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ドー Bordeaux 

 

 フランス南西部,ジロンド県およびアキテーヌ地方の主都。人口21万3000(1990)。ジロンド河口より120km,ガロンヌ河口に近く,おもに左岸に市街が発達する。

[歴史] 起源は前3世紀のケルト人の都市ブルディガラBurdigalaで,ガロンヌ川沿いに地中海に至る通商路の大西洋側の入口に位置した。ローマによる征服後,町は改造され,現在のサント・カトリーヌ通りを軸に市街が形成された。またブドウ栽培が導入され,ガリア各地やイギリスに向け,ブドウ酒の輸出が始められた。3世紀にはアキテーヌの主都となり,遠く中東の商人まで来住する商業都市として繁栄した。中世,イギリス王のギュイエンヌ領有下,ボルドーはその主都として第2の繁栄をみた。とりわけ,イギリス王がブドウ酒輸出の独占権を与えたことにより,その輸出量は飛躍的に増加し,14世紀初めには,20世紀の輸出量に匹敵する年85万hlを輸出するにいたった。この頃,市域は170ha,3万余の住民を擁した。18世紀,ボルドーはアメリカ植民地を中心とする大西洋貿易の発展により,最大の繁栄を迎えた。

ボルドー市カンコンス広場のジロンド記念碑 

 巨大な富を築いた船主,貿易商の中には,フランドル,イギリス,ドイツなどからの移住者が多く,シャルトロン川岸に一種コスモポリタン的世界を形成した。彼らと高等法院貴族に代表される大地主ブドウ栽培家の間には,経済上はもとより,血縁上も密接なつながりが形成された。このボルドーの支配者層には,以上のような歴史的伝統や通商上の利害から,穏和な自由主義の気風が存在した。18世紀後半にトゥールニTournyら地方総監により都市改造が行われ,アレ・ド・トゥールニなどの街路が開かれ,その周辺には,フランスで最も美しいといわれる市立劇場(1780完成)など,古典様式の建物の整然とした町並みがつくられた。革命前夜には人口10万,フランス最大の地方都市であった。19世紀には,国際貿易構造の変化により,ボルドー港の地位は低下した。市の支配者層はそれに有効に対処できず,経済的には自由主義を唱えるが,社会的には保守化し,退嬰的で閉鎖的な世界にとじこもった。そしてボルドーは,第二帝政下の自由貿易政策により一時繁栄をみるものの,工業化に立ち遅れ,相対的な停滞に陥ることになる。

 第2次大戦後,とくに1960年代から,都市圏はボルドーのコミューンをはるかに越えて急速に拡大し,80年ころには周辺33コミューンに市街化が及んでいる。他方,ドーナツ化現象により,本来のボルドー市はすでにかなりの人口減少をみ,とくに中世以来の街路の残る市中心部で著しい。そこで,一方では,中世の市域にほぼ対応する150haの市街が歴史景観保存地域に指定され,保存・再開発が図られるとともに,同時にその西に隣接するメリアデックMeriadeck地区を再開発し,近代的な商業・行政センターを設け,都市機能の大規模な移転が行われた。

[産業,文化] 一部の先進工業(宇宙航空,エレクトロニクス)や自動車工場の進出はみられるが,依然工業化は遅れている。港の機能は,船舶大型化により,ル・ベルドンに移り,石油基地やコンテナ埠頭などの整備が進められているが,貨物量で全国第5〜6位,地方港の位置にとどまっている。要するにボルドーの主要な活動は,アキテーヌ地方の主都としてのそれであり,ブドウ酒をはじめとする農産物の集散地,また商業・金融や行政,大学や各種研究所を含む公務が,雇用者の4分の3を占めている。なお,ラ・ボエシー,モンテーニュ,モンテスキューは,いずれもボルドー高等法院の法官であった。またモーリヤック,アヌイの出身地でもある。

[美術] 市中心部にはイギリス王支配期の建造物が多く残っている。サント・クロア教会(12世紀)のファサードは,玄関両横にめくらアーチを備え,飾迫持(かざりせりもち)には獣をつっつく鳥のモティーフを繰り返すなど,サントンジュ地方のロマネスク様式に近い。サンタンドレ大聖堂は,〈王の玄関〉(13世紀中ごろ)の最後の審判を表すタンパン,入口左右の使徒像,上方アーケードの人像などゴシック期の優れた彫刻群で知られる。サン・スーラン教会南側にも最後の審判を中心とする玄関構成が保存されている。サンタンドレ大聖堂脇の〈ペー・ベルラン塔〉とサン・ミシェル教会の六角鐘楼(高さ114m)は,ともに15世紀の建造。また19〜20世紀のフランス絵画のほか,イタリア,フランドル,オランダの作品を収蔵するボ8ルドー美術館,装飾美術館がある。

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