海に向かう一番乗りの氏子たち/御輿先供係 10:58

長老を肩車に海に向かう一番乗りの氏子たち/御輿先供係 10:58

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▲▼ 先供(さきとも)正式には「矢奈比賣(やなひめ)神社御輿御先供係」で、「お道具持ち」とも呼ばれ神事の催行に重要な役割を果たす。江戸時代の中頃御幣弓、矢、太刀などを神社に奉納し、神輿巡幸の際には奉納者がそれらを持ってお供をしたことに始まる。この役は、名誉職として、代々その家が世襲して奉仕している。

童心に還る 11:00

童心に還る 11:00

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▼ 先供たちは波を浴びて垢離(こり)を取ったあと荒波に洗われて丸くなった小石12個を拾い浜砂と海水を桶に汲み取った。浜砂と海水は大祭前日の「御池(みいけ)の清祓(きよはらい)」に、小石は大祭の「御輿出御祭」に使われる。
  秋分の澄みし光や浜の垢離 北舟 

しゅうぶんの すみしひかりや はまのこり

The beach purification, clear sunlight of the Autumnal Equinox.

海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿

先供さきとも

海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿先供係

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▼ 続いて黒烏帽子・白丁上下・白足袋・草鞋姿の輿役(こしやく)たちが「御輿番・地脇」の浜印を掲げ、一体となって海に入り心身を清めた。輿番だけは裸にならず、神輿を担ぐときと同じように上衣の袖を肩までたくし上げ、袴の股立ち(ももだち)を取った勇壮なスタイルである。
浜印を掲げて海に向かう御輿番/

地脇じわき

(東中区) 10:59

浜印を掲げて海に向かう御輿番/地脇(東中区) 10:59

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▲▼ 輿番は、氏子28ヵ町のうち、権現町(ごんげんちょう)(東区)と地脇町(じわきちょう)(東中区)が交互に勤めている。今年輿番を勤める地脇町の場合は、宿町(しゅくまち)、新通町(しんどおりちょう)、清水町(しみずちょう)、中川町(なかがわちょう)からも若干の応援を受けた東中区五町連合である。
  輿番の意気高らかに秋の空 北舟 

こしばんの いきたからかに あきのそら

The autumn sky, portable shrine carriers in high spirits.

白丁たちの汐練り込み/地脇(東中区) 10:59

白丁たちの汐練り込み/地脇(東中区) 10:59

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▲▼ 見付天神の氏子たちの垢離取りは、粛々と行うのではなく、波をかぶりながら押し合い、腕を振り上げ、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声と共に地団駄(じだんだ)踏んで汐に練り込むという、さながら本祭の深夜に拝殿で行う鬼踊りを思わせる勇壮な垢離取りである。これを見ると、浜垢離から既に見付天神裸祭が始まったといえる。
海に向かう

一番觸いちばんぶれ

(西区)

海に向かう一番觸(西区)

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▲▼ 続いて、待ちきれずに浜印と觸鈴(ふれすず)を持って海に走り込ん行ったのは一番觸(いちばんぶれ)(一番町いちばんちょう)の氏子たち。裸祭りに際しては氏子28ヵ町は祭組(まつりぐみ)を編成し、町名とは別に独自の呼称を用いる。

波の中の裸練り/一番觸(西区) 11:06

波の中の裸練り/一番觸(西区) 11:06

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  白褌の波に洗わる秋の垢離 北舟 

びゃっこんの なみにあらわる あきのこり

The autumnal purification, white loincloths being washed by the waves.

波の洗礼!/一番觸(西区)

波の洗礼!/一番觸

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▲▼ 28の祭組は見付天神から遠い地区から順に並んだ西区・西中区・東中区・東区の4つの梯団(ていだん)に所属し、それぞれ8・4・11・5の祭組で編成され、見付天神・拝殿でフィナーレの鬼踊りが行われる堂入りは、梯団毎の順番で行われる。浜垢離もその順に添っているらしく、西区梯団に所属する一番觸が真っ先に海に入った。
子供連の裸っぽ登場/

玄社げんしゃ

(西区) 11:10
子供連の裸っぽ登場/玄社(西区) 11:10

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▲▼ 見付天神裸祭で目につくのは、次代を背負う子供たちの姿が多いことである。28の祭組は、それぞれ「子供連」を編成して世話役が付きっきりで指導し、保護育成に当たっている光景が印象的である。

気合いを入れてスクラム行進/玄社(西区)

気合いを入れてスクラム行進/玄社(西区)

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▲▼ 浜垢離の正装は、町印の鉢巻に六尺褌を前袋式に締めるのが習わし。江戸時代から続く伝統衣装を大切に守っているが、ここでも褌を締めるのが恥ずかしいという現代っ子をどう指導してゆくかが問われており祭組によって格差が見られる。

波打ち際で水垢離/玄社(西区)

波打ち際で水垢離/玄社(西区)

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▲▼ 西区の玄社(げんしゃ)(幸町さいわいちょう)は、殆どが正装の子供たちで、比較的浅い波打ち際で元気に水浴びをしている姿はとても頼もしく、楽しそうで、気持ち良さそうだった。

浜垢離を終えて松原に引き揚げる子供たち/玄社(西区)

浜垢離を終えて松原に引き揚げる子供たち/玄社(西区)

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▼ 西区に続いて西中区の裸っぽが海に入り、舞車(まいぐるま)(馬場町ばばちょう)、元藏社(げんぞうしゃ)(元倉町もとくらちょう)、天王(てんのう)(天王町てんのうちょう二番觸(にばんぶれ)(二番町にばんちょう)の4町が一団となって波に揉まれた。

舞車・元藏社・天王・二番觸まいぐるま・げんぞうしゃ・てんのう・にばんぶれ

4町の海中禊ぎ (西中区) 11:17
舞車・元藏社・天王・二番觸4町の海中禊ぎ(西中区) 11:17

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▲▼ 西中区は4つの梯団の中で祭組の数が4つで最も少なく、それだけにまとまりが良い。4本の浜印と觸鈴を持った裸っぽたちは、大波を乗り越えながら、天神様の拝殿で行われる鬼踊りを披露してくれた。
大波を乗り越えた西中区4町
大波を乗り越えた西中区4町

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