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平成24年(2012)の初秋、静岡県磐田市(いわたし)に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)が開催された。事前に
見付天神裸祭のご案内
により「見付天神裸祭全国連和田グループ第四期」を募集し、9月19日(水)の浜垢離(はまごり)に3人(水浴2人)、9月22日(土)〜23日(日)の御大祭(ごたいさい)に10人(堂入り
9人)、延べ13人(札幌市、土浦市、新座市、八王子市、青梅市、川崎市、相模原市、吹田市)が参加した。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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画像:Google Earth |
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▲ 164km2の市域に17万人が暮らす磐田市は、静岡県西部・天竜川の東側に隣接し、律令時代以降、遠江国(とおとおみのくに)の国府・国分寺が置かれた古代の政治文化の中心都市であり、戦国時代から江戸時代にかけては、東海道53次の宿場町である見附宿(みつけじゅく)として栄えた。 |
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昭和15年(1940)、磐田郡見付町(みつけちょう)・中泉町(なかいずみちょう)・西貝村(にしがいむら)・天竜村(てんりゅうむら)が合併して磐田郡磐田町が発足。昭和23年(1948)に市制が施行され、平成17年(2005)には磐田市と磐田郡竜洋町
(りゅうようちょう)、福田町(ふくでちょう)、豊田町(とよだちょう)、豊岡村(とよおかむら)が合併して、現在の磐田市となった。 |
東海道本線敷設に際しては、当時繁栄していた見付町の住民が家畜に影響が出ると考えて反対したため、その南の中泉町に中泉駅が設置され、磐田町に合併後は磐田駅となって発展した。現在、磐田市はオートバイメーカーのヤマハ発動機や自動車メーカーのスズキの企業城下町で、サッカーのJリーグ・ジュビロ磐田の本拠地として知られる。 |
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東海道五拾三次之内 見附 / 歌川廣重 画
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▲▼ 見附宿(みつけじゅく) は、旧東海道の宿場で、東海道五拾三次の江戸から数えて28番目、京から数えて26番目にあたり、現在の静岡県磐田市の中心部に位置する。「見附」の名は、京から江戸に下る途中、旅人が初めて富士山を見付けることができる場所であったことから付けられたといわれる。 |
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10世紀に遠江国の国府が置かれ、鎌倉期には国衙*(こくが)と守護所**(しゅごしょ)が置かれたことから、中世の東海道屈指の規模を持つ宿場町となった。 |
天竜川の左(東)岸にあたるが、大井川と違って水深があったため、主に舟が使われており、大井川ほどの難所ではなかった。しかし、川止めのときは、島田宿などと同様に、足止めされた人々で賑わった。また、遠江国分寺や見附天神の門前町であり、姫街道***(ひめかいどう)の分岐点でもあった。 |
*国衙(こくが):日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画
**守護所(しゅごしょ):中世日本において守護が居住した館の所在地
***姫街道(ひめかいどう):主要街道の別ルート(人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ない街道) |
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見付天神裸祭「 |
御大祭 |
」会場の衛星画像 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 磐田市の中心部に位置する見付宿場通り(みつけしゅくばどおり)(旧東海道)一帯は、江戸時代に東海道五拾三次の見付宿(みつけじゅく)として栄えた宿場町である。国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、8日間にわたって行われる矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神)の秋の例大祭で、その最大の見所が毎年旧暦8月10日の直前の土日に催行される御大祭(ごたいさい)と、その3日前に行われる浜垢離(はまごり)で、今年は、浜垢離が9月19日(水)、御大祭が9月21日(土)・22日(日)に開催された。 |
矢奈比賣神社(見付天神)公式サイト 見付天神裸祭保存会公式サイト |
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画像:Google Earth |
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見付天神裸祭は、矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神社)の女神・矢奈比賣が遠江国の総社である淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)の男神・大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとへ一夜の逢瀬を楽しむために神輿渡御する祭である。渡御に先立ち、褌(ふんどし)腰蓑(こしみの)姿の裸衆が道中練りと称して町中を練り歩き、拝殿で鬼踊りと称して乱舞することから裸祭と呼ばれる。 |
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女神が渡御する姿を見られたくないとの思いからか、神輿渡御の際は、沿道の全ての照明が落とされ、暗闇の中で密かに渡御が行われる。現在でもこれらの神事が厳しく護られていることが国の重要無形民俗文化財に指定された大きな要因となっている。 |
