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2021年10月2日改訂
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♪埴生の宿メドレー 尺八:日當鶴山
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

ふんどしを締めて燃え立つ秋祭  北舟

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A loincloth brings you energy for the autumn festival.

2000年7月16日開設

浜の宮天満宮を目指す練り子たち

播州秋祭/浜の宮天満宮

浜の宮天満宮を目指す練り子たち/港・中細江・南細江(兵庫県姫路市)
2021年の日記 〈10月〉
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  2020年1-12月 2021年1月 2月 3-4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月

「徒然日記」目次


2021年10月2日(土)晴

■■■ 武蔵御岳山滝行(琴平滝) ■■■ 

▼ 和田爺は、2021年9月11日(土)、吉田好幸・ワダフォト福岡支店長と共に多摩川上流の御岳渓谷(みたけけいこく)に旅し、武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)がその山頂に鎮座する御岳山(みたけさん)(929m)の麓にある赤鳥居近くを流れる落差約7mの琴平滝(ことひらたき)(東京都青梅市御岳二丁目)で褌一丁の滝行を行い全世界からコロナが撲滅されるよう神仏に祈願した。
 
撮影:吉田好幸・福岡支店長 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII
 
〈参考〉
武州御嶽山滝行
 http://wadaphoto.jp/maturi/ayahiro1.htm 
阿弥陀ヶ滝みそぎ祭り
 http://wadaphoto.jp/maturi/amida01.htm 
湯殿山滝行
 http://wadaphoto.jp/maturi/dewa01.htm 
八海山滝行
 http://wadaphoto.jp/maturi/hakkai01.htm 
しおざわ雪譜まつり(山伏滝行)
 http://wadaphoto.jp/maturi/seppu1.htm 

武蔵御嶽神社の社殿を模した御嶽駅(JR青梅線)の駅舎

武蔵御嶽神社の社殿を模した御嶽駅(JR青梅線)の駅舎

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▼ 多摩川上流の御嶽渓谷は、急流が巨大な岩石を洗う景勝地として知られ、御嶽駅は、武蔵御嶽神社にお参りする玄関口として、知られている。
御嶽駅前に架かる御嶽橋下流の御嶽渓谷

御嶽駅前に架かる御嶽橋下流の御嶽渓谷

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▼ 和田爺一行は、御嶽駅から歩いて御嶽橋(みたけはし)上流に架かる神路橋(かみじばし 鋼鉄製吊り橋)を渡り、琴平滝に向かった。このあたりは、フィッシング・スポットとして太公望たちに親しまれている。
神路橋上流の御嶽渓谷と甚平姿の和田爺

神路橋上流の御嶽渓谷と甚平姿の和田爺

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御嶽神社の参道に立つ巨大な赤鳥居と和田爺

御嶽神社の参道に立つ巨大な赤鳥居と和田爺

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▼ 赤鳥居から300mほど先の苔むした小さな光仙橋(こうせんはし)を渡ると石碑「琴平瀧」があり、隣接する急峻な石段を登ると3分ほどで琴平滝に着く。駅からゆっくり歩いて30分ほどなので、意外と身近な滝である。
 
石碑があるということは、かつては、武蔵御嶽神社への参拝客や修験者たちが、ここで禊ぎをして、登山したのではないかと想像する。
琴平滝入口の古色蒼然たる石碑「琴平瀧」と和田爺

琴平滝入口の古色蒼然たる石碑「琴平瀧」と和田爺

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▼ 琴平滝(ことひらたき)は、三つの流れに分岐した落差7mほどの小滝だが、ほぼ垂直に流れ落ちて滝壺ができており、水量が少ないためか、余り深くなく、砂利底なので、水行に適している。
山道を3分ほど歩くと眼前に琴平滝が出現!

山道を3分ほど歩くと眼前に琴平滝が出現!

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滝行の装束は定番の白鉢巻と白越中褌。褌は勿論和田爺謹製越中褌「長寿」。

写真:白鉢巻を締め甚平を脱いで滝行の準備をする和田爺

撮影:吉田好幸・福岡支店長 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII

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白鉢巻を締め甚平を脱いで滝行の準備をする和田爺

白鉢巻を締め甚平を脱いで滝行の準備をする和田爺

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岸壁をつたって滝壺に向かう和田爺

岸壁をつたって滝壺に向かう和田爺

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背中が滝清水に洗われる和田爺

背中が滝清水に洗われる和田爺

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清水落下による滝風を受けながら本流に向かう和田爺

清水落下による滝風を受けながら本流に向かう和田爺

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忍者のように手印を結んで滝行に入った和田爺

忍者のように手印を結んで滝行に入った和田爺

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滝壺に下半身を沈めて立ったままの滝行

滝壺に下半身を沈めて立ったままの滝行

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▲▼ 忍者が用いた呪法として有名な九字護身法は、中国から伝わったと云われ、元々中国の神仙修行の際に神仙の御加護を願って護身に誦える呪文で、日本には密教や修験道の呪法の一つとなって伝わっている。
 
