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禊を終えると、プラスティックの桶に用意された真水で身体の塩分を洗い流し、着衣する。海水より真水の方が冷たいという。
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参拝
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禊を終えた参拝者は、石造りの鳥居をくぐり、参道に入り、島の中腹にある沖津宮まで400段の階段を上る。神官たちも参拝者に遅れないように階段とは名ばかりの急な山道を登る。普段神官しかいない島なので、ゴミはおろか社(やしろ)周辺以外は人の手の入った形跡はまったくない。珍しい植物も群生している。太古の昔と全く変わらない風景に感激する人も多い。
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一の鳥居から二の鳥居、三の鳥居をくぐると、沖津宮の社殿が現れる。上部には巨岩が覆いかぶさり、左側には太い御神木の杉がそびえ立つ。太古から変わらぬ姿は、悠久の時の流れを感じさせない。
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沖津宮に着くと順番に参拝が始まる。ひたすら神のご加護に感謝する。参拝後、神官の挨拶があり、日本海海戦の話を聞く。この沖ノ島の沖合で、世界史上希に見る大規模な海戦が行われたことに感慨を新たにする。 |
イギリス海軍のネルソン提督と並び称される東郷平八郎元帥がロシアのバルチック艦隊を撃破したことにより、日本は国際舞台に立ち、一躍一等国の仲間入りを果たすが、やがてそれは忌まわしい軍国主義国家へと発展し、第二次世界大戦の敗北で破局を迎える序章であったことに当時はまだ気付かない。
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祭典終了後は島内の自由散策の時間に充てられる。考古学に興味のあるグループは、参考書を片手に遺跡を巡り、神を知りたいと願う者は古代祭祀跡に向かう。 |
沖津宮の社殿の裏側には古代の祭祀跡が残る巨岩がある。島内の祭祀跡は23ヵ所にのぼるが、いずれも社殿の周囲に集中している。
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このほか、今日しかもらえない貴重な沖津宮の御朱印を受ける人や、ピクニック気分で弁当を広げる人など様々で、年に一度の貴重な機会に思い思いのひとときが流れてゆく。
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福岡県宗像郡大島村に含まれる沖ノ島。原始林は大正15年(1926)天然記念物に指定された。クスノキ科の常緑高木のタブノキ、暖地に自生するヤブツバキが見られ、約180種類が自生する。なかでも亜熱帯植物のオオタニワタリやビロウの北限地であることで知られる。
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平成14年(2002)の大祭には、考古学で有名な早稲田大学の吉村作治教授も参加した。教授は地元テレビ局のクルーと共に登山し、お参りした後、遺跡を回られたようだが、考古学の観点では得る物が無かったとみえて早々に下山したようだ。 |
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年にたった一度のお参りは、希望者が殺到してなかなかチャンスがない。偶然にもこの大祭の様子を撮影したビデオをDVD化したものを匿名の方から入手したので、例によって静止画キャプチャを行い、貴重な祭祀の様子を電子情報化し、ここに紹介することができた。
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古来より、玄海灘は中国などとの交易船が行き交う交通の要衝であった。いったん海上が時化(しけ)はじめると、自然の猛威の前には人は無力であり、ひたすら神のご加護を祈念し、運命を船とともに委ねるしかなかった。悠久の自然に比べると、人は余りにも小さく、はかない。大自然を前に、生まれたままの姿で斎戒沐浴する気持ちが湧いてくるのは、ごく自然の成り行きである。人々は自然に対する畏敬の念から信仰心を抱くようになった。
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この祭礼の特質は、秘境の地の海水による禊にある。近代文明にどっぷりと浸かり、傲慢さを持つようになってしまった人間が、文明を全てかなぐり捨てて赤裸々となり、無防備な状態で自然の中に身を置くことで、自分が自然に比べて余りにも無力で小さな存在であることを知り、大自然に対する畏敬の念を身をもって体験することができる。
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岩手県の黒石寺(くろいしでら)蘇民祭(そみんさい)も公衆の面前で素裸で禊を行なう習わしがあり、こうしてみると、禊とは本来生まれたままの姿で行うものなのだろう。今回、素裸にならず、褌を締めて禊をした人もいたが、沖ノ島では全員古例に従うべきであ
る。 |
普通、禊は清水で行われるものであり、海水による禊は珍しく、沖ノ島そのものと同様に、この秘境における古式ゆかしい祭礼もまた天然記念物であるといえよう。(完) |
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