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2007年8月30日改訂

今 日

昨 日

♪La Campanella (F. Liszt)
ラ・カンパネラ/リスト(パガニーニによる大練習曲 S.141-3)

パノラマ写真(2235x1000)324KB

フィヨルドの奥へ奥へと青岬  北舟

2000年7月31日開設

世界自然遺産・ナーロイフィヨルド

世界自然遺産・ナーロイフィヨルド(夏のフィヨルド探訪/北欧の旅)

2007年の日記  

 

8
  7月

8月

9月

目次


 
2007年8月30日(木)雨
 
 
■■■       日本裸祭全集」の反響! ■■■
 
   一昨日、「日本裸祭全集」をアップし、どのような反響があるものか注視していたが、予想通り、沢山のアクセスを頂いている。8月28日の夜アップして、その日は数時間だけしか残されていなかったが、当日のアクセスは423件を数えた。翌29日には1660件のアクセスがあり、二日間で2000件を超える大盛況で、大きな反響があることが分かった。  
 

拡大写真(1600x1064)231KB

益荒男や山笠清道を駆け抜けり  北舟
博多祇園山笠 / 7月15日
大黒流の疾走!

撮影:ちばあきお

博多祇園山笠(福岡県福岡市)

 
   裸祭りは他の作品と比べてアクセス件数が一桁多いのが常であり、久しぶりの作品とあって、多くのゲストに来て頂いたことを嬉しく思う。アクセスが多いのは、私のように裸祭りを正面から見据え、高精細画面でその醍醐味を十分に味わうことができるサイトは、私の弟子のサイトを除いては他に見あたらないからだと思われる。  
 internetのフリー百科事典 wikipedia の「裸祭り」では、外部リンクとして私と弟子のサイトが1,2番に並んでいる。また、「ふんどし」の説明でも私の「ふんどし談義」が外部リンクされており、そのお陰で、フリー百科事典からジャンプして来られる読者が多くなっている。アクセス100万〜200万件を超えたあたりから有名サイトとなり、GoogleやYahoo!などの検索エンジンがトップに表示してくれるので、アクセスが加速的に増えた。宣伝費用を一切払っていないのに、勝手に宣伝してくれるのだから、internetとは何と有り難いシステムなのだろうと思う。日々、感謝の連続である。(^^

裸祭全集が検索された瞬間! 2007.8.30 1230

裸祭全集が検索された瞬間!
 今日の昼休み、Googleで「裸祭全集」を検索すると、1件だけヒットした。残る913件は「裸祭」と「全集」という文字が含まれたサイトばかりである。「裸祭全集」という言葉が記載されたホームページ(ウェブ)は、勿論Wa☆Daフォトギャラリーである。
internetに「裸祭全集」という文字列が初めて表示された記念すべき瞬間で、とても愉快である。(^^

 
2007年8月29日(水)曇
 
 
■■■       日本の裸祭り第36集(実質第60集)「日本裸祭全集」完成! ■■■
 
   昨夜、「日本裸祭全集」をアップした。この作品は、Wa☆Daフォトギャラリー7周年を記念して、これまでに発表してきた「日本の裸祭り」の中から写真を抜粋して個展風に再編集し、正月から師走まで季節順に並べて「日本裸祭全集」としたものである。161頁、2000枚を超える高精細画像(再掲)による日本初の裸祭り全集で、祭り暦としても使える。

日本の裸祭り/ 第36集(実質第60集)「日本裸祭全集」

             http://wadaphoto.jp/maturi/maturi1.htm    
監修:和田義男
       
 
     平成19年(2007)8月28日 作品:第27作  画像:(大2059+小α)  頁数:161  ファイル数・ファイル容量:不明
    平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:318 頁数:1,115 ファイル数:29,165 ファイル容量:4,075MB
 
 
豪快な木場の屋台!(灘のけんか祭り/兵庫県姫路市)

豪快な木場の屋台!

大写真(1600x1200)433KB

 
   このたび、Wa☆Daフォトギャラリー7周年を記念して、これまでに発表してきた「日本の裸祭り」の中から写真を抜粋して個展風に再編集し、正月から師走まで季節順に並べた「日本裸祭全集」を創った。日本古来の裸文化が変質することなく現代に伝わる裸祭りにスポットを当てた写真集であり、祭暦(まつりごよみ)である。  
 全体の構成は、写真の鑑賞に専念できるよう、解説文は、文頭の祭りの説明と、文末の編集後記のみにとどめた。「四天王寺どやどや」や「播州秋祭・灘のけんか祭り」などの古い作品については、原画を再編集して写真を拡大したほか、新たな画像を追加した。高精細画像をじっくりとご覧いただき、裸の日本男児たちが躍動する祭りのロマンと感動を堪能して頂ければ幸いである。
 

拡大写真(1600x1200)365KB

初春やはだかで埋まる國府宮  北舟

國府宮はだか祭/2月10日

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると渦の位置が現れます。
楼門に近づく神男の渦

楼門に近づく神男の渦(國府宮はだか祭 / 愛知県稲沢市)

