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1999年11月3日、モン・サン・ミッシェルを見学した。モン・サン・ミッシェルは、ブルターニュとノルマンディーの境にあり、「西洋の驚異」と称される。中世には巡礼地として栄え、後に要塞としても使われた。
モン・サン・ミシェル修道院
Abbaye du Mont‐Saint‐Michel
フランス北西部,ノルマンディーとブルターニュとの間にはさまれたサン・マロ湾の南東,モン・サン・ミシェル湾上の小島にある修道院。伝承によれば708‐710年アブランシュの司教オーベールが,自ら幻視した大天使ミカエル(サン・ミシェル)の命令で,ここに礼拝堂を建てたのが起源という。ノルマンディーのノルマン人は10世紀初頭キリスト教化するが,966年ノルマン人修道士がここに住みつき,ベネディクト会修道院を建設した。1023‐34年に新教会堂が建築され,12世紀には城壁がめぐらされて城砦としての役割をも兼備した。中世を通じてここは西欧の重要な精神的中心および巡礼地となり,崇敬の的となったが,百年戦争では要塞となり,フランス革命後は一時牢獄と化した。現在,修道士は在住していないが,ヨーロッパ随一といわれる優雅な姿は多くの見学者を集めている。
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付近一帯は、潮の干満の差が激しく、かっては島全体が水に囲まれたという。現在は砂の海に浮かぶ孤島のように見える。1979年、ユネスコの世界遺産に登録された。
島の入り口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。最も大きな潮が押し寄せてくるのは、満月と新月の36〜28時間後といわれ、かってはその潮の差が14mもあったという。いったん18kmのかなたまで引いた潮が猛スピードで攻めてくる。このため、多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたのだという。現在使用している道路ができてからは、その悲劇は無くなったという。
砂の上に浮かぶ僧院
8世紀の初め、アブランシュの司教であった聖オーベールは、夢の中で「この地に修道院を建てよ」という聖ミッシェル
St-Michel
のお告げを聞いた。その後、長期の難工事を経て完成したのがこの僧院だ。以来、聖地として、多くの巡礼の徒をこの島に招くこととなった。
周りを砂と海で囲まれた見るからに堅固なその外観は、修道院というよりむしろ城か砦を思わせる。実際、百年戦争中は英仏海峡に浮かぶ要塞としての役目を果たした。また、ナポレオン1世の治世には牢獄として使われたという。宗教と政治がからみあう中で、今日まで生きながらえてきた僧院である。内部は中世の建築方式が混ざり合った独特なものである。
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モン・サン・ミッシェルに近づきすぎると全景を撮影できないので、一旦島に向かう道路上で停車し、撮影をした(トップの写真)。その後、バスは島の駐車場に入り、徒歩で砂上に浮かぶ島に向かった。 入り口の門をくぐると、城のようにそびえる僧院
abbaye までは、「大通り」 Grande rue グランド・リューと名付けられた一本の参道があるだけ。大通りとは名ばかりの狭い坂道だ。観光客相手の土産屋を横目に見ながら上がっていく。
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入り口を通過してすぐに「プーラールおばさん」 La Mere Poulard
ラメール・プーラールの看板のある店に入った。オムレツが有名な三ツ星ホテルだ。入り口ではオムレツの実演が見られる。昼食時で凄く込んでいて、3階でかなり待たされ、やっと席が空いたところで2階で昼食。もちろんオムレツが出たが、なかなか美味かった。一人卵一個分で泡立てた素朴な味だ。
ノルマンディ地方では葡萄がとれず、代わりにリンゴを栽培し、リンゴ酒(シードル、英語ではサイダー)をつくっており、お薦めなのでグラス一杯のリンゴ酒を飲んだ。酒という気はしない。リンゴ酒を蒸留したのがカルバドスというブランデーだ。
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Omelette Poulard と呼ばれるオムレツは、卵を泡立てたものを単純に焼き上げたもの。ふわっとしていて、皿からはみ出さんばかりの大きさになる。フライパンで4人分(卵4個)を一度に焼き上げていく。プーラールおばさんが考えた素朴な味は、モン・サン・ミッシェルの名物となった。
世界企業に成長したカーネル・サンダース氏のケンタッキー・フライドチキンには及ばないが、プーラールおばさんの死後も、オムレツは、この地の大きな遺産として生き続けている。
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腹ごしらえの後、現地フランス人の日本語ペラペラの男性ガイドに案内され、島の見学に入った。
通り沿いのレストランや土産物屋は、みな2階にテラスを張り出していて、通路にもなっている。店に入らなくてもその上を歩けば、満潮時に多くの巡礼者をのみこんでしまった砂の海を見渡せる。
島のすぐ側にノルマンディとブルターニュを分けるクエノン川が流れ、モン・サン・ミッシェルは、なるほどきわどくノルマンディ地方の方に入っているのが分かる。僧院がどちらに帰属するかで、過去に争いもあったという。
この地は雨の多い地方だそうで、今日みたいなカラリと晴れた日は本当に珍しいという。僧院の影が海面に映っているのもラッキーだ。
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寺院の内部に中庭があり、その周りを回廊が囲んでいる。厳しい修業の合間に、安らぎの空間として利用されたものだという。植物が植わっている下には部屋があり、屋根の上の公園とでもいう趣向だが、湿気が多く、維持管理は大変だったようだ。
修道院の建築
中心に,地下祭室をなすカロリング期の教会堂,ノルマン様式の身廊(11〜12世紀),フランボアイヤン様式の内陣(15世紀半ば〜16世紀初め)からなる教会堂が位置し,その周囲をメルベイユ Merveille
と呼ばれる13世紀の重層的修道院建築(階下に無料宿泊所,貯蔵庫,その上に騎士の間,賓客の間,階上に回廊,食堂,寝室)と13〜15世紀の軍事施設(城塞,衛兵室,大階段など)が取り囲む。
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