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▼ 全ての取材を終わり、松本さんの案内で松本邸に向かうと、腰蓑納めをしたあと一団となって戻ってきた西中区・二番觸の氏子たちが、最後の裸練りを楽しんでいた。二番觸の場合、拝殿での鬼踊りの時間は30分ほどしかなく、神輿が拝殿を出発した後は、禁止されているので、まだ余力が残る若者たちの最後の楽しみになっているようである。草鞋が片方しかない者や裸足の者など、鬼踊りの凄まじさが想像された。 |
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力水を被った新尺俊勝さんの裸練り/二番觸(西中区)
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びゃっこんに すずうちならす よわのあき |
Midnight autumn, ringing a bell wearing a loincloth. |
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鉢巻を解き来年の元気な再会を約してお開き/二番觸(西中区) 00:55
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▲ 褌一丁の裸練りを撮り終えてから、新尺さんと共に松本邸にお邪魔して楽しい直会に加わり、ご馳走をよばれながら午前4時ころまで松本さんご夫妻始め、鈴木梯団長、内田警固長、その他の来客の方と和やかに歓談させて頂いた。最後に松本さんの奥さんが我々を車で大孫まで送って下さり、大変ご迷惑をおかけしてしまったが、見付地区の方々との貴重な出会いと交流は、一生の思い出となった。 |
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睡眠時間は数時間で朝を迎えたが、気が立っているためか疲労感はなく、朝8時に大孫の食堂で新尺さん共に割烹旅館のリッチな朝食を取った。 |
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その後、福代邸にお邪魔し、歓談していると、沢山の来客があり、自治会長などともお話をすることができ、大いに交流の輪が広がった。保存会に自治会が加わっていることで、自治会との連携もスムーズだという。 |
▼ 話が尽きなかったが、昼前に福代邸を辞し、浜垢離屋形船の復元・展示があるというので、馬場町(ばばちょう)の「いこい茶屋」に行って、最後の取材をした。 |
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浜垢離屋形船の復元展示/いこい茶屋(馬場町) 12:04
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▲▼ 浜垢離については、昭和28年(1953)まで各町が屋形船(やかたぶね)を仕立てて今之浦川を下って福田浜へ往復していたが、翌年から現在のようにバスを仕立てて浜垢離に向かうようになった。このほど文化振興基金から補助金を得て廃棄される運命にあった舟を復元・保存することができたので、それを記念して、西区・元喬車(げんきょうしゃ)のお囃子チームが屋形船に乗ってお囃子を演奏し、当時の様子を再現した。 |
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復元された屋形船でお囃子の演奏/元喬車(西区) 12:06
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▼ 写真下は、昭和初期の浜垢離風景である。各町が浜印(はまじるし)(船印)を立てた屋形船を仕立て、中川橋の下流から乗船し、大太鼓、小太鼓、笛、三味線でお囃子を演奏しながら中川〜今之浦川を下り、塩新田付近で下船し、浜印や楽器、料理、酒、筵(むしろ)などを持ち、1kmほど歩いて福田浜に行った。 |
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着飾った芸者衆が船に乗り込んで三味線を弾いていた祭組もあったらしく、艶やかで優雅な浜垢離だったという。 |
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塩新田の中島橋下流で屋形船から上陸して福田浜に向かう氏子たち/昭和初期の浜垢離
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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▲▼ お囃子を奏でながら賑やかに下ってゆく屋形船に向かって、大原の人たちが藁束(わらたば)を差し出し、屋形船の祭組の人たちが粟餅や浜垢離用の煮物料理などをお礼に渡した。男衆はこの藁を持ち帰り、腰蓑や草鞋を作り、それらを身につけて裸祭りに出かけたという。 |