 
 

裸祭りの冬

 
   7年間にアップした裸祭りの高精細画像は2000枚を超えていた。説明用の800x600ドットの画像を加えると2500枚を超えると思われるが、時間が惜しくてきちんと数えていない。正月から順に作品を並べてみると、裸祭りは圧倒的に1月と2月に多いことが分かる。「裸」や「祭」は夏の季語であり、「裸祭」という季語は存在しないので、私は「裸祭」を冬の季語としたいと思う。  
   裸祭りが1〜2月の冬に集中しているのは、それが神道や仏教などの宗教行事として行われるからだろう。多雨で高温多湿の気候風土に育まれた日本人は、汚れ(穢れ)を嫌い、いつの頃からか、祭祀を始めるに前に、豊富な清水で心身を洗い浄める風習が生まれた。空気のように水がいつでもただで使えるからこそ培われてきた文化である。  
   インドのヒンドゥー教徒たちは、死期を悟ると、聖地バナラシを流れる母なるガンジー(ガンジス川)に身を沈めて沐浴し、死後荼毘に付されて川に還るという宗教文化を持つ。衆目の前で脱衣し、裸で沐浴するのは、インドだけでなく、日本でも当たり前の文化として定着している。  
   我々の先祖は、年頭にあたり、斎戒沐浴して穢れを祓い、心身を清らかにして新年に臨んだ。その風習が新旧の正月行事となって受け継がれて来たため、裸祭りが1〜2月に集中しているのだろう。寒いシーズンに裸で祭礼を行うのは、日本独特の風習で、外国人には奇習に見えることだろうが、筆者は、現代の国際化社会にあって、日本人が独自の裸文化を持つことにむしろ誇りを感じている。  
 

纏持の登場!(金沢城公園/石川県金沢市)

天まで届け、はだか放水!

拡大写真(1280x1600)259KB

 
 

初めての「裸祭全集」

 
   かねてから構想を温めていたこの「日本裸祭全集」。internetで「裸祭全集」を検索しても使用例は見当たらない。名付けるなら早い方が良いと思い、Wa☆Daフォトギャラリー七歳の誕生日に日本(のinternet上)で初めての「日本裸祭全集」が生まれた。  
   まだ、発展途上であり、作品数も53集と多いとはいえないので、全集とはおこがましいと思われる読者もおられることだろう。しかし、2000枚を超える裸祭りの高精細画像を取り揃えた出版本やサイトは皆無である。早い者勝ちというinternet社会の文化もこれありで、遂に、全集を出してしまったのである。  
   私の手元に昭和56年(1981)に毎日新聞社が発行したカラー写真集「四季・日本の祭り」という豪華本がある。全部で238の祭りを季節順に並べ、311頁にわたって紹介したものである。定価28,000円だったこの本は、現在、internetの古本屋で4000〜5000円で買うことができる。残念ながら人気のない本である。  
   日本全国から収録された祭りのひとつひとつに1頁1〜3枚の写真が掲載されており、それを見ながら300〜500字程度の簡単な解説を読んで、どんな祭りかを知ることができる。多くの写真家が全国を取材して完成させた労作であるが、盲人が象の足を触ってこれが象だと教わるようなもので、底が浅いのは否めない。  
   私の作品は、祭りの中に飛び込み、舞台裏を含めて、ありのままの姿を描き出すため、複雑な祭りほど多くの枚数が必要となる。黒石寺蘇民祭では、140枚の写真を使ったが、それでも描けていないシーンがある。私の作品には全裸になって褌を締めるシーンが出てくるが、祭りはそこから始まっているのでカメラを向けるのである。  
   祭りの内部に飛び込み、臨場感をそのまま切り取る方法で作品を創っているのは、私(と弟子)だけである。収録数の少なさはこれから更に多くの協力者のお力を拝借し、名実ともに日本一の裸祭りサイトになることを目指したい。「日本裸祭全集」は、緒に就いたばかりであるが、還暦という節目にスタートさせたことも意義深く、今後冬の裸祭りシーズンには、ふんどしを締め直して取り組んで行きたい。  

 
2007年8月23日(木)晴
 
 
■■■       感動写真集・第82集「エレファンタ島石窟」完成! ■■■
 
   昨夜、インドのオーソリティ的存在となられた丹下誠司さんが平成17年(2005)8月19日、単身、インド最大の都市ムンバイ
の沖合に浮かぶエレファンタ島を訪れ、世界遺産のヒンドゥー石窟を取材された貴重な作品をアップした。4頁40枚の力作で
ある。

感動写真集・第82集 「インド世界遺産・エレファンタ島石窟」
             http://wadaphoto.jp/kikou/ele1.htm    
撮影・原作:丹下誠司 監修:和田義男
       
 
       平成19年(2007)8月22日 作品:第26作  画像:(大33+小7)  頁数:4  ファイル数:87  ファイル容量:14MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:317 頁数:1,114 ファイル数:28,893 ファイル容量:4,040MB
 
