ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記English Version
Wa☆Daフォトギャラリー  Wa☆Daフォトギャラリー

2010年6月26日改訂

今 日

昨 日

2000年7月20日作成

氷河谷スタルハイムの夏景色    北舟
A glacial valley, summer view at Stalheim.

夏のフィヨルド探訪

氷河が削ったスタルハイム渓谷の朝
拡大写真(1400x1050)359KB

氷河が削ったスタルハイム渓谷の朝 / ノルウェー  2007.6.12

デジタル写真家 DIGITAL PHOTOGRAPHER

氏 名  和田義男(わだ よしお)
出 生  奈良県奈良市 1947年3月6日(63歳) 団塊の世代
出 身  高知県須崎市
自 宅  東京都青梅市
家 族  妻、長男、次男の4人家族
職 業  大成建設(株)理事
信 条  日本の心と伝統文化を愛し、ロマンと感動を求める国際人 
趣 味  デジタル写真 旅行 俳句 パソコン インターネット
嗜 好  酒(主にビールとワイン) 珈琲
   

名刺 (表)

名刺 (表)

拡大写真(1200x734)202KB

名刺(裏)

 
名刺(裏)

拡大写真(1000x610)139KB

 
我は海の子
♪「我は海の子」「海」メドレー  
 

我は海の子切手/水褌の少年

我は海の子切手/水褌の少年

拡大写真(635x800)89KB

 BGMに流れる曲は懐かしい小学校唱歌である。誰でも知っている曲であるが、これが軍歌であると知る人は少ないだろう。

★☆★彡

1 われは海の子白浪の さわぐいそべの松原に 煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家(すみか)なれ 
2 生れて潮に浴(ゆあみ)して 浪(なみ)を子守の歌と聞き 千里(せんり)寄せくる海の氣(き)を 吸(す)ひて童(わらべ)となりにけり
3 高く鼻つくいその香(か)に 不斷(ふだん)の花のかをりあり なぎさの松に吹く風を いみじき樂(がく)と我は聞く

(今の教科書では、以下は載せていないという)

4 丈餘(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて ゆくて定めぬ波まくら 百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)の海の底 遊びなれたる庭廣し
5 幾年(いくとせ)ここにきたへたる 鐵より堅(かた)きかひなあり 吹く潮風に黒みたる はだは赤銅(しゃくどう)さながらに
6 浪にただよふ氷山(ひょうざん)も 來(きた)らば來(きた)れ恐れんや 海まき上(あ)ぐる龍巻も 起(おこ)らば起れ驚かじ
7 いで大船(おおふね)に乗出して 我は拾はん海の富 いで軍艦に乗り組みて われは護(まも)らん海の國

★☆★彡

 「我は海の子」は、作曲・作詞不詳の文科省唱歌といわれていたが、作詞者は児童文学者の故宮原晃一郎(本名:知久)(1882〜1945)が10歳まで住んでいた鹿児島の天保山公園の海岸から見た桜島を思い浮かべて作詞したという。
 

筆者の幼児時代 1950年ころ

 

小学一年生の筆者 1953年4月

筆者の幼児時代 1950年ころ 小学一年生の筆者 1953年4月

拡大写真(590x800)71KB

拡大写真(510x800)55KB

 
黒  猫くろねこ

ふんどし

「いどくい」と「きんつり」

 私は、小学一年生から高校三年生まで黒潮が岸辺を洗う土佐湾の中央に位置する須崎(すさき)という漁村で育った。
 小学生時代は、夏休みになると、「いどくいおおぜ(黒猫褌下さい)」と駄菓子屋にぶら下がっているふんどしを買って、一日中、真っ黒になって新庄川(しんじょうがわ)の川の口と富士ヶ浜で泳いで遊んだ。黒猫をなぜ「いどくい」というのか分からないが、「おいど」(お尻)に食い込むから「いどくい」というのだと、勝手に理解している。
 我は海の子切手の水褌(すいこん 前袋式六尺褌)の子は上級生で、幼児や貧乏人は黒猫褌かフリチンだった。