ちなみに、同じような伝説は、7月7日の夜に牽牛と織女が出会う七夕(たなばた)のほか、12月に行われる秩父の夜祭では、秩父神社の女神(妙見菩薩)と武甲山(ぶこうさん)の男神(蔵王権現)が年に一度の逢瀬のために御旅所へ渡御する。
秩父夜祭 |
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平成24年 |
見付天神裸祭 |
ガイドブック表紙 |
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拡大写真(1400x2000)533KB |
資料:見付天神裸祭保存会 |
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三年前の平成21年(2009)に、初めて見付天神裸祭を密着取材したことがきっかけで、見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよよういち)さんや副事務局長の松本直希(まつもとなおき)さんと知り合い、それ以来、保存会の役員を中心に、地元の氏子の方々との交流が始まった。 |
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▲ 今年で4年目を迎えた筆者は、地元の氏子の方にも知られるようになり、今年のガイドブックの表紙を飾った西区
玄社(げんしゃ)の
村松和義さんからも「今年のガイドブックの表紙に載りました」と挨拶された。 |
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平成24年版ガイドブック目次
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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▲ 筆者の手元には「はだかまつり」という表題の見付天神裸祭ガイドブックがある。初出の平成19年版以来、平成24年版まで6版を重ねる。見付天神裸祭ガイドブック編集委員会によるものだが、実質的には浜松市のデザイン会社に依頼しており、とても洗練された内容で、さすがプロの仕事だと思う。目次ページには、「協力 Wa☆Daフォトギャラリー 撮影 和田義男」と表示されており、私の写真がガイドブックの作成に一役買っている。 |
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今年、担当者にお会いしたところ、筆者の写真を頼りにしているという。既に保存会広報班を自認しているので大変光栄に思い、今年も原画約5,200枚をDVDに納めて福代事務局長宛にお送りする。来年のガイドブックにどの写真が採用されるのか、今から楽しみである。 |
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平成24年 |
見付天神裸祭 |
日程表 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 毎年全戸に配布されるガイドブックは、今年で6冊目となったが、とても良く分かるので、好評を博している。
22・
23頁には「裸祭まつりのこころえ」が懇切丁寧に説明されている。
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一時期、パンツの使用を認めたことから衣装の乱れが生じ、保存会では、国指定重要無形民俗文化財にふさわしく、浜垢離では、町印手拭いの鉢巻と晒(さらし)の褌(ふんどし)、御大祭では、それに加えて晒の腹巻(はらまき)・腰蓑(こしみの)・黒足袋(くろたび)・草鞋(わらじ)という伝統衣装に統一した美しい裸祭を目指している。 |
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裸祭のこころえ
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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ガイドブックの12・13頁には、4梯団28祭組の構成と御大祭の見所が紹介されている。堂入りに先立つ道中練りで梯団のすれ違いがひとつの見所で、「擦れ合い」と呼ばれている。しかし、上からの撮影でない限り、このシーンを撮影するのは難しい。「おにおどり」は、拝殿での裸踊りで、最大の見所である。毎年、保存会の計らいで、幣殿から激写しているので、今年も素晴らしい映像を多数記録することができた。 |
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拡大写真(2600X1850)1.28KB |
資料:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 平成23年見付天神裸祭のガイドブックには、和田グループの長谷川昇司世話役(61歳 東京都八王子市)と平成21年(2009)から和田グループに参加している庄俊之さん(44歳
神奈川県相模原市)の寄稿文が掲載された。 |
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平成23年 |
見付天神裸祭 |
の寄稿文 |
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拡大写真(1855X1310)633KB |
資料:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 平成22年見付天神裸祭のガイドブックには、和田グループの和田義男代表(65歳 東京都青梅市)と新尺俊勝世話役(51歳 茨城県土浦市)の寄稿文が掲載されたので、光栄にも2年連続して和田グループから4人の寄稿文が採用された。 |
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和田グループは、平成21年(2009)に初めて参加して以来、保存会の方々との交流が始まり、御大祭の参加人員は、平成22年が7人、平成23年は8人、そして平成24年の今年は10人と毎年増えているのが嬉しい。 |
