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平成23年(2011)の初秋、静岡県磐田市(いわたし)に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)が開催された。事前に
見付天神裸祭のご案内
により和田グループ(第三期)を募集し、水曜日の浜垢離(はまごり)に5人(水浴4人)、土日の御大祭(ごたいさい)に8人(堂入り7人)、合計9人(札幌市、土浦市、
新座市、八王子市、青梅市、川崎市、相模原市、静岡市、豊中市)が参加した。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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画像:Google Earth |
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▲ 164km2の市域に17万人が暮らす磐田市は、静岡県西部・天竜川の東側に隣接し、律令時代以降、遠江国(とおとおみのくに)の国府・国分寺が置かれた古代の政治文化の中心都市であり、戦国時代から江戸時代にかけては、東海道53次の宿場町である見附宿(みつけじゅく)として栄えた。 |
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昭和15年(1940)、磐田郡見付町(みつけちょう)・中泉町(なかいずみちょう)・西貝村(にしがいむら)・天竜村(てんりゅうむら)が合併して磐田郡磐田町が発足。昭和23年(1948)に市制が施行され、平成17年(2005)には磐田市と磐田郡竜洋町
(りゅうようちょう)、福田町(ふくでちょう)、豊田町(とよだちょう)、豊岡村(とよおかむら)が合併して、現在の磐田市となった。 |
東海道本線敷設に際しては、当時繁栄していた見付町の住民が家畜に影響が出ると考えて反対したため、その南の中泉町に中泉駅が設置され、磐田町に合併後は磐田駅となって発展した。現在、磐田市はオートバイメーカーのヤマハ発動機や自動車メーカーのスズキの企業城下町で、サッカーのJリーグ・ジュビロ磐田の本拠地として知られる。 |
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東海道五拾三次之内 見附 / 歌川廣重 画
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▲ 見附宿(みつけじゅく) は、旧東海道の宿場で、東海道五拾三次の江戸から数えて28番目、京から数えて26番目にあたり、現在の静岡県磐田市の中心部に位置する。「見附」の名は、京から江戸に下る途中、旅人が初めて富士山を見付けることができる場所であったことから付けられたとされる。 |
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10世紀に遠江国の国府が置かれ、鎌倉期には国衙*(こくが)と守護所**(しゅごしょ)が置かれたことから、中世の東海道屈指の規模を持つ宿場町となった。 |
天竜川の左(東)岸にあたるが、大井川と違って水深があったため、主に舟が使われており、大井川ほどの難所ではなかった。しかし、川止めのときは、島田宿などと同様に、足止めされた人々で賑わった。また、遠江国分寺や見附天神の門前町であり、姫街道***(ひめかいどう)の分岐点でもあった。 |
*国衙(こくが):日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画
**守護所(しゅごしょ):中世日本において守護が居住した館の所在地
***姫街道(ひめかいどう):主要街道の別ルート(人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ない街道) |
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見付天神裸祭「 |
御大祭 |
」会場の衛星画像 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ 磐田市の中心部に位置する見付宿場通り(みつけしゅくばどおり)(旧東海道)一帯は、江戸時代に東海道五拾三次の見付宿(みつけじゅく)として栄えた宿場町である。国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、8日間にわたって行われる矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神)の秋の例大祭で、その最大の見所が毎年旧暦8月10日の直前の土日に催行される御大祭(ごたいさい)と、その3日前に行われる浜垢離(はまごり)で、今年は、浜垢離が8月31日(水)、御大祭が9月3日(土)・4日(日)に開催された。 |
矢奈比賣神社(見付天神)公式サイト 見付天神裸祭保存会公式サイト |
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画像:Google Earth |
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見付天神裸祭は、矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神社)の女神・矢奈比賣が遠江国の総社である淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)の男神・大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとへ一夜の逢瀬を楽しむために神輿渡御する祭である。渡御に先立ち、褌(ふんどし)腰蓑(こしみの)姿の裸衆が町中を練り歩き、拝殿で鬼踊りと称して乱舞することから裸祭と呼ばれている。 |
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女神が渡御する姿を見られたくないとの思いからか、神輿渡御の際は、沿道の全ての照明が落とされ、暗闇の中で密かに渡御が行われる。現在でもこれらの神事が厳しく護られていることが国の重要無形民俗文化財に指定された大きな要因となっている。 |
ちなみに、同じような伝説は、7月7日の夜に牽牛と織女が出会う七夕(たなばた)のほか、12月に行われる秩父の夜祭では、秩父神社の女神(妙見菩薩)と武甲山(ぶこうさん)の男神(蔵王権現)が年に一度の逢瀬のために御旅所へ渡御する。
秩父夜祭 |
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見付天神裸祭の起源や歴史など、詳しいことは、処女作
見付天神裸祭
に詳述しているので、参照されたい。 |
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平成23年度 |
見付天神裸祭 |
ポスター |
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二年前の平成9年(2009)に、初めて見付天神裸祭を密着取材したことがきっかけで、見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよよういち)さんや副事務局長の松本直希(まつもとなおき)さんと知り合い、それ以来、保存会の役員を中心に、地元の氏子の方々との交流が始まった。 |
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平成23年度 |
見付天神裸祭 |
日程表 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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▲▼ 事前に松本さんから「はだかまつり」と題する見付天神裸祭ガイドブック平成23年度版(A5・48頁)が送られてきた。日程表は、日付が変わっただけで、例年と同じ内容だった。 |
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平成23年度 |
見付天神裸祭 |
参加の心得 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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毎年全戸に配布されるガイドブックは、今年で5冊目となったが、とても良く分かるので、好評を博している。22・
23頁には「裸祭まつりのこころえ」が懇切丁寧に説明されている。 |
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一時期、パンツの使用を認めたことから衣装の乱れが生じ、保存会では、国指定重要無形民俗文化財にふさわしく、浜垢離では、町印手拭いの鉢巻と晒(さらし)の褌(ふんどし)、御大祭では、それに加えて晒の腹巻(はらまき)・腰蓑(こしみの)・黒足袋(くろたび)・草鞋(わらじ)という伝統衣装に統一した美しい裸祭りを目指している。 |
