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 旅紀行日本の祭り

2004年9月18日改訂

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昨 日

BGM

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2002年10月16日制作

海上渡御祭(海神社/神戸市)

海上渡御祭(海神社/神戸市)

01

浜大鳥居

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赤鳥居

 昭和32年(1957)、海神社馬場先浜に丹塗の浜大鳥居が建立された。当時、この辺はまだ砂浜だったという。

破魔矢

長さ140cmの破魔矢

蛸壺と大漁旗

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 明石海峡の蛸(たこ)は急流に揉まれて身が締まっているので、日本一美味いという。多くの蛸壺(たこつぼ)の前に漁船などが集結していた。

神話 彦火々出見命(ひこほほでみのみこと 山幸彦)は、兄の神・火闌尊(ほすそりのみこと 海幸彦)より預かった釣り針を失って途方にくれ、海中の綿津見大神の宮を訪ねたとき、綿津見大神の姉娘の豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)と結婚し、2人の間に尊が生まれた。
 3年後、山幸彦が帰るとき、綿津見大神は潮満珠(しおみつたま)・潮干珠(しおひるたま)〈満珠干珠〉を授けた。山幸彦は満珠干珠の霊力によって水をつかさどり、兄神・海幸彦の無理難題を退けたという。
 綿津見大神の妹娘の玉依姫尊(たまよりひめのみこと)は、綿津見大神の姉娘の豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)と山幸彦の間にできた尊と結婚し、神武天皇が誕生した。
綿津見大神 海神社は、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、中津(なかつ)綿津見神、上津(うわつ)綿津見神の三柱の神を祀る。これらを総称して綿津見大神という。在勤30年の伊藤宮司によれば、三柱の神だと神話と合わないので、別に綿津見大神がいるのではないかとの説もあり、詳しいことは分からないという。
 2002年10月12日(土)、神戸市垂水区宮本町に鎮座する海神社(かいじんじゃ)の海上渡御祭(かいじょうとぎょさい)に行った。神戸・JR三宮駅から下り15分ほどで垂水(たるみ)駅に着く。海神社は垂水駅の南隣りにある。

 海の神といえば金刀比羅宮か住吉大社が有名だが、海神社も古来よりこの地の海の守り神であった。
 10月の神無月(かんなづき 神の月)は、播州の17の神社で秋祭りが催される。神々が御旅所に行かれたり、海上に出かけられたりするからだ。海神社もこの17の神社の一つに数えられている。

海神社

石鳥居

 今から千数百年前の昔、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐を終えて帰途についたとき、明石海峡を過ぎたところで暴風雨となり御座船(ござぶね)を進めることができなくなった。
 そこで皇后みずからがこの地に井弉諾神(いざなぎのかみ)の御子(みこ)である綿津見大神(わたつみのおおかみ)を祀り、祈願されたところ、たちまち風波が治まり、無事に都に還られたという。それ以来、当地に社殿を建て、御神徳を仰ぐこととなった。
 爾来、航海安全・漁業繁栄の神として崇(あが)められたばかりでなく、当地が海陸の交通の要所であったことから、交通安全の神として信仰を集めてきた。正規には「わたつみじんじゃ」と読む。
 「わたつみ」の「わた」は海を表わす古代朝鮮語「ばた」から来ており、「つみ」は精霊を表わす語で、「わたつみ」は「海の精霊」を意味するという。
 海神社には綿津見大神のほか兄弟に当たる天照皇大神(あまてらすすめおおかみ 天照大御神)も祀られている。
 社伝によれば、豊臣秀吉より祈祷料として山林の寄進があり、江戸時代には明石藩主松平氏より祭祀料が寄せられ、藩主も参拝した。
幟を立てた漁船

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 午前9時過ぎに神社に着くと、すぐ前の垂水漁港では既に漁船が幟(のぼり)や大漁旗を上げで準備していた。
 写真左の白い建物が神戸市漁業協同組合の建物で、浜大鳥居のすぐ前に建っており、海神社が神戸市漁協専用の氏神だと錯覚するほどだ。
02
兄ちゃんの晴れ姿

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 皇室ゆかりの神社であることから、十六八重菊の神紋を用い、1945年12月連合軍の神道指令により制度が廃止されるまで官幣中社に列せられていた。

氏 子

 海神社は、東垂水、西垂水、塩屋(しおや)、東高丸(ひがしたかまる)、名谷(みょうだに)の旧5ヵ村の氏神で、東垂水と西垂水との境界線上に位置する
 海神社の海上渡御祭は、昭和初期から始まり、毎年、秋祭りの最終日に行われる。神輿の担ぎ手は、旧5ヵ村の輪番制で、今年は西垂水の約100名の氏子が務めた。