 
遺跡の入口・第1窟

遺跡の入口・第1窟

拡大写真(1600x1000)290KB

 
   エレファンタ島は、紀元6世紀から8世紀の間に開窟されたヒンドゥー教の石窟遺跡で、1987年に世界遺産に認定されて
おり、英語表記では、Elephanta Caves(エレファンタ島の洞窟群)と呼ばれています。インド人にも、ムンバイから船で簡
単に行ける世界遺産として人気が高く、休日には3〜4千人の観光客がインド各地から訪れているようです。
 
 インド最大の都市・ムンバイからエレファンタ島への船が出ています。私は、朝の9時の始発船を選びましたが、予約も無し
でその場で往復券を買えました。記録メモを無くしておりますが、往復で、100ルピー前後(約250円)だったと思います。イ
ンドに多い外国人用の特別料金制度はここではありませんでした。乗船は定刻でしたが、インド的に30分遅れて、9時半に
出発。エレファンタ島までの約10キロを、一時間をかけての航海でした。
 

踊るシヴァ神

踊るシヴァ神

拡大写真(1800x1200)356KB

 
   エレファンタ島の遺跡の入口は、第1窟です。北側から遺跡入口を眺めていますが、ご覧のように観光見学用に、入り口部
分は、柱も含め相当に修復されています。この正面から、左右そして奥へ、約40mの洞窟が広がっています。シヴァ神を祀
った洞窟ですので、シヴァの神話に基づいた数々の浮き彫りをこの入口から楽しむことになります。入り口のすぐ右手にあ
る、踊るシヴァ神(ナトラジ・シヴァ)の浮き彫りは、とても有名です。観光客はまずこの踊るシヴァの浮き彫りからインドが誇る
エレファンタ島の世界遺産に圧倒されることになります。
 
 

怒れるシヴァ神

怒れるシヴァ神

拡大写真(1800x1200)402KB

 
   踊るシヴァ神のすぐ奥に、シヴァを祭った神殿があります。約9m四方の神殿です。各面に階段と入り口があり、入り口両
側には、ドゥワルパラ(Dwarpala)と呼ばれる守護神が対で並び、神殿を守っています。アンダカスラ・バド(怒れるシヴァ神/
写真上)は、パルヴァティをかどわかそうとした悪魔のアンダカ(Andhaka)との対決の後、アンダカを殺したシヴァ神の浮き彫
りです。シヴァ神は、ヒンドゥー教では、破壊と再生の象徴ですが、この浮き彫りでは、破壊が見事に表現されています。怒り
で見開いた目、悔しさで牙を剥き出し歯軋りする口もと、頭には髑髏とコブラ、8本の手は2本を除き壊されてしまっています
が、残った一本の右手には剣が握られていて、今にも物凄い勢いで振り回されて来て、こちらの首がちょん切られそうです。
 
 

シヴァの三面神

シヴァの三面神

拡大写真(1400x933)214KB

 
   エレファンタ島の最大の呼び物が、この巨大な3つの顔を持つシヴァ神の胸像マヘッシュ・ムルティです。高さは約6mあり
ます。正面の瞑想するシヴァは「調和」を、右の女性的な顔のシヴァはその穏やかさで「平和」を、左のシヴァは怒りの顔で凶
暴性を秘めた「破壊」を表現しています。女性的な顔は、妻のパルヴァティで、シヴァのシャクティー(活力)を表していると書い
ている本もありました。(丹下誠司)
 
 

★☆★彡

 
 

両性具備のシヴァ神

両性具備のシヴァ神

拡大写真(1600x1000)303KB

 
 

編集後記

 
   今やインドのオーソリティ的存在となった丹下誠司さんの第8作目にあたる「エレファンタ島石窟」が完成した。インドのプル
リア勤務を終え、帰国前に、単身、取材された丹下さんの行動力に脱帽する。
 
   今回も貴重な画像が沢山あり、出版社から使用依頼が寄せられることを予測して、精細画像も特別大きなサイズにしたの
で、インドの人々が尊敬するシヴァ神の凄さがよく分かる。
 
   BGMにはひと苦労した。図書館で「ヒンドゥーの神々への讃歌 ORISSI DANCE MUSIC 」というCDを見つけ、「踊るシヴァ
神」の頁に「パッラヴィ」を流した。また、カヤールという古典声楽やインドの民族楽器シャーナイ(ダブルリードの木管楽器)の
哀愁を帯びた音楽も見つけた。
 
   これまで、当サイトの文体は、簡明直截な「である調」に統一してきたが、丹下さんに関しては、原文の「ですます調」のまま
である。丹下節とでもいうのか、ウィットに富んだ独特の語り口を尊重したためで、他の作者や読者の皆様のご了解をお願い
申し上げる。 監修 和田義男
 

 
2007年8月19日(日)晴
 
 
■■■       感動写真集・第81集「夏の桂林寸描」完成! ■■■
 
   先ほど、感動写真集第26人目の作者による本年第25作(通算316作)目の作品をアップした。

感動写真集・第81集 「夏の桂林寸描」
             http://wadaphoto.jp/kikou/kei1.htm    
撮影・原作:光岡新一 監修:和田義男
       
