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 感動写真集

2004年11月26日改訂

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祭囃子メドレー

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2004年11月26日作成

七番曳山・飛龍

新町七番曳山・飛龍(唐津くんち/唐津市)

唐津くんち

宵曳山

深見重利

唐津からつくんち

 曳山囃子(やまばやし)の優雅な調べのなか「エンヤ、エンヤ」「オイサ、オイサ」と掛け声が響く。唐津くんちは、唐津っ子の産土神(うぶすながみ)である唐津神社の秋祭りで、400年の歴史がある。

唐津神社

唐津神社

         唐津神社公式サイト       資料

 神輿の御旅所(おたびしょ)への御神幸(ごしんこう 渡御)は、江戸時代の寛文年間に始まったといわれ、「漆の一閑張り(うるしのいっかんばり)*という技法で製作された曳山(ひきやま)は、1番曳山(いちばんやま)の赤獅子(あかじし)が文政2年に奉納されて以後、明治9年までに15台が制作・奉納された。このうち紺屋町(こんやまち)の黒獅子が明治中期に消失したため、現存は14台となっている。
 昭和43年(1968)からは、本殿祭を10月29日とし、宵曳山(よいやま)・御神幸・町廻り(まちまわり)は11月2日から4日までとなった。
 祭り期間中の人出は50万人を越えるといわれ、長崎市諏訪神社の長崎くんち、福岡市櫛田神社の博多おくんちとともに「日本三大くんち」の一つに数えられる。昭和55年(1980)国の重要無形民俗文化財に指定された。  
* 漆の一閑張: 本体を木組みにし、粘土の原型や木型の上に和紙を数百枚貼り重ね、麻布等を張って漆を塗り重ね、金銀を施して仕上げたもので、各町が莫大な費用をつぎ込み、2〜3年がかりで作られたという。
八番 曳山やま

金獅子きんじし

八番曳山・金獅子

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宵曳山よいやま

 2004年11月2日(火)の宵曳山(宵ヤマ)は、唐津おくんちの前夜祭で、14台の曳山(ヤマ)に提灯を飾り、町内を曳き歩くもので、秋の夜に独特の雰囲気を醸し出す。
 午後7時30分、火矢を合図に、たくさんの提灯で飾られた1番曳山「赤獅子」が市中心部の大手口を威勢よく出発。各町内が意匠を凝らして制作した赤や青、黒の漆を塗り重ね、金ぱくを張った兜(かぶと)や獅子、鯛(たい)などの曳山が旧城下町の巡行に加わって行く。
 笛・鉦(かね)・太鼓で奏でる曳山囃子(やまばやし)にあわせて、肉襦袢(にくじゅばん)と呼ばれる法被を羽織った男衆が「エンヤ、エンヤー」の掛け声を夜の町に響かせて進む。沿道では拍手がわき、カメラのフラッシュが光る。秋の夜長を飾る華やかな伝統文化のページェントは、多くの観衆を魅了した。

八番曳山やま金獅子きんじし

 本町(ほんまち)は、唐津城の築城とともにできた町で、城下町の総行司の順番や唐津17ヵ町の順番では一番目にあげられている古い町だという。金獅子は弘化4年(1847)に製作。大正9年から塗替えが2回行われている。
 本町が曳山に金獅子を選んだ理由は、一番町であるので、一番曳山・赤獅子、二番曳山・青獅子より以上の曳山を造ろうとして、金獅子を選んだと伝えられる。
 総高5.6m、幅3.1m、奥行2.6m、重さ1.6〜1.8ton。金色のあでやかな曳山である。
四番 曳山やま

源義経の兜

四番曳山・源義経の兜

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四番 曳山やま

源義経の兜

 呉服町(ごくふまち)の源義経の兜は天保15年(1844年)獅子細工人・石崎八右衛門、塗師・脇山卯太郎、大工佛師・庭吉、諸金物師・房右エ門らによって製作された。安政4年(1857)から2回修理されている。
 兜の製作は当時町内に具足屋があり、兜に詳しく熱心であったため決定したと言い伝えられている。
総高6.1m、総幅2.8m、奥行き4.7m、重さ1.6〜1.8ton。巨大な漆塗り一閑張りの芸術品。

十番曳山やま・上杉謙信の兜

 平野町(ひらのまち)は、唐津城下17ヵ町の一つで、はじめ下級武士の住む武家地だったが、後に職人たちが移住し町人町(ちょうにんまち)となったという。
   「上杉謙信の兜」は明治2年8月(1869)細工人・富野武蔵、塗師・須賀仲三郎によって製作された。明治から昭和にかけて4回の塗り替えを重ね、色も変化している。  
   平野町が曳山に「上杉謙信の兜」を選んだのは、九番曳山の木綿町(きわたまち)が「武田信玄の兜」を選んだことと関連していると考えられるが、詳しくは分からないという。  