滝行においては、神のご加護を願ってしばしばこの手印が用いられる。
 
参照:湯殿山滝行(御滝行)〜出羽三山神社〜〈Wa☆Daフォトギャラリー〉
 http://wadaphoto.jp/maturi/dewa09.htm 
 http://wadaphoto.jp/maturi/images11/dewa195cl.jpg 
本流を背に手印を結んで滝行する和田爺

本流を背に手印を結んで滝行する和田爺

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▼ 本流の下で手を組み、滝壺に胸まで沈めた滝行を行う。
 
冬の水行ほどではないが、初秋とはいえ、滝清水が全身を冷やし、長時間続けることはできないつらさがあった。
手を組んで胸まで浸かる

手を組んで胸まで浸かる

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滝行を終え、滝壺から緑したたる広葉樹林に向かって流れ出る渓流の畔で、冷えた身体を大気で温める。
広葉樹林を背景にガッツポーズする和田爺

広葉樹林を背景にガッツポーズする和田爺

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暖を取り戻した和田爺は、鉢巻を外し、越中褌一丁のスタイルで再度滝行を試みた。
滝本流に向かう和田爺

滝本流に向かう和田爺

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琴平滝・滝行全景

琴平滝・滝行全景

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一心に念ずる和田爺

一心に念ずる和田爺

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気合の滝行!

気合の滝行!

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雄叫び!

雄叫び!

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滝に向かって合掌する和田爺

滝に向かって合掌する和田爺

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▲▼ 修験道においては、森羅万象宇宙全ての存在に神が宿るという。滝にも神が宿っており神のご加護を祈念する
滝に向かって合掌する和田爺(拡大)

滝に向かって合掌する和田爺(拡大)

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滝に宿る神に拝礼する和田爺

滝に宿る神に拝礼する和田爺

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沼矛印を結んで刀のように大気の悪い部分を断ち切る雄詰(おころび)を実践する和田爺

沼矛印を結んで刀のように大気の悪い部分を断ち切る雄詰(おころび)を実践する和田爺

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▲▼ 滝の飛沫を受けながら、雄詰(おころび)行事を行う。これは、沼矛印(ぬぼこいん)を結び、凶事をもたらす禍津霊(まがつび)を断ち、大地の霊気を受ける神道の作法である。
悪い部分を断ち切る雄詰(おころび)

悪い部分を断ち切る雄詰(おころび)

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エエーイ〜!

エエーイ〜!

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爺は、最後の滝行を終えた。表情は穏やかだが、低体温により自律神経が働き、身体の震えが始まっており、保温しない限り止められない。それでも、冬の水行と比べれば、たいしたことはなく、達成感や爽快感の方が強かった。
滝行を終えた和田爺

滝行を終えた和田爺

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竹林の地蔵尊と甚平姿の和田爺

竹林の地蔵尊と甚平姿の和田爺

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多摩川の御嶽渓谷に架かる鋼鉄製吊り橋の神路橋(かみじばし)と甚平姿の和田爺

多摩川の御嶽渓谷に架かる鋼鉄製吊り橋の神路橋(かみじばし)と甚平姿の和田爺

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▼ 青梅市に含まれる御岳山は、秩父多摩甲斐国立公園の中にある。青梅の我が家から数駅で大自然の息づく国立公園に入ることができる。新宿駅には1時間ほどで着く。通勤と癒しを手軽に両立できる青梅線沿線は、首都圏のベッドタウンとして人気が高い。〈 完 〉
JR青梅線御嶽駅に戻った和田爺

JR青梅線御嶽駅に戻った和田爺

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2021年10月1日(金)曇

★彡 十月の裸褌祭★彡

神輿一体走り
勝岡八幡神社
愛媛県松山市勝岡町
平成16年(2004)10月7日(水)
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男

 平成16年(2004)10月7日(水)愛媛県松山市勝岡町に鎮座する勝岡八幡神社で「一体走り(いったいばしり)」が開催された。
 一体走りは、勝岡八幡神社が朝廷から宮号と菊花の紋章を下賜(かし)された際、当時、勝岡の特産品であった塩を朝廷に献上した。以来、勝岡の塩は珍重され、和気浜(わけはま)の裸の若者たちが塩を担いで御用船(ごようせん)まで運んだことから、神事として伝承されてきたものであるという。

太山寺の走り

太山寺の走り 1

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  さやけしや裸の健児疾走す  北舟 

さやけしや はだかのけんじ しっそうす

 The refreshing air, the naked young men dashing.

