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平成26年(2014)8月24日(日)から31日(日)までの8日間、静岡県磐田市(いわたし)に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)が開催された。事前に
見付天神裸祭のご案内
により「見付天神裸祭全国連和田グループ第六期」を募集し、8月27日(水)の浜垢離(はまごり)に 2人(東京・神奈川各1人)、8月30日(土)31日(日)の御大祭(ごたいさい)に 8人(北海道1人、東京5人、神奈川1人、大阪1人)が参加した。 |
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【凡例】
▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 ●:筆者の私見 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 164km2の市域に17万人が暮らす磐田市は、静岡県西部・天竜川の東側に隣接し、律令時代以降、遠江国(とおとおみのくに)の国府・国分寺が置かれた古代の政治文化の中心都市であり、戦国時代から江戸時代にかけては、東海道五十三次の宿場町である見附宿(みつけじゅく)として栄えた。 |
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昭和15年(1940)、磐田郡見付町(みつけちょう)・中泉町(なかいずみちょう)・西貝村(にしがいむら)・天竜村(てんりゅうむら)が合併して磐田郡磐田町が発足。昭和23年(1948)に市制が施行され、平成17年(2005)には磐田市と磐田郡竜洋町(りゅうようちょう)、福田町(ふくでちょう)、豊田町(とよだちょう)、豊岡村(とよおかむら)が合併して現在の磐田市となった。 |
東海道本線敷設に際して当時繁栄していた見付町の住民が家畜に影響が出ると考えて反対したため、その南の中泉町に中泉駅が設置され、磐田町に合併後は磐田駅となって発展した。現在、磐田市はオートバイメーカーのヤマハ発動機や自動車メーカーのスズキの企業城下町で、サッカーのJリーグ・ジュビロ磐田の本拠地として知られる。 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 見附宿(みつけじゅく) は、旧東海道の宿場で、東海道五拾三次の江戸から数えて28番目、京から数えて26番目にあたり、現在の静岡県磐田市の中心部に位置する。「見附」の名は、京から江戸に下る途中、旅人が初めて富士山を見付けることができる場所であったことから付けられたといわれる。 |
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東海道五拾三次之内 見附 / 歌川廣重 画
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▲ 10世紀に遠江国の国府が置かれ、鎌倉期には国衙*(こくが)と守護所**(しゅごしょ)が置かれたことから、中世の東海道屈指の規模を持つ宿場町となった。 |
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天竜川の左(東)岸にあたるが、大井川と違って水深があったため、主に舟が使われており、大井川ほどの難所ではなかった。しかし、川止めのときは、島田宿などと同様に、足止めされた人々で賑わった。また、遠江国分寺や見附天神の門前町であり、姫街道***(ひめかいどう)の分岐点でもあった。 |
*国衙(こくが):日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区域
**守護所(しゅごしょ):中世日本において守護が居住した館の所在地
***姫街道(ひめかいどう):主要街道の別ルート(人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ない街道) |
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見付天神裸祭「 |
御大祭 |
」会場の衛星画像 |
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画像:Google Earth |
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▲▼
磐田市の中心部に位置する見付宿場通り(みつけしゅくばどおり)(旧東海道)一帯は、江戸時代に東海道五拾三次の見付宿(みつけじゅく)として栄えた宿場町である。国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、8日間にわたって行われる矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神)の秋の例大祭で、その最大の見所が毎年旧暦8月10日の直前の土日に催行される御大祭(ごたいさい)と、その3日前に行われる浜垢離(はまごり)で、今年は、浜垢離が
8月27日(水)御大祭が8月30日(土)31日(日)に開催された。
裸祭が8月で完結するのは60年ぶりとのことで、極めて珍しい。来年の御大祭は、9月19日(土)20日(日)で、通常の秋祭となる。 |
矢奈比賣神社(見付天神)公式サイト 見付天神裸祭保存会公式サイト |
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画像:Google Earth |
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見付天神裸祭は、矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神社)の女神・矢奈比賣が遠江国の総社である淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)の男神・大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとへ一夜の逢瀬を楽しむために神輿渡御する祭である。渡御に先立ち、褌(ふんどし)腰蓑(こしみの)姿の裸衆が道中練りと称して町中を練り歩き、拝殿で鬼踊りと称して乱舞することから裸祭と呼ばれる。 |