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屋台囃子の子供たちの演奏/元喬車(西区) 12:07
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▲▼ 復元された川舟は、廣重が「東海道五拾三次之内 見附」で描いた川舟とそっくりで、歴史民俗的価値が高い。現在の展示場所は雨ざらしとなっているので、磐田市歴史民俗資料館(仮称)を建設して、かつての見附宿の遺産を保存し、見付天神裸祭の資料や川舟などを永久保存する対策が必要と思われる。 |
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東海道五拾三次之内 見附 / 歌川廣重 画
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▼ 屋形船の取材を終えて見付を後にしたので、午後から行われた還御(かんぎょ)の様子は、保存会から平成20年(2008)9月7日(日)に撮影した原画をお送りいただいたので、その写真をもとに簡単に紹介したい。まず、午後2時から御旅所の総社で、「浦安の舞」の奉納が行われる。 |
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「浦安の舞」奉納/総社 2008.9.7 14:00〜
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 午後5時、鳳輦車に神輿を奉安し、猿田彦を先頭に還御の行列が総社を出発する。一行は旧東海道を西へ進み、西坂、河原でそれぞれ御神酒献上を受け、境松御旅所を折り返し、愛宕下で御神酒献上を受け、三本松御旅所を経て見付天神に還御する。 |
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猿田彦を先頭に御神輿還御の行列/見付宿場通り(旧東海道) 17:00〜
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 神輿が見付天神に戻ると、拝殿前で輿番たちが何十回となく二百数十キロの神輿を振り上げ、八重に取り囲んだ先供たちは、神輿の上下にあわせて提灯を上下に振り、喜びを表す。御大祭のフィナーレを飾る勇壮な神輿練りである。 |
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はくちょうの みたまふりたる つきのよる |
A moonlit night, carriers waving the
portable shrine. |
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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▼ 神輿が見付天神拝殿に奉安後、還御後御本殿祭が行われ、これにて御大祭の幕引となる。8日間にわたる秋の例大祭で催行される神事は50回を超えるとのことで、見付天神裸祭における神事の重要性は、格別のものがある。これほど多くの神事を重ねる例大祭は、他に例がないのではなかろうか。 |
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このころ、必ずといって良いほど「お山洗い」と呼ばれるひと雨があり、見付の町に本格的な秋が訪れるという。 |
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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白丁姿の密着取材 |
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撮 影
2009年9月23・26・27日
OLYMPUS E-30 E-510
12-60mm
9-18mm 70-300mm
1230万画素 5,300枚 13.2GB
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素晴らしい裸祭りで、心底感動した。この感動巨編は終始感極まりながら編集し、本日一気呵成(いっきかせい)に仕上げることができた。 |
ひと言で感想を云えば、見付天神裸祭は「天下の奇祭」にふさわしい、ロマンと感動に満ちあふれた勇壮な裸祭りだといえる。 |
鈴木宮司以下の神職と大勢の氏子たちが褌一丁になって荒波寄せる遠州灘で垢離を取る勇壮な浜垢離神事、旧東海道を褌腰蓑の大集団が練り歩く道中練り、クライマックスの拝殿での鬼踊り、最後に深夜暗闇の街道を神輿が渡御する「おわたり」は、そのどれもが全国に例がなく、国の重要無形民俗文化財にふさわしい豊かな伝統文化を今に伝えている。 |
