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 旅紀行日本の裸祭り

2004年6月13日改訂

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地の精霊 水の宮・和風BGM

宗像神社・沖津宮現地大祭

2002年10月5日制作

   
 宗像大社(むなかたたいしゃ)沖津宮(おきつみや)の現地大祭に参加した。福岡市と北九州市の中ほどに宗像市があり、その沖合いに大島(おおしま)と沖ノ島(おきのしま)からなる大島村がある。宗像大社は沖ノ島に沖津宮を大島に中津宮(なかつみや)をそして宗像に最も大きな辺津宮(へつのみや)を置いており、それぞれ天照大神の御子神である三柱の神々を祭神としている。

 氏子関係者のみでなく、一般人でも事前に申し込めば参加することができるが、毎年万を数える参加希望者の中から200人の男子が選ばれて参拝が叶うという狭き門である。洋上遥かな孤島に渡って執り行われる祭礼のため、一泊二日の日程となる。
 現地大祭が日本海海戦記念日に行われるのは、日本海海戦の戦勝記念と英霊の鎮魂が祭礼の発端であったからである。現在は、神への感謝と交通安全の祈願が主目的となっているが、神官より沖ノ島沖で繰り広げられた日本海海戦が紹介される。
 ちなみに、日本海海戦は、東郷平八郎元帥率いる日本艦隊とロシアのバルチック艦隊とが沖ノ島沖で交戦し、日本軍がわずか5時間でバルチック艦隊を壊滅させ、日露両国の勝敗の分岐点となった歴史的な海戦である。 日本海海戦 東郷平八郎

宗像大社

沖ノ島:全島が史跡・天然記念物

 福岡県玄海町にある宗像大社(むなかたたいしゃ)は、 天照大神(あまてらすおおみかみ)のご息女に当たる3女神、沖津宮(おきつみや)・中津宮(なかつみや)・辺津宮(へつみや)の三柱(みはしら)の神が祀られており、日本では数少ない大社のひとつで、本社のほか全国に9000社を数える。

 古来より、海上交通の安全をはじめ全ての道を守る神様として人々の崇敬を集めてきた。沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮 、玄海町田島の辺津宮の三宮を総称して宗像大社という。
 玄界灘の沖合い60kmに浮かぶ周囲4kmの孤島・沖ノ島は、古来より神の島・沖津宮として田心姫神(たごりひめかみ)が鎮座する。沖津宮では、古くから国家の安泰と海路の安全を祈って、大和朝廷による重大な祭祀(さいし)が行われていた。
 近年、沖ノ島から12万点に及ぶ古代祭祀神宝が出土し、一躍注目を浴びた。出土品はすべて国宝や重要文化財に指定された。このため、沖ノ島は、「海の正倉院」と称せられる。
 沖ノ島では、現代においても古来からの掟(おきて)である「女人禁制」をかたくなに守り続け、年に一度の大祭以外には一般人の上陸は許されない。宗像大社の神職が1人で10日ごとに渡海交代で常駐し、沖津宮の管理に当たっている。

集 合

  前日、宗像から大島まで約30分のフェリーで渡り、筑前大島中津宮社務所にて到着届を出したあと、中津宮を参拝し、宵宮祭に参列する。大島で一泊した後、祭り当日は朝5時に起床、6時に宗像大社が用意した船に分乗して大島を出発し、沖ノ島に渡る。高速船や漁船のほか、海上保安庁の巡視艇も参加する。やがて見えてくる沖ノ島は、威風堂々とし、まさに神の島の名にふさわしく、人を寄せ付けない威圧感がある。沖ノ島には2時間かかって到着する。

 

 沖ノ島の船着場(ふなつきば)に到着した参詣者は、岸壁に上陸した後、船着場の近くにある小さな浜辺で、全員が古例により海水にて禊(みそぎ)をし、心身を清める。古例とは、素裸になって海に入り、身体を清めることである。禊をしない限り、参道に入ることは許されない。また、古くからの厳重な掟により婦女子の上陸は禁止されている。近くの掲示板には、沖ノ島における遵守事項が書かれている。

 

沖ノ島上陸心得

沖ノ島は御神体島であり島全体宗像大社の所有地であります また国の史跡及び天然記念物にも指定されておりますので上陸者は左記の事項を厳守して下さい

       一、遊山・魚釣り等を目的とする上陸は禁止します
       一、上陸者は直ちに社務所に届け出ること
       一、上陸者は古例により海水にて禊をし心身を清める事
       一、御神水以外の一木一草たりとも持ち帰ることを禁止します
       一、古くからの厳重な掟により婦女子の上陸を禁止します
       一、その他神社職員の指示に従って下さい

宗像大社沖津宮社務所

 年に一度の大祭以外に、たまに遊漁船や漁船が寄港することがあるという。しかし、大社の許可なく島内に入ることは許されない。
 昔は小船しかなく、荒海で知られる玄界灘を横切って沖ノ島へ渡るには危険が多い。多くの人々が途中で命を落としており、女人禁制は女性を守る意味があったのではないかと宮司(ぐうじ)はいう。また、素裸による禊が掟としてあるため、これも女性が越えるハードルとしては高かったとも考えられるという。(筆者の私見としては、男の神聖な労働の場である船自体が女性を乗せないしきたりであったことも大きな理由であると思われる。)
 