黒猫褌の少年

「黒猫褌の少年」拡大写真(600x400)68KB

新潟街角今昔  撮影:渡邊馨一郎

当時市販の黒猫褌

当時市販の黒猫褌
 先日、広島・修道高校出身の先輩とふんどし談義になったとき、広島では黒猫褌のことを「きんつり」と呼ぶそうで、子供の頃はもっぱらお世話になったという。
「近畿ツーリスト」を略して「キンツリ」と呼ぶが、バス旅行で旅友となった女性が「キンツリ」を盛んに連発するので恥ずかしかったという。ご想像のとおり、玉ゝを吊るのでズバリ「きんつり」なのだそうである。広島旅行中は「キンツリ」はタブーである。その後、長崎も同じ呼び方だと聞いた。
 

呉港から見た海上保安大学校 2006.10.7

呉港から見た海上保安大学校 2006.10.7

拡大写真(2600x1000)376KB

 

夏の遠泳

 18歳になった昭和40年(1965)、瀬戸内海に面する広島県呉市の海上保安大学校(保大)に15期生として入学し、4年半を過ごした。泳ぎはまったくの自己流だったが、土佐の黒潮で河童のように一日中真っ黒になって泳いでいたのが良かったのか、毎年夏の遠泳では1年生のときから5マイル(9.3km)を完泳し、競泳の背泳に優勝して水泳の指導学生を務めた。
 海を見たことのない子や泳げない子が毎年入学してくるので、彼らは特訓を受けてから遠泳に挑戦する。そばには指導学生が一緒に泳ぎ、警戒艇やカッターが伴走する。遠泳は、5マイル離れた広島の近くから海に入り、保大の学生寮の裏の砂浜目指して二列縦隊で泳いで帰ってくる。潮や風の影響を受け、4〜5時間休みなしで泳ぐので、もよおしてくるとカッターにつかまって小用を足す。口の中が塩辛くなるため、氷砂糖が配給されるので、泳ぎながらしゃぶる。
 

呉湾で練習中の海保大カッター(端艇)部のクルーたち 2006.10.7

呉湾で練習中の海保大カッター(端艇)部のクルーたち 2006.10.7

拡大写真(1600x1125)452KB

 菊日和白き端艇銀の波  北 舟 
 
 卒業後、海上保安官となり、保大の練習船こじまの教官をしていたとき、夏の遠泳で力尽きた学生が急に沈み、近くで一緒に泳いでいた学生が直ぐに引き揚げ、人工呼吸などを施してことなきを得たが、そのまま沈(ちん)すればお陀仏であった。水褌はこのようなとき、直ぐに捉まえることができるので、大変重宝するが、海水パンツはその点捉まえにくいので気をつけないといけない。
 私のようなO型人間は、疲れたら手を挙げると直ぐに引き上げでくれるので、遠泳で死ぬまで頑張り抜くようなことはしない。A型のような真面目な子はギリギリまで頑張るのが逆に怖い。何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で、無理は禁物である。
 保大では3マイルを泳げば3級に、5マイルを泳げば2級になり、競泳で優勝すれば1級となって、その都度水泳帽の筋が増えてゆく。これは、当時、海軍兵学校(海兵)出身者が教官に採用され、江田島の海軍兵学校を範にとったもので、水泳帽もそれにならっている。
 それだけのことに命をかけることはないはずだが、夢中になるととんだことが起こる。死にそうになった学生もまだ泳げると思っていたのだろうが、一瞬のうちに力尽きると身体が動かなくなる。べた凪でも海は怖いところだと思ったことが、私の原点になっている。海では必ずバディを組み、相互扶助の精神で泳ぐことが鉄則で、そうすればパニックになることもない。
 