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特に褌姿は、日本人男性のアイデンティティ(日本人らしさ)の最たるもので、日本の高温多湿の気候風土に育まれた世界に誇る伝統文化であり、それを背負う見付の人々が羨ましく、また、頼もしくもある。
見付天神裸祭が国の重要無形民俗文化財に昇格したことを機に発足した見付天神裸祭保存会は、石川大造会長を中心に、国の重要文化財にふさわしい品位と格調を具備した裸祭りを目指して頑張っておられる。どの祭りも完璧で完成したものはなく、更に高きを目指して切磋琢磨する姿はとても美しい。私も微力ながら応援させていただきたい。 |
★☆★彡 |
来年の平成22年(2010)は、9月8日(水)が浜垢離、9月11日(土)・12日(日)が御大祭である。これにあわせて「霊犬悉平太郎(れいけん・しっぺいたろう)700年祭」が予定されているので、盛大な裸祭となることだろう。 来年は私が世話人になって和田グループを結成し、新尺俊勝さんに裸っぽリーダーをお願いし、見付天神裸祭参加希望者を保存会に斡旋したい。参加者は、磐田市へのアクセス、宿、食事、祭装束(印手拭い・腹巻・褌・腰蓑・黒足袋・草鞋)の購入など祭に参加するために必要な準備を含め、全て自己責任で行動していただく。祭当日は、裸祭の遵守事項を厳守し、お世話になる祭組の指示に従い、勝手な行動はとらないことなどを徹底させたい。
また、祭に参加しないアマチュア写真家の方々も和田グループに申し込んで頂ければ、撮影許可の斡旋やガイドブックだけでははっきりしない祭の進行予定や最適撮影場所などの取材情報を提供したい。
既に私を始め今年参加した新尺さんや庄さんが来年の参加を予定しているが、全国から多数のファンが和田グループに加わって裸祭のロマンと感動を味わって頂きたい。現地では、初心者でも安心して参加できるよう、全国の裸祭に参加しておられるベテランの新尺さんに伝統に則した褌・腰蓑・足袋・草鞋の装着法などを指導して頂き、保存会が目指しておられる品位と節度に優れた裸祭りを実践したいと考えており、ご賛同の方は、是非、応募願いたい。応募要領その他は、来年、しかるべき時機(御大祭の2ヵ月ほど前のガイドブックが完成する頃)に掲示したい。
来年の9月11日(土)・12日(日)は、大孫に連泊し、神輿の渡御だけでなく、還御も含めて密着取材したい。既に新尺さんも私も大孫の予約を完了している。今年は、東中区を中心とした取材だったので、和田グループがお世話になる予定の西中区・二番觸を中心に、西区や東区もできる限り伺って満遍なく取材したい。来年の新しい出会いと感動を今から心待ちにしている。 |
謝 辞 |
このたび、見付天神裸祭の本格的な密着取材を実施させて頂き、浜垢離3,000枚、御大祭2,300枚、合計5,300枚13.18GBにのぼる1,230万画素のデジタル写真を撮影できました。これは一重に見付天神社と見付天神裸祭保存会始め地元の方々の惜しみないご支援ごと鞭撻のお陰であり、心よりお礼申し上げます。
写真の原画は、後日全てDVDにコピーして保存会にお送り致しますので、今後の広報や記録保存にご活用下さい。これからも交流の輪を広げさせて頂き、少しでもお役にたてれば幸いです。どうか宜しくお願いします。有り難うございました。 2009.10.12 和田義男 〈 拝 〉 |
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日本の裸祭り第97集 「見付天神裸祭」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成21年(2009)10月11日 作品:第28作 画像:(大206+小13) 頁数:11 ファイル数:495 ファイル容量:128MB
平成12年(2000)〜平成21年(2009) 作品数:337 頁数:1,271 ファイル数:52,535 ファイル容量:7,232MB |
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びゃっこんの なみにあらわる あきのこり |
The autumnal purification, white loincloths being washed by the waves. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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「見付天神裸祭所感 」 新尺俊勝 (群馬県) |
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この度は、見付天神裸祭に参加させていただき、大変ありがとうございました。これほどすばらしい祭が全国的にあまり知られてないとは驚きです。国の重要無形民俗文化財として、更にすばらしいものとして頂きたいと願っております。今回参加させていただき、自分なりに他の祭と比べてすばらしいと思ったこと、こうしてもらいたいと思うことを以下に述べさせていただきました。参考となれば幸いです。 |
