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2004年11月3日改訂

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           石鳥居白い浴衣の御輿練り  北舟

2004年10月30日作成

子供神輿

神輿一体走り(勝岡八幡神社/愛媛県松山市勝岡町)

勝岡八幡神社

神輿一体走り

宮出し

勝岡八幡宮

勝岡八幡宮

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 2004年10月7日(水)、愛媛県松山市勝岡町に鎮座する勝岡八幡神社で行われる「一体走り(いったいばしり)」を見に行った。

勝岡かつおか 八幡神社
 応神天皇の御代、国造として小千命(おちのみこと)が在任中、兇賊を平定して仁政を施したので、庶民は命の人徳を敬慕し、太山寺(たいさんじ)村の中野山に「白人の宮(うらとのみや)」として祭ったことに始まる。「勝岡」の名は、勝ち戦にあやかって命名されたと伝えられる。
 賊を平定した8月7日を祭日と決め、松山地方では、この白人の宮の祭りが終わらないと、他の神社は祭りを催行できないとされていた。
   中野山にあった勝岡八幡神社は、永享年間(1429〜1441)の頃に焼失したため、現在の場所に再建された。その時から勝岡八幡神社と呼ぶようになったといわれる。

早朝の露店

早朝の露店

一体走りいったいばしり
 勝岡八幡神社が朝廷から宮号と菊花の紋章を下賜(かし)された際、当時、勝岡の特産品であった塩を朝廷に献上した。以来、勝岡の塩は珍重され、和気浜(わけはま)の裸の若者たちが塩を担いで御用船(ごようせん)まで運んだことから、神事として伝承されてきたものであるという。
 地区ごとに赤・青・黄に色分けされた「御絹(おきぬ)」と呼ばれる覆い布と鈴のついた神輿を、御絹と同色の褌(ふんどし)を締めた青年9〜10名が担ぎ、鈴が鳴らないように振動を抑えて参道を駆け抜ける姿は勇壮そのもの。
  「一体走り」は神輿を一体づつ担いで走ることからそのように呼ばれるようになったといい、神輿と人が一体となって走るという意味ではない。昭和48年(1973)「一体走り」が松山市無形文化財に指定され、勝岡八幡神社一体走り保存会が保存・運営にあたっている。

神輿の宮出し

 早朝6地区の神輿が本殿に据えられ、午前6時になると開会の挨拶が行われた後、神輿の宮出しが始まった。

神輿の宮出し

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安城寺あんじょうじ の宮出し
 先頭は、松山市安城寺の青年団が担ぐ神輿で、御絹は黄色である。氏子たちはみな黒の兵児帯(へこおび)・白の浴衣(ゆかた)・黒足袋の衣装で、神輿の御絹と同色の襷(たすき)を掛けている。
 浴衣がけで神輿を担ぐのは初めて見る光景で、興味深い。男たちは本殿前で神輿を上下に練り上げ、長い石段を下りて大鳥居をくぐり、御旅所に向かう。

安城寺の宮出し

和気町わけまち 一丁目
 次は和気町一丁目青年団の赤色の神輿。豪快に練ってから石段を下りてゆく。時刻は午前6時15分となり、あたりが明るくなってきた。和気浜青年団団長の襷が見える。

神輿の宮出し

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太山寺たいさんじ
 三番手は、同じく赤色の太山寺青年団の神輿。御絹が和気町一丁目のものと同じ色であるため、赤鉢巻を締めて区別している。本殿前で神輿練りを行い、順次前が空き次第出陣してゆく。

安城寺の宮出し

昨年優勝した 和気町わけまち 二丁目
 和気浜青年団の襷をかけているのは、和気町二丁目青年団の青い神輿。優勝旗を持っているのは昨年優勝したからであるが、実はこれは輪番制で毎年決まっているという。最初の2回くらいはタイムや走りなどを審査していたというが、揉め事があったため中止したとのこと。 紛争を好まない土地柄のようである。
 左端の少年が持つ感謝状には、「和気町二丁目青年団殿 あなたの団は勝岡八幡神社秋季大会において無形文化財神輿一体走りの保存と承継に尽くし・・・」と記載されていた。

昨年優勝した和気町二丁目

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高浜町たかはままち 六丁目と一丁目
 五番手は濃い青色の御絹をかけた高浜町六丁目の神輿。六番手は高浜町一丁目の黄色の神輿。神輿練りは宙を飛ぶように練り、地面を蹴って突き上げる様子が独特である。

高浜町六丁目

高浜町一丁目

高浜町六丁目 高浜町一丁目

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石鳥居の下で神輿練り

石鳥居の下で神輿練り

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  石鳥居白い浴衣の御輿練り   北舟    

子供神輿

 最後の七体目は赤い御絹の子供神輿。本殿に宮入りしておらず、大鳥居をくぐってお旅所に向かった。子供たちはそろいの法被に神輿の御絹と同じ赤色の細い帯を締めている。これは本番では鉢巻になるのだろうか。肩が痛いのか、担ぎ棒に肩当てをしている。

子供神輿

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お旅所の神輿
 お旅所に着いた七体の神輿は中々カラフルである。お旅所といっても普通の広場である。ここからスタートして参道を東に向かって一体走りする。スタート時刻まで、各地区ごとに神輿を練り上ていた。

御旅所の神輿

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盛り上がる神輿練り

盛り上がる神輿練り

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神輿に乗って記念撮影をする幼児たち

神輿に乗って記念撮影をする幼児たち

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