世界一周航海に出港する練習船こじま / こじま専用桟橋 2006.5.12

世界一周航海に出港する練習船こじま / こじま専用桟橋 2006.5.12

拡大写真(1600x850)294KB

写真提供:海上保安大学校

 

関西ヨットクラブにて  2003.1.25

関西ヨットクラブにて堀江健一さんと

拡大写真(1024x768)150KB

陸に上がった河童

 学生時代の4年間、ヨット部に所属し、三年生の夏、中国水域予選で勝ち、琵琶湖で開かれた第33回全日本学生ヨット選手権大会(インカレ)に主将で出場。決勝戦に残れなかったが、高校球児が甲子園に出場したようなことなので、青春時代の最大の勲章となった。
 そのお陰で、神戸に単身赴任中、堀江健一さんと知り合い、同じヨットマンとして心を通わせることができたのが嬉しかった。今は近影ではないが、当時の近影はこちら→  著者近影
 海で育ち、海で暮らしてきた根っからのシーマンである私は、海が好きで、下手な俳句も北海道の稚内(わっかない)に単身赴任中に始めたので、北舟(ほくしゅう)と名乗り、1,000句を超えた拙句集も「海の風景」と名付けた。
 私のふるさとは土佐であるが、大学生と練習船こじま教官の6年半の青春時代を過ごした呉は、伴侶を得た地でもあり、第二のふるさとである。2003年4月、海の経歴を活かして建設会社に再就職し、新宿の本社で海洋土木部門の安全指導に当たっている。
 爾来、青梅の我が家と新宿とを毎日往復する生活になり、陸(おか)にあがった河童となっているが、たまに海に出ると視界が広がり、開放感に浸ることができるのは、海に育ち、海に生きたシーマンの名残だろう。
 「海」という字には水偏(さんずい)に「母」があり、唱歌「我は海の子」のように、母なる海に育まれた私は海が大好きで、陸にあがってもその想いは変わらない。世界を股にかけて旅するのが全く苦にならないのも七つの海に覆われた地球を頭に描いて仕事してきたせいかも知れない。地球環境に潤いを与えてくれる美しい海に囲まれた海洋国日本に生まれて本当によかったと思う昨今である。 (2010年6月26日改訂)
 

                                                  私のパソコンとカメラ 

私のパソコンとカメラ

2007年12月29日改訂

2/2

私のパソコンとカメラ2/2 私のパソコンとカメラ1/2 和田義男

 
■■■ オリンパス「E-30」登場! ■■■
 
 

2008年12月24日(水)、オリンパスの最新機種E-30が宅急便で届いた。20日に発売になったばかりなので、とても嬉しい。

 
 

手に取った第一印象

 
   E-3によく似た外観の「E-30」は、E-3とE-520の中間となる中級機で、11点ツインクロスセンサーAF、最大5段のボディー内手ブレ補正、2軸可動式マルチアングルモニター、秒間5コマ連写、ダストリダクションなどはE-3からそのまま受け継ぎ、1230万画素へのアップ、ハイスピードイメージャーAF対応やアートフィルター、多重露光、撮影画像の縦横比を切り替える9種類のマルチアスペクト、水準器など、新機能が満載されている。嬉しいのはE-3で廃止されたモードダイヤルが復活していることである。  
   E-3から削ぎ落とされた部分は、防塵防滴、ファインダー視野率、ファインダー倍率、ボディー素材などで、性能に影響ないものばかりである。その分重さがE-3と比べて155g 軽い655g。14-54mmレンズもUとしてリニューアルされた。  
   「E-30」はE-3の1010万画素から2割アップの1230万画素となりオリンパスも画素数拡大競争から脱却出来ないようだがこれは技術開発陣の意地でもあるようだ。オリンパスの若松誠一さんにお聞きすると、画素数が増えればダイナミック・レンジは落ちるものなのに、逆に一段広がったというから、オリンパスもなかなかやるなという気がする。  
   店頭のボディ価格は、価格.com http://kakaku.com/item/K0000001567/  によると、最安値は12万円とかなりリーズナブル。 現行のフラッグシップ・モデルのE-3を超えるスペックなので、コスト・パフォーマンスはとても高い。  
 

