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海神社の伊藤宮司(ぐうじ)に海上で写真を撮りたいとお願いしたところ、快く応じて頂き、守衛船(しゅえいせん)に乗せてもらった。守衛船は数隻配備され、雑踏警戒や特別な任務にあたる多目的船である。
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神輿が御座船(ござぶね)に乗せられた。伊藤宮司や各地区の総代などが乗船したのち、午前11時過ぎ、いよいよ海上渡御が始まった。 |
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神戸市漁協前の岸壁を離れた御座船は、猿田彦が乗り組む1番船に先導され、まず、垂水漁港内でお祓いを行い、海上安全と豊漁を祈願した。
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1番船にも総代が乗り込んでいる。船上の猿田彦は、もはや付き添い役から離れ、堂々としている。
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垂水漁港から明石海峡大橋がすぐそばに見える。神戸市漁協の漁師たちは、明石海峡とともに生きている。
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海神に守られている垂水の海神丸
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垂水の漁船は全て海神丸!
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御座船は、海神丸(かいじんまる)という船名だった。素晴らしい名前だ。毎年同じ船が御座船役を務めるという。他の船を見ると、何と1番船も2番船も、いや全ての船の船尾に海神丸と表示されている。(写真07)
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守衛船の船長は、こともなげに「垂水の漁船は全て海神丸だ」という。第○海神丸というのではなく、全てただの海神丸なのだ。どうして識別するのだろうか。船長に質問すると笑って答えてくれなかった。
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須磨沖から明石海峡東口までをパレードする漁船群
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我先に垂水漁港を出港する。守衛船もフルスピードだ。波の洗礼を受ける。神輿を担いでいた西垂水青年会の船が花火を打ち鳴らし、上半身裸になってのお祭り騒ぎである。(写真上)
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海上のお祓い
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神輿を乗せた御座船など約20隻の漁船は、2時間かけて海上を巡行した。御座船は、平磯灯標(ひらいそとうひょう)付近、塩屋漁港、マリンピアの船溜まりに行き、伊藤宮司が祝詞(のりと)をあげて海の安全を祈った。
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「景気が良いときには16番船までいた」と守衛船の船長がぽつりと言った。今年は8番船しかいない。お客が来なくなったのだという。報道船も今年からなくなった。船長は寂しげな表情を浮かべた。
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船団はなかなかまとまらない。船長にお願いして、隊列の周りを走ってもらい、先頭から最後尾まで色々な角度で撮影した。私の注文に気持ちよく応じて頂いた船長のご厚意が有り難かった。
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素裸の若衆が乗る東垂水青年会の船
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《 撮影 2002年10月12日
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オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素 650枚
800MB
テレ&ワイド・エクステンションレンズ使用 |
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謝 辞 |
伊藤孝二宮司はじめ海神社の皆様、山田春三組合長はじめ神戸市漁協の皆様、そのほか大勢の方々のご協力を得て海神社・海上渡御祭をデジタル情報化し、ここに発表することができました。この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
2002年10月16日 和田義男 拝 |
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以前はタグボートが曳索(えいさく)を出して全船を曳航し、300m以上の長さになったという。毎年行事届けを出している神戸海上保安部から日本一船舶通行の多い明石海峡のそばを曳航して走るのは危ないといわれ、それ以来ばらばらに走るようになった。
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東垂水青年会の船が近くを追い抜いていった。船長が「素っ裸になっている」というので、カメラを向けた。お祭り騒ぎの若衆が海に飛び込んだのだという。頼もしい後継者が育っていることを嬉しく思った。
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午後1時過ぎ元の岸壁に戻り、海上渡御祭は無事に終了。大任を果たした伊藤宮司の笑顔が印象的だった。
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海神社の海上渡御祭は、2002年9月2日に行われた70隻の船団がパレードする常陸(ひたち)の鹿島神宮御船祭りのような華やかさはない。(鹿島神宮は「鹿島立ち」で知られる。)
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しかし、身近にある氏神様の秋祭りに今年も地域の人々が数多く参加した。手作りの暖かみのある素晴らしい祭りだった。
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海の守護神・海神社を擁する垂水地区においても確実に伝統文化が継承されていることはまことに喜ばしい。多くの方々のご支援により、地域の祭りを体験できたことは、望外の喜びである。(完)
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