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午後7時ころから松本邸で新尺・長谷川両世話役が褌を締める奉仕をすると聞いていたので、子供連の取材の後、松本邸に直行したところ、二階にある居間の奥の仏間で、二人の世話役が和田グループ参加者や希望者の褌を締めていたので、その様子を取材した。 |
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松本邸にて褌を締める和田グループ 2011.9.3 19:35
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松本直希さん(二番觸警固長
)の奥様 |
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匠の技で褌を締める新尺・長谷川両世話役 19:45
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二度目の伊藤修さん(札幌市) |
内田啓吾さん(前二番觸警固長) |
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▲▼
新尺・長谷川の両世話役は、裸祭の超ベテランで、全国の裸祭に参加して、種々の褌を締めてこられ、匠の技ともいうべき技術を持つ。その素晴らしさに、前二番觸警固長の内田さんも感服し、締め直してもらったほどである。 |
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今年のガイドブックに「第三回女性と裸祭を語る会」の結果が掲載されており、「褌の締め方や草鞋の履き方が分からない子供が多い」という意見があったが、どこの裸祭でも褌係がいて締めてくれるので、そのような意見は実態を知らない空論のように思える。子供たちは何度も褌を締めてもらうちに、身体で覚えてゆくものであり、心配することは何もない。 |
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▲▼
以前にも保存会に提案しているが、匠の技を持つ両世話役による褌講習会を開催したり、希望者の褌を締めたりする奉仕は、時間のある限り実施させて頂きたいので、是非、ご検討願いたい。 |
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初参加の岩田さん(川崎市)の褌を締める長谷川世話役
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写真下は、長谷川世話役に締めてもらった岩田さんの褌姿である。痩せ形の人に比べ、岩田さんのように恰幅の良い人は、褌がよく似合うが、特に、匠の技で締めてもらった褌は、最後まで緩まず、美しい。 |
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この日、筆者は早朝、東京の自宅の風呂場のシャワーで禊をし、松本邸で新しい六尺褌を締め、お借りした白丁を身にまとい、白足袋・草鞋履きで天神様の社殿に上がって鬼踊りを激写した。このような衣装でないと、神聖な幣殿には上がれないという厳しい掟があるためである。(黒足袋・草鞋履きの氏子たちは、鬼踊りを行う拝殿には上がれるが、幣殿には上がることができない。) |
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▲▼ 筆者が全寮制の大学生時代のとき、医師に勧められて越中褌を締めるようになって45年ほどになるので、褌は身体の一部のようなものだが、気合いを入れるときには六尺褌でないといけない。松本邸の仏間で、自分で締めた六尺褌は、片山梯団長と同じ前垂式である。白丁の下は、六尺一丁で、腹巻は締めない。 |
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▼ 写真下は、昨年まで保存会長を務められた石川大造さんとのツーショットである。今年から見付天神三社崇敬者会長に就任され、神事では氏子代表のトップとして重責を果たされているが、裸祭の第一線からは退き、去年のように褌腰蓑白丁上衣という勇壮ないでたちから一変して、今年は見学者の私服姿であった。 |
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鈴木亨司保存会長を囲んで / |
二番觸 |
(西中区)
20:35 |
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▲▼ 写真
上下は、今年から保存会長に就任された鈴木亨次さんの晴れ姿を撮影させて頂いたもの。保存会長が東中区の御瀧車から西中区の二番觸に移ったことで活気が漲り、「見付天神裸祭はかくあるべし!」と模範を示そうとする空気が充満していた。 |
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▼ 二番觸の会所には、赤いリボンをつけた觸鈴(ふれすず)が並べられ、赤色のリストバンド保持者の登録と装着が行われていた。かつては、リストバンドの偽物が出回り、それを防止するために、リストバンドに番号を表示したりするなど、色々な対策が講じられたようだが、今は贋作(がんさく)騒ぎは収まっているという。 |
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觸鈴 |
の準備 / |
二番觸 |
・二番町会所(西中区)
20:42 |
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▲▼
拝殿での鬼踊りは、裸祭のフィナーレであり、晴れ舞台である。觸鈴を手にして踊りたいという強い願望は誰もが持っている。拝殿で使用できる觸鈴は、1個だけということも更に希少価値を生んでいる。数を増やしても良いのではないかという意見もあるが、伝統の掟を変えるべきではないということもまた正しい考え方である。 |
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▼ 毎年、手作りで新しい觸鈴を三個作り、本番で使用する。祭組によって、製法が異なるのも興味深い。新しい觸鈴には榊がつけられて違いが分かるようになっている。 |
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鬼踊りで使用しているうちに、鈴口が微妙に変形し、音が低音に変わると、新しいものに交換するために予備が必要になる。拝殿では、鬼踊りの大音響のため、觸鈴の音は当人くらいしか聞こえないと思われるが、触番として觸鈴を鳴らしながら闇の中を疾走する際には、音が悪いといけないので、新品に取り替えるということなのだろう。ともあれ、音の変化まで聞き分けるとは、凄いこだわりで、鈴に込められた氏子たちの熱い思いに感動する。 |
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和田グループ / |
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二番觸 |
の晴れ姿(前) 20:47 |
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岩田(初) |
伊藤(2) |
新尺(3) |
長谷川(2) |
*小田(2) |
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いざゆかん ふんどしこしみの あきまつり |
Let's go to the autumn festival, wearing loincloth and straw
skirt. |
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和田グループ / |
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二番觸 |
の晴れ姿(後) |
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▼ 午後9時になると煙火(はなび)1発が打ち上げられ、宵祭が始まる。そのため、午後8時20分ころから、各町の出発準備が行われ、梯団内での挨拶廻りが始まる。西中区や東中区は、「渡り付け」、西区では「刻限触れ」、東区では
「挨拶廻り」という。 |
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舞車 |
舞車 |
による渡り付け(挨拶廻り) 20:44 |
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二番觸 |
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二番觸 |
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天王 |
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↓二番町会所 |
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その昔、見付宿には人身御供(ひとみごくう)の悲しい習わしがあり、それを救った霊犬・悉平太郎(しっぺいたろう)の伝説は今に語りつがれており、これが裸祭の起源ともいわれている。
悉平太郎伝説 |
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人身御供の長持ちには娘とともに必ず粟餅(あわもち)を入れていたという。霊犬・悉平太郎によって妖怪が退治された後も、粟餅は氏子の無病息災、五穀豊穣を祈り、天神社の大祭に神前に献上されてきたが、江戸時代の終わり頃、大祭で神供の新粟で作られたものを土産として売り出したのが始まりとなり、今日では祭りに欠かせないものとなった。
毎年土産に買って帰るが、家族から美味いと大好評を得ている。 |
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