 2008.12.20に発売されたE-30

 2008.12.20に発売されたE-30

 
   
 2008年12月27日(土)夜、ホテル銀座ラフィナート「みつはし」で和田義男講演会(仮称)実行委員会のキックオフ会が開かれ、私も出席したが、「E-30」を持参して筆卸しをしたのが次の写真。蝶ネクタイのマスターが激写してくれ、とても良い写真が生まれた。フラッシュは天井に向けたバウンス撮影。高橋氏の眼鏡を見れば、芸の細やかさが分かって頂けよう。(^^;
E-3はオリンパスにしては大きく重いので、1年で引退させ、今後はこの「E-30」を主力機として、サブ機 E-510 とともに二刀流で活用したい。
 
 

和田義男講演会(仮称)実行委員会のキックオフ会での記念撮影 by E-30 2008.12.27

星宏幸、高橋建男、石川辰夫、(筆者)、三木芳樹、丹下誠司の各氏

和田義男講演会(仮称)実行委員会のキックオフ会での記念撮影

拡大写真(1600X1000)302KB
 
 

ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6

   2008年10月25日に ED 9-18mm F4.0-5.6 (フィルム換算18-36mm)ワイドレンズが発売されたので、早速入手した。下の写真は、このレンズで撮影したものだが、超広角ズームでありながら歪みも少なく、気に入っている。
 去年E-3入手後、ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD (フィルム換算24-120mm)と ED 70-300mm F4.0-5.6 (フィルム換算140-600mm)の二刀流でやってきたが、巨大な寺院などはどうしても入り切れなかったので、このレンズのお陰で、あらゆる被写体に対応出来ることになった。
 従来の超広角レンズは重量が重く、価格も高額なものが多かったが、このレンズはDSA(デュアル・スーパー非球面)レンズの採用などにより、全長73mm、質量275gという超小型・軽量設計を実現している。
 メーカー希望小売価格は71,000円(税込74,550円)だが実売税込5万円となっており、コストパフォーマンスは大変高く、ユーザーの評判も上々である。
ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6

拡大写真(800x600)61KB

 
 

オリンパスプラザ大阪で開催した「和田義男写真展」 by ED 9-18mm

オリンパスプラザ大阪で開催した「和田義男写真展」

拡大写真(1600x1150)218KB

 
 
SanDisk Extreme III 8G
8ギガの高速コンパクトフラッシュ(CF) メモリーの小型高性能化は留まるところを知らない。2008年の春、SanDisk ExtremeIII (8GB) のコンパクト・フラッシュをアマゾンに出店しているアメリカのエレクトロニクス社から12,000円(税・送料込)で購入したが、更に価格破壊が進み、現在は9000円ほどに下落している。
 他社製品では、同等品がトランセンドから7000円で出ているほか、スピードを気にしなければ2000円で買える時代となった。2008年のドイツ旅行では、もはやストレージは持参せず、8ギガCF2枚(6000枚撮影可能)で事足りた。次に購入するのは16ギガとなる。(2008年12月29日)
 


 
■■■       オリンパス「E-3」のラインナップ完成! ■■■
 
   2007年12月28日(金)待望のズイコーデジタル ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD が我が家に届き、新しい戦力が全て揃った。主力のE-3には ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD を付け、E-510には ED 70-300mm F4.0-5.6 を付ける。これで、レンズ交換無しに、12mm〜300mm (35mm換算で24mm〜600mm)の広角から超望遠までの広域をカバーするシステムが完成した。  
 

オリンパス E-3

オリンパス E-3

拡大写真(580x430)39KB

 

 

 