T すばらしいと思うところ |
1 浜垢離 |
今回は参加できなかったのですが、「身を清める」垢離を町を挙げてやっているのは、博多祇園山笠以外ないと思います。ここも同じように締め込み(褌)・水法被の正式装束で箱崎浜で身を清め、潮(砂浜の塩砂)を持ち帰ります。その砂はお汐井取りに参加できなかった者や山(山車)を舁く(担ぐ)男衆に振り掛けて厄除けをします。
しかし、見付天神ではそれだけではなく、浜垢離の神事が終わった後、参加できない女衆と飲み食いして、ちょっとした花遊山だったというではありませんか!神事の後にどんちゃん騒ぎのようなあっけらかんとした素朴な民衆のパワーを垣間見ることができると思います。(お江戸の時代の民衆にとっては1年に一度の祭ですから) |
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決まり事・やることはしっかりやる、しかし楽しむときは目一杯楽しむ、そのバランス感覚を昔の人々は持っていたのでしょうね。そして、それが現代も実践されているところがすばらしいと思います。 |
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2 参加している若者たち |
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全国様々な規模・参加対象の裸祭があり、一概には言えませんが、ここ見付天神の氏子地域の広さ・氏子の人数を考えると、裸っぽとして参加している若者は比率的にとても多いと感じました。また、他の裸祭では20代から60代まで幅広く参加していますが、ここはほとんどが若者。一般には恥ずかしがり屋や祭に出てこないことが問題となる中、こんなに若者がたくさん集まっているのには驚きました。それだけ地元の祭として若者が認識している証ではないでしょうか。自分は参加するまで、見付宿のそんなに広くはない地域からこれだけの若者が集まってくるとは思っていませんでした。 |
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3 祭組・梯団のまとまり |
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各梯団がその区内を練り歩き、梯団が擦れ合うところは最初の見せ場ですね。(観光の1ポイントでしょうか) しかし、決してもめ事にならない、俺が俺がと出しゃばらない。なんともすばらしい、というか見付の人々の仲間意識・優しさまで感じます。
見付では祭組・梯団がまとまって練り歩きます。裸祭で有名な西大寺、蘇民祭、的ばかいなどは、基本は個人で個々の押し合い(奪い合い)です。ここは皆が我が組、我が梯団としてまとまって練っているのはすばらしいと思います。
自分は、今回二番觸に参加させてもらったのですが、出発前の注意事項として、「鈴は奪い合うな。どんどん渡して皆で振れ」とありました。皆の祭、皆で祝う、皆で踊るという意味がこもったこの一言がとても印象に残っています。
数年前に三重伊勢神宮の伊勢市民祭に行った際、外宮(だったと記憶)の拝殿で宮司さんの言葉をいただきました。その中に「神様は人々みんなが力を合わせて一つのことを成し遂げることを喜ばれます」とありました。その言葉を思い出した一言でした。 |
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4 子供連の練り |
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子供たちの練りは、とてもすばらしいことです。伝統を継承するのは子供たち。将来、この子たちがどのように祭を継承してくれるのか楽しみに思いました。そのためには各町内の子供会や学校、PTAなどと祭組との協力が大切です。
子供たちは教えてやらなければ、自ら参加したい、我が町の祭に、我が町の一員として、という気持ちは芽生えません。形(装束)、決まり事はしっかりと徹底して教えてやることが大切だと思います。「いやだから自分はこれでいい」というのは、単なる我が儘でしかありません。逆に大人は決してそれを見過ごしてはいけないと思います。
博多祇園山笠では子供の時から祭に参加しています。参加しない、できないのは恥ずかしいことと子供たちは思っています。しかし、子供はずるをします。それを大人は他人の子供であれちゃんと叱ります。詰所では子供たちの場所が決まっており、大人と何時まで直来にいることができるのかも決まっています。それでも子供たちは毎日楽しんでいます。 |
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5 鬼踊りの盛り上がり |
