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宗像大社 |
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沖津宮 |
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現地大祭 |
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宗像大社沖津宮の現地大祭に参加した。福岡市と北九州市の中ほどに宗像市(むなかたし)があり、その沖合いに大島(おおしま)と沖ノ島(おきのしま)からなる大島村がある。 |
宗像大社は沖ノ島に沖津宮を大島に中津宮(なかつみや)をそして宗像に最も大きな辺津宮(へつみや)を置いており、それぞれ天照大神の御子神である三柱の神々を祭神としている。
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沖ノ島は、聖なる神の島である。普段は大社の神主一人が交代で島を守っているだけの無人島である。 |
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わが国と大陸との航路の要衝であり、古くから大和朝廷などは、この島で国の安全と交通の安全を祈る祭祀を行なった。 宗像大社公式サイト |
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宗像大社・辺津宮
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宗像大社の神紋 |
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昭和期に入ってから行われた遺跡調査により発見された祭物は、4世紀から10世紀までのものが12万点にのぼり、時期が特定された780点は国宝、それ以外はすべて重要文化財に指定されている。 |
海の正倉院と呼ぶ人もいるが、その数から見ればはるかに正倉院を凌駕しているのではないだろうか。 |
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沖ノ島上陸の心得 |
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そのような島なので、古くから島に入った者は一木一草たりとも島外に持ち出してはならないという掟があった。また古例により女性の上陸を許さないという掟もある。 |
年に一度のチャンス |
毎年5月27日に、年に一度に限り一般人の入島を許す沖津宮現地大祭が行われる。事前に申し込みをした者の中から230人の男が選ばれ、私もこの日に休みを取って参加した。 |
参加者は、前日の午後、宗像側にある神湊(こうのみなと)からフェリーで大島に渡る。 |
そして、午後6時に大島の中津宮で、現地大祭への参加の登録を行い、中津宮で行われる航海の安全祈願祭に参加する。その日は、大島の民宿に分宿する。 |
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中津宮で参拝の登録
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早朝の出立 |
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27日の朝早く、参加者は港に集まり、漁船やフェリーに分乗する。岸壁に立つ多くの女性に見送られ、巡視艇にエスコートされながら2時間近くかかって沖ノ島に渡る。 |
玄海灘は荒れる海なので、航海ができないこともある。そういうときには、大島の遥拝所(ようはいしょ)から沖ノ島の方向に向かってお参りをすることでこの大祭を済ませてしまうこともあるそうだが、今年は好天に恵まれた。 |
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沖ノ島と灯台 |
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沖ノ島に近づくと岸のほとんどは岩だらけで切り立っている。上を見上げると最も高いところに灯台があった。 |
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沖ノ島に上陸 |
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沖ノ島の港に入ると、船上で山伏姿の年輩者が法螺貝を吹いた。フェリーと漁船が岸壁(がんぺき)に横付けし、各人各様のスタイルで上陸した。 |
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