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女神が渡御する姿を見られたくないとの思いからか、神輿渡御の際は、沿道の全ての照明が落とされ、暗闇の中で密かに渡御が行われる。現在でもこれらの神事が厳しく護られていることが国の重要無形民俗文化財に指定された大きな要因となっている。 |
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平成26年(2014) |
見付天神裸祭 |
ポスター(B2) |
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ちなみに、同じような伝説は、7月7日の夜に牽牛と織女が出会う七夕(たなばた)のほか、12月に行われる秩父の夜祭では、秩父神社の女神(妙見菩薩)と武甲山(ぶこうさん)の男神(蔵王権現)が年に一度の逢瀬のために御旅所へ渡御する。
秩父夜祭 |
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平成26年(2014) |
見付天神裸祭 |
ガイドブック表紙 |
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● 5年前の平成21年(2009)に初めて見付天神裸祭を密着取材したことがきっかけで、当時、見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよよういち)さんや副事務局長の松本直希(まつもとなおき)さん(現事務局長)と知り合い、それ以来、保存会の役員を中心に、地元の氏子の方々との交流が始まった。 |
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▲▼ 撮影した写真は、毎年保存会に謹呈しており、その写真がガイドブックに採用されるようになった。今年のガイドブックにも昨年撮影した写真が多数掲載されており、写真下の目次頁には「協力 Wa★Daフォトギャラリー 撮影 和田義男」と紹介されている。 |
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平成26年(2014) |
見付天神裸祭 |
ガイドブック目次 |
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▲▼ 筆者の手元には「はだかまつり」という表題の見付天神裸祭ガイドブックがある。初出の平成19年版以来、平成26年版まで8巻を数える。見付天神裸祭ガイドブック編集委員会によるものだが、実質的には浜松市のデザイン会社に依頼しており、とても洗練された内容で、さすがプロの仕事だと思う。 |
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平成26年(2014) |
見付天神裸祭 |
日程表 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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ガイドブックは、毎年全戸に配布されるが、とても良く分かるので、好評を博している。
06・07頁には「裸祭まつりのこころえ」が懇切丁寧に説明されている。
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一時期、パンツの使用を認めたことから衣装の乱れが生じ、保存会では、国指定重要無形民俗文化財にふさわしく、浜垢離では町印手拭いの鉢巻と晒(さらし)の褌(ふんどし)、御大祭ではそれに加えて晒の腹巻(はらまき)・腰蓑(こしみの)・黒足袋(くろたび)・草鞋(わらじ)という伝統衣装に統一した美しい裸祭を目指している。 |
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平成26年(2014)「裸祭のこころえ」
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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ガイドブックの08・09頁には、4梯団28祭組の構成と御大祭の見所が紹介されている。堂入りに先立つ道中練りで梯団のすれ違いがひとつの見所で、「擦れ合い」と呼ばれている。しかし、上からの撮影でない限り、このシーンを撮影するのは難しい。「鬼おどり」は拝殿板間での裸踊りで、最大の見所である。毎年、保存会の計らいで祝詞殿(のりとでん)と呼ばれる幣殿から激写しており、今年も素晴らしいシーンを多数切り取ることができた。 |
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ちなみに、祝詞殿に入るには、白足袋の白丁姿であることが鉄則なので、和田グループの中で私だけが違った衣装となっている。 |
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平成26年(2014)各 |
梯団 |
の運行概要 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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平成26年(2014) |
見付天神裸祭 |
会場 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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平成26年(2014)8月27日(水)、日帰りで静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭の浜垢離(はまごり)を密着取材した。朝4時起きしてJR青梅線の電車で河辺(かべ)駅から東京駅に出て、07:03発新幹線ひかり461号(2号車)で浜松駅まで行き、東海道線で磐田駅に着いたのが08:49だった。
時間がないので、昨年同様、新幹線のトイレの中で褌を締めた。(笑) |
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見付天神と愛称される |
矢奈比賣天神社 |
/静岡県磐田市 |