オリンパス E-510

オリンパス E-510

拡大写真(627x630)60KB

ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD

ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD

拡大写真(468x330)32KB

 

ED 70-300mm F4.0-5.6

ED 70-300mm F4.0-5.6

拡大写真(531x321)34KB

 
   E-510は、既にニュージーランドで使用し、中級機として必要なスペックは全て揃い、安定した画像が得られている。E-3は、12月8日の岐阜・池ノ上みそぎ祭で筆卸しを行ったが、その階調豊かな画像は、オリンパスのフラッグシップ機にふさわしいもので、大満足の一言あるのみである。(^^  
   E-3の使用感を総括すると、画質向上、11点全点ツインクロスセンサーによるAF機能アップ、手振れ防止、高感度撮影時のノイズ低減、連写機能、SAT、ノイズリダクションなど、現時点の最高水準の機能が全て盛り込まれており、E-510と比べて、ワンランク上の高級機である印象がとても強い。全天候型の設計のため、頑丈にできており、サイズが大きく重いのはやむを得ないという気もする。  
 

裸男たちの夜の禊 / 撮影:E-3(手持フルオート)  1/60  F2.9  ISO400  FL-50

裸男たちの夜の禊

拡大写真(2400X950)414KB

 
   特記したいことは、階調オートの設定でSATが働くと、写真上のように、光が届かない遠くでも明るく写ることである。今までなら、光が届く範囲は明るいが、それを過ぎると真っ暗闇になっているところである。この差は驚くほどで、今後、大きな戦力になることだろう。  
 また、内蔵フラッシュの能力が高いことが挙げられる。E-510もE-3も充電が早く、かなり早く写せる。外部フラッシュのFL-36は充電が遅くて、速写時には使えない。FL-50も早いが、内蔵フラッシュの方が早いように感じた。再充電だけでなく、内蔵フラッシュはボディ一体となっているためか、合焦機能がチューンナップされているようで、とても早く感じられ、ストレス無く撮影が続けられる。バウンス撮影とレンズの蹴られが発生する近接撮影以外は、内部フラッシュで完璧に対応できる。重くて大きな外部フラッシュFL-50は、バウンス撮影など、特殊な状況のみに使い、普段は、内蔵フラッシュで対応したい。専用電池を沢山持って行けばよく、単三を用意したりすることも必要ないので、とても楽になる。

ロトルアのセコイア林にて / ニュージーランド北島  2007.10.18

ニュージー早春の旅

ロトルアのセコイア林にて / ニュージーランド北島

拡大写真(1600x1200)436KB


 
■■■ オリンパス「E-3」登場! ■■■
 
 

手に取った第一印象

 
  2007年12月1日(土)の朝、待ちに待った11月23日発売のオリンパスのフラッグシップ・モデルE-3本体が宅急便で届いた。急に目が覚めた気分になり、箱を開け、中からボディを取り出した。810g という重量は、予期した以上に重い。E-510の470g から一気に340gも増えたのだから仕方がないが、これに11-22mm広角レンズを付けて、4ギガのCFメモリー(1010万画素の撮影可能枚数1,628枚)とバッテリーを装着すると1,480g となった。まだ入手していないが、同時発売の12-60mmを付けると、更に90g 増加して、1,570g となってしまう。これからこれを携えて世界の旅を続けるとすれば、かなりの重荷になる。良いことがあれば負担も大きいことを覚悟せねばならないが、オリンパス技術陣には、フラッグシップ・モデルといえども、フォーサーズ規格の有利性を生かして、高級ボディ・高級レンズ共に更なる小型軽量化をお願いしたい。なお、雑誌の評価記事で「E-3のライブ・ビューの液晶パネルは2.5型69万ドットなので、ニコンD-300と同様の3型92万ドットにして欲しかった」という指摘が散見されるが、大きく重たいカメラを真似することはない。オリンパスは、オリンパスらしく、液晶パネルの大きさはこれで十分なので、小型化を目指して欲しい。  
 