太山寺の走り 2

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▲▼ 一体走りは、お旅所から東に向かって一直線の参道を駆け抜ける。距離は120mほどあり、現在はアスファルトの舗装道路で、ゴールは神社と反対方向の石灯籠のある勝岡橋付近である。
 午前7時45分過ぎから一体走りが始まった。最初に黄色の布(御絹)で覆われた神輿を担いだ安城寺の裸の青年たちが裸足で走ってきた。御絹と同じ黄色の後ろ鉢巻に、黄色の帯を白い越中褌の上に兵児帯のように締めている。越中褌の代わりに六尺褌を締めたグループもある。褌であれば種類や色は問わないようだ。
 神輿は、左右の揺れも見せず、上下の動揺もなく、一直線に滑るように走ることが賞賛される。どのチームも観衆の盛大な拍手を受けながら、きれいなフォームで鈴を鳴らさないように、あっという間に駆け抜けて行った。

ゴール後神輿を練り上げる若者たち

ゴール後神輿を練り上げる若者たち

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安城寺川狩り
久万川・川狩り場
愛媛県松山市安城寺
平成16年(2004)10月7日(水)
撮影:ちばあきお 監修:和田義男

 松山市安城寺で行われる川狩りは、勝岡八幡神社秋季例祭当日の宮入り前に、神輿青年頭取や一体走りの青年たちが褌姿になり、神輿を久万川に担ぎ入れて、流水で祓い清める行事で、勝岡八幡神社の旧神主(かんぬし)柳原家の伝承に由来するものだという。

 昔、安城寺にあった柳原神主家の屋敷一隅の小社に金無垢の御神体が祀られていた。ある年この御神体を勝岡八幡神社に合祀することになり、神遷(しんせん)*しようとしたところ、神社石段下までは事無く進んだが、それより上へは一歩も進み得ず、幾度か試みた挙げ句、神輿を洗い清めて出直すことを思い立ち、川狩りして出直したところ、今度は不思議にも御神体がやすやすと石段を上がることができたという。
 以来、昭和42年(1967)までは久万川でこの行事が行われていたが、川の汚染のため中断されていた。平成12年(2000)10月、地元の粘り強い要望が実を結び、「愛媛県のふるさとの川づくり事業」による施設が竣工し、伝統行事である「川狩り」が33年ぶりに復活した。現在は、一体走りが終わった日の夕方に行われている。
* 神遷(しんせん):御神体を神輿で遷すこと。
  川狩りや褌衆の頬被 北舟 

かわがりや ふんどししゅうの ほおかむり

Kawagari festival, the naked guys of fundoshi loincloth cover their heads and cheeks with a hand towel. 

水中の神輿

水中の神輿

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播州秋祭/浜の宮天満宮
浜の宮天満宮
兵庫県姫路市
平成13年(2001)10月8日(月)
撮影・制作:和田義男
いざ拝殿へ 拝殿を一周

 

裸祭りの嚆矢

 平成13年(2001)10月8日(月)の休日、家内と二人で兵庫県姫路市飾磨区須加に鎮座する浜の宮天満宮で開かれた秋季例大祭の宵宮に行った。平成13年(2001)10月20日に発表したこの作品は、裸祭りにカメラを向けた嚆矢(こうし)であり、そのロマンと感動に触発されて、以後、取材を重ね、日本一の裸祭りシリーズへと発展した。その記念として、10月15日(月)に取材した「灘のけんか祭り」と共に、筆者の顔写真を埋め込んでいる。

 兵庫県南西部、播磨灘に臨む肥沃な平野は、播州平野と呼ばれる。その中心部に位置する姫路市の海岸一帯では、10月の祭り月になると、祭り一色で盛り上がる。1年をこの日のために暮らしていると思われるほど、人々は血湧き肉踊る秋祭りに熱中する。「祭一色播州の秋」というポスターが沿線の駅構内に張られている。姫路市内だけでも約30の神社で秋祭りが執り行われ、10月は祭りで明け暮れる。
  ふんどしを締めて燃え立つ秋祭 北舟 

ふんどしを しめてもえたつ あきまつり

A loincloth brings you energy for the autumn festival.