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▼ 駅前からタクシーで見付天神裸祭保存会の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅(カットサロン小西)に行き、慌ただしく取材準備を整えたのち、JA遠州中央前から出発する輿番・東区権現(ごんげん)(三番觸)のバスに福代さんと共に便乗させて頂き、遠州灘(えんしゅうなだ)福田海岸(ふくでかいがん)に向かった。 |
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貸し切りバスで |
福田 |
海岸に向かう今年の |
輿番 |
・東区 |
権現 |
(三番觸) 2014.08.27 09:36 |
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午前9時半に輿番のバスが出発すると、権現町の総代・大杉正見(おおすぎまさみ)さん(右)と輿長の高尾範任(たかおのりたか)さん(中央)の挨拶のあと、缶ビールやおつまみが配られ、朝からお祭り騒ぎとなった。お目出度いこの日は、見付地区の小中学校は臨時休校となった。 |
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頭 |
を垂れる稲穂 / 磐田市郊外 214.08.27 09:45 |
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▲▼ 新幹線の高架下を通り、JR磐田駅南方の郊外に出ると、頭(こうべ)を垂れた稲穂が我々を迎えてくれた。間もなく実りの秋を迎える稲田は、そこかしこで黄色に色づき始め、今年も豊作に違いない。 |
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遠鉄バスが水田の中を快調に南下するなか、緑のリボンが鮮やかな三番觸の觸鈴が次々に手渡され、打ち振られてゆく。バスの中に心地よい鈴の音が響き渡り、徐々にお祭り気分が高まって行った。 |
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遠州灘 |
福田 |
海岸に向かう3号車で早くも盛り上がる輿番・権現 09:54 |
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▼ 神輿渡御の際に神輿を担ぐ輿番という大役は、東区・権現町(ごんげんちょう)権現と東中区地脇町(じわきちょう)地脇の二つの祭組が交互に分担しており、今年は権現が輿番である。烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)・腹巻・褌(ふんどし)・白足袋(しろたび)・草鞋(わらじ)という装束が義務づけられている。 |
天神様の神輿は、輿番しか担ぐことができないので、輿番は裸祭の主役であり、栄誉職である。御大祭当日、暗闇の中を渡御する際には裸っぽたちが神輿に触れないよう東区・富士見町元門車(げんもんしゃ)が〆切りとして神輿の後部をガードする。輿番はそれほどの特権を持つ役職なのである。 |
今年、6度目の取材となった筆者は、権現のバスに乗せてもらうのはこれで3度目で、すっかり顔なじみになった。有り難いことに部外者である私にも觸鈴を打ち鳴らす栄誉が与えられたので、愛機を福代さんに手渡し、早速撮影して貰った。三番觸の觸鈴を手にするのは初めてのことで、とても感動した。 |
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浜垢離では、初めて取材したときに保存会の事務局長をされていた福代さんが私に同伴してサポートして下さるので、とても有り難い。今年も海に入って激写すべく、福代邸でTシャツ・海水パンツに着替え、荷物を保管して頂いた。取材終了後、福代邸でシャワーを浴び、奥様の運転で磐田駅まで送って頂いた。 |
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かつて |
屋形船 |
で浜に向かった |
今之浦川 |
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和田グループの今年の浜垢離参加者は、私と庄俊之さん(46歳 相模原市)の2名。全員、東中区・宿町(しゅくまち)御瀧車(おんたきぐるま)に参加し、庄さんは、例年通り、片山千代三(かたやまちよみ)東中区梯団長のお世話になった。
御大祭参加者に聞くと、是非、浜垢離にも参加してみたいという声が多いが、現役のサラリーマンは、休暇を取らなければならず、なかなか参加者が増えない。 |
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▲▼ 浜垢離は、家族全員で参加するピクニックでもある。今年は、28町総勢2500人が53台の大型バスで福田海岸の駐車場に乗り込んだ。これだけの台数を揃えることができるのは、遠州鉄道(株)が運営する遠鉄バスのみで、仮設テントの従業員に聞くと、あちこちの営業所からかき集めてきたという。 |
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大型バス53台で28町2500人を運んだ遠鉄バスの従業員たち / 福田海岸駐車場 09:57
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▼ 毎年浜垢離が行われる遠州灘・福田海岸は、急に深くなっており、波にさらわれると溺れる危険がある。そのため、監視員を多数配置する必要があり、その大役を引き受けているのがサーフ・パトロールの隊員たち。 |
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見るからに逞しい人たちで、安心して浜垢離を行うことができる。ビーチに赤と黄色の二色旗を両端に立て、その間が遊泳許可区域(監視区域)となる。赤いのが溺者用の救命浮器。 |
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地元の長老に聞くと、子供の頃は赤褌を(あかふん)締めて泳いでいたという。白はなく、黒(黒猫褌)もあったらしい。救命浮器や救命浮環が赤なのは目立つからで、褌の色も同様であると考えられ、かつては赤褌が全国的に水着として愛用されていたことが伺える。 |
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浜垢離の安全を守るサーフ・パトロールの皆さん/福田海岸駐車場 09:58