オリンパスのフラッグシップ・モデル「E-3」と12-60mmズームレンズ

オリンパスのフラッグシップ・モデル「E-3」と12-60mmズームレンズ

 
   新品のストラップを取り付ける。OLYMPUSの文字が刺繍され、裏側には全面滑り止めが張られている。さすが高級機だと感心する。時刻を合わせ、マニュアルを一読して、操作要領を確認する。操作性は殆ど変わっていないので、ボタンやダイヤルの位置に慣れると、直ぐに使いこなせるようになる。ファインダーを覗くと、今までとは違って画面が大きくなっている。ただ、今までの大きさに慣れているせいか、眼球を左右に意識的に動かさないと左右がハッキリ見えない。今までは少し小さかったので、眼球を動かさなくてもよく見えた。好みの分かれるところであるが、私は今までのサイズでも困ったことはないので、なぜ、これまでファインダーが狭いことがハンディだといわれていたのかよく分からない。  
 

「E-3」ボディ前面

「E-3」ボディ前面

 
   画面にはこれまでの3点から大幅に進化させた11点全点ツインクロスセンサーが3・5・3の横3列に並んでいる。ピントの合った場所の正方形がピピッという音と共にピカリと赤く光る。瞬時に反応するAF機能。これは凄いと思った。E-510までは合掌した点が赤く光るだけだったが、正方形となり、今どこにピントが合っているのかが非常に分かりやすくなった。しかし、露出諸元がこれまで右側に表示されていたのが、画面下になっている。ついつい右に視線が行くので、これは慣れるまで大変だ。  
   次に、連写モードを試すことにした。連写は秒間5枚のHと3枚のLの2モードがある。Hに設定して、秒間5枚の連写を試してみる。カシャ・カシャ・カシャ・・・と小気味よい金属音が居間に響く。これまでにない軽やかで小気味の良い作動音が素晴らしい。ボディ全体を眺めると、外部フラッシュを装着するホットシューの金属部も黒く塗装されている。電池やメモリーの出し入れもレバーの開閉でロックする機構が備わり、電池の裏蓋も外れないように固定されている。洗練されたデザインと相まって高級感を醸し出している。性能といい、一つ一つの丁寧な造りといい、E-3はオリンパスのフラッグシップ機にふさわしい完成度の高いデジカメだと思った。  
 

「E-3」ボディ背面のライブビュー

「E-3」ボディ背面のライブビュー

 
 