天満宮を目指す練り子たち(港・中細江・南細江)

天満宮を目指す練り子たち

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▲▼ 播州の秋祭りでは男たちは上気した赤い肌にふんどしをキリリと締め込み鉢巻を締め地下足袋を履き練り子(ねりこ)や乗り子(のりこ)、シデ方(しでかた)として祭りに臨む。粋な腕守りが揺れる。地元の女性は、そうした男性のいでたちがたまらなく魅力的だという。
 肩車した親子のふんどし姿は、実に微笑ましい。播州では、未だに日本古来の裸文化が息づいている。日本の高温多湿の気候風土には、裸祭りがよく似合う。若者は、盆暮れには帰ってこなくても、秋祭りには必ず帰ってくる。祭りが平日にかかると、地元の市役所は閑散となる。職員が休みを取り、祭りに参加するからである。
  秋祭揺らぐ屋台に稚児二人 北舟 

あきまつり ゆらぐやたいに ちごふたり

Two children on a wagon, swaying up and down in an autumn festival.

浜の宮天満宮秋祭

浜の宮天満宮秋祭

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▲▼ 浜の宮天満宮の秋祭りは、赤、黄、青、桃色、柿色といったカラフルなシデを先端につけたシデ棒を持つシデ方に守られながら、頭巾をかぶり豪華な襦袢を着て太鼓を叩く乗り子を乗せた屋台を練り子が担き、「ヨーイヤサー」の掛け声も勇ましく練り歩く。男性は全員白のふんどしを締め込んでいる。シデ棒は、魔よけの他に屋台を支えたり景気付けや合図など多彩な働きをする。シデの紙は町の色を用いるためシデと練り子の鉢巻でどこの町の屋台かわかるようになっている。
 浜の宮天満宮では、須加(すか)(みや)天神(てんじん)の3地区から大屋台が、大浜(おおはま)川内細江(かわちほそえ)西細江にしほそえ)中細江(なかほそえ)(みなと)南細江(みなみほそえ)の6地区から小屋台が繰り出す。大屋台は、乗り子4人を乗せ、重さ2tonほどもある屋台を練り子50〜60人で担ぐ。小屋台は乗り子2人を乗せ、1tonを超える屋台を練り子30〜40人で担ぐ。各屋台は午前11時頃から順番に宮入りし、拝殿前で屋台練りを披露し、拝殿を一周する。各屋台が宮入りを果たすと、境内は身動きできないほど群衆で一杯となる。
  播州の男はふどし秋祭 北舟 

ばんしゅうの おとこはふどし あきまつり

Men of Bansyu each wearing a loincloth for autumn festivals.

拝殿前の晴舞台(南細江)
古武士のような指揮者
拝殿前の晴舞台 古武士のような指揮者

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▲▼ 播州の祭り屋台は、大きく分けて漆塗りの屋根に錺(かざり)金具を装飾した「神輿屋根型屋台」と、布団を重ねた屋根の「布団屋台」に大別される。浜の宮天満宮の屋台は、播州の各地で多く見られる神輿屋根型屋台である。しかし、細かく見ると、泥台(どろだい)が広く、伊達綱(だてづな)の根元を弦の綱に巻くなど他地区では見られない造りになっている。この地域では屋台を「ヤッサ」と呼ぶが、姫路市の南西部に位置する網干(あぼし)方面では「ヤッタイ」と呼ぶようである。

次々に拝殿へ(中細江)

次々に拝殿へ(中細江)

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▲▼ 練り子たちは、肩当てもせず、練り棒の内側の本棒や外側の脇棒を直接肩に当てて屋台を担いでいる。法被を羽織ったまま担いでいる練り子も見られるが中細江などは、全員法被を脱ぎ捨て、ふんどし一丁で担いでいる。指揮者の美学の違いが感じ取れるところである。
 重さ2トンといわれる大屋台ともなると、ズッシリと重く、肩に食い込む。男たちのむき出しの肩はみるみる赤くなり、思わず顔が歪む。翌日には肩が腫れ上がるのだという。

肩の痛みに堪えて(南細江)

境内で屋台練り(港)
肩の痛みに堪えて 境内で屋台練り

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坂越の船祭り
大避神社
兵庫県赤穂市
平成16年(2004)10月10日(日)
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男

 平成16年(2004)10月10日(日)兵庫県赤穂市坂越(あこうし・さこし)に鎮座する大避(おおさけ)神社で船渡御祭が開催された。赤穂市を流れる千種川(ちくさがわ)の東、坂越湾に向かって建つ大避神社は、JR播州赤穂駅から東方4
kmに鎮座する。