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鬼踊りに似た祭が他にもありますが、見付天神裸祭はそれとは比べ物にならないほどの規模と盛り上がりです。最後の東区が入ってきた後は壮観ですね。まるで陶酔感にも似たような感じを覚えました。また、鬼踊りのさなか山神社への祈りと煙火、その中で「一番觸」、「二番觸」と鈴を持って駆け出す若者の姿は「神聖なもの」のように見えました。
奈良春日神社の祭りでは神様を降ろし奉る際、神職の声で邪悪なものから神様を守っています。神社という神域・結界を出ると常に悪しきものが取り囲むといいますが、神職・子供・老人の「声」には邪悪なものを払う力があると言います。一番觸、二番觸と言い、暗黒の中を駆けるのは、まるで、邪悪なものを払いのけているような気がしました。天神様が御通りになることを触れてまわり、神域から出ていただくための露払いでもあるのでしょう。
また、その間の街の通りの明かりが本当に全部消えていることにも驚きでした。おそらく、日本でもここでしかできないと思います。あの暗闇こそが神様の御旅を意味し、見付の人々が如何に見付天神を大切にしてきたかの証拠のようにも思われます。
明かりを消すのは西大寺裸祭で、宝木(しんぎ)投入のときに行われます。しかし、観客・カメラマンは関係なしなのでフラッシュの洪水です。
神輿が御旅所の総社に着御し、煙火が打ち上げられて明かりがつくときは、「やっと無事に御旅が終わった」という安堵感やまるで胎内くぐりをして外の陽の光を見たような安堵感と終わってしまったという失望感が入り交じったような、何とも形容しがたい脱力感に襲われたのを憶えています。緊張が一気に解き放されたせいでしょうか。
失礼とは思いますが、このような地方の例大祭にこれほどの神事が行われているとは思ってもいませんでした。おそらく規模的に見ると他に例を見ないのではないでしょうか。 |
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U こうあってもらいたいと思うこと |
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祭装束は祭組・町会の証 |
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祭は、氏子がみなで年に一度神様を祝う行事です。皆が一緒になって神様を神域からお連れして我々の元にお旅していただくこと。民衆の氏子としての証・団結を示すものとしても装束は大切です。祭のどの時はどのような装束かをしっかり守ることは礼儀でもあります。
裸祭では、褌を締めるなど今の世では恥ずかしいと思うものが多いと思います。しかし、これは守るべき装束であり、神前での礼儀であり、また仲間としての証でもあります。
博多祇園山笠では、小学生から締め込み(褌)姿で舁き手(男衆)の詰所に入ります。(女性は入れません) それを決して恥ずかしいとは思わず、仲間として扱われる喜びを感じています。大人も装束に関してはしっかり指導しています。
見付天神裸祭も、皆がしっかりと褌を締め、腰蓑・わらじ、町会手ぬぐいの締め方まで揃いにした正装で臨んではどうでしょうか。半ダコ・パンツはとんでもありません。崩れた装束姿は祭組・梯団として注意し、正しい装束にさせるか、排除すべきと思います。〈 完 〉 2009.10.11 新尺俊勝 |
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ながきよや ふんどしこしみの おにおどり |
A long autumnal night, Ogre Dance wearing a loincloth with a straw apron. |
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編集子の選ぶ傑作 |
早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/西区 23:00
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「参加して初めて知った祭りの醍醐味 」 庄 俊之 (神奈川県相模原市) |
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まずは、この祭りへの参加を許可していただいた保存会事務局長の福代様、ご多忙のなか、部外者の上、祭りにも初参加の私の面倒を細やかに見ていただいた片山梯団長様、そして、大変おいしい料理でもてないしていただきました片山様の奥様、また、祭り内で面倒を見ていただきました宿町の団員の皆様、その他大勢の皆様に本当に感謝いたしております。 |