 
       平成19年(2007)8月19日 作品:第25作  画像:(大28+小0)  頁数:3  ファイル数:68  ファイル容量:13MB
          平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:316 頁数:1,110 ファイル数:28,793 ファイル容量:4,019MB
 
 
延々と奇岩が続く 漓江りこう
延々と奇岩が続く漓江
 
   リタイア後、確かな目的もなく、淡々とすごしている中、ホームページを見ているうちに、ゾックとするページに巡り合えた。そ
れがWa☆Daフォトギャラリーの「感動写真集」である。写真を通じ、様々な感動があるとは夢にも思わなかった。
 
 
竹排ツーパイ (竹筏)の鵜匠
竹排(竹筏)の老鵜匠

拡大写真(1435x1800)418KB 

 
   一枚の写真から多くの人々にこれほど感動を与えるサイトはないと思う。主宰の監修も伴い、作品の一つ一つが100%生か
された解説が物語っている。それはまるで百科事典、広辞苑をも凌ぐ程である。元々、言葉の語源、音楽に興味のある私に
とってはこの上ない宝物の宝庫である。
 
 
高田郷こうでんきょう の景観
高田郷の景観

拡大写真(1600x1200)254KB

 
   待望の「漓江下り」は、遊覧船の待つ川べりに行くと、既に沢山の観光客が列を成していた。待ち望んだスポットをカメラに
収めようとしたが、似たような景観で何処を撮ればいいのか迷ってしまった! 良いスポットでは現地カメラマンにこちらが撮
られる始末で、後手に回り、肝心のところを取り逃がしたのが実感である。しかし、水墨画の世界に魅せられたのは間違い
のないところで、とても感動した! 
 
 

夕暮れの金銀双塔/桂林

夕暮れの金銀双塔/桂林

拡大写真(1600x1150)289KB 

 
   切り取った枚数は微量だが、自分なりに収穫があり、満足できる結果だったと思う。 桂林の印象は、山村部であり、今の
時代についていけてない部分もあるかなという感じ。和田さんの言われる交通マナーにおいては、呆れるほどだった!それで
も桂林、やはり行ってみて良かったと思う!! (光岡新一)
 
 

★☆★彡

 
 
竹排ツーパイ (竹筏)の老鵜匠
竹排(竹筏)の老鵜匠

拡大写真(1435x1800)418KB 

高田郷こうでんきょう の景観
高田郷の景観

拡大写真(1600x1200)254KB

 
 

編集後記

 
   「夏の桂林紀行」というタイトルで編集を進めていたが、昨秋発表した「霧の桂林紀行」と紛らわしいので、急遽「夏の桂林寸
描」という題名に変更させていただいた。桂林の詳細な説明は、「霧の桂林紀行」を参照していただくことにし、こゝでは美しい
二胡(にこ)の調べをバックに、光岡さんの素晴らしい写真をじっくりと鑑賞していただくべく、解説は割愛させていただいた。
 
   私が感動した写真は、「竹排(竹筏)の老鵜匠」と「高田郷の景観」の2枚である。中でも「竹排(竹筏)の老鵜匠」は、絶妙の
アングルとタイミングで、漓江(りこう)に生業(なりわい)を求めてきた老鵜匠の年輪の深さを見事に切り取っておられる。特に、
鵜匠と川鵜の表情が素晴らしく、長年のパートナーであるという信頼感が滲み出た傑作である。
 
   光岡さんの感性の豊かさが随所に現れている。同じ視点からズームしたりパンしたりして、フルオートで沢山の写真を撮影
する和田流で世界を廻っていただければ、天性の素晴らしい審美感による傑作が数多く生まれることだろう。感動写真集の
仲間に加わって頂いたことを心よりお礼申し上げたい。   監修 和田義男
 

2007年8月17日(金)晴
■■■ 400万アクセス達成! ■■■
 本日22時53分41秒、トップページの累計アクセスカウンターが4,000,000件を示した。2000年7月16日(日)にサイトを立ち上げてから100万件を頂くまで4年11ヵ月、100万件から200万件まで1年7ヵ月、200万件から300万件まで3ヵ月半(107日 9346件/1日)、そして今回、300万件から400万件まで4ヵ月(118日 8475件/1日)で達成。今年の7月16日に満7歳を迎え、8年目に入ったWa☆Daフォトギャラリーにあって、またひとつ記録が加わった。

400万アクセス達成の瞬間

400万アクセス達成の瞬間
 200万アクセス以降、加速度的にアクセスが増えたのは、昨年12月上旬に1000を超える全ての頁にアクセスカウンターを設置したためで、増えたと言うより、把握していなかったアクセスを100%反映できるようになったからである。ここ100万件のアクセスでは、1日平均8475件となるが、最近は1日7000〜8000件で推移している。
 200万件から300万件まで107日で達成したが、300万件から400万件までは11日余計にかかっている。これは、アクセス急増で旧サーバーがダウンし、引っ越しまで10日ほどかかっており、その間のロスが響いている。従って、ペースは思ったほど落ちてはいないと考えられる。ここ200万アクセスの平均は8888件/日である。このペースで行けば、今年の12月には500万アクセスを突破することは間違いなさそうだ。
 当サイトのアクセス・カウンターは、同じ人が何度アクセスしてもその日は1件としかカウントされないので、この数字は一日の来訪者の実勢を反映している。この重みをしっかりと認識し、これからも美しい画像とGBM、そして正確で読みやすい解説をモットーに、ロマンと感動あふれる多彩な作品を作り続けて行きたい。今後益々のご愛顧をお願い申し上げる。