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平成22年度 |
見付天神裸祭 |
の寄稿文 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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平成24年(2012)9月19日(水)、昨年に引き続き、日帰りで静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の浜垢離(はまごり)を密着取材した。朝4時起きしてJR青梅線の電車で河辺(かべ
)駅から東京駅に出て八塚さんと合流、07:03発新幹線ひかり461号(2号車)で浜松駅まで行き、東海道線で磐田駅に着いたのが08:49。 |
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貸し切りバスでJA遠州中央見付支店前から出発する |
輿番 |
の |
権現 |
2012.09.19 09:31 |
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権現町総代・大杉正見さんの挨拶 |
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タクシーで見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅に行き、地元関係者のお世話になりながら浜垢離を満喫し、感動写真を多数切り取ることができた。 |
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和田グループの今年の浜垢離参加者は、私を入れて庄俊之さん(44歳
相模原市)と八塚正基さん(63歳 新座市)の3名。ウィークデーなので、会社を休めず、参加できない人が多い。 |
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▲▼
神輿渡御の際に神輿を担ぐ輿番という大役は、東区・権現町(ごんげんちょう)権現と東中区地脇町(じわきちょう)地脇の二つの祭組が交互に分担している。今年は権現が輿番となっており、福代さんと共にJA遠州中央見付支店前からバスに同乗させていただき、浜垢離会場の福田浜(ふくではま)に向かった。 |
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バスの中で盛り上がる |
輿番 |
の氏子たち 09:46 |
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浜垢離には、毎年、福代さんがサポートして下さるので、とても有り難い。今年も海に入って激写すべく、福代邸でTシャツ・海水パンツ・サンダル履きに着替え、荷物を保管して頂いた。雨のため、レインコートを着用し、レンズ拭き用タオル3枚を用意。終わった後は、福代邸でシャワーを浴び、奥様の運転で磐田駅まで送って頂いた。 |
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▼ 午前10時過ぎから遠州灘に面する磐田市福田(ふくで)海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で、「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が始まった。 |
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松原 |
放生会 |
祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 10:15 |
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↓神輿先供係 |
↓輿番 |
神社総代(見付天神三社崇敬者会)↓ |
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▲▼ 見付天神に向けた祭壇を囲み、氏子28ヵ町の神社総代(見付天神三社崇敬者会)と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の先供(さきとも)と呼ばれる御輿先供係(みこしさきともがかり)や宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たちがコの字型に陣取った。 |
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祭壇は、神が降臨する神籬(ひもろぎ)となる松の木の根元に鉾(ほこ)を立て、先供の浜印(はまじるし)(旗)が束ねられ、その手前に小唐櫃(こからびつ)を据え、その上に八足机(はっそくづくえ)が二台置かれたものである。 |
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▲▼ この神事は、神宝(しんぽう)(神社の宝物や調度品)を祓い清めることと、命之魚(みょうのうお)を放つことにより殺生(せっしょう)の罪を祓い清める放生(ほうじょう)が目的である。神職二名により献饌(けんせん)と命之魚の献上が行われた後、鈴木俊彦宮司による祝詞(のりと)奏上・玉串奉奠(たまぐしほうてん)と氏子総代による玉串奉奠が行われた。 |
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氏子総代による |
玉串奉奠 |
10:19 |
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見付天神三社崇敬者会・鈴木弘副会長↓ |
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↓見付天神裸祭保存会・鈴木亨次会長 |