晴れ舞台

 祭りには氏子の家族が総出で参加する。小さな漁港のお祭りである。派手さはないが、心のこもった暖かみのある和気あいあいとした雰囲気が漂う。
 狩衣(かりぎぬ)姿に身を包んだ兄ちゃんは、少し恥ずかしそう。しかし、凛々しい姿に、憧れのまなざしで眺める稚児が微笑ましい。
 母親たちは、稚児の冠を正したりして子供の世話に忙しい。秋晴れの素晴らしい天候に恵まれ、今日は家族総出で晴れ舞台を務める。
03

お稚児さん

お稚児さん

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「そこでしょ」の練習

「そこでしょ」の練習 1
「そこでしょ」の練習 2

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 境内に建つわたつみ会館の前では、ちびっ子が口上の「そこでしょ」の練習に余念がない。真剣な表情で指導を受ける姿がすがすがしい。
 拝殿での神事の後、神輿を先導する稚児たちが下りてきた。拝殿内では撮影禁止だったので、アマチュア写真家が一斉にシャッターを切る。
 急におしっこがしたくなる子がいる。母親も大変だ。袴を脱がせてやらねばならず、汗だくで対応に追われる。
04

獅子舞奉納

獅子舞奉納

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付き添いと猿田彦

付き添いと猿田彦

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 綿津見大神を警護する猿田彦(さるたひこ)は、常時付き添い役と腕を組んで誘導してもらっている。お面が大きすぎて前が見えないのだという。
 毛獅子の奉納が始まった。演じるのは西垂水青年会の兄貴たちである。氏子たちは表と裏に「西垂水」「海神社」と書かれた札を首にかけている。上半身裸になり、逞しい兄貴たち。かなり練習を積んできたようで、素晴らしい踊りを披露してくれた。
毛獅子 A 毛獅子 B 毛獅子 C
 

B (1200x900)286KB

C (1200x900)196KB

05
神輿の旅立ち 1

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神輿の旅立ち

神輿練り

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 午前10時半、いよいよ綿津見大神を乗せた神輿が神社を出発した。垂水漁港の市場前の岸壁に横付けされた御座船まで、西垂水青年会の若衆により神輿が担がれる。
 担ぎ手は、向う鉢巻に白波をあしらった青い法被(はっぴ)、白晒の腹巻きに猿股さるまた猿股引さるももひき【股引の半ズボン形】の略称)白の地下足袋と、青と白のツートンカラーで統一。晴れやかな装束だ。
赤鳥居での神輿練り ちびっ子の口上 青年の口上

D 赤鳥居での神輿練り
 
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E ちびっ子の 口上「そこでしょ」
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F 青年の口上「歌い上げ」
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担ぐ前の踊り 汗だくの担ぎ手 行進する神輿
G 担ぐ前の踊り
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H 汗だくの担ぎ手
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I 行進する神輿
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神輿練り

 神輿は、神社から御座船までのわずか300mの距離を境内、石鳥居、赤鳥居など、要所要所で神輿練りを披露しながら「ヤーキャ!ヤーキャ!」と掛け声をかけながら進む。神輿練りはかなりなもので、全員が呼吸を合わせ、紙吹雪がまかれるなか、一斉に神輿を放り上げる。息が合わないと神輿が傾き、落としかねない難しい技だ。紙吹雪は清めの塩の代わりなのだろう。

そこでしょ

 興味深いのはそれぞれの動作の節目に儀式があることだ。担ぎ手を休ませるには、ちびっ子二人が前に出て、大相撲の呼び出しのように日の丸の扇をかざして口上 「そこでしょ」を述べる。(写真E) 小学校2年生と小学校5年生で10名5組が順番に口上をいう。 扇が振動板となって大きな声になるのだろう。口上が終わると神輿が降ろされ、全員がしゃがんで休息をとる。 最後にちびっこ全員で「おさめましょ」というと、神輿を納めることになる。

歌い上げ

 神輿を担ぐときには二人の兄貴がちびっ子と同様の動作をとって口上を述べる。(写真F) この担ぐ前の口上を「歌い上げ」といい、若衆10名5組ほどで 順に担ぐ前に祝いの歌を唄う。全部で5番まであり、1番・2番・3番を順番に唄い、御座舟に乗せる前と陸に揚げる時の2回だけ4番を唄う。そして、一番最後のお宮に納めるときに全員で5番を唄う 。
 兄貴の口上に合わせてしゃがんでいた担ぎ手が一斉に立ち上がり、両手を上げ左右に振りながら唄いはじめる。波で揺れ動くさまを表しているのだろうか。(写真G) 踊り終えると一斉に神輿を担ぎ上げる。これの繰り返しで神輿が進む。何とも面白いパフォーマンスである。秋晴れの陽気に担ぎ手から滝のように汗が流れる。
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