 
2007年8月17日(金)晴
 
 
■■■       「北欧の旅」第六弾/完結編「海辺の町ヘルシンキ」完成! ■■■
 
   「北欧の旅」も最終日の7日目を迎え、昨夜、本年第24作(通算315作)目の作品をアップした。

特集!旅紀行第28集(実質第63集) 「海辺の町ヘルシンキ」
                http://wadaphoto.jp/kikou/hokuo30.htm    
撮影・原作・監修:和田義男
       
 
      平成19年(2007)8月16日 作品:第24作  画像:(大37+小2)  頁数:3  ファイル数:92  ファイル容量:22MB
    平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:315 頁数:1,107 ファイル数:28,716 ファイル容量:4,004MB
 
 
シベリウスのマスク
シベリウスのマスク

拡大写真(1400x1050)401KB

 
 
特異なデザインのテンペリアウキオ教会

特異なデザインのテンペリアウキオ教会

パノラマ写真(2000x800)391KB
 
 
ヘルシンキの遊覧ボート
ヘルシンキの遊覧ボート

拡大写真(1600x985)310KB

 
   北欧ツアー最終日の7日目は、曇天に見舞われ、時折雨が降って、観光にとっては良くないコンディションだった。しかし、これまでは暑くて大変だったが、上着を着込み、北欧本来の涼しい夏を経験することができた。  
 ヘルシンキは最終日の半日の観光で撮影枚数も少なく、ひとつの作品として独立させるには無理があるかと思ったが、感動写真集作者の横尾矗(よこお・ただし)さんから昨年11月に撮影された写真を提供していただいたお陰で、シベリウスの名曲フィンランディアの美しい調べと共に、有終の美を飾ることが出来た。 
 
何もかも鉄板焼きで・・・
何もかも鉄板焼きで・・・

拡大写真(1400x1050)281KB

 
 
ヘルシンキ大聖堂
ヘルシンキ大聖堂

拡大写真(1800x1350)311KB

 
 
ヘルシンキ大聖堂の内部
ヘルシンキ大聖堂の内部

パノラマ写真(2200x1000)291KB

 
 
外海に向けて据え付けられた古い大砲
外海に向けて据え付けられた古い大砲

拡大写真(1600x1200)432KB

 
 

「北欧の旅」完結に寄せて

 
   北欧の旅を終えて2ヵ月後の2007年8月16日、エアコンを27℃に設定した我が家の居間で、「北欧の旅」全6編(32頁、大387枚+小33枚、ファイル数1028枚、容量284MB)の超大作を遂に完結させることができた。撮影した量は800万画素と1000万画素を併せて5070枚9108MBなので、使用した枚数は1/12ということになる。  
   感想として最初に思い浮かぶことは、当初の期待に反して、北欧の旅は予想外に素晴らしかったということである。好天に恵まれ、美しいフィヨルドの大自然や緑滴る湖水地方の佇まい、そして、バイキング文化の素晴らしさと海洋国として発展した各都市の美しい町並みやお国柄を十分に堪能することができた。  
   北欧4ヵ国を巡り、ヨーロッパの歴史の一端に触れることができたが、長期にわたってお互いに征服と侵略を繰り返す悲劇があった。オスロとヘルシンキでは侵略国の国王の銅像が未だに飾られているが、被占領国当時の辛酸を忘れないためのものなのだろうか。小さな島国・日本は、海という天然の防塁に守られ、長期にわたって平和を維持することができたことの幸運を痛感する。蒙古襲来にも神風が吹いて難を免れた。  
   しかし、先の大戦で世界を相手に無謀な戦いを挑み、広島・長崎に原爆を投下され、敗戦国の憂き目を見た日本。昨日は62回目の終戦記念日だった。今年還暦を迎え、戦争を知らない団塊の世代として世界の旅を続けるにつけ、平和の尊さ、有り難さを実感する毎日である。  < 完 >   2007年8月16日...74年ぶりに日本最高気温を更新し、40.9℃を記録した日  

 
2007年8月14日(火)晴  
 
 

■■■ 学生芸術祭のチラシに和田フォトの写真が掲載 ■■■

 
   今朝、中央大学第二演劇研究会で製作担当の古川真由実さんから和田フォトの写真を使ったチラシ(写真下・左)が送
られてきた。2007年8月3日から9月24日まで池袋のシアターグリーンで開催される「シアターグリーン学生芸術祭」に参加
する中央大学第二演劇研究会が出演する「千本桜改作譚」のチラシで、古川さんが製作したもの。
 
