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長 浜
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秀吉・三成三献の場の銅像(駅前)
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竹生島行き観光船のりば |
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長浜は、羽柴筑前守秀吉が浅井との一連の合戦にて戦功著しく、信長から拝領した領地である。秀吉は渚のある今浜に城を築き、地名を長浜に改めた。この地で秀吉は三成と出会う。
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長浜城と琵琶湖
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竹生島に上陸
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竹生島 琵琶湖の北部、損籠尾(つづらお)崎の南2kmにある。滋賀県東浅井郡びわ町に属する。周囲2km、面積0.14kuの花崗岩からなる小島で、全島が杉、松などの常緑樹でおおわれ、社寺以外に集落はなく、古来信仰の対象とされてきた。 |
また琵琶湖八景の一つ〈深緑竹生島の沈影〉の景勝地で、島全体が国の名勝・史跡に指定されている。琵琶湖国定公園に含まれ、大津、今津、彦根、長浜などから観光船の便がある。 |
竹生島の生成には次のような話がある。昔、伊吹山に多多美彦(たたみひこ)命(夷服岳(いぶきのたけ)神)、久恵(くえ)の峰に姉の比佐志姫(ひさしひめ)命、浅井の岡に姪の浅井姫命がいた。あるとき夷服岳と浅井の岡が背くらべをし、浅井の岡が一夜のうちに高くなったので、夷服岳神が立腹し浅井姫を切り殺してしまった。そのとき浅井姫の頭が琵琶湖にころがり落ちて島となったのが、竹生島だという。島内には浅井姫命をまつる都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。 |
中世以降、神仏習合により弁才天を本地仏とし、竹生島弁才天は江の島、厳(いつく)島の弁才天とともに日本三弁天の一つに数えられた。《平家物語》には、琵琶の名手として聞こえた平経正が竹生島に参詣し、戦勝を祈願して琵琶を弾じた話がみえる。弁天のゆかりにより、琵琶にまつわる説話は少なくない。 |
神社に隣接する宝厳寺(ほうごんじ)は現在、真言宗豊山派に属し、山号を巌金山(がんこんざん)という。伝えによれば、はじめ竹生島寺といい、行基を開基とした。のち元興(がんごう)寺の泰平、東大寺の賢円が来て、753年(天平勝宝5)千手観音をまつった。平安時代には延暦寺の僧が多数来島し、山門系の聖地となった。また都久夫須麻神社の神宮寺として、その本地仏の弁天をまつった。 |
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2003年1月12日(日)、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)に行った。JR三ノ宮駅から長浜駅まで150km、新快速で約2時間。長浜港観光船乗り場まで徒歩15分。竹生島行き高速船に乗り、25分ほどで到着した。 |
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琵琶湖の北部、奥琵琶湖に浮かぶ竹生島は、全島緑樹に包まれ、伝説とロマンに満ちた小島である。 周囲約2km、面積0.14ku。二つの峰を持ち、北側の高い峰は標高198m。全島が花崗岩からなる。 |
周囲は切り立った断崖に囲まれ、南東部に唯一の船着場がある。
この付近は琵琶湖でも最も深く、水深は120mに達するという。 |
巨岩に繁茂する樹々の緑が紺碧の湖面に映える景観は、「竹生島の沈影(ちんえい)」として琵琶湖八景の一つに数えられ、国の史跡名勝に指定されている。 |
竹生島に着いた高速船
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謡曲「竹生島」
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謡曲「竹生島」では、「緑樹沈んで、魚木に上る気色あり。月海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白の島の気色や」と、その素晴らしさを愛でている。
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現代語訳:島を覆う緑の樹々が影を湖水に映している。魚が樹々の影を縫って泳いでいる。まるで木に登っているかのようだ。月が湖面に映るときは、月に住む兎も波間を駆けていくのだろう。本当に竹生島の景色は素晴らしい。
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能・竹生島
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船着場
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神戸を発つときは冬晴れの素晴らしい天気だったが、電車が琵琶湖東岸を北上するに従い、曇り空となった。山々は冠雪で白く、日本海側の典型的な冬型の気候に、真冬の旅であることを思い知った。
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斜面に建つ伽藍
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竹生島は、予想外に小さな島で、しかも平地は殆ど無く、建物は島の斜面にへばりつくように建っている。社寺の伽藍の他は、土産物屋しかない。
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近江八景 滋賀県にある日本最大の湖・琵琶湖の周辺は古来景勝地が多く、紀元1500年頃、近衛政家が近江八景を選んだ。
1.三井の晩鐘 2.石山の秋月 3.堅田の落雁 4.粟津の晴嵐 5.矢橋の帰帆
6.比良の暮雪 7.唐崎の夜雨 8.瀬田の夕照 |
しかし、時代とともに環境が変化し、現在ではその大部分が景観を失っている。近年ではこれらにかわって
1.瀬田石山の静流 2.比叡の樹林 3.雄松崎の白汀 4.海津大崎の岩礁
5.賤ヶ岳の大観 6.彦根の古城 7.安土八幡の水郷 8.竹生島の沈影
が琵琶湖八景に選ばれている。 |
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土産売り場