 大避神社船渡御祭は、「坂越の船祭り」と呼ばれ、今から300年ほど前の江戸時代、坂越が繁栄を極めた時期に始まったといわれる。「坂越の船祭り」は平成4年(1992)国の無形民俗文化財に選定され、使用する船も兵庫県有形民族文化財に指定されている。
 生島(いきしま)は坂越の沖合100mほどに浮かぶ周囲わずか1.6kmの小島で古来より大避神社の神地として人の入ることが禁じられていたため、樹相が原始のままの状態を保っており、国の天然記念物に指定されている。
 生島には大避神社の御旅所と樹林の奥に祭神・奏河勝の墓と伝えられる円墳があり、本祭の前日には墓参が行われる。生島の名は秦河勝が生きてこの地に着いたので名づけられたと伝えられる。船渡御祭は、この御旅所への船による神幸祭である。
  天高し坂越の浦の櫂伝馬  北舟 

てんたかし さこしのうらの かいでんま

The sky is high, large paddle boats at Sakoshi beach.

大きな櫂で梶を取る船頭
大きな櫂で梶を取る船頭

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▲▼ 若衆組が乗り組む2隻の和船は、この地に伝わる櫂伝馬と呼ばれる伝馬船(てんません)である。「かいでんま」又は「かいてんま」といい、片舷6本づつ、両舷12本の櫂(かい)を取り付けた手漕ぎ船である。
 2隻の伝馬船は、常に併走しながら生島周辺や坂越湾を巡り、何度も何度も漕走競争に興じた。赤い法被姿が白砂青松の背景に映えて美しい。遠くから見ると赤く華やかな伝馬船は、子供たちの夢を乗せているようだ。
赤い伝馬船
赤い伝馬船

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▼ やがて若衆組は赤い法被を脱ぎ捨て漕ぎ手全員が褌一丁の裸形になり、赤い伝馬が裸の伝馬に変わった。
 神の鎮座する神輿に近づくには裸詣り同様、裸形でなくてはならず、船を浜に乗り付けてからでは遅いので、あらかじめ裸になって準備していたのである。
 黄色の鉢巻をきりりと締めた二番船の裸の漕ぎ手たちが近くに見えてきた。朝から太陽の下で一日中漕いでいたので、身体には日焼けのあとがクッキリとつき、赤く晴れ上がっている人もいて、精悍さが増していた。
二番船の漕ぎ手たち
二番船の漕ぎ手たち

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▼ 裸の男たちは、坂越の浜に上陸すると、渡御組や大勢の観客に囲まれた砂浜で、アトラクションをはじめた。
くす玉割り
くす玉割り

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▼ 裸の若衆たちにより7枚のバタ板が海水で浄められたあと、午後3時45分、祭神・秦河勝(はたの・かわかつ) の御霊を乗せた神輿が無事にバタ板を渡り、御神輿船に移され、海上渡御が始まった。
 バタ板を掛ける役割を終えた櫂伝馬の褌一丁の男たちは、赤い法被を羽織って配置に付き、赤の伝馬が一番船、黄色の伝馬が二番船として船団の先頭に立ち、生島御旅所まで渡御船団を曳航した。
 渡御船団は、一番・二番が櫂伝馬、三番が獅子船、四番から八番までが頭人船、九番が楽船、十番が御神輿船、十一番が警護船、十二番が歌船となる。今年は警護船が見あたらず、全部で11隻の船団となった。
 櫂伝馬に曳航される船渡御の櫓櫂船(ろかいぶね)が一直線に並んだ。御神輿船の前に9隻の船が先導している。楽船には「国家太平 雅音成就」の大幟が見える。雅な音曲で国家太平を実現したいとの願いなのだろう。
  秋の暮伝馬曳きゆく渡御船団  北舟 

あきのくれ でんまひきゆく とぎょせんだん

The evening late in autumn, rowboats towing the convoy carrying a portable shrine.

雅な渡御船団
雅な渡御船団

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▼ 坂越から目と鼻の先にある生島には、大避神社の御旅所があり、大きな幟が立つ。渡御船団は、この砂浜に船を着けて上陸する。神域として人跡未踏地だった生島は、昔ながらの佇まいを今に伝える。
 櫂伝馬の男たちは上陸に先立ち例によって法被を脱いで裸となった。神輿の上陸に備え御神輿船を引き寄せ、砂浜に平行に固定したあと、7枚のバタ板を掛けた。今度は悪ふざけもなく、作業は淡々と進められた。
 櫂伝馬の男たちは、御神輿船にバタ板を掛け終わると、海上に退避した。男たちは既に赤い法被を着込んでいる。猿田彦と二頭の獅子に続いて、神輿が生島に上陸し、頭人の付き人たちに見守られながら御旅所入っていった。中では着御祭が執り行われる。人の動きが途絶えると、生島御旅所は、深い夕闇に包まれていった。
  秋の海島の御旅所暮れゆきぬ  北舟 

あきのうみ しまのおたびしょ くれゆきぬ

 Autumn sea, the lodging shrine on the island darkening.