   学生芸術祭のチラシ(写真下・右)も同封されており、慶應、日芸、桜美林、東大、同志社、立教、中央、早稲田などの大
学の演劇部が公演する。学生演劇はとかく学内に留まりがちなので、広く一般の方々の目に触れて欲しいという企画で始
まったものという。
 
 
和田フォトの写真を使った中央大学のチラシ
和田フォトの写真を使った中央大学のチラシ

拡大写真(990x1400)245KB

 

 

シアターグリーン学生芸術祭のチラシ
シアターグリーン学生芸術祭のチラシ
 
 
   中央大学のA4サイズのチラシの中央には丹下誠司さんの「アジャンタ遺跡〈下〉  http://wadaphoto.jp/kikou/aja8.htm
の第9窟「ストゥーパの中の仏像」が使われ、周辺部に私の「鎌倉の蓮の花 http://wadaphoto.jp/sakura/hasu1.htm 」や大
森保武さんの「絲綢之路シルクロードの旅 http://wadaphoto.jp/kikou/siru5.htm 」 の「廃墟を行く(交河故城)」などが使わ
れている。チラシの裏面に「写真提供/Wa☆Daフォトギャラリー」とキャプションが表示されていた。
 
 
ストゥーパの中の仏像(アジャンタ遺跡第9窟/インド) 撮影:丹下誠司
ストゥーパの中の仏像(アジャンタ遺跡第9窟/インド)

拡大写真(1600x1055)196KB

 
 
極楽の花(光明寺/神奈川県鎌倉市) 撮影:和田義男
極楽の花

拡大写真(1600x1200)188KB

 
 

廃墟を行く(交河故城/中国) 撮影:大森保武

廃墟を行く(交河故城)

拡大写真(1600x900)215KB

 
   Wa☆Daフォトギャラリーの写真をチラシに使うことについては、7月29日に古川さんから事前に次のような申し出があり、
全面的に協力すると回答していた。
 
   初めまして。私は東京にてデザインの勉強をしながらお芝居をしている古川真由実と申します。先日、次回公演のチラシ
を作ろうと写真を探していたところ和田さんのサイトにたどりつき、その写真の迫力や神聖さに完全に心を奪われました。
もし宜しければぜひ、それらの写真をチラシの素材として使わせて頂きたいと思い連絡しました。自分に足りなかったもの
をストゥーパの中の釈迦の写真で実感しました。今はあの写真をデスクトップにしています。
 まだまだ未熟な私がこのような素晴らしい写真を使わせて頂きたいというのは正直、恐れ多いのですが、これ以上の写
真を探し出す事は出来ないと直感したのでメールさせて頂きました。ご連絡、お待ちしております。
 
   演劇会場では「チラシ展示」が行われる。「公演にあわせてデザインされたチラシは、観客が初めに触れる大切な公演の
一部であり、立派な宣伝美術の作品です。そこで、学生達の優れた才能が、多くの観客や演劇人と出会うことを期待し、学
生達がデザインしたチラシを「作品」として展示します。」ということで、この企画も素晴らしいと思う。
 
   このたび、当サイトの様々な写真を上手く組み合わせて、独特の雰囲気が醸し出されたひとつの芸術作品が生まれた。
これをデザインされた古川さんは、素晴らしい感性をもっておられると感心した。
中央大学の学生が作成したチラシを通じ
て、思わぬ社会貢献をさせて頂いたことを丹下さんや大森保武さんらと共に喜びたいと思う。9月の学生芸術祭の成功を
心から祈念したい。
 

 
2007年8月12日(日)晴
 
 
■■■       「北欧の旅」第五弾「水の都ストックホルム」完成! ■■■
 
   「北欧の旅」も6日目を迎え、先ほど本年第23作(通算314作)目の作品をアップした。

特集!旅紀行第27集(実質第62集) 「水の都ストックホルム」
                http://wadaphoto.jp/kikou/hokuo26.htm    
撮影・原作・監修:和田義男
       
 
    平成19年(2007)8月12日 作品:第23作  画像:(大50+小4)  頁数:4  ファイル数:132  ファイル容量:25MB
  平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:314 頁数:1,104 ファイル数:28,609 ファイル容量:3,980MB
 
 
ストックホルムの航空図

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

ストックホルムの航空図

拡大写真(1187x838)351KB

 
 
城塞のような市庁舎
城塞のような市庁舎

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   北欧ツアー6日目も天候に恵まれ、中世の美しい建物が多数残る水の都の風情を十二分に楽しむことができた。何といっても印象的だったのは、ストックホルム市庁舎で、古城を思わせる重厚な造りに圧倒された。ノーベル賞受賞祝賀会の会場になっているため、これまで縁の無かったノーベル賞に親しみを持つことができた。  
 
市庁舎二階・黄金の間

市庁舎二階・黄金の間

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狭い路地に密集する商店街
狭い路地に密集する商店街

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路上の似顔絵(カリカチュア)書き
路上の似顔絵(カリカチュア)書き

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広場の水汲み場
広場の水汲み場

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   グーグル・アース Google Earth の無料サービスのお陰で、世界中の航空写真を簡単に利用することができる。これからの世界の旅の解説にフル活用したいと思っている。あと残すのはフィンランドのヘルシンキだけ。乞うご期待!  
 