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店のおばさんは愛想良く私の質問に答えてくれた。島には社寺関係者以外は住んでおらず、土産物屋の人たちは毎日船で通ってくるという。店ごとに自家発電機があり、陸電はない。
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琵琶湖周航の歌
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瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い傳(つた)への 竹生島
佛の御手(みて) にいだかれて
ねむれ乙女子(おとめご) やすらけく |
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♪琵琶湖周航の歌♪
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「琵琶湖周航の歌」のメロディが聴けます。
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この歌は、第三高等学校(現京都大学)のボート部による恒例の琵琶湖一周を歌ったもので、大正時代、クルーとして参加した小口太郎という学生が作詞した。竹生島は6番まである歌詞の4番目に登場し、龍神の住む湖底や信仰の島の様子を見事に表現している。 |
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参道の急な石段
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自動発券機で入場券を購入し、最初の急な石段を登る。石鳥居をくぐったあと右折し、宝厳寺観音堂の下を進むと、都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島神社)の本殿と拝殿に至る。
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信仰の島 |
竹生島には西国三十三観音霊場第三十番札所の宝厳寺(ほうごんじ)と都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島神社)があり、太閤秀吉ゆかりの華麗な桃山文化の香りが残されていて、多くの参詣者や観光客が訪れる。 |
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都久夫須麻(竹生島)神社
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神社の由来書などには竹生島(ちくぶじま)神社とあるが、正規には都久夫須麻(つくぶすま)神社という。宝厳寺縁起とは別に宗国風土記という書物によれば、雄略(ゆうりゃく)天皇(在位456〜479年)の時代に既に祭礼が行われたという。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと
弁才天)、宇賀神、浅井姫命の三柱。
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都久夫須麻神社拝殿
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高床式の廊下
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京都の清水寺や貴船神社を連想する高床式建造物。宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿を結ぶ渡り廊下(船廊下)である。狭い土地の有効利用のための工夫である。
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琵琶湖が一望できる拝殿には、竜神が祀られている。また、拝殿において「かわらけ投げ」が行われる。しゃもじなどが奉納されており、売店がある。
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巡 礼
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拝殿は、雪が固まりとなって残っていた。真冬にもかかわらず、老夫婦であろうか、一組の巡礼に出会った。
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かわらけ投げ |
人々は古くから自然崇拝の神事として、献上の品を土器(かわらけ)に盛り、神々に祈った。
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竹生島にもかわらけ(素焼きの杯)に願い事を書き、琵琶湖の竜神に思いが通じるよう、湖面に突き出た鳥居に向かって投げるならわしがある。鳥居の下はかわらけの破片で埋め尽くされている。 |
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祈願しゃもじ
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琵琶湖の形と辨才天の持つ琵琶の形がしゃもじに似ているからなのだろうか、拝殿には願い事を記した多くのしゃもじが奉納されている。 |
しゃもじは、日本三弁天の一つ、宮島の厳島神社(いつくしまじんじゃ)が名高い。「めしとる」ことから広島では高校野球や広島カープの応援などに使われる。 |
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内部は狩野永徳・光信筆の天井絵や襖絵を始め高台寺蒔絵の柱・長押(なげし)など建物全てが極彩色で飾られており、桃山文化の代表的な国宝建築物である。
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国宝・竹生島(都久夫須麻)神社本殿
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本殿は、関白秀吉が時の天皇を迎えるために当時の粋を集めてつくった「日暮御殿」といわれる伏見城内最高の建物を神殿として寄進されたもので、国宝に指定されている。
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崖に建つ常行殿
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狭い参道から琵琶湖が見え隠れする。猫の額のような険しい場所に建物が建つ。「竹生島の沈影(ちんえい)」にふさわしい光景である。 |
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