御旅所に入る獅子
御旅所に入る獅子

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櫛来社のケベス祭
櫛来社
大分県国東市国見町
平成19年(2007)10月14日(日)
撮影・原作:清 原浩 監修:和田義男

 平成19年(2007)10月14日(日)、瀬戸内海の西部・周防灘(すおうなだ)に面する大分県国東市(くにさきし)国見町(くにみちょう)に鎮座する神社「櫛来社(くしくしゃ)」で炎の祭典・ケベス祭が行われた。

 国東(くにさき)半島の北部に位置する国見町は北に瀬戸内海の周防灘を望み南の国東半島最高峰・両子山(ふたごやま/ふたごさん)(720.6m)を扇の要(かなめ)として広がる大自然と温暖な気候に恵まれた風光明媚な地である。古くは大和から九州へ通じる海上交通の要衝(ようしょう)として、また、中世には六郷満山(ろくごうまんざん)の仏教文化の栄華を誇った町として知られる。港の沖合には、姫島(ひめしま)が浮かぶ。
 国見町櫛来字大谷に鎮座する櫛来社は、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)(仲哀天皇の妃・神功皇后)など6柱の大神を祀る神社で、約1,100年の歴史を有する。明治4年(1871)に現在の呼び名となったが、以前は、磐坐社・岩倉八幡・岩倉社と呼ばれていたという。現在の氏子戸数は10区200余戸。
 国見町の代表的な祭りが毎年10月14日に櫛来社(くしくしゃ)(旧・岩倉社)で行われるケベス祭(けべすまつり/けべすさい)である。起源や由来は一切不明で謎のベールに包まれた祭りであるが、火の粉の舞う荒々しい奇祭として知られ、平成12年(2000)12月25日に国の選択無形民俗文化財に指定されている。
 境内に積み上げられたシダの柴木の山に点火し、燃え盛る浄火を守る白装束の「トウバ」たちと、そこに突入しようとする奇怪な面を着けた「ケベス」が争う。ケベスは何度も突入を試み、ついに成功して棒でシダの山をかき回し火の粉を散らすと、その後はトウバも火のついたシダを持って境内を走り回り、参拝者を追い回す。このときに火の粉を浴びると厄が払われ、無病息災になるといわれる。 
  浦祭全裸で浴びる宵の潮  北舟 

うらまつり ぜんらであびる よいのしお

Beach ritual, nude bathing in the evening tide.

夜の全裸禊・潮かき
夜の全裸禊・潮かき

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▲ トウバとケベスをつとめる白装束をまとった氏子たちは、日が暮れるのを待ち、午後6時になると、浜に降りて全裸となり、周防灘に入浴して「潮かき」と呼ばれる禊(みそぎ)を行った。
 全国を見渡すと、現在の禊は、褌をしたままで行うことが主流となっているが、ここでは昔ながらの伝統が維持されている。現在でも銭湯では全裸で入浴する習慣がある日本では、古き良き時代においては、全裸禊は当たり前に行われていた。

祭のはじまり

祭のはじまり

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▲▼  ケベス祭は、火祭りであることから、火にまつわる厳格な決めごとがある。祭りが行われている6日から14日迄、ケベスとトウバ役の男たちは、一切、火と交わることが禁止される。煙草を吸うことも許されないし、お茶を煎れても駄目。火を加えた食べ物も口にできないというから徹底している。
 更に一週間前からは他人の触れたものは口にせずトウバたちによる自給自足の生活に入る。また、女人禁制となり、女性に触れることも許されない。前浜の全裸禊はその仕上げとなるもので、厳しい掟が守られてきた。
 宮司は神事の最後に、ケベスドンにケベス面をつけ、背中をドンと一突きしたときからケベスが乗り移り、ケベスが生まれる。ケベス面は、得体の知れない奇妙な面で、とても神秘的である。ケベスは、白頭巾に、荒縄で襷がけをした白装束をまとい、白の地下足袋を履き、扇子と棒を手にして現れた。
 境内ではトウバたちが十数人、うずたかく積み上げたシダの柴木を焚き上げて待ち構えており、ケベスとトウバとが戦いを始めた。棒術による独特の足さばきが見ものだという。ケベスは、火の中へ突入しようとし、それを阻止するトウバとの攻防戦が繰り返され、最後にはケベスが棒を火に突っ込み、火の粉を散らすことになるが、それまでは次々とトウバが入れ替わり、ケベスと棒術の戦いが続けられる。
  秋の宵ケベストウバの鬩ぎ合ひ  北舟 

あきのよい けべすとうばの せめぎあい

Autumnal evening, fighting between Kebes and Tobas.

