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2004年4月11日(日)
と18日(日)の二日間にわたって鎌倉まつりを見に行った。JR新宿駅からJR新宿湘南ラインで鎌倉駅まで約1時間で着く。4月11日は午前中、久しぶりの鎌倉大仏を見ようと東口8番乗り場からバスに乗り、15分ほどで大仏前に着いた。 |
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観光客で賑わう鎌倉大仏
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拡大写真(1200x900)287KB 【E-1
64mm F16.0 1/160秒 ISO200】
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鎌倉市長谷(かまくらし・はせ)にある高徳院は、正式には大異山高徳院清浄泉寺(だいいざん
・こうとくいん・しょうじょうせんじ)といい、開山、開基とも不明
で、暦仁元年(1238)創建の浄土宗のお寺である。 |
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高徳院という名よりも「鎌倉大仏
(長谷の大仏)」の方が有名で、奈良・東大寺の大仏とともに日本二大
大仏として知られる。高徳院の本尊である鎌倉大仏は、正式には銅造阿弥陀如来坐像(どうづくりあみだにょらいざぞう)という巨像で、国宝に指定されている。 |
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拡大写真(1200x900)122KB 【E-1
248mm F14.0 1/160秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)120KB 【E-1
66mm F13.0 1/160秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)116KB 【E-1
56mm F8.0 1/400秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)148KB 【E-1
74mm F7.1 1/400秒 ISO200】
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鎌倉大仏 |
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大仏がいつ何の目的で造られたのかは分からないが、700年前に修行僧の浄光(じょうこう)が寄付金を募り、現在より小さな木造仏が
寛元元年(1243)に造られたのに始まる。
宇治元年(1247)の大風で仏像も殿舎も破壊されたので、今度は青銅の大仏を造ることとし、建長4年(1252)に
工を起し、仏像も殿舎も数年で完成した。 |
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鋳工として大野五郎右衛門の名が寺伝にあり、丹治久友が他の記録に知られるのみで、原作者は不明だという。明応4年(1495)の津波で殿舎が流され、爾来、露坐のままとなってしまった。 |
鎌倉で唯一の国宝仏は、高さ1,238cm、顔の長さ256cm、まゆの長さ124cm、眼の長さ100cm、口の幅82cm、耳の長さ190cm、体重120ton
で、青銅で造られている。もともとは金箔で覆われていたといい、今でも右頬などにその名残が見える。 |
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阿弥陀如来座像
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拡大写真(900x1200)157KB 【E-1
50mm F16.0 1/160秒 ISO200】
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鎌倉大仏は手を膝の上に置き、上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)を結ぶ。この印相(いんぞう)*で
、大仏は阿弥陀如来であることが分かる。螺髪(らほつ)**や一重の着衣は、如来に共通するもので、釈迦、薬師、阿弥陀、大日などの区別は印相が決め手となる。 |
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大仏の目は切れ長で、やや猫背ぎみに両肩がせり出しており、衣は両肩にかかり、写実的である。この像は、中国の宋の様式と慶派***の影響を巧みに融合させているといわれ、独特の美しさをつくりだしている。 |
*印相(いんぞう):
両手を足の上に置くのが上品(じょうぼん) 親指と人差し指で輪を作るのが上生(じょうしょう)
**螺髪(らほつ):
仏像の頭部の髪の様式。螺(巻貝)状をした多くの髪が並ぶもの。頭髪1本ずつが右回りに貝のように巻いている。
***慶派:
運慶・快慶で有名な鎌倉時代の仏師の一派 |
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大仏は、鋳造(ちゅうぞう)時に周囲を土砂で埋め、鋳型(いがた)を分割しながら鋳込んでいったらしい。大仏に今も残る横線から、胴体部は7段に分けて鋳込まれたことがわかるという。 |
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拡大写真(800x600)134KB |
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〈 参考 〉 |
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東大寺の大仏・ |
盧舎那仏 |
(国宝) |
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座高 1,498cm
顔の幅 320cm
鼻の幅 98cm
口の長さ 133cm
手の平の長さ 148cm
足の大きさ 374cm
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顔の長さ 533cm
目の長さ 102cm
鼻の高さ 50cm
耳の長さ 254cm
中指の長さ 108cm
ひざの厚さ 223cm
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重さは、252tonといわれている。
古寺巡礼・東大寺
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上品上生印の阿弥陀如来 |
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背中の窓 |
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拡大写真(1024x768)143KB 【E-1
70mm F9.0 1/640秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)138KB 【E-1
58mm F7.1 1/320秒 ISO200】
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4月11日から18日まで開かれた第46回鎌倉祭りは、鎌倉市最大の祭典である。
祭り初日の高徳院では、午前10時から午後3時まで、裏千家・永井宗圭社中による茶会が催され、観光客に抹茶が振る舞われた。椅子の上に正座してのお手前や、それにあわせた可搬式茶道具が興味深い。 |
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拡大写真(1200x900)150KB 【E-1
28mm F5.6 1/160秒 ISO200】
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20円で胎内参拝ができる。狭い階段をあがると、空洞の胎内に至る。背中の窓から採光しており、フラッシュなしで、頭部
の穴を撮影できた。螺髪(らほつ)のくぼみが見える。頭部接合部は茶色の接着剤で補強されている。大仏は耐震構造になっており、大地震があっても大丈夫だという。 |
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胎内参拝入口 |
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頭部が接合された穴 |
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拡大写真(1200x900)224KB 【E-1
28mm F8.0 1/320秒 ISO200】
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拡大写真(800x600)146KB 【E-1
28mm F2.8 1/10秒 ISO200】
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与謝野晶子の句碑 |
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな
晶子
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かまくらや みほとけなれど しゃかむには びなんにおわす なつこだちかな |
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大仏の奥に、句碑がひっそりとたっている。文字が薄くて読みにくいが、与謝野晶子の有名な和歌である。阿弥陀如来の大仏を釈迦如来だと誤解して詠んでいるが、これがなぜ有名かというと、当時、今のような観光気分でお参りする人はおらず、
御仏(みほとけ)を男前だと見ること自体が不遜だと思われたからである。 |
日露戦争で日本全体が戦意高揚している中で、女性の立場から反戦の感情を表わした詩である「君死にたもうことなかれ」で物議を醸した彼女だが、大仏見物でも、現代では平凡すぎるほどの発想が当時においては非常識だったのである。 |
第二次世界大戦後の民主主義教育を受けて育った我々と同じように自由な発想で物事を眺めることができた明治の女性・与謝野晶子の先進性には、ただ驚嘆するばかりである。 |
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拡大写真(1200x900)153KB 【E-1
28mm F20.0 1/160秒 ISO200】
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