クラシックな旅客船
クラシックな旅客船

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2007年8月5日(日)晴
 
 
■■■       「北欧の旅」第四弾「夏のベルゲン」完成! ■■■
 
   「北欧の旅」も佳境を迎え、週末の編集が快調に進み、先ほど本年第22作(通算313作)目の作品をアップした。

特集!旅紀行第26集(実質第61集) 「夏のベルゲン」 http://wadaphoto.jp/kikou/hokuo19.htm  撮影・原作・監修:和田義男 
       
 
    平成19年(2007)8月5日 作品:第22作  画像:(大80+小4)  頁数:7  ファイル数:203  ファイル容量:44MB
  平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:313 頁数:1,100 ファイル数:28,462 ファイル容量:3,954MB
 
 

若返りの滝・ツインネ

若返りの滝・ツインネ

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   北欧ツアー最大の山場・ノルウェーの旅の3日間を無事に纏めることができた。ベルゲンに着いた午後は高曇りとなり、雨が心配されたが、それも杞憂に終わり、翌朝はカラリと晴れた良い天気となった。スイスの旅以来、ヨーロッパでは「天祐我にあり」が続いている。  
 

ベルゲンの街並み

ベルゲンの街並み

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フロイエン山頂で展望を楽しむ人たち

フロイエン山頂で展望を楽しむ人たち

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   BGMには細心の注意を払ってきた。お気づきのように、この北欧シリーズは全て最初の頁にペール・ギュントの「朝」が流れる。そして、美しいソプラノによる歌曲「ソルヴェーグの唄」をノルウェー最後の頁に配した。グリーグの素晴らしい曲が心を打つ。あと残すのはスウェーデンのストックホルムとフィンランドのヘルシンキの2日だけ。乞うご期待!  
 

朝のブリッゲン地区の木造屋

朝のブリッゲン地区の木造屋

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世界文化遺産のブリッゲン地区

世界文化遺産のブリッゲン地区

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2007年8月3日(金)晴  
 
 

■■■ 還暦に命の洗濯 ■■■

 
   平成19年(2007)3月6日、亥年の私は満60歳の還暦を迎えた。知人から「とうとう還暦ですね。人生の節目として感慨深いものがあるでしょう。」と言われたが、4年前に再就職して以来、毎日我が家とオフィスのある新宿を往復するサラリーマン生活に変わりはなく、日本人男性の平均寿命が80歳近いことを思うと、まだまだ先は長いという気があるので、節目を迎えたとはいっても特別な感慨はなかった。  
   しかし、昔から還暦は大厄といわれていることもあり、還暦記念として、3月の末、家内と共に都内の西台クリニック画像診断センター*1でペット(PET;Positron Emission Tomography  陽電子放射断層撮影法)*2による癌検診を受け、また、4月初めには脳ドックを受けた。  
  *1西台クリニック画像診断センター:http://www.ncdic.org/ *2ペット(PET):http://www.ko007.com/good/  
   その結果、家内は異常なかったが、私の方は「PETで下行結腸あたりへの集積があります。主要マーカーの上昇はありませんが、便潜血は2回とも陽性です。」と書かれた報告書が精密検査のための紹介状と共に送られてきた。  
 

虎の門病院/東京都港区

虎の門病院/東京都港区
   そこで、5月初旬に私の勤めるオフィスビル5階で開業している平塚胃腸病院附属新宿センタービルクリニックに紹介状を持参し、大腸の内視鏡検査を受けたところ、左下腹部に3cm大のポリープ(腫瘍)が見つかった。部分的な生検の結果は良性だったが、そのまま放置しておくと癌になる可能性があるので手術を勧められ、虎の門病院*3宛の紹介状を書いてもらった。
*3虎の門病院 http://www.toranomon.gr.jp/site/view/index.jsp
 5月の中頃、虎の門病院消化器科に行って受診したところ、再度内視鏡検査を行って内視鏡切除が可能かどうかをチェックすることになり、5月の末、内視鏡検査を受けたところ、難しい部位ではあるが何とか内視鏡切除ができることが判明したので、一週間入院することになった。
 7月23日(月)虎の門病院新館8階の4人部屋の無料ベッドに案内され、パジャマ姿になって患者に変身。夕刻、家内と共に医師から手術の種類や必要性、危険性など詳しく説明され、手書きの略図付き説明書と手術の同意書に署名し、その写しを貰った。(インフォームド・コンセント)
 