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福田海岸の駐車場に着くと、輿番・権現は二列縦隊となり、浜印(はまじるし)を先頭に松原の式場に向かった。 |
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浜印 |
を先頭に松原の式場に向かう 10:04 |
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福田海岸の松原を三番觸の觸鈴を打ち鳴らしながら行進するのは、警固長の小西大作さん。永年、権現の現場指揮を務める。 |
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▼ 午前10時15分過ぎから遠州灘に面する磐田市福田(ふくで)海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が始まった。 |
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松原 |
放生会 |
祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 〜 |
祝詞 |
を奏上する久野隆宮司〜 10:20 |
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輿番↓ |
↓神輿先供係(手前) |
↓見付天神三社崇敬者会(奥) |
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▲▼ 見付天神に向けた祭壇を囲み、氏子28ヵ町の神社総代(見付天神三社崇敬者会)と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の先供(さきとも)と呼ばれる神輿先供係(みこしさきともがかり)や宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たちがコの字型に陣取った。 |
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祭壇は、神が降臨する神籬(ひもろぎ)となる松の木の根元に鉾(ほこ)を立て、先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が束ねられ、その手前に小唐櫃(こからびつ)を据え、その上に八足机(はっそくづくえ)が二台置かれたものである。 |
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氏子長老による |
玉串奉奠 |
10:23 |
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見付天神三社崇敬者会・新井清作会長↓ |
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↓見付天神裸祭保存会・鈴木亨司会長 |
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▲ この神事は、神宝(しんぽう)(神社の宝物や調度品)を祓い清めることと、命之魚(みょうのうお)を放つことにより殺生(せっしょう)の罪を祓い清める放生(ほうじょう)が目的である。神職二名により献饌(けんせん)と命之魚の献上が行われた後、
昨年3月に禰宜(ねぎ)から昇格した久野隆(くのたかし)宮司(48歳)による祝詞(のりと)奏上・玉串奉奠(たまぐしほうてん)と氏子総代による玉串奉奠が行われた。 |
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福田海岸に到着した祭組
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命之魚 |
を放流する小川に向かう神輿 |
先供 |
係 10:29 |
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▲▼ 松原で放生(ほうじょう)される命之魚(みょうのうお)は、何時の頃からか大原の大杉家の当主が捕獲して献上するのが習わしとなっている。大杉家では「かけ魚(うお)」と称し、必ず奇数匹の鯔(いな)(鯔ぼらの子)を献上するという。しかし、実際は、篦鮒(へらぶな)が献上され、松原近くの小川に放流された。 |
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命之魚 |
(篦鮒)を小川に放流する 10:32 |
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▲▼ 今年の命之魚(みょうのうお)は大1小2合計3匹の篦鮒(へらぶな)で、いつもの小川に放流されたが、水量が少なく、ちょっと可哀想だった。このままでは死んでしまうので、後で今之浦川まで運んでやると良いのだが・・・ 。 |
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松原に引き返すと、西中区二番觸のテントで褌を締めている光景に出会った。いつもお世話になっている祭組なので、顔見知りも多い。早速声を掛けて、子供たちの晴れ姿を撮影し、後日、2Lサイズにプリントして進呈した。 |
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松原で浜垢離の支度をする西中区二番觸の氏子たち 10:35
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▼ 二番觸の法被は、鉢巻に使用する町印の手拭いを縫い合わせて作ったもの。大人サイズだと7枚ほど必要だという。子供サイズだと2〜3枚でできそうだ。全国的には、手拭いを縫い合わせて褌にする例が多いが、見付では法被に仕立てるのが流行っているという。 |
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ふれすずや ふんどしわらべ
あきのはま |
Hand bell, fundoshi boy at autumnal beach. |
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赤リボンの觸鈴を持った男の子/西中区・二番觸 10:36
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