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平成24(2012)9月22日(土)23日(日)の両日、
静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の御大祭(ごたいさい)を二泊三日の日程で密着取材した。 |
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見付天神裸祭「 |
御大祭 |
」会場の衛星画像 |
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画像:Google Earth |
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▼ 9月22日(土)JR東京駅新幹線ホームで八王子の長谷川昇司さん、JR浜松駅で群馬の新尺俊勝さんらと合流し、午後1時頃磐田市に到着。旧東海道見付宿(みつけじゅく)の見付天神入口にある江戸時代の寛政12年(1800)創業の老舗割烹旅館「大孫(だいまご)」にチェックインした後、御大祭の主要ポイントを下見した。 |
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見付天神裸祭「御大祭」の主な会場
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東海道分間絵図
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▼ 道中図(どうちゅうず)は、江戸時代に作成された陸路や海路を記した絵地図で、今日の道路地図と観光案内を組み合わせた要素を持つ。元禄3年(1690)に遠近道印(おちこちどういん)が「見返り美人図」で知られる菱川師宣(ひしかわ・もろのぶ)と共に製作した「東海道分間絵図」は、代表的な道中図のひとつであり、1/12,000の実測図上に河川や橋梁・宿場町・一里塚・名所旧跡などが師宣の絵によって詳細に描かれている。 |
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江戸時代に描かれた見付宿/東京国立博物館所蔵
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▲
道印とその門人は、優れた道中図製作者として知られるようになり、以後各地の道中図を製作するようになった。江戸幕府でも道中奉行所が道路事情の調査を兼ねた大規模な道中図製作を行った。それが6年の歳月をかけて文化3年(1806)に完成した全103巻の「五街道其外分間延絵図並見取絵図」で、五街道・付属街道・脇街道とその周辺情報が詳細かつ美麗に描かれて、全80巻にまとめられたものが東京国立博物館に所蔵されて重要文化財に指定されている。 |
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東海道見付宿案内板
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▼ 旧東海道見付宿(みつけじゅく)の見付天神入口にある江戸時代の寛政12年(1800)創業の老舗割烹旅館「大孫(だいまご)」にチェックインした後、御大祭の主要ポイントを下見した。 |
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二連泊した割烹旅館・ |
大孫 |
2012.9.22 14:10 |
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大孫前で祭用品を売るブランドIKEJIRI(池尻商店)
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▲▼ 見付宿場通り(旧東海道)の北側にある御廣前(おひろまえ)と書かれた一対の大提灯が見付天神の参道入口で、その直ぐ奥に比佐麻里祭(ひさまりまつり)と書かれた一対の大きな幟が立っている。総社の古い記録に飛蘇鞠(ひそまり)祭とあり、祭事始めの無言の参列や神輿渡御の際に灯火を消したり人声を禁じるなど、厳粛な祭事に徹する祭を表すものというが、その文字の詳しい意味は鈴木宮司にも分からないという。 |
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▼ 大鳥居の立つ「あと押し坂」に去年まであった巨大な神木は、消失していた。平成23年(2011)9月21日(水)に浜松に上陸した台風15号の直撃を受けて、矢奈比賣天神社の神木が多数倒壊する被害を受けたが、最大の被害は、この神木の消失である。 |
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▲▼
3年前に初めて見付天神を訪れたときに撮影した写真と比較すると、その違いがよく分かる。樹齢数百年と思われる三本楠(くす)の神木は、見付天神のシンボルともいえるものだっただけに、とても残念である。 |
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かつての巨大な三本 |
楠 |
の神木 撮影:2009.9.26 |
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赤鳥居↓ |
悉平太郎の像↓ |
見付天神裸祭の碑↓ |
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▲▼
更に参道をのぼると、赤鳥居と悉平太郎の銅像が立っているが、この付近も倒木の被害に遭っており、3年前の写真と比較すると、その差がよく分かる。 |
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倒木以前の赤鳥居と |
悉平太郎 |
の銅像 撮影:2009.9.26 |
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▲▼ 悉平太郎の銅像のそばに「国指定重要無形民俗文化財 見付天神裸祭」と書かれた石碑があり、その近くに磐田市教育委員会の説明板がある。これらは、平成12年(2000)に裸祭が静岡県指定から国指定の重要文化財に昇格したことを記念して設置されたもの。これを機に、平成14年(2002)には、従来の実行委員会を改編して見付天神裸祭保存会が発足し、裸祭は保存会が主催する祭礼となった。 |
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磐田市教育委員会による見付天神裸祭の説明
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▼ その昔、見付宿には人身御供(ひとみごくう)の悲しい習わしがあり、それを救った霊犬・悉平太郎(しっぺいたろう)の伝説は今に語りつがれており、これが裸祭の起源ともいわれている。その詳細は
悉平太郎伝説
に詳しい。 |
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▼
磐田市では、市政施行7年目に当たる平成23年(2011)、新たな磐田市のスタートを記念して8〜9月に磐田市を代表するイメージキャラクターのデザインを募集したところ、全国から1,210点もの作品が集まり、10月に選考委員会を開いて10点の候補作品に絞り、12月に市民投票を行った。その結果を参考に、本年1月20日に選考委員会を開催し、厳正な選考の結果、最優秀賞1点、優秀賞5点が決定した。 |
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最優秀賞は大阪府の田中みなみさんの作品「しっぺい」で、見付天神に伝わる民話「悉平(しっぺい)太郎」をモチーフにしたもの。ご覧のとおり、赤褌(あかふん)を締めたふくよかな白犬である。以後、赤褌犬(あかふんけん)と呼ぶことにする。横褌(よこみつ)が紐状なので、越中褌だと思われるが、見付天神裸祭に合わせて六尺褌の方が格好良いと思われる。しかし、決まってしまった以上訂正はできないだろう。 |
ともあれ、これで名実ともに見付天神裸祭が磐田市を代表するイベントとなったわけで、赤褌犬「しっぺい」が全国に知られるようになることを祈念している。ちなみに「しっぺい」はメロンが大好きだが、これは、磐田市がマスクメロンの名産地だから。ハウス栽培しているので、年中出荷されるという。 「しっぺい」壁紙ダウンロード |