   もし、不安があるなら、別の病院に行っても良く、その際は、有料だが全ての資料の貸し出しが可能とのことだった。(セカンド・オピニオン)  
   私が受ける内視鏡切除は、腫瘍の根元をワイヤーの輪で囲み、電流で焼き切るイー・エム・アール(EMR ; Endoscopic Mucosal Resection  内視鏡的粘膜切除術)ではなく、イー・エス・デー(ESD ; Endoscopic Submucosal Dissection  内視鏡的粘膜下層剥離術)というもので、腫瘍の周辺部の正常な粘膜に針で液を注入して粘膜にできた腫瘍を浮き上がらせ、腫瘍周辺の正常な粘膜もろとも電気メスでぐるりと焼き切って腫瘍を切り取る方法である。  
   腫瘍が粘膜下層やその先の筋肉まで達していると、更に丹念に腫瘍をそぎ落とさなければならず、それが深いと大腸に穴が空いて腹膜炎を起こす危険性があるので、その場合は外科手術により、腫瘍部位の大腸を輪切りにして切除することになるが、全身麻酔と3週間の入院が必要になるという。  
   翌7月24日(火)午後3時頃から主治医の矢作(やはぎ)医師によるESDが行われ、腫瘍は1時間もかからないうちに綺麗に切除された。麻酔をかけていないので、液晶ディスプレーに映し出される切除術の様子を最後まで見ることができた。痛みもなく、手慣れた見事な手術だった。  
   当日は、ベッドに張り付けとなり、点滴で水分と栄養を補給、排尿も溲瓶(しびん)を使用するという大手術を受けた重病人扱いだったが、痛みは皆無で、本を読んだり、テレビを見たりして退屈を紛らわした。25日(水)昼食から半粥の食事が出るようになり、点滴の針も外された。唯一困ったことは、一日中寝たきりで腰が痛くなったことだった。一日でこれだから、長期の寝たきりの人の苦労は大変だろうと思った。26日(木)から夜のシャワーが許され、27日(金)の朝食から粥の食事となった。  
   27日(金)夜、摘出した腫瘍をスライスして顕微鏡で詳しく検査した生検の結果報告書をもらい、その説明を受けた。大腸腫瘍は2.5cm大で、粘膜内に留まっており、癌になる一歩手前の高度異型線種の範囲にあり、きわどく良性の状態で腫瘍を全摘することができたとのことだったので、安堵した。用心のため、半年後に内視鏡検査を受けることになり、予約を取った。こうして、28日(土)午後、後顧の憂いを残すことなく晴れて退院することができた。わずか6日間の入院だった。  
   切除した部位の傷は、周辺部から徐々に癒されて、最後は粘膜で覆われてもとの状態になるが、それまでは出血の恐れがあるので、1ヵ月は激しい運動を避け、用心するように言われた。2週間の禁酒となったが、普通の入浴や食事は全く自由であるという。退院の日も粥の食事だったのに、これには驚いたが嬉しかった。  
 

★☆★彡

 
   PETESDという先端医療のお陰で、早期診断・早期治療が可能となり、還暦という大厄を迎えた年に思わぬ命の洗濯をすることができた。  
   7月27日(金)の朝日新聞朝刊には、日本人の平均寿命が男女ともアップし、女性は85.81歳(22年間世界第1位)、男性は79.00歳(前年の世界第4位から第2位に躍進)となったとの報道があったが、癌になる前の段階で病根を探知し、簡単に除去する医療技術の進歩が延命に一役買っていることを身をもって知ることが出来た。癌、心臓病、脳血管疾患の三大疾患を克服できれば、日本の男性の寿命は8.31歳、女性は7.20歳延びるという。今後の更なる医療技術の進歩を期待したい。  
   多くの方々のお陰で生かされている命を大切にし、その終焉を迎える日まで、日々感謝しながら充実した人生を大切に送りたいと思う。私の癌の芽を摘み取って頂いた医療関係者の方々に心からお礼申し上げたい。  
   アメリカで発明されたPETは、癌には糖が集積するという性質を利用し、放射化した糖を注射し、CTスキャンのように頭部を除く全身の糖の集積状況を撮影して癌を探知する。私のように癌になる一歩手前の状態でも見つけることが出来る画期的な方法であり、苦痛を伴わず、手軽に受診できる。この装置は高価であるが、全国の病院に導入されつつあり、最近、青梅市民病院でもPETを受けられるようになった。  
   私は4年前、退官記念に西台クリニックで初めてPETを受診した。今回、青梅市民病院を利用せず、同じところで二度目の検査を受けたのは、PETにより得られた画像を解析するノウハウが優れている専門医にかかることが重要だと思ったためで、それが奏功して癌になる前の腫瘍を探知することができた。  
   昭和天皇は癌で亡くなられたが、最高水準の医療陣をもってしても癌を早期発見できず、見つかったときには手遅れだった。私の母は胃の外側に癌ができていて、バリュウムや胃カメラによる検診でも探知できなかった。いずれもPETが間に合っていれば助かったのにと残念に思っている。  
   PETは、頭部以外の全身をくまなく検査できるので、どのようなところにできた癌でも早期に探知することができる優れた検査方法である。この短い闘病記を書こうと思ったのは、私と同世代の方々に多少とも参考になればと思ったからである。日本人の3人に一人が癌で死ぬ現代。PETをまだ受けたことのない方は、是非一度受診されることをお勧めする。〈 完 〉
 
 

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