ケベスとトウバのせめぎ合い

社殿に入るトウバたち

ケベスとトウバのせめぎ合い 社殿に入るトウバたち

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いよいよトウバたちが火のついた生のシダを棒で持ち上げ、境内を徘徊しはじめ、ケベス祭は佳境に入った。櫛来社の境内は、生シダの燃える炎と白煙が充満し、視界が狭まり、炎の祭典は一気に盛り上がりをみせた。
 トウバ衆は社殿になだれ込み、厄払いをすべく参拝者を追いかけ始め、社殿のあちこちで悲鳴が上がった。社殿の中でトウバ衆は火のついたシダの柴木を振り回し、逃げ惑う参拝者の頭上に容赦なく浄火の火の粉を浴びせかける。服に焼き焦げができるのは必至でタオルやショールで衣服を守る人も見られた。午後8時半ころまで続けられた炎の祭典は、喧噪のうちに幕を閉じた。
  トウバ衆の浄火を浴びる村祭  北舟 

とうばしゅの じょうかをあびる むらまつり

The village ritual, bathing holy fires scattered by Tobas.

激しい火の粉の洗礼!

激しい火の粉の洗礼!

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八家・妻鹿・東山の三台練り
灘のけんか祭り
松原八幡神社
兵庫県姫路市
平成13年(2001)10月15日(月)
撮影:制作:和田義男
神輿の屋根を壊す男たち

 「ヨーイヤサー」の勇ましいかけ声と太鼓の音が抜けるような秋晴れの空に吸い込まれていく。上気した赤い肌に白い祭りまわしをキリリと締め込んだ男たち。神輿がぶつかり屋台が揺れる。21世紀最初の平成13年(2001)10月15日(月)、兵庫県姫路市において、「灘のけんか祭り」と呼ばれる松原八幡神社秋季例祭の本宮が開かれ、15万人の大観衆が裸の男たちの熱い祭典を見守った。

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 灘祭りとも呼ばれる灘のけんか祭りは、神輿を荒々しくぶつけ合う特異な神事のため、天下の奇祭だとか、全国の数あるけんか祭りの中で最大規模の祭りだといわれ、戦前から播州播磨を代表する祭りとして知られてきた。
 応仁元年(1467)から始まった応仁の乱で松原八幡神社が焼失した際、領主・赤松正則は、社殿の再建に尽力しその竣工祭に米200俵を寄進した。喜んだ氏子たちが木組みに米俵を積み上げて御旅山へ担ぎ上げたのが祭りの始まりだといわれている。
 松原八幡神社の秋祭りは、神輿同士がお互いに激しくぶつけ合う「神輿合わせ」で全国的に有名となった。そのさまが喧嘩をしているように見えることから、灘のけんか祭りと呼ばれるようになった。
 激しく神輿をぶつけ合うのは、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の際、風待ちのために白浜の沖で停泊していた軍船が、波に揺られてぶつかり合う様子を表したものだという。また、これらの軍船に付着したゴイナ(牡蠣 かき)を削ぎ落とそうとする様子を表したものだともいわれている。いずれにせよ、神と人とが一体となり、五穀豊穣を願って行われる極めて特異な神事である。

 阪神三宮駅から姫路行きの直通特急に乗車すると、1時間ほどで山陽電鉄・白浜の宮駅に着く。祭りの日だけは(1000頃〜1700頃)特急が臨時停車する。駅の直ぐ南に松原八幡神社がある。その西方に約1kmほど歩くと、御旅山(おたびやま)山麓にある広畑(広畠 ひろばたけ)と呼ばれる練り場(ねりば)に着く。
 「灘のけんか祭り」に参加する町は旧灘七村である。現在の地名でいえば、姫路市南東部海岸地域のうち東山(ひがしやま)(旧東山村)、八家(やか)(旧八家村)、木場(きば)(旧木場村)、白浜町(旧宇佐崎(うさざき)村・旧中村(なかむら)・旧松原(まつばら)村)及び飾磨区妻鹿(めが)(旧妻鹿村)を合わせた地域で、一般に灘地域とか灘地区などと呼ばれる。
三基のけんか神輿

三基のけんか神輿

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▲▼ 灘のけんか祭りだけでなく、播州の秋祭りでは、男はみな白の祭り褌を締めている。相撲まわしと同じような綾織・帆布の締め込みで、地元では泥まわしと呼んでいる。相撲まわしよりも生地が薄くて柔らかい褌の人も見かける。
 後日、お便りをいただいた地元の人によると、昔は絹の締め込みだったが、高価なために泥まわしに変わってきたという。その人は、昭和40年(1965)に初めてヤッサ(屋台)を練ったときには、物資に不自由していた時代に父親があつらえて使用していた人絹の褌を受け継いだ。その頃は相撲経験者など少数ではあったがまだ絹の褌をしていたらしい。
 褌の代わりにネルの腰巻きをしている人たちはシデ方を務める人たちである。シデ方は屋台を支える役割で練り子を卒業した年配の人が担当する。シデ方でもその下に褌を締めている人がいるのは、祭り褌にこだわりがあるからだという。
 褌のほかに地下足袋と鉢巻、そろいの法被が定番の衣装である。腕や褌に腕守り(うでまもり)と呼ばれる細長い布製のお守りを結んでいる人も多い。

死亡事故直前の神輿

死亡事故直前の神輿

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▲▼ 神輿や屋台が御旅山の山頂にある御旅所(おたびしょ)に向かう前に、御旅山の山麓にある三角形の練り場で神輿合わせや屋台練りが披露される。この会場を広畑(広畠 ひろばたけ)という。御旅山の段々畑がやぐらを組んだように見える事から櫓畠(櫓畑 やぐらばたけ)とも呼ばれる。
 最初に登場した獅子屋台が御旅山に登っていくと、今年14年ぶりに屋根を新調し、漆を塗った神輿3基がそれぞれ幟(のぼり)を先頭に登場し、神輿合わせが行われた。「一の丸」は応神天皇(おうじんてんのう)、「二の丸」は神功皇后(じんぐうこうごう)、「三の丸」は(ひめおおかみ)の神輿で、練り子(ねりこ)たちは年齢別に決まった神輿を練る。神輿に丸がついているのは、故事により、神輿を船に見立てたもの。
 神輿合わせでは、3台の神輿を相互に激しくぶつけ合う。神輿がぶつかるたびに大歓声が轟く。神輿同士が喧嘩しているようにみえることから、灘のけんか祭りと呼ばれるようになったが、同じ町のもの同士が神輿を練り合うだけなので、喧嘩しているわけではない。
  秋日照る喧嘩祭に燃え尽きぬ 北舟 

あきひてる けんかまつりに もえつきぬ

Autumn sun shining on the Kenka festival, a man has breathed his last.

神輿から転落して下敷きに!

神輿から転落して下敷きに!

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▲ 最初の練り合わせで、大変な事故が起こった。何万人という大観衆の見守る前で、神輿同士がぶつかった瞬間、神輿に乗っていた57歳の白装束の男性が転落した。その直後、重さ350kgの神輿が倒れ、下敷きになった。直ぐに救出され、病院に運ばれたが、翌日の新聞で死亡したことが報じられた。
 死因は胸を圧迫されたことによる心臓破裂だという。10年前にも神輿を担いでいた18歳の男子高校生が死亡する事故が起きている。今回亡くなられた人は、現地で案内していただいた方の同僚の兄だという。心からご冥福をお祈りする。灘のけんか祭りの怪我人は毎度のことで、今年も宵宮・本宮あわせて22人の負傷者が出ている。祭りで大いに盛り上がるのは結構だが、事故だけは避けたいものである。 

破壊した神輿から転落!

破壊した神輿から転落!

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▲ 初っぱなに事故が発生したものの、祭りは何事もなかったかのように続行された。改めて神輿合わせが行われ、神輿がぶつかるたび、倒れるたびに練り場を囲む大観衆から歓声が沸き上がる。会場は興奮の坩堝(るつぼ)と化し、その歓声に勇気付けられたかのように、練り子たちは益々エスカレートし、横転した神輿によじのぼりはじめた。
 一の丸の男たちが、倒れた神輿を起こして地面に据えた後神輿に登り屋根を足でばんばん蹴破りはじめた。これでもかこれでもかといわんばかりに執拗だ。14年ぶりに新調された屋根の一部があっという間に破壊された。そして神輿の上で揉み合っていた男が仰向けに転落したが、大事には至らなかった。