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てんじんの あかふんけんや あきまつり |
Autumnal
festival, the red fundoshi dog of Tenjin shrine. |
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静岡県 |
磐田市 |
のイメージキャラクターに決まった「しっぺい」 |
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▼
赤鳥居から更に進むと、かつての楼門の礎石であった六ッ石(むついし)に至る。石が6個あるところから名付けられたものであろう。 |
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←山神社
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かつての大鳥居の礎石・ |
六ッ石 |
14:19 |
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▼ 六ッ石(むついし)の東側には、大山祇大神(おおやまずみのおおかみ)を祀る山神社(やまじんじゃ)が鎮座している。知らないと見過ごしてしまいそうな小さな祠(ほこら)で、暗夜に神輿を出発させる最後の神事が行われる。 |
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▼ 六ッ石の奥の石段を上ると、見付天神の拝殿に至る。広大な鎮守の森に鎮座する寄せ棟造の神殿である。 |
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見付天神 |
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矢奈比賣神社 |
) |
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▲▼ 見付天神の正式名称は矢奈比賣(やなひめ)神社であるが、矢奈比賣という女神がどのような神様なのか、鈴木宮司でも分からないという不思議な神社である。学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)を合祀しているため、見付天神と呼ばれている。 |
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矢奈比賣神社の創立年月は、詳(つまび)らかではないが、延喜式内社に列しており、古くは磐田市元天神の地に祀られていた。その後、現在地に奉遷されたが、その年月も詳らかでない。 |
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▲▼ 鈴木宮司が3日前の浜垢離で使用した鉢巻には「矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)」と表示されており、写真下の幣殿に安置された神社の旗印にも同様の表示がある。そこで、この作品も「矢奈比賣天神社」と表記し、矢奈比賣の神紋・八弁菊と菅原道真の神紋・剣梅鉢をあしらった。 |
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拝殿の西側には、御神庫から移された御本社神輿が安置され、天神と呼ばれる大榊と鉾や御幣が立て掛けられていた。 |
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拝殿の左右(西東)には、一対の願かけ牛が置かれている。西側が雌で東側が雄だという。祭神の菅原道真は丑歳の丑の日に生まれ、幾度となく牛に命を助けられたと伝えられていることから、天神を守護する動物となり、信者が触れることで願いが叶うという願かけ牛として敬われている。 |
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↓御神庫 |
天神(菅原道真)ゆかりの願かけ牛 |
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▼ 静岡銀行のすぐ東に位置する宿町(しゅくまち)老人憩いの家が和田グループの集合場所である。昨年、保存会が手配してくれた直会会場で、今年も和田グループの控え室として使わせて頂いた。 |
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静岡銀行そばの |
宿町 |
老人憩の家に入る和田グループたち 15:57 |
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午後1時から憩いの家で保存会と和田グループのミーティングが開かれた。保存会からは鈴木会長、松本副事務局長、東中区・片山梯団長、地脇・石山警固長が出席。和田グループからは、参加者10人全員が出席した。 |
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保存会と和田グループのミーティング/宿町老人憩の家 16:05
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地脇・石山警固長 |
保存会・鈴木会長 |
松本副事務局長 |
東中区・片山梯団長 |
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見付天神裸祭保存会・鈴木 |
亨司 |
会長/西中区前梯団長 |
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保存会・松本直希副事務局長/西中区二番觸警固長 |
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東中区(御瀧車)片山千代三梯団長 |
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東中区地脇・石山哲警固長 |
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▲▼
相互に挨拶を行った後、保存会から御大祭の進行について説明があり、そのあと、和田グループ参加者の祭組への割り振りが行われた。東中区御瀧車には、庄(4回目)、八塚(2)、小野寺(初)、藤田(初)、吉澤(初)の5名、西中区一番觸には、新尺(4)、長谷川(3)、伊藤(3)岩田(2)の4名がお世話になることになった。 |
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全国連和田グループ・和田義男代表の挨拶 16:06
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▲▼
質疑応答の後、腰蓑と草鞋が支給され、ミーティングは約1時間で終わった。席上、和田代表から出席者全員に過去3回の写真を収録した「見付天神裸祭」と題するプリントできるスライドショーCDと名簿が配られた。 |
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プリントできるスライドショーCD「見付天神裸祭」平成21年(2009)〜平成23年(2011)の記録
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午後5時から憩いの家で子供連参加者の出発準備が行われ、和田グループの新尺・長谷川両世話役が3名のインドネシア人と子供たちの褌を締めた。 |
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▲ インドネシア人は、磐田市に研修で派遣されている人たちで、子供連を先導する山車(だし)と呼ばれる万燈(まんとう)を持つために雇われたもので、日当15,000円が支給される。重労働のため三人で交代するので、一人5000円の取り分となる。最初は、パンツを脱ぐのに躊躇していたが、初めて締める六尺褌にすっかり感動していた。 |
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