最先端を行く2軸可動式ライブビュー

 
   ボディ背面に採用された2軸可動式のライブビューは他社の追随を許さない。縦横自由なアングルで感動を切り取ることが出来る優れものだ。背面のライブビューボタンを押すと、ミラーアップしてライブビュー撮影に入り、撮像素子に届いた画像が背面液晶に映し出される。画角を決め、シャッターを半押しすると精密測光され、全押しすると、ミラーダウンしてAF機能によりピントを合わせたあと、ミラーアップしてシャッターが切られる。ファインダー撮影なら、半押しすると測光とピント合わせが同時に行われるので、全押しすると、直ちにミラーアップしてシャッターが切られ、ミラーダウンする。  
   このように、ライブビュー撮影では、全押ししたあと、シャッターが作動するまでに、ミラーダウン・AF合焦・ミラーアップという3つの動作が必要なため、ミラーアップしか必要ないファインダー撮影と比べると、リリース・ラグ(シャッター・ボタンを全押ししてから実際にシャッターが切れるまでの遅延時間)が長くなる。この点、更に改良の余地が残されている。  
   これに比べて、E-3と同時発売されたニコンD-300には、はじめてライブビュー機能が付加されたが、全く実用的でなく、評判が悪い。まず、D-300をライブビューにするためには、左上のレリーズモードダイヤルを廻して、ライブビューにあわせなければならず、ワンタッチではない。しかも、シャッターを半押しして初めて背面液晶に画像が表示される。また、全押ししても、オリンパスのようにミラーダウン・AF合焦・ミラーアップという動作は行われず、そのままシャッターが切られるので、事前に背面のAFボタンを押してピントを合わせておかないと、ピンぼけ写真となってしまう。このようにD-300のライブビュー機能は稚拙なもので、およそニコンらしくない。開発が間に合わなかったことは明らかであり、ライブビューの搭載は後継機まで見送るべきだったと思われる。  
   ライブビュー撮影は、オリンパスの発明なので、E-3に叶う機種はないのは当然だが、E-3に対して更なる改善点を指摘しておきたい。リリース・ラグの縮小だけでなく、撮影したあと、ライブビューが復活するまでに数秒かかってしまうことだ。ライブビューで連写も可能だが、二枚目からはめくら撮りになってしまうのである。これでは、祭りやスポーツなど、次々に撮影したいときには間に合わない。また、ライブ・ビュー撮影の際には、ファインダーから光が入って測光に悪影響を与えないようアイピース・シャッターを手動で閉じなければならないが、これが意外と手間である。この点、セルフタイマー撮影などとともに、シャッターが切れる直前にアイピース・シャッターを閉じ、シャッターが切られたあとに開くように自動化してほしい。何もアイピースにシャッターをつけることはないので、どこかに光を遮るようなシャッターをつければ良いと思う。  
 

パワーアップした手ぶれ補正の IS ( Image Stabilization

 
   E-510からボディにジャイロ・センサーを組み込み、カメラの揺れを検出して撮像素子を動かすボディ内手ぶれ補正機構が装備され、全てのレンズで手ぶれ補正が使えるようになった。ニコンやキャノンは、レンズ毎に組み込む方式をとっているため、レンズの光学設計に影響があり、費用や重量も増えるので、賢明な方式ではない。E-3では更にチューンナップされ、最大5段の補正が可能となり、世界一の性能を誇るという。また、E-3は IS ボタンが新設され、ワンプッシュで手ぶれ補正の設定モードに入ることが出来る。「OFF」「I.S.1」「I.S.2」の三つのモードがあり、何故かデフォルトは、E-510同様、「OFF」となっているので、作動するように切り替えなければならない。「I.S.1」は上下左右の手振れを防止する。「I.S.2」は、流し撮りなどのときに、上下の手振れを防止してくれる。常時「I.S.1」としておこう。  
 

「E-3」ボディ上面のコントロールパネル

「E-3」ボディ上面

 
 

モードダイヤルの廃止とコントロールパネルの新設

 
   外見上これまでの機種と大きく違うのは、右上にコントロールパネルという白黒液晶の表示パネルができたことである。そのかわり、オートや絞り優先、シャッター優先、マニュアル撮影などの切り替えがワンクリックでできるモードダイヤルがなくなった。撮影モードの変更は、左上のMODEボタンを押し、右後面のメインダイヤルをまわして行う。撮影モードが切り替わるごとにP、A、S、M の文字がコントロールパネルの左端に表示される。(背面液晶の左上にも大きく表示される。)便利な撮影モードの切替ダイヤルを廃して、コントロールパネル表示による撮影モードの切り替え方式にしたことは意見の分かれるところではある。  
   これまでと同様に背面のINFOボタンを押すと背面液晶にスーパーコンパネと称して各種設定が表示されるので、普通に考えれば、右上にコントロールパネルを作る必要はない。背面液晶の設定値から抜粋したものを二重に表示しているだけであり、上から見えるというだけのものである。設定がどうなっているかは、カメラをちょっと前に傾けて背面液晶を見れば分かる。  
   多分、設計陣は、ライブビュー撮影時には背面液晶のスーパーコンパネ機能が使えないので、コントロールパネルを設けて撮影諸元の切替・確認ができるようにしたのだろう。これはE-3から始まった新しい操作系の創造であり、ニコンのD-3やD-300もこの方式をとっているので、今後高級機はコントロールパネル方式が当たり前ということになりそうである。
 なお、撮影モードを切り替えるMODEボタンだけでなく、ISOやWBなど、その他のダイレクトボタンも、メインダイヤルかサブダイヤルを廻して設定値を変更するようになっている。
 
