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 旅紀行ジャパン

2005年7月1日改訂

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2003年11月5日作成

中禅寺湖と華厳滝

中禅寺湖と華厳滝(日光・明智平)


特急けごん1号

拡大写真(1024x768)155KB

 2003年10月30日(金)、家内と二人で日光へ旅した。早起きして中央線快速でJR神田駅まで行き、地下鉄銀座線で浅草に出て、東武浅草駅0710発特急けごん1号に乗り、0916東武日光駅に着いた。
 特急けごんは、クリーム色のスマートな車体で、全車指定席。片道1時間45分で浅草と日光を結ぶ。

 駅前のバス乗り場では、既に長い列ができていた。湯本(ゆもと)温泉行きと中禅寺(ちゅうぜんじ)温泉行きの乗り場があるが、どちらも中禅寺温泉を通る。便数の多い湯本温泉行きに並ぶと良い。幸運にも2台目の臨時便で坐って行くことができた。

東武日光駅

明智平あけちだいら

 約30分後、上り専用の第二いろは坂の途中「ね」のカーブを過ぎると、明智平という駐車場に着いた。バスから降りる人は少なく、ここが必見のスポットだということを知らない人が意外と多い。
 明智平では観光客が野猿に襲われる被害があり、猿に餌を与えないようにとの注意書きがあった。特に白いビニール袋が狙われるという。
 明智平から山上の展望台までロープウェイが通じており、往復710円、4分ほどで着く。

明智平ロープウェイ

男体山なんたいさん

とロープウェイ
明智平ロープウェイ 男体山とロープウェイ

拡大写真(1200x900)252KB 【E-1 80mm  F6.3 1/320秒 ISO100】

拡大写真(1200x900)263KB 【E-1 28mm  F8.0 1/320秒 ISO100 】

明智平展望台

明智平展望台

拡大写真(1200x900)297KB 【E-1 104mm/28-108mm  F6.3 1/400秒 ISO100】

観瀑台かんばくだい

から見た明智平展望台

観瀑台から見た明智平展望台

拡大写真(1200x900)263KB 【E-1 566mm/100-400mm+EC14  F6.3 1/400秒 ISO100】

明智平展望台

 展望台に上ると、西方の標高2,578mの白根(しらね)山系を背景に中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)や華厳滝(けごんのたき)、その右手北側の標高2,484mの男体山(なんたいさん)、下り専用の第一いろは坂、屏風岩(びょうぶいわ)と、正面から右にかけて雄大なパノラマが展開する。息を呑む素晴らしさである。

中禅寺湖ちゅうぜんじこ

華厳滝けごんのたき

中禅寺湖と華厳滝

パノラマ写真(2000x920)248KB 【E-1 76mm/28-108mm  F6.3 1/160秒 ISO100 連続写真2枚 】

日 光にっこう

 日光は、栃木県北西部、日光市を中心とする地域の通称で、日光火山群の南部、大谷(だいや)川水系の中・上流地域に当たる。華厳滝より上流の奥日光と下流の表日光(口日光)に分けられる。
 日光は雄大な自然に恵まれた地であり、また、男体山(なんたいさん)を中心に奈良時代末期に勝道上人(しょうどうしょうにん)によって開かれた山岳仏教の聖地である。近世には徳川家康を祀る日光東照宮の造営により栄え、国宝などに指定された建築物や文化財も多い。このため「日光を見ずして結構というなかれ」とまでいわれ、日本を代表する観光地の一つとして国際的にも知られている。
 日光市は、東西29km、南北22km、総面積321km2。市域の90%以上は山林や原野で占められており、市街地は国道に沿い、細長く帯状に連なっている。日光の入口で海抜500m、市内を通り、いろは坂を登り、奥日光の湯元まで行くと海抜1,500mとなり、1,000mの高低差のある複雑な地形をしている。

華厳滝けごんのたき

観瀑台かんばくだい

華厳滝と観瀑台

拡大写真(1200x1600)255KB 【E-1 134mm/100-400mm  F4.5 1/400秒 ISO100】

日光にっこう

の語源
 日光は、かつては関東地方における代表的な修験道の道場であった。日光の名称は保延4年(1138)の清滝(きよたき)寺大般若経奥書に初見される。それ以前は二荒山(ふたあらさん ふたらさん)と呼ばれており、「二荒」を音読することによって「にこう」「日光」に変化したとする説が一般的だという。

華厳滝けごんのたき

華厳滝

拡大写真(1200x900)297KB 【E-1 566mm/100-400mm+EC14  F4.9 1/200秒 ISO100】

いろは坂の女人堂

いろは坂の女人堂

いろは坂

 馬返(うまがえし)から中宮祠(ちゆうぐうし)間の坂は道路のカーブが48あったことから、いろは48文字にちなんで「いろは坂」と名付けられた。明治5年(1872)に男体山の女人禁制が解かれるまでは、この坂が結界で、坂の途中には今でも女人堂(にょにんどう)が残されている。
 昭和29年(1954)の改修によりカーブの数は減ったが、交通量の増加に伴い、昭和38年(1965)上り専用の第二いろは坂が建設され、これまでのいろは坂は下り専用の第一いろは坂となり、両坂合わせて48のカーブとなり、いろは48文字が割り振られている。
 いろは坂の正式名称は国道120号線で、上りの第二いろは坂は「い」〜「ね」の20、下りの第一いろは坂は「な」〜「ん」の28のカーブがあり、標高差は約500m。

男体山なんたいさん

と第一いろは坂

男体山と第一いろは坂

拡大写真(1200x900)297KB 【E-1 28mm/28-108mm  F8.0 1/250秒 ISO100】

第一いろは坂

第一いろは坂

拡大写真(1000x1200)304KB 【E-1 108mm/28-108mm F6.3 1/400秒 ISO100】

屏風岩びょうぶいわ

 第一いろは坂の入口付近に屏風岩がある。そこに風穴とか雷神窟(らいじんくつ)などと呼ばれる大きな洞穴があり、風神と雷獣(らいじゅう)が住んでいて、雷(かみなり)をおこし豪雨を降らせ、春と秋に暴風が吹いて土地を荒したので、二荒山(ふたらさん)という名ができたという。二荒山は男体山(なんたいさん) のことで、古くは黒髪山(くろかみやま)とも呼ばれた。

屏風岩全景

屏風岩全景

拡大写真(1200x900)297KB 【E-1 28mm/28-108mm  F7.1 1/200秒 ISO100】

屏風岩

屏風岩

拡大写真(1200x900)297KB 【E-1 176mm/100-400mm F4.5 1/500秒 ISO100】

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