私がこの祭りを知ったのは、何気なく見た和田フォトのホームページでした。写真の構図の参考だけではなく、それぞれの祭りの背景も詳しく書かれているため、バイブル的なホームページとして参照しており、今年の秋祭りはどこを観に行こうかな、とふとホームページを訪れたことがきっかけでした。 |
もともと、観ているよりは、参加したいという気はあったのですが、背が低いこともあり、御輿を担ぐ祭りへの参加は、躊躇しておりました。 |
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見付のお祭りは、御輿は輿番が担当と、役が明確なため、体格によらず参加できそうな印象を抱き、参加を思い立ちました。和田フォトのホームページのフレンドリーな参加募集のフレーズにも惹かれました。ただ、ホームページを観たのが16日と祭りの直前。参加できなければ観るだけでも良いかなと思いつつ福代様に連絡したのが17日。快諾していただき、思いがけず参加できることになりました。 |
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最初の行事は浜垢離。今年が厄年ということもあり、いろいろな場所で禊は行っていましたが、祭りでの禊は初参加。浜垢離前からお酒が入り、ちょいと水に入るのに不安が。 |
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実際の浜垢離が始まると、和やかな雰囲気もあり、そんな不安も無くなり、祭り行事への初参加を果たしました。言葉だけでは分からなかった「練り」も実際に体験することで要領を得て祭りに馴染めました。 |
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浜垢離が終わると直会。片山梯団長様から、祭りに関連するいろいろな楽しいお話(「車」が付いているのは、たいてい商店街。お金を持っている町会だ。とか、神輿渡御の別の解釈など)を解説していただきました。
おかげさまで、大変居心地の良い時を過ごさせて頂きました.....。 |
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さて、御大祭。期待と不安の2日間の空きのおかげで、すでに気分高揚。片山梯団長家に直接訪問して準備を。片山梯団長様のはからいで、今回も宿町の中に加えていただきました。
まずは、すぐに売り切れてしまうという、祭り衣装の調達。腰蓑は最後の1つでした。宵祭りまでには、しばらく時間があったので、露店を眺めつつ、練りのルートを確認。浜垢離の時とは異なり、見付宿場通りは露店で大賑わい。人通りも多いこの通りを練れるのか?というくらいの状況。後ほど、このような中を制御して練るのが一つの醍醐味であることを知ることになりました。
子供連が出発すると気分も高まってきました。子供連も大人と同じ衣装で練っており、伝統あるこの祭りの次代を担う世代が確実に育っている、そんな感慨をうけました。橋の上で掛け水(力水)があり、寒いのではないかと心配していましたが、後で、この水のありがたさを痛感いたしました。
子供連が終わると、しばらく間があり、食事をご馳走になりました。片山奥様のとてもおいしい料理だったのですが、祭り前は祭り本番への緊張で、祭り後は疲労で、たくさんはいただけなかったことがちょっと残念なところです。 |
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この、訪れる人を拒まない、そして、訪れる人たちを、苗字ではなく、名前で呼び合う、とてもフレンドリーな環境、これがこの荒々しい祭りを支える一つの柱になっているのではないかと感じました。 |
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20時を過ぎて、祭りも本番。練りの前の渡り付けと呼ばれる町内挨拶回り。片山梯団長様の特別な配慮により付き添わせていただきましたが、受け答えともに気合の入った言葉で、自然と緊張と期待が高まります。御瀧車は親町ということもあり、その後、各町から返礼が。地脇町の警固長さんの貫禄のある返礼が特に印象に残りました。
練りで守るべき最低限のルール(練りに加わるときは後方からなど)を私担当の団員(すみません、お二人の名前覚えられませんでした)の方から教わり、宵祭りでの練り本番。浜垢離とは別物。各町の合流では、自分の立ち位置を見失なわない様にするだけで精一杯。他の梯団との擦れ合いは、まさに字のごとく。端の方に居たため、本当に擦れ合いでした。
他の祭りでは、揉め事になることの多い場面ですが、各梯団共に、非常に統制が取られており、中に居ても全く不安になりませんでした。各町の梯団長、警固長ほか役割を持った方々の尽力の賜物だったと、後から気づきました。 |
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余裕が少し出てきたのは、加茂川での折り返しのあたり。少しまわりを見る余裕が出来るようになり、一度集団を離れて、草鞋の紐を締め直すことも出来ました(左の草履は紐が解けてしまい、この時点で既に失っていました)。事前の注意に従い、後方から合流、ほぼ元の位置に戻ることが出来ました。 |