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平成23年度 |
見付天神裸祭 |
会場 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 平成23年度見付天神裸祭のガイドブックには、和田グループの長谷川昇司世話役(60歳 東京都八王子市)と和田フォトギャラリーの紹介で平成21年(2009)から参加している庄俊之さん(43歳 神奈川県相模原市)の寄稿文が掲載された。 |
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平成23年度 |
見付天神裸祭 |
の寄稿文 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 平成22年度見付天神裸祭のガイドブックには、和田グループの和田義男代表と新尺俊勝世話役の寄稿文が掲載されたので、光栄にも2年連続して和田グループから4人の寄稿文が採用された。 |
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和田グループ代表は、平成21年(2009)に初めて取材して以来、保存会の方々との交流が始まり、昨年、第2期和田グループを募集し、浜垢離に4人(水浴2人)、御大祭
に7人(堂入り6人)が参加した。第3期となった今年は、浜垢離が5人(水浴4人)、御大祭が8人(堂入り7人)と、徐々に参加者が増えているのが嬉しい。 |
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平成22年度 |
見付天神裸祭 |
の寄稿文 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 平成23年(2011)8月31日(水)、昨年に引き続き、日帰りで静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の浜垢離(はまごり)を密着取材した。朝4時起きしてJR青梅線の電車で河辺(かべ)駅から東京駅に出て八塚さんと合流、07:03発新幹線ひかり461号(2号車)で浜松駅まで行き、東海道線で磐田駅に着いたのが08:49。 |
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貸し切りバスで見付公民館前から出発する |
輿番 |
の |
地脇町 |
2011.08.31 09:15 |
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磐田駅で静岡の池端さんと合流し、3人がタクシーで見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅に行き、地元関係者のお世話になりながら浜垢離を満喫し、感動写真を多数切り取ることができた。 |
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神輿渡御の指揮者・上村英夫 |
輿長 |
の挨拶 09:28 |
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▲▼
神輿渡御の際に神輿を担ぐ輿番という大役は、東区・権現町(ごんげんちょう)権現と東中区地脇町(じわきちょう)地脇の二つの祭組が交互に分担している。今年は地脇が輿番となっており、一昨年と同様、福代さんと共に見付公民館前からバスに同乗させていただき、浜垢離会場の福田浜(ふくではま)に向かった。 |
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白丁 |
姿の |
輿番 |
地脇 |
2011.08.31 09:29 |
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浜垢離には、毎年、福代さんがサポートして下さるので、とても有り難い。今年も海に入って激写すべく、福代邸で海水パンツ・サンダル履きに着替え、荷物を保管して頂いた。終わった後は、福代邸でシャワーを浴び、奥様の運転で磐田駅まで送って頂いた。 |
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浜印 |
を先頭に松原の神事が行われる斎場に向かう輿番たち 09:54 |
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▼ 午前10時過ぎから遠州灘に面する磐田市福田海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が始まった。 |
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↓神社総代(見付天神三社崇敬者会) |
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▲▼ 見付天神に向けた祭壇を囲み、氏子28ヵ町の神社総代(見付天神三社崇敬者会)と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の神輿先供係(みこしさきともがかり)や宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たちがコの字型に陣取った。 |
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祭壇は、神が降臨する神籬(ひもろぎ)となる松の木の根元に鉾(ほこ)を立て、神輿先供係の浜印(はまじるし)(旗)が束ねられ、その手前に小唐櫃(こからびつ)を据え、その上に八足机(はっそくづくえ)が二台置かれたものである。 |
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松原 |
放生会 |
祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 10:04 |
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↓輿番 |
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▲▼ この神事は、神宝(しんぽう)(神社の宝物や調度品)を祓い清めることと、命之魚(みょうのうお)を放つことにより殺生(せっしょう)の罪を祓い清める放生(ほうじょう)が目的である。神職二名により献饌(けんせん)と命之魚の献上が行われた後、鈴木俊彦宮司による祝詞(のりと)奏上と玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われた。 |
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↓輿番 |
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ひもろぎに たまぐしささぐ
あきのはま |
Autumn beach, offering branches of a sacred tree to
the
descending site of gods. |
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神社総代による |
玉串奉奠 |
10:08 |
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見付天神三社崇敬者会・石川大造会長↓ |
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↓見付天神裸祭保存会・鈴木亨次会長 |
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▲ 続いて、神社総代による玉串奉奠が行われた。昨年まで見付天神裸祭保存会長を務めた石川大造さんは、今年、見付天神三社崇敬者会長に就任し、西中区梯団長を務めた鈴木亨次さんが保存会長になった。氏子の総代として、お二人が並んで玉串を捧げた。 |
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命之魚 |
を放流する小川に向かう御輿 |
先供 |
係 10:10 |
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▲▼
松原で放生(ほうじょう)される命之魚(みょうのうお)は、何時の頃からか大原の大杉家の当主が捕獲して献上するのが習わしとなっている。大杉家では「かけ魚(うお)」と称し、必ず奇数匹の鯔(いな)(鯔ぼらの子)を献上するという。しかし、実際は、篦鮒(へらぶな)が献上され、松原近くの小川に放流された。 |
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命之魚 |
(へら鮒)を小川に放流する 10:14 |
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