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松原で放生(ほうじょう)される命之魚(みょうのうお)は、何時の頃からか大原の大杉家の当主が捕獲して献上するのが習わしとなっている。大杉家では「かけ魚(うお)」と称し、必ず奇数匹の鯔(いな)(鯔ぼらの子)を献上するという。しかし、実際は、篦鮒(へらぶな)が献上され、松原近くの小川に放流された。 |
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命之魚 |
(篦鮒)を小川に放流する 10:26 |
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▼ 松原の神事が終わると、氏子関係者たちは次の神事である海浜の修祓(しゅばつ)のため、福田浜に移動した。 |
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強風・降雨のなか海浜の |
修祓 |
に向かう一行 10:31 |
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▼ 榊(さかき)と注連縄(しめなわ)が結びつけられた鉾(ほこ)を持った神職が波打ち際まで進み、空に向けて依代(よりしろ)となる鉾を振り回して神々の降臨を促す儀式を行った。 |
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空に向けて |
依代 |
の |
鉾 |
を振り回して神々の降臨を促す 10:32 |
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白砂青松の広大な福田浜の渚で、スコップで穴を堀り、鉾(ほこ)と天神(てんじん)と呼ばれる大榊(おおさかき)と共に先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が立てられ、神饌(しんせん)を載せる八足机(はっそくづくえ)などが置かれた祭壇が遠州灘に向かって据え付けられた。大榊や浜印の笹は、神々の依代(よりしろ)、つまり、神々が降臨するための目印で、神籬(ひもろぎ)となるものである。 |
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鉾、大榊、先供・輿番の浜印を植えて |
憑代 |
とする 10:34 |
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▼ 最初に、禰宜(ねぎ)が海神(わたのかみ)と祓戸大神(はらえどのおおかみ)を迎える迎神詞を奏上。「オー」と警蹕(けいひつ)を掛けて座に戻り、続いて米、魚、酒などを献饌(けんせん)したあと、雨の降る中、鈴木宮司が砂浜に直に正座し、祝詞(のりと)を奏上した。 |
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雨に打たれながら行われた海浜の |
修祓 |
/遠州灘 |
福田 |
海岸(静岡県磐田市) 10:43 |
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大麻(おおぬさ)と紙吹雪のような切麻(きりぬさ)による修祓(しゅばつ)の後、参列者全員に20cmほどの竹串に紙垂(しで)を付けて麻で縛った小祓(こばらい)が配られ、各自、起立したまま、小祓に息を吹きかけたあと、頭からつま先まで、左、右、左と身体を祓(はら)った。 |
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小祓 |
に息をかけ全身を拭って厄を祓う 10:48 |
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▼ 撤饌(てっせん)のあと、禰宜による昇神詞の奏上で神々を送り、砂浜での修祓(しゅばつ)の神事が終わると、海に入って垢離(こり)を取る浜垢離(はまごり)を行うため、先供
たちは、砂浜の上で脱衣して六尺褌(ろくしゃくふんどし)一丁の裸形(らぎょう)となった。 |
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その場で裸になる御輿 |
先供 |
係たち 10:54 |
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▲▼ 輿番は、白丁の袖をたくし上げ、袴の股立ち(ももだち)を取って水浴に備えた。神職だけは、禊の定番である越中褌を着用しているが、氏子たちは、全員、六尺褌に統一している。 |
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▼ 全身の厄(やく)を拭い取った小祓(こばらい)を神々の降臨する憑代(よりしろ)の下に立てて、祓戸大神(はらえどのおおかみ)にその処理を託したのち、浜垢離(はまごり)に向かうのが伝統の作法である。 |
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小祓 |
を |
憑代 |
の下に立てる 10:56 |
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▼ 最初は神職たちの禊で、西(左)から鈴木宮司、2人の禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)の4人が白鉢巻・越中褌姿で並び、遠州灘に向かって柏手(かしわで)を打ち、拝礼したあと、海に入って波を被り、身体を清めた。 |
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えんしゅうの よするまきなみ あきのこり |
The autumnal water purification,
the
rolling waves
rushing at Ensyu. |
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大波に洗われる神職たち〜アニメーション〜 10:57
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