十番曳山やま・上杉謙信の兜

十番曳山・上杉謙信の兜

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六番 曳山やま

鳳凰丸ほうおうまる

 
 大石町(おおいしまち)は唐津で最も古い町の一つ。大石村の地先にできた町で、唐津城が築かれる前からあったといわれている。鳳凰*丸は五番曳山・鯛(たい)の1年後の弘化3年(1846)に細工人・永田勇吉、塗師・小川次郎兵衛らによって製作された。
   総高4.5m、総幅2.1m、総奥行き5.1m、重さ3ton。他の曳山と違い、殆んどが木組みと木型を使い、一閑張りで仕上げられているため、最も重たい曳山の一つである。  
  * 鳳凰: 古来中国で尊ばれた想像上の動物。形は麟(りん)(麒麟きりんの略)、蛇、魚、亀、燕(えん)(燕雀えんじゃく つばめのこと)、鶏に似て、めでたい時に出現するといわれる霊鳥で、雄は鳳、雌は凰という。  

六番曳山・鳳凰丸

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九番 曳山やま

武田信玄の兜

 木綿町(きわたまち)は唐津城築城時の総町12ヵ町の1つで、江戸初期に木綿業者が居住したことによるという。
   「武田信玄の兜」は元治元年(1864)に制作されたもので、細工人は紅屋近藤藤兵衛、塗師は畑重兵衛(又は石井久司)と伝えられる。明治、昭和に3回塗替えられている。  
   木綿町の信玄の兜は武田家所蔵の信玄の兜とは異なる所が多々あるが、白いハグマ*の毛を使っているところは同じである。総高6.3m、幅2.7m、奥行3.6m、重さ1.6〜1.8tonのハグマの白毛と金色の鹿角が特徴の兜曳山である。  
  * ハグマ: チベットやインド北方の高地に住む野牛の一種ヤクの尾の毛。  

九番曳山・武田信玄の兜

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五番 曳山やま

たい

 魚屋町(うおやまち)の鯛は四番曳山・源義経の兜に遅れること1年、弘化2年(1845)に製作された。細工人、塗師ともに不明で、当時の若者として「治吉」、「甚兵工」などの名前が残っている。
   五番曳山に鯛を選んだ理由としては、次のような言い伝えがあるという。
(1)魚屋町が魚屋の町だったので、魚の代表として鯛を選んだもの
(2)神へのお供物として魚の代表の鯛が選ばれたもの
 
   総高約6.7m、総幅2.2m、総奥行2.5m。明治から5回の修理を経て、現在も当初の姿を留めており、巨大な鯛の漆塗りの芸術品。唐津くんちを代表する曳山として全国に知られている。  

五番曳山・鯛

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七番 曳山やま

飛龍ひりゅう

  新町(しんまち)は旧唐津城下の町で、初めは下級武士の町だったが、職人が多く住むようになり、町人の町になったという。「飛龍」*が製作されたのは弘化3年(1846)。元治と明治に2回塗替えられている。
   当時、京都の南禅寺(なんぜんじ)には唐津中里家の日羅坊という人がおり、そこへ町内の醤油業の岡口屋仁兵衛と酒屋の石田屋伊右衛門の二人が立ち寄ったところ、南禅寺の障壁画に描かれている飛龍を見て大変感激して帰り、それをモデルにして飛龍を造ることを思いついたという。  
   当初龍王山を造る予定であったが、江川町(えがわまち)で蛇宝丸(七宝丸)を造ることになったので、急きょ富野淇園に相談して海と水に関わる鯱を造ることになった。鯱が火災よけの魔力があり、町名の水と関係があるので決まったともいわれる。  
  * 飛龍: 古来中国で空を飛び回る鱗のある虫の仲間の長として神霊視される巨大な想像上の動物で、雲を起こし雨を呼ぶといわれる。鳳・麟・亀とともに四霊の一つ。  

十三番曳山・鯱

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十四番 曳山やま

七宝丸しちほうまる

 江川町(えがわまち)は、唐津城下の17ヵ町の一つで、築城時は武士の居住する組屋敷だったが、のちに町人も移住した。
   「七宝丸」は明治9年8月(1876)細工人・宮崎和助、塗師・須賀仲三郎、大工・田中市次正信らによって製作された。屏風の松竹の絵は、唐津藩絵師・武谷雪渓が作成した。  
   「七宝丸」は、曳山製作関係者が大石町(おおいしまち)在住であったので、大石町の対の船として竜頭の七宝丸をつくったと伝えられる。総高6.3m、幅2.2m、奥行3.2m、重さ3ton。宝珠、軍配、打出の小槌、隠れ蓑、宝袋、勾玉、一対の巻物の七つの宝を持ち、龍頭と火炎が特徴の船曳山である。  

十四番曳山・七宝丸

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午後10時頃、市内を巡り終えた曳山は唐津神社前に勢揃いし、そこで一夜を明かした。

 
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