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程なく総社。一旦集団が解けて社殿を一周。再度集団になり、三本松方向へ。それまでは、外周で集団を抑えている方の後ろで内からの圧力を逸らすようにしていましたが、タイミングの問題で外周についてしまいました。社殿での鬼踊りに備え、力を温存するため、練りの最初程の圧力はないものの、擦れ合いや、掛け水箇所では練りのパワーが復活。残っていた右足の草鞋の先の部分が磨り減って無くなってしまうほどでした。三本松への狭い通りで二番手に降りましたが、このわずかな区間(時間にして30分も無かったでしょう)での運動量が最も大きかった様に思えます。
掛け水。これは本当に生き返りました。長丁場を見越して、水分補給を多めに取っておいたのですが、集団の中ではほとんど意味無し。摩擦熱による体温の上昇で力が入らなくなりそうになると、ちょうど良いタイミングで掛け水が入り、元気復活。子供練を観ていた時には冷たそうと思っていましたが、祭りに掛け水が重要なことをはじめて体感しました。
三本松で折り返すと、次は堂入り。ここでも〆切の役割を頂き、連を外れて少し早めに準備箇所へ移動。堂入りのルートの説明を受けしばし待機。同じ梯団内に輿番が居る場合に、境内の外で待っている本職の〆切(富士見町)への引継ぎまでを担当すると聞いてなんとなく理解。後は、実際の場で警固の方に守られながら無事引き継ぎ。
この堂入りからが、この祭りが最も盛り上がる場面。梯団長の指揮の下に、境内で踊りまくっている中を割って堂入りし、更に〆切のポジションまで戻る。全ての梯団が入った後は、刻限と共に神輿渡御。
灯火が消えると練りも最高潮。荒さも倍増。事前に、片山梯団長様から聞いていた、「目が釣りあがる」という表現そのものでした。神輿を追う側、間を保つ側との攻防が最も激しく、それで居て神輿との距離を絶妙な位置(遠からず、近からず)に制御する必要があるという、この祭りの醍醐味と言える場面。最前列から離れた比較的安全なポジションどりの筈でしたが、それでも体で押しとどめる必要がある場面もあるくらいの迫力。押しこまれる場面もあり、富士見町の〆切に無事引き継ぎしたときはホッとしましたが、実はここが一番危なかったところで、.引っ張り出してくれたガード役の方、ありがとうございました。
この後の神輿の疾走は幻想的。本職の〆切よりも神輿に近い位置という、贅沢な位置から観た闇を疾走する神輿。屋形しか見えないのですが、それがまた夢うつつ。直前まで続いていた攻防が幻と思えるくらい優雅に見えました。
感覚的には、あっという間に総社に着き、迎えの舞車と合流。社殿に神輿安置と共に、絶妙のタイミングで花火が上がり、灯火点灯。祭りの終わり特有の一抹の寂しさを感じました。
私にとって、とても印象深い祭りでした。さほど多くの祭りは観ていませんし、祭りへの参加も初めてでしたが、理由はそれだけではないと思います。 |
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明と暗 明かりの中での練り、闇の中での神輿追い
静と動 激しい鬼踊りのすぐ脇で、粛々と神事が進められている
緩と緊 統制の取れた練りと、闇の中での緊迫した攻防
浜垢離も含め、多くの正対する事象がこの祭りの中にうまく取り入れられている、このコントラストの見事さ これが印象を深くした理由ではないかと感じました。 |
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祭りの後に、片山梯団長様がおっしゃっていた、「この祭りには完成形がない。常に変わっていくんだ。」という一言、かっこよかったです。 まさに、後世に残すべき日本の祭りだと感じ入りました。 |
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拙い文章の上、長文で申し訳ありませんが、自分が得た感動を伝えたくて書き綴ってみました。初めての参加者は、こんな印象を持つものも居るんだと、軽く読み流していただければ幸いです。
このたびは、本当にいろいろとお世話になりました。来年も是非参加したいと思っています。またお会いできるときを楽しみにしております。有り難うございました。〈 完 〉 2009.10.11 庄俊之 |
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さきぶれの すずのねさやか みつけじゅく |
Mitsuke Stage, the refreshing tinkle of a bell by a herald. |
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