 禊場(みそぎば)に指定されている浜辺には社務所が建っているが、大勢の脱衣所には使えない。参詣者は適宜浜辺で脱衣し、素裸になって海に向かう。ここまで来た以上、覚悟を決めて堂々と素裸で闊歩する人もいる一方で、銭湯のようにタオルで前を隠して歩いている人もいる。  
 古例により素裸になるべきところを越中褌(えっちゅうふんどし)を締めて禊をする人がいるが、褌を注意される様子はない。褌の人は修験道か密教関係者のようでもあり、むしろ堂々としていて、禊がさまになっている。銭湯スタイルの人は、見ていてこちらが恥ずかしくなる。
 思い思いの人が海に入り、うち揃い、あるいは一人になって合掌し、祈りを捧げる。祈りの方向は様々で、胸まで浸かる人、首までの人など決まりはない。中には膝位までしか海に入らず、印を切り、手で海水を体にかけて清める人もいる。様々なスタイルがあるのは、神道関係者ばかりではないからだろう。

 海中は石ころが多いようで、あちこちでよろける姿が見られる。裸足なので怪我をしないように注意する必要がある。

 

 

禊を終えると、プラスティックの桶に用意された真水で身体の塩分を洗い流し、着衣する。海水より真水の方が冷たいという。

参拝

 禊を終えた参拝者は、石造りの鳥居をくぐり、参道に入り、島の中腹にある沖津宮まで400段の階段を上る。神官たちも参拝者に遅れないように階段とは名ばかりの急な山道を登る。普段神官しかいない島なので、ゴミはおろか社(やしろ)周辺以外は人の手の入った形跡はまったくない。珍しい植物も群生している。太古の昔と全く変わらない風景に感激する人も多い。
 一の鳥居から二の鳥居、三の鳥居をくぐると、沖津宮の社殿が現れる。上部には巨岩が覆いかぶさり、左側には太い御神木の杉がそびえ立つ。太古から変わらぬ姿は、悠久の時の流れを感じさせない。
 沖津宮に着くと順番に参拝が始まる。ひたすら神のご加護に感謝する。参拝後、神官の挨拶があり、日本海海戦の話を聞く。この沖ノ島の沖合で、世界史上希に見る大規模な海戦が行われたことに感慨を新たにする。
 イギリス海軍のネルソン提督と並び称される東郷平八郎元帥がロシアのバルチック艦隊を撃破したことにより、日本は国際舞台に立ち、一躍一等国の仲間入りを果たすが、やがてそれは忌まわしい軍国主義国家へと発展し、第二次世界大戦の敗北で破局を迎える序章であったことに当時はまだ気付かない。
 祭典終了後は島内の自由散策の時間に充てられる。考古学に興味のあるグループは、参考書を片手に遺跡を巡り、神を知りたいと願う者は古代祭祀跡に向かう。
 沖津宮の社殿の裏側には古代の祭祀跡が残る巨岩がある。島内の祭祀跡は23ヵ所にのぼるが、いずれも社殿の周囲に集中している。
 このほか、今日しかもらえない貴重な沖津宮の御朱印を受ける人や、ピクニック気分で弁当を広げる人など様々で、年に一度の貴重な機会に思い思いのひとときが流れてゆく。
 福岡県宗像郡大島村に含まれる沖ノ島。原始林は大正15年(1926)天然記念物に指定された。クスノキ科の常緑高木のタブノキ、暖地に自生するヤブツバキが見られ、約180種類が自生する。なかでも亜熱帯植物のオオタニワタリやビロウの北限地であることで知られる。
 平成14年(2002)の大祭には、考古学で有名な早稲田大学の吉村作治教授も参加した。教授は地元テレビ局のクルーと共に登山し、お参りした後、遺跡を回られたようだが、考古学の観点では得る物が無かったとみえて早々に下山したようだ。

 年にたった一度のお参りは、希望者が殺到してなかなかチャンスがない。偶然にもこの大祭の様子を撮影したビデオをDVD化したものを匿名の方から入手したので、例によって静止画キャプチャを行い、貴重な祭祀の様子を電子情報化し、ここに紹介することができた。
 古来より、玄海灘は中国などとの交易船が行き交う交通の要衝であった。いったん海上が時化(しけ)はじめると、自然の猛威の前には人は無力であり、ひたすら神のご加護を祈念し、運命を船とともに委ねるしかなかった。悠久の自然に比べると、人は余りにも小さく、はかない。大自然を前に、生まれたままの姿で斎戒沐浴する気持ちが湧いてくるのは、ごく自然の成り行きである。人々は自然に対する畏敬の念から信仰心を抱くようになった。

 この祭礼の特質は、秘境の地の海水による禊にある。近代文明にどっぷりと浸かり、傲慢さを持つようになってしまった人間が、文明を全てかなぐり捨てて赤裸々となり、無防備な状態で自然の中に身を置くことで、自分が自然に比べて余りにも無力で小さな存在であることを知り、大自然に対する畏敬の念を身をもって体験することができる。

 岩手県の黒石寺(くろいしでら)蘇民祭(そみんさい)も公衆の面前で素裸で禊を行なう習わしがあり、こうしてみると、禊とは本来生まれたままの姿で行うものなのだろう。今回、素裸にならず、褌を締めて禊をした人もいたが、沖ノ島では全員古例に従うべきであ る。
 普通、禊は清水で行われるものであり、海水による禊は珍しく、沖ノ島そのものと同様に、この秘境における古式ゆかしい祭礼もまた天然記念物であるといえよう。(完)

宗像大社 沖ノ島・祭祀遺跡 玄海町公式ホームページ 神宿る島(読売新聞) 沖ノ島参拝奉仕 宗像大社の火水

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