   なお、小さな点だが、コントロールパネルの撮影可能枚数は3桁しか表示されないので、デフォルトのままで4ギガCFを差してフォーマットすると、スーパーコンパネの背面液晶には1628(枚)と表示されるのに、コントロールパネルでは999となる。撮影可能枚数が減って3桁になれば同じ数値になると思われるが、何故4桁表示にしなかったのだろうか。  
 

「E-3」ボディ背面の十字ボタンとOKボタン

「E-3」ボディ背面の十字ボタンとOKボタン

 
 

十字ボタン操作系の改良

 
   E-510では十字ボタンを押すと、ISOやWBなど各種機能の設定モードに入るようにしてあるが、便利な反面、十字ボタンがベルトのバックルなどに当たって、気が付かないうちWBなどの設定値が変わってしまうという事故が起こる危険性があるため、メニュー画面の最後の項目でこの機能をロックする(使えないようにする)ことができるようにしてあり、私は常にロックして使っていた。(他社同等機にはこのロック機能が無く、事故防止対策をとっていたのはオリンパスだけだった。)E-3では、十字ボタンを押しただけでは設定値を変更することが出来ないようにしてあり、E-510のロック状態をデフォルトにしている。これは安全性を高めた賢明な改良である。  
   十字ボタンから設定値を変更するには、十字ボタンの中心にあるOKボタンを二度押すと、変更モードに入る。これが最も安全・確実な方法で、私はISOやWBなどのダイレクト変更ボタンなどは使わず、各種設定の変更はOKボタンと十字ボタンで行っている。機種によって位置が違うボタンを探す手間も要らないので、これが一番簡単である。メニュー画面を起動して変更するのはもっと手間がかかるので、現場での変更はOKボタン二度押しと十字ボタンによることをお勧めする。  
 

新機能のSAT ( Shadow Adjustment Technology )

 
   E-510では階調設定は「標準」「ハイキー」「ローキー」しかなかったが、今回新たに「オート」を選択することができるようになった。マニュアルでは標準設定がお勧めと書いているが、私は常時「オート」に設定することにした。明暗差の大きな被写体、例えば晴天下の社寺のような景色は、青空や光を受けている屋根に露出をあわせると軒から下の影の部分が黒く潰れてしまい、逆に窓や入口に露出をあわせると、屋根や青空は露出オーバーになり、雲などが白飛びを起こしてしまう。これまでのカメラでは、これはどうしても避けられないことだった。  
 ところがこのE-3の階調を「オート」に設定しておくと、雲や空も階調豊かに綺麗に写り、なおかつ、黒く潰れていた影の部分も自動的に調整されて明るく写り、目で見たとおりのナチュラルな画像ができあがる。これは凄いことなのに、何故か、PRやパンフレット、マニュアルではこの機能を明確に説明していない。
 この「オート」は、シャドー・アジャストメント・テクノロジー Shadow Adjustment Technology SAT という新技術であるらしい。フォーサーズという一から始めたデジタル専用設計のデジカメはオリンパスだけである。ニコンやキャノンは、フィルムカメラの規格のまま、フィルムを撮像素子に置き換えた重くて大きいデジカメである。過去のしがらみから解放された理想設計がフォーサーズ規格であれば、小型高性能の撮像素子とSATなどの処理技術を駆使し、小型軽量でなおかつハイクオリティな画像が撮れる優位性があることをもっともっと前面に打ち出してほしい。

私のパソコンとカメラ2/2 私のパソコンとカメラ1/2 